娘が、生きていた。 機械生命体との戦闘に巻き込まれ、サチコと共に死んだと思っていたのに。守りきれなかったと思っていたのに。 三つの勢力が互いにいがみあうせいで争いの絶えない地球そのものを破壊したことは、決して無駄ではなかった。 サチコの手で、電脳体に生まれ変わったマサヨシは、単なるアンドロイドの人工知能の域を超えた成長を続けた。 その結果、あらゆるコンピューターの中を行き来出来るまでになり、いかなるセキュリティですらも阻めなくなった。 機械生命体の組み上げた生命の如きプログラムすらも凌駕して、電子の力はクニクルス族の超能力も圧倒した。 サイボーグの革命家の精神力の強さには参ったが、生身でしかない脳を過負荷で破壊するのは造作もなかった。 だが、二人は死んだ。だから、地球を滅ぼした。二人のいない世界を生きていても、何の意味も持たないからだ。 けれど、ウェールがそこにいる。マサヨシは歓喜に包まれながら立ち上がろうとして、己の肉体の重みに気付いた。 「どうして、俺の体が」 電脳の海に身を投じる前に使っていたアンドロイドボディは、第三人類軍との戦闘で破壊されてしまったはずだ。 だが、この体はそれともまた違う。疑似生体でもない。完全な生身だ。なぜ、死んだはずの自分を取り戻している。 視線を巡らすと、足元には見慣れた銀河系が広がっていたが、その中央は光の刃に真っ二つに両断されていた。 更に目をやると、仇敵ばかりが倒れていた。火炎将軍イグニス、雷光将軍トニルトス、レギーナ、ジョニー・ヤブキ。 反射的に熱線銃を抜こうとしたが、手に力が入らなかった。憎むべき敵が生き延びていたなら、また殺すしかない。 だが、全く別の感情に殺意が阻まれた。双方の感情に揺れながら、マサヨシは熱線銃のグリップから手を外した。 「ここは、どこなんだ?」 イグニスは身を起こし、反射的に構えた。殺したはずの傭兵の男、マサヨシ・ムラタが立ち上がっていたからだ。 そして、首を刎ねて胴体を貫いたはずのトニルトスも生きている。腹部を溶かされているが、それ以外は無事だ。 新人類に手を貸した異星人、クニクルス族の皇帝。マサヨシが死した後に機械生命体に刃向かった男、ヤブキ。 何がどうなっている。なぜ、どいつもこいつも生きている。イグニスは右腕の銃身を挙げようとしたが、躊躇った。 普段なら滑らかに持ち上がるはずのリボルバーが妙に重たく、肩が軋む。自分の体なのに、別物のようだった。 地球を拠点にしてアエスタスと共に戦い、新人類を始めとした地球派生の生物を絶滅させ、次の戦場を目指した。 そして、アエスタスとアウルム・マーテルの力を使って機械生命体という種を復活させ、新たな軍勢を造り上げる。 だから、こんなおかしな空間で止まっているわけにはいかない。だが、センサーが働かず、座標軸が掴めない。 「あの程度の攻撃を防げぬとは、屈辱だ」 トニルトスは首に触れ、頭部と繋がっていることを確かめた。首を刎ねられたところで、記憶が途切れている。 視線を動かすと、マサヨシが生きていることが解る。だが、同時にイグニスもまた生きていて、彼を狙っている。 本能に身を焦がし、誇りを忘れた愚者。それを倒し、機械生命体という種に誇りを取り戻すことが自分の使命だ。 だが、腹部に鈍い痛みが走った。どうやら、至近距離で熱線を照射されたらしく、外装と内部機関が溶けていた。 イグニスの仕業か、とは思うが、それにしては傷口の形状が違う。彼の炎ならば、もう少し高温で撃てるはずだ。 しかし、堪えられない痛みではない。まだ戦える。トニルトスは腹部の傷を押さえながら立ち上がり、長剣を抜いた。 ここで倒れては、マサヨシに手を貸した意味がない。過ちを繰り返す同族を断罪するまでは、死んではならない。 回路が焼き切れ、装甲が砕け、動力機関が爆ぜようとも、体が動く限りは戦い続けるのが機械生命体なのだ。 「ルルスス、ヒエムスはおらぬのか?」 全身に残る痛みの中、レギーナは目を覚ました。太陽系を征服して、銀河系全体の征服への足掛かりにした。 だが、進行する最中、長い間高出力の超能力を使い続けたためか、脳だけでなく体の至る所に異常が現れた。 強烈な激痛と苦痛に苛まれたが、それでも血を求めた。繁栄と侵略こそが、クニクルス族の使命だと信じていた。 しかし、レギーナが役に立たなくなると部下達は散り散りになり、帝国の力も衰え、次々に領土を奪い返された。 起き上がることも出来なくなったレギーナの唯一の救いは、戯れに手に入れた将軍の娘が注いでくる憎悪だった。 きっと、あれは彼女なりの復讐だったのだろう。ヒエムスがレギーナを生かしたのは、苦痛を味わわせるためだ。 サイコキネシスも弱り、衰弱しきったレギーナを殺すことは、ナイフも銃も扱えるヒエムスにとっては簡単だった。 だが、彼女はレギーナを殺さなかった。最期の瞬間まで生かし続け、逃れがたい苦痛に負ける様を見るためだ。 それが憎悪であろうとも、彼女の視線を奪い、心を支配していた。そう思うだけで、苦痛が快楽に変わってくれた。 レギーナは、ヒエムスを愛していたのだ。だが、彼女への愛を自覚したのは、病で命を落とす寸前のことだった。 「俺は、間違っていたのか?」 肘から先のない腕を上げ、ヤブキは呟いた。第三人類軍は新人類を制圧し、差別の壁を破り、繁栄を始めた。 だが、長年差別され続けていた第三人類は新人類を差別するようになり、単純に立場が反転しただけだった。 ヤブキが求めていた世界は、そんなものではない。誰も彼もが同じ視点で暮らし、同じ価値観を持てる世界だ。 けれど、そんなことはなかった。いつのまにか、ヤブキもかつてのマサヨシのように、新人類を蔑むようになった。 皇帝の崩御で超巨大国家が崩壊し、太陽系に落ち延びたクニクルス族は、超能力は持っていても無力だった。 しかし、ヤブキは彼女達を迎撃した。生きる場所を求めて逃れてきた者達を撃墜し、躊躇いもなく皆殺しにした。 続いて現れた機械生命体とも、戦った。最後の生き残りだと言っていた二人の言葉を信じずに、殺してしまった。 第三人類の世界を乱すものは全て敵だと思っていた。だが、ふと我に返ると、自分が犯した罪の深さを理解した。 だから、ヤブキは腹心の部下に殺されてしまった。正義だと信じていたことは、何もかもが間違っていたからだ。 「神聖コルリス帝国の皇帝陛下であらせられますね」 辛うじて自由の利く肘を支えにして首を起こしたヤブキは、レギーナに向いた。 「余は貴様を存じておるぞ。確か、ヤブキとか申す、統一政府軍の将校であったな」 レギーナは熱線によって焼き切れた髪に気付き、整えるだけ整えてから、身を起こした。 「いえ、俺は」 第三人類軍の総司令官です、と言いかけたが、ヤブキは言い直した。 「その認識で構いません、陛下」 「ヤブキ大佐。貴様の腕は落ちておるようだが、その肘の先でも構わん。余の心臓を破れ」 「ですが、それは」 ヤブキが少し躊躇うと、レギーナは眼下に広がる両断された銀河系を見下ろした。 「これまで、余はあらゆる生命を蹂躙してきた。クニクルス族は宇宙に選ばれた民族であり、我が帝国こそが宇宙を支配するべきだとな。だが、それは出来なかった。きっと、この宇宙はまだ支配者を望んではおらぬのだろう。ならば、潔く身を引こう。そして、生まれ変わり、新たな命を得て力を振るうまでよ」 「あなたは、俺の知る陛下とは少し違うようですが」 「ならば、申してみよ。貴様はどのように余を認識しておるのだ?」 「俺の知る陛下は、自国の民だけでなく、あらゆる生命を尊ぶ、慈悲深い名君です。ですが、あなたは…」 ヤブキが語尾を濁すと、レギーナは低く笑った。 「では、そちらの余はまた別の余なのだろう。宇宙を制するために必要なのは慈悲ではない、圧倒的な力だ」 「どうやら、そのようだな」 二人の会話を聞いていたトニルトスは、長剣を床に突き立て、皆を見渡した。 「貴様はマサヨシだな」 「…そうだが」 マサヨシは熱線銃を取るべきか迷いながら、トニルトスに向いた。 「なぜ、貴様は銃を取ろうとする? 私は貴様と手を組み、イグニスを倒すべく戦っていたはずだが」 トニルトスが言うと、マサヨシは熱線銃を抜き、激昂した。 「俺とお前が手を組む? 冗談じゃない! トニルトス、お前はイグニスと一緒に俺の家族を殺したじゃないか!」 「そうだ、機械生命体。そこの男は、余がその娘の手で殺させたはずだぞ?」 レギーナが顎でマサヨシを示すと、イグニスが拳で胸を叩いた。 「いや、俺が撃墜してやったんだ! 鬱陶しくてどうしようもなかったから、せいせいしたぜ!」 「それは違う、俺がこの手でブレインケースを潰したんだ!」 負けじとヤブキが叫んだので、マサヨシは呆気に取られてしまった。 「それも違うぞ、ジョニー・ヤブキ。俺が機械生命体に撃墜されたのは本当だが、この俺は本当の俺じゃなくて、マサヨシ・ムラタの記憶を元にして作った人工知能を搭載したアンドロイドで…」 「だが、貴様からは生身の人間の生体反応しか感知出来ないのだが」 トニルトスがマサヨシを指すと、レギーナも頷いた。 「うむ。余の感覚でも、そう感じておるわ」 「確かに、サイボーグにしちゃ色々と生っぽすぎる気が」 ヤブキもマサヨシの体をセンサーで調べつつ、首を捻った。 「どういうことだよ、トニルトス?」 イグニスに急に話を振られ、トニルトスは言い返した。 「私に聞くな、下劣なルブルミオンめ」 「ひとまず、情報を整理せねばならんな」 おお、動けるではないか、とレギーナは安堵しながら立ち上がると、皆をぐるりと見回した。 「では、まず最初に聞こう。イグニス、貴様がこの男を撃墜したのだな?」 「俺の炎を浴びて死なねぇ人間がいるかよ」 「では、トニルトス。貴様はその現場を見ておるのか?」 「マサヨシがイグニスに撃墜されたのは、恐らく私が意識を失った後のことだろう。故に、視覚はしておらん。だが、私が倒された後ならば、マサヨシが殺されることは容易に想像が付く」 「では、ヤブキ。貴様も殺したのだな?」 「間違いなく。今は両腕がないけど、俺の手で頭部をむしり取って、積層装甲ごとぐちゃっと脳を押し潰したんだ」 「ふむ。だが、余も間違いなくこの男を殺したのだ。娘の手で心臓を貫かせ、その後に踏み躙ったのだ」 はて面妖な、とレギーナは華奢な指先で細い顎をさすった。 「だったら、ここにいる俺はどうなるんだ? 死んでアンドロイドになったはずなのに生身なんだが」 死んだ死んだと言われすぎて自分の存在に不安を抱いたマサヨシが手を挙げたが、レギーナは突っぱねた。 「そんなもの、錯覚に決まっておろうが!」 「大体な、死んだはずの男がのこのこ現れるんじゃねぇよ! 気色悪ぃな!」 イグニスがマサヨシを指して叫ぶと、トニルトスも頷いた。 「機械生命体である私が生きていてもそれほど疑問はないが、貴様は人間だから生きていては不自然だ」 「なんだったら、もう一度脳を潰してみたらどうだろう? そうしたらはっきりするんじゃないか?」 俺の腕はないけど、とヤブキが言うと、レギーナはぽんと手を打った。 「おお、そうだな! それが一番解りやすいぞ、ヤブキ!」 「…なんでそうなるんだ?」 マサヨシが渋い顔をすると、イグニスはごきりと指関節を鳴らした。 「なぁーに、痛ぇのは一瞬だ。その次の瞬間には、全部がはっきりしてるだろうぜ」 「妙案だな」 トニルトスまでもが同意したので、マサヨシはさすがに焦った。 「トニルトス、俺はお前の仲間って話じゃなかったのか? 別に信じてはいないが!」 見慣れた光景に、ウェールは拍子抜けしてしまった。次元が違っても、皆の本質が変わらないのは本当だった。 それも、根本的な部分から。精神体が乖離し、元あるべき次元の体に憑依したために、皆の記憶は混乱している。 だが、その状態であっても、変な部分で馴れ合っている。皆が皆、憎しみ合って敵対しているはずだというのに。 それはいいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。ウェールが本気で迷っていると、三女に袖を引っ張られた。 「阻止するべきだと判断する」 「取り返しが付かないことになるぞ」 アエスタスが半笑いを浮かべたので、ヒエムスは頬に手を添えた。 「そうですわね。うっかり精神体を破壊されてしまったら、修復のしようがありませんものね」 「でも、私に収拾を付けられると思う?」 困惑して眉を下げたウェールは後退るマサヨシににじり寄るイグニスを指すが、妹達は顔を見合わせてしまった。 そう思っていないのなら、頼らないでほしい。長女って損だ、と生まれて初めて思ったが、放っておくのは危険だ。 ウェールはイグニスとマサヨシの間に割って入ると、赤き戦士を見上げた。だが、イグニスは歩みを止めなかった。 「退け、小娘。俺の邪魔をするんじゃねぇよ」 「ちょっと痛いわよ」 ウェールはイグニスの目の前に浮かび上がると、腰を捻り、サイコキネシスを交えた蹴りを力一杯叩き付けた。 鈍い金属音と共に、イグニスの上半身が仰け反った。イグニスはたたらを踏んで、蹴られた側頭部を押さえた。 「…あ?」 イグニスは目の前に浮かぶ少女とマサヨシを見比べていたが、内心で目を丸めた。 「なんで、ハルがでっかいんだ? あんなにちっこくて可愛かったのに、いや、これでも充分可愛いんだがな、なんかこうそそるもんがねぇっつーか…」 「ハル?」 その名にマサヨシも立ち止まり、少し考えていたが、声を上げた。 「そうだ、ハルだ! なんで今まで忘れていたんだ、俺は! 理由は解らんが、ハルがいきなりでかくなったんだ!」 「ハル…とな? 余の知る者の名にそのような者は…」 レギーナは訝しげに眉根を曲げていたが、長い耳と尾をぴんと伸ばして甲高い声を上げた。 「みゅみゅう! そういえばそうでしたぁ、ていうか余ってなんですか余ってー! ボクはどこぞの暴君ですかー!」 「え、あ、え?」 状況に付いていけないヤブキがきょろきょろしていると、トニルトスが腹部を押さえて背を丸めた。 「…屈辱だ! このような馬鹿者共を守って負傷するなど、屈辱の極みだ!」 「えー…」 ヤブキはしばらく考えていたが、下半身のない体を見た途端に絶叫した。 「オイラの下半身がー! これじゃ余生はガンタンクっすよー! もしくは偉い人には解らない機体っすー!」 「要は、第五次元に繋がる記憶の端を掴ませればいいのよ。次元軸も揺さぶってやったから、完璧ね」 ウェールはイグニスの目線から下がり、妹達の元に戻った。 「でも、ちょーっとはしたなかったですわよ、ウェールお姉様。先程の蹴り、おみ足と下着が丸見えでしたもの」 ヒエムスが嫌みったらしくにやけると、アエスタスはやりにくそうに目線を逸らした。 「裾の広がった服であんなに勢い良く蹴りを放つのはなぁ…」 「破廉恥」 最後にアウトゥムヌスが付け加えたので、ウェールはワンピースの裾を押さえながらむっとした。 「人にやらせておいてその言い草はないでしょうが! そんなに言うんだったら自分でやりなさいよ!」 「ハル」 その声にウェールが振り返ると、熱線銃を床に捨てたマサヨシが立っていた。 「良かった。もう会えなくなると思っていた」 マサヨシは、ウェールに手を差し伸べた。 「ここがどこだか解らんが、とりあえず、家に帰ろう」 「馬鹿じゃないの?」 ウェールはマサヨシの手を見下ろしたが、触れもしなかった。 「帰りたければ帰ればいいじゃない。でも、私は帰らないわよ。あんな場所、私のいるべき場所じゃないもの」 「じゃあ、どこがお前の居場所なんだ?」 「ここに決まっているじゃないの。私はお母様の分身として生み出された個体。お母様の御命令を全うし、お母様の役に立つことこそが私の喜びなのよ。だから、私はあなた達を処理することに決めたの。お母様が何も申さないのなら、私が判断を下せばいいのよ」 ウェールは苛立った仕草で、顔を背けた。 「それと、私の名前はハルじゃないわ。ウェールよ。二度とそんな名前で呼ばないで」 「ハルはハルじゃないか」 マサヨシの穏やかな眼差しに、ウェールは彼に視線を向けようとしたが、すぐに足元の両断された銀河に戻した。 存在する次元そのものが違う相手に、情を寄せてどうなる。偽物の娘であることは、自分が一番良く知っている。 マサヨシに接触し、第五次元に介入するために記憶と次元超越能力を封じ、分子を構成して幼女の姿を作った。 その幼い体は、消滅している。ウェールの精神体がテラニア号へ戻った時に、分子の結合が崩壊したからである。 それは、三人の妹達も同じだ。アエスタスも、アウトゥムヌスも、ヒエムスも、第五次元での肉体は消滅している。 時間が経過し、第五次元とこの次元の接点が消滅すれば、四人に接触した者達の記憶もまた消えていくだろう。 それが解っているのだから、戻る意味などない。 08 11/10 |