アステロイド家族




スターダスト・メモリー



 航海は、更に続いた。
 ウィンクルム号は、銀河の中心部へ船首を据えて、暗黒物質に満たされた真空の海を穏やかに進んでいた。
次元の歪みの発生率は重力にも影響されるので、その調査のために、星々を渦巻かせる根源へ向かっていた。
だが、近付ける範囲までだ。ウィンクルム号は単なる探査船なので、超重力の中を航行出来るほど強靱ではない。
それ以前に、搭乗員が保たない。特殊な装備をしたサイボーグやロボットなら別だが、生身の人間はまずダメだ。
今までは安全な宙域を航行していたが、これからは違う。探査予定宙域に到着しても、脱出まで安心出来ない。
 銀河系を成している渦状腕の内周部分に入り、空間と次元の安全を確認した宙域で、ワープドライブを行った。
それを何度も何度も繰り返すことで、単純計算で数千万年は掛かる移動距離を短縮しながら、進み続けていた。
 マサヨシは、前回の補給の際にシーザーから容赦なく浴びせられた文句を吸収し、事態の改善に努めていた。
だが、その言葉通りにやるわけではない。シーザーのような攻撃的な指揮を取れるほど、カリスマ性はないのだ。
あれは、シーザーだからこそ出来るやり方なのだ。性格からしてまるで違う人間のやり方を模倣しても無意味だ。
だから、マサヨシは自分なりに考え抜いて行動に移した。最初に手を付けたのは、もちろん研究部の処遇だった。
 頭一つどころか上半身まで突出していたサチコは研究部内ではかなり浮いていて、仕事を押し付けられていた。
彼女の労働条件が過酷になっていた背景には、狭い社会で鬱屈した感情と羨望が反転した嫉妬が隠れていた。
だが、サチコは回されてきた仕事の全てを引き受けて誰よりも正確に処理していたので、尚更状況は悪くなった。
これで、サチコが仕事を突っ返していたり、真っ当な方法でやり返していたら、事態は悪化しなかったはずだった。
しかし、生来の生真面目さのせいで断れないらしく、サチコ以外でも充分処理出来る仕事までもが回されていた。
 一連の出来事の首謀者は、出航前の会議でサチコに立場を奪われてしまった研究員、イーヤン・リーであった。
元々、彼の評判はあまり良くなかった。技術者としての腕は良いものの、言動の粗暴さと女性軽視がひどかった。
研究員というよりも、旧時代の軍人のような男だった。ここで食い止めておかなければ、ますます状況は悪化する。
 なのでマサヨシは船長権限を使い、この一ヶ月間、イーヤンの配置を研究部隊から通信部隊から変えてやった。
イーヤンは通信士の資格を持っていたので仕事の上では問題はなかったが、人間関係については大有りだった。
船内でも特に女性比率の高い通信部隊は、イーヤンのような性格では馴染めるはずもなく、除け者にされていた。
 最初の一週間はイーヤンは他の女性達に威圧的な言動を取っていたが、通信技術では勝てるわけもなかった。
中でも、ステラ・プレアデスは別格だった。勘の鋭さか、天賦の才か、通信状況が悪くともたちどころに改善する。
銀河系内の国家や民族が用いる暗号通信の解析も早く、彼女のおかげで要らぬ戦闘を回避したことも多かった。
本業のオペレートも的確で素早く、今では欠かせない人材の一人だ。もちろん、他の管制官達も頼れるのだが。
 ステラは、当初からイーヤンにやり返していた。あの妙な訛りの付いた言葉で捲し立て、言い負かすほどだった。
だが、ステラはおっとりしている性格なのだとレイラから聞いていたので、その光景には少し違和感を感じていた。
穏やかであれば言い返さないのでは、と思いながら、通信部隊から聞こえる文句を聞いていると理由が解った。
イーヤンが口汚く罵る相手は、ほとんどがサチコだった。たまにマサヨシやステラになるが、九割がサチコなのだ。
それでは、友人であるステラが怒らないわけがない。レイラだったら、言い返すより前に殴り倒しているのだろうが。
 だが、通信部隊に配属されてから時間が経つとさすがのイーヤンも疲弊してきたのか、文句の頻度が下がった。
代わりに、仕事の能率が上がってきた。サチコを潰すことに精を出していた研究部にいた頃よりも、働いていた。
一刻も早く通信部隊から研究部隊に戻りたいのだろう、マサヨシに少しでも良い印象を与えようとしていたのだ。
そして、何らかの方法でサチコに報復を下すつもりだ。学生時代にも似たような輩を見てきたので、大体読める。
研究部隊に戻せば、後味の悪い結末が待っている。マサヨシはイーヤンの配置を再度変えて、防御策を取った。
 最終的なイーヤンの配置は、戦闘部隊だった。軍人としての教育を受けていない彼には、地獄にも等しかった。
エネルギー配分の関係で重力が弱い船内での基礎訓練は、コロニー内での訓練よりも更に過酷なものだった。
ハイスクールの必修科目で操縦して以来、触れたこともなかった機動歩兵の訓練も受け、宇宙に放り出された。
 マサヨシが船長を全うする間、現隊長となっているラルフ・クロウに散々しごかれてしまい、イーヤンも疲弊した。
けれど、まだ手は緩めなかった。訓練に継ぐ訓練を与え、新兵程度の実力になったイーヤンの配置を固定した。
航行中の一時的な措置に過ぎないので、次元管理局に戻れば解除されるが、それまでは訓練地獄が続くのだ。
そこまでされると、さすがのイーヤンも反抗する気が失せたらしく、マサヨシに対する態度も大分軟化してきた。
 そして、ウィンクルム号が出航してから六ヶ月が経過した。


 銀河系中心部付近での調査も終えたウィンクルム号は、折り返しの航路を辿っていた。
 マサヨシはブリッジを見下ろす船長席に座り、ブリッジ前方の全面モニターに広がる無数の恒星を眺めていた。
ブリッジの下段でオペレートを行う通信部隊が、機械的に情報を述べる。今のところ、異常は見当たらなかった。
行く手を阻むものはなく、小惑星すら浮いていない。最も近い星系からも一光年以上離れた、空虚な宙域だった。
ブリッジ後方のドアが開き、足音と共に名乗りが聞こえた。その名にマサヨシは反射的に視線を向けてしまった。

「サチコ・パーカー、入ります」

 軍人ではないので、敬礼する代わりに深々と礼をしたサチコは、管制席へと近付いた。

「プレアデス二等管制官。航路上に存在する惑星についての資料ですが、修正点がありました」

「え? ホンマでっか?」

 ヘッドセットを外して振り返ったステラは、サチコが差し出したデータディスクを受け取った。

「ええ。木星型のガス惑星なんですが、太陽系標準時刻で百年ほど前の星間戦争で使用された重力兵器の影響で、惑星全体の膨張が始まっているんです。ですから、地場と重力場に乱れがあります」

「船長、航路の再考を」

 もう一人の管制官が、マサヨシを見上げてきた。

「解った。俺の方にも資料を回してくれ」

 マサヨシが頷くと、ステラは敬礼した。

「了解や!」

「では、私はこれで」

 サチコはステラらに礼をしてから、体を反転させた。すると、メガネの奥で青い瞳が上がり、不意に目が合った。
マサヨシは一瞬ひどく動揺したが、サチコはすぐに目を伏せたので、視線が交わっていたのは一秒足らずだった。
だが、動揺は胸中に焼き付いていた。入ってきた時より足早になったサチコは、逃げるようにブリッジを後にした。
マサヨシは心臓が痛むほどの動揺に戸惑いながらも、少し目が合っただけじゃないか、と必死に思い込もうとした。
しかし、動揺は払拭出来ず、それどころか濃くなった。勤務には支障は来さなかったが、これは大きな問題だった。
 船長である以上、余計なことに気を回している暇はない。搭乗員の生命と航海の安全こそが最優先事項なのだ。
あの動揺が何を意味しているのか、感付けないほど青臭くはない。学生時代には、それなりに経験は積んでいる。
男女関係に至った相手もいるが、あまり長続きしなかった。従軍してからは女っ気は失せ、手を出す余裕もない。
次元探査航行に出航する直前も、少佐の昇級試験の試験勉強と訓練で恐ろしく忙しかったので、尚のことだった。
 だからか、だからなのか。そんなに女に飢えているのか。だが、どう考えてもサチコはマサヨシの好みではない。
長身の割に体の肉は薄めで、面差しもきつめで、態度も硬い。むしろ、ステラのような肉感的な体型が好ましい。
自分でも自分が信じられず、マサヨシは自問自答しながら退勤し、船長室が個室であるありがたみを痛感した。
彼女を意識していることに気付いてしまうと、終わりだった。酒で紛らわせようとしたが、何の役にも立たなかった。
 やはり、自分は船長に相応しい器ではない。


 それからしばらく、マサヨシはサチコと顔を合わせなかった。
 当然、意識的にだ。船長権限で搭乗員の行動を把握出来ることがこんなにも素晴らしいことなのかと痛感した。
彼女と会わなければ、何も進むことはない。これは一過性の感情だ。会わずにいれば、そのうちに収まるだろう。
 マサヨシも長い航海でストレスと様々な欲求が溜まっているだけだ。偶然、その相手が彼女だったというだけだ。
仕事に忙殺されれば忘れるだろう、と今まで以上に仕事に力を入れたが、何の前触れもなく動揺が甦ってきた。
その度に手が止まってしまい、思考も止まってしまった。解り易すぎる自分の反応が、ますます嫌になってしまう。
 一応態度は取り繕っていたが、ラルフには感付かれてしまい、小突き回されて問い詰められた末に白状した。
ラルフは面食らったものの、笑うことはなかった。ラルフもラルフで苦労しているらしく、意外なことに励まされた。
後で解ったことだが、ラルフは次元探査航行中からステラに片思いしていた。だが、この時は彼も隠し通していた。
マサヨシは笑われると思った相手から励まされたことで、ますます調子が狂ってしまい、複雑な心境で退勤した。
 船長室に戻ってから三十分ほど過ぎた頃、アラームが鳴らされた。ラルフか、或いは通信部隊の誰かだろうか。
軍服を脱いでネクタイも既に解いていたマサヨシは、ドアを開けて硬直した。私服に着替えたサチコだったからだ。
制服とあまり大差のない白いブラウスと紺のタイトスカートを着ているサチコは、ケーキを載せた皿を持っていた。

「失礼します、船長」

 サチコは丁寧に礼をし、顔を上げた。

「あ、ああ」

 マサヨシは心底驚いてしまい、ろくな言葉を返せなかった。

「御礼を、と思いまして」

 サチコは甘酸っぱい香りの漂うレモンパイを丸々一ホール載せた大皿を、マサヨシに差し出した。

「第一次物資補給時の件と、イーヤン・リー臨時二等兵の件についてです」

「後者はともかく、前者はかなり前の話だが」

 マサヨシは辛うじて動揺を押さえ込み、皿を受け取った。

「私が作ったものなので、味の保証は出来ませんが、よろしければどうぞ」

 では、とサチコは再度礼をし、マサヨシに背を向けた。

「待て」

 思わず呼び止めてしまった後、マサヨシは後悔した。サチコは立ち止まり、メガネの奥で僅かに目を見開いた。
呼び止めたはいいが、後のことはまるで考えていなかったマサヨシは、苦し紛れに船長室に入るように促した。

「少し、話そう」

「…はい」

 少しばかり躊躇いを含んだ返事を返したサチコは、失礼します、礼儀正しく挨拶しながら船長室に入ってきた。
扉を閉めたマサヨシは、ロックを掛けた。資料のデータディスクや私物などで荒れたデスクに、ケーキを置いた。
 サチコは背筋を伸ばし、マサヨシを真っ直ぐに見つめていた。引き締められた口元は、勤務中とは表情が違う。
あまり化粧をしない顔に、ほんの少し色が付いていた。彼女が通った後の空気に、香水の粒子が残留していた。
それを感じた途端、息苦しくなるほど胸が詰まった。サチコも女なのだ、と知っただけなのに恋心は深みを増す。

「結論から申し上げさせて頂きます」

 浅く息を吸ってから、サチコは報告書を読み上げるかのように言い切った。

「私は、あなたに恋をしています」

 サチコの口から出た言葉が信じられず、マサヨシは喜ぶよりも先に唖然としてしまった。

「御礼など、口実に過ぎません。ですが、それ以外に、船長と接触する理由が思い当たらなかったので」

 サチコは薄い瞼を伏せ、体の前で組んだ手に力を込めた。

「こんな心境に陥るのは、船長が最初です。そして、最後でしょう」

 張り詰めていた緊張が途切れたのか、サチコの声色は次第に上擦っていった。

「私は船長のような男性に相応しいとは思っておりませんし、興味の対象にすらならないでしょう。次元探査航行が終われば、船長は軍務に戻り、私もまた次元研究に戻ります。そうなれば、私と船長が接する機会もなくなります。ですから、報告だけ行うことにいたしました。聞いて下さっただけで、充分です」

 俯いたサチコは、肩を震わせていた。マサヨシは息をすることすら忘れ、ただ、恋に落ちた相手を見つめていた。
目が合ったのは、偶然ではなかった。だが、受け入れるべきではないと、軍人としての自分が必死に叫んでいた。
けれど、この状況では、軍人であることは何の意味も成さなかった。マサヨシはサチコに歩み寄ると、肩に触れた。
手の下で、びくりと肩が跳ねた。陰っている頬には赤みが差していることを知った時には、もう堪えられなかった。

「ん…」

 強引に重ねた唇の下で、サチコの呻きが漏れた。腕の中に収めると、その体の頼りなさが解り、息が詰まった。
マサヨシはまるで抵抗しないサチコの唇を存分に味わってから、顔を離すと、サチコは首筋まで赤くなっていた。

「初めてか?」

 マサヨシが問い掛けると、サチコは顔を逸らした。

「先程、申し上げた通りです」

 高熱でも出したかのように耳元まで赤く染まり、その横顔に余裕はなかった。

「ですが、船長がお相手でしたら構いません。その方が、悔いが残らないと思いますので」

 腕の中で、サチコは身を縮めていた。普段の言動からは到底考えられない、積極的で投げやりな言葉だった。
どれほどの決意を固めて、この部屋に来たのだろう。それを考えただけで、いじらしくて、可愛らしくてたまらない。

「一度でいいのか?」

 マサヨシはサチコの頬に手を当て、目線をこちらに向けさせた。

「船長の勤務に、支障を来しますし」

「俺は構わん」

「です、けど」

「結論から言おう」

 マサヨシは青い瞳を潤ませているサチコを見つめ、言い切った。

「俺は、君に恋をしている」

 メガネの奥で、サチコの目が丸められる。浅く息を呑んだ唇を塞ぎ、動揺で緩んだ歯の間に舌を滑り込ませた。
今まで感じたことのない刺激に、サチコは困惑しながらも反応してくれ、唇を離した時には大分息を荒げていた。

「船長…」

「マサヨシでいい。俺も君を名前で呼んでいるだろう?」

 マサヨシは哀れなほど強張っているサチコを解放すると、身を下げた。

「落ち着いたら、部屋に戻ると良い」

「ですが、よろしいのですか? その、私を…」

 サチコは火照った頬を押さえ、何か言いたげに目線を落とした。

「いきなり全部やっちまったら、勿体ないじゃないか」

 マサヨシも急に照れてしまい、頬の紅潮を隠すために顔を背けた。

「それに、その方がサチコも楽だろう?」

「…はい」

 サチコは指先でそっと唇を押さえ、小さく頷いた。その様がまた可愛らしく、早速別の欲望が頭をもたげてきた。
だが、勿体ないと思ったのは本当だし、いきなりがっつくのは幼稚すぎるので、マサヨシは懸命に押さえ込んだ。
 その後、サチコはマサヨシの淹れてやった苦いだけのコーヒーを飲んで気を落ち着けてから船長室を後にした。
マサヨシはサチコの手製のレモンパイを食べてみたが、彼女はあまり器用ではないらしく、不可解な味がした。
だが、彼女の気持ちが涙が出るほど嬉しかったので食べ終えてしまった。恋の欲目とは、非常に便利なものだ。
 それから、二人は静かな交際を始めた。表立って会うことはなく、たまに通信を交わし、時間が合えば会った。
それだけで、充分だった。思いを遂げた後の方がサチコは奥手になってしまい、二人きりになると照れてしまう。
 マサヨシもサチコの恥じらいぶりに釣られてしまい、初恋に似た気持ちでサチコとの距離を徐々に狭めていった。
照れすぎて逃げてしまうサチコを引き留めて、抱き締めて、キスをした。繰り返すうちに、その心も解けていった。
サチコが心を許してくれるまで、マサヨシは辛抱強く待った。無理強いして、傷付けてしまうことが怖かったからだ。
そして、敬語を使わなくなった頃にはサチコも徐々に照れが収まるようになり、恥じらいながらも体を預けてくれた。
 宇宙一、彼女が愛おしかった。





 


08 10/29