アステロイド家族




トゥルー・ワールド



 母は、黙している。
 地球のコアと等しい直径を持つそれは、物を言わぬが故の威圧感を孕み、銀河の光を帯びて薄く光っていた。
ほんの少し赤みを帯びた表面は波打ち、深いシワを刻んでいる。彼女を包む脳漿に、ごぼり、と泡が生まれた。
母の望みも、目的も、真意も解らない。だが、一つだけ解る。今が、彼らと接触出来る最後の機会だということだ。

「あなた達は、キーパーソンなのよ」

 ウェールは背けていた顔を戻すと、音もなく浮かび上がり、ゆらりと純白のワンピースの裾を揺らめかせた。

「イグニスは第一次元、ヤブキは第二次元、レギーナは第三次元、そしてマサヨシは第四次元で、この銀河系を中心にして宇宙全体の歴史を変えてしまう可能性を持った存在なの。太陽系付近で頻繁に発生していた次元の歪みは、あなた達の存在が近すぎたが故に起きた、宇宙の自己修復現象の一端なのよ」

「私達は、お母様に造られた部品なんだ」

 ウェールの意図を察し、アエスタスは長姉と同じ高さまで浮かび上がった。

「お母様から与えられた次元超越能力を用いて次元を超越し、それぞれの次元で起きる異変に事前に介入することで、不測の事態を回避するために造られた、いわば生体兵器なのだ」

「けれど、私達はいずれの次元でも失敗し、歴史改変を行えなかった」

 アウトゥムヌスも浮かび上がり、五人を見下ろした。

「第一次元ではアエスタスお姉様が失敗し、第二次元では私が失敗し、第三次元ではヒエムスが失敗し、第四次元ではウェールお姉様が失敗し、いずれの次元でも銀河系の崩壊が始まってしまった。けれど、私達は時間を超えることは出来ない。お母様もまた、時間を超えることは出来ない。故に私達は、新たな次元を見つけ出し、介入した」

「それが、今のあなた達が存在していた次元、第五次元なのですわ」

 ヒエムスも身を浮かばせ、三人の姉に続けた。

「第五次元は、それまでの次元が交錯している、ちょっと変わった次元でしたの。惑星フラーテルが存在し、旧人類の遺伝子が残存し、コルリス帝国が存在し、マサヨシさんが生き長らえていましたの。お母様が仰るには、この次元は今までの次元のコピーなのですわ。次元や宇宙そのものに意志はありませんけど、それまでの次元が崩壊した際に流出した分子を再構成して、第五次元を造り上げたのですわ。そして、お母様はその第五次元を利用することにいたしましたの。歴史をやり直して、上書きしてしまうために」

「上書きって、そんな無茶苦茶な」

 イグニスが半笑いになると、ヤブキは頷いた。

「そうっすよそうっすよ、そりゃ宇宙ってのは未だに謎だらけっすけど、いくらなんでもそれはデタラメっすよ」

「だったら、今し方までの記憶はどう説明するつもりなのよ? お兄ちゃん?」

 ウェールに冷たく見下ろされ、ヤブキはちょっと言葉に詰まった。

「そりゃあ、まあ、夢オチってことでなんとか…。なんか、急に冷たくなっちゃったっすね、ハル…」

「でも、あの世界は、充分有り得るかもしれないです」

 レギーナ、もとい、ミイムはしゅんとして長い耳を伏せた。 

「ボクが見ていた夢、というか、別の世界でのボクなんですけど、あれは確かにボクがやりかねないことでした。ボクが全てを投げ出して逃げたりしなければ、きっと似たようなことをしていたでしょうから。ルルススが母上を殺し、ボクと入れ替えてくれなければ、きっとボクは…」

「そりゃ、うん、まあな…」

 イグニスも言葉を濁し、マサヨシを見やった。

「地球での戦いの後、俺がアウルム・マーテルの力に酔っ払っちまってたら、きっと、俺はマサヨシとトニーを」

「可能性など、どこにでも転がっているものだ」

 トニルトスもまた、マサヨシを見下ろした。

「私がイグニスよりも先に貴様に接触していたら、紆余曲折を経ずに手を組んでいたやもしれん」

「なんでオイラはこんなに弱いんだろうって思っていたけど、ちゃーんと理由があったんすね」

 ヤブキは駆け寄ってきたミイムの手を借りて上体を起こすと、アウトゥムヌスを見上げた。

「あっちの世界のオイラは、ちょっと強すぎたんすよ。むーちゃんが好きすぎるのはあっちでもこっちでも変わらないっすけどね。出来が悪いくせにプライドだけは高いもんだから、軍隊なんか造っちゃって、マサ兄貴を殺して、新人類を皆殺しにして、挙げ句にミイムの同族とイグ兄貴とトニー兄貴も殺しちゃうなんて、本当に馬鹿っすよ」

「けれど、この次元でも失敗したのよ。グレン・ルーの介入によってね」

 ウェールは極めて冷徹に、言い捨てた。

「あなた達を再び第五次元に戻せば、これまでの次元と同じ歴史を辿ることは間違いわ」

「そんなことはないです! ボクはもうレギーナじゃない、ただのママなんです!」

 ミイムが首を横に振ると、ヤブキも声を上げた。

「そうっす! オイラは革命なんか絶対に起こさないし、誰も殺さないって誓うっす! むーちゃんだって、機動歩兵の生体コンピューターになんかしないっす! 家に戻っても、オイラ達は大丈夫っすよ!」

「俺達を信じてくれ、ハル、いや、ウェール。俺達は、一つの家族じゃないか」

 イグニスが迫ると、トニルトスは腹部の傷に触れた。

「我が傷を無駄にしないためにも、私達は帰らねばならんのだ」

「だから、一緒に帰ろう」

 マサヨシがウェールを見上げると、ウェールは忌々しげに眉根を歪めた。

「でも、それは私がいたから成立していた関係に過ぎないでしょ?」

「だが、やってみなければ解らないだろう」

「やらなくたって解るわよ。大体、あなた達がこの人の元に集まった理由って私じゃないの」

 ウェールは、五人の作り物の家族を見渡した。

「マサヨシは実の娘の代用品として、イグニスは戦意を保つための被保護対象として、レギーナは自分が家族から与えられなかった愛情を注ぐ器として、ヤブキは死んだ妹の身代わりとして、トニルトスは唯一の良心を見いだす相手として、私を便利な道具として使っていただけじゃないの」

 皆が皆、思い当たる節があり、目を伏せた。ウェールは、強い口調で畳み掛ける。

「私に感情を向けることで、現実逃避をしていただけじゃないの。次元に介入する目的を持っていなかったら、とっくの昔に逃げ出していたわよ。私のことを好きだ好きだと言うくせに、やることがおかしいのよ。どいつもこいつも一度は現実に戻ろうとするのに、すぐにまた舞い戻ってくるなんて変よ。いい歳なんだから、それぐらいのことははっきり決めなさいよね。あの家にべったり執着しているのに、本当に心を許しているのは私一人だけで、他の連中には隙も見せようとしないんだから。それのどこが仲の良い家族なのよ」

 ウェールは頭上を仰ぎ、母を見据えた。

「私の家族はお母様だけよ。あなた達なんて、家族でも何でもないわ。利己的で薄汚くて生臭い大人よ」

「お前の言う通りだ、ウェール」

 マサヨシは全身で息を吐き、苦痛の滲む表情を浮かべた。

「解っているなら、これ以上妄言を吐かないことね。私はあの家に帰らないわ、絶対に」

 ウェールはマサヨシから目を外し、三女を睨んだ。

「あなたもよ、アウトゥムヌス。いい加減に聞き分けなさい」

「嫌」

 アウトゥムヌスは長女を見返し、ぎゅっと両の拳を固めた。

「私は、ジョニー君の傍にいる」

「可愛くないわね、妹のくせに!」

 ウェールはアウトゥムヌスに手を振り翳し、サイコキネシスの刃を放った。だが、それは彼女の力で相殺された。
一陣の風が吹き抜け、二人のスカートと髪が舞い上がる。アウトゥムヌスは見開いた目から涙を落とし、叫んだ。

「だって、私はジョニー君の妻だもの!」

「第二次元でも、第五次元でも、次元介入のために与えられた位置付けであって、ヤブキは本当にあなたのことを好いてるわけがないじゃない! それぐらい知っているでしょうが!」

 ウェールが厳しく言い返すが、アウトゥムヌスは譲らない。

「たとえジョニー君が私を忘れても、私はジョニー君を忘れない! 何度だって、ジョニー君と恋をする!」

「とんだ駄々っ子ね」

 ウェールはヤブキを見下ろし、顔をしかめた。

「あんなオタク野郎のどこがいいのよ」

「全部」

 アウトゥムヌスは震える唇を噛み締め、銀河の星々の上に涙を散らした。

「だって、ジョニー君だから!」

「むーちゃん…」

 ヤブキが愛妻を仰ぐと、アウトゥムヌスは涙を拭って笑みを見せた。

「大丈夫。問題はない。絶対に」

「ウェール。君の言うことは正しいし、ボク達はそれぞれに弱い部分があるから、何一つ否定出来ない。だけど、ボクはヤブキのことが好きなんだ。もちろん、友達としてね。だから、ボクはヤブキは絶対に殺さない。他の皆も、殺せるわけがないよ」

 ね、とミイムが他の面々に笑みを向けると、イグニスは笑った。

「おう。マサヨシを撃墜しちまったら、傭兵の仕事を請け負ってもろくに稼げなくなっちまうし、トニーを殺したらケンカ相手がいなくて寂しくなっちまうからな」

「不本意だが、イグニスは最後の同胞だ。私の心は、最早孤独に耐えうるほどの強度はない」

 トニルトスは、イグニスを見やった。

「心配しすぎっすよ、ウェール。そりゃ確かに、オイラ達全員、自分のことしか考えていなかったかもしれないっすけど、時間が経てば多少なりとも変化するんすよ。それを忘れちゃいけないっすよ」

 そうっすよねマサ兄貴、とヤブキから声を掛けられ、マサヨシは振り返った。家族全員の視線が、注がれていた。
ハルがいなくなってしまえば、家族を支える芯が抜ける。偽りの関係を繋ぎ合わせてくれる、唯一無二の存在が。
そのハルの姿を装っていた異次元の娘、ウェールは頭から皆の言葉を信じようとせず、鬱陶しげな顔をしていた。
 いつか、ハルはいなくなる。元あるべき世界に戻るため、偽りの家族から飛び立つことは解り切っていたはずだ。
きっと、今がその時に違いない。マサヨシは胸を潰すほど重たい罪悪感を感じつつ、冷たい目をした娘を仰いだ。

「ごめんな。俺は、何一つ約束を守れなかったな」

 マサヨシを慕い、無条件に信頼する目。感情をそのまま出した笑顔。甘ったれた声。優しく心地良い体温。

「お前の本当の母親を見つけてやることも出来なかった」

 家に帰ると出迎えてくれる。夜になると甘えてきてくれる。朝になると挨拶してくれる。

「お前が大人になるまで傍にいてやることも出来なかった」

 決して呼ばれないと思っていた呼び名で呼んでくれる。

「いつまでも、父親でいることが出来なかった」

 そのどれもが、自分自身が積み重ねた嘘によって崩れ去り、失われてしまう。

「嫌われて、当然だよな」

 マサヨシは寂寥感に負け、肩を震わせた。

「…嘘吐き」

 ウェールは低く呟き、力一杯奥歯を噛み締めた。もう一度、ごめんな、と優しい声を掛けられ、心が緩みかけた。
だが、堪えた。第五次元との接点が失われれば、ウェールもマサヨシとの記憶を失い、母の胎内で初期化される。
そうなってしまえば、揺らぎかけた気持ちも忘れてしまう。もう少し我慢して隠し通せば、何もなかったことになる。

「意地っ張り」

 ミイムの言葉にウェールが顔を上げると、彼は優しい眼差しを注いでいた。

「大きくなっても、ちっとも変わらないんだから」

「誰も意地なんか張ってないわよ!」

 ウェールは叫ぶが、僅かに声が上擦ってしまった。

「意地は張るだけ損だってこと、ボクを見てて解らなかった?」

 ミイムが苦笑すると、ウェールは目線を彷徨わせた。

「そんなの、別に、解りたくもないわよ」

「君がどれだけきついことを言ったって、冷たい態度を取ったって、ボク達は君のことが大好きだよ」

「私は、あなた達も、妹達も、全部大嫌いよ!」

 ミイムを強く見返し、ウェールは叫び散らした。

「私の家族は、お母様だけで充分なのよ! お母様は、ずっと私の傍にいて下さるわ! でも、あなた達はそうじゃない! 妹達だってそうよ! そんな相手を好きになったって、時間と労力の無駄なのよ!」

 ウェールは、荒くなった呼吸を整えた。幼い姿で暮らしたせいなのだろう、感情の振れ幅が大きくなりすぎている。
ここまで言うつもりなどなかった。ただ、嫌いだと言い捨てるだけのつもりだった。なのに、次から次へと出てくる。
本当に嫌いなのだ。好きになったところで、好かれたところで、生きる場所が違うのだから、嫌っていた方が楽だ。
そう判断して決めたはずなのに、ハルとして振る舞っていた時に感じた暖かな感情の残滓が心を揺さぶってくる。

「そう」

 ミイムは、慈しむように笑んだ。

「大好きなんだね」

 違う。ウェールは否定しようとしたが、詰まった。張り詰めていた緊張が途切れ、言い返せなくなってしまった。
膝の感覚が失せ、勝手に喉が引きつる。痛みを伴う固まりが迫り上がり、呼吸が乱れ、視界がぐにゃりと歪んだ。
ハルではないのだから、泣くわけにはいかない。そう思っても、手遅れだった。水とは違う物質が、目尻を濡らす。
体を浮かせていることが出来なくなり、冷たい床に膝を付いた。否定の言葉を出そうとしても、まともな声が出ない。
嗚咽を上げて背を丸め、震えていると、頭に手が置かれた。見上げると、マサヨシがウェールの前に屈んでいた。

「一緒に帰ろう」

 頷く以外、出来なかった。





 


08 11/11