勝利を収めた騎士を出迎えたのは、喝采でも祝福でもなかった。 他でもない、ハルの泣き声だった。一部始終を見ていたハルは、二人が傷付けられたことに恐怖を覚えていた。 ハルにとってイグニスは優しい小父さんであり、トニルトスは可愛いペットなので、その悲しみたるや凄まじかった。 ギルディーンが戻ってきた途端に力一杯泣き喚き、マサヨシの服に顔を埋めてしきりに二人の名前を叫んでいた。 マサヨシはすっかり怯えてしまったハルを抱き上げ、震える背を撫でてやりがら、困惑している騎士を見やった。 庭先に戻ってきたギルディーンは、ハルが号泣しているのを見た途端に、先程までの威圧感を失ってしまった。 それどころか恐ろしく気まずそうで、ハルを宥めようと手を伸ばしたが、ハルの泣き声は勢いを増すばかりだった。 どうやら、彼は無類の子供好きらしい。ギルディーンは大きな肩を縮めて目線を下げ、すっかり気弱になっていた。 「あのな、お嬢ちゃん。俺はあの二人を殺したわけじゃなくってな…」 ギルディーンはおずおずとハルに声を掛けるが、ハルはぎゃんぎゃん泣いている。 「鳥のおじちゃんなんて大嫌いだぁ、おじちゃんとトニーちゃんに意地悪するんだもん! あっちいけ!」 〈だーからやりすぎるなって言っておいたじゃないか、このウスラトンカチ!〉 ギルディーンの足元で、メリンダがスパイマシンから苛立った声を放った。ギルディーンは、妻を見下ろす。 「相手は機械生命体だぜ? あれぐらいやらなきゃ、こっちがやられちまうじゃねぇか」 〈そりゃ実戦の話だよ! 今日のはただの訓練じゃないかい! なんだってあいつらの神経を切っちまうのさ! しかも、あの青い方に至っちゃ首から下の制御を失っちまってんじゃないかい! 誰がどう見たってやりすぎだよ! ほんっとに馬鹿だねうちの宿六は!〉 「…だってよぉ」 〈だっても熊手もあるかい! いいから、とっとと皆さんに謝んな!〉 「そう怒るなよ、メリンダ…」 ギルディーンは愛妻の罵声に耐えかねて、聴覚センサーを塞いだ。すると、メリンダは声量を上げた。 〈これが怒らずにいられるかい! さっさとしないと、船に残ってる酒を全部宇宙にばらまいちまうよ!〉 「解った解った、だからそれだけは勘弁してくれや」 ギルディーンは妻を宥めようとするが、逆にスパイマシンで詰め寄られた。 〈だったら、さっさと謝っちまいな!〉 「ごめんなさい、俺が悪うございました」 ギルディーンは深々とハルに頭を下げていたが、首を回して妻を見下ろし、その顔色を窺おうとした。 〈次はガレージでひっくり返ってる二人に謝ってきな! 許してもらえるまで戻ってくるんじゃないよ!〉 だが、メリンダから更に怒声を浴びせられてしまい、ギルディーンは妻から逃げるように駆け出した。 「行ってくるからそう怒鳴らないでくれ!」 ガレージに向かう不死鳥の後ろ姿は、無様極まりなかった。彼は、徹底的にメリンダの尻に敷かれているらしい。 もっとも、彼女自身に肝心の尻はないのだが。ギルディーンは愛妻家である以前に、恐妻家でもあったようだった。 第一印象では、ギルディーンが肉体を失った妻の脳を道具として使っている、と思えたが、全くの逆だったらしい。 メリンダは自身の脳が入っているポッドとスパイマシンを繋げているケーブルを外し、無線操縦へと切り替えた。 それをハルへと近づけると、いかにも女性らしい柔らかな仕草で泣き喚いているハルの頬をそっと撫でてやった。 〈本当にごめんよ、ハルちゃん。うちの宿六も悪気があったわけじゃないんだけど、ちょいと力が有り余りすぎていたのさ。昔っからそういう人でね、根は優しいんだけど荒っぽすぎるのさ。イグニスとトニルトスの傷は浅いから、二三日もすれば治るはずだよ〉 「…ほんとうに?」 涙と鼻水でべたべたに汚れた顔で、ハルはメリンダに向いた。メリンダは、頷くようにスパイマシンを上下させる。 〈本当だとも。あんたは優しくて良い子だね、あの二人のことが大好きだからこんなに泣いちまったんだあねぇ〉 「うん」 ハルは涙を擦り、鼻を啜った。すかさず、ミイムはリビングから持ってきたティッシュでハルの顔を拭った。 「ほうら、もう大丈夫ですよぉ。メリンダさんにお仕置きされちゃったギルさんはイギーさんとトニーさんに謝りに行きましたしぃ、あの二人の傷もすぐに治るみたいですからぁ。みゅんみゅん」 ハルは少し安心したらしく、大人しくミイムに顔を拭かれていた。その様を見ていたアウトゥムヌスが、呟いた。 「宿六?」 新妻の知識欲の込められた視線を浴び、ヤブキは苦笑いした。 「まあ…うん…そうかもしれないっすね、オイラは…」 「ヤブキの場合、宿の部分はいらないですぅ。ただのろくでなしで充分に決まってんだろタクランケですぅ」 ハルの顔を拭き終えたミイムが、にやりとした。ヤブキは、アウトゥムヌスを見下ろす。 「だ、そうっすけど、むーちゃんはどう思うっすか?」 「反対」 アウトゥムヌスの意見に、ミイムは唇を歪ませたが追撃はなかった。罵倒は好意の裏返しだと、既に認めている。 だが、指摘されると照れ臭くなるのか、ミイムは黙り込んだ。それがなんだか可笑しくて、ヤブキは笑ってしまった。 〈それじゃ、私は不本意極まりないけどあいつらの修理をしてくるわね。映像を見た限りでは、破損箇所は大したことはないから、そんなに時間は掛からないと思うわよ〉 サチコはマサヨシの傍から離れ、ガレージに向かっていった。メリンダは、マサヨシをレンズに映し込んだ。 〈度々すまないんだけど、後でここのメンテナンスドッグを貸してくれないかい? うちの船が壊れちまって、このままじゃ飛べやしないのさ。それなりの金も出すから、この小惑星の近辺に積んであるジャンクも売ってくれないかい? 材料がないと、直るものも直せないからねぇ〉 「あれは俺の所有物じゃなくて、相棒のものなんでね。だが、今回はそれほどごねないはずだ。何せ、完膚無きまでに叩きのめされたんだ、そんな相手に逆らう気力なんてあるわけがない」 マサヨシの言葉に、メリンダはからからと笑った。 〈出来ることなら、ジャンクの代金を要求しないほど弱っていてくれればありがたいね。じゃ、よろしく頼むよ〉 「みゅうみゅう、それじゃおうちに帰るですぅ。日も陰ってきたから、冷えて来ちゃいますぅ」 マサヨシの腕からハルを受け取ったミイムは、サイコキネシスでメリンダのポッドの浮かばせた。 「メリンダさんもおうちに入るですぅ。船が使えないんですからぁ、今夜はお泊まりするですぅ」 〈色々とすまないねぇ、世話になるよ〉 「いえいえー」 ミイムはにこにこしながら、ハルとメリンダと共に家に戻った。ヤブキも、新妻に手を差し伸べる。 「オイラ達もそろそろ帰るっすか、むーちゃん」 「同意」 アウトゥムヌスはヤブキの手を取り、その太い指を握った。ヤブキは玄関に向かったが、一旦足を止めた。 「マサ兄貴は家に入らないんすか?」 「あいつらの様子を見てからにするさ」 「解ったっす」 ヤブキはマサヨシに向けて軽く手を振ってから、アウトゥムヌスと連れ立って家の中に入り、玄関の扉を閉めた。 マサヨシは二人に手を振ってから、ガレージに向かった。ガレージに入ると、ギルディーンと入れ違いになった。 妻の言いつけ通りに謝り倒してきたらしく、ギルディーンのフェイスガードには砂が付着して、マントも汚れていた。 どれだけ謝ったんだろう、とマサヨシは想像を巡らせたが、ギルディーンを呼び止めることはせずに奥に向かった。 ガレージの奥では、戦闘終了後にサチコの操る作業機械によって運び込まれた二人の戦士が横たわっていた。 右足の制御を失ったイグニスは壁に背を預け、首から下の制御を失ったトニルトスは作業台に寝かされていた。 「よう」 イグニスはマサヨシに気付くと、自嘲した。 「笑える光景だろ?」 「お前らは精一杯戦ったんだ。それを笑う資格は誰にもない」 マサヨシはイグニスに近付くと、ギルディーンの剣で抉られ、ケーブルを切られた足の傷口を見やった。 「手酷くやられたな。剣先がメインシャフトにまで届いてやがる」 〈でも、部品交換と自己修復機能の活性を行えば、イグニスの足の機能は二日もすれば元に戻るわ〉 ガレージに造り付けられたメンテナンスマシンのコンピューターを操作していたサチコが、マサヨシに言った。 〈トニルトスの傷も同じくらいね。ただ、神経に当たるネルブケーブルが切断された箇所が右脇腹だけじゃなくて頸椎もあるから、ちょっと手間取りそうね。でも、それ以外の回路や機能は至って正常よ〉 「トニルトス」 マサヨシがトニルトスの横たわる作業台に近付くと、トニルトスは弱々しく吐き出した。 「屈辱だ」 「俺にもその気持ちは解る」 「これほど清々しい敗北を味わうのは、何十万年振りになるだろうか」 彼が続けた穏やかな言葉に、マサヨシは驚いた。てっきり、ギルディーンへの恨み節が出ると思っていたからだ。 イグニスとサチコもそう思ったらしく、意外そうな声を漏らしている。トニルトスは首を動かして、マサヨシに向いた。 「不死鳥どのに伝えておけ。その二つ名に恥じぬ戦士と剣を交えられたことを光栄に思う、と」 「了解した」 マサヨシが頷くと、トニルトスは僅かに目を細めた。 「貴様らは宇宙の進化から取り残された劣等種族だと思っていたが、一人は優れた者がいるのだな。これからは、認識を改めさせてもらおう」 「嬉しいね」 マサヨシが笑みを返すと、トニルトスは首の位置を元に戻し、大量のケーブルが這っている天井を仰いだ。 「勘違いするな、貴様に対して述べたのではない。不死鳥どのに対して述べたのだ」 「次から次へとらしくねぇことを言いやがって、こっちの方も切られちまったんじゃねぇのか?」 と、イグニスが頭を差して指を回す仕草をすると、トニルトスは言い返した。 「貴様こそ、相も変わらず俗な戦い方をしおって。やはりルブルミオンはルブルミオンに過ぎんな」 「反則野郎には言われたくないぜ」 「傷が治り次第、今度こそ貴様の首を刎ねてやる」 「せいぜいほざいてろ。俺の首が飛ぶ前に、てめぇの首根っこをへし折ってやるよ」 イグニスが毒突くが、トニルトスは言い返してこなかった。戦闘で消耗したせいか、意識が落ちてしまったらしい。 目の輝きが失せ、虚ろな闇に変わる。首からも力が抜けたために、かすかな金属の軋みの後、動かなくなった。 「俺も少し寝させてもらうぜ。電卓女、その無能野郎を先に修理してやれ」 イグニスはトニルトスの意識が落ちたことを確認してから、ゆっくりと肩を落とした。 「奴が完調じゃねぇと、殺し甲斐が失せるからな」 「仲が良いな」 マサヨシの軽口に、イグニスは舌打ちした。 「どこがだよ」 マサヨシは二人のことをサチコに任せて、ガレージを後にした。二人の仲が悪いことは、一番良く知っている。 同じ屋根の下で暮らし、同じ戦線で戦うようになっていても、イグニスとトニルトスは気を許したことなどないのだ。 物心付いた時から敵であった相手であり、数百万年も戦い続けた相手に、ほんの数ヶ月で気を許せる方が妙だ。 だから、いずれ二人は死闘を繰り広げる。イグニスは、マサヨシとハルという枷があるから牙を失っているだけだ。 機械生命体として生きた時間があり、イグニスにはイグニスの世界が、トニルトスにはトニルトスの世界がある。 この家は、それぞれの人生が重なり合った交差点だ。ここに至るまでの長い長い道程こそが、彼らの人生なのだ。 何者であろうとも、それを否定する権利はない。 08 9/8 |