アステロイド家族




リアル・ワールド



 長い夢を見ていた。
 ひどく生々しく、現実味のある、それでいて嘘臭い夢だった。鼻を掠める甘い香が、気怠さを掻き立ててきた。
心地良い疲労と唇に残る彼女の味は、昨夜の余韻だ。思い出すだけで、絞り切ったはずの欲望が甦ってくる。
だが、ひどい空腹も感じたので体を起こした。申し訳程度に被っていた布が滑り落ち、肩から長い髪が零れた。
腰近くまで伸ばしたピンク色の髪は寝乱れていたが、絡んでいない。髪全体に、女の匂いが染み付いていた。
それが鬱陶しいが、同時に面白かった。異種族とはいえ、女は女だ。その感触も匂いも、同族と大差がなかった。
体格が小さく、体つきが細いのも好みだ。クニクルス族の女はどれもこれも大柄で、組み伏せるのが面倒なのだ。
その点、新人類とやらは簡単だ。たまに身長が高い女もいるが、基本的には華奢で筋肉も薄く、腕力も弱かった。
そして、超能力も持っていない。心も読めず、空間も飛べず、物体を動かせない生物など簡単に蹂躙出来る。
 皇帝艦隊旗艦アエテルヌム号のエンジンの唸りがかすかに感覚を掠め、緩んでいた神経が覚醒と共に張る。
故郷の皇居の自室と遜色のない装飾が施され、贅の限りを尽くした家具が並び、無造作に宝石が転がっている。
サイコキネシスを軽く放って全ての窓のカーテンを開けると、朝を迎えている青き水の惑星、地球が一望出来た。

「起きろ」

 レギーナは薄布を剥ぎ、傍らで身を縮めている少女の裸身を露わにした。

「はい」

 少女、ヒエムスは従順に起き上がると、寝乱れた髪を少し手で直してから、深く頭を下げた。

「おはようございます、神聖皇帝陛下」

「すぐに朝食の支度をさせよう。余があれほど責め立てたのだ、貴様も消耗したであろう?」

 レギーナが唇の端を歪めると、ヒエムスは震える手でシーツを握り、俯いた。

「…はい」

「貴様の乱れようは、貴様の父君に見せつけてやりたいほど美しかったぞ」

「それだけはご容赦を、陛下」

 ヒエムスが涙に潤んだ目を上げると、レギーナはその顎を掴み、強引に引き寄せて視線を交わらせた。

「明朝、余は貴様と婚礼の儀を執り行う」

「はい」

 逆らうことすら出来ず、ヒエムスは薄い唇を動かした。レギーナは、吐息が触れ合うほど顔を近付ける。

「貴様に似合う衣装も、宝石も、舞台も、全て整えた。貴様が呼吸することを許された場所は、余の腕の中だけだ」

「…はい、陛下」

 ヒエムスはぎこちなく口元を上向け、今にも泣きそうな顔で笑顔を作った。

「そうだ。笑え、ヒエムス。新人類の代表として、神聖コルリス帝国の盛栄とクニクルス族の繁栄を祝うためにな」

 レギーナはヒエムスの涙が滲んだ目元を舐め取り、わざと音を立てて飲み下してから、その耳元に口を寄せた。

「余の望みは宇宙の必然だ」

 レギーナは少女から手を離し、天蓋の付いた大きな寝台の傍にある衣装棚を開き、純白のガウンを取り出した。
そこからもう一着のガウンを取り、少女に投げ飛ばした。そして、寝台を囲む天蓋をめくり、寝室から出て行った。
神聖コルリス帝国の紋章が刻まれた厚い扉を開けた先には、レギーナと全く同じ顔をした側近が待ち構えていた。

「おはようございます、陛下」

「良い朝だ、ルルスス」

 レギーナが立ち止まると、ルルススは寝室に併設している浴室の扉を示した。

「いつものように、湯浴みの用意は整えております」

「勝利を収めたとはいえ、戦時中には変わりない。あの女の匂いで、他の連中に盛りが付いたら敵わんからな」

 レギーナが浴室に向かうと、ルルススはすぐさまその前を行き、ガラス細工の施された半透明の扉を開けた。
寝室と大差のない広さの室内には、花の香油が僅かに入り混じっている柔らかな湯気が立ち込め、肌を潤した。
浴室の中央には円形の湯船が作られ、周囲にはレギーナが好んでいる祖国原産の花が飾り付けられていた。
レギーナの髪色よりも淡いピンクの色が付けられた湯の上にも花びらが散らされ、甘ったるい匂いを放っていた。
 レギーナが足を進めると、ルルススはガウンの腰紐を解いて袖から腕を抜き、滑らかな動作で脱がせていった。
それを折り畳んで扉の脇の台に置いたルルススは、湯船に身を沈めたレギーナの後ろに回り、長い髪を洗った。
湯船と同じく、僅かに香油を落とした湯を使って丁寧に濡らしてから、洗髪料を量の多い髪に塗り付け、泡立てた。
ヒエムスとの情事の余韻が落とされ、レギーナの肌に貼り付いていた両者の体液や汗も湯の中に溶けていった。
壊れ物を扱うような手付きで髪を濯がれた後、体も軽く洗わせ、肌を伝う水気を拭き取らせ、ガウンを羽織った。
 再び寝室に戻ったレギーナは、ルルススの手で髪を乾かされた後、当然ながら彼の手を借りて着替えを始めた。
湯船に落とされていた香油と全く同じ香りの香水を振り掛けられてから、最上級の糸で仕立てた下着を付けた。

「太陽系統一政府の動向は?」

「静かなものです。陛下のお力で、統一政府本部を壊滅させ、全ての軍事基地を滅ぼしたからでございましょう」

 失礼します、とルルススはレギーナの足を上げさせ、太股の中程まであるストッキングを履かせた。

「将軍のご令嬢はどうなさっておりますか?」

「今朝は腰も立たぬようだ。並みの女に比べれば、随分と具合は良いがな」

 レギーナが腕を上げると、ルルススがその腕に袖を通し、シャツのボタンを一つ一つ丁寧に締めていった。

「陛下の精が勿体のうございます。新人類などでは、高貴なる陛下の精を受精出来ないではありませぬか」

「なあに、そんなものは存分に喰えばすぐに漲る。これからは、あの女にだけ注ぐことになるのだからな」

「ですが、陛下。それでは、陛下の御世継ぎは」

 ルルススはレギーナに軍服を着付ける手を止めずに尋ねると、レギーナは一笑した。

「今、フォルテが孕んでおるだろう。それが生まれ次第、我が子とする」

「では、そのように手配いたします」

 ルルススはレギーナの襟元を整えてから、無数の宝石に縁取られた鏡台を示し、礼をした。

「将軍閣下はどうしている?」

 鏡台の前に座り、レギーナが足を組むと、ルルススは水気の残るピンクの髪に金細工の櫛を刺し、梳き始めた。

「統一政府軍が全軍沈黙したとお知らせしたところ、牙が抜けたように大人しくなられました」

「明朝の婚礼の儀は、ムラタ将軍の謁見を許可する」

「では、将軍閣下のお席はいかがなさいますか」

「特等席を用意してやるに決まっているだろう」

 レギーナは愉悦の笑みを零し、金色の房が付いた軍服の肩を震わせた。太陽系を征服したのは気紛れだ。
神聖コルリス帝国は、母星である惑星プラトゥムと同星系の惑星を征服し尽くしたが、それでは飽き足らなかった。
センティーレ星系のある銀河を旅立った神聖コルリス帝国皇帝艦隊は、仇なす者達を次から次へと滅ぼしてきた。
少しでも反抗的な態度を見せたら襲撃し、服従する態度を見せたら搾取し、逃亡した者達は追跡して叩き潰した。
そして、あらゆる星に領土を広げていった。その征服行脚の最中に訪れたのが、有り触れた星系、太陽系だった。
 太陽系はこれといって突出した部分はない。惑星の配置も、生産する物資も、科学技術も、全て平均的だった。
だが、態度が反抗的だった。皇帝艦隊を星系に侵入させることすら拒み、最初から攻撃する姿勢を見せていた。
近頃では反抗すらせずに降伏する国家が増えてしまったので、退屈していたレギーナは、全面戦争に持ち込んだ。
太陽系統一政府は所有する兵器のほぼ全てを使い、皇帝艦隊と激突したが、レギーナの足元にも及ばなかった。
 宇宙規模の成長を続ける超巨大国家、神聖コルリス帝国の最大の兵器は、神聖皇帝レギーナ自身の力だった。
レギーナはサイコキネシス能力を持って生まれたが、その能力値は発現した時点で並外れた超高出力だった。
皇族として生きるうちに鍛え上げられた精神力に支えられたサイコキネシスは、光学兵器すらねじ曲げてしまった。
成長するに従って発達したサイコキネシスは常識を凌駕しており、調子の良い時は惑星すらも一息で滅ぼせる。
 皇帝艦隊の旗艦には、レギーナの超能力を最大限に引き出せるサイキックアンプリファーが装備されている。
レギーナの脳波と思念波に合わせて開発され、超能力を増幅させる宝石を中心に据えた、最強の破壊兵器だ。
サイコキネシスは単なる砲撃とは違い、能力者の思考に応じてパワーも変化し、素晴らしい指向性を持っている。
惑星規模の超広範囲攻撃から、針の穴に糸を通すような精密射撃まで、レギーナは寸分の狂いもなく行うのだ。
同じように超常の能力を持っている惑星ドラコネムの竜人族ですら、レギーナの力の前では赤子も同然だった。
 それが、新人類ならば尚更だった。ごくたまにエスパーが生まれるが、その絶対数は一握りに過ぎなかった。
その一握りのエスパーを集めてレギーナに対抗するべく艦隊を組んだが、攻撃を掠らせることも出来なかった。
新人類の切り札とも言える超能力艦隊を墜としてからは、レギーナは前線では戦わずに、部下に全てを任せた。
太陽系統一政府に僅かでも勝ち目があるように見せかけ、油断を作らせてから、一気に叩きのめすためだった。
その作戦は見事に成功し、皇帝艦隊との総力戦を行った新人類は余力を使い果たし、自衛の戦力すら失った。
そして、一年間に及ぶ全面戦争の後、太陽系統一政府は降伏した。あちらの犠牲は大きいが、こちらは少ない。
たとえ皇帝艦隊を失ったとしても、宇宙中に神聖コルリス帝国の領土があり、兵士となるべき同族も無数にいる。
 ヒエムスは、太陽系統一政府軍の将軍、マサヨシ・ムラタの一人娘である。今は亡き妻、サチコの忘れ形見だ。
レギーナがヒエムスに手を付けたのも、ほんの気紛れだった。戦乱に乗じて誘拐させた娘達の中の一人だった。
人質として生かすか処分するかを決めるために掻き集め、謁見した時、一人だけ真っ直ぐレギーナを睨んできた。
他の娘達はレギーナを見ることすら出来ず、情けなく震えていたが、ヒエムスだけは敵意を真っ向から示した。
その態度が面白かったので、レギーナはルルススに命じてヒエムスだけを生かし、他の娘達は全て処分させた。
 ヒエムスはその日のうちにレギーナの寝室に放り込まれたが、将軍の娘らしく激しく抵抗し、殺そうとしてきた。
彼女から向けられた血の滲むような敵意と殺意が心地良く、レギーナはヒエムスから向けられた刃を受け止めた。
だが、致命傷にはならなかった。ヒエムスは多少の護身術は身に付けていたものの、殺す術まで知らなかった。
胸に突き立てられたナイフを抜いたレギーナはサイコキネシスで傷を塞ぎ、己の血に汚れた刃を彼女に向けた。
自分の行動とレギーナの出血に怯えたヒエムスは、腰が抜けていたのか、呆れるほど簡単に手込めに出来た。
 それから、ヒエムスはレギーナの玩具になった。戦略的な道具にする時もあれば、ひたすら犯す日もあった。
徹底的に甘やかす日もあれば、気を失うまで殴り付ける日もあった。そのうちに、ヒエムスは反抗心を失った。
レギーナの気まぐれに振り回されたことに疲れ果てたのか、素直に答えるようになり、体さえも開くようになった。
その従順さに飽きるまで、生かしておくつもりだ。玩具としての価値すら失ったら、宇宙に投げ捨ててしまおう。

「ルルスス」

 レギーナは髪を剥いていたルルススの手を取り、引き寄せ、全く同じ顔の少年の頬に唇を寄せた。

「はい、陛下」

 ルルススはうっとりと目を細め、されるがままになった。

「余の思念を読め。そして、余が今朝方見た愚かしい夢を消去してくれ」

「心得ました」

 ルルススはレギーナの額に己の額を当て、目を閉じると、テレパシーを用いてレギーナの記憶を探り始めた。
レギーナも目を閉じ、ルルススの柔らかくも強い思念に身を委ねた。つまらない夢だが、妙に引っ掛かる夢だった。
 夢の中でのレギーナは、どこの星とも知れない場所で新人類と良く似た外見の生命体と同じ家で暮らしていた。
敵軍の将軍に似た男、新人類と思しき幼女、二体の物を言う人型兵器、全身に兵器を詰め込んだサイボーグ。
レギーナは日々家事を行い、小間使いのような立場になっていたが、それに逆らうどころか喜んでいたようだった。
それからして、まず有り得なかった。神聖コルリス帝国の神聖皇帝ともあろう男が、他人の世話をするわけがない。
程なくして、その夢の記憶が薄らぎ、消えた。ルルススはそっとレギーナの額から額を離すと、深々と頭を下げた。

「これでよろしいでしょうか、陛下」

「充分だ」

 レギーナはルルススの額に口付けを落とし、微笑んだ。ルルススは頬を染め、心酔しきった笑みを浮かばせた。
ルルススは髪を整える作業に戻り、レギーナの美しい髪を結い上げ、後れ毛を一本も落とさずに髪留めを止めた。
その最中に、ヒエムスにあてがった侍女達が寝室に入っていった。今日、彼女に着せる衣装は白いドレスだった。
明日、婚礼の儀を行うことを知らしめるためだ。マサヨシ・ムラタがどんな反応をするか、想像しただけで楽しい。

「余の意志は絶対だ」

 レギーナはしなやかに指先を上げ、地球上へと力を放った。青い海が唐突に抉れ、大規模な爆発が発生した。
爆心地から程近い大陸は抉れ、海面が割れ、海底が露わになる。人間達の戦慄する声が、聞こえるようだった。
鏡台の傍のホログラフィーモニターからは警戒警報が響くが、レギーナの耳には心地良い音楽に過ぎなかった。
 先代皇帝が存命だった頃、能力の強さ故に疎まれていたレギーナは、幾度となく最前線に放り込まれていた。
だが、決して死ぬことはなかった。先代皇帝の作戦で部下が消えようとも、集中砲火を受けようとも生きていた。
部下や兵士を盾にしていたからだ。同族の血と敵兵の血を身に浴びながら、レギーナは反逆の時を待っていた。
そして、十五歳の誕生日を迎えた日、側近のルルススと共に遺伝性の病で超能力が衰えた先代皇帝を殺した。
その翌日から、レギーナによる政治が始まったが、それまでの独裁政権が生温く思えるほど苛烈な独裁だった。
惑星プラトゥムだけだった領土をセンティーレ星系全体まで広げ、支配した惑星を滅ぼす勢いで搾取を重ねた。
侵略と略奪と虐殺が絶える日はなく、レギーナの退屈を紛らわすためだけに滅ぼされた惑星も少なくなかった。
 第一皇女でありレギーナの実の妹であるフォルテは、軍務に就いていたが、退役させて後宮へと放り込んだ。
無論、皇族の血を絶やさないためだ。成人前だが既に妊娠出来る体になっていたフォルテに、男をあてがった。
最初の頃はフォルテとその側近達も抵抗したが、レギーナの力で拷問を重ねると、ついに心が折れてしまった。
なまじ心が強いため、折れてしまえば簡単だった。今では、レギーナが命じれば、側近すらも殺すようになった。
フォルテさえ攻略してしまえば、フォルテを慕っていた者達もレギーナに屈服した。最早、自国内に敵はいない。
 そして、この銀河系にすらも。




 太陽系統一政府新首都の廃墟の前に、祭壇が組まれていた。
 十数メートルはある祭壇の構造物は希少な金属で組まれ、階段は宝石で彩られ、悪趣味なほど煌びやかだ。
抜けるように青い空を覆い隠すように皇帝艦隊の旗艦が集結し、全ての兵士の視線が眩い祭壇に注がれていた。
 千年の滅びの果てに再生が始まった地球の空気は甘く、濃い。だが、その地表はレギーナに焼き尽くされた。
ようやく復興が始まった都市を潰し、生え始めた木々を焼き払い、故郷に戻った人間を殺し、死体の山を作った。
苦労に苦労を重ねた努力を踏み躙る時ほど、楽しいものはない。これまでにも、蘇りかけた文明を滅ぼしてきた。
希望という希望をへし折り、奪ってこそ真の支配者となれる。祭壇の上から、レギーナは兵士達を見下ろしていた。
整然と並ぶ数十万人の兵士は、小銃を持って背筋を伸ばしている。皆が皆、判で押したように揃った格好だった。
その隙のなさに、己の権力を改めて思い知った。母を殺し、妹を陥れ、皇族達を排除し、手に入れた絶対の力だ。
 レギーナの傍らの椅子には、純白のドレスに身を包み、妃の証であるティアラを載せたヒエムスが座っていた。
薄いヴェールに覆い隠された顔は虚ろで、青い瞳は何も映していない。数ヶ月ぶりの地球すら、感じていなかった。
それが少しだけ不満だったが、我慢した。この後に起こる出来事は、間違いなく面白くなると確信していたからだ。
 レギーナがルルススに目配せすると、楽団の演奏が鳴り始め、兵士達は一斉に軍靴を叩き合わせて敬礼した。
レギーナは花嫁のドレスよりも華やかなドレスの裾を引きずって立ち上がり、手を掲げると、歓声が沸き上がった。

「我が同胞よ!」

 レギーナは歓声に勝る声量で、演説を始めた。

「諸君らの働きにより、神聖コルリス帝国はまた新たな惑星を故郷にすることが出来た!」

 歓声は更に沸き、祭壇をも揺らがした。

「統一こそが真の平和への道であり、淘汰こそが生命の必然なのだ!」

 レギーナは両腕を広げ、歌うように叫んだ。

「我らは、宇宙に選ばれた民族なのだ!」

 兵士達は、皆、小銃を振り上げる。

「数多の星々を清め、繁栄せよ! 諸君らの繁栄こそが、我が喜びだ!」

 高揚感が膨張し、迫り上がっていき、誰かがレギーナを讃える声を上げた。

「神聖皇帝万歳!」

「神聖皇帝万歳!」

「神聖皇帝万歳!」

「神聖皇帝万歳!」

「神聖皇帝万歳!」

 高ぶった感情が伝染し、更に言葉も伝染していく。津波のように押し寄せる無数の歓声に、レギーナは笑んだ。
ヒエムスの白い手袋に包まれた手を取り、立ち上がらせると、止むことのない歓声の渦の真正面に連れ出した。
新人類の姿に一瞬兵士達は声を止めたが、レギーナが肩を抱いてみせると、すぐに新たな歓声が沸き起こった。

「神聖妃殿下万歳!」

「神聖妃殿下万歳!」

「神聖妃殿下万歳!」

「神聖妃殿下万歳!」

「神聖妃殿下万歳!」

 兵士に蔑まれこそすれ、讃えられるとは思っていなかったのか、ヒエムスはヴェールの下で青い瞳を震わせた。
レギーナはヒエムスの左手を取ると、かしづいた。戸惑ったヒエムスに柔らかな笑みを向け、手の甲に口付けた。
更に、歓声は爆発する。ヒエムスは白い頬を更に白くしていて、この状況にすっかり飲まれてしまったようだった。
ならば、潮時だ。レギーナはサイコキネシスを放ち、祭壇の下に隠した鉄格子を破り、中の男を引き摺り出した。
レギーナの力に従って、鎖で固く縛り上げられた男の体は浮き上がり、大歓声を上げる兵士達の前に曝された。

「見ろ、ヒエムス」

 レギーナはヒエムスのヴェールを上げ、目を向けさせた。

「お前の父君だ」

「お父様…?」

 ヒエムスは虚ろだった瞳に光を戻し、浅く息を吸い込み、叫んだ。

「お父様ああああっ!」

 宙に浮かばされている軍服姿の男、マサヨシは娘の声に気付いて顔を上げた。

「ヒエムス…。生きて、いたのか?」

 拷問のためか、屈強だった体躯は一回り縮んでいた。軍服に付いた最高位の階級章は、泥と血で汚れていた。
乱れた黒髪の下からは血が流れて頬と顎に筋が作られ、疲弊の色は濃かったが、眼差しは理性が残っていた。
絶望と苦痛で淀んでいた瞳が娘を捉えると、光が戻った。ヒエムスもまた、暗く沈んでいた表情に歓喜が宿った。

「お父様、お父様、ああ、お会いしたかった!」

 ヒエムスはレギーナの腕を振り解いて駆け出そうとしたが、レギーナはヒエムスの首を握り締めた。

「誰が接触を許した?」

「申し訳…ございません…」

 喉を押さえられたヒエムスは、息を荒げながら後退った。レギーナは彼女の首を離し、マサヨシを仰ぎ見た。

「ご機嫌麗しゅう、将軍閣下。これから余は貴様の娘をもらい受けるのだ、これほど光栄なことはなかろう?」

「お前のような独裁者に、俺の娘をやるわけがないだろう!」

 マサヨシは枯れた喉を震わせ、渾身の力で叫んだ。

「一つ、相談があるのだが」

 レギーナはマサヨシを祭壇の上に降ろし、立たせると、悠長な足取りで近付いた。

「これから余が命じることが出来たならば、貴様だけでなく、娘も解放しよう」

「その言葉に嘘はないな?」

 僅かな期待に、マサヨシの口元が歪んだ。

「余は神聖皇帝だ。愚民など、謀ったところで面白くも何ともない」

 レギーナが目を細めると、マサヨシを戒めていた鎖が爆ぜ、じゃらりと落ちた。

「余の前で娘を犯せ」

「そんなこと、出来るわけないだろうが!」

 憤慨したマサヨシが絶叫すると、レギーナはヒエムスにも命じた。

「貴様にそれが出来ないと言うのならば、ヒエムス、お前の手で無能な父親を殺すがいい」

「どうぞ、これをお使い下さい、妃殿下」

 ルルススはヒエムスの手に皇族の護身用である煌びやかな装飾のナイフを握らせると、音もなく身を下げた。

「お父様…」

 ヒエムスはかたかたと震え、足をもつれさせながら、マサヨシに近付いた。

「俺の命など構わん。お前が生きてさえいれば、それでいいんだ」

 マサヨシは両手を下げ、無抵抗の意志を示した。ヒエムスは目元に涙を溜め、レギーナに振り返った。

「どうかお許しを、陛下…。私には、そんなことは…」

「殺せ。父親の血こそが、余の妻となる女に相応しい化粧だ」

 レギーナはヒエムスの頬に手を添え、薄く化粧が施された頬をぬるりと舐めた。

「どうしてもそれが出来ぬと言うのなら、この場で貴様の衣装を剥ぎ、昨夜と同じように乳房や尻を責め立てて滴り落ちるほど濡らさせ、父親に犯されねば収まらぬようにしてやってもいいが?」

「あ…あぁ…」

 ヒエムスがぼろぼろと涙を落としてよろめくと、マサヨシは娘の体を支え、その右手を胸中に導いた。

「生きてさえいれば、何度でもやり直せる。だから、どうか、お前だけは生きてくれ」

「嫌ぁあああああっ!」

 ヒエムスは必死に身を捩って父親の手から右手を脱させようとしたが、マサヨシの手は躊躇いなく下げられた。
軍服が破れ、肌を裂き、肉を貫く感触の後、生温い飛沫が噴き出した。その様を眺めながら、レギーナは笑った。

「良い余興だ、ヒエムス! 血塗られた道こそ、我が一族の歩む道だ!」

 ヒエムスの純白の花嫁衣装が、赤黒い体液に濡れていく。手袋が、肌が、ヴェールが、ドレスが、髪飾りが。
手袋からは吸い取りきれなかった血の雫が垂れ、ドレスの胸元は素肌に貼り付き、柔らかな裾は重たくなった。
マサヨシの足元に広がった血溜まりは、祭壇の端から溢れるほど大きくなり、レギーナの足元にまで到達した。

「嘘よ…こんなの…悪い夢だわ…」

 失血で意識を失ったマサヨシの体を受け止めたヒエムスは、見開いた目から涙を零し、掠れた呟きを漏らした。

「生憎、現実だ」

 レギーナはヒエムスをマサヨシから引き離し、彼の死体を思い切り踏み付けると、血染めの花嫁を抱いた。

「神聖コルリス帝国に栄光あれ!」

 兵士の歓声が、地球を揺らすほど膨張した。レギーナの腕の中で、目の焦点を失ったヒエムスは脱力していた。
嘘よ、こんなの夢よ、と繰り返しながら、父親の血に汚れた手をだらりと下げ、レギーナの体に体重を預けていた。
これが夢であってたまるか、とレギーナは高笑いした。生温く、血の匂いすらない生活は、夢に見るのも嫌だった。
死と隣り合わせの危機感、蹂躙の快楽、そして征服の悦楽。その刺激こそが血を滾らせ、本能を高ぶらせてくる。
 愛は幻想であり、根拠のない妄想だ。





 


08 11/7