アステロイド家族




たった一人の戦争



 そして、ジョニーは火星へ到着した。
 インテゲル号とHAL号は火星の衛星軌道上に待機させておき、ジョニーはアウトゥムヌスと共に火星へと降りた。
宇宙服も脱いで、今となっては単なる作業着になってしまった戦闘服を着て、マサヨシから借りた熱線銃を携えた。
化粧を落としたアウトゥムヌスはゴシックロリータを着直すことが出来ないので、手近な店でワンピースを買った。
ジョニーは付いてこなくてもいいと何度も言ったが、アウトゥムヌスは譲らず、ジョニーの傍にぴたりと付いてきた。
その気持ちだけでも充分だったが、ここまで来ては無下には出来ない。彼女を連れて、両親を殺すことに決めた。
 あの家族旅行とは違い、グリーンプラントまでの道程は静かだった。それと言うのも、ジョニーが喋らないからだ。
両親をこれから殺すというのに、お喋りに興じられるほど強気ではないので、ジョニーは移動中は終始黙っていた。
ジョニーが喋らなければ必然的に彼女も喋らないので、重たい沈黙に包まれたまま、二人は目的地を目指した。
 ジョニーの父親のタケル・ヤブキがジョニーの情報端末に送信してきた待ち合わせ場所は、ラボラトリーだった。
グリーンプラントのメイン施設であり、ジョニーが幼い頃に両親と妹と共に過ごしていた、思い出深い場所だった。
 十年振りに訪れたグリーン・ラボラトリーは、昔と変わらなかった。研究設備は向上していたが、外見は同じだ。
空を造り出すスクリーンパネルに届きそうなほど成長した無数の植物が生い茂って、濃密な酸素が充満していた。
 ジョニーは子供の頃に両親から渡されていた入所許可証を警備ロボットに見せ、アウトゥムヌスと共に入場した。
十年の間にIDが変わっているのではないのか、と不安を抱いていたが杞憂に終わり、その後も何事もなかった。
 超強化ガラスで出来ている水晶柱のような通路を通り抜け、自動的に循環しているトラムに乗って、移動した。
時折、研究員や見学に訪れた学生とも擦れ違ったが、彼らはジョニーとアウトゥムヌスに対して反応はなかった。
大方、こちらも見学だと思われているのだろう。グリーン・ラボラトリーは、グリーンプラントに次ぐ観光地だからだ。
 ガラスの卵に似たトラムに乗っていると、急に視界が開けた。最も広大な実験施設である、草原が姿を現した。
地球が健在だった頃の環境を忠実に再現して造られた草原は、一万平方メートル以上もの面積を持っていた。
草原の中心には小高い山がそびえ立ち、野生化するように遺伝子を調整されたシカの群れが駆け回っていた。
それを追いかけているのは、やはり野生化するように造られた肉食動物、灰色の毛並みの立派なオオカミだった。

「むーちゃん、これ、どうっすか」

 ジョニーが向かいの座席に座るアウトゥムヌスに問うと、彼女は首を横に振った。

「不自然」

「真っ当な意見っすね」

 それきり、会話は続かなかった。トラムを駆動させている静音モーターから、かすかな唸りだけが聞こえてきた。
ジョニーは戦闘服の下に仕込んだホルスターを確かめて、そこに差してある熱線銃に触れ、決心を再度固めた。

「むーちゃん」

 ジョニーはアウトゥムヌスに手を差し伸べると、彼女は僅かに眉根を曲げた。

「その手の意味が解らない」

「オイラの手が綺麗なのは、ここまでっすから。今日が終われば、きっとオイラはむーちゃんに触ることすら出来なくなるっすから。だから、今のうちにってことっすよ」

「大丈夫」

 ジョニーの右手を小さな両手で包んだアウトゥムヌスは、静かに目を上げた。

「問題はない」

 彼女の手が上がり、ジョニーの分厚い金属の手が持ち上げられた。ジョニーが戸惑った時には、もう遅かった。
あの日と同じく、アウトゥムヌスの花びらのような薄い唇が、ジョニーの武骨で硬いだけの指先に付けられていた。
アウトゥムヌスの唇とジョニーの指先が接している間、時間が止まったような気がしたが、トラムは動き続けていた。
そっと唇が離されると、かすかな温もりが遠のいた。ジョニーはいつのまにか力の入っていた肩から、力を抜いた。

「むーちゃん…」

「大丈夫」

 アウトゥムヌスはジョニーの手に白い頬を寄せ、淡々と、だがどこか切なげに囁いた。

「あなたは、死なない」

「そりゃ、オイラだって本音を言えばまだまだ死にたくないっすよ。でも、オイラはこれから親を殺すんす。そんなのが生きてたって、むーちゃんや皆に迷惑が掛かるだけだから」

「大丈夫」

 アウトゥムヌスは立ち上がると、背伸びをしてジョニーの顔を両手で挟み、真正面から向き合わせた。

「私は、あなたの傍にいる」

 その言葉の意味も意図も理由も、ジョニーには掴めなかった。だが、彼女の無機質な瞳が少しだけ違っていた。
今までに見せてくれた表情とは決定的に違った、温度の高い眼差しだった。言葉が少ないからこそ、真摯だった。

「もっと、解りやすく言ってくれないと解らないっすよ?」

「困難」

 一ミリにも満たないが、アウトゥムヌスの視線が揺れた。ジョニーはそれだけでも満たされ、笑っていた。

「でも、言ってくれなきゃダメっすよ。オイラは何度も言ったんすから」

「けれど」

 視線を下げようとしたアウトゥムヌスの顎を上げさせ、ジョニーは言った。

「むーちゃんでも、照れることがあるんすね。そういうの、めっちゃめちゃ可愛いっすよ」

「あ…」

 小さく声を漏らして目を見開いたアウトゥムヌスは、少しだけ、銀色の瞳を潤ませた。

「今でなければ、いけない?」

「無理にとは言わないっすよ」

 ジョニーが彼女の顎から手を離すと、アウトゥムヌスは名残惜しげにその手を見ていたが、顔を伏せた。

「然るべき状況が訪れたら、いずれ」

「いいっすよ、いつでも。むーちゃんが言いたい時で」

 ジョニーはアウトゥムヌスの頭を、ぽんと押さえた。アウトゥムヌスは口を開こうとしたが、躊躇った後に閉じた。
その反応だけでも、充分すぎる。これで心残りは増えてしまったが、幸せなまま死ねるならそれでいいと思った。
好きな相手から好かれることが、こんなにも幸せとは。おかげで、緊張も恐怖も甘い感情で掻き消されてしまった。
 程なくして、トラムは目的の場所に到着した。ジョニーはアウトゥムヌスの手を引いて、トラムから通路に降りた。
グリーン・ラボラトリーの中でも最重要施設であり、一般の見学者は立ち入れないセンターエリアの入り口だった。
警備ロボットの数も増え、セキュリティシステムも強化されて、出入りしている研究員達の顔触れも違っている。
 センターエリアのメインゲートの手前には、タケルが待っていた。タケルはジョニーを見つけ、笑いかけてきた。
黒髪に黒い瞳で黄色い肌の、背の高い男だった。研究員であることを現す、エンブレムの入った白衣を着ている。
首からは、研究員専用のIDカードを下げている。十年の歳月で若干体型が変わったが、父親には違いなかった。
顔付きも、眼差しも、表情も、歩き方も、全てが父親だ。ジョニーは強烈な懐かしさに駆られ、胸中が苦しくなった。
だが、まともな再会のために来たのではない。殺意を蘇らせ、父親に駆け寄ってしまいたい衝動を押さえ込んだ。

「やあ、来たな」

 タケルは笑顔のままジョニーの元に近付いてくると、息子の手を取った。

「久し振りだな、ジョニー。しばらく見ない間に、随分立派になったもんだ」

「父さんこそ、元気そうだね」

 ジョニーは言葉遣いを矯正し、十年前のような口調を作った。

「そちらは?」

 タケルは、ジョニーの傍に寄り添う少女を見やったので、ジョニーはアウトゥムヌスを手で示した。

「むーちゃん、いや、アウトゥムヌスだよ。ほら、よく僕と一緒に遊んでいたじゃないか」

「ああ、あの子か」

 名前を出されてタケルは思い出したのか、頷いた。アウトゥムヌスは深々と頭を下げたが、何も言わなかった。
だが、タケルはアウトゥムヌスに対して何の興味も抱いていないらしく、彼女について問い詰めることもなかった。
それがありがたいと思った反面、違和感も感じた。しかし、それを言及するよりも先に、タケルは歩き出していた。
付いてきなさい、と言われたのでジョニーらも素直にそれに従い、センターエリアに入っていくタケルの背を追った。
 タケルは行き交う研究員達と挨拶することもなく、いくつもエレベーターに乗って、いくつもの通路を通り過ぎた。
最終的に行き着いた先は、地下千五百メートル地点に造られた地下研究施設で、研究員の姿もなくなっていた。
 通路の天井からは青白い光が注がれ、闇らしい闇はないはずなのに、空気全体に重たい雰囲気が満ちていた。
三人の足音以外の物音は皆無で、会話はない。タケルの背を追いかけていると、ふと、子供の頃を思い出した。
 ジョニーがまだほんの子供で、ダイアナが生まれるよりも前の出来事だ。赤く焼け爛れた地球を、見に行った。
初めての宇宙旅行で、ジョニーはとても興奮していた記憶がある。浮かれすぎて、両親から叱られたほどだった。
生まれてからずっと過ごしていた火星を出て、月面基地に到着し、そこにある地球展望エリアから地球を眺めた。
だが、肝心の地球はジョニーにとってはあまり面白くなかった。これなら、火星の方が余程美しく、面白かった。
 千年の時を掛けて乾いた地表に水を広げ、植物を生かしている火星は青々としていたが、地球は赤いだけだ。
何が面白いの、とジョニーは両親に尋ねようとしたが両親は地球に見入っており、母親は涙すら浮かべていた。
その時に見上げた父親の背は、今の父親の背に似ていた。研究に勤しんでいる時と比べると、生き生きしている。
足取りも力強く情熱的で、揺るぎない意志が感じられる。何がそんなに楽しみなのだろう、とジョニーは思っていた。
だが、今もやはり聞けなかった。また、タケルから愛情の籠もった笑顔を向けられたら、殺意が崩れそうだからだ。
 幾重にも造られた隔壁を通り抜けた最深部でタケルは足を止めたので、ジョニーとアウトゥムヌスも立ち止まる。
分厚い金属製の自動ドアの前では、一人の少女が待っていた。壁に寄り掛かり、退屈そうに唇を尖らせていた。
少女はタケルの姿に気付くと、その途端に満面の笑みを浮かべ、軽い足音を立てながらタケルへと駆け寄った。

「お父さん、お帰りなさい! ちゃんと良い子にしてたよ!」

 肩の上で切り揃えた黒髪を揺らしながら、青い瞳を輝かせている少女は、十年前と全く同じだった。

「だ」

 ジョニーはその姿を映像として認識していたが、脳が受け付けず、言葉に詰まった。

「だい、あな?」

「お兄ちゃん?」

 ジョニーの前で立ち止まった少女は、穢れのない青い瞳をジョニーへ向け、明るく笑った。

「やっぱりお兄ちゃんだ!」

「ダイアナ…なのか?」

 ジョニーが困惑していると、少女は血色の良い頬を膨らませた。

「ダイアナはダイアナだもん。お兄ちゃん、忘れちゃったの?」

 なぜ。どうして。死んだはずなのに。あの時、宇宙に投げ出され、全身の水分が蒸発する場面を見ていたのに。
死体を回収して火葬し、遺骨を拾ったはずなのに。遺骨が入った箱を、泣きながら冷たい墓の下に入れたのに。
妹が大事にしていたオモチャやぬいぐるみを捨てることで、ようやくその死を認識して、現実に戻ったはずなのに。
思い出すとあの時死ねなかった自分が疎ましくてたまらないから、出来るだけ思い出さないようにしていたのに。
それなのに。なぜ、妹が動いている。ここは、記憶の中なのか。或いは妄想の世界か。もしくは、死後の世界か。

「おにーいちゃん」

 少女は、十年前に死んだダイアナと変わらぬ声を発し、変わらぬ笑顔を向けてきた。

「嘘だ…こんなの…嘘だ…」

 ジョニーは後退ったが、ダイアナは笑顔のままだった。

「ダイアナは嘘じゃないよ、何が嘘なの? ダイアナ、嘘吐いてないもん」

「だって、ダイアナは、ダイアナは」

 死んだはずだ、と言いかけたが、言えなかった。ジョニーは得体の知れない恐怖と共に、嬉しさも感じていた。
ダイアナが生きていることを、脳は拒絶している。しかし、心は受け入れている。また、妹とやり直せるのだ、と。
 十年間、ずっと寂しかった、悲しかった、悔しかった、切なかった、苦しかった。一人きりでは、生きられなかった。
だが、ダイアナが傍にいてくれれば、もう大丈夫だ。最愛の妹であり最高の妹であるダイアナさえ、いてくれれば。
 無意識に、ジョニーはダイアナに手を伸ばしていた。後少しで妹に触れるかと思われた瞬間、手首が掴まれた。
アウトゥムヌスだった。彼女はダイアナを威圧するかのように見据えながら、ジョニーの手首を握り締めていた。
若干低めの体温と頼りない手応えとは裏腹に、アウトゥムヌスの腕力は強く、ジョニーは動きを封じられていた。

「ジョニー君」

 アウトゥムヌスに名を呼ばれ、ジョニーは我に返った。

「むーちゃん…」

「あなたにとっての現実は、そこにはない。無限の虚無と、偽計の連鎖。ただ、それだけ」

 手に感じるアウトゥムヌスの冷ややかな体温に、ジョニーの心中は落ち着いてきた。そうだ、確かに妹は死んだ。
葬儀もした。遺骨も拾った。戸籍も鬼籍になった。墓も建てた。だから、ダイアナが生きているわけなどないのだ。
ジョニーは手首からアウトゥムヌスの手を外し、その手を一度握り締めた。死んだ者は死んだ。ただ、それだけだ。

「父さん」

 ジョニーはダイアナと同じ姿をした少女を押し退け、作り物じみた笑顔を浮かべる父親に歩み寄った。

「このダイアナは、何なんだ」

「ダイアナはダイアナだ。お前の妹だぞ」

「そうじゃない。ダイアナは、十年前に事故で死んだんだ。僕も、その事故に巻き込まれたからサイボーグになったんだ。だから、このダイアナは僕の知るダイアナなんかじゃない。ロボットなのか、それともクローンなのか?」

「ダイアナはダイアナだ」

「そんなの、答えになってない! ちゃんと答えてくれ、父さん!」

「そうか。だったら、お前自身でお前のダイアナを選べばいい。その方が、お前も気に入るだろう」

「何言ってんだよ! 訳が解らないよ!」

「ジョニー。お前は、自分の運命を知らなくてはならない」

 タケルは白衣の下から熱線銃を抜くと、にこにこと笑っているダイアナの後頭部に銃口を当てた。

「お前は不良品だな、ダイアナ」

「あのね、お兄ちゃん。ダイアナはね、ずっとずっとお兄ちゃんが来てくれるのを待っ」

 溌剌とした表情で喋っていたダイアナの頭部が熱線で貫かれると、その言葉も途切れ、脳漿と血が流れ出した。
蛋白質の焦げる匂いに鉄錆の匂いが混じり、ダイアナは兄に対する笑顔を貼り付けた顔のまま、ぐらりと倒れた。

「ダイアナ!」

 何が起きたのか解らず、ジョニーはダイアナを抱き起こしたが、脳を焼かれたダイアナは既に事切れていた。

「なんてことをするんだ!」

 ジョニーは絶叫するが、父親は壁に設置されたコンソールに手早くパスワードを入力していた。

「お前が気に入らないと言ったんじゃないか。せっかくあの時死んだダイアナの記憶を移植してやったというのに」

 我が侭な奴だな、とタケルは笑いを零していた。ジョニーは動揺と混乱の中、妹の体温が消えるのを感じていた。
ジョニーの腕の中で、頭部の穴から血を流すダイアナはだらしなく口元を開き、虚ろな目で天井を見つめていた。
なぜ、父親が妹を殺すのだ。なぜ、ダイアナが死ななければならないのだ。なぜ、ダイアナはまた生きているのだ。
 何一つ解らないジョニーは頭痛すら感じたが、アウトゥムヌスの手が肩に添えられたおかげで正気を保っていた。
彼女がいる。だから、ここはまだ現実だ。だとしたら、腕の中で冷えていく妹は何だ。偽物にしては、本物過ぎる。
鈍い震動と共に、最後の隔壁が開いた。足元に流れ込んできた、どろりとした冷気と温度差による霧が晴れると。
 そこには、悪夢が待っていた。





 


08 8/20