年始休暇は退屈だ。 レイラ・ベルナールはだらしなくソファーに寝そべって、例年通り変わり映えのしない特番をぼんやりと見ていた。 次元管理局内の職員居住区にある中央ロビーには他にも休憩を取っている職員がいたが、彼らも暇そうだった。 年末年始の一週間は、次元管理局防衛部隊の面々は余程の緊急事態が起きない限りは休暇が与えられている。 ローテーションを組んで待機任務に就く場合もあるが、今年はレイラはそのメンバーからは外されていたのだ。 だが、休暇が与えられたからと言って何をするわけでもなかった。趣味の読書も、積ん読を読み終えてしまった。 かといって、定期連絡船に乗って実家のある宇宙ステーションに帰ることすら億劫で、遊び回りたい年頃でもない。 友人もいないこともないのだが、学生時代から付き合いのある親友は早々に結婚してしまい、今は育児に忙しい。 その忙しい日常を邪魔するほど、無遠慮ではない。しかし、退屈は退屈だ。レイラは上体を反らし、天井を仰いだ。 「暇そうだな、レイラ」 居住区の中央ロビーに入ってきたラルフ・クロウ大尉は、待機任務中なので軍服姿だった。 「暇すぎてどうしようって感じですよ」 レイラは投げ出していた足を揃えてから上体を起こし、ラルフを見上げた。 「中央にでも遊びに行こうかなーって思わないでもないんですけど、それすらもなんだか面倒になってきちゃって」 「サザンクロスとポーラーベアはどうした?」 「定期メンテナンスの真っ最中ですよ。整備部が言うには、私の訓練がきつすぎて関節に過負荷が掛かっているとかで、オーバーホールもされちゃってます。でも、訓練してないと不安なんですよね」 「気持ちは解る」 レイラの向かいのソファーに腰を下ろしたラルフは、超強化パネルの窓の向こうに広がる宇宙を見やった。 「俺もそんなもんだ。アウルム・マーテルのような巨大すぎる物体が相手じゃ、俺達は無力だった」 「一万メートル級の機動歩兵の設計図も、軍の技術部から上がってきているんですよね?」 「それは俺も目を通したが、そんなもので何がどうなるとも思えない」 「所詮、一万メートルですからね。完全体のアウルム・マーテルに比べたら、百分の一ですもん」 レイラは頬杖を付き、果てしない暗黒の世界を見つめた。 「あれって、SF小説に良く出てくる宇宙意志ってやつなんですかね。中佐が私に寄越してくれた個人的な報告書によれば、アウルム・マーテルの頭部と心臓には別々の意識が存在していて、頭部の意識がいわゆる悪玉だったんだそうです。頭部の意識、識別名称タルタロスですけど、そのタルタロスは機械生命体を生み出すと同時に食い物にしていたんだそうです。で、心臓の意識、識別名称ケイオスの方は、赤子も同然で言葉も喋れなかったそうですけど、タルタロスのような攻撃性を持っていたんだそうです。今はどっちも滅んでしまったから、調査のしようがありませんけど、興味は尽きない案件ですね」 「だが、俺達の仕事は最前線で戦うことだけだ。そいつは研究部の仕事だ」 ラルフの素っ気ない受け答えに、レイラは少し不満を持った。 「隊長、なんか機嫌悪くありません?」 「そう見えるか?」 「だって、声低いんですもん。何かありましたか?」 「あるも何も」 ラルフは感情を隠すことを諦め、唇を歪めた。 「あの野郎がまた現れやがったんだ」 「ああ、あの人ですか」 そりゃ機嫌も悪くなるわな、と納得したレイラに、ラルフは舌打ちした。 「ここの何が気に入ったのかは解らんが、いちいち現れないでほしいんだがな」 「ていうか、隊長が一番気に入らないのは、あの人が出てくる場所と接触する相手でしょうに」 レイラに茶化され、ラルフは若干躊躇いながらも言い返した。 「…悪いか」 「いいえ、別に。色恋沙汰にエネルギーを使える分、隊長の方が私よりずっと若いです」 レイラはテーブルに放置していたカップを取り、冷め切ったコーヒーを啜った。 「で、話はいきなり戻りますけど、結局アウルム・マーテルって何だったんでしょうね?」 「宇宙意志かどうかは置いておいて、災害の一種だと捉えておくべきだろう」 ラルフは表情を取り繕い、答えた。レイラは、空になったカップを手の中で弄ぶ。 「まあ、そう考えるのが一番後腐れがなくて楽ですよね。でも、腑には落ちません」 「アウルム・マーテルが俺達にもたらしたものは、単なる大規模な損失だけとは思えない。だが、明確に与えられたものはない。俺達に手元に残ったのは、アウルム・マーテルから零れ落ちたエネルギー分子のサンプルと、地球へのダメージと、超広範囲ワープドライブが成功した実績ぐらいなもんだが」 「後はあれですよね、地球の放射能濃度が急速に低下し始めた、ってことぐらいですよね」 主に日本列島を中心にして、と付け加えたレイラに、ラルフは返した。 「だが、それは一時的な作用に過ぎないとの結論が出ている。アウルム・マーテルのエネルギー分子が放射性物質を相殺しているから、中和されているように見えるだけで、実際は放射能の絶対量は変わっていないんだそうだ」 「となると、やっぱりただの災害だったんでしょうかねぇ」 「そう思うしかないだろう。俺達の頭で理解出来るのは、物事の末端だけだ」 諦観と落胆を混ぜた呟きを残し、ラルフはレイラの前から去った。レイラは、ロビーから出た彼の背を見送った。 レイラはソファーに身を沈めて、足を投げ出した。ラルフの言うように、防衛部隊隊員はただの兵士に過ぎない。 次元管理局を守っているというだけであり、次元の何たるかを把握出来ている者はそうそういるわけではない。 次元探査の隊長や次元艦隊の艦長といったリーダー格は、最低限の勉強を求められているが、他は別なのだ。 レイラも次元管理局に配属された時に、ある程度は勉強してみたが、訓練学校のそれとはベクトルが全く違った。 だから、次元の基本については少しばかり理解出来たが、そこから先は専門的すぎて頭が追い付かなかった。 故に、アウルム・マーテルの件も深読み出来ない。多少の邪推は出来るのだが、知識不足が重大な壁になった。 ここはやはり、局長であるステラや研究部の面々に任せておくべきだろう。自分に出来ることは、戦闘だけだ。 そう思い直したレイラは、空っぽの胃に入れるべき食糧と休暇中の暇潰しを探すために、中央ロビーを後にした。 退屈すぎて、空腹すら忘れていた。 退屈を感じる暇など、一瞬もなかった。 ステラ・プレアデスは局長室のデスクで、デスクサイズのホログラフィーモニターに連なる文字列を追っていた。 デスクの端では、不作法に腰掛けた男が子供のように足を揺らしており、かすかな軋みがデスクに伝わってきた。 だが、それすらも気にならないほど、ステラは集中していた。彼の持ち込んだ新たな理論は、凄まじかったからだ。 ステラを始めとした次元管理局の研究員達が大学や専門機関で学んだ、次元に対する理論の遙か上を行った。 所々文法は怪しかったものの、計算は正確無比で、綿密に組み上げられた理論は納得出来る箇所ばかりだった。 間違いなく、グレンは天才だ。ステラは技術者としての嫉妬を感じながらも、彼に対する警戒心は解かずに言った。 「そんで、あんさんはうちに何をさせたいねん?」 ステラはホログラフィーモニターから目を上げ、星間犯罪者を見やった。 「それを理解出来たってことは、これから俺が言うことも理解出来るはずだぜ」 グレンはデスクから降りると、遊びを見つけた少年のような快活な笑顔を見せた。 「あらゆる宙域で発生した次元の歪み、及び次元震は、作為的に起こされた現象だ。自然現象なんかじゃない」 「そら、うちもそないなことを考えたこともあったで。神さんみたいなモンがおるかもしれないっちゅうこともな」 ステラはデスクの下で足を組み、グレンを見上げた。 「創造論ってやつや。昔っから言われとったことやし、科学的に有り得へんって証明されとるけど、全部が全部偶然とは思えへんこともあるんや。この間のアウルム・マーテルの件やって、なんや都合が良すぎるんや。確かに火星と木星の艦隊は全滅してもうたけど、地球は無事なんや。そこからして、まず都合が良すぎる。あれだけの規模の物体が現れたっちゅうのに、その程度の損害で済んだっちゅうこともや。他にも色々とあるけど、一番はあれやな」 「マサヨシ・ムラタ、だろ?」 得意げなグレンに、ステラは頷いた。 「なんでムラタはんだけ生き残るんか、不思議でしゃあないねん。十年前の次元震の時やってそうや。あの距離やと、サチコはんが次元の狭間に飲み込まれた拍子にムラタはんも飲み込まれてまうのが自然なんや。次元の歪みっちゅうもんは、それでなくともうちらの知っとる物理を無視しとるさかいに、距離なんか関係あらへんねん。そやのに、ムラタはんは無傷やった。今回もそうなんや。タルタロスにしたって、ケイオスにしたって、常識で考えて人間が勝てる相手やあらへんねん。そやのに、ムラタはんは生きとるんや」 「そうそう、そうなんだよねぇ」 グレンはうんうんと頷き、ゴーグルの奥で灰色の瞳を輝かせた。 「それに、俺からしてみればイグニスとトニルトスが生き残ったことも引っ掛かる。リリアンヌ号をハッキングして二人のカルテを見てみたが、いくら機械生命体だってあそこまでダメージを受けちまったら回復出来ねぇはずだ。だが、二人の中枢回路だけは何かに守られたかのように綺麗に残っていて、少し損傷はあったが大したことはなかった。それに、戦える状況にあったのがあの三人だけってのも妙だぜ。あの三人以外の誰かが戦ったらまずかった、ってことなのかもしれねぇ。俺は創造論なんて信じてねぇし、これからも信じる気はない。だから、高度な知性体が俺達を見ていて、事ある事に手を加えていると思っているんだ」 「そう考えると、色々と説明が付けられそうやけど、いっつも誰かに見られとるっちゅうのは面白うないなぁ」 「あちらさんが見てるのはキーパーソンだけだから、そんなに気にするほどのもんじゃないと思うぜ」 「雑魚認定されとるってのも、それはそれで面白うないなぁ」 「うん、それは解るぜ。俺が宇宙の中心になるべきだと常々思ってんだけどなぁ」 グレンは大袈裟なため息を吐いてから、話題を戻した。 「でも、一番解らねぇのが、なんで事の中心があの根暗野郎かってことなんだよな。それが解れば、もうちょっと俺も悪巧みのしようがあるんだけど、それが解らないんじゃなー…」 「それを知りたいから、うちのところに来るんやな?」 ステラが表情を強張らせると、グレンは両手を上げた。 「あったりぃー! だってだってぇ、俺はあの野郎の情報は知ってるけど細かいことは知らないんだもーん!」 「そないなことやったら、ムラタはん本人に聞けばええやんか」 「外堀から攻めるのが俺の趣味なの。あいつは趣味じゃないけど、今起きてることはマジ楽しいわけよ」 にたにたと笑うグレンに、ステラは顔を背けた。 「あんたなんか嫌いや」 だが、グレンは動じることもなく、余計に笑みを増していた。嫌われれば嫌われるほど、快感を感じるのだろう。 確かに、一連の事件の中心にマサヨシが立っている。どんな角度から検証しても、最終的には彼の名が現れる。 ステラも、彼に何かあるのでは、と疑っていた。けれど、マサヨシはごく普通の人間で、それほど特異ではない。 調べれば調べるほど深みに填ってしまう。グレンに接触するのも、事件に関する新しい情報を引き出すためだ。 案の定、グレンはステラの知らない情報を握っているようだったが、どこからどこまでが本当なのかが解らない。 グレンは息をするように嘘を吐く男だ。グレンに掛かれば、ステラを騙すことなど銃を撃つよりも簡単なことだろう。 だが、グレン以外のまともな情報源がない今、どんなに胡散臭く素っ頓狂な情報だろうと、受け止めるしかない。 「俺が導き出した超次元理論で計算した数値と、この辺一体の星図を重ねてみればー…」 グレンはゴーグル型の情報端末を操作し、壁一面のホログラフィーモニターに太陽系の星図を映し出した。 「超面白いことが解る」 ホログラフィーモニターに慣れ親しんだ惑星の図が浮かび上がると、立体的な映像に更に別の映像が重なった。 それは、ここ数十年で発生した次元の歪みと次元震の発生箇所であり、規模と出力に応じて色が変わっていた。 出力が弱ければ色も暗いが、強くなればなるほど赤くなる。だが、どの発生箇所も発生時期も共通点はなかった。 グレンがホログラフィーを操作すると、星図が回転し、平面になる。すると、全ての次元の歪みが一直線に並んだ。 「普通に真っ平らに見ただけじゃ何も解らないが、空間の特性に合わせてみるとよぉく解る」 グレンはホログラフィーモニターに近付き、演説のように続けた。 「元々、太陽系近辺の空間軸は不安定なんだよ。宇宙全体で見るとまだまだ未熟な種族だし、科学技術も未発達なくせにワープドライブなんてするもんだから、至る所にガタが来ちまっているんだ。だけど、それを知ったところでどうにか出来るわけじゃないから、次元管理局なんてものを作って糊口を凌いでいる。まあ、それはそれとして、問題はここなんだな」 グレンは、次元の歪みの上にまた別の映像を重ねた。 「あんたらによって修復されたり、空間の自己修復能力で修復しても、次元の歪み自体は消えちゃいないんだ。それどころか、時間が経つにつれて規模は拡大している。パイ生地みたいに何枚も何枚も重なり合って、太陽系どころか銀河全体に広がっている。だが、それも自然に拡大しているわけじゃない。何らかの存在が手を加えて、次元の歪みを広げているんだ。その証拠に、次元の歪みのレベルが一定なんだよ。ベッキーちゃんぐらいに正確で強力なセンサーじゃなきゃ、到底解らなかっただろうけどな。でもって、その次元の歪みのベクトルもまた一直線なんだよ。歪みの発生源がどれだけ離れていても、どんなに空間にガタが来ていても、最終的にはアステロイドベルトのある地点に至るんだ」 グレンが再度ホログラフィーを切り替えると二番目の映像が薄らぎ、太陽系の星図が前面に押し出されてきた。 複数の次元の歪みが収縮した点は、まるでレンズのようだった。だが、それは、次元を吸入するホールではない。 次元そのものが収縮し、裏側から拡大している。その中心は惑星でもなければ、恒星でもない、宇宙の塵だった。 アステロイドベルトの一点。そこに向かって全ての次元の歪みが収縮し、拡散し、銀河全体に広がりつつあった。 それは、マサヨシらの住む廃棄コロニーのある座標だ。だが、規模の広さ故に威力は低く、物理的な影響はない。 だから、彼らは何も気付いていないだろう。しかし、今は影響がないからと言って、このまま放置するのは危険だ。 「んで、その高度な知性体ってのは何なんや?」 ステラに問われ、グレンは両手を上向けた。 「それを調べるのがあんたらの仕事だろ? 俺、そこまで興味ないし」 「ほんなら、なんでこないなことをすんねん」 「言っちまえば、暇なんだよ」 グレンは両手を下ろすと、応接用のソファーにどっかりと座り込んだ。 「だって、俺様ってば不死身だし最強だし、この宇宙には敵らしい敵なんていねぇんだもん。でもって、大抵の犯罪はやっちゃったし、ギルちゃんはどれだけ誘っても釣れないし、だから飽き飽きしちゃってさぁ。新境地を開拓するには、異次元に行くのが手っ取り早いかなーって」 「アホちゃうか?」 「そうかもしれねぇな。俺の脳なんて、もう何度もギルちゃんに潰されてるわけだし?」 「ま、それはそれとして、情報として有益なのは確かやな」 ステラはデスクから立ち上がり、壁一面のホログラフィーモニターを見上げた。 「次元の歪みを完全に修復出来へんことぐらい、知っとるわ。所詮、うちらの科学技術なんて、宇宙全体からすれば大したことあれへん。そやけど、うちらはやれるだけのことをせなアカンねん」 「次元の均衡を狂わせているのが誰にせよ、何にせよ」 グレンはにやりと目を細め、悪意が凝縮した笑みを浮かべた。 「次元管理局としては、放っておくわけにはいかねぇよなぁ?」 犯罪者の言葉に耳を貸すほど、ステラは愚かではない。だが、次元の歪みを見捨てられるような立場ではない。 マサヨシは旧知の友人であり、仲間であり、同僚の夫だ。だが、彼と次元の歪みの関連性も見逃してはならない。 けれど、彼は次元に関しては大した知識を持っていないので、作為的に次元の歪みを広げているとは思えない。 となれば、別の存在が次元の歪みを広げているのだろう。しかし、彼の傍にいる者達は、いずれも奇妙な面々だ。 彼らの素性を調べるのは造作もないが、次元への干渉を調査するためにはそれなりの準備をする必要がある。 友人の家族を疑うのは心苦しいが、何もしないままでは、アウルム・マーテルのような存在が現れるかもしれない。 次は艦隊だけでなく惑星も犠牲になるかもしれない。手を打てる時に打っておかなければ、必ず後悔するだろう。 「…そやね」 ステラはグレンに向き直り、言った。 「あんさんがうちをどう動かしたいのか、読めへんわけやない。せやから、望み通りに動いたるわ。うちはムラタはんとその家族を調査する。それで、ええんやろ?」 「おおう、嬉しいねぇ! 俺の意志を汲んでくれて!」 「せやけど、それはあんさんのためやない」 ステラが一度目を伏せ、上げた時には、グレンの姿は消え失せていた。きっと、またテレポートでもしたのだろう。 アウルム・マーテルの一件以来、グレン・ルーは度々次元管理局を訪れては、ステラと言葉を交わすようになった。 無意味な雑談で時間を潰すことがあったかと思えば、専門的な言葉だけで会話を連ねることもあり、様々だった。 だが、グレンがどれほど親しく接してきても、ステラが心を開くことはない。利用されるのだから、利用するだけだ。 彼の意図は読めない。だが、目を逸らせない。自分はグレンの手駒の一つだと言うことなど、とっくに解っている。 けれど、動かずにはいられない。守れるはずの未来を、回避出来るはずの危機を、見逃すことなど出来なかった。 多少の犠牲は、覚悟の上だ。 08 10/10 |