アステロイド家族




ルーザー・イン・ザ・スカイ



 翌日。トニルトスは、プロケラに振り回されていた。
 一日待機だと命じられたはずにも関わらず、プロケラは空を飛びたがり、トニルトスも渋々それに付き合った。
本音を言えば、付き合いたくはない。昨日の戦闘でトニルトスも消耗していたし、細々とした仕事も残っていた。
プロケラは報告書や始末書の類を一切書かないので、必然的にパートナーであるトニルトスの元に回されていた。
だから、トニルトスとしては、今日一日は疲れた体を休める傍らにそれらの雑務を処理してしまおうと思っていた。
だが、プロケラの我が侭一つでどちらの計画も破綻してしまい、トニルトスは苛立ちながらも彼女と併走していた。
サピュルスからプロケラのを一任された際に、プロケラを飛ばせてやれ、と命じられていたので下手に逆らえない。
 トニルトスの少し前を飛ぶプロケラは、粘ついた風をエアインテークに吸って、タービンを派手に回転させていた。
空中母艦形態に変形している彼女は、大量の砲を持つ重たい巨体を空気の波に乗せ、高度を上げつつあった。
あまり後方で飛ぶと、プロケラの巻き起こす乱気流で落ちかねない。トニルトスは出力を上げ、甲板へと接近した。
プロケラは極めて上機嫌で、妙な音程の鼻歌を漏らすほどだった。トニルトスは、通信を彼女の周波数に繋いだ。

「プロケラ!」

 電波を用いてトニルトスが呼びかけると、プロケラは巨体を傾け、トニルトスへと接近した。

「んー、なーにー?」

「あまり高度を上げるな。敵の監視衛星に捉えられる」

「だーいじょーぶだよぉー。ジャミング一杯掛けてるしぃー、いざとなったら僕が墜とすからぁー」

 弛緩したプロケラの受け答えに、トニルトスは苛立ちが煽られそうになったが堪えた。

「この空域はカエルレウミオンの領空内だが、くれぐれも気を抜くな。ついこの前も、領空内を飛行していた我が軍の戦艦が撃墜されたのだからな」

「わぁかってるぅー」

 プロケラは傾けていた船体を元に戻すと、ブリッジから生えたアンテナの一本をトニルトスに向けた。

「ねー、トニルトスぅー」

「なんだ」

「空の色が変わるの、知ってる?」

「日の出と日の入りのことか?」

「違うよ。もうちょっと飛ぶとね、大気汚染がちょっとだけ薄い場所があるんだ。その空域もカエルレウミオンの領空内だから、行っても良いよね?」

「止めても向かうのだろうが」

「…えへ」

 少しだけ気まずげな、だが得意げな声を出し、プロケラは方向転換用スラスターを噴出して針路を変更した。

「二時の方向ー! 全速前進ー!」

「だから、高度を落とせ!」

 トニルトスは加速してプロケラに追い付くと、その甲板に飛び降りた。だが、プロケラが高度を落とす様子はない。
彼女の危機感のなさに、トニルトスはますます苛立った。プロケラほどの巨体の戦士は、そうそう生まれてこない。
同じく巨体であったニンブスが死んだ今、プロケラも失うことがあってはカエルレウミオンの火力が著しく低下する。
 高速飛行能力を有するが故に火力の低いカエルレウミオンにとって、大規模な爆撃にはプロケラが欠かせない。
彼女がいるから、恒星に匹敵する火力を持ったルブルミオンや重力攻撃を得意とするアトルミオンと戦えている。
だから、万が一プロケラが死んでしまえば一大事だ。トニルトスの役割は、ただ彼女のお守りをするだけではない。
だが、当の本人は我が侭で気楽で泣き虫な小娘だ。休養を取ることも、戦士の大事な任務の一つだというのに。
 付き合えば付き合うほど、腹が立つ。


 一時間程度の飛行の後、プロケラは制止した。
 カエルレウミオンが統治した領土の中でも最も広大なパクス地区の、上空一万メートル付近の高度で止まった。
トニルトスもその高度で制止し、人型に変形した彼女の肩に乗った。肩を借りるのは癪だったが、この際仕方ない。
トニルトスのエネルギータンクは体型に比例した大きさなので、巨体のプロケラとは違って、持続時間が長くない。
その弱点を克服するために改造を施し、戦闘時に放つ電圧を高めてあるが、この状況では何の役にも立たない。
 眼下に広がるパクス地区は、惑星の地表を覆い尽くしている金属の大陸の中でも、損傷が少ない地区だった。
常に戦争が起こっている最上層はほとんどが破壊されてしまい、大抵の地盤にヒビが入り、下層が見えていた。
パクス地区はサピュルスの命令で徹底的に守り通してあるので、地表には亀裂らしい亀裂は走っていなかった。
軍事基地の規模は大きいが更に巨大なのが居住区で、戦線を退いた機械生命体が穏やかな日々を営んでいた。
 こんなことをするのはサピュルスだけだった。他の四軍は、死ぬまで機械生命体を酷使し、死んだらそれまでだ。
だが、サピュルスは違う。故障や破損や老朽化などで身体機能が低下した者達を退役させ、守り通しているのだ。
しかし、彼らを生かすだけエネルギーの無駄遣いだと思う者も少なくない。トニルトスもそう思わないでもなかった。
退役した者達など放っておけばいい、生かすべきは最前線の兵士だ、戦えない機械生命体には意味はない、と。
けれど、一介の将校が司令官の行動に表立った批判など出来るわけもなく、それはただ思うだけに止めていた。

「あ、ほらほら!」

 急にプロケラが腕を上げたので、肩に乗っていたトニルトスはよろけた。

「なんだ、いきなり!」

 トニルトスは彼女の肩装甲に掴まって落下を免れ、腹立ち紛れにその指が示した先を見上げた。

「あれが空だよ!」

 プロケラは太い指先を突き刺さんばかりに空に向けると、どこからか吹き付けてきた風が大気を激しく乱した。
機械油と煤と化学物質の充ち満ちた重たい空気が揺らぎ、硝煙混じりの風が重たい雲を破れ、一瞬雲が切れた。
太陽から降り注ぐ光が成層圏を通り抜ける際に屈折し、残留した色の粒子が生み出す、本来の色が見えていた。

「青いな」

 トニルトスがストレートな感想を述べると、プロケラはむくれた。

「もうちょっとさぁ、言うことってないの?」

「特に思い当たらないが」

「綺麗だとか素敵だとか、そういうのってないの?」

「お前の主観を私に押し付けるな」

「つまんないの」

 プロケラは拗ねてしまい、再び塗り潰されてしまった空を見上げた。

「ずうっと昔にね、司令官が言ってたんだ。青い子は、死んだら空に還るんだって」

「ほう」

 これ以上機嫌を損ねられたら面倒なので、トニルトスは興味などなかったが相槌を打った。

「だから、ニンブスも空に還ったんだよね。僕が助けられなかった仲間達も、トニルトスの部隊の人達も、敵に殺されちゃった皆も、きっと同じ場所にいるんだよね。体は死体回収船に運ばれていっちゃうけど、皆のエネルギーはアウルム・マーテルの中に戻っちゃうけど、皆の魂は空に還るんだよ」

「私はごめんだ。空を飛ぶことは好いているが、この重たい空気の中を彷徨うなどと」

「じゃあ、トニルトスはどんな場所に行きたい?」

 プロケラの問いに、トニルトスは素っ気なく答えた。

「私が行くべき場所はただ一つ、戦場だ。私は戦士だ、故に命を落とす瞬間まで戦士でいなければならん」

「そんなの、疲れちゃうよ」

「だから、お前の主観を押し付けるな。私は私の信念に基づいて行動しているのだ」

「そう言う割には、結構付き合いが良いよね」

「任務だからだ」

「僕、トニルトスのそういうところが好きだよ」

「は?」

「だって、下手に僕の機嫌を取ろうとしたり、無駄に怒鳴りつけたりしないんだもん。今までに僕やニンブスの指揮を執ってきた兵士の中にはそういう人もいたんだけど、トニルトスはそうじゃないもん。僕のパートナーになったばかりの時はちょっと怖かったけど、すぐに真面目な人だって解ったから」

「何が言いたい」

「褒めてるんだよぉ。この鈍感」

「お前に褒められたところで私には何の利益も生まれないが」

「照れた?」

「その脳天を吹き飛ばずぞ」

 トニルトスがパルスビームガンの銃口を上げると、プロケラは言い返した。

「部下に銃口を向ける上官ってナシだよぉ」

「やかましい。黙れ。巨漢女が」

「人のコンプレックスを指摘した挙げ句に変なあだ名で呼ばないでよぉ! これでも結構気にしてるんだからぁ!」

 ぷいっと顔を背けたプロケラに、トニルトスも顔を背けた。面倒だ。鬱陶しい。煩わしい。やかましい。邪魔くさい。
だが、なぜか愉快な気分になっていた。この行動も、単にプロケラの心を開かせて従順にするためだというのに。
付き合う意味はそれだけだ。他には何の理由もない。生まれながらの戦士なのだから部下に私情など抱かない。
しかし、今まで感じたことのないパターンのパルスが感情回路を走り抜け、形容しがたいむずがゆさを感じていた。
 プロケラの下らない言葉や無駄な行動に付き合ううちに、異常でも起こしたのか。或いは、笑いを堪えたからか。
どちらにせよ、鬱陶しいだけだった。トニルトスは彼女と視線を合わせることもなく、ただ濁った空を見つめていた。
 青空は、二度と見えなかった。




 記憶が途切れると、現実に引き戻される。
 作り物の空は青い。彼女の装甲のように青い。部下の、仲間の、上官の、同胞の、死んだ者達のように青い。
その青さは三種類の光を組み合わせて生み出した青だと解っていても、ただの映像だと知っていても、辛くなる。
 カエルレウミオンの中で生き延びたのは、自分だけだ。最終決戦でプロケラは死に、同胞達も皆、死に絶えた。
彼女が死ぬ間際にトニルトスに伝えてきた、最後の一言が記憶回路に焼き付いている。君が好きだったよ、と。
過去形なのは、死ぬことが解っていたからだ。総攻撃を受けて戦闘能力を失った彼女は、サピュルスに殺された。
彼女自身が望んだことでも、最後はやはり辛かったのだろう。通信からは、ノイズだらけの叫び声が聞こえてきた。
発声機能も破損していたので、その声を聞いたのはトニルトスだけだったが、彼女の断末魔は生涯忘れられない。
 戦わなければならない。立ち止まり、生を謳歌し、明日を望むことは許されない。それが生き残った者の定めだ。
今、自分が戦わなくなれば、全てのカエルレウミオンの死が意味を失う。プロケラとの時間も、否定することになる。
戦いに明け暮れて戦闘能力以外の価値観を見出せずに生きてきたトニルトスに好意を向けたのは、彼女だけだ。
どれほど厳しい言葉をぶつけても、ぞんざいに扱おうとも、蔑ろにしようとも、プロケラはトニルトスに従ってくれた。
 愚かな娘だと思ったが、その反面嬉しくもあった。だが、嬉しいと思ったことは、最後まで彼女には言わなかった。
上官の威厳を失いかねないし、無性に恥ずかしかった。そして、彼女との関係が変わることを内心で恐れていた。
だから、最後の最後まで彼女との関係は平行線を辿り、プロケラが命を落とした瞬間でさえも言えず終いだった。
けれど、今はそれを後悔している。トニルトスは偽物の空から視線を落として、空よりも濃い青の手を握り締めた。

「プロケラ」

 彼女がいなくなってようやく自覚した感情を音声に変換し、吐露した。

「私も、君を好いていたようだ」

 だから、戦わなければならないのだ。トニルトスは枯れた草原から立ち上がると、背部から長剣を引き抜いた。
白刃を傾けると、深紅の装甲を持つ者の姿が映り込んだ。トニルトスは振り返ることもせずに、長剣を掲げた。

「剣を取れ、ルブルミオン」

「言われるまでもねぇ」

 トニルトスの背後に立っていたイグニスはレーザーブレードを抜き、作動させ、光の刃を生み出した。

「てめぇの首を頂くぜ、カエルレウミオン」

「良い返事だ」

 トニルトスはイグニスと向き直り、長剣を構えた。イグニスも腰を落とし、レーザーブレードの柄を握り締めた。
一陣の風が二人の間を抜け、乾いた草を波打たせる。偽物の雲が流れ、人工太陽の輝きが僅かながら陰った。
 ぎ、と二人の膝関節が小さく軋み、地面を蹴り上げると思われたその瞬間、全てのセンサーが一斉に反応した。
センサーが痺れるほど、強烈で威圧的な感覚だ。だが、それ以上に懐かしく、苦しくなるほどの郷愁に襲われる。
トニルトスが長剣を取り落とすと、イグニスもまたレーザーブレードを取り落とし、頭を押さえて後退っていった。

「おい、こいつぁ、まさか…」

「貴様もか、ルブルミオン」

 トニルトスが動揺を押さえ込んで呟くと、イグニスは舌打ちした。

「なんでまたこんな時に、こんな場所に現れたんだ」

「解らん。だが、貴様との決着を付けるのは、この者と接触した後だ」

 トニルトスは顔を上げ、人工の空の向こうにある宇宙を睨んだ。

「我らが金色の母と同等の力を持つ者とな」

「俺も同意見だぜ、屈辱野郎」

 イグニスもトニルトスと同じ方向を見上げ、笑った。考えていることもまた同じなのだろう、とトニルトスは思った。
イグニスとは同じ立場にある。立ち止まることは過去を否定することになるのだと、イグニスも知っているのだろう。
だから、彼も戦いを望む。トニルトスとは違って、安定した日常と穏やかな明日を守れる立場にいるはずなのに。
トニルトスは、それを哀れむことも嘲笑うこともない。本能に身を任せて生きる敵兵士を、同族として誇らしく思う。
 トニルトスは長剣を拾い、背部に収めた。イグニスもレーザーブレードを拾うと、背中に収め、家へと歩き出した。
アウルム・マーテルの反応は近いが、別の次元を挟んでいる。だが、その狭間を乗り越えた粒子が届いている。
最終決戦で感じ取ったアウルム・マーテルの反応に近いが、変質している。宇宙を彷徨う間に、変わったのだろう。
だが、アウルム・マーテルはアウルム・マーテルだ。二人のどちらかがそれを手に入れれば、永き戦いは終わる。
 そして、この日常も。




 次元の揺らぎを感じているのは、二人だけではなかった。
 アステロイドベルトに浮かぶ小惑星の一つに、宇宙服を着たグレン・ルーが立ち、宇宙空間を見つめていた。
彼の背後に着陸している高速飛行艇にはピンクのドリルが一対付いていて、ベッキーが変形したものだと解る。
ベッキーの本体とも言えるアウルム・マーテルのエネルギーを吸収した金属塊を露わにし、放出し続けていた。
 金色の光を背中に浴びながら、グレンはにやにやしていた。二人の機械生命体から得た情報は素晴らしい。
随分前に、ベッキーにプログラミングさせたコンピューターウィルスを、イグニスとトニルトスへと送り込んでいた。
そのコンピューターウィルスの被害は大したことはなく、修復も出来るが、修復された後も生き続けていたのだ。
イグニスとトニルトスのあらゆる回路に入り込んだコンピューターウィルスは、逐一ベッキーに情報を送っていた。
当然ながら、ギルディーン・ヴァーグナーが二人と戦い、完全勝利したことも知っていたが動くのは我慢していた。
ギルディーンと遊びたかったが、我慢すればもっと楽しいことが起きるからだ。それはアウルム・マーテルだった。

『ベッキーちゃん、お客さんの動きはどう?』

 グレンが尋ねると、ベッキーの間延びした声が返ってきた。

『ワープエネルギーの発生とー、空間断裂の反応をー、感知しましたー。空間の亀裂が広がってー、あちらの次元とこちらの次元が接続するのはー、これから十七時間後ですー』

『じゃ、お客さんが来るまでアウルム・マーテルのエネルギーの放出を続けておけ。道に迷わないようにな』

『了解しましたー』

 ベッキーは機体の両脇に付いたピンクのドリルを回転させ、答えた。

『さぁーて』

 グレンは大きく両腕を広げると、暗黒の宇宙に向かって叫んだ。

『パーティーの始まりだっぜーい!』

 その声はグレンのヘルメットとベッキーのコクピットにだけ響き、消えた。十七時間後には、太陽系は一変する。
ベッキーの元となったアウルム・マーテルのエネルギーを含んだ金属片で研究を重ねた末、特性を見つけ出した。
惑星フラーテルが爆砕した際に無数に分裂したアウルム・マーテルの破片は、互いに引き寄せ合う作用を持った。
アウルム・マーテルは空間や時間だけでなく次元すらも超越し、同じアウルム・マーテルの元へ至ることが解った。
その性質を利用すれば、ベッキーの放つエネルギー波に導かれて出現する、アウルム・マーテルを収集出来る。
 そして、グレンは犯罪を犯しながら銀河を旅する中で、次元震の彼方に巨大なアウルム・マーテルを感知した。
だが、ベッキーの性能では空間と時間が歪曲した次元震を突破出来ず、それを手に入れることは出来なかった。
そこで考え出したのが、大規模な次元震が発生する宙域に赴き、アウルム・マーテルの力を放出する作戦である。
 あらゆる情報網を使って調べた結果、通常空間とワープ空間が鬩ぎ合い、激しく乱れているのは太陽系だった。
根本的な原因は不明だが、太陽系の空間はここ十年間不安定で、些細なことで次元震が発生しているほどだ。
衝撃波が発生しないほどの微細な次元震は、空間の自己修復能力で元に戻るか、次元管理局が修復している。
だが、一時的に修復しても空間自体には歪みが残り、それが積み重なって次元震の規模は徐々に拡大している。
今度の次元震の規模は、グレンとベッキーの計算と予測によると、最低でも小型の惑星程度の規模はあるようだ。
それほどの規模の次元震ならば、アウルム・マーテルの本体とも言える巨大な固体を引き寄せられるはずである。
 太陽系の文明レベルでは、異次元から現れた未知の存在に対抗出来る勢力は少なく、滅ぶ可能性が大きい。
無限のエネルギーとパワーを持つアウルム・マーテルに敵う者はいない。たとえそれが、機械生命体であろうとも。
 破壊こそが、至上の娯楽だ。







08 9/12