アステロイド家族




ルーザー・イン・ザ・スカイ



 青き戦士が、逝く先は。


 作り物の空も、季節に合わせて色が変わっていた。
 手応えが強張った己の肌よりも澄み切った青を、数日前よりもぐっと冷え込んだ風が柔らかく舐めていった。
足元では枯れた草が擦れ、乾いた音を掻き立てる。平原では、柔らかな穂を開いたススキの海が揺れている。
有機物の死に絶える匂いが、イオンセンサーに染み入る。秋は植物に死を与える、終焉を呼ぶための季節だ。
 今まで、季節を心地良いと感じたことは一度もなかった。夏は上昇した気温と湿度が鬱陶しかっただけだった。
だが、秋は煩わしさを感じないからだろう。金属細胞で構成された体に広がる冷たさは、荒れた心を落ち着けた。
 トニルトスは愛玩犬としての日課である散歩の途中で足を止め、ススキの生えた草原に腰を落ち着けていた。
ハルは家で遊んでいるため、傍にはいなかった。センサーも、生体反応は一つも感知してないと知らせている。
それだけのことなのに、やけに安堵していた。この廃棄コロニーにやってきてからは、一人の時間は激減した。
 ここに至るまでは孤独しかなかった。一人ではない喜びもあるにはあるが、それ以上に煩わしさが勝っていた。
元々、誰かと連むのは好きではない。カエルレウミオンの一兵士であった時代も、部下以外には接しなかった。
他人が嫌いというわけではないが、気を遣うのが鬱陶しく、まとわりつかれるのが暑苦しいと思っているからだ。
それは、今でも変わらない。特に、同種族でありながら生まれながらの敵であるイグニスに対しては顕著だった。
 三日前。コロニーを訪れた傭兵ギルディーン・ヴァーグナーと、イグニスと共に剣を交え、トニルトスは惨敗した。
体格差から勝てる相手だと思い込んでいた慢心で隙が生まれたのだろう、トニルトスは首から下の感覚を失った。
イグニスもまた足の神経を切られ、しばらく右足の自由を失ったが、今は、二人とも治療を終えて元通りになった。
だが、まだ完調ではない。トニルトスもだが、イグニスもまた、人間に敗北した事実に打ちのめされてしまっていた。
イグニスは家族の前では明るく振る舞っているが、ガレージに戻ると己を責める言葉を吐き出しては荒れていた。
トニルトスも似たようなものだったが、こういった時こそ己を見つめ直すべきだと、サピュルスから教えられていた。
遠い昔の出来事だが、未だに忘れられない。自軍の司令官は誰よりも心優しく、何よりも部下を愛する男だった。
彼には、トニルトスも心を開いた。いや、開かされた。柔らかな言葉を掛けられると、戦場で痛んだ心が緩むのだ。
こういう時こそ、いてほしいと思う相手だ。だが、サピュルスは遠い昔に四人の司令官と戦い抜き、命を落とした。

「司令官。私は、どこへ向かうべきなのでしょうか」

 だが、答えは返ってこない。トニルトスは空しくなってきて、乾いた笑いを零したが、何の慰めにもならなかった。
こんな時、彼女ならどんな言葉を掛けてくるだろう。慰めてくれるのか、それとも一緒に落ち込んでくれるのか。
嵐を意味する名を持つが、それとは対照的に、このコロニーで吹く風のように穏やかな性格のあの戦士ならば。

「プロケラ…」

 トニルトスは空を仰ぎ、彼女に関する出来事を記憶回路から呼び出した。

「君に、会いたいよ」

 だが、二度と会うことはないと解っている。彼女が死んでいく様を、あらゆるセンサーで感じ取っていたのだから。
最期の瞬間まで繋いだままだった通信から、彼女の断末魔も聞いた。気高き戦士として死んだ様も、知っている。
それなのに、まだ彼女が死んだとは思いたくない自分がいる。いつかまた、会いたいと望んでしまう自分もいる。
 彼女との記憶は、トニルトスの弱みだ。彼女と接していた間は、トニルトスは戦士としての誇りも何も失っていた。
少女に戸惑う、愚かな男に過ぎなかった。それは今も変わることはなく、彼女の存在は未だトニルトスを苦しめる。
しかし、決して忘れてはならない。戦士として死ぬことが出来なかった自分を戒め、戦意を奮い立てるためにも。
 そして、彼女への思いの証としても。




 数百万年前。トニルトスは、戦闘で重傷を負っていた。
 ウィオラケウミオンと交戦するルブルミオンへの奇襲は成功した。だが、結果は最悪で、部隊は全滅していた。
火力ばかりが高く、機動力の低いルブルミオンと交戦している間はウィオラケウミオンの軍も動きが封じられる。
ウィオラケウミオンの司令官、アメテュトスの率いる主力部隊を叩くため、両軍が交戦する戦線に雷撃を行った。
双方の武装や弾薬に過電流を落とし、爆発を起こしたまでは良かった。だが、ウィオラケウミオンは持ち堪えた。
戦線の後方で戦況を見渡していたアメテュトスは、トニルトスの率いる第五雷光小隊へ高機動部隊を放ってきた。
飛行能力は低いが瞬発力の高いウィオラケウミオンの兵士達は、次々にトニルトスの部下達を殺し、落とした。
トニルトスも両腕に致命的なダメージを受けて、ルブルミオンとウィオラケウミオンの死体の散る地上に落ちた。
今度こそ、死ぬのだと覚悟した。死にきれなかったルブルミオンの尖兵と少々言葉を交わしたが、彼も沈黙した。
 傷付いた体に降り注ぐ重たいタールの雨は、過熱した装甲から熱を奪う。その感覚が、不思議と優しかった。
割れた装甲から露出した内部器官にタールの雨が触れると、ヒューズが散ったが、最早痛みなど感じなかった。
 どれほどの時間が経過したのかも解らず、鉛のように鈍く、再生促進液のように生温い浅い眠りに浸っていた。
廃油が凝結した分厚い雲が、頭上を流れていく。その狭間から零れ落ちた一筋の光が、トニルトスを照らした。
雲が千切れ、光が途切れる。僅かに目を上げたトニルトスが捉えたのは、水色の装甲を持つ空中母艦だった。
 動力機関を唸らせながら降下した空中母艦は、サーチライトを前後左右に動かし、戦場の様子を探っていた。
白い糸のような光をゆらゆらと大きく振っていたが、それがトニルトスに定まると、空中母艦は滑らかに変形した。
戦車数両分はありそうな両足が戦場を踏み締めると、無数の死体が砕け散り、汚れた雨にオイルが混ざった。
見上げても、その姿を全て視界に入れることは出来ない。地面から見えるのは、二本の足と下半身だけだった。
また、サーチライトが降ってきた。今度は迷わずにトニルトスを捉えると二本の足が曲がり、巨大な手が現れた。

「見つけた」

 トニルトスの体格の数倍はある壁のような手が、トニルトスに伸びてくる。

「君だったんだね、僕が感じ取った生存者は」

 頭上から落ちてきた音声は体格に比例して低かったが、どことなく柔らかな雰囲気があった。

「お前は」

 残存したエネルギーの最後の一滴を絞り出し、音声に変換したトニルトスに、巨体の機械生命体は言った。

「第一空中連隊の爆撃兵、プロケラ。君の名前は?」

「第五雷光小隊、小隊長、トニルトス」

「解った」

 プロケラと名乗った巨体の同胞はトニルトスを掬い上げると、地面を蹴って死体の破片を散らしながら浮上した。

「司令官の旗艦がすぐ傍にいるから、連れて行ってあげるね」

 プロケラが加速すると、トニルトスの全身に粘ついた空気が重たく被さって、破損した装甲が嫌な軋みを立てた。
雲を突き抜ける前にプロケラは再度変形し空中母艦形態に戻ったので、トニルトスの体もそれに伴って移動した。
プロケラの手は変形すると機首部分に来るらしく、トニルトスはその巨大な手に包まれたまま分厚い雲を破った。
 空気よりも遙かに粘ついた廃油の雲を抜けると、視界が開け、鉛色の雲と濁った空の間に船が浮かんでいた。
トニルトスよりも鮮烈で、プロケラよりも力強い青を持つ空中戦艦だった。滑走路には、002と大きく記されている。
それが、旗艦の証だった。プロケラは空中戦艦に通信を行い、着艦許可を得てから速度を緩めて降下を始めた。
 滑走路の中央に記された002に船腹を擦り付けて着艦したプロケラは、先程よりも緩やかに自身を変形させた。
滑走路で作業していたカエルレウミオンの整備兵達はこちらに駆け寄ろうとしたが、何かに気付き、立ち止まった。

「司令官!」

 プロケラの声に、トニルトスは途切れ途切れの意識を戻して、今にも折れそうな首を動かしてブリッジ側を見た。
兵士達が速やかに道を開け、整列する。かかとを叩き合わせて敬礼した彼らを制している者こそ、司令官だった。
左肩装甲の002が何よりの証拠だった。サピュルスはプロケラに歩み寄ると、その手中のトニルトスに気付いた。

「生き残っていたのは、彼だけでしたか」

「はい、司令官」

 プロケラはトニルトスを守っていた指を開き、手の甲を甲板に接させた。サピュルスは、トニルトスに触れる。

「技術兵を招集して、彼の治療に当たらせて下さい。まだ助かります」

 サピュルスから命令が出た途端、他の兵士達は迅速に行動を始めた。

「ごめんなさい、司令官。僕がもう少し早く動けていれば、彼の仲間も助けられたはずなのに…」

 プロケラはサピュルスの腕にトニルトスを預けてから、俯いた。サピュルスは、プロケラを見上げる。

「彼が生きていただけでも充分です。プロケラもすぐにメンテナンスに入って下さい。大きな戦闘を終えたばかりなんですから、かなり消耗しているでしょう」

「僕は平気です。まだまだ飛べます」

「命令ですよ」

「…はい」

 プロケラは渋々敬礼した。サピュルスはもう一度、命令ですからね、と念を押してからトニルトスを運んでいった。
サピュルスの腕の中で、トニルトスは司令官に礼を述べた。サピュルスは少し笑い、そして黙るように命じてきた。
その命令がなくとも、トニルトスの意識は落ちる寸前だった。辛うじて保っていた気力も、そろそろ果てそうだった。
だが、もう生きる価値などない。奇襲作戦は成功したが、ウィオラケウミオンの機動力を侮ったせいで撃墜された。
部下が全て死んでしまった今、小隊長であるはずがない。無様な自分を嘲りながら、トニルトスは意識を落とした。
 静かな死が、待ち遠しかった。


 それから五日後。
 意識を失ってすぐに治療を施されたトニルトスは命を取り留め、破損した部品も交換され、機能を回復していた。
だが、完全ではない。交換出来ない回路や部品の自己修復は終わっておらず、エネルギー値も安定しなかった。
訓練は出来るが、実戦は行えない。飛行性能も若干落ちていたので、この旗艦から離れることは出来なかった。
 体の不調以外にも離れられない理由はあった。先日の戦闘でのアメテュトスに関する報告を求められたからだ。
ウィオラケウミオンの司令官であるアメテュトスは、トニルトスの知る限りでも滅多なことでは最前線に出てこない。
影のように蠢き、暗殺と謀略を得意とするウィオラケウミオンにしては、直情的で荒っぽい作戦を展開していた。
だが、それは相手がルブルミオンだからだと思っていたが、サピュルスは引っ掛かるものを感じているようだった。
 司令室に呼ばれたトニルトスは、サピュルスと対峙していた。サピュルスは腕を組み、んー、と小さく唸っている。
修理された腕を腰の後ろで組み、足を揃えて立っていた。旗艦のエンジンが吐き出す震動が、足の裏に伝わる。
サピュルスは再度唸っていたが、組んでいた腕を解いた。トニルトスが反応して顔を上げると、司令官は言った。

「ウィオラケウミオンの最大の敵は僕達でもなければ、ルブルミオンでもありません。アトルミオンです」

 サピュルスは壁一面に映し出されている勢力図のホログラフィーを見やり、指先を動かした。

「現在、ウィオラケウミオンの陣地は南半球の三分の一を占めていますが、南半球を制覇するためにはまず南極を押さえなければなりません。ですが、今、南極に戦力を展開しているのはアトルミオンです。オニキスが南極基地に向かったという報告も来ていますしね。アメテュトスの持つ旗艦の速度と、南半球のウィオラケウミオンの陣地と、オニキスの旗艦を含む主力艦隊の進行方向を重ねると…」

 サピュルスの指に従って伸びた三本の線は、南極で重なった。

「ですが、ウィオラケウミオンに南半球を全て取られては困りますし、惑星の磁場がアトルミオンの支配下に置かれてしまうのも厄介です。となると、叩くべきはアトルミオンですが、オニキスはあれで結構単純なので、派手な戦闘を行っていると割り込んで来ちゃうんですよね。きっと、アメテュトスはそれを利用したいのでしょうね。けれど、前線に出ている陣営が弱いと陽動するだけの時間も稼げなくなるので、司令官自ら最前線に出てきたに違いありません。となると、こちらも手を打たなければなりませんね」

 サピュルスは人差し指を立て、トニルトスに向けた。

「今この時を持って、トニルトスは第五雷光小隊を除隊し、プロケラの所属する第一空中連隊に入隊して下さい。そして、プロケラの援護をして下さい。あの子のパートナーだったニンブスは、フラウミオンに捕まってAIを改造されてしまいましたからね。それに、あの子はちょっと危なっかしいから、一人で戦わせるのは心配なんです」

「私が、ですか?」

 トニルトスは戸惑ったが、サピュルスは気にも留めずに続けた。

「ええ。あなたの経歴をざっと見てみましたけど、指揮官の経験も長いですし、戦略もなかなかのものです。あの子はああ見えてかなりの寂しがり屋ですから、ずっと傍にいれば、いずれ命令も聞いてくれるようになるでしょう。但し、あまり無理強いしてはいけませんよ。繊細な女の子なんですから」

「女の子…なのですか? あの体格で?」

 トニルトスがますます戸惑うと、サピュルスは笑った。

「そうですよ。でも、女の子だと知れると作戦に支障を来す可能性もありますし、本人が秘密にしているので、誰にも言わないで下さいね」

「了解しました」

「それと、もう一つ」

 サピュルスは黒く濁った空を見上げ、バイザーの奥で目を細めた。

「あの子が空を飛びたいと願ったら、飛ばせてあげて下さい。僕にも、その気持ちはよく解りますから」

 サピュルスはトニルトスに背を向けると、退出を促してきた。トニルトスは再度敬礼してから、司令室を後にした。
予想外の命令を受けたことでトニルトスは戸惑いも感じていたがそれ以上に名誉だとも思い、誇らしくなっていた。
通路を歩きながら窓を見下ろすと、プロケラのいる滑走路が見えた。あまりにも大きいので、中に入れないからだ。
どう見積もっても、身長は五十メートルはある。それが女の子だと言われても、トニルトスに実感は沸かなかった。
確かに、言葉尻は柔らかく、荒っぽさはなかった。だが、それだけではプロケラが女の子である証明にはならない。
しかし、今大事なのはプロケラの性別ではなく戦闘技術だ。技術がなければ、どれほど巨大でも意味がないのだ。
サピュルスから直々に与えられた命令を遂行するためには、まずはプロケラを知り、理解しなければ始まらない。
 トニルトスは滑走路に降り、プロケラの傍でメンテナンスを行っていた兵士に事情を話し、プロケラに近付いた。
プロケラもトニルトスに気付くと、振り向いて手を振ってきた。トニルトスは少々面倒だったが、一応片手を挙げた。

「やっほー」

 やけに軽い言葉で挨拶したプロケラは、身を屈め、トニルトスに顔を近付けた。

「トニルトス、もう動けるようになったんだね? 良かったあ!」

「先程、サピュルス司令官から私に命令が下されたのだ」

「戦線に復帰するんだ、おめでとう!」

「私は第五雷光小隊を除隊し、第一空中連隊への移動となった。そして、お前を指揮し、援護するようにとな」

「…え?」

 プロケラは途端に言葉を失い、甲板に置いた手をきつく握り締めた。

「じゃあ、司令官は、ニンブスのことを諦めちゃうの? 僕の友達なのに、大事な仲間だったのに、ずっとずっと一緒に戦ってきたのに、どうして諦めちゃうの!? 僕、そんなの嫌だ!」

 大きく首を振って喚くプロケラに、プロケラの整備を行っていた整備兵が叫んだ。

「暴れるな、プロケラ! 司令官の旗艦を落とすつもりか!」

「君だって、何度も何度もニンブスに助けられてきたじゃないか! このままニンブスがフラウミオンの道具にされちゃうのが悔しくないの!? 辛くないの!?」

「それは俺も同じだ! 司令官は、もっと辛いに決まっている!」

 整備兵がプロケラに叫ぶが、プロケラは甲板を歪めるほど強く拳を叩き付けた。

「じゃあ、なんで助けようと思わないの! 僕は行くよ、ニンブスを助けに! だって、仲間じゃないか!」

 プロケラは立ち上がり、背部のスラスターを開いた。整備兵は彼女を止めるべく、足に縋ったが弾き飛ばされた。
トニルトスは整備兵を受け止めてから、甲板へと放り投げた。いきり立ったプロケラは、吸排気が荒くなっていた。
余程、ニンブスとやらに思い入れがあるのだろう。だが、このままの状態でフラウミオンに突っ込めば死ぬだけだ。
サピュルスなら彼女を諫められる。トニルトスは司令室を見上げたが、サピュルスはこちらを見て頷くだけだった。
新たなパートナーとしての、最初の試練だとでも言いたいのだろう。トニルトスはプロケラを見上げ、声を張った。

「プロケラ!」

 トニルトスはプロケラに大股で歩み寄り、語気を強めた。

「ニンブスとやらがどのような戦士であったかは知らぬが、今日この日から私がお前の指揮を執ると言ったはずだ。ならば今、命じよう! 無期限の待機だ!」

「違う! 僕のパートナーは、ニンブスなんだ!」

 プロケラは巨大な拳を振り上げ、トニルトス目掛けて落とした。トニルトスは素早く甲板を蹴り、その拳を超えた。
どぅん、と背後で鈍い衝撃が轟き、整備兵の悲鳴が聞こえた。トニルトスは急加速し、巨大な体格の少女に迫る。
回復したばかりのスラスターの反応は心許なかったが、今は充分だ。左腕から銃口を出し、彼女の額に据えた。
甲板に拳をめり込ませたプロケラはトニルトスに焦点を合わせ、低く呻いたが、トニルトスは銃口を下げなかった。

「命令だ」

 トニルトスが銃口の奥に光を滲ませると、プロケラは甲板から拳を抜き、わなわなと肩を震わせた。

「う…あぁ…」

 プロケラは大きな手で顔を覆い、声を殺して泣き出した。これで、ニンブスを見捨てることが決定されたからだ。
甲板に降りたトニルトスは、サピュルスを仰ぎ見た。サピュルスはプロケラを見つめていたが、少し俯いていた。
やはり、サピュルスも辛いのだ。だが、ニンブスを助けに行けば、フラウミオンの猛攻を受けることは間違いない。
犠牲を減らすためには仕方ないと解っていても、心苦しさは変わらない。プロケラは頭を抱え、泣き続けている。
トニルトスにも、その気持ちは痛いほど解った。だから、せめてもの慰めにと、プロケラが泣き止むまで傍にいた。
耳障りが良いだけで中身のない言葉を掛けても何の救いにもならないと知っているから、ただ、傍に立っていた。
 濁った空に、彼女の引きつった泣き声が溶けていった。







08 9/10