アステロイド家族




たった一人の戦争



 ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
 五歳のダイアナ。六歳のダイアナ。七歳のダイアナ。八歳のダイアナ。九歳の、十歳の、十一歳の、十二歳の。
胎児のダイアナ。少女のダイアナ。思春期のダイアナ。成人のダイアナ。ダイアナを孕んでいるであろうダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。ダイアナ。
 全てが、ダイアナだった。壁に見える部分はダイアナが一人ずつ入ったカプセルで、培養液に満たされている。
薄暗いが巨大な空間に詰め込まれた大量のダイアナはいずれも目を閉じていて、ジョニーと会う時を待っていた。
それらの無数のダイアナに見下ろされた空間の中央に、一つだけ違うモノが入っているカプセルが屹立していた。
中央のカプセルの傍らに、母親のシンシア・ヤブキが寄り添っていた。父親と同じく、十年分の年齢を重ねていた。

「久し振りね、ジョニー」

 シンシアは顔を綻ばせ、死んだダイアナを抱いているジョニーに歩み寄ってきた。

「丁度良かったわ。あなたの体の脳の摘出が終わったのよ」

 ほら、とシンシアが示した中央のカプセルでは十歳のジョニーが眠っていたが、頭蓋骨が切り開かれていた。
各部位に繋がる神経の束がゆらゆらと培養液の海で漂い、かつて死んだ自分が無数の妹に見下ろされていた。

「この十年間、長かったわ」

 シンシアはジョニーの前に膝を付くと、ダイアナの血に汚れた息子の手を取った。

「でも、こうしてまたあなたの体を造り出すことが出来たわ。私達がいない間は、新しいダイアナを出すことも出来なかったから、随分と寂しい思いをさせてしまったでしょうね。でも、これからはもう大丈夫よ。あなたは、そんな不格好な機械なんかじゃない生身の体を取り戻して、私達とまた火星で暮らすのよ。新しいダイアナは、あなたが選んで。だって、元々ダイアナはジョニーのために造ったお人形なんですもの」

「僕の、ため」

 ジョニーは四方を埋め尽くすダイアナを見上げたが、猛烈な吐き気に襲われて、マスクを押さえて背を丸めた。
だが、サイボーグ故に何も出なかった。久々に感じた吐き気を味わいながら、ジョニーは荒い呼吸を繰り返した。
大丈夫、と母親が声を掛けてきたが、ジョニーはそれを振り払って、腕に抱いていたダイアナの死体を横たえた。
妹の目を閉じさせてやって、戦闘服を脱いで被せた。ジョニーは畏怖に震える足で、異形の空間に踏み込んだ。

「じゃあ、何なんだよ。ダイアナも、僕も、父さんも、母さんも」

 シンシアはジョニーの腕に優しく手を添え、愛おしげに息子を見つめた。

「あなたは選ばれた人間なのよ、ジョニー」

「違う、僕は、そんなんじゃない」

「いいえ、違わないわ。だって、あなたは」

 シンシアはジョニーのマスクに手を伸ばしながら、目を細めた。

「旧人類なんですもの」

 ますます、理解出来なかった。ジョニーは後退ろうとするが、父親の手で背を押さえられ、出来なくなった。

「そうだぞ、ジョニー。お前は唯一完全な復元に成功した、旧人類なんだ」

 タケルの手も、ジョニーに伸びてくる。

「この世界は、整いすぎているの」

 シンシアの手が、ジョニーの胸に触れる。

「どんな植物も、動物も、遺伝子を操作されすぎてしまっているの。生物としての本来の姿を失って、ただの道具に成り下がってしまっているの。けれど、そんなのはまともじゃないわ。生物は生物らしく、ありのままの姿で生きるべきなのよ。だから、人類もそうあるべきなのよ。あなたは、大事な大事な旧人類の試作品。だから、決して死んではならないのよ」

「僕が、旧人類だって?」

 ジョニーは膝を笑わせ、床に崩れ落ちた。すると、すかさずシンシアとタケルが左右からジョニーを支えてきた。

「そうだ、ジョニー。お前は優れているんだ。お前は劣っているのではない、お前こそが人間らしい人間なんだ」

 旧人類。愚かな劣等種族。異星人の侵略に立ち向かうため、新人類を生み出したがその新人類に淘汰された。
文明が発達しても尚戦争を繰り返した末、母星である地球を放射能で汚し尽くし、生命溢れる星を殺してしまった。
何千年経とうと何度失敗を繰り返そうと種族そのものが進歩せず、新人類に見限られ、そして滅ぼされた種族。
 そう言われれば、確かに納得出来ないこともない。生身だった頃、ジョニーは全てに置いて劣った子供だった。
学習能力も、身体能力も、記憶力も、何もかもがダメだった。他の子供には簡単に出来ることが、出来なかった。
新人類と旧人類の間には、大きな隔たりがある。外見こそ酷似しているが、遺伝子レベルでは全く別の種族だ。
 この世界は全て新人類に合わせて作られている。ならば、種族そのものが違うジョニーには合わなくて当然だ。
だが、それでも頑張って生きていた。日々積み重なる劣等感を笑い飛ばして、背筋を伸ばして、生きてきたのに。
自分はそういう人間だと割り切ることで、どれほど馬鹿にされても、失敗しても、立ち上がることが出来ていたのに。
他の人間とは種族自体が違うとは、一体どういうことなのだ。ジョニーは、拳が震えるほどの激しい怒りを感じた。

「じゃあ、このダイアナは何なんだよ!」

 両親を弾き飛ばしたジョニーは、無数のダイアナを指した。だが、二人の笑顔は気持ち悪いほど変わらない。

「お前のために作ったに決まっているじゃないか、ジョニー」

「そうよ。あなたの好みに合わせて作った、あなただけの妹よ。だから、あなたは何をしてもいいのよ」

「じゃあ、あの、僕は」

 よろけながら歩き出したジョニーは、妹のカプセルとは明らかに扱いの違う、自分の入ったカプセルに近付いた。

「何なんだよ」

 強化パネルの内側に満たされた薄緑色の培養液の中で、頭蓋骨に大きな穴の開いた少年が眠り込んでいる。
かつて失った、自分の体そのものだった。宇宙連絡艇の事故で折れた手足や潰れた内臓も、全て揃っている。
無いのは、脳だけだった。その脳は、自分自身が持っている。この少年は、ジョニーの脳を入れるための器だ。
 解っている。解っているが理解したくない。理解したら気が狂う。大量の妹も、もう一人の自分も、両親のことも。
だったら、壊すしかない。壊さなければ、自分が壊れてしまいそうだ。ジョニーは震える右手で、熱線銃を抜いた。

「僕は」

 ジョニーは熱線銃の銃口を自分の入ったカプセルに押し当て、咆哮した。

「オイラは、こんなことを望んだりはしない!」

 両親が驚愕に目を見開いた瞬間に、熱線銃のトリガーを引いた。外殻を貫いた光線が、偽物の自分を焼いた。
カプセルに空いた穴から零れ出した培養液を踏みにじり、ジョニーは力一杯振りかぶって、鋼の拳を叩き込んだ。
小さな穴に抉り込まれた拳が、大きなヒビを造り出した。強化パネルは軋みながら砕け、少年の体が揺らいだ。
ジョニーは穴を強引に広げて、脳を切除されている少年の体を取り出すと、培養液が広がる冷たい床に横たえた。

「君は、オイラの弟ってことっすか」

 光を映すために開くことすらなかった瞼を完全に閉じてやってから、ジョニーは項垂れた。

「今度生まれてくる時は、もっとちゃんとした家族のところにするっすよ」

「何をするのよ、ジョニー! それはあなたの体なのよ、弟なんかじゃないわ!」

 動転したシンシアが駆け寄ってきたが、ジョニーは右腕を上げて外装を開き、六門のビームガンを出した。

「弟っすよ」

 ジョニーは立ち上がると、母親の姿をした狂気の科学者に銃口を据えた。

「オイラはただ、あんた達に帰ってきてほしかっただけなんすよ。あんた達に会いたがっていたのに、会えないまま死んだダイアナに謝ってほしかっただけなんす。ダイアナに謝ってくれるなら、それだけで充分だったんす」

「どうしたの、ジョニー? なぜ、私に銃を向けるの?」

 笑みを歪ませ、シンシアは後退った。ジョニーは踏み出し、かつて母と呼んでいた女との距離を狭める。

「それなのに、どうしてこんなことばかりするんすか! あのダイアナばかりか、さっきのダイアナまで殺して、挙げ句の果てにはオイラの新しい体にするために弟まで殺すなんて、イカレてるなんてレベルじゃないっすよ!」

「あれは弟などではない。もう一人のお前に過ぎない」

 タケルはシンシアの肩を支え、ジョニーを見上げてきた。ジョニーは怯まず、声を張り上げる。

「オイラが弟だってんなら、あれは弟なんすよ! いくらオイラと同じ遺伝子情報から造った人間だからって、意識がオイラと同じわけがないじゃないっすか! それなのに、いきなり脳を引っこ抜くなんて、ひどすぎるっすよ!」

「あれの肉体の出来は良かったが、脳は完全ではなかった。だから、切除したのだ」

「そうだとしたら、オイラの方が余程失敗作っすよ! 頭悪いし要領悪いし何の才能もないし!」

「それこそがお前の人間らしさなんだ、ジョニー」

 タケルはシンシアを後ろに押しやってから、ジョニーへと歩み寄ってきた。

「ここに至るまでに、上の草原や研究施設を見てきただろう。皆が皆、本来の姿を失ってしまっている。旧人類との戦争に勝利した新人類が採取した地球上の生物の遺伝子は、採取された時点で手が加えられていた。より多くの作物が収穫出来るように、より多くの肉が生産出来るように、より害のない植物になるように、長い時を掛けてねじ曲げられたのだ。無論、その全てが悪いとは言わん。しかし、手を加え続ければどこかに無理が生じる。新人類も遺伝子レベルでの改造を重ねた結果、知能は全体的に向上したが、免疫力を失った。調節された軽微な重力しかない宇宙での生活が長すぎたせいで身体能力も鈍り、生体改造に頼り切っている始末だ。こんなものは進化ではない、明らかな退化だ!」

「それとオイラと何の関係があるんすか!」

 ジョニーは負けじとタケルに迫るが、タケルは力説する。

「大いにあるのだ! お前は旧人類だが、この環境に適応した旧人類なのだ! お前と同時に生み出した旧人類は、ある程度の年齢まで育つがいずれも適応出来ずに死んでばかりだった! だが、唯一お前だけが十歳まで成長し、肉体を失ったがサイボーグとなって生き続けている! 他の個体は、サイボーグ化処理を行った時点で脳死していたというのに!」

 興奮と高揚にぎらついた眼差しで、タケルは息子として生かしてきた実験体を睨め回す。

「だから、お前は生き続けなければならんのだ! お前の命は、量産されたダイアナなどとは比較すら出来んほど重いのだ! お前は優れた人間なんだ、ジョニー!」

 息を荒らげる夫の背後から現れたシンシアは、変わらぬ笑顔のままだった。

「あなたは私達と生きるのよ、それが一番幸せなの」

「オイラは今のままで充分幸せっすよ! こっちに戻ってくる方が、余程不幸になるっす!」

「本当にそうかしら?」

 シンシアは目を上げ、妹の入っているカプセルの一つを捉えた。

「おいで、ダイアナ」

 壁のカプセルの一つが開き、粘り気のある培養液が床へと流れ落ち、その中から十四歳のダイアナが現れた。

「あれを殺したら、あなたが次の妹よ」

 シンシアの指先が上がり、アウトゥムヌスを指した。

「お兄ちゃん、大好き」

 長い髪から培養液を滴らせ、濡れた足跡を付けながら、十四歳のダイアナはぐにゃりと笑顔を作った。

「な…」

 ジョニーは混乱で反応が一瞬遅れ、アウトゥムヌスに振り向いた時には十四歳のダイアナは駆け出していた。
十四歳のダイアナは、ジョニーが砕いたカプセルの破片を拾い、躊躇いもなくアウトゥムヌスに向かっていった。
 ジョニーも十四歳のダイアナを止めるべく駆け出したが、ダイアナの足は予想以上に速く、手が届かなかった。
入り口付近に立つアウトゥムヌスに駆け寄った十四歳のダイアナは、ジョニーへ笑みを向け、破片を振り上げた。
荒く割れた透明な破片が血の気のない首筋の皮膚に埋まり、その下で脈打つ頸動脈に食い込み、切り裂いた。
 小さな手に握られた破片が振り抜かれた時、彼女の姿は高々と噴き上がっている血飛沫の向こう側にあった。
冷たい床が赤く染まり、培養液の有機的な匂いに強烈な血の匂いが混じる。空気が濁る。世界が、暗転していく。
音もなく血溜まりに倒れ込んだアウトゥムヌスは、どくどくと赤黒い液体が溢れ出る首筋を押さえることすらしない。
怠慢に思えるほど鈍い動きで首を横たえ、徐々に生気が抜けていく銀色の瞳でジョニーを見つめ、唇を動かした。
 だが、その言葉は聞こえなかった。





 


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