アステロイド家族




真実は刃の如し



 これが、現実か。
 マサヨシは戦慄し、言葉を失っていた。カタパルトの隔壁が破壊された様を目にした時から、予想はしていた。
いや、レイラがこのコロニーを訪れた時からだ。いや、偽りの家族を造り上げた瞬間から、心の底で解っていた。
しかし、覚悟はしていなかった。これからも穏やかな日々が続くはずだと、根拠のない幻想にしがみついていた。
現実から目を背け、嘘で塗り固め、作り物の笑顔で成した紛い物の日常を壊すものは、現実に他ならなかった。
 清らかな雪原は、機動歩兵の足跡に踏み荒らされていた。家は屋根が壊れ、トニルトスが仰向けに倒れている。
大きく抉れたクレーターの底では、ミイムが震えている。家の庭先では、ヤブキが下半身を吹き飛ばされている。
ヤブキを揺さぶっているアウトゥムヌスは錯乱していて、壊れた機械のように何度となく彼の名を呼び続けている。

「こいつは一体…」

 マサヨシの背後で、イグニスも唖然としていた。

「何が、起きたってんだよ」

「おい、起きろ!」

 マサヨシは雪を蹴散らしてミイムに駆け寄ると、冷え切った彼の体を抱き起こした。

「何があった、ミイム!」

「う、あ、ああああああぁっ!」

 ミイムは虚ろだった目を見開き、頭を抱えて絶叫した。

「何のために、ボクはルルススを死なせたんだぁっ! 何のために、ボクはフォルテを裏切ったんだぁっ!」

「落ち着け、レギーナ!」

 マサヨシが彼の本当の名を叫ぶと、ミイムは息を荒げながら、激しく震える手で顔を押さえた。

「レイラが、来たんだ」

 やはり、この足跡はレイラ機のものか。マサヨシが顔を歪めると、ミイムは牙を剥いて吼えた。

「やっと見つけた居場所なのに! どうして、どうしてボクの邪魔をする! 殺してやるぅ、全部殺してやるぅ!」

「大人しくしろ! お前も無傷じゃない、だから暴れるな!」

「嫌だ…もう嫌だ…」

 マサヨシの怒声で我に返ったミイムはがくがくと顎を震わせ、マサヨシに縋って滂沱した。

「ヤブキが…死んじゃうぅ…」

「大丈夫だ。あいつはサイボーグなんだ、そう簡単に死ぬものか」

 マサヨシはミイムの両肩を掴んで言い聞かせてから、ミイムをその場に残して、ヤブキの元へと走っていった。
彼に近付くに連れて、雪の色が変わってきた。雪原に散らばる部品は、その全てが人工体液にまみれていた。
血液と似通った成分を持つオレンジ色の人工体液を垂れ流しながら、ヤブキの下半身が雪中に埋もれていた。
腹部の積層装甲は溶け、背骨に当たるシャフトが分断され、千切れたケーブルからは火花が飛び散っていた。
人工臓器も全て破損していて、消化途中の内容物が零れていた。それが生々しく、マサヨシは吐き気を覚えた。
だが、辛うじて飲み下し、足を速めた。ヤブキに駆け寄っても、アウトゥムヌスはマサヨシに気付くことはなかった。

「ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君、ジョニー君…」

 アウトゥムヌスはヤブキを揺さぶりながら、ぼろぼろと涙を落とし、彼のマスクフェイスを濡らしていた。

「アウトゥムヌス」

 マサヨシが名を呼ぶと、彼女はびくりと動きを止め、血の気の引いた顔を上げた。

「ジョニー君が…」

「ヤブキ、意識はあるか」

 マサヨシは情報端末を取り出してケーブルを伸ばし、破損で露出しているヤブキの補助AIに接続し、操作した。
体は吹き飛んだが、補助AIは生きている。脳の生命維持装置も健在で、脳波も脈打ち、生命活動は無事だった。
補助AIを操作しているうちにこちらからの情報が彼の脳内に流れ込んだのか、脳波が次第に活性を取り戻した。

「オイラ…まだ、生きてるんすね」

 情報端末のスピーカーから、ヤブキの掠れた声が漏れた。アウトゥムヌスは彼に飛びつき、名を叫んだ。

「ジョニー君!」

「むーちゃん…。マサ兄貴も、お帰りなさいっす…」

 ヤブキは途切れ途切れの言葉を連ねていたが、首を動かし、二人を視界に入れた。

「きっと、これは罰なんす。オイラは、この手であの二人を殺した。ダイアナを助けなかった。それなのに、自分だけがむーちゃんや皆と幸せになって、生きてきたから、どっかの神様が罰を下したんす」

「違う、ジョニー君は何も悪くない!」

 アウトゥムヌスは何度も首を横に振り、叫んだ。

「ありがとう、むーちゃん」

 ヤブキは左手をアウトゥムヌスに伸ばそうと操作したが、肘の関節が持たず、肩を上げる最中に外れて落ちた。
アウトゥムヌスは浅く息を呑み、外れたヤブキの左腕を呆然と見つめていたが、ヤブキの上半身に身を伏せた。

「大丈夫。傍にいる。あなたは、私が死なせない」

 ヤブキは安堵したのか吐息に似た声を漏らし、ゆっくりと体の力を抜いた。首も危ういのか、接続部分が軋んだ。
アウトゥムヌスは躊躇いもなくシャツの袖を引きちぎると、ヤブキの首に巻き付けて結び付け、リボンの形にした。

「お揃い」

 アウトゥムヌスは涙を拭って、精一杯の笑顔を浮かべた。ヤブキは小さく頷き、先のない腕を愛妻に伸ばした。
これはきっと、二人の間でしか解らないことなのだ。表情こそ解らないが、ヤブキはどことなく嬉しそうに見えた。
マサヨシはヤブキの意志を伝える術として情報端末をその場に残したまま、立ち上がり、トニルトスに向かった。
だが、マサヨシが駆け寄るよりも先にイグニスが駆け寄り、腹部を溶かされているトニルトスを抱き起こしていた。

「立てよ、馬鹿野郎!」

 イグニスはトニルトスを起き上がらせ、揺さぶった。

「てめぇはこれくらいの傷で倒れるタマじゃねぇだろうが! それでもてめぇはカエルレウミオンか!」

「貴様がその名を口にするな、穢れてしまう」

 トニルトスはいつもの調子で言い返すも、腹部を溶かされた影響でオイルが逆流し、マスクの内側に溢れた。

「おぐぅっ」

 イグニスの肩から滑り落ちたトニルトスは背を曲げ、マスクを押さえるが、指の間からもオイルが流れ出した。
トニルトスは膝を立てようと腕を突くが、力がまるで入らないのか、体が持ち上がるどころか膝も立たなかった。
溶解した傷口の奥に覗く動力機関が、溶け切っているせいだった。そのため、エネルギーが生成されないのだ。
意識を保てる最低レベルのエネルギーはあるものの、立ち上がることすらままならず、トニルトスは崩れ落ちた。

「屈辱だ…」

「そうか…てめぇは…」

 イグニスは家と周囲の状況と彼の傷を見、悟った。トニルトスは家を守ろうとしたがために、深手を負ったのだ。
彼がレイラの攻撃を受け止めなければ、家は無傷では済まされない。屋根の破損は、彼が倒れ込んだからだ。
少し前だったら、家など見捨てて戦っていただろうに。イグニスは胸に迫るものがあり、声を詰まらせそうになった。
だが、今はまだその時ではないとその感情を押し殺して、イグニスはトニルトスを横たわらせてから立ち上がった。

「少し寝てろ、トニー。その間に、俺がなんとかしてきてやらぁな」

「待て」

 トニルトスは背を向けたイグニスの足を掴み、首を横に振った。

「この空間で血を流すことは、私が許さん」

「甘っちょろくなりやがって」

 イグニスは彼の手を外してから、拳を手のひらに叩き付けた。

「そんなこと、てめぇに言われるまでもねぇ。懲らしめる程度にしておいてやるさ」

「ならば、貴様らに委ねよう」

 トニルトスは手を引き、意識レベルを徐々に下げた。今までは、ほとんど意地と気合いで保っていたのだろう。
イグニスは再度トニルトスに振り返り、敬礼を向けてから、森から感じるレイラ・ベルナール機の反応を辿った。
家の傍から飛び立ったので足取りは辿れないが、狭いコロニーなので、機動歩兵の反応などすぐに感知出来た。
レイラ・ベルナール機は、森の奥にあった。ハルが眠っていたコールドスリープ・ポッドと、全く同じ座標であった。
なぜ、あんな場所に行く。その目的は解らないが、良くないことには違いないと、イグニスは戦士の勘で思った。

「そういえば、ハルはどこにいる」

 イグニスは身を屈めて家を覗いてみるが、ハルの姿はなかった。

「トニルトス、知っているか」

 マサヨシが問うと、トニルトスは薄らいだ意識を引き戻し、首を動かしてマサヨシに向いた。

「いや…。情けない話ではあるが、貴様らが戻ってくるまでの間、私は意識レベルを落として生命維持に回していたのだ。それ故、各種センサーも切断していたために、ハルがどこへ行ったのかは知らんのだ」

「だったら、仕事はもう一つ増えたわけか」

 マサヨシは熱線銃を抜き、イグニスを見上げた。

「仕方ねぇ。事が終わるまでは、暴露大会は延期してやるよ」

 イグニスは手を差し伸べ、マサヨシを肩の上に載せた。マサヨシは彼の軽口に笑みを返すこともなく、命じた。

「行くぞ、イグニス! 目標はレイラ・ベルナール少尉機! 発見次第、撃破せよ!」

「イエッサァアアアアア!」

 イグニスは雪原を蹴り付け、発進した。マサヨシはイグニスの肩装甲を掴み、押し寄せてくる強風を堪えていた。
レイラを攻撃することに、躊躇いを覚えないと言えば嘘になる。だが、レイラは皆の平穏と日常を破壊し尽くした。
それが、ステラの命令であることも知っている。だが、最後の部分でステラに逆らわなかったのはレイラ自身だ。
レイラにも、多少なりとも罪はある。罪深さではマサヨシの方が上だが、今は一家の主としての役割を果たす時だ。
 家を越え、雪原を越え、山を越え、森を越え、イグニスはマサヨシに合わせて速度を落としつつも、急いでいた。
真上から見ると、レイラ機の軌道は一目瞭然だった。飛行の際に発生した乱流が、雪を吹き飛ばしていたのだ。
一筆書きで雪を払ったかのように、木々は素肌を曝していた。それが途切れた先にあるものが、ハルのポッドだ。
その傍には、レイラ機である大型機動歩兵が立っていた。だが、二人が接近しても彼女はまるで反応しなかった。
機動歩兵ならば、イグニスがコロニーに戻ってきた時点で気付くはずだ。訝りながらも高度を下げ、背後に回った。

「レイラ! 直ちに除装し、投降しろ!」

 イグニスの左肩に立ったマサヨシは熱線銃を構え、声を張るも、やはり反応はなかった。

「無視ってんじゃねぇぞ!」

 イグニスは右腕の銃身を振り上げ、大型機動歩兵の上半身を払ったが、抗うことすらなく倒れ込んでしまった。
細い木々を潰しながら転倒したレイラ機は、その衝撃でコクピットが開き、破滅をもたらした張本人が姿を現した。
ベルトで体を固定しているせいで、レイラはがくんと首を落とし、ヘルメットが脱げた。だが、その瞼は閉じていた。

「レイラ…?」

 マサヨシは熱線銃を下げ、イグニスの手を借りて地上に降りると、コクピットから出てこないレイラに近付いた。
体を拘束しているベルトを外してレイラの体を引き摺り出すが、脱力していて両手足をだらりと投げ出していた。
念のため、脈を確かめた。若干弱いが、生きている。しかし、なぜ。マサヨシは疑問を感じながら、立ち上がった。
 一陣の風が吹き抜け、木々のざわめきと雪の匂いに入り混じり、懐かしい匂いと衣擦れの音が感覚を掠めた。
それはごく小さな物音のはずなのに、いやに強く鼓膜を叩いた。積もった雪が崩れ落ち、円筒の上に誰かが立つ。
視界の隅で、白い布が翻る。振り返り、網膜にその姿を映したはずなのに、脳に至るまでのラグがひどく長かった。

「パパ」

 一家の中心。家族の軸。仮初めの関係を繋ぎ止める楔。そして、代用品の娘。だが、少しだけ姿が違っていた。
金髪の鮮やかさも、瞳の青さも、肌の白さも変わらない。だが、十数時間ぶりに目にした娘は大きく成長していた。

「お帰りなさい」

 五歳の子供ではなく、十七歳程度に成長したハルは、小さかった頃とまるで変わらない笑顔を向けてきた。

「ハル、なのか…?」

 マサヨシが少し戸惑うと、ポッドの上に浮かぶハルは、白いワンピースの裾を揺らめかせながら頷いた。

「うん。私だよ、パパ」

「でも、なんで急にでかくなってんだよ? 何があったってんだよ?」

 イグニスが詰め寄ると、ハルはイグニスを見上げた。

「この次元に馴染むように調節していた、私の次元軸と時間軸を本来あるべき状態に戻しただけよ。この姿だってそう。一度、分子を分解して再構成し直したのよ。それと、ベルナール少尉は死んでいないわ。少し、精神体をずらして、この次元から別の次元に飛ばしただけだから、肉体も脳も損傷していないわ。でも、こんなことが起きるなんて想定外だわ。防ぐことすら出来なかった」

「次元って…お前…」

 ハルの言葉の意味が解らず、マサヨシは困惑した。ハルは、すっと笑みを消した。

「また、ダメだったのね。せっかく、皆が幸せになれる分岐を選んでいたのに。姿まで変えて、記憶まで消して、私も精一杯頑張ってきたのに。お母様の言いつけ通りにアエスタスもアウトゥムヌスもヒエムスも使ったのに、結局何の役に立たなかったわ。あんなの、処分されて当然ね」

 ハルの足の下で、ポッドにみしりと亀裂が走った。

「ごめんなさい、お母様。また、一からやり直さなきゃいけないのね」

 ハルは涙を滲ませ、唇を噛んだ。ポッドに走ったヒビが表面を覆い尽くし、内側から光が迸った瞬間、破裂した。
マサヨシは反射的にハルへと手を伸ばしたが、その手は目が眩むほどの光に飲み込まれ、娘には届かなかった。
伸ばした手が飲まれる寸前に、ハルはこちらに目を向けた。その眼差しは、切なげな表情は、驚くほど似ていた。
 ああ。そうか。そうだったのか。そう思った時には既に遅く、マサヨシは膨大な光に圧倒されて気を失っていた。
イグニスが倒れた震動を感じたが、意識が戻るほどではなく、肌に突き刺さってくる雪の冷たさすらも無力だった。
地面が消える。体が消える。意識が消える。家が消える。コロニーが消える。過去も消える。未来までもが消える。
 そして、宇宙すらも。







08 11/3