アステロイド家族




ユア・マイ・フレンド



 深い雪を掻き分けて進んだ先に、それは在った。
 白く重たい積雪に覆われた円筒が、地面から生えていた。輪郭は柔らかく包み込まれ、本来の姿は解らない。
周囲の細い木々には決して馴染まない、異物だった。この分では、ポッドの中だけでなく機能も凍っているだろう。
全長は1.5メートル程度で、直径は1メートル弱の物体だ。マサヨシは雪を蹴散らしながら、娘の棺に近付いた。
 防寒用手袋を填めた手で、円筒の表面の雪を払った。その下から現れたパネルの奥は空虚で、寒々しかった。
薄暗い影に沈んだ円筒の内部は娘を見つけ出した時となんら変わらず、生体培養液の名残がこびり付いていた。
ハルと名付けられる以前の少女の頸椎と脊髄に接続されていた三本のケーブルが、だらりと垂れ下がっていた。
透き通ったパネルも凍り付いており、マサヨシの手の体温で少しばかり溶けたが、程なくして白く曇ってしまった。

「お望みのモノはこいつだな、レイラ」

 マサヨシはレイラに振り返り、ポッドを叩いた。

「案内して下さって、どうもありがとうございました」

 レイラは敬礼してからマサヨシの足跡を辿ってポッドに近付き、自身の身長と大差のない長さの円筒を眺めた。
やはり手袋を填めた手で雪を払い除け、その姿を露わにした。雪の下から現れた外装は、艶やかな銀色だった。
後部にはコールドスリープを行うためのコールドタンクを差し込むスペースがあるが、今は何も入っていなかった。
ポッドのハッチ付近にある外部操作パネルを見つけたレイラは、それを何度か叩いてみたが、反応はなかった。

「バッテリー切れかな」

 レイラは軍用情報端末を取り出すと、ケーブルを伸ばして操作パネルの下部に差し込み、エネルギーを移した。
数秒後、電子音が響いた。外部操作パネルに光が戻ると、その部分からホログラフィーモニターが展開された。
レイラはホログラフィーモニターに手を伸ばし掛けたが、止めた。並べられる文字は、第一公用語ではなかった。
第二公用語でもなければ、人類の生み出した言語とも違う。文字の形状に近しいものは感じるが、読み取れない。

「何語ですか、これ」

 レイラが顔をしかめると、マサヨシは肩を竦めた。

「だから言っただろう、ここには何もないと」

「翻訳ソフトに掛けてみましたか?」

「当然だ。だが、何度やっても解析出来なかったんだ」

 マサヨシはレイラに並び、ホログラフィーモニターを覗き込んだ。

「レイラ。ステラは、ここに何があると思っているんだ?」

「私は一兵士に過ぎませんから、その辺の事情までは伝わってきていません」

 ホログラフィーモニターを閉じたレイラは事も無げに返し、マサヨシを見上げた。

「局長は、いえ、ステラは、ここ最近グレン・ルーと接触しているようなんです。中佐も知っての通り、グレン・ルーは悪名高すぎて青天井どころの騒ぎじゃない星間犯罪者ですから、堅気も堅気の次元管理局になんて接触するだけ無益だと思うんです。研究資金も大して多くないし、人材はそこそこだけど、グレン・ルーの興味を引く分野じゃないと思うんです。ですが、裏があるのは確かですし、ステラは間違いなくグレン・ルーに利用されています」

「その延長で、ここに派遣されたってわけか」

「どう考えてもそうなんです」

 レイラは軍人然とした表情を崩さずに、だが、僅かに声を沈めた。

「サチコが死んで中佐が退役してからの十年の間に、ステラは随分偉くなりました。もちろん、ステラが努力して局長になったことは良く知っているし、ステラは科学者としての才能に溢れています。けれど、アウルム・マーテルの一件以来、ステラの行動がどんどん過激になってきたんです。太陽系内の次元調査の頻度を上げただけじゃなく、次元修復装置の出力も従来の百倍近くにまで引き上げさせました。理論上ではぎりぎり安全なレベルですけど、理論上に過ぎませんからね。あれだけの大事の後では不安になるのも解りますし、統一政府からも色々と求められているからなんでしょうけど、以前のステラだったら考えられないことばかりなんです」

 レイラは軍帽を脱ぐと、胸に当てた。

「けれど、私には何の力もありません。それなりに機動歩兵を操れますけど、中佐みたいにずば抜けた才能はありませんし、ラルフ隊長みたいに統率力もありませんし、未だに少尉止まりです。ステラに意見しようにも、情報が足りなさすぎて何をどう意見したらいいのかすら解らないんです」

「俺もそうだ。お前が来て、何かまずいことになっているとは思ったが、何がどうまずいのかすら解らん」

 マサヨシが首を横に振ると、レイラは白いため息を吐いた。

「中佐は事の中心にいるはずなのに、何も解らないって、物凄く変ですよね」

「ああ。正直言って気色悪い」

 マサヨシは娘の眠っていたポッドに向き直り、あの日を思い起こした。二年前というより、三年前弱の出来事だ。
宇宙海賊との戦闘の末、スペースファイターを破損したマサヨシとイグニスは、やむを得ず小惑星に不時着した。
ただの岩石だとばかり思っていた小惑星にはカタパルトがあり、中には過剰に成長した植物が生い茂っていた。
宇宙の片隅に浮かぶ、忘れられた空間だった。でたらめな森の奥で冷たい眠りに付いていたのが、今の娘だ。
それからの日々は、満ち足りていた。ハルの過去を暴き、ハルの真実を知ってしまえば、この日々は崩れ去る。
 ハルは生体改造体だ。その骨格はカルシウムではなく、正体不明の金属で出来ていて、決して成長出来ない。
知能は高くもなければ低くもない、ただの子供だ。屈託のない笑みを見せ、皆に好意を振りまき、愛されている。
 それは、ハルが何も知らないからだ。ハルは過去を持っていないから、重く苦い過去を持つ皆から愛されている。
思い出すだけで激痛に襲われる過去を隠し持つ面々は、何も背負っていないハルにおのずと救いを求めている。
それは、マサヨシとて同じだ。ハルに愛されることで、ハルを愛することで、妻と子への贖罪の真似事をしている。
 その先に何もないと解っていても、そうせずにはいられない。今を生きるためには、痛みから逃れる術が必要だ。
ハルはマサヨシが積み重ねてきた嘘の最初の犠牲者であり、嘘を吐かせた張本人であり、最も哀れな少女だ。

「レイラ」

 マサヨシは上着の内側に手を差し込み、熱線銃を抜き、レイラの額に据えた。

「ここで俺に殺されてくれないか」

 額を抉る銃口の感触に、レイラは動じることはなかった。

「確かに、今、私を殺せばこのコロニーの調査は成立しませんし、私が死んだとなればステラの目も覚めるかもしれません。ですが、ステラの目が覚めなかったら調査は続行されるでしょうし、次は今日のようには行きません。機動歩兵で突っ込んでくるでしょうし、場合によっては全員殺されます。それでもいいと言うのなら」

 レイラは熱線銃の銃身を掴み、心臓に銃口を向けさせた。

「中佐の手で、どうぞ私を殺して下さい」

「…参ったな」

 マサヨシは熱線銃の引き金から指を外して銃口を下げ、苦笑いした。

「俺よりも男らしくて参っちまう」

「おかげで、未だに嫁のもらい手どころか男の気配すらありませんけどね」

 レイラは苦笑いしたが、すぐに表情を固めて敬礼した。

「では、中佐。私は調査を続行して構いませんね?」

「調べるだけ調べろ。だが、その代わりにお前の持つ情報を俺に流してくれ。何が起きているのか把握するためには必要なことだからな」

 マサヨシは熱線銃をホルスターに戻すと、両手を防寒着のポケットに突っ込んだ。

「報酬は何がいい?」

「そうですねぇ…」

 レイラは軍用情報端末を操作し、コールドスリープ・ポッドのデータをコピーしながら考えあぐねた。

「まずは、熱いコーヒーが欲しいです。トーストをもう一枚と、半熟の目玉焼きと、フルーツサラダと、野菜がたっぷり溶け込んだクリームスープと、恐らくは夕食の残りであろうすき焼きと…」

「うちの冷蔵庫の中身じゃないか」

 マサヨシが変な顔をすると、レイラはにやりとした。

「中佐が起きるまでの間に、随分とうち解けましたから。しっかし、中佐は幸せですねぇ。ミイムちゃんもヤブキ君も料理が上手いし、心強い仲間が二人もいるし、ハルちゃんは可愛くてむーちゃんは綺麗だし、言うことないじゃないですか。今も昔もリア充ですよ、超リア充」

「まあ…な」

 照れ臭くなったマサヨシが言葉を濁すと、レイラは悪びれずに言った。

「やっぱり、打ち解けるには共通の人物の過去を暴露するのが一番ですね」

「…は?」

 一体何を言い出すんだ、とマサヨシが戸惑うと、レイラはストラップが付いた私物の情報端末を取り出した。

「以前、ラルフ隊長から奪い取った、中佐の学生時代の映像と画像をお見せしたんですよ」

「はあ!?」

 目を剥いたマサヨシに、レイラはにんまりした。

「いやぁ、中佐も可愛い時代があったんですねぇー。特にハイスクール時代なんて絶品でした。学園祭の定番中の定番、男子学生による女装コンテストに優勝した時の映像とか、始めてみたはいいけどFのコードが押さえられなくて引けず終いに終わったギターとか、若さ故に校則違反をやらかしちゃって謹慎中にも関わらず遊び呆けていた時の写真とか、手を繋ぐどころか声も掛けられずに自己完結した初恋の先輩とのツーショットとかー…」

「ラリーの野郎…」

 マサヨシは怒るよりも先に強烈な羞恥に襲われ、顔を押さえて項垂れた。

「中でも私が好きなのは、中佐がパイロットを目指してスペースファイターの訓練を始めたはいいけど、調子に乗りすぎて訓練機をコロニーの外壁に激突させちゃった後の懲罰訓練の辺りでしょうか」

 レイラの並べる言葉の一つ一つに忘れたい過去が甦り、マサヨシは悶えた。

「頼む、それ以上言わないでくれ!」

「フライトシミュレーターのハイスコアを塗り替えすぎて、殿堂入りどころか除名されたとか」

「頼むから、本当に頼むから! 冷蔵庫の中身はなんでも喰わせてやるから!」

「スペースファイターに慣れてきた頃の演習で、教官を煽りすぎてマジ切れさせちゃってリアルに撃墜されたとか」

「お願いだから、思い出させないでくれ!」

「指揮官養成プログラムの最中に、うっかり指揮をミスって味方どころか基地も全滅させちゃったとか」

「やめろぉレイラァー!」

 マサヨシは本気で泣きたくなり、彼女に背を向けて座り込んだ。毎度毎度、表情が読めないが行動も読めない。
ミイムとは初対面のはずなのに、妙に仲良くなっていたと思ったら、マサヨシという共通点を利用していたようだ。
 二十年前の出来事を掘り返されると、恥ずかしすぎて変な汗が出る。過去の自分を殴り飛ばしたくなってしまう。
レイラの上官でありマサヨシの同期であるラルフ・クロウ大尉は学生時代からの友人なので、知っていて当然だ。
だが、知りすぎている。確かに、血の気が有り余っていた頃には、ラルフや他の友人と共に馬鹿なことをやった。
しかし、それを記録されていたとは。ラルフは昔から几帳面だったが、そんなことにまで気を回さないでほしかった。
 今度会ったら、ラルフを叩きのめしてやる。マサヨシは二十年来の友人に敵意を抱きながら、元部下を睨んだ。
レイラはいつもの無表情に戻り、淡々とデータのコピーを行っている。打ち解けるにしても、手段を選んでほしい。
おかげで、先程までの深刻な気分が完全に吹っ飛んでしまったが、ありがたくないどころか逃げ出したくなった。
 初めて、家に帰るのが恐ろしくなった。




 次元管理局に戻ったレイラは、局長室に呼び出されていた。
 薄暗い局長室の背景は、無数の星々が煌めく宇宙だ。その窓の前に横たわるデスクに、ステラが向かっていた。
背もたれの深い椅子に腰掛けたステラは、デスク上のホログラフィーモニターに連なっている文字列を追っていた。
それは、例の奇妙な言語だった。ステラもやはり読み解けないらしく、難解げに眉根を曲げて視線を動かしている。
 レイラはホログラフィーモニター越しに、ステラの表情を窺っていた。真剣そのものだが以前よりも強張っている。
それが、ますます不安を掻き立てられる。レイラは友人として彼女を心配すると共に、上司としても心配していた。
元々忙しい立場だが、この数週間根を詰めている。局長室に泊まり込んでいるのか、私物が至る所に落ちている。
薄暗い照明も相まって、顔色も良くなかった。ステラは何度も何度も文字列を視線でなぞっていたが、唇を開いた。

「グレンやったら、こいつを解析出来るかもしれへんな」

 部下や友人のように星間犯罪者の名を口に出したステラは、レイラを一瞥した。

「そのグレンから、三日後にムラタはんがコロニーを留守にするっちゅう情報が入っとるんや。そこが狙い目やで」

「と、言いますと」

「決まっとるやろ。あの作戦を実行するんや」

 ステラはホログラフィーモニターを閉じてから、レイラを見上げ、目を細めた。

「廃棄コロニーを襲撃し、複数の次元を重ね合わせて次元の歪みを引き起こしとる装置を破壊するんや」

「ですが、あのコロニーには何もありませんでした」

「あったやないか。あのポッドが」

 ステラは背もたれに体重を預け、長い足を組んだ。

「レイちゃんに持たせといた軍用情報端末が探知してくれたんや。あのポッドこそが、次元の歪みの発生源やっちゅうことをな。うちの計算やと、次元の歪みを拡大させとる中心点を破壊してまえば、折り重なっている次元も乖離するはずなんや。元々馴染むはずのない次元同士が接近していたんやから、次元震が起きてしもうて当然なんや。せやから、次元同士を無理矢理繋げとるモンを壊してまえば、全部元通りになるんや」

「ですが、それは」

「レイちゃんは何も考えんと、うちに言われたことをやっとるだけでええねん」

「ステラ…」

 レイラは悔しさに駆られたが言い返すことも出来ず、引き下がった。

「うちはムラタはんを殺す気はないねん」

 ステラはデスクの隅からカップを取り、冷め切ったコーヒーを呷った。

「だから、他の人達はどうでもいい、と?」

 レイラが俯くと、ステラは素っ気なく返した。

「昔からの友達は大事や。そやけど、太陽系と宇宙はもっともっと大事なんや」

 ほんならまた後でな、とステラに局長室から追い出され、レイラは通路に出たが、その場に立ち尽くしてしまった。
マサヨシがいない間に、家庭を壊さなければならない。レイラが、次元の歪みの発生源を突き止めてしまったから。
やはり、あの時、マサヨシに殺されておくべきだった。或いは、今、局長室に殴り込んでステラを倒すべきだろうか。
だが、そのどちらも出来なかった。二人はレイラには掛け替えのない友人であり、今まで何度も助けられてきた。
殺されても、殺しても、何の解決にもならない。レイラは通路の壁を力一杯殴り付けたが、拳が痛むだけだった。
 サチコの死によって噛み合わせがずれた歯車は、そのまま回り続けている。そして、今、崩壊しようとしている。
友達だから、友達なのに、友達だけど。様々な思いを胸中に巡らせながら、レイラは滲みかけた涙を拭い去った。
 自分の無力さが、心底憎らしかった。







08 10/22