アステロイド家族




トゥルー・ワールド




 真実を絡め、現実を紡げ。


「次元断裂の自己修復が始まったわ。お母様の計算通りね」

「空間、時間、次元、共に正常値だ」

「太陽系標準時刻にして四十九時間四十二分十五秒後に、修復完了予定」

「全て滞りありませんわ」

 真っ二つに断ち切られた銀河の上に、四人の娘達が浮かんでいる。

「キーパーソンの精神体乖離現象も収まりつつあるわね」

 ウェール。

「彼らの精神体が第五次元の肉体に戻ってきたら、精神体に癒着した別次元の記憶を削除すべきか?」

 アエスタス。

「大丈夫。問題はない。次元修復と共に次元間の距離が離れれば、記憶の維持は不可能」

 アウトゥムヌス。

「そして、私達の精神体が第五次元から乖離すれば、キーパーソンからも私達の記憶は消滅しますわ」

 ヒエムス。

「第五次元でも、失敗してしまったわね」

 細い眉根を顰めたウェールは、両断された銀河系を見下ろした。母を支える床に浮かぶ、立体映像である。

「不確定要素である我らが介入したところで、結果は変わらないのか」

 アエスタスが悔しさを滲ませると、アウトゥムヌスは彼のために袖を千切った左腕に触れた。

「所詮、私達は次元の異物。各次元に介入し、キーパーソンに接触することが出来ても、変化は与えられない」

「宇宙は生き物ですもの。私達は、その中を蠢く微生物に過ぎませんわ。元より勝ち目なんてありませんのよ」

 ヒエムスは頬に手を添え、ため息を零した。

「それで、第五次元のキーパーソンの処理はどうするつもりなの? 私は別に介入するつもりはないけど?」

 ウェールが言うと、アエスタスは長姉を見据えた。

「お母様からお許しが頂ければ、私は介入する。それが、何も出来なかった私達に出来る唯一の贖罪だ」

「同意」

「少しでも出来ることがあるなら、やるだけですわ」

 アウトゥムヌスに続き、ヒエムスが言うと、ウェールはさも馬鹿馬鹿しげに肩を竦めた。

「今更、あなた達に何が出来るというの? 手を出したところで、それぞれの次元のキーパーソンが孕む危険性に変わりはないわ。次元の自己修復が終わり次第、第五次元を見捨てて第六次元への介入を行うべきよ」

「けれど、まだジョニー君は死んでいない」

 アウトゥムヌスがウェールを見据えると、ウェールは一笑した。

「彼を生かしておけば、また死人が増えるだけよ。ヤブキが第二次元で引き起こした戦争を忘れたの?」

「でも…第五次元のレギーナ様はお優しいですわ。そりゃ、性格と口調がちょっとアレかもしれませんけれど」

 ヒエムスは、祈るように手を組んだ。アエスタスはウェールに迫り、声を張る。

「第五次元のイグニスは、トニルトスを殺さなかったではありませんか! 存在する次元が変われば、未来も変わる証拠です、ウェールお姉様!」

「変わらなかったじゃないの。グレン・ルーの介入を阻止出来なかった、あなた達の失態よ」

 ウェールは冷え切った眼差しで妹達を見渡し、腕を組んだ。

「結局、次元が違っても彼らの本質は変わらないのよ。イグニスとトニルトスは戦いを求め、ジョニー・ヤブキは在りもしない居場所を探し、レギーナ・ウーヌム・ウィル・コルリスは狂気を宿し、そして、マサヨシは理想に身を浸し続けている。第一次元でも、第二次元でも、第三次元でも、第四次元でも、マサヨシはいつもそうよ。保護対象が存在していれば少しは変わるかと思ったけど、そんなことはなかったわ。あの人さえまともな判断を下していれば、どの次元でもこんなことにはならなかったのに」

「だが、ウェールお姉様は、全てのキーパーソンと最も密接な関係を築いていたではありませんか」

「だから、それが何だというのよ? キーパーソンと居を共にして、変えるべき分岐を変えてきたけど、やはり結末は変わらなかったわ。アエスタス、あなたは私に何を言わせたいの?」

「キーパーソンに、思い入れはないのですか? ウェールお姉様は、あれほど彼らの思いを受けていたのに」

「思い入れを持つだけ、無駄なのよ。私達とキーパーソンは、全く違う次元に存在していることを忘れているようね。お母様のお力で、私達の精神体は彼らの存在する次元に生み出された肉体に憑依し、次元に介入することが出来るわ。けど、私達は次元との接点を失えば、その次元に存在する者達が記憶した私達の記憶も消失するのよ。だから、どんなにキーパーソンから思われようと、お母様の元に戻ってきた時点で彼らの記憶は失われているのよ。あなた、何を考えているの?」

 ウェールが冷たく言い切ると、アエスタスは勢いを失い、俯いた。

「ですが…お姉様」

「けれど!」

 アウトゥムヌスが珍しく声を上げると、ウェールは三女を一瞥した。

「記憶は消えても感情は消えない、とかなんとか言い出すんじゃないでしょうね? そんなに都合の良いことが、ほいほいあってたまるもんですか。記憶が消えれば経験も消え、感覚も消え、もちろん感情も消失するのよ。歴史改変に失敗した後もキーパーソンに介入を続ければ、いずれ第五次元は崩壊するわ。アウトゥムヌスは一個人の私情で次元を乱すつもりなの?」

「違う、私は…」

 アウトゥムヌスは首を横に振り、肩を震わせた。

「でも、このまま第五次元を見捨てるのはいけませんわ、ウェールお姉様。まだ、修復出来るかもしれませんわ」

 ヒエムスは縋るように、長姉に近付いた。だが、ウェールはそれを一蹴する。

「出来ないから、お母様は私達をテラニア号に呼び戻したんじゃないの。次元断裂の自己修復が始まってしまえば、キーパーソンの関係も元には戻らなくなるわ。ステラ・プレアデスの裏切りによるレイラ・ベルナールの襲撃で、私が死んだことになるからよ。正体が解ってしまえば、私はキーパーソンと居を共にすることは出来ないもの」

「ですが、今ならまだ間に合います」

 アエスタスは懸命に粘るが、ウェールは取り合おうともしなかった。

「お母様の判断は絶対よ。つまらない私情を挟もうとは思わないことね」

「つまらなくなんか、ない」

 アウトゥムヌスは左手の薬指に填めた結婚指輪に触れ、目を伏せた。

「ジョニー君と、生きていたい」

「それがつまらないのよ、アウトゥムヌス。あなたの生体構造は生体コンピューターの時とほとんど変えていないのに、どうして感情的な判断ばかりを下すのよ? もう少し、大人になりなさい」

「私は、生き物だから」

 アウトゥムヌスは、第五次元での炭素で出来た肉体とは違い、体温らしい体温を持たない珪素の肌に触れた。
三女の言葉に、姉妹は言葉を切った。第五次元でそれぞれが経験した事象と変化を、説明出来る単語だった。
それぞれがキーパーソンと接触し、精神体に蓄積した感情の変化や経験は、生きていなければ感じられない。
全知全能の母、アニムスの元で分身として長らえている間の時間は淀み、生きているようで死んでいる時間だ。
だが、それぞれの次元で経験した時間は違う。それぞれの心に変化をもたらし、微々たる成長ももたらしていた。

「彼らも、皆、生き物」

 アウトゥムヌスは胸に手を当て、きつく握り締めた。

「変化する。進化する。だから、まだ変えられる」

「変えたところで、何をどうするつもりなのよ? また、あの家族ごっこに付き合えって言うの?」

「私達が次元に介入しなくなったとしても、次元はそのまま継続し、時間も続行していきます。中途半端に手を加えておいて、手に負えなくなったら放り出してしまうのは、無責任すぎやしませんか」

 すかさずアエスタスが食らい付くが、ウェールは眉すら動かさなかった。

「けれど、それもお母様の御命令よ」

「でも、お母様は私達を縛り付けてはおりませんわ」

 ヒエムスは四人の頭上に浮かぶ直径五万メートルの脳髄、母、アニムスを見上げた。

「お母様は、いつも私達に用事を言い付けるだけですわ。何をするべきかの指示はありますけれど、そこから先はありませんわ。言ってしまえば、私達が何をしようと、どうしようと、お母様は何も仰りませんのよ。だから、第五次元に戻って介入を続けたところで何の問題もありませんわ」

「何よ、その屁理屈。お母様に逆らうつもりなの、ヒエムス」

「まさか、そんな大それたことをするつもりはありませんわ。ただ、出来ることならするべきだと思うだけですわ」

 ヒエムスは浅く息を吸った後、強く言い切った。

「第三次元での私は、何一つ出来ませんでしたわ。レギーナ様のお心を乱すことすら出来ず、あの人の命を救うことすら出来ず、意志のない人形も同然でしたわ。ですが、第五次元は違いますわ。私も、レギーナ様も」

「そうです、ウェールお姉様」

 アエスタスは頷き、四女に続いた。

「第一次元での私も、無力でした。機械生命体の本能に負けて、与えられたことを全うすることすら出来ず、あの人のみならずトニルトスまでも死なせてしまいました。けれど、第五次元での私は炭素生物です。金属細胞で出来た体とは違い、軟弱で非力ですが、それ故に誰も傷付けることはありません。そして、イグニスも変わりました。だから、きっと、変えることが出来ます」

「私は、ジョニー君の妻だから」

 アウトゥムヌスは結婚指輪を見つめ、かすかに口元を緩めた。

「第二次元で、私はジョニー君を一人にしてしまった。ジョニー君は、少し優しすぎるから。私が傷付けられたのは私の責任なのに、ジョニー君は私のことも背負ってしまった。第三人類の運命を変えようと、正しいことをしようとした。けれど、私が死んだために、ジョニー君は方向を間違えてしまった。だから、今、ジョニー君から離れてはいけない。ジョニー君に、もう誰も殺させてはいけないから」

「どいつもこいつも、甘っちょろいわね」

 ウェールは大袈裟にため息を吐き、さも嫌そうに顔を背けた。

「私が介入しても、第四次元でのマサヨシは暴走してしまった。機械生命体と神聖コルリス帝国軍の残党と旧人類の革命軍に、私とサチコが殺されたからってだけで、甦り始めた地球に戦艦を落として滅ぼしてしまうのよ。マサヨシは私とサチコを愛しすぎているのよ。それは、第五次元でも変わらないわ。だから、結末も変わらないのよ」

 頭上を仰ぎ、ウェールは両手を広げた。

「そうですよね、お母様?」

 母は答えない。今までと同じく、言葉は発さない。脳髄に巡る体液が循環し、膨大な脳漿にごぶりと泡が立つ。
少し赤み掛かった肌色に泡が当たり、爆ぜる。血管と同じ役割を果たすパイプに、ずるりと体液が流し込まれた。
足元から、頭上から、背後から、正面から、絶え間なく伝わってくる機械の唸りに、かすかなノイズが入り混じる。
それが、母の言葉だった。ウェールは腕を下げて目を見開き、脳に直接送り込まれた母の思考に激しく混乱した。

「第五次元への介入の続行? キーパーソンへの接触を再開? 次元統合作業の開始ですって?」

 ウェールの判断ではなく、妹達の判断を優先している母の判断に、ウェールは狼狽した。

「なぜ? どうしてお母様はそんな判断をなさるの?」

 ウェールは髪を振り乱すほど荒い動きで振り返り、両断された銀河系のホログラフィーが広がる床を凝視した。
床の上で、空間が歪む。次元と次元を繋ぐ穴が開き、目に見えない力で、彼らがゆっくりと引き摺り出されてきた。
 それは、五人のキーパーソンだった。あらゆる次元に生まれながらもいずれの次元でも無力だった男、マサヨシ。
母星が滅んでも機械生命体の誇りに生き、荒ぶる本能のままに戦い抜き、同族すらも手に掛けた戦士、イグニス。
惑星フラーテルの唯一の生き残りであるイグニスの手に掛けられ、死する運命しか持たなかった戦士、トニルトス。
孤独と心の空虚を権力と暴力で埋めることしか知らず、数多の星に死体の山と血の海を作った暴君、レギーナ。
在るべきではない時代に生み出され、種族の違い故に蔑まれる己を肯定するために立ち上がった青年、ヤブキ。
 彼らは皆、アステロイドベルトで襲撃された時の姿で現れた。傷付き、倒れ、精神体が抜けたために眠っている。
アウトゥムヌスは下半身のないヤブキに駆け寄ろうとしたが、止めた。精神体が戻るまでは、接触すべきではない。
アエスタスはイグニスとトニルトスを凝視し、ヒエムスは髪を焼き切られ、負傷したレギーナの姿に心を痛めていた。
ウェールは母の判断を信じることが出来ずに、テラニア号に呼び出されたキーパーソンと母を何度となく見比べた。
 次元の自己修復が始まり、第五次元とそれぞれの次元との接点が緩み、五人から抜けていた精神体が戻った。
呻きながら意識を戻した彼らは、目を開いた。ウェールはマサヨシの視界に入らないように身を下げて、思考した。
今、ここで、彼らの精神体を元ある次元に飛ばすことは出来る。次元超越能力は、他人にも適用出来るからだ。
だが、それは母に阻まれるだろう。しかし、このままでは。ウェールが迷う間にも、皆の意識は鮮明になっていく。
精神体の乖離による負荷が軽かったのかマサヨシは最も早く意識を戻し、ウェールを捉え、安堵の笑みを見せた。
 だが、ウェールは彼を直視しなかった。







08 11/10