アステロイド家族




次元を超えし者



 数千万年の時を経て、今。


 その異変は、何の前触れもなく訪れた。
 幅広のデスクに座る女性は、宇宙空間を映し出している全面モニターを睨み付け、華奢な腕を組んでいた。
紺色の制服に身を包み、軍の階級章を肩に付け、柔らかな栗色の長い髪を背中に流している小柄な女性だ。
顎のラインは丸めで目元も優しく幼い印象を受けるが、今ばかりはその顔立ちは険しく、唇をきつく結んでいた。

「事態は極めて深刻や」

 次元管理局局長、ステラ・プレアデスは鳶色の瞳でマサヨシを見据えてきた。

「正直な話、あの次元の歪みはうちらの持つ技術じゃどうにもならへんレベルまで来とる。せやけど、うちらは次元の管理と修復っちゅう重大な任務を仰せつかっているさかいに、何もせずにおるわけにはいかへんのや」

「把握しています」

 デスクの前に立つマサヨシが返すと、ステラは続けた。

「あの次元の歪みは、いつもの次元の歪みとは訳が違うんや。次元の狭間から正体不明のエネルギーが確認されとるし、次元の歪みによって発生した磁気嵐で上手く感知出来てへんけど、次元の歪みの向こう側にはものごっつい大きさの何かがおることも確認しとる。それが何かは解らへんけど、ええ予感はせぇへん。次元の歪みの大きさは、最初は月程度やったけど、時間と共にどんどん拡大しとるし、下手をしたら惑星一つがなくなるかもしれへん。そないなことになったら、うちらは商売あがったりやし、太陽系全体の重力のバランスが崩れてまうんや」

「それで、所長は俺に何をお望みなんですか?」

 マサヨシが言うと、ステラは壁一面に映し出されたホログラフィーを見上げた。

「ムラタはんには、次元の歪みを塞いでもらいたいねん。もちろん、出来る限りの協力はするし、報酬も弾んだる。せやから、次元の歪みの中に行ってもらいたいんや」

「なぜ、俺なのですか」

「そら決まっとる。次元の歪みを塞いだ経験も多いし、パイロットとしての腕は一級品やし、後腐れもないし、色んな面で申し分がないからや」

「死ねと言うことですか」

「うちかて、昔の仲間にこんなこと頼むんは嫌や。せかやて、他に何も思い付かへんねや」

 ステラは心苦しげに顔を歪め、額を押さえた。

「サチコにも申し訳ないと思うとる。でも、それ以外に手段がないねん。機動歩兵を遠隔操作するっちゅうのも考えたし、ワープエネルギーを凝結させた弾頭を乗っけた実弾っちゅうのも考えたし、次元の自己修復能力を発生させるっちゅうのも考えた。そやけど、それやと上手く行かへんねん。どの方法も正確な遠隔操作が求められるから、この磁気嵐ん中やと電波が届かへんねん。人工知能を持ったロボットを送り込むっちゅうのも思い付いたんやけど、次元の歪みに突入する時に、磁気嵐でプログラムが飛んでまうんや。となると、残るは生身の人間が現場に行くしかあらへんねん」

 マサヨシはステラの苦渋の色に満ちた言葉を聞きながら、彼女の決断の是非について思考を巡らせていた。
ステラ・プレアデスはサチコと同期の次元管理局職員であり、当時から秀でた才能を持っていた研究員だった。
マサヨシが軍を退役し、次元管理局から離れた後も彼女は次元管理局に勤め、着実に成果を上げ続けていた。
その実力が認められたステラは次元管理局の局長に任命されたが、管理職にも関わらず未だに現場に現れる。
妙な訛りが付いているのは、出身地である辺境宇宙の植民地惑星で身に付けた土着の言語の影響だそうだ。
 マサヨシがステラから亜空間通信を受けたのは、昨夜だ。次元の歪みが発生した、次元震が起きかねない、と。
過去にも、マサヨシは民間人が手を出せる範疇で次元管理局に協力したことがあったので、疑問は抱かなかった。
次元管理局に至るまでの宙域でも多少の空間異常は感知していたが、修復出来ないレベルの規模ではなかった。
だから今日もまたそんなものだと思っていたが、次元の歪みはマサヨシの予想を遙かに上回っていたようだった。
 局長室はステラの趣味でライトを弱めているので、全体的に薄暗くなっており、宇宙の星々の輝きがよく見えた。
次元管理局の位置から見える様々な恒星も、星団も、銀河も、惑星も、太陽の輝きも、今はまだ歪んでいない。
次元の歪みが発生すれば必然的に空間も歪むので、歪みの強さによっては目視で発見出来ることも少なくない。
だが、今回はその兆しすら見えなかった。マサヨシはステラを疑うわけではないが、暗黒の宇宙を凝視していた。

「でも、問題は次元の歪みだけやないねん」

 ステラは椅子に座り直すと、超強化ガラスを隔てた先の宇宙空間を見下ろした。

「異次元っちゅうもんは、この宇宙とは物理的法則の違う平行宇宙なんや。当然、あらゆる物質の作用も違うてるし、分子構造も、法則も、なんもかんもが別物の世界や。せやから、そんな場所から出てくるモンがあるとすれば、当然この宇宙に作用を及ぼすはずなんや。たとえ、その物質があっちの宇宙じゃ何の害もないモンやったとしても、こっちの宇宙にとっちゃとんでもない異物、つまりは反物質になるわけや。反物質っちゅうのはちょこっと使うただけでも物凄いことになるさかい、その体積がアホみたいにでかかったら、当然ながら作用もでかくなるっちゅうわけや。まあ、つまりや」

「俺が次元の歪みを塞がなければ、太陽系やこの銀河系だけでなく、宇宙全体に悪影響が出る、と?」

「色んなところを端折れば、そういうこっちゃな」

 ステラは体重を預け、椅子の背もたれを軋ませた。

「どこにどんな影響が出るのかはうちの頭ん中じゃ大体の答えが出とるんやけど、統一政府にも軍にも言ってへんねん。うちは、いたずらに騒ぎを起こしとうないんや。出来ることを出来る限りやり尽くして、それでもホンマにどうにもならへんかったら、その時はうちが全部背負ったる。ムラタはんが、なんもかんも背負っとるみたいにな」

「俺は何も背負っていません。むしろ、背負っていったのはサチコです」

「この十年間、うちもうちで頑張ってみたんやで。サチコとハルちゃんが行ってしもうた次元の歪みと同じ次元に繋がる次元の歪みをなんとか見つけようと思うて、色んな宇宙にも出掛けたし、色んな星も回ってみたんや。せやけど、サチコが行ってしもうた次元と同じ次元は見つけることが出来へんかった。サチコとハルちゃんの体に残留した放射性物質に近いモンはあったんやけど、同一のモンはあらへんかった。それがなんや悔しゅうて悔しゅうて、がむしゃらにやっとったら所長になってもうたんや。あの時、木星に向かう航路に発生した次元震を予測出来なかったんは、うちのミスやから」

「サチコとハルが死んだのは誰の責任でもありません。全ては俺の…」

 マサヨシの重たい言葉を遮るように、所長室のアラームが鳴らされた。ステラが返事をすると、レイラが現れた。
いつもの軍服ではなく、パイロットスーツの上にジャケットを羽織った姿のレイラは、マサヨシに気付くと敬礼した。

「お話中失礼します、局長、中佐」

「なんや、レイちゃん」

 ステラが声を掛けると、レイラは足早に所長室に入ってきた。

「次元の歪みに射出した十五機の次元探査機のうち、十三機は破損しましたが、残存した二機からの報告がありました。磁気嵐の影響でデータに多少の破損が見られましたが、問題ありません」

「ほな、ちゃっちゃと頼むわ。時間がないねん」

 ステラは局長の顔に戻り、レイラに命じた。レイラは局員専用情報端末を操作し、ホログラフィーを切り替えた。

「次元の歪みの中、つまり異次元側に確認された物体は、こちらで言うところの金属に酷似した物質で構成された物体で、単純計算でも全長百万メートルはあります」

「一千キロだと!?」

 マサヨシが目を剥くと、レイラは頷いた。

「そうです。私も最初は桁の間違いかと思ったんですが、何度確認しても百万メートルなんです。正確には百万五百十八メートルあり、どう見積もっても小惑星の程度の規模はあるでしょう。他にもまだ報告すべき事項はありますが、最も不可解な点はその外見です」

 レイラは情報端末のホログラフィーキーボードを操作して、数字の羅列とグラフの映像から別の映像に変えた。
壁一面に映し出された立体映像に、異様な物体が出現した。たっぷりとした金色の髪を波打たせた、天使だった。
 形状は人間に近しいが、背中には六枚の翼が生えていた。女性なのか、手足は細く、胸部と尻は膨らみがある。
淡い光を帯びた肌は大理石のように滑らかで、閉ざされた瞼からは長い睫が伸び、薄い唇は花びらのようだった。
柔らかな頬はバラ色で、六枚の翼は純白の羽根で成され、全裸でありながら淫靡な雰囲気はなく、清楚だった。
これが全長百万メートルの物体だとは、信じがたかった。どこをどう見ても、人間が想像する天使に違いなかった。

「むかーしむかしに、こういう感じのが出てきたアニメがありましたよね」

 新世紀なんちゃら、とレイラが呟くと、ステラは苦笑いした。

「それはうちも知っちょるけど、今、言うことやあらへんよ…」

「それはそれとして」

 レイラはマサヨシを見上げ、訝しげに眉根を曲げた。

「中佐がここにいらっしゃるってことは、中年ですけど神話にでもなるつもりですか?」

「ならん」

 マサヨシはレイラの妙な物言いを一蹴し、気を取り直してステラに向いた。

「普通に考えて、新人類が持つ技術と武装では、あの規模の物体を撃墜出来るとは思えません。惑星一つを犠牲にして、そのコアを利用した爆発でも起こさない限り、まず破壊出来ないでしょう」

「そうなんよ。せやから、破壊するっちゅうことは忘れて考えるべきなんや。元いた次元に戻してやることが、最も平和的かつ有効な作戦やと思うんや。そのために必要なんは、あの物体の質量に負けへん質量とエネルギーを持っちょる物体、つまりは惑星なんやけど…」

 ステラは手元のホログラフィーキーボードを叩き、百万メートルの天使の上に別のウィンドウを開いた。

「丁度ええのが、四番目に浮かんどるんや。都合の良いことに、千年前から無人やしな。百万メートルの天使に地球そのものをぶつけて次元の歪みん中に押し戻すんが、今んところ確実性の高い作戦なんや。ただ、それはあの巨大天使が次元の歪みから出てきてしもうた場合のことであって、現時点では実行する気はあらへんねん。それに、統一政府が地球を使わせてくれるとは思えへんし」

 ステラが言い終わるよりも前に、警戒警報が鳴り響いた。局長室だけでなく、通路や他の部屋からも聞こえる。
こうも間が悪いと、おのずと悪い方向へ考えが至ってしまう。だが、そんなに都合良くは進まないだろう、とも思う。
三人はそんなことを思いながら顔を見合わせていたが、局長室のドアが開き、若い女性職員が駆け込んできた。

「局長!」

「なんやの」

 ステラが聞き返すと、女性職員は青ざめながら報告した。

「次元の歪みが数万倍に拡大し、次元探査機が感知した巨大な物体が、この次元へと侵入してきました!」

「神話になるしかなさそうですね、中佐」

 レイラの場違いな言葉に、マサヨシは頬を歪めた。

「生憎だが、俺は帰る家がある。そんなものになっている暇はない」

「ちゅうわけやから、ムラタはん。お仕事の内容、変更や」

 ばつが悪そうなステラに、マサヨシは背を向けて局長室のドアを開け、出ていった。

「お気になさらず。レイラ、すまんが援護を頼む」

「助力します、中佐。では局長、出撃許可を」

 レイラに許可を求められ、ステラは頷いた。

「非常事態やからな。なんだって許可したるで、ベルナール少尉」

「私は恋人もいないし、子供もいないし、結婚する予定もないし、故郷に思い入れもないので、死んでも構いませんけど、ラルフ隊長だけは死なせないように気を付けますよ」

 では、と敬礼してからマサヨシを追って局長室を後にしたレイラに、ステラは慌てた。

「そんなこと言うたら、レイちゃんにもラリーはんにもごっつい死亡フラグ立ってまうがなー!」

「何の話ですか?」

 戸惑い気味の女性職員に、ステラは取り繕った笑みを向けた。

「こっちの話や。とりあえず、あんさんは仕事に戻っときや。次元の歪みと巨大天使からは、一秒だって目ぇ離したらアカンで。どんなに些細な情報でも、何かの役には立つはずや。無事に事が終わったら、今回の事件を徹底的に研究せなアカンしな。それと、あの天使の識別名称を付けるで。百万メートルの天使やから、メガ・エンジェルや」

「了解しました」

 女性職員はステラに礼をして、局長室から出ていった。ステラは彼女の足音が遠ざかってから、深く息を吐いた。
視線を上げ、ある一点で止めた。局長室に造り付けられている手狭なシャワールームのドアが、音もなく開いた。
薄暗い部屋に馴染む灰色のロングコートを着て、グレーのゴーグルを掛けた、黒髪を三つ編みにした男だった。
ステラは制服の胸元に手を入れてホルスターの熱線銃に触れたが、それよりも早く、額に銃口が据えられていた。

「おっと。撃つなよ、俺はあんたを殺すために来たんじゃない」

 熱線銃の向こうで、灰色の瞳が子供じみた笑みを浮かべる。ステラは、仕方なく手を引いた。

「あんた、グレン・ルーやろ。一体、何の目的があってうちのところに来たんや」

「まあ、色々とな」

 グレンはステラの額から銃口を下げると、コートの下のホルスターに熱線銃を差した。

「まず最初に、感謝してほしいね。あんたらが感知出来なかった次元の歪みを、この俺様は感知した上に通報してやったんだぜ? んでもって、次元の歪みの向こうから巨大な物体が出現するってことも教えてやったし、それがどんな代物なのかも教えてやったんだぜ? しかもタダで」

「そんなこと、あんたに教えられへんでも、うちらでちゃんと調べとったわ。それに、何から何まであんたがやらかしたことやろ。そうに決まっとる」

 ステラに毒突かれ、グレンは肩を竦めた。

「あー、ひっでぇ。俺がやったのは、次元の歪みの発生を予測した宙域であの物体を誘い出しただけだぜ?」

「それだけでも充分や。けど、あれの正体については知っておかなアカン。うちは局長やからな」

「んじゃ、五百万クレジット」

「さっきと話が違ごうとるがなこの詐欺師」

「それとこれとは別に決まってんだろうが。でも、俺様主催の派手なパーティに参加してくれる馬鹿な連中のトップってことで、今日だけは特別だ。タダで教えてあげちゃう。あれはただの天使なんかじゃない、とある惑星で機械に命を与えた金色の母、アウルム・マーテルだ」

「何やて?」

 ステラが動揺すると、グレンはけたけたと笑った。

「地球をぶつけたぐらいじゃ、あいつはびくともしないぜ。なんたって、金色の母だからな」

「アウルム・マーテルやて…?」

 グレンの耳障りな笑い声から気を逸らして、ステラは思考に沈んだ。アウルム・マーテルについては知っている。
この宇宙から遙か彼方の宇宙で発見された、エネルギーの一種だ。金属に堆積し、微量でも膨大な熱量を放つ。
当初は別の名称を付けられていたが、そのエネルギーを帯びた回路に記憶されていた言語から発見した名称だ。
遠く離れているが次元的には同一の宇宙で発見された物質なので、反作用を持たないことだけは唯一の救いだ。
 アウルム・マーテルは金色の光を放ち、特定の金属には作用を与えるが、それ以外の金属には何も与えない。
作用を与えられた金属は生命体の細胞のように自己増殖し、光を与え続ければ金属塊が自我を持つようになる。
当初は新たな技術をもたらす力として研究されていたが、人が機械に凌駕される可能性があるとして封じられた。
だから、その名を知る者は少ない。いたとしても、ステラのような要職の人間か、アウルム・マーテルの研究員だ。
だが、グレンはその両者であるはずがない。となれば、グレンはアウルム・マーテルを所有している可能性がある。
しかし、それを彼に指摘するのは危険だ。下手に秘密を暴いて、グレン・ルーに殺されてしまうわけにいかない。
 ステラには、まだまだ仕事がある。次元震を制御し、メガ・エンジェルを元いた次元に戻し、太陽系を守るのだ。
予想外の事態に戸惑う職員や軍人達に、的確な指示を下すためにも、ステラだけは冷静でいなければならない。
全宇宙に名の知れた星間犯罪者、グレン・ルーと同じ空間にいるだけでも恐怖が沸き上がるが、堪えなくては。
 マサヨシやレイラを始めとした軍人達、職員達、そしてステラの婚約者である軍人、ラルフ・クロウも戦っている。
彼らは、彼らの出来ることをする。だから、ステラも出来る限りのことをして、事態を好転させなければならない。
 それが、上に立つ者の役割だ。







08 9/14