二枚の板で、雪原を舞え。 山があるだけで、冬場の娯楽の幅は大きく広がる。 その代表はスキーである。それというのも、マサヨシがスキー以外のウィンタースポーツに興味がないからだ。 スノーボードも若い頃に一度だけやったことがあるのだが、どうしても性に合わなかったのでスキーに戻ってきた。 両足を固定していることがやりづらかった、というのもあるが、スノーボーダーはパフォーマンスが派手なのである。 大宇宙時代になっても形を変えて存在するスケートボードと同列なので、スノーボーダーも必然的にそうなってくる。 それが、妙に鼻に突いてしまった。なので、マサヨシは頑なに二枚の板を履き、宇宙とは違って堅実に滑っていた。 そして、今年もスキーシーズンが到来し、コロニーの自然環境を支えている山の斜面にはリフトが設営された。 もちろん、イグニスの収集したスクラップを改造して造った手製のリフトであり、ゲレンデの整備も戦士達の仕事だ。 雪面を平らに均すだけの作業が面白くなかったのか、トニルトスは終始不満を零しながらも丁寧に整備していた。 おかげで、今年は美しいゲレンデが出来上がった。トニルトスの几帳面さは、こういったところで役に立ってくれる。 スキーウェア姿のマサヨシは自分とハルのスキー板を担いで、山を見上げた。快晴なので、雪原が眩しかった。 マサヨシの足元では、ハルも眩しそうに目を細めている。その後ろに立つミイムは、満面の笑みを浮かべていた。 スキーウェアの隙間から出した尾を振り、金色の瞳を期待に輝かせ、滑らかなゲレンデをうっとりと見つめていた。 「ふみゅうん!」 「そんなにスキーが好きなのか?」 マサヨシは振り返り、サイコキネシスでスキー板とストックを背後に浮かばせているミイムを見やった。 「そりゃあもう! だってだってぇ、雪の上を滑るのってとおっても気持ちいいじゃないですかぁー!」 分厚い手袋を填めた手を組み、ミイムは白い頬をほんのりと染めた。 「ボクの国は冬が長いですからぁ、冬場の娯楽って言ったらこれなんですぅ。ちょっと名前と道具は違いますけどぉ、やることは同じなんですぅ。みゃっはぁーん、今日は思い切り滑っちゃいますぅー!」 「結構立派なもんっすねー」 ヤブキは感心しながら、ゲレンデを見上げた。その傍らで、アウトゥムヌスは小さく頷いた。 「斜面」 「わーい、スキーだぁ!」 ハルは白銀に輝くゲレンデを見上げ、はしゃいだ。 「場所が場所だからコースもほぼ一直線だし、傾斜も大して強くないから、練習しなくても出来るだろ」 マサヨシはスキー板を雪面に置いてストックを立て、長靴からスキーブーツに履き替えた。 「…え?」 ヤブキが声を裏返したので、マサヨシはブーツを履いた両足をビンディングに填めてから振り返った。 「ヤブキ、お前は出来ないのか?」 「そりゃオイラっすから、出来ることの方が少ないっすよ」 へらへらと笑うヤブキに、マサヨシは辟易した。 「スキーのやり方は授業で習わなかったのか? 体育の必修科目じゃないか」 「習ったことは習ったんすけどね、その頃はまだ生身だったんすよ」 ヤブキは笑いを残したまま、言いづらそうに言葉を濁した。 「だから、なんていうのかな、体が覚えてないんすよ。オイラ、頭じゃなくて体で覚える方だったっすから」 「まあ…そういうことなら解らないでもないが」 マサヨシはゴーグルを付け、ヤブキに向き直った。アウトゥムヌスはヤブキの背後に近付くと、その裾を掴んだ。 「無知」 二人の視線を注がれ、マサヨシは承諾せざる得ない状況に追い込まれた。これでは教えないわけにいかない。 ミイムを見やると、やはりこちらを見ている。ハルは早々に子供用の板を履き、純白のゲレンデを見上げている。 ハルのことは、若干不安だがミイムに任せておけばいい。彼のスキーの腕は解らないが、サイコキネシスがある。 その力があれば、大抵の危険は回避出来るだろう。全くの初心者をゲレンデに放り出す方が、余程危険なのだ。 「仕方ない」 マサヨシは自分の教授力にはあまり自信はなかったが、承諾した。 「今日一日、教えてやる」 「さっすがマサ兄貴っすー、話が解るっすー!」 途端に歓喜したヤブキの背後で、アウトゥムヌスが小声を発した。 「謝意」 その様をリフト乗り場から見ていたイグニスとトニルトスは互いに顔を見合わせたが、夏の出来事を思い出した。 夏、暇を持て余しすぎたためにサーフィンボードを作ったはいいが、そのせいで二度も問題を起こしてしまった。 そのことは、二人共心底反省している。後から考えてみれば、なぜあれほどにムキになったのか解らなかった。 イグニスとトニルトスが再会してから日が浅く、互いに敵意が剥き出しだったせいだが、大人げないにも程がある。 二人は揃ってそれを思い返していたので、特に何も提案することはなく、ゲレンデではしゃぐ家族に視線を戻した。 だが、退屈には変わりない。二人に与えられた仕事と言えば、ゲレンデを行き来するリフトの駆動ぐらいだった。 リフトを全て作ったのはイグニスだったため、駆動用の大型モーターまでは手が回らず、手動にしてしまったのだ。 なので、ワイヤーを回転させるためのモーターの代わりにハンドルが付いていて、それを回さなければ動かない。 それを行うのは、もちろんイグニスである。トニルトスはハンドルを見た途端に嫌がり、徹底的に拒絶したからだ。 人工の空には透き通った青が染み渡り、眩しい日差しで雪原は輝き、昨夜降ったばかりの新雪の質は最高だ。 今日は、絶好のスキー日和だ。 まずは、スキー板を履くところから始まった。 マサヨシは一度履いたスキー板を脱ぎ、ビンディングに上手くブーツを填められないヤブキの姿を傍観していた。 ヤブキの体重が重すぎるのと、スキー板のワックスが滑りすぎるせいで、スキーブーツを引っ掛けると滑るのだ。 ビンディングに右足のつま先を入れたら板が前方に動き、それを追っていくと左足がもう一方の板から遠ざかる。 これでは、イタチごっこだ。躓く部分が早すぎるんじゃないのか、とマサヨシは途方もない不安に襲われていた。 アウトゥムヌスは、とヤブキから視線を外すと、アウトゥムヌスは真正面から転んでいて、新雪に顔を埋めていた。 これも、もう三度目だった。長靴からスキーブーツに履き替えさせたまでは良かったが、そこから先がダメだった。 何度歩かせても真正面から転んでしまう。確かにスキーブーツは歩きづらいが、そこまでではないと思っていた。 真っ平らな地面は板のような靴底がぶつかってしまうが、柔らかな雪原は靴底が埋もれるので歩きやすいはずだ。 だが、彼女は転んでしまう。マサヨシはこの夫婦の未来を心底心配しながら、アウトゥムヌスを抱き起こしてやった。 「窒息するぞ」 マサヨシはスキーウェアを着ていても体重が驚くほど軽いアウトゥムヌスに若干戸惑いながら、立たせてやった。 「大丈夫。問題はない」 アウトゥムヌスは顔面と前髪とニット帽に貼り付いた新雪を払い、無感情に述べた。 「それよりも、ジョニー君」 アウトゥムヌスの指先が上がり、ヤブキを指した。マサヨシが振り向くと、ヤブキもまた真正面から転倒していた。 いつまでも足に入らないスキー板を追いかけるうちにバランスを崩したらしく、両手を放り出して雪に埋まっている。 それを見た瞬間、マサヨシは変な笑みが出た。普段はそうでもないのだが、変なところだけが夫婦らしい二人だ。 ヤブキはストックを持った両手を伸ばし、上体を起こすと、頭を振って貼り付いた雪を払ってから起き上がった。 だが、また転んだ。原因は、右足だけ履いているスキー板で、右足がいきなり前に滑り出てしまったからであった。 背中から転倒しているヤブキは、情けなく両足を上げていた。マサヨシはヤブキに近付き、真上から見下ろした。 「大丈夫か?」 「うへ」 ヤブキは照れ笑いを零してから、自力で起き上がった。 「なんか、こういうのって、ちょっとアレっすね」 「具体性に欠ける」 スキーブーツをがこんがこんと鳴らしながら、アウトゥムヌスが危なっかしい足取りで近付いてきた。 「なんて…言うのかなぁ」 ヤブキはマサヨシの手を借りて立ち上がり、右足のスキー板を外してから、がりがりとマスクを引っ掻いた。 「オイラって、ほら、親がアレだったじゃないっすか」 ヤブキの説明はまたもや抽象的だったが、アウトゥムヌスの言及はなかった。彼女も事情を知っているからだ。 マサヨシも、掘り下げるつもりはなかった。ヤブキは珍しく言葉に詰まっていたが、少々気恥ずかしげに言った。 「だから、まともに家族で遊びに行ったことなんてなかったんすよね」 ヤブキはミイムとハルが滑走しているゲレンデを、眩しげに仰いだ。 「ダイアナが大きくなったら、どこへ行こう、何をさせよう、って考えてはいたんすけど、それを実行する前にオイラもダイアナも死んじゃったっすから、思い出らしい思い出がないんすよ。そのせいかもしれないっすけど、なんか、めっちゃ嬉しいんすよね。まだ滑れてもいないってのに」 「だったら、滑れるように練習しろ。まずはスキーを履いて立てるようになれ。そうしたら、もっと楽しくなるぞ」 マサヨシが笑むと、ヤブキは少年のようにはしゃいだ。 「当然っすよ当然! 立てるようにならなきゃ、滑れないっすもんね!」 「アウトゥムヌスも、転ばないように歩くことだな。スキー板に辿り着けなきゃならん」 マサヨシの言葉に、アウトゥムヌスは僅かに視線を逸らした。 「…既知」 「みゃっはーう!」 ゲレンデに、甲高い歓声が響き渡った。滑走してきたミイムは三人の元に接近すると、雪を削りながら制止した。 「そっちの様子はどうですぅ、パパさん? ボクの方はとおっても絶好調ですぅ!」 ミイムは本当にスキーが楽しいのか、白い息を弾ませている。長い尾も、千切れそうなほど振り回している。 「言うだけのことはあるな」 マサヨシはミイムの滑りを素直に褒めると、ミイムは誇らしげに胸を張った。 「そりゃあそうですぅ、ボクの星の冬は長いですからぁ、その間の娯楽なんて雪の上で遊ぶぐらいしかないんですからぁ、上手くもなりますぅ」 「サイコキネシスとか使ってないっすか?」 不審げな視線を向けてきたヤブキに、ミイムはすかさず雪の塊をサイコキネシスで投げ付けた。 「失礼なこと抜かすんじゃねぇぞタクランケですぅ! サイコキネシスなんか使って滑ったら、スキーの楽しさが八割減なんだよアホンダラですぅ! 人に文句言う暇があったらシャキシャキ練習しやがれ底辺野郎ですぅ!」 ミイムは長い髪をなびかせ、あっという間にリフト乗り場に滑っていった。今度ばかりは、ミイムの言う通りである。 ヤブキもそう思ったのか、無言で貼り付いた雪を払った。ミイムは、イグニスにリフトを動かすようにと頼んでいた。 だが、イグニスはすぐに動かそうとはせず、ミイムの背後を指した。ハルが到着するまで待て、と言っているようだ。 ハルは子供ながら器用に滑ってくると、速度を落として三人に手を振ってから、リフト乗り場に向かって滑走した。 先に行ってしまったミイムに文句を言ったが、ミイムが平謝りすると、ハルはミイムの手を引いてリフトに向かった。 「ていうか、なんでハルはあんなに上手いんすか?」 ヤブキは手動リフトに乗ってゲレンデを昇るハルを見上げ、首を捻った。 「さあな」 マサヨシはヤブキに倣い、ミイムと並んでリフトに乗る娘を見上げた。 「別に大したことは教えていないし、覚えたのも去年からだ。きっと、子供だから物覚えが良いんだろう」 「ま、それもそうっすね」 ヤブキは雪面に並ぶ二枚のスキー板と向き直ると、足を挙げた。 「では、今度こそ!」 「力むから滑るんだ。力まなきゃ、敵も逃げない」 マサヨシがヤブキの背に言葉を投げると、ヤブキはストックを持った手で敬礼した。 「了解っす!」 すると、ヤブキは頼りないくらい力を抜いて、板に足を差し出していた。やることなすことが、いちいち極端だ。 下手に口出しすると余計に上手く行かなくなると思い、マサヨシが傍観していると、右足はビンディングに填った。 次は左足だが、またも力を抜いて入れようとしている。しかし、スキーを履いて片足立ちが難しいのか、よろけた。 そこで初めてストックの存在に気付いて、力強く二本のストックを雪面に突き立て、なんとかバランスを保った。 そして、左足をビンディングに填めた。直後、ヤブキは両手を挙げて歓喜したが、そのせいでバランスを崩した。 ヤブキは大きく仰け反りながら倒れたが、スキー板だけは無事だった。今までが今までだけに、彼も必死なのだ。 スキー板の付いたブリッジのような態勢のヤブキは、妙に勝ち誇った態度で親指を立てて、マサヨシらに向いた。 マサヨシがアウトゥムヌスを見やると、ぽんぽんと手袋を填めた手を打ち合わせ、静かに夫の快挙を祝っていた。 アウトゥムヌスはヤブキに近寄ろうとしたが、スキーブーツのつま先が雪に取られ、またもや真正面から転倒した。 進歩しているようで、全く進歩がない。マサヨシは今日中に二人を滑れるように出来るのか、心底不安になった。 この分では、スキー板を履いて歩けるようになることすら怪しい。けれど、やってみなければ何事も出来ないのだ。 極上の笑顔を振りまきながらスキーを満喫しているミイムとハルが羨ましかったが、今日の仕事は二人の特訓だ。 ふと、ガンマの視線に気付いた。三人と距離を置いて浮かんでいる彼女の無機質な瞳が、こちらに向いていた。 マサヨシはガンマに手を差し伸べると、ガンマはマサヨシの手元に近寄ってきたものの、肩の上には来なかった。 伸ばした手を下げることが、やけに辛かった。 08 10/13 |