アステロイド家族




スターダスト・メモリー



 航海は順調だった。
 次元探査船ウィンクルム号が出航してから、二ヶ月が経過した。主要任務である次元探査も、滞りなく進んだ。
マサヨシが指摘して以降、サチコも気を付けるようになったのか、航路が戦闘宙域に重なることは二度となかった。
銀河に点在する次元の歪みは大きさも出力もばらばらで、次元の研究を兼ねた修復作業は手間取ってしまった。
次元の自己修復能力を促すエネルギーを照射するにしても、探査機を投入するにしても、緻密な計算が必要だ。
そんな時、サチコは率先して次元と空間の計算を行い、時と場合によってはコンピューターよりも早く終えてくれた。
 彼女の計算には隙はなく、彼女自身にも隙はなかった。どんな非常事態であろうと、身だしなみは整えていた。
長い黒髪は一束も乱すことはなく、表情を崩すこともせず、襟元を緩めることもなければ、メガネも汚れていない。
航海を続けて二ヶ月も経つと、どんな者も多少なりとも人間らしさが垣間見えるものだが、サチコだけは別だった。
だから、搭乗員達は口々にサチコを賞賛する傍ら、人間離れした頭脳と潔癖さを持つ彼女を影でこう呼んでいた。
 電卓女、と。


 電卓とは、旧時代に発明された原始的な計算械である。
 長方形の液晶パネルの下に数字と数式のキーが並んでいる、入力した数字を単純に計算するだけの機械だ。
今の時代、それほど単純な計算機はない。数式を入力して計算するソフトは多いが、様々な応用を行ってくれる。
だが、電卓は違う。叩かれたボタンに従って、実直に答えだけを現す。確かにその様は、サチコに似ていると思う。
 言われたことや頼まれたことは寸分の隙もなく行うが幅がなく、ナビゲートコンピューターの方が余程人間的だ。
実際、ウィンクルム号に搭載しているナビゲートコンピューター、通称サリーは搭乗員達を楽しませてくれていた。
成人女性の人格で、物腰は柔らかく言葉遣いも優しいが、時として毒の混じった文句を吐き、実に人間臭かった。
 口の悪い者はサチコとサリーの人格を入れ替えるべきだ、との軽口を叩いたがマサヨシにはそう思えなかった。
マサヨシは、一度だけだがサチコが疲弊した姿を見たことがある。出航する四日前の早朝の、寝不足の顔だった。
その時の姿を覚えているせいか、サチコがナビゲートコンピューターに成り代わる様を考えても面白くはなかった。
 その日。ウィンクルム号は航路に重なっている新人類の移民船に停泊し、大掛かりな補給作業を行っていた。
太陽系から二十光年先に存在する星系の軌道上に浮かぶ五百万メートル級の移民船は、三百年前に出航した。
 旧人類と新人類の種族間戦争が終焉し、新人類が宇宙に進出してから、こうした移民船は何度も発進していた。
今回立ち寄った巨大移民宇宙船サピエンス号もその一つで、太陽系とも密接な関係で、補給も快諾してくれた。
搭乗員全ての生命を維持出来るほどの物資は大量なので補給作業は長引き、どれほど急いでも三日は掛かる。
ウィンクルム号は超大型のセンサー機器と次元修復装置を積んでいるので、全長は四千メートル近くあるのだ。
船の規模が大きければ、当然それに比例して消費する物資やエネルギーも増えてしまうので、補給も一苦労だ。
その間、搭乗員達は二ヶ月ぶりのまともな休暇を与えられ、次元探査船から降りて思い思いに羽を伸ばしていた。
 だが、マサヨシは降りるわけにはいかなかった。人気のないブリッジで、次元管理局へ定期報告を行っていた。
亜空間通信を用いているので双方のタイムラグは数秒程度なので、ほぼリアルタイムで会話することが出来た。
その相手は、シーザー・イービスだった。木星での傷が全快したシーザーは、長期休養のおかげで元気だった。

『二ヶ月前の俺をぶっ殺してやりたいぜ。お前みたいな青二才を推薦するなんざ、本気でどうかしていたな』

 ホログラフィーモニターの向こうでは、眉根を歪めたシーザーが銜えたタバコに電磁ライターで火を灯していた。

『死人が出ないのは当然だ。搭乗員内でトラブルが起きないのも訓練が良いからだ。次元探査の成果が良いのは、技術者連中がずば抜けているからだ。だが、それはそれなんだ。ちっとも統率されていないせいで、どこもかしこも無駄だらけだ。勤務時間を入れ替えるのはいいが、スパンが遅すぎる。おかげで防衛部隊の訓練に練りがないし、通信部隊も詰める時間が長すぎて参っちまってる。研究部も研究部で、勤務時間を思い切り無視してやがる。今はまだいいかもしれないが、これから先もこの状態が続いたら、何人か死ぬぞ』

「すみません」

 否定出来るわけもなく、マサヨシはただひたすら謝っていた。どれもこれも、シーザーの言う通りなのだ。

「では、休暇が終わり次第、勤務時間を再編成します」

『特に研究部をどうにかしろ。しなくてもいい宇宙葬をする羽目になる』

「了解しました」

『原因は解っているよな、マサヨシ?』

「ミス・パーカーですか」

 マサヨシが彼女の名を口に出すと、シーザーはフィルターを噛み締めた。

『だから、俺はあの女を搭乗員から外したんだよ。優秀なのは非常によろしいんだが、あの女は周りのことを欠片も考えちゃいないんだ。なまじ頭が良すぎるから他人の仕事も取っちまうし、休めと言われても休まねぇし、この分だとろくに喰ってもいねぇだろう。航海ってのは、何よりも協調性が重んじられる。コロニーよりも狭い空間で、毎日毎日同じ奴と顔を突き合わせて、変わり映えのしない話題を話して、喰って寝て、訓練して、それを延々と繰り返すだけなんだから、どんなにまともな神経を持っていても参っちまう。サチコは見るからに神経が細いからな。このまま研究だけをさせておいたら、気が飛んじまう。一人が崩れれば、全体が崩れちまうぞ』

「はい」

『解っているなら、とっとと行動しろ』

「すみません。俺の注意力不足です」

『とにかく、規律を守らせろ。サチコにも、他の連中にもな』

「では、通信を終えさせて頂きます、シーザー艦長。病み上がりなんですから、どうか無理はなさらずに」

『お前如きに言われるまでもない。ウィンクルム号の航海の無事を祈る。通信終了』

 シーザーとの亜空間通信が切断された後、マサヨシは肩を落として息を吐いた。耳の痛い言葉ばかりだった。
シーザーの言うように、サチコは仕事をしすぎている。だが、それが航海に支障を来す原因だとは思わなかった。
それはそれでいいのでは、と思っていたが、サチコ一人に仕事が集中していると研究部内のバランスが乱れる。
本来なら研究部全体に行き渡る負担も、サチコだけが背負うことになる。確かに、このままではサチコが折れる。
だが、どうすればいいのか解らない。女性経験がないわけではないが、サチコのようなタイプは正直苦手だった。

〈キャプテン・ムラタ、ブリッジにお客さんよ。クルーコードは、プレアデス二等管制官とベルナール軍曹のものだわ〉

 サリーの電子合成音声がブリッジ内に響くと、自動ドアが開き、ステラとレイラが入ってきた。

「ステラ・プレアデス、入りますー」

「レイラ・ベルナール、入ります」

 ステラは両手に複数の紙袋を抱えていて、サピエンス号のブティックでショッピングに精を出していたようだった。
レイラは店名の入った小さな紙袋を大事そうに提げており、もう一方の手には、大きめのケーキ箱を持っていた。

「船長。サチコ、出てきました?」

 レイラに尋ねられ、マサヨシは首を横に振った。

「いや、朝から見ていないが」

「やっぱりなぁ。あの子、この間からずうっと眠たそうやったもん」

 ステラは重たげな紙袋を床に置いてから、腕を組んだ。

「きっと、ここぞとばかりに爆睡しとるんとちゃうか。でなかったら、まだ起きて仕事しとるかのどっちかやね」

「ここんとこ、食堂でも擦れ違っちゃってたもんなぁ」

 本気で心配だね、と言いながら、レイラはケーキ箱をマサヨシに向けた。

「ということで、これ、サチコにプレゼントしてきてくれませんか? ケーキの詰め合わせなんですけど」

「なんで俺が? お前達が行けばいいだろう、友達なんだから」

 マサヨシが戸惑うと、レイラはステラを示した。

「これからストレス解消ショッピングの第二ラウンドが始まるんです。次は私も付き合うつもりなんで」

「しゃあないやんか。丁度バーゲンシーズンやったんやもん、女の子の血が騒いでまうんや」

 服の詰まった紙袋を抱き締め、ステラはむくれた。

「航行中は個人所有の物資量を制限されていたせいで、気が済むまで食べられませんでしたけど、今日という今日は鼻血が出るまでチョコを食べますので、そこのところはどうぞよろしく」

 真顔でおかしな宣言をしたステラに、マサヨシは心底呆れた。

「高血糖で死ぬなよ」

「心配無用です。生体改造の影響なんでしょうけど、糖分の分解がやたらと早いタチなので」

 レイラはマサヨシの両手にケーキ箱を乗せてから、敬礼した。

「それでは船長、我らが親友にプレゼントをお願いします」

「ほな、お頼もうしますー」

 早よ行こな、とステラはレイラの手を引き、ブリッジを後にした。上官を顎で使う部下二人が、理解出来なかった。
シーザーだったら、ケーキ箱を突っぱねるだけでなく投げていただろうが、マサヨシはそんなことは出来なかった。
二人も、長い航海でストレスが溜まっているのだ。そして、サチコも例外ではない。ここは届けるしかないだろう。
 マサヨシは不本意だったが立ち上がり、居住区へ向かった。ブリッジから居住区まではそれなりに距離がある。
エレベーターをいくつも乗り継ぎ、船腹に至った。その中心のセンターブロックが、搭乗員の居住区になっていた。
最大七百人が生活出来る環境を備えているので、個室だけでもかなりの数があり、居住区自体も広大だった。
搭乗員の名簿と居住区の見取り図を照会し、サチコの部屋を探し当てたマサヨシは、女性専用ブロックに入った。
 男性専用ブロックとの接続点である中央ロビーを通り、放射状に枝分かれしている通路の七番通路を辿った。
小さなドアが無数に並んでいたが、そのうちの一つ、354号室がサチコともう一人の女性研究員との相部屋だ。
入室していることを示すランプは、サチコの名だけが点灯していた。もう一人の方は、やはり遊んでいるのだろう。
マサヨシはアラームを押したが返事はなく、再度押しても反応がなかったので、ドアの開閉スイッチに触れてみた。
すると、意外なことに滑らかにドアは開き、人間の体温と独特の気配が入り混じった空気が通路に流れてきた。
女性なのにロックを忘れるとは、不用心にも程がある。マサヨシは多少気まずく思いながら、部屋に踏み込んだ。

「ムラタだ。入るぞ」

 だが、やはり返事はない。ドアを閉めてから中に入り、薄暗いリビングを覗いた。

「船長…」

 二人掛けの狭いソファーの上から、弱り切った声が返ってきた。そこには、私服姿のサチコが横たわっていた。
質素な白いワンピースを着ている彼女は青ざめていて、マサヨシに向けた眼差しも覇気がなく、瞳は潤んでいた。

「ミス・パーカー。プレアデス二等管制官、ベルナール軍曹両名からの差し入れだ」

 マサヨシはケーキ箱を掲げて見せてから、それをリビングテーブルに置いた。

「風邪か?」

「いつもの頭痛です。少し休めば治りますので、心配なさらずとも結構です」

 だが、サチコの表情に余裕はなく、言葉尻には苦しさが滲んでいた。

「やはり、君も人間だな」

 マサヨシはそう言ってから、リビングの隣にある寝室を指した。

「なんだったら、寝室まで連れて行くが」

「その必要はありません」

 サチコは身を起こしたが、顔を歪めて額を押さえ、呻いた。これでは、数メートル先の寝室には辿り着けまい。
マサヨシは嘆息すると、サチコの肩と膝の裏を持ち上げた。肩に掛かった彼女の体重は、予想以上に軽かった。
身長は高いはずなのに、手に感じる肉の厚みが薄かった。仕事に熱中するあまり、訓練を怠っているのだろう。
 これもまた、良くない傾向だった。宇宙空間では、少しでも気を抜くとすぐに筋力が低下して体力も落ちてしまう。
次元探査航行は、更に十ヶ月は続く。今からこんなことでは、精神が折れる前に手足が折れてしまうことだろう。

「先に言っておくが、他意はない」

 マサヨシは背中で寝室のドアを開けると、そこにはベッドが二台並んでおり、右側はシーツが少々乱れている。
となれば、サチコの寝床は左側だろう。マサヨシは左側のベッドに近付くと、抵抗すらしなかった彼女を横たえた。

「ケーキは冷蔵庫に入れておく。何か、用事はあるか」

 マサヨシはクローゼットから毛布を出しながら言うと、サチコは眉根を歪めた。

「いいえ。何もありません」

「本当に頭痛だけか?」

 マサヨシはサチコの体に毛布を掛けてやってから、額へ手を伸ばしかけたが、下げた。

「すまん。過ぎた真似をしたな、サチコ」

 それは、無意識の行動だった。マサヨシは今し方口にした彼女の名に気付き、再度謝った。

「すまん…」

「いえ…」

 サチコは力なく答えてから、重たく視線を動かした。

「よろしければ、処置室から鎮痛剤を持ってきて頂けませんか。切らしてしまいまして」

「それだけでいいのか?」

「船長もお忙しい身です。煩わせるわけにはいきません」

「君の方こそ、働き過ぎだ。まあ…頼り過ぎた俺達が悪いんだがな。今後、改善することを約束する」

「いいえ。大丈夫です。問題はありません」

「頭痛でぶっ倒れているくせに、強がるんじゃない。こういう時は、レイラでもステラでもいいから甘えておけ」

「それは出来ません。せっかくの休暇を奪ってしまうことになります」

「共存するのが人間だ。それが友達同士なら、依存して当たり前だ」

 限度はあるがな、と付け加えてマサヨシは彼女に背を向け、寝室を後にした。

「船長」

 扉を閉め掛けたところで呼び止められ、振り返ると、サチコがかすかに上擦った声で呟いた。

「サチコで構いません」

「解った」

 マサヨシは簡潔に返し、扉を閉めた。彼女の部屋を後にして、同ブロック内の処置室へ鎮痛剤を取りに行った。
歩きながら、彼女の真意を考えていた。名前で呼んでも構わない。それは、部下と上官の距離を埋めるためか。
或いは、他意があるのか。もしくは、頭痛のせいで吐き出した妄言なのか。いずれにせよ、引っ掛かることだった。
 処置室で待機していた軍医に事情を話すと、意外にもサチコは常連で、軍医は苦笑いしながら処方してくれた。
サチコは元々頭痛持ちらしいのだが、ウィンクルム号に搭乗してからは顕著になり、頭痛の頻度も増えたらしい。
長期に渡る航海と日々の激務のせいでストレスが溜まっているのか、勤務後には伏せっていることもあるそうだ。
軍医が話すサチコの病状は聞いているだけで頭痛を感じそうなほどで、シーザーの言い分の正しさを思い知った。
 そして、マサヨシはサチコに鎮痛剤と消化の良い食品を届け、念のためにサチコの傍に付いていることにした。
サチコは不安げな顔を見せたので、マサヨシは寝室に入ることはせずにリビングで持ち込んだ仕事を処理した。
 鎮痛剤が回ってくると、サチコはマサヨシに声を掛けてきた。マサヨシも仕事を終えていたので、サチコに返した。
ドアを隔てた二人の会話は、互いの顔が見えない気楽さからか意外に話が弾み、彼女は笑いを零すほどだった。
マサヨシも、堅いばかりだと思っていたサチコの女性らしさと、真面目さの奥に隠されていた愛らしさに気付いた。
 この日から、彼女は少しだけ特別な女性になった。





 


08 10/28