北海道での核爆発は、関東平野までもを揺るがした。 衛星軌道上に浮かぶHAL号の機影は、見るも無惨だった。そして、イグニスとトニルトスの姿も同様だった。 間に合わせの強化改造で勝てるほど、甘い相手ではない。多少エネルギーを得たところで、質量は変わらない。 イグニスのリボルバーも吹き飛び、右腕は再び破損していた。トニルトスの翼もまた、左翼が千切れてしまった。 だが、タルタロスの攻撃は緩まない。最早二人への殺意衝動だけで戦っており、その凶暴さが一段と増していた。 関東平野の大部分を抉ったクレーター内で、タルタロスの巨体が消える。アメテュトスの能力、光学迷彩だった。 アウルム・マーテルのエネルギーを制圧出来ていた頃は、二人の目でも確認出来たが、今となっては無理だった。 過剰なエネルギーは、徐々に二人の意識を浸食し始めていた。戦えば戦うほど、記憶や過去が溶けそうになる。 だが、戦わなければ殺される。その矛盾と葛藤しながらも、イグニスとトニルトスは何度倒されても立ち上がった。 むしろ、立ち上がることしか出来ない。どれほど攻撃してもタルタロスは再生し、エネルギー出力も一定だった。 いつか弱点が見つかるのでは、と思いながら戦った。しかし、現実は都合良く行かず、弱点など一つもなかった。 「どうせ、俺達は正義の味方なんかじゃねぇからな」 関節の砕けかけた膝を騙して立ち上がったイグニスは、へし折れた左腕のブレードを引き摺った。 「背負うものはちったぁあるが、必殺技も、パワーアップも、合体も、助っ人も、なーんにもねぇ」 「だが、それこそが戦士のあるべき姿だ」 外装が割れてしまった右腕の肘から先を引き抜いたトニルトスは、ぞんざいに投げ捨てた。 「己の実力以外の力に頼る時点で、戦士としての誇りを捨てたも同然だ」 「同感だ」 イグニスは砕けた外装の下から零れ出るケーブルを押し込むと、既に感覚のない右手を左手で拳に握らせた。 「トニルトス、腕は動くか?」 「いや。雷撃を放ちすぎて左腕の感覚などない、もう一撃放てば溶解し、左腕自体が崩壊するだろう。右腕も右腕で、付いているだけに等しい。スラスターの稼働率も五割を切った。だが、まだ戦える」 「俺も似たようなもんだ。だが、まだ行けるぜ」 イグニスは最早力の入らない足を引き摺り、スラスターに点火した。歩くことが出来ないから、飛ぶしかないのだ。 だが、飛ぶことも辛かった。アウルム・マーテルのエネルギーを変換して使っていたが、予想以上の過負荷だった。 強引な強化改造を行った当初はまだエネルギーが体に馴染んでいたが、消耗してくると負担が大きくなってきた。 機械生命体に生命を与えるエネルギーは強烈だが、それ故に機械生命体の動力機関では消化しきれなかった。 余剰したエネルギーを武器に回すも、こちらも過負荷に耐えられず、金属細胞の構成物質が破壊されてしまった。 体の内側で、内部器官が溶けていくのが解る。だが、それでも、イグニスとトニルトスは戦うことだけを望んでいた。 タルタロスの姿は見えない。だが、攻撃は続く。巨体でありながら、焼けた砂の海を乱すこともなく移動している。 オニキスの能力を応用し、重力を完璧に操っている。足音すらなく、エネルギー波もまた姿と共に消え失せていた。 びゅるびゅると砂嵐が吹き荒れ、緊張感を掻き立てる。イグニスとトニルトスは、ごく自然に背中合わせになった。 最早何の役にも立たない武器を構え、半分以上が死んだセンサーを駆使して、混沌の名を持つ者の気配を探す。 二人の頭上に注ぐ容赦のない太陽光線が、ほんの僅かだが揺らいだ。顔を上げた瞬間、巨大な足が降ってきた。 悲鳴を上げる間もなく、タルタロスの右足が二人を潰した。焼けた砂を踏み躙り、タルタロスはげらげらと笑った。 「威勢の良いことを言ってみたところで、現実は何一つ変わらん」 追い打ちを掛けるため、タルタロスのかかとが砂にねじ込まれる。 「貴様らは所詮、私の体内から放出された分子の中の一粒に過ぎんのだ。それは、あの五人とて同じことだ。確かにあの五人は、私が手を加える前から強大な破壊力を持ち得ていた兄妹機であった。だからこそ、私はあの五人に目を付け、惑星フラーテルへと招き寄せ、命を与えたのだ。強き者でなければ、戦いも長引かず、私を活性化し続けられないからな。だが、胎内に戻してしまえば、貴様らとなんら変わらん。奴らが数千万年も抱いていた地球に対する執念のせいで、若干予定が狂い、心臓までもを失う羽目になったが、まあ良い」 タルタロスは砂の底から足を抜き、溶解した金属細胞が付着した足の底を砂に擦り付けた。 「この星のコアのエネルギーを利用すれば、私は再び天使の姿を取り戻せる。その時こそ、宇宙の主となるのだ」 その声を、二人は砂の中で聞いていた。踏み潰される直前になんとか発砲し、大穴を開けて滑り込んだである。 流れ込んできた砂がクッションとなってタルタロスの体重だけは凌げたのだが、身動きが取れなくなってしまった。 センサーが死んでいる今、砂から出なければ戦えないが、タルタロスの様子が解らなければ出るに出られない。 図らずも至近距離で埋まっているイグニスとトニルトスは暗がりの中で顔を合わせたが、どちらも手詰まりだった。 やはり、出るしかない。イグニスとトニルトスは頷き合い、発砲して砂を吹き飛ばし、役に立たない足で飛び出した。 案の定、タルタロスは二人を待ちかまえていた。リボルバーのシリンダーを全て銃身に装填し、右腕を挙げる。 そして、青白い雷光が帯電している左腕も挙げていた。二人が飛び出したのは、正にその両腕の直線上だった。 「失せろ、虫けらが!」 勝ち誇った咆哮と共に、タルタロスは攻撃を放つ。防御姿勢すら取れないイグニスとトニルトスを、閃光が襲う。 最初に訪れたのは、サピュルスのそれと酷似した雷光だった。次に放たれた灼熱の弾丸と接し、混ざり合った。 視界が白く染まり、全身に恒星並みの熱が絡み付いた。溶けた装甲が一瞬で蒸発し、回路が切れる音を感じた。 時間にすれば、一瞬にも満たない時間だったが、永遠のように思えた。だが、永遠は終焉を迎え、熱は途切れた。 『フォトンシールドッ!』 快活な少年の声が轟いた瞬間、二人は無敵のシールドに守られた。目の前で閃光が弾かれ、砂の海に沈んだ。 紛れもなく、トパジウスの声であり能力だった。イグニスは黄色く輝くシールドの内側で顔を上げ、敵の姿を仰いだ。 『やっほー、二人共元気してたー? って、ちっとも元気じゃないよぉー!』 状況に見合わない口調の少女の声を発したタルタロスは、全身の関節を軋ませながら、動きを止めていた。 「なぜだ、なぜ私の体が動かない! 機械人形如きが、私に逆らうな!」 見えない糸で縛られたかのように固まっているタルタロスは、恨みがましく叫んだ。 『そいつぁ簡単な話さ。てめぇの意志よりも、俺らの執念の方が強いってぇこった。なんせ、数千万年越しだからな』 力強く重たい男の声に続き、物腰の柔らかな青年の声が聞こえる。 『僕達の恋は、まだ終わっていないんです。恋する力は宇宙で一番強いってこと、知らないんですか?』 『うむ、拙者の計算通りでござる。我ら兄妹の意識は、アウルム・マーテルの分子がタルタロスという名の姿へ変化してすぐにタルタロスの意識に完全に吸収されたのでござるが、覚醒したばかりのタルタロスの意識は拙者達ほど完成されておらず、隙だらけだったのでござる。そこで拙者達はエネルギー生命体と化した身を活用し、タルタロスの深層意識に侵入し、密かに行動していたのでござる』 冷静ながらも、どこか得意げな男の声。あまりのことに、イグニスは状況も忘れて目を丸くした。 「…そんなん、アリ?」 『あるからアリなんじゃねぇか。ゴチャゴチャ言うんだったらタルタロスの制御切っちまうぞオラ』 一気に不機嫌になったトパジウスに、トニルトスは慌ててイグニスの頭を下げさせた。 「申し訳ありません、トパジウス司令官!」 『ですが、時間がないことに変わりはありません。そして、今、戦えるのはあなた達二人だけという事実も』 サピュルスの穏やかな声色に、タルタロスの呻きが重なる。 「貴様ら如きに、屈するような私ではない!」 双方の意識が鬩ぎ合い、タルタロスの両手がぎちぎちと軋む。だが、意識を制しているのは五人の兄妹だった。 抗うタルタロスとその体を力任せに制した五人の意識に促されて、両手が上がり、胸部装甲に突き立てられた。 十本の巨大な指が、厚さ十数メートルはあるであろうサフランイエローの外装にめり込み、中心から引き裂いた。 「ぅぎあっ!」 タルタロスの悲鳴の後、胸部装甲が左右に押しやられた。肋骨に似たフレームの間で、結晶体が輝いていた。 人間で言えば肺に当たる一対の器官に挟まれ、大動脈に当たるケーブルが埋まっている、心臓に当たる部分だ。 だが、他の内部器官とは大きく違う。肋骨や肺や胃や腸に似たものは、どれも機械生命体のそれに似通っている。 けれど、結晶体は金属塊ではなかった。高圧で凝結された炭素のように煌めき、中心から金色の光を放っていた。 鼓動が脈打つように、無数の六角柱を生やした金色の結晶体は瞬くと、今度はアメテュトスの声が聞こえてきた。 『タルタロス自身には、回路というものは一つも存在しておらんのでござる。それ故、我ら機械生命体のような物理的な弱点もなく、次元管理局局長が行ったようにエネルギーの分子へエネルギーを衝突させて相殺するしかないのでござるが、貴殿らにはそのような余力があるわけもなく、我らにもそこまでの力はないのでござる。そこで拙者はタルタロスの意識体を捉え、皆の力を借りて結晶体を形成し、擬似的ながら中枢回路を造り上げることに成功したのでござる。そして、今、我らはタルタロスの意識を支配すると同時に分子構造を組み替えたのでござる』 「つまり、どういうことだ?」 イグニスがトニルトスに問うと、トニルトスは簡潔に説明した。 「アウルム・マーテルと同様にエネルギーの集積体であったが、それ故に物理的攻撃が一切通用しなかったタルタロスに、物理的攻撃が通用するようになったのではないのか?」 『ご名答ー! だから、タルタロスの心臓をぶっ壊せば、アメテュトス兄さんが構造を組み替えた分子が連鎖反応を起こして崩壊するから、タルタロスを倒せちゃうってわけ! だいじょーぶ、絶対に上手く行くから!』 上機嫌なオニキスの声に、トパジウスが続けた。 『だから、さっさと蹴りを付けてくれよな。そうじゃねぇと、お前らが今日まで生き延びてきた意味がねぇだろ?』 『トニルトス。全てが終わったら、心のままに生きることを命じます。僕にとって、あなたは最高の部下でした』 サピュルスの声に、トニルトスは最敬礼した。 「了解しました!」 『イグニス。俺はお前にとっちゃ最低な上官だっただろうが、俺を慕ってくれて嬉しかったぜ。今度会う時は、真っ当なダチになろうや。それが、俺の命令だ』 ルベウスの声に、イグニスは嗚咽を堪えて最敬礼した。 「イエッサー!」 タルタロスが喚く。五体の司令官と生き残った猛者を罵倒し、醜悪な語句を並べ立て、見苦しく身を捩っている。 だが、そんなものは、もう視覚にも聴覚にも伝わらない。見えるものはただ一つ、五人が成した金色の結晶体だ。 イグニスとトニルトスは、痛みどころか疲労すら感じていなかった。空中を進む間にも、細胞の溶解は進行した。 イグニスの破損した膝の関節が溶け、ずるりと落ちる。トニルトスの左肩からも溶けた金属が流れ、肩が外れた。 最後の抵抗なのか、タルタロスの左腕が大きく振り回された。二人はそれを軽く飛び越え、心臓へと飛び込んだ。 母であり天使の心臓であり、混沌の名を持つ者の心臓であり、五人の意識が凝結した結晶体へ拳を叩き込んだ。 加速、加速、加速。叩き込んだ拳はその瞬間に潰れ、バターのように柔らかくなったシャフトがぐにゃりと折れた。 手首も潰れ、腕自体も歪んでいく。それでも速度は緩めずに、イグニスとトニルトスは結晶体へと力を注ぎ込んだ。 アフターバーナーで背面部どころか腰から下の外装も溶けて剥離し、落下するが、過熱しすぎてすぐに蒸発した。 「どうだ、虫けら如きに殺される気分はよぉおおおおおお!」 イグニスは残された力を使い切る勢いで叫び、潰れた右腕を結晶体に押し込んでいく。 「俺は、いや、俺達はこの瞬間のためだけに生きてきた! 戦うためだけに生み出されたからだ! だが、俺は何も後悔しちゃいねぇし、むしろてめぇに感謝しているぐらいだ! 俺自身の手で、俺達の仲間を滅ぼしたてめぇをぶっ殺せるんだからな!」 「死を恐れろ、敗北に戦慄せよ、絶望の最中に滅びるがいい!」 トニルトスは原形を止めていない左腕を結晶体に抉り込ませ、猛々しい叫びを上げた。 「それこそが、我ら機械生命体が死に逝く貴様に手向ける花束なのだ! 同胞の命を喰らっただけでなく、その骸をも穢し、数多の血を吸い尽くしてきた報いだ! 貴様の犯してきた罪は命などでは償えないだろう、だからこそ絶望しろ! 闇よりも暗い深淵へと没し、光当たる世界から消え失せるのだ!」 二人の猛りが、結晶体を軋ませた。六角柱の一つが割れた途端、他の六角柱にもヒビが走り、次々に砕けた。 力の矛先がなくなったため、イグニスとトニルトスはタルタロスの心臓を貫く弾丸となり、その背中へと飛び抜けた。 崩壊の連鎖は続き、砕けた結晶体は落下すると同時に光の粉と化した。質量は失われて、ただの光に過ぎない。 六角柱が全て砕けると結晶体の中心である金色の結晶が割れ、タルタロスの鈍い絶叫が地球全体を揺るがした。 巨体を仰け反らせて、助けを求めるように両腕を広げるが、指先から金色の粉に変化してざらざらと流れ出した。 力を使い果たしたために高度を保てなくなり、逃げる余力すらないイグニスとトニルトスは、地上へと落下した。 揃って背中を灼熱の砂に埋めた二人は、タルタロスの巨体が地球へ倒れ込んでいく様を見届ける他はなかった。 両腕が金色の粉になったタルタロスは、両膝を大地に付いた途端に足が粉々に散り、腰から上だけが着地した。 腕も足もない胴体が倒れ込むと、頭部が外れてごろりと回転したが、転がっているうちに崩壊して光の粒と化した。 砂と設置した面から崩落した胴体は、胸部と腹部が消えた後、背部だけが残っていたが、遂にその背部も消えた。 砂嵐に巻き上げられた光の粒が、二人の戦士を取り巻いた。その柔らかな輝きは、空に昇りながら消滅していく。 「プロケラの言葉通りだ」 胸部から下を失った状態で仰向けに倒れたトニルトスは、溶けた指を光の粒に差し出し、目を細めた。 「死した戦士が還る場所は、空なのだ」 「んで、そのプロケラはてめぇの何なんだ? 今、聞くのもなんだとは思うけどよ」 俺達にとっちゃ強敵だったが、と、やはり下半身が千切れているイグニスが言うと、トニルトスは返した。 「私が唯一愛した女であり、戦士だ」 「うげ」 イグニスは声を潰し、さも嫌そうに顔を背けた。 「趣味が悪いにも程があるぜ」 「どうとでも言うがいい」 いつになく晴れやかなトニルトスは、金色の光に包まれた空を仰ぎ見た。 「ああ、最高の気分だ」 「そうだな、心底スカッとしたぜ。俺もてめぇも原型止めてねぇけど」 「貴様は、これからどうするつもりだ?」 トニルトスに問われ、イグニスは笑った。 「手始めに、てめぇと友達になってみようじゃねぇか。どっちも動けねぇんだから、それが一番の暇潰しになるぜ」 「気は進まないが、その申し出を受けてやろうではないか」 「馬鹿言え。てめぇが俺の友達になるんじゃねぇよ、俺がてめぇの友達になってやるんだよ」 「つまらん優劣を付けるな」 だが、トニルトスの声色は柔らかかった。イグニスも自然と笑いを零しつつ、トニルトスと軽口を叩き合っていた。 最早、二人の間に壁はない。同じ戦いを乗り越え、同じ思いで宿敵を撃破したことで戦士達の心は繋がっていた。 逆に、なぜ今まで解り合えなかったのか疑問に思ってしまうほど、二人は互いに心を開き、そして許し合っていた。 惑星フラーテルの戦場で出会ってから、数百万年が過ぎた。長らく心を戒めていた戦意が、緩やかに解ける。 勝利の先に何があるのかなど、どちらも知らなかった。それを知る前に星が滅び、宇宙へ放り出されたのだから。 気の遠くなるような放浪の末に辿り着いた辺境の星系で同族と相見えたことは、戦争の再開だけを意味していた。 だが、それが終わると、本当に何もなくなってしまう。けれど、逆に言えば何もないからどんなことでも出来るのだ。 明日が訪れることが楽しみだと思えるのは、今日が初めてだ。ぎらついた戦意ではない、生への切望も心地良い。 勝利の味は、素晴らしい。 次元探査船パッシオ号のブリッジに、沈黙が流れていた。 誰しもがモニターに釘付けになり、戦いを見守っていた。アウルム・マーテルのエネルギー波が、消滅していく。 あらゆるセンサーを限界近くまで高ぶらせていた金色のエネルギーが単なる光の分子と化し、宇宙に溶けていく。 月面基地を経由して取得していた映像を凝視しながら、ステラは詰めていた息を少し緩め、慎重に肩を落とした。 まだ安心は出来ないが、なんとか事態は収拾が付いた。状況確認の後、戦い抜いた戦士達を回収しなければ。 「まあまあだな」 ブリッジの沈黙を破ったのは、グレン・ルーだった。 「そうですねー。規模は大きかったですけどー、被害はイマイチでしたー」 グレンの足元で、ベッキーがにこにこしている。ステラが振り返ると、グレンは手の中で情報端末を弄んだ。 「あんたらが一生懸命集めてくれたデータ、ぜーんぶコピーさせてもらったぜ。なんか面白そうなんでな」 「最初からそれが目的やったんやな?」 ステラが吐き捨てると、グレンは情報端末をコートのポケットに押し込んだ。 「半分半分だよ。見たかったってのもあるし、欲しかったってのもある。一番は、面白そうだったからさ」 グレンはコートの裾を翻してステラに背を向けたが、弛緩した笑顔を向けてきた。 「じゃあな、局長さん。また会おうぜ」 ステラが言い返すよりも早く、グレンとベッキーの姿は消失した。また、長距離テレポートでも行ったのだろう。 だが、今はグレン・ルーを追っている暇はない。ステラは艦長席を見上げている搭乗員達を見下ろし、叫んだ。 「早う手ぇ動かしや! 動かせるだけのモンは全部動かして、月面基地に援護要請と三人の回収要請をせんかい! うちらの代わりに戦うてくれたホンマの戦士を見殺しにする気なんか!」 状況に呑まれかけていた搭乗員達はステラの力強い声で我に返ったのか、それぞれの仕事に戻っていった。 ステラは艦長席にもたれ、行き場のない感情のままに髪を乱した。グレン・ルーに情報を奪われたのは失態だ。 わざわざ現場に来たのも、より正確な情報を奪いたかったからだろう。それを防ぐ手立ては、あったはずなのに。 だが、状況に呑まれていたのはステラも同じだった。これほど大きな出来事は、太陽系の歴史上でも初めてだ。 局長なのに、冷静さを欠いた行動ばかりだった。反省点が多すぎる、と自嘲しつつ、ステラはモニターを見上げた。 ブリッジの壁を埋め尽くす全面モニターには地球の映像が映し出されているが、日本列島がひどく損傷している。 五十キロトン級の水素爆弾を爆発させた北海道だけでなく、タルタロスとの戦闘が行われた関東地方も抉られた。 頭部と心臓が落下した地点に出来たクレーターも巨大で、日本列島下のプレートにもダメージが溜まったはずだ。 だが、地球に対する哀愁は沸かず、滅したばかりのアウルム・マーテルに対する好奇心はマグマのように滾った。 アウルム・マーテルは滅んだが、研究材料となる金色の分子は、地球や太陽系内の宙域に大量に残留している。 早急に収集し、解析しなくては。他次元からの異物を研究すれば、次元の歪みを解明する切っ掛けが得られる。 それこそが、次元管理局の本来の仕事だ。 母の傍らで、三姉妹は戦いの行く末を眺めていた。 アエスタスは直立して腕を組み、アウトゥムヌスは十五個目のリンゴを囓り、ヒエムスはマニキュアを塗っていた。 アエスタスはやる気のない妹達の態度に口を出すことすら面倒だと思い、特に何も言わずに映像を見つめていた。 本物と相違ないほど生々しいホログラフィーは薄暗い床全体に展開され、地球上とあまり変わらない光景だった。 アウトゥムヌスは芯まで囓り、飲み下すと、アウルム・マーテルの金色の分子が漂う地表を銀色の瞳で凝視した。 「次元の自己修復活動発生を確認」 「なあに、やあっと終わりましたのー?」 ヒエムスは白い指に似合うパールピンクのマニキュアに息を吹きかけ、乾かした。 「私、ああいうのってどうも肌に合いませんわ」 「戦士の美学が解らんのか」 無粋な奴め、と呟いたアエスタスは、アウトゥムヌスに向いた。 「事後処理は私が行う。アウトゥムヌスは現場に戻り、作業を続行しろ」 「解った」 アウトゥムヌスは十六個目のリンゴをバスケットから取ると、服の袖で表面を磨いてから囓った。 「地球での戦いが終わったのなら、やっと私のお仕事ですわね」 ヒエムスはマニキュアを塗り終わったばかりの左手を満足げに眺めていたが、柔らかく微笑んだ。 「ウェールお姉様も、そろそろお目覚めのはずですわ」 それではお母様、ごきげんよう、とヒエムスはナースキャップを付けた頭を深々と下げて、軽快に歩き出した。 ナース服にはそぐわない高めのヒールを鳴らして進む末の妹の後ろ姿を、残された二人の姉は見つめていた。 何の前触れもなくヒエムスの姿が失せ、巨大な空間にはヒールの足音の余韻が僅かばかり残留するだけだった。 アウトゥムヌスはしゃくしゃくとリンゴを食べ終えると、帰る、と小さく呟いてから歩き出し、薄闇の中へと消えた。 一人残されたアエスタスは、四姉妹の母であり全能の神である直径五万メートルの脳髄、アニムスを見上げた。 アエスタスは姉妹の長姉ではなく、その上にもう一人、ウェールという名の姉が母の力によって生み出されている。 だが、ウェールは妹達とは役割が大きく違うため、アエスタスを始めとした三人の妹達とはあまり接触を持たない。 ウェールが行動を始めれば、おのずと接触することになる。長姉は、姉妹の中でも最も多く母を受け継いでいる。 接触することに期待を抱く反面、不安もあった。全てが終わってしまえば、ウェールしか残されないのではないか。 母は全知全能だ。本来なら分身など不要だ。目的に応じて生み出されたのだから、目的がなくなればどうなるか。 アエスタスは首を振り、脳に過ぎった不要な思考を振り払った。こんなことを考えるだけ、エネルギーの無駄だ。 自ら命を与えた機械生命体を喰らっていたアウルム・マーテルを見ていたせいか、余計なことを考えてしまった。 母を疑う意味もなければ必要もない。アエスタスは今し方までの考えを払拭すると、背筋を伸ばし、歩き出した。 成すべきことを成すために。 08 9/25 |