アステロイド家族




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 HAL号は、生まれ変わっていた。
 地下空間から出たばかりの頃は時間の経過を感じるものがなかったが、これを目にすると嫌でも感じてしまう。
マサヨシの案内で火星の地上宇宙港に到着したイグニスとトニルトスは、銀色のスペースファイターを眺めていた。
百キロ以上の長さを誇る離発着路を見渡せるターミナルの展望スペースから、三人揃って機体を見下ろしていた。
渡航客向けに輸送能力に特化している大型宇宙船の間に挟まれているが、銀色の機体の存在感は充分だった。
 HAL号は、一回り成長していた。機体自体の大きさもさることながら、武器を備えた翼が随分長さを増していた。
滑らかなラインの銀色の機体は艶やかに輝き、大気の薄い空の色と赤茶けた地表の色を上下に映し込んでいた。
機体のサイズに合わせて大きくなった尾翼には、同じく拡大された文字で HAL とのエンブレムが入っていた。
今までは一基だった主砲が両翼の下に搭載され、船体後部のイオンエンジンも大型になり、見るからに強力だ。
ハッチも大きくなり、機械生命体も船内に入れそうだが、機体が大きくなった分、総重量も増えているはずだろう。
となると、マサヨシの操縦の最大の持ち味である速度が殺されてしまい、今までの戦い方が出来なくなってしまう。

「いいのか?」

 イグニスはひどく申し訳なくなりながら、マサヨシを見下ろした。

「何がだ」

 マサヨシから聞き返され、イグニスは躊躇いながらHAL号に視線を戻した。

「あんなにデカい船じゃ、前みたいに派手な飛び方が出来ねぇだろ? それに、あのハッチの大きさだって…」

「我らを乗せるためか」

 下らんことを、と鬱陶しげに付け加えたトニルトスに、マサヨシは笑みを零した。

「お前達を両翼に乗せて飛ぶのも悪くないんだが、正直言ってバランスが取りづらいんだよ。二人共、体格も違えば体重も違うからな。だから、いっそのこと乗せられるようにしちまおうって思ってな」

「下手な気ぃ回しやがって」

 嬉しいがやりづらくなり、イグニスは毒突いた。

「それに、お前達を乗せられないような船じゃ、いざって時に困るじゃないか」

 マサヨシは二人に向き直り、見上げてきた。

「俺はこのチームのリーダーだ。だから、お前達を守り抜く義務がある」

 強めに言い切ったマサヨシは、得意げだった。確かに、イグニスとトニルトスを取り持てるのはマサヨシぐらいだ。
不安定な上下関係だが、今までもそうだった。だから、特に異論はないが、面と向かって言われるのは初めてだ。
奇妙な一家の家長である割に後ろに下がっているマサヨシが、自分から前に出てくることもまた珍しいことだった。
謙虚と言うより、及び腰なのがマサヨシだ。その珍しさもあり、イグニスはマサヨシに言い返す気が失せてしまった。
トニルトスは最初から言い返す気がなかったらしく、何も言わずにリーダーである男を見下ろしているだけだった。

「守れるのかよ、俺達を。戦うことしか出来ねぇ生きた兵器なんだぜ?」

 頷く代わりに軽口を叩いたイグニスに、マサヨシは当然のように言った。

「守るさ。家族だからな」

「貴様程度の男に守られる命など持ち合わせていない。だが、時と場合によっては考えてやろう」

 トニルトスはHAL号から視線を外し、マサヨシを見下ろした。

「貴様の機体には、やはりあの女を搭載しているのか?」

「ああ」

 僅かな間の後、マサヨシは答えた。

「手を尽くしたんだが、どう足掻いても人格プログラムだけは復元出来なかった。必要最低限のメモリーは残っていたから、俺達のことは覚えているが、あいつはもう俺達の知るサチコじゃない。全く別の人格だ」

「名前はあるのか?」

「ガンマ。それだけだ」

「ガンマ…」 

 イグニスはその名を噛み締めるように呟いてから、沈痛に漏らした。

「お前はガンマをサチコにはしねぇだろうし、サチコもそれは望まないだろうぜ」

「だから、ガンマからは人格プログラムと感情を司るプログラムの一切を削除したんだ。俺達に関する記憶の中からも、削除出来るだけ削除した。俺達と接しても何も感じないように、何も育たないように、何も起こらないように。それが、あいつのためでもあるんだ」

「そのことは、他の連中は」

「二ヶ月半もあったんだぞ、知られないわけがない。俺も最初は隠し通すつもりだったが、あいつらはサチコと仲が良かったからすぐにばれてな。ハルには、ひどく泣かれたよ」

「お前がそれで良いって思うんなら、それで良いんだ。俺もそう思う」

 イグニスが頷くと、トニルトスはHAL号を指した。

「さあ、早く船を出せ。私達は貴様と長話に興じるためにここにいるのではない、帰るためにやってきたのだ」

「…そうだな」

 マサヨシは顔を上げると、二人を促して歩き出した。

「行くぞ、イグニス、トニルトス。復帰後の最初の仕事は、家に帰ることだ」

 少し前を歩いているマサヨシの背を歩調をかなり緩めて追いながら、イグニスは複雑な思いに駆られていた。
マサヨシは、サチコが死んだことを振り切れていない。それは無理からぬことであり、その気持ちは痛いほど解る。
 彼が見せる笑顔は明るいが、影が濃くなっている。十年も付き合ったのだから、それぐらいのことは感じ取れる。
元々危うさのある男だが、顕著になっている。これ以上何か起きなければいいが、とイグニスはちらりと思った。
ミイムの件はイグニスとトニルトスも知っているし、ヤブキの件も全部見通せないがある程度察しは付いている。
そして、今回の件。方向性と事情は違うものの、皆が皆、多少なりとも嘘を吐いてマサヨシと生活を共にしていた。
 イグニスとしてはマサヨシに対して嘘を吐いていた自覚はないが、過去を全て曝け出していたわけではなかった。
マサヨシからすれば、それはどう見えるのだろうか。少なくとも良い気分はしないだろうし、懐疑的にもなるだろう。
それを踏まえて二ヶ月前の出来事を考えると、マサヨシが地球での戦いに参加した理由がなんとなく掴めてきた。
戦線を共にして同じ世界に身を投じれば、人間と機械生命体の壁を壊せるのでは、と考えた結果だったのだろう。
 結果として作戦は成功したが、サチコという大きな犠牲が出た。マサヨシは、それも後悔していないわけがない。
ならば、イグニスが出来ることは、その後悔を少しでも薄めてやるためにマサヨシとの距離を狭めることぐらいだ。
 家族として、チームの一員として。




 そして、二人は帰宅した。
 カタパルトからコロニー内に入ると、気温が変貌していた。肌に触れる大気は凍り付き、空も重たい鉛色だった。
地上は人工の空から舞い落ちる細かな水蒸気の結晶体に包み込まれていて、あらゆる色が覆い隠されていた。
イグニスが手を差し伸べてみると、触れた途端に結晶体は融解した。いつのまにか、季節が移り変わったらしい。
 体を治している間に秋が終わり、冬が訪れていたようだ。だから、天候も変化して雪が降るようになったのだ。
イグニスは去年も見たことがあるのでそれほど驚きもしなかったのだが、トニルトスは感嘆の声を漏らしていた。
 まだ雪は降り始めたばかりらしく、屋根に積もった雪は薄い。山の木々も、純白の薄化粧を施されている程度だ。
飛ぶのは楽だが、歩いていくのも悪くない。完治した足の機能を確かめる意味もあったので、二人は歩き出した。
マサヨシは、またもイグニスの左肩に乗せられた。本人は嫌がったが、機械生命体と人間では歩幅が違いすぎる。
イグニスの左肩の上で、マサヨシはやりづらそうに顔をしかめていた。カタパルトから自宅までは、十数キロある。
人間の足では大分時間が掛かるが、機械生命体の足では移動時間が短縮出来るので、効率は確かに良いが。
 家に近付くに連れて、イグニスは口数が減っていた。とても嬉しいはずなのに、なぜか躊躇いを感じてしまった。
この家に帰ることを何よりも望んでいたし、ハルと再会することを何度となく想像し、夢にまで見てしまったほどだ。
だが、相反する思いが足を鈍らせてくる。機械生命体にとっては短くとも、人間にとっては二ヶ月半は長い時間だ。
 ハルは子供だ。子供は常に変化し、成長する。二ヶ月半もあれば、ハルも少しぐらいは変わっていることだろう。
その変化の中で、忘れられていたら。家族から逃げ出した者だと認識されていたら。彼女の心から消えていたら。
 トニルトスを窺ってみるが、彼の感情は読めなかった。トニルトスは、そういったことを考えないのかもしれない。
イグニスとはまた違った意味で任務に忠実だったトニルトスは、自分を中心にすることで自己を守り通してきた。
それは、今後も続くのだろう。それはそれで楽だよな、と思いつつ、イグニスは近付いてきた我が家を見下ろした。
 自宅の玄関前では、防寒着を着込んだ面々が遊んでいた。案の定、一番はしゃいでいるのはヤブキだった。
大柄な体に似合うが家族団欒には全く似合わない、裾の長い軍用コートを着て、半球状の構造物を作っていた。
もちろん、素材は雪である。その傍らでは、分厚いコートを着たアウトゥムヌスが黙々と雪玉を三角に握っていた。
袖と襟元にファーの付いたコートを着ているミイムは、やはりサイコキネシスを用いて大きな雪玉を転がしていた。
イグニスはハルの姿を探したが、ハルは一人で玄関先に座り込んでいて、ピンクのマフラーに顔を埋めていた。
他の面々が二人に気付いたのでハルも二人に気付いたが、寒さで赤らんだ頬を張ってぷいっとそっぽを向いた。

「みゅんみゅん、お帰りなさいですぅ、イギーさぁん、トニーさぁん。でもってパパさんもぉ」

 ミイムはサイコキネシスで二人の傍まで浮かび上がると、コートの下で尾をぱたぱたと振った。

「お二人がいないとぉ、静かすぎちゃってぇ、色んな意味で寂しかったですぅー」

「すまなかったな、今まで帰ってこられなくて」

 イグニスがまず最初に謝ると、ヤブキはシャベルを肩に担ぎながら二人を見上げてきた。

「お二人にも色々あったんすよね、きっと。でも、ちゃーんと帰ってきたんすから、そんなの関係ないっすよ」

「詮索は無用だ。重要なのは事実だけだ」

 トニルトスが素っ気なく言い放つと、雪のおにぎりを握っていたアウトゥムヌスが立ち上がり、二人に向いた。

「道理」

「ただいま、ハル」

 イグニスの手を借りて地上に降りたマサヨシは、娘に声を掛けたが、ハルは顔を背けたままだった。

〈イグニス、トニルトス、両名の帰還を確認〉

 ハルの傍に漂う球体のスパイマシンはサチコとは全く別の声を発し、無機質な言葉を並べた。これがガンマだ。
ガンマに対しても複雑な思いに駆られたが、ハルの機嫌の悪さはそれ以上に気掛かりで、イグニスは歩み寄った。

「ただいま、ハル」

 イグニスはハルの前に膝を付いたが、ハルは横目にイグニスを見たが、ぐいっと毛糸の帽子を引き下げた。

「おじちゃんもトニーちゃんも、嫌い」

 今にも泣き出しそうな、だが精一杯の意地を張った声色に、イグニスは俯いた。

「ごめんな」

「どうして? どうして皆、どこかに行っちゃうの? どうしてなの?」

 ハルはしゃくり上げ、顎を震わせる。

「ママも、お兄ちゃんも、おじちゃんも、トニーちゃんも、どうしてハルを置いていくの? なんでなの?」

 心当たりのあるミイムとヤブキは上手い言葉を返せずに、顔を伏せた。真実を言えないことも、充分心苦しい。

「ハルはね、皆、大好きなの。なのに、皆、いなくなっちゃうの。お姉ちゃんだって、いなくなっちゃった」

 ハルはイグニスを直視しようとせず、膝の上で握り締めた小さな手を見つめていた。

「お姉ちゃんの代わりにガンちゃんが来たけど、でも、やっぱりお姉ちゃんがいい。お姉ちゃんの方が好き」

「サチコのことは忘れろとは言わねぇ、けどな、これが現実なんだ」

 イグニスはハルに手を伸ばし掛けたが、躊躇った後に下げた。

「だからね、もう誰も好きにならないの!」

 ハルはぼろぼろと涙を落としながら、身を捩ってイグニスに背を向けた。

「私が好きになると、皆、どこかに行っちゃうんだもん! おじちゃんとトニーちゃんは帰ってきたけど、お姉ちゃんは帰ってこなかったんだもん! だから、もう一度どこかに行っちゃったら、おじちゃんとトニーちゃんも帰ってこなくなっちゃうんだ! 私なんかが好きになるからいけないんだぁ! だから、二人とも嫌いだぁ! だいっきらいだぁ!」

 大声を上げ、ハルは泣き出した。幼い心で懸命に考えた末の自衛なのだと悟り、イグニスは強烈に悔しくなった。
これにはさすがのトニルトスも心苦しくなったらしく、顔を背けてしまう。マサヨシも、娘を宥める言葉を探している。
ミイムは涙を押し殺し、ヤブキは両の拳を固めてやりきれない思いを現し、アウトゥムヌスは事態を傍観している。
ガンマの操るスパイマシンは、淡々と映像を収めている。イグニスは泣き喚くハルに指先で触れ、声を張り上げた。

「そんなことはねぇ!」

 思いがけないことにハルは小さな肩を震わせ、涙に濡れた青い瞳を大きく見開いた。

「それは違うんだ、ハル。俺達は俺達の事情があったから、少しだけここを離れていただけなんだ」

「なんで? どうして?」

 嗚咽に詰まった幼い声で問われ、イグニスは答えあぐねた。

「今はまだ、俺達も他の連中も話せねぇ。だが、ハルが大人になったら話してやる。約束する」

「なんで、今じゃダメなの?」

 ハルの不安な視線が、家族を舐める。イグニスが言うよりも先に、ヤブキが言った。

「ちょっと辛い話だからっすよ。話せるものなら話したいし、話した方がいいんじゃないかって思う時もあるっすけど、まだ自分から話せるほど覚悟が出来てないんす。オイラは、そんなに強くないっすから」

「それは、ボクもそうなんです。ボクだって皆が好きだし、ハルちゃんは大好きです。でも、どうしてもやらなきゃいけないことがあったから、ちょっとだけ留守にしただけなんです。だけど、それが何なのか、話すためにはまだ時間が必要なんです。大人になっても、辛いことは辛いから」

 不自然な愛らしさを削ぎ落とした口調で述べたミイムは、十七歳の少年らしい、切なげな笑みを浮かべた。

「我らもまた、逃れられぬ宿命を背負い、生きてきた。だが、ようやくその宿命から逃れることが出来たのだ」

 トニルトスはイグニスの背後に立つと、ハルを見下ろした。

「遠き過去に、私とイグニスは故郷と仲間を失った。故郷と仲間を甦らせるための力も消滅し、残されたものは己の命と同族の友人のみだ。そこに至るまでの長き戦史を言葉にしたところで、幼き魂では受け止めきれぬことだろう。故に、今は語れぬ。だが、これだけは知ってくれ。我らは、誰一人として貴様を裏切っていない」

 我が同胞とカエルレウミオンの名誉に掛けて、と、トニルトスは厳かに胸に手を当てた。

「俺達が帰る場所は、この宇宙のどこにもない。だから、この家が俺達の新しい故郷なんだ」

 イグニスは深紅の塗装が施された指先で、ハルの冷え切った頬を拭った。

「ハルとこの家が好きだから、俺もトニーも帰ってきたんだ。これからは、ずっと傍にいるさ。俺が生き残った理由があるとすれば、きっとそれなんだ。だから、もう泣かないでくれ」

「私は今更貴様に好かれようとも思わんし、嫌われたところでどうということはない。だが」

 トニルトスもまた、ハルへと手を伸ばした。

「ハルと再会出来たことを、喜ばしく思う」

 イグニスよりも若干細身の青い指先に、ハルの小さな手が伸びた。

「…うん」

 ハルは両手でトニルトスの指にしがみつき、肩を震わせた。

「嫌いだなんて言ってごめんなさい。本当はね、二人共大好きなの。帰ってきてくれて、凄く嬉しいの」

「そんなこと、最初から解ってるさ」

 イグニスの優しい言葉に、ハルの意地が決壊した。ハルはトニルトスの指に縋り、一際大きな泣き声を上げた。
抱き締めてやることは出来ないが、支えることなら出来る。イグニスは恐ろしく気を遣いながら、ハルに触れた。
二人の指先の感触でハルはますます感極まってしまったらしく、二人の名を何度となく叫びながら力一杯泣いた。
だが、これからは、こんなことは起きないだろう。皆が皆、やるべきことを終えたから、再びこの家に帰ってきた。
 過去を捨て、過去を壊し、過去に勝利した者が立てる場所は、過去から切り離された廃棄コロニーだけなのだ。
けれど、その決断はそれぞれが行ったもので強制されたわけではない。皆、最後の居場所をハルに求めている。
しかし、それだけではない。ハルという少女が好きだからこそ、偽物の家族が愛しいからこそ、この家に帰ってくる。
それぞれが抱いていた情念は果たされ、戦士達の隔たりも徐々に狭まりつつある今、ただ一つ残された懸念は。
 一家の主の苦悩だけだ。







08 10/3