アステロイド家族




ユア・マイ・フレンド



 守るべきは、友か、宇宙か。


 軍人は、命令には逆らえない。
 最前線で戦う者に決定権は与えられない。与えられるのは武装と、それを用いるための厳しい訓練だけだ。
それ以外に何もないのだと、改めて思い知る。上官から渡されたファイルを睨んで、レイラは思い悩んでいた。
 この作戦の重要性は理解している。太陽系、引いては銀河系全体を守るために不可欠な作戦なのだ、とも。
自分でなければこの役割はこなせないということも、これ以上の犠牲と被害を出さないためにも必要だ、とも。
しかし、これは、彼に対するひどい裏切りだ。かつての上官である以前に、彼はレイラの大切な友人の一人だ。
こんなこと、出来るわけがない。したいわけがない。レイラはファイルをデスクに投げ捨て、デスクを殴り付けた。

「立案者は」

 拳を固めるレイラに、彼女にファイルを渡したラルフは躊躇ったが呟いた。

「局長だ」

「…信じられない」

 レイラは顔を歪め、吐き捨てた。

「局長は、ステラは、サチコの親友じゃないですか。どうしてこんなことが出来るんですか」

「俺もそう言った。だが、あいつは変わったんだ」

 ラルフは心苦しげにため息を吐き、事務的に述べた。

「しかし、この作戦の有効性は高いことも事実なんだ。お前でなければ出来ないんだ、レイラ」

「確かに、次元の歪みを放置すれば、次元と空間そのものが崩壊する危険性はありますが、他の手段も」

「ないんだ。ないから、こうするしかないんじゃないか」

 ラルフは肩を怒らせ、レイラに背を向けた。

「俺だって、納得したわけじゃない。マサには本当に悪いと思う。だが、これしかないんだ。これ以上は、何を言っても言い訳にしかならないがな」

 仕事がある、と言い残し、ラルフはレイラのデスクから離れた。レイラは彼を追うこともせず、椅子に座り直した。
今までにも、納得出来ない作戦を言い渡されたことはある。だが、戦うだけの軍人には、納得する必要などない。
作戦を全うし、戦果を上げる。殺せと言われたら殺し、奪えと言われたら奪い、滅ぼせと言われたら滅ぼすだけだ。
レイラは鉛を詰め込まれたように重たい心中を緩めるために息を吐き、デスクのフォトフレームに視線を投げた。
 十一年前に撮影された立体画像が、浮かび上がっていた。若き日のマサヨシ、レイラ、ステラ、そして、サチコ。
マサヨシは気恥ずかしげに視線を外し、ステラはレイラとサチコを抱き寄せて笑み、レイラはぎこちなく笑っている。
サチコはほんのりと頬を染め、はにかんだ笑みを向けていた。確か、これを撮影したのはラルフだったはずだ。
長期間に渡る次元探査を終えて次元管理局に帰還したことと、紡がれ始めた友情を記念する、一枚の画像だ。
 あの頃は、皆、このままだと思っていた。目指す道は果てしなく、昇り始めた階段はきつく、だが満ち足りていた。
けれど、時間が過ぎれば誰もが変わる。サチコは死に、マサヨシは惑い、ステラは友人を犠牲にしようとしている。
ならば、レイラはどうするべきなのだ。軍人としての自分と、友人としての自分の狭間で、心が大きく揺れ動いた。
 だが、逃げ出すことは決して許されない。




 予想外の来客が訪れるのは初めてではない。
 カイル・ストレイフとリリアンヌ・ドラグリオンの新婚夫婦、ギルディーン・ヴァーグナーとその妻などの前例がある。
だが、今度は驚きが違う。マサヨシは寝起きの頭を覚醒させるべく瞬きを繰り返し、リビングのソファーを凝視した。
見慣れてはいるが、この家では見慣れない軍服を着た、小柄で童顔だがその外見に反比例した実力の持ち主。
 統一政府宇宙軍少尉、レイラ・ベルナールだった。その向かい側のソファーにはミイムが座り、もてなしていた。
レイラは気後れすることもなく、悠々と熱いコーヒーを傾けていたが、マサヨシに気付くとカップを置いて敬礼した。

「おはようございます、中佐」

「事前連絡はなかったが」

 マサヨシが訝りながらリビングに入ると、レイラは朝食のメニューと思しきトーストを囓った。

「しましたよ。でも、中佐の応答がなかったんです」

〈事実です、マスター〉

 マサヨシの背後に浮かんでいたスパイマシン、ガンマが機械的に報告した。

〈太陽系標準時刻午前四時二十二分十一秒に、レイラ・ベルナール少尉より亜空間通信が入っています〉

「ガンマ、お前は俺にそれを伝えたのか?」

〈当然です。ですが、十五回のコールを行ってもマスターは目覚めませんでした〉

「なるほどな」

 俺が悪いのか、とぼやきながら、マサヨシはレイラに近付いた。

「それで、何の用だ。簡潔に説明しろ」

「では」

 レイラは立ち上がると、軍用情報端末を取り出してホログラフィーを展開した。

「この廃棄コロニーの実態調査を命じられまして」

 ホログラフィーには、確かにその旨が書き記されており、廃棄コロニーへの立ち入りと調査の許可証もあった。
だが、マサヨシの方には連絡は来ていない。抜き打ち調査なのだろう。しかし、レイラを回してくる意味が不明だ。
普通なら、軍部からの捜査官を派遣するはずだ。少なくとも、戦闘が専門分野であるパイロットは回してこない。

「だが、それは表向きだろう。本当の狙いは何なんだ、レイラ?」

 マサヨシがレイラに詰め寄るが、レイラは眉一つ動かさなかった。

「民間人への任務内容の口外は服務規程違反です」

「お前も偉くなったもんだな」

 マサヨシは毒突いてから、リビングを出た。

「顔を洗ってくる」

 洗面所に向かって歩き出したマサヨシは、リビングから聞こえるミイムとレイラの話し声に注意を向けていた。
どう考えても、裏がある。この三年近く、統一政府はこの廃棄コロニーの使用に関して何も言ってこなかった。
 この廃棄コロニーに住み始めた当初、マサヨシも調べたのだが、何の目的で作られたのか全く解らなかった。
廃棄コロニーのコンピューターのメモリーも消去され、プログラムも初期化され、ハル以外の何もなかったのだ。
だから、問題がないと判断してハルと共に住み始めた。問題があると知っていたら、とっくに住居を変えている。
 冷たい水で顔を流すと、頭が冴えてきた。レイラを動かしている者がいるとすれば、それはステラに違いない。
ステラの立場と権力なら、あの令状を出すことも可能だ。だが、一体何のために。ここに、何かあるというのか。
だが、ここに何もないことはマサヨシが一番良く知っている。マサヨシが考え込んでいると、背中に声が掛かった。

「来客?」

 アウトゥムヌスだった。同じく寝起きだが、こちらは髪も顔付きも整っていた。

「そうだ」

 タオルで顔を拭ったマサヨシがリビングを指すと、アウトゥムヌスは瞬きし、長い睫を震わせた。

「大丈夫。問題はない」

「どういう意味で、だ?」

「現状では」

「ということは、この先は危険だということか」

「あなた次第」

 アウトゥムヌスはぺたぺたとスリッパを鳴らしながら、リビングに向かった。

「おはようっす、マサ兄貴!」

 続いて一階に降りてきたヤブキは、マサヨシに威勢良く挨拶してから、愛妻の背を追った。

「むーちゃあん! 今日も朝から可愛いっすよー!」

 朝から弛緩しきったヤブキの言動に生温い気持ちになっていると、マサヨシのズボンの裾が引っ張られた。

「ぱーぱぁ」

 今度はハルだった。既に着替えているハルは、丸っこい目でマサヨシを見上げている。

「ママと一緒にいるお姉ちゃん、誰?」

「俺の昔の部下だ」

「パパのお友達?」

「ああ」

 マサヨシが頷くと、ハルは快活に笑った。

「じゃ、私もお友達だね!」

 ハルはマサヨシから離れて、足早にリビングに向かった。だが、レイラがハルのような子供を好くとは思えない。
どちらかと言うと、子供が苦手そうだ。リビングを覗くと、案の定、レイラはハルにまとわりつかれて困っていた。
愛想笑いを浮かべているが、明らかに扱いに慣れていない。ミイムはと言えば、微笑ましげに見ているだけだ。
キッチンでは、ヤブキとアウトゥムヌスが手を離せないミイムに代わって朝食を作り始め、窓の外には二人がいる。
マサヨシは着替えるために一度自室に戻ったが、ガンマは一階の廊下に残して、情報端末から映像を見続けた。
 レイラは、リビングの窓の外にいる二人と会話を交わしていたが、イグニスとトニルトスはやりづらそうだった。
無理もない。アウルム・マーテルの一件では完全な敵同士で、イグニスに至ってはレイラを殺しかけたのだから。
 二人は人間に対する差別意識が完全に消えたわけではないし、レイラの表情も硬く、彼女も遺恨があるようだ。
だが、レイラは今日は任務だと割り切っているのか、声を荒げることも敵意を向けることも毒を吐くこともなかった。
彼女の軍人としての誇りを垣間見ると同時に、切なくもなった。任務で来ている以上、彼女は友人ではないのだ。
だから、気を許すわけにはいかない。マサヨシは私服の下に熱線銃を差して、足にはナイフのホルダーを巻いた。
 本当なら、こんなことはしたくなかった。かつては命を預けるほど信頼していた仲間を、疑うことになるのだから。
しかし、レイラの真意が読めない今、疑うしかない。ガンマの伝えてくる映像の中で、レイラは笑っていなかった。
当たり障りのない言葉を並べ、笑みのように見えるが感情のない表情を浮かべ、戦闘状況中の彼女の顔だった。
真っ向から、突っかかるつもりなのだ。マサヨシはレイラに対する複雑な感情を振り切りながら、自室を後にした。
ならば、こちらも回りくどい真似はしない。マサヨシはリビングに入ると、レイラの前に立ち、敢えて階級で呼んだ。

「少尉」

 レイラを見下ろしたマサヨシは、冷ややかに言い放った。

「俺に何を話させたい?」

「まあ、色々とありますけど」

 レイラは動じることもなく、外を示した。

「行きたい場所は一つだけですね」

「解った。案内してやる」

 家から出るべきだと思っていたので、都合が良い。マサヨシはレイラをリビングから出してから、皆に言った。

「そういうわけだから、朝食は後で喰う。残しておけよな」

「え、喰っていかないんすか?」

 焼き上がった目玉焼きを人数分の皿に載せていたヤブキは手を止め、ソファーの上でハルがむくれた。

「やだぁ、パパもレイラ姉ちゃんも一緒がいいー」

「でもぉ、パパさんがそう言うんだったらそうしますぅ。ヤブキが喰わないようにボクがお守りしますぅ」

 みゅふーん、と微笑むミイムに、マサヨシは手を振った。

「ありがとな」

 ジャケットを羽織ってブーツに履き替え、玄関から出た。リビングを覗いていた二人は、すぐに二人に反応した。
イグニスはマサヨシに近付こうと腰を上げたが、トニルトスが彼を制したので、マサヨシは二人に笑みを見せた。

「心配するな。すぐに戻る」

 イグニスは何か言いたげだったが、素直に引き下がり、トニルトスはイグニスを制する手を下げて身を引いた。
彼らなりに、マサヨシのことが心配なのだろう。その気持ちをありがたく思いながら、歩きづらい雪道を歩いた。
レイラも革製のブーツを履いているが、タイトスカートなのでマサヨシよりも歩きづらいらしく、歩調が遅かった。
 マサヨシが振り向くと、レイラは少し不愉快げに眉根を曲げてから、柔らかな新雪を蹴散らしながらやってきた。
レイラが追い付いてからマサヨシは歩調を緩め、彼女と並んで真っ白な道を歩きながら先程の会話を再開した。

「レイラ。お前は何を知りたいんだ?」

「アステロイドベルトの端に浮かぶこの廃棄コロニーに、中佐や他の皆さんを集めた人物が目覚めた場所です」

 レイラの眼差しから、温度が失せる。

「知っていますよね?」

「それを知ってどうなる。そこに何もないことを知っているのは、この俺なんだぞ?」

「情報の有無を決めるのは中佐ではありません。我々です」

 レイラの口調に淀みはなく、躊躇いもなかった。マサヨシはそれ以上何も言わずに、黙って雪道を歩き出した。
次元管理局の思惑を炙り出すためには、レイラの要求に愚直に従って、レイラの行動を逐一監査するしかない。
 マサヨシには何も解らない。ハルが眠っていたコールドスリープのポッドには、本当に何もなかったのだから。
ハルの名を示すプレートもなく、ハルの素性を記したデータもなく、ハルの過去を匂わせるものは一つもなかった。
 あのポッドは、過去を持たない少女の唯一の過去だ。そこに何があるのかマサヨシも興味がないわけではない。
しかし、知りたいわけではない。一家の中心であり、皆を繋ぎ合わせる歯車である、ハルの過去を暴くのは怖い。
ハルがいてくれたからこそ、困難が起きても関係が壊れずに続いていた。だが、肝心のハルを失ってしまったら。
 この家族は成立しなくなる。







08 10/21