アステロイド家族




真実は刃の如し



 最終確認を終え、レイラは自機を見上げていた。
 全長10メートルの大型機動歩兵は装備と整備を終え、コクピットを開いて、出撃する瞬間を待ち侘びていた。
パイロットと同じく飾り気のないミリタリーグリーンに塗られ、右肩にはベルナール小隊のマーキングが付いていた。
ポーラーベアの名の由来である北斗七星とサザンクロスの名の由来である南斗六星を、重ね合わせたマークだ。
右腕に装備された中距離迫撃砲が大きすぎるために、左腕には何も装備されておらず、反動を支える足も太い。
背部の推進装置も重く、スラスターが大きすぎるので加速も鈍い。洗練されていない、兵器らしい無骨な機体だ。
だが、それこそが自分に似合う衣装だ。色気の欠片もない人生を送ってきたレイラに相応しい、鋼鉄のドレスだ。

「本当に出るのか?」

 レイラの背後から機動歩兵を見上げたラルフは、いつになく口調が重たかった。

「ステラの御指名は私ですから」

 事も無げに返し、レイラは愛機を再度見上げた。

「ポーラーベアとサザンクロスのAI、シャットダウンしておいてくれましたか? あの二人は使いたくないんで」

「ああ。散々ごねていたが、なんとかな」

 ラルフはレイラの隣に立ち、小柄な部下を見下ろした。

「だが、お前だけでいいのか? 俺も今日は手が空いているし、なんだったら一緒に行ってもいいんだが」

「これから新しい家庭を作ろうって人が、他人の家庭をぶち壊せますか?」

 レイラのストレートな物言いに、ラルフは口籠もった。

「それは…」

「私には、何もありませんから。少しは友達はいますけど、恋人も、旦那も、守るべき故郷もないですから。だから、ステラは私を指名したんですよ。顧みるものがない人間の方が、使い勝手がいいですからね」

 レイラは自嘲し、口元を引きつらせた。

「そりゃ、学生時代には少しだけいいなぁって思うクラスメイトはいたし、恋愛にも興味はあったし、人並みに可愛い格好とかもしてみたいなぁって思うし、いつかは結婚したいって思います。でも、私には全く縁がないですから」

「求めようとしないからだろうが」

「そうでしょうかね。求めなくても、来る時には来ちゃうんですよ。サチコと中佐みたいに」

「それはそうかもしれないが、俺はお前に何の魅力もないとは思わないぞ」

「へえ。じゃあ、具体的に言ってみて下さい。十項目ほど」

 レイラに詰め寄られ、ラルフは若干腰を引いた。

「それはだな…」

「ほら、言えないでしょうが。この歳になると、社交辞令なんて言われても気休めにもならないんですよ」

 レイラはメンテナンスドッグと通路を隔てる柵を越えると、弱重力の力を借りて柔らかく飛び、愛機に接近した。

「じゃ、私は待機しますので、隊長は輸送機を回して下さい」

「手加減しろ。出来れば、誰も傷付けるな」

 ラルフの命令を受け、愛機のコクピットに体を入れたレイラは敬礼を返した。

「善処します、隊長」

 大型機動歩兵の操縦席に身を沈めたレイラは、ハッチを閉じると、ヘルメットを被って、ベルトで体を固定した。
鈍い震動の後、機体の両足を固定していたビンディングが外れ、床が動いて機体ごとカタパルトに向かい始めた。
全面モニターの端には誘導を行う兵士が見えたが、エアロックを抜けると、その姿もドアの向こうに遠ざかった。
そのまま輸送機の格納庫に入ると、今度は両手足が固定され、視界が狭まったので、ヘルメット内も薄暗くなった。
通常任務であれば、ポーラーベアとサザンクロスも同行させるのだが、今回はいないので格納庫内が広く感じた。
 あの二人は精神年齢も低ければ、実年齢も幼い。人格が不完全な二人を、こんな辛い任務に参加させたくない。
彼らは軍人でありロボットだが、それ以前にレイラが一から人格を造り上げ、育ててきた息子と言える存在なのだ。
彼ら兄弟を、マサヨシが築き上げた家庭を壊す任務に加えたくないと思ったのは、彼らに対する親心からだった。

「ごめんね、サチコ」

 レイラは小さく呟き、きつく両手を握り合わせた。

「でも、きっと許してくれないよね。許してもらおうなんて、思う方が間違ってるよね」

 コクピットに輸送機の操舵士から通信が入り、軽い震動と共に滑り出した輸送機がリニアカタパルトに乗った。
電磁力を用いて宇宙空間に超加速して射出され、その際に生じた過負荷が少し機体に掛かり、レイラにも及んだ。
重力制御装置で軽減されるとはいえ、完全に取り除くのは無理だ。全面モニターを、輸送機のそれと連動させた。
暗黒の宇宙に浮かぶ銀色の円筒、次元管理局が遠ざかり、何十万光年先から注ぐ星の光も飛び抜けていった。
次元管理局から距離を置き、空間が安定した宙域に入ればワープドライブを行い、アステロイドベルトに直行する。
そして、ワープ空間から脱すれば、もう後戻りは出来ない。レイラは両腕を掻き抱き、込み上がる嗚咽を堪えた。
 友人を裏切ることは、身を切るよりも辛い。




 いつも通りの昼下がりだった。
 アステロイドベルトの片隅に浮かぶコロニーに住む一家は、主とその相棒が不在のまま、昼食を終えていた。
だが、それは別に珍しいことではない。マサヨシの仕事は傭兵であり、イグニスは十年来の付き合いの戦友だ。
今までにも、マサヨシが急な仕事で留守にすることがあった。そして、何事もなかったかのように帰宅するのだ。
それが日常であり、変わったことなどない。だから、今日もまたそんな調子で過ぎるのだと、皆が皆思っていた。
 鼻歌を漏らしつつリビングの掃除を終えたミイムは、開け放していた掃き出し窓に近付き、ぶるりと身震いした。
雪が溶ける気配はなく、日々降り積もる一方だ。一昨日雪下ろしをしたばかりなのに、また屋根の上に積もった。
積雪程度の重みでは壊れる家ではないのだが、二メートル三メートルと積もると、さすがに柱や壁が軋んでくる。
ミイムは身を乗り出し、屋根を見上げた。日光を浴びて眩しく光る雪の下からは、何本ものつららが伸びていた。
あれはこのままにしておくと危ない、とミイムはサイコキネシスの刃を放ち、つららの根本を断ち切って落とした。

「新手の必殺技みたいっすね」

 乾燥機から取り出した洗濯物のカゴを抱えてリビングに入ってきたヤブキが、子供染みた感想を述べた。

「なんだったらそうしてもいいってんだよこの野郎ですぅ」

 ミイムは掃き出し窓を閉め、振り返った。ヤブキは洗濯カゴを、フローリングの上に置いた。

「雪はともかく、つららは痛いっすからねー精神的に。それはちょっとごめんっす」

「助力」

 ヤブキに続いてリビングに入ってきたアウトゥムヌスは、洗濯カゴの前に正座した。

「じゃ、むーちゃんも一緒に畳むですぅ。ヤブキには拒否権すらないですぅ」

 ミイムもフローリングに座り、洗濯カゴからまだ暖かさの残るタオルを取り出し、手早く畳み始めた。

「どうせやることもないっすからねー」

 どっこいせ、と胡座を掻いたヤブキは洗濯カゴから下着を引っ張り出したが、ミイムの力で手を弾かれた。

「ボクの下着に触るんじゃねぇぞアホンダラですぅ!」

 途端にいきり立ったミイムに、フローリングの上に飛んだキャミソールと彼を見比べ、ヤブキは辟易した。

「手伝わせたいのか手伝わせたくないのか、どっちなんすか」

「両方」

 アウトゥムヌスはミイムの可愛らしいピンクのキャミソールを拾い、丸めてタオルに入れると、球の下を握った。

「海坊主」

「いやいやいやいや、それ訳解らないっすよ本気で。むしろそれは、風呂の中で遊ぶタオル風船っすよ」

 ヤブキが手を横に振ると、ミイムは首を捻った。

「ていうかぁ、ウミボウズって何ですかぁ? ふみゅう?」

「妖怪」

 アウトゥムヌスはタオルの中からキャミソールを出すと、丁寧にシワを伸ばして畳み、ミイムに渡した。

「どうもですぅ」

 ミイムはそれを受け取ってから、洗濯カゴからハルの小さな下着を出し、畳んだ。

「そういえばぁ、ハルちゃんはどこにいるんですぅ? お部屋にはいませんでしたけどぉ」

「玄関見たら長靴がなかったんで、きっとトニー兄貴とお散歩に行っているんすよ」

 ヤブキはアウトゥムヌスの飾り気のない下着を畳みつつ、答えた。

「変態仮面」

 不意に、アウトゥムヌスが自分のパンツをヤブキの顔に被せてきた。

「むーちゃん、オイラで遊ぶのはいいっすけど、時と場合を弁えるっすよ…」

 ヤブキはアウトゥムヌスのパンツを被ったまま、半笑いになった。その様に、ミイムは眉根を曲げた。

「てぇことは、時と場合を弁えたらそんなことやりまくってるっちゅうことになるんじゃねぇかタクランケですぅ」

「まあ、これをやらされるのは今日が初めてじゃないっすけど」

 へらっと笑ったヤブキに、ミイムはいつものようにサイコキネシスを浴びせようとしたが、家全体が揺さぶられた。
外からはハルの引きつった悲鳴が上がり、隔壁の向こうでは爆発音も轟いた。屋根からは、雪が全て落下した。
ミイムは、長い耳を持ち上げて感覚を研ぎ澄ませた。ヤブキは顔からパンツを外し、掃き出し窓へと駆け寄った。
窓の外には、泣きじゃくるハルを手のひらに載せたトニルトスが着地し、彼は片膝を付いてリビングを覗き込んだ。

「何があったんすか、トニー兄貴!」

 ヤブキが叫ぶと、トニルトスはヤブキの腕にハルを預け、長剣を抜いて立ち上がった。

「敵襲だ! 総員、迎撃態勢を取れ!」

「敵って…なんで…?」

 ヤブキが呆気に取られると、ハルはヤブキに縋って泣き喚いた。

「やぁーだぁー! 来ないでぇー!」

「何が来るんすか、ハル?」

 ヤブキがハルに問うたが、怯え切っているハルは要領を得なかった。

「来ちゃダメぇ、なんにもしちゃダメぇー!」

「てめぇは役に立たねぇんだから、ハルちゃんとむーちゃんをしっかり守ってやがれってんだよですぅ」

 ミイムはゆらりと長い髪を揺らがせながら浮かび上がり、掃き出し窓から外へ出ると、トニルトスに近付いた。

「それで、具体的にはどんなのが来たんですかぁ?」

「この機体識別信号波には覚えがある。恐らく、この機体は」

 トニルトスがカタパルトへ向いた瞬間、再度爆発が起きた。カタパルトとコロニー内を隔てる隔壁が、砕け散る。
分厚い防護壁とその表面に貼り付けられたスクリーンパネルが割れ、破片が雪原に散乱し、薄い煙を上げた。
爆発の衝撃で発生した砂埃の奥から現れたのは、ミリタリーグリーンの塗装が施された、大型機動歩兵だった。
右腕には中距離迫撃砲を備え、右手には近距離用のビームバルカンを持ち、単眼の頭部がこちらへと向いた。

「レイラ・ベルナール機だ」

 機体は違えど覚えのある識別信号を感じ、トニルトスは僅かに動揺した。その足元で、ミイムは目を剥く。

「それって、この前来た軍人じゃないですか! でも、あの人はパパさんの元部下で友達じゃないんですか!?」

「マサヨシとの関係がどうであろうが、この家に襲撃を行った時点で敵と見なすのが必然であり最善だ」

 トニルトスは長剣を振り上げ、レイラの操る大型機動歩兵に切っ先を据えた。

「レイラ・ベルナール! 貴様の目的は知らんが、我が刃が無駄な血を吸わぬうちに退くがいい!」

『そっちが抵抗しないんだったら、私も戦う気はなかったんだけどね』

 レイラの声を発した大型機動歩兵は、腰を落として右腕を突き出し、左手で右腕を支えた。

『迫撃砲、発射用意!』

 その射程には、トニルトスが入っていた。レイラの据えた砲口の奥底で光が収縮し、内部の熱が高まっていく。
トニルトスは身を引こうとしたが、出来なかった。トニルトスの背後には家があり、そして家族の面々がいたからだ。
舌打ちしたトニルトスは長剣を投げ捨てると、全エネルギーを防御に回し、発進と同時にシールドを最大展開した。
閃光と共に訪れた衝撃は強烈で、全身が震えた。恐らく、機動歩兵稼働用とは別の動力機関を積んでいるのだ。
だが、弾けないわけではない。トニルトスは砲撃を押し返すべく踏み出したが、不意に閃光が途切れ、弱まった。
それを訝った一瞬の間に接近され、巨体にも関わらず素早く放たれた重たい拳がトニルトスの頭部を殴り付けた。

『一!』

 殴られた衝撃で後退ったトニルトスは、家を守ろうと体の軸をずらしたが、今度は横からの蹴りに襲われた。

『二!』

 腰が崩され、足元が揺らぐ。その隙を逃さずに、レイラ機はトニルトスの腹部に右腕の迫撃砲を押し付けた。

『三!』

 屋根の上で、超高温の熱線が迸る。その熱量を全て腹部に注がれ、トニルトスは衝撃と過熱に仰け反った。

「うぐはあっ!」

 焼き切れた回路から火花が飛び、激痛が体内を巡る。姿勢を変えることすらままならず、仰向けに倒れ込んだ。
屋根を砕きながら、青い戦士は崩れ落ちた。辛うじて意識は保っていたが、腹部装甲と内部機関が溶けていた。

「人間の分際で、この私に傷を付けるとは…」

 トニルトスが呻くと、レイラ機は蒸気を上げる右腕の中距離迫撃砲からエネルギーシリンダーを落とした。

『予想通りだよ。あんたは足が速いけど、その分間合いに入られると弱い。守るものがあれば、余計にね』

 トニルトスは、それを否定出来るわけもなかった。この家と彼らさえいなければ、間違いなく勝てていた戦いだ。
レイラは、特別に強いわけではない。間合いの取り方も攻め方もあまり突飛さはなく、イグニスのように直線的だ。
だが、だからこそ避けられなかった。最初の砲撃さえ避けることが出来ていれば、間違いなく彼女を殺せていた。
しかし、あれを受けなければ家が吹き飛び、皆が死んでいた。皆と生きることを選んだがための、無様な敗北だ。
生温い日々に身を浸すことを選んだのは、他でもない自分だ。後悔はしていないが、弱点が増えたのも事実だ。
腹部の傷は思いの外深く、動力機関にまで及んでいた。その痛みよりも遙かに激しい敗北感に、打ちのめされる。

「…屈辱だ」

「やりやがったなドチクショウめぇっ!」

 雪を巻き上げながら飛び出したミイムは、レイラ機に接近してサイコキネシスを放ったが、何も起きなかった。
ミイムが動揺していると、レイラ機は左手に持ったビームバルカンを上げてミイムに向け、躊躇いもなく発砲した。
発砲される寸前に身を下げたが、ミイムの髪はごっそりと焼き切れてしまい、背後で雪原に着弾して吹き飛んだ。
煙と共にばらばらと降ってくる土混じりの雪を浴びながら、ミイムは力を高めたが、やはり敵に何の変化もない。

「なんで、ボクの力が通じないの…?」

『今時、サイキックキャンセラーを装備していない機体はないよ』

 レイラ機はビームバルカンを振り上げ、ミイムを薙ぎ払った。ミイムは抗う前に吹き飛ばされて、雪原に落下した。
その直後、雪煙が舞い、抉れが出来た。冷え切った雪に背を埋めたおかげで、体中の痛みは軽減されていた。
だが、心中は別だった。ミイムは寒さと畏怖に震える手を見つめ、サイコキネシスが通じない事実に怯えていた。
髪を焼き切られたことよりも、そちらの方が余程辛かった。この力は、戦うために生まれ持ったものではないのか。
それなのに、肝心な時に何の役にも立てなかった。だとしたら、一体何のためにこんな力を持っているのだろう。
何のために、ルルススを死なせた。何のために、故郷を裏切った。何のために、全てを捨てて家族を選んだのだ。

「う、あ、ぁああ…」

「見損なったっすよ、レイラ姉さん!」

 ヤブキはハルをアウトゥムヌスに預けると、リビングの掃き出し窓から飛び出し、両足のスラスターを開いた。

「だったら、通常攻撃ならOKってことっすね!」

 ヤブキは出せる限りの速度でレイラ機のコクピットに接近するも、レイラ機の反応は素早く、無駄はなかった。
片足を軸にして機体を回したかと思うと、もう一方の足を上げてヤブキを落とし、起き上がる前に銃口を据えた。

『素人が。こういう場合、下手に動くだけ危険だってことが解らないの?』

「う…」

 腹部に向けられたビームバルカンの銃口に、ヤブキは硬直した。レイラ機は、冷徹に言い捨てた。

『でも、動かれると厄介だから』

「やめてぇえええええっ!」

 アウトゥムヌスが甲高い悲鳴を上げたが、無情にもビームバルカンの引き金は押し込まれ、レイラ機は発砲した。
強烈な威力の閃光がヤブキの積層装甲を呆気なく貫き、吹き飛ばした。人工体液が散り、雪をオレンジに染めた。
溶けた部品や人工臓器が散乱し、うっすらと煙を昇らせていた。下半身は分断されて、奇妙な形に曲がっている。
 ヤブキは右腕を支えにして体を起こそうとしたが、熱線を至近距離で浴びたために関節が溶け、外れてしまった。
軽く浮き上がった背中が再度雪に埋まり、全身に染み付いた熱が雪を溶かし、溶解した内部器官を濡らしてきた。
辛うじて繋がっている左手で下半身を探るも、何もない。指先に当たったのは、背骨に当たる可動シャフトだけだ。
胴体部分の生命維持装置とは別に、頭部にも生命維持装置が内蔵されているので、脳だけは一応守れている。
だが、破損の衝撃による情報の奔流と脳震盪がひどく、意識を保てない。声を出そうとしても、発声機能がない。
視界の隅に見えるアウトゥムヌスは、最大限に目を見開いて小刻みに震えていた。大丈夫だと、言わなければ。
だが、声が出ない。ヤブキは徐々に沈んでいく意識と戦いながら、何も出来なかった己の無力さを痛烈に憎んだ。

「あ…あぁ、あ…」

 アウトゥムヌスはよろけながら外に出ると、上半身だけ残されたヤブキに駆け寄り、絶叫した。

「ジョニーくうううううんっ!」

 起きて、起きて、とアウトゥムヌスは必死にヤブキを揺さぶるが、ヤブキは破損のショックで意識を失っていた。
溶けかけたバイザーの奥では意識状態を表す光が点滅しているが、非常事態を示す電子音だけが響いていた。
 レイラ機の目が、ハルに向いた。ハルはびくりと身を震わせたが、恐怖のあまりに腰が抜けて立てなかった。
レイラ機はビームバルカンを地面に置いてから、ハルに背を向け、数歩歩いてからスラスターを開いて発進した。
大型機動歩兵の巻き上げた熱風が過ぎ去ると機影も遠ざかり、レイラ機はハルのポッドがある森へ向かった。
 これは、一体、どうしたんだろう。瞬きすることすら忘れ、声を上げることすら忘れ、ハルは現実を見つめていた。
トニルトスは腹部を溶かされ、呻いている。ミイムは雪原に没し、震えている。ヤブキは、下半身を破壊されている。
アウトゥムヌスは気を失った夫を呼び戻そうと、必死に名を叫んでいる。今日も、普通の一日だったはずなのに。
 森の奥から、音が聞こえる。木々が踏み潰される軋み。大型機動歩兵の唸り。金属が金属に叩き潰される衝撃。
ああ。また。ここでも。やっぱり。記憶していない記憶が溢れ出し、涙と共に声が戻り、自分が誰かを思い出した。
するべきことをしてきたはずなのに。在るべきものを求めてきたのに。交わるべき者達を、交えてきたはずなのに。
 現実とは、斯くも残酷だ。





 


08 11/2