新たなる故郷。それは。 二ヶ月半の療養は、長いようで短かった。 地下での入院生活も今日で終わりだと思うと安堵する。閉塞的な空間にいるだけで、気も塞いでしまうものだ。 増して、手狭な再生治療用カプセルの中に体を押し込められていたのだから、機械生命体にとっては窮屈だった。 タルタロスとの戦闘で、両手足のみならず下半身をも失っていた状態であっても、息苦しいものは息苦しかった。 放射能除去を終えた部品を組み直し、再生出来ない部品は金属細胞を再構成して造り直し、修復に使用した。 テレパスである機械生命体専門医、フローラ・フェルムは二人の電子的な思念を読み取り、的確な治療を行った。 機械生命体の技術者がいない今、彼女の存在は貴重だ。彼女がいなければ、二人は外界に戻れなかっただろう。 久々の外気は、生体再生培養液に比べて冷ややかだった。手足を自由に動かせることの、なんと幸福なことか。 イグニスは右肩に備え付けられた深紅の弾倉を回し、空のシリンダーを銃身に装填し、体が動く感触を味わった。 タルタロスからエネルギーを奪うための犠牲にした右腕は復元出来なかったので、フローラに注文したのである。 ルブルミオンの司令官であったルベウスへの永遠の忠誠心を表すために、ルベウスのリボルバーに似せたのだ。 左腕は敢えていじらずに、以前と同じ形状を保った。両腕とも変化させると、日常生活に支障が出てしまうからだ。 「良い調子だぜ」 イグニスはリボルバーの下から伸びる右腕を曲げ、拳を握り、そして開いた。 「フローラ、お前は本当に炭素生物なのか? 頭ん中だけ、俺達と同じなんじゃねぇのか?」 「それ、最高の褒め言葉よ」 フローラはにんまりしながら、白衣の下でしなやかに尾を振った。 「んで、トニーの方はどう?」 フローラは振り返り、トニルトスに声を掛けた。 「不具合はない」 トニルトスは背面部に意識を向け、サピュルスのそれに似せて再生させた一対の翼を広げ、スラスターを出した。 両脚部のスラスターにも手を加え、出力を上げた。左腕のパルスビームガンも外に出させ、銃身自体も太くした。 以前から高かった格闘性能だけでなく、火力も上昇させたことで、強化改造したイグニスとのバランスを調整した。 パワーのイグニスとスピードのトニルトスという構図は変わらないが、均等にしてこそコンビネーションは成功する。 長い入院生活の間、暇を持て余していた二人はおのずと会話を重ねるようになり、弱い電波で言葉を交わした。 フローラの精神感応波に引っ掛からないように周波数を調整し、互いの傷に障らない程度の出力で送受信した。 人間を相手に会話する時のように音声への変換と語句を翻訳する手間も省けたので、二人は思う存分会話した。 タルタロスとの苛烈な戦闘を経てようやく心を開き合った二人にとって、これほど心地良く楽しい時間はなかった。 聞きたくても聞けなかったこと、知りたくても知れなかったこと、機械生命体同士でしか解り合えない話題も話した。 機械生命体にとっては短い時間である二ヶ月半の間に、二人は数千万年来の付き合いのように仲を深めていた。 惑星フラーテルで戦争さえ起きていなければ、そうなっていたはずなのだろう。だが、その機会がなかっただけだ。 アウルム・マーテルが滅んだ今、イグニスとトニルトスの間に次なる戦いを生み出す存在は、宇宙のどこにもない。 「これでやっとハルに会えるぜ! ひゃっほうい!」 意気揚々と両腕を突き上げたイグニスに、トニルトスは毒突いた。 「あの小娘の脳髄の容積は狭い。貴様の存在など忘却しているかもしれんぞ」 「ハルに限ってそんなこたぁねぇ!」 イグニスはトニルトスに詰め寄り、額をぶつけんばかりに顔を寄せたが、トニルトスは平然としている。 「その根拠はどこから出るのだ」 「無論、俺の愛情!」 イグニスは左の拳で胸を叩いたが、予想以上のパワーだったため、叩いた部分を押さえて背を丸めた。 「あ、痛ぇ…」 「そりゃそうよ。あんた達のパワーリミッターをいくつか解除したんだもの、痛くて当然よ」 フローラはにやりと笑み、唇の間から鋭い牙を覗かせた。 「ていうか、まずあんた達のメインエンジンからして改造したのよね。部品の一つ一つまでバラバラになっちゃってたから、ただ組み上げるだけじゃ面白くないなーって思ったのよ。あんた達のエンジンはあたし達の世界で言うところの内熱機関に似てるけど、根本的な構造は違うのよね。エンジンって言うよりも、胃と腸を組み合わせた感じ。素晴らしいことに排泄物はゼロだけどね。だから、エンジンから供給されたパワーを伝えるシャフト自体を太くして、ギアも強化に強化を重ねて、三十七パーセントも効率を上げてやったんだから。感謝しなさいよね?」 「余計なことを」 不愉快げなトニルトスに、フローラはしたり顔だった。 「あんた達の身元引受人からは、あんた達に何をしても構わないっていう書類にちゃーんとサインを頂いてんのよ。だから、あたしがあんた達を徹底的に可愛がってやったってわけよ。この二ヶ月半ほど楽しい時間はなかったわ」 「人の体で遊ぶなよ」 イグニスは仕事と趣味を混同しているフローラに呆れたが、ふと、あることに気付いた。 「ところで、フローラ。お前が機械生命体の専門医ってことは、俺達以外にも生き残りがいるのか?」 「いるわよ。だから、あたしは専門医なんじゃないの」 フローラはサンダルの底をぺたぺたと鳴らしながら、二人に歩み寄ってきた。 「あたしは元々はサイボーグ専門医だったんだけど、ダグラスの方が腕が良いから機械生命体に鞍替えしたのよ。あたしが鞍替えする前から、リリアンヌ号には時々だけど負傷した機械生命体が運び込まれていたのよ。あたしはテレパスだから、その患者さん達の思念を読んで適切な治療を施していたってわけ。そりゃ、機械生命体の絶対数が少ないから患者数は他に比べて少ないけど、サイボーグよりもずっと勉強になるから好きなのよ。それに、機械生命体ってのはいい男が多いしね」 「貴様の治療を受けた者達はどうしている?」 トニルトスは身を屈め、フローラとの距離を狭めた。フローラは、トニルトスの赤い瞳を見返す。 「それは患者のプライバシーだから教えられないわね。でも、皆が皆、戦いに明け暮れていたのは確かね」 「その連中がまたお前のところに来たら、アウルム・マーテルのエネルギーを抜く治療をしてやってくれ。アウルム・マーテルのエネルギーさえなけりゃ、俺達の戦闘本能は押さえられるんだ」 イグニスの言葉に、トニルトスは頷いた。 「我らを修復出来るほどの技術力を持つ貴様ならば、それは可能であるはずだ」 「その辺の事情も、あんた達の思念を読んだから知っているわ。もちろん、やるだけやるに決まってんでしょ?」 フローラは大きく胸を反らし、ただでさえ目立つ胸を強調する格好になった。 「見てなさいよ。あたしの手で、全宇宙の機械生命体の心に平穏をプレゼントしてあげちゃうんだから!」 にゃははははは、と妙な高笑いを始めたフローラは上体を反らすほど笑っていたが、不意にぴんと耳を立てた。 半球状の地下空間と地上世界を繋ぐ分厚い扉が開き、通路を照らしている青白い光を背にした人影が現れた。 「イグニス、トニルトス。退院おめでとう」 いつものパイロットスーツ姿のマサヨシは二人に手を挙げ、笑みを見せた。 「おう。御陰様でな」 「終わってみれば、短い休暇だったがな」 二人の穏やかな返事に、マサヨシは安堵した。そして、やけに機嫌の良いフローラに向いた。 「フローラ先生、俺の友人を治療して頂いて本当にありがとうございました」 「統一政府からかなり色の付いた治療費を頂いたし、あたしも知的好奇心をお腹一杯に満たすことが出来たから、礼を言うのはあたしの方よ。ま、口止め料でもあるんだけどね」 フローラは笑顔を崩さぬまま、マサヨシに近付いた。 「だから、中佐もこれから気を付けなさいよ? 統一政府のでっかい弱みを握ってるんだから、いつ何があったって不思議じゃないんだからね」 「そんなことは、この仕事を始めた時から心得ていますよ」 「じゃ、あたしはこれからリリアンヌ号と統一政府に治療完了の報告をしてくるから、二人は中佐と一緒に家に帰るのよ。家に帰るまでが入院なんだから、充分気を付けてねー」 手を振りながら通路に消えたフローラに、イグニスが笑い混じりに呟いた。 「遠足じゃねぇんだから」 「して、貴様のスペースファイターは」 トニルトスがマサヨシに尋ねると、マサヨシは上を示した。 「ラボラトリーに一番近い地上宇宙港に停めてある」 「そういえば、HAL号がどうなったかは聞きそびれてたな」 イグニスは少し期待を滲ませたが、トニルトスは興味がないのか早々に歩き出した。 「それが何だと言うのだ」 「とにかく行こう」 トニルトスに続いて歩き出したマサヨシを、イグニスは後ろから掴んでひょいと持ち上げた。 「乗ってけよ。何、金は取らねぇさ」 「そういう問題じゃない」 イグニスの左肩に座らされたマサヨシは、居心地が悪そうに顔を背けたが、イグニスは気にせずに歩き出した。 「さあ、さっさと家に帰ろうぜ! ハルが待ってるぜ!」 先程以上に歓喜したイグニスをトニルトスは冷ややかに一瞥し、二ヶ月半閉じ込められていた空間から脱した。 フローラの姿は既になく、人間用エレベーターが一基、地上に出ていた。イグニスらは、当然貨物用に搭乗した。 唸りを上げながら急上昇していく貨物用エレベーターの中で、イグニスの肩に乗るマサヨシは黙り込んでいた。 余程恥ずかしいらしく、相棒の顔を見ようともしない。トニルトスは彼の横顔に、プロケラとの出来事を思い出した。 トニルトスも巨体のプロケラの肩に乗ったことはあったが、彼女を特に意識していなかったら照れ臭さはなかった。 だが、今にして思えば大分恥ずかしい。体格差があったからとはいえ、仮にも女性の肩だ。男の立場など皆無だ。 「マサヨシ。貴様が羞恥を感じる理由は、私には痛いほど解るぞ」 トニルトスは、珍しく他人に同情した。 「今、お前、俺の名前を呼んだのか?」 目を丸めたマサヨシに、イグニスは少し笑った。 「なんか知らねぇけど、あの戦いが終わったら俺の名前も呼ぶようになったんだよ。その前はずーっとルブルミオンだったのによ。ま、別にいいんだけどな」 「そうか、そうか!」 やけに嬉しがるマサヨシに、トニルトスは僅かに身を退いた。 「…何が嬉しいというのだ」 「いや、なんでもない」 マサヨシはイグニスの肩に乗せられたことによる羞恥心を忘れて、胸中に込み上がる喜びを噛み締めていた。 今まで、トニルトスはまともに家族の名を呼ぼうとしなかった。どんな時も、記号のような名称で呼ぶばかりだった。 かなり見下されているヤブキは例外だったが、マサヨシであっても二人称の貴様としか呼ばれたことはなかった。 そのため、トニルトスと家族の間には見えない隔たりが生まれ、ただでさえ遠い彼との距離が更に開いてしまった。 だが、名前を呼ぶようになれば隔たりも薄くなってくる。そうなれば、きっと家族との関係も改善されていくはずだ。 「んじゃ、俺はトニーとでも呼んでやろうか?」 にやけたイグニスに、トニルトスは嫌悪感で仰け反り、後退した。 「貴様なんぞに愛称で呼ばれたところで、気色悪いだけだ!」 「トニーちゃーん」 「調子に乗るな!」 「トニーさーん」 「やかましいっ!」 「トニー兄貴ー」 「止めんか馬鹿者が!」 貨物用エレベーターの中は狭いので、すぐに逃げ場を失ったトニルトスは、反応に困った末に逆上した。 「いいか、私が貴様らを名前で呼ぶことには大した理由はない! ただ、その、あれだ、面倒になったからだ!」 「へー」 イグニスはトニルトスの言い分を欠片も信じておらず、マサヨシは可笑しげに肩を震わせた。 「少しは素直になったと思ったが、やっぱり素直じゃないな」 「トニーってさ、クールぶってるくせして意外と感情隠せてねぇよな。ドルオタの件も」 「何気なく愛称で呼ぶな! 後者はこの問題とはなんら関係ない!」 イグニスに指差され、トニルトスは苛立ちのままに喚いた。 「やはり貴様は殺しておくべきだった! ええい、今ここでその首を刎ねてやる!」 「やれるもんならやってみやがれ」 へらへらと笑うイグニスに、長剣を抜き掛けたトニルトスは言葉に詰まり、俯いた。 「…ここは、狭い」 だから次の機会だ、と言い捨てたトニルトスは素早くイグニスに背を向けると、腕を組んで黙り込んでしまった。 要するにトニルトスは、名前で呼ぶことは抵抗はなくなったが、愛称で呼ばれることにはまだ照れがあるのだろう。 イグニスは声を殺して込み上がる笑いを堪えていたが、肩に乗っているるマサヨシにもその震動は伝わってきた。 マサヨシにもその気持ちは解るが、ここで笑ってしまうのはトニルトスに悪いので、懸命に笑いを押し殺していた。 トニルトスは背を向けても二人の様子が気になってしまうのか、横顔だけ向けたが、またすぐに壁と睨み合った。 だが、雰囲気に険悪さはなかった。少し前であれば、二人は刃のように鋭い敵意を互いにぶつけ合っていたのに。 これは、大進歩だ。 08 10/2 |