アステロイド家族




トゥルー・ワールド



 声を殺して泣くウェールを抱くマサヨシを見つめていたヤブキが、唐突に発言した。

「で、そもそもここはどこなんすか? それが解らないと、いくらなんでも帰りようがないっすよ?」

「惑星型宇宙戦艦、テラニア号の中核部分」

 アウトゥムヌスはヤブキの手前に降りると、ミイムに代わり、彼の頭を膝に載せて首を上向けさせた。

「あれが、私達のお母様。アニムス」

「んー?」

 ヤブキは首を捻って仰ぎ見たが、視界に入ってきた物体の全景が捉えられず、反対方向に首を傾げた。

「で、どこにいるんすか?」

「だから、そこに」

 アウトゥムヌスは、母を見つめた。二人に倣って見上げたイグニスとトニルトスは、センサーを用いて感知した。
蛋白質に酷似した物質によって構成されているが、蛋白質ではない。直径は五万メートルあり、体積も膨大だ。
その構造は、人間の脳に極めて近い。だが、脳内を駆け巡る神経組織が細胞ではなく、ケーブルになっている。
脳幹らしき部分に繋がるパイプは数十メートルの直径を持ち、脳を支える脊髄らしき支柱は数百メートルはある。
巨大な脳を包み込んでいる透明な頭蓋には、脳漿の役割を果たす薄緑色の液体が満ち、時折気泡が浮かんだ。

「…凄ぇ」

 数歩後退ったイグニスは、常識の範疇を超えた大きさの脳を見上げた。

「生命体と言うよりも、生体コンピューターと表現するべきだろう」

 トニルトスも感嘆し、ため息に似た声を漏らした。

「はー…」

 ヤブキから離れたミイムは背伸びをし、上体を反らした。

「宇宙の神秘というか、なんというか」

「そうか。これが、お前達の」

 ウェールを支えて立ち上がったマサヨシは、アニムスを見つめた。

「そう。私達のお母様であり、テラニア号の生体コンピューターであり、次元制御ユニットでもあるの」

 ウェールは涙を拭うと、ハルであった時と同じようにマサヨシの腕に縋り、母を見上げた。

「テラニア号は、新人類が到達し得ないオーバーテクノロジーによって地球の内部に建造されている宇宙戦艦なの。そのテクノロジーをもたらしたのも、お母様なの。お母様がどこから現れて、何の目的を持っているのかは解らないけど、地球内部と同一の座標軸に出現したお母様を見つけた統一政府は、お母様を利用するようになったのよ。表沙汰にはされていないけど、統一政府の最高評議会の議員である生体改造体は、ほぼ全員がお母様の生体情報を元にして造られているのよ。新人類の生体改造技術だって、お兄ちゃんを生み出した技術だって、全てはお母様からの恩恵なの。今の新人類の発展は、お母様なくしては考えられないわ」

「ってことは、ここは地球の中なのか? だが、惑星のコアにしちゃ、いやに圧力が低い気がするが」

 イグニスが訝ると、ウェールはイグニスに向いた。

「座標軸と空間軸は同じだけど、次元軸はずらしてあるからよ。テラニア号が存在している次元は、第五次元とも、それまでの次元とも違う次元なの。あらゆる次元に干渉出来る要素を持った特殊な次元、マルチ・ディメンジョンとでも言うべきかしら」

「お母様はその規模故に、旧人類も新人類も第三人類も、引いては機械生命体すらも凌駕した思考をなさるのだ」

 アエスタスは長姉に続き、話した。

「私達四姉妹は、お母様の手足となって動く分身でありながらも、そのお考えを理解することすら出来ない。お母様の御命令で次元への介入を始めた時も、第五次元で活動するために新人類に近しい肉体を与えられた時も、生み出された時も、処分される時も、お母様から直接お言葉を掛けられたことは一度もない。私達の脳に、或いは精神体に直接ビジョンを伝えて下さるだけだからだ」

「お母様は時間超越は不可能。けれど、無数の情報を統合し、未来予測が可能」

 アウトゥムヌスはヤブキの冷たいマスクに珪素の冷たい指を添え、そっと撫でた。

「だから、きっと、今回の事態も予測の範疇であることは間違いない。その上でお母様は判断を下し、私達を導き、結論へと促す。この状況は、そのための布石」

「お母様のお力で第五次元が全ての次元が上書きされてしまえば、歴史は修正され、危険は回避されますわ」

 ヒエムスは皆を見渡し、続けた。

「あなた方、キーパーソンに訪れた偶然は、全てお母様のお力によるものなのですわ。十年前のイグニスさんとマサヨシさんの出会いも、マサヨシさんがレギーナ様を回収なさったことも、ヤブキさんがあのコロニーに墜落したことも、トニルトスさんが太陽系に至ったことも、そして、ウェールお姉様が眠ってらっしゃった廃棄コロニーを造り出し、アステロイドベルトに浮かべたのも、お母様なのですわ」

「まあ、偶然にしていては出来過ぎていたからな」

 マサヨシが苦笑いすると、イグニスは両手を上向けた。

「第五次元だの次元超越能力だのなんだのって延々と聞かされちまった後だと、驚く気も起きないぜ」

「つまり、ボク達全員、このアニムスさんとやらによってあのコロニーに行くことが決められていたわけか」

 道理で都合が良すぎると思った、とミイムが頷いていると、ヤブキが膝枕をする愛妻を見上げた。

「予定調和ってやつっすね。まあ、そのおかげでオイラ達は生き延びられたんすから、文句はないっすけどね」

「顔も知らぬ相手の意志によって、己の選ぶ道を定められていたと思うと、少しばかり寒気が走るが」

 トニルトスは僅かに目を細め、アニムスを見つめた。

「だが、我らの行動を制することによって訪れうる悲劇を免れることが出来るのならば、至極当然の判断だ」

「でも…」

 ウェールは不安と涙で震える瞳で、マサヨシを見上げた。

「私達は、この次元以外の次元では生きられないの」

「じゃあ、俺達と一緒に帰れないのか?」

「次元と空間の接点を見つけて第五次元に繋がるワームホールを開けば、皆はあのコロニーのある座標軸に帰すことは出来るだろうけど、私達は帰れないの。帰りたいけど、帰っても、精神体だけじゃ…」

 ウェールは俯き、肩を震わせた。

「だから、皆のこと、嫌いになろうとしたのに」

「えーと、どういうことっすか?」

 ヤブキが愛妻に問うと、アウトゥムヌスは心苦しげに細い眉を下げた。

「私達は、本来肉体を持たない。精神体が本体と言える。今、ジョニー君に接触している肉体は、この次元でお母様の手足として動くために与えられた珪素生物型の肉体であり、こちらの次元でしか活動することが出来ない。故に、第五次元で活動を行うために炭素生物型の肉体を与えられたが、精神体が乖離した際に分子構造が崩壊し、宇宙へと帰した。次元が異なれば物理的法則も異なるため、こちらの次元で活動するための肉体を運ぶことは不可能。分子の一粒が反物質と化し、あのコロニーだけでなく、太陽系全体に破壊をもたらす」

「だったら、どうして俺達は肉体を持った状態でこっちの次元にいられるんだよ?」

 イグニスがアウトゥムヌスに尋ねると、アウトゥムヌスは赤い戦士に振り向いた。

「お母様がこちらの次元の分子を収集し、あなた方の本来の姿と寸分違わぬ肉体を与えたから」

「だが、今ならまだ間に合うかもしれないのではないのか? 私達がこの次元に呼び寄せられてから経過した時間は、ほんの十数分程度だ。分子が拡散していなければ、貴様らの肉体を再構成することも可能ではないのか?」

 トニルトスが提案するが、ヒエムスは首を横に振った。

「この次元と第五次元は、時間の流れも異なっておりますの。あなた方が呼び寄せられる前であれば、辛うじて再構成が出来たかもしれなかったのですけれど、まあ、色々とありまして…」

 ヒエムスの冷ややかな視線が、長女に向いた。ばつが悪くなったウェールはマサヨシの影に隠れ、むくれた。

「…何よ」

「まあ、それはそれとして」

 アエスタスは長女と四女の間に入り、二人の視線を遮ってから、話を続けた。

「私達は精神体を次元超越させることは出来るが、分子を収集して肉体を構成するほどの力は持っていないんだ。だから、あなた方の精神体を第五次元の肉体に戻すことは出来るのだが、それ以外は不可能なんだ」

「だが、アニムスなら出来るんだな?」

 マサヨシは背後に隠れていたウェールの手を握り、その石のような冷たさに一瞬戸惑ったが、離さなかった。

「そうだな、ウェール」

「ええ、だけど」

 ウェールは手に伝わる父親の体温の暖かさに、また少し泣きそうになった。

「私達は、お母様にお願いなんて一度もしたことがないの。だから、どうしたらいいのか解らなくて」

「だったら、俺から頼んでみるさ」

 マサヨシは娘の両手を握ると、腰を下げて目線を合わせた。

「それなら、問題はないだろう?」

「でも…」

 躊躇して目を伏せたウェールに、マサヨシは笑った。

「ちゃんと話せば、解ってくれるさ。話さないと、始まるものも始まらないじゃないか」

「うん。解った。じゃあ、私はどうすればいいの?」

 目を上げたが、ウェールは不安げだった。マサヨシは、ウェールの髪を撫でた。

「お前のサイコキネシスで、俺をアニムスのところまで浮かばせてくれ。それだけでいい」

「私も一緒に行かなくても平気? 思念を使わなくても、お母様とちゃんとお話し出来るの?」

「まあ、なんとかなるさ。それに、少し思うところがあるんだ」

 マサヨシはウェールの髪から手を外し、歩き出した。ウェールはその背を見つめていたが、両手を振り翳した。
柔らかく放たれたサイコキネシスを受けて、マサヨシの体は緩やかに浮かび上がると、巨大な脳髄へと接近した。
あっという間に、彼の姿は遠ざかった。皆が皆、不安と期待を込めた視線を上げ、一家の主の挙動を見つめた。
 体に掛かる重力は軽く、迫る風も薄かった。地球上でHAL号越しに感じた圧力に比べれば、薄っぺらかった。
これが、本当に地球の中心なのだろうか。背後を過ぎ去っていくのは、星空に良く似た宇宙戦艦の内壁だった。
宇宙戦艦であることも信じがたかったが、所々目に入る構造物やケーブルの類を目にすると、信憑性が沸いた。
マサヨシを見上げる家族の姿が、点よりも小さくなった。今、どれほどの高度に浮かんでいるのか考えてしまった。
だが、怖いとは思わなかった。むしろ、生身で飛べた喜びを感じていた。戦闘機乗りの本能のようなものだろう。
次第に速度が緩み、体にのし掛かる加圧も弱くなり、耳を切る風音も止んだ。アニムスの中腹に至ったからだ。
 目の前に浮かんでいるのは、巨大すぎる物体だった。マサヨシは娘の力による足場を確かめてから、前進した。
アニムスを包み込む透明な頭蓋には薄く緑掛かった脳漿が詰め込まれており、小さな気泡が底部から沸いた。
それが頭蓋の内側に当たり、爆ぜた。マサヨシは手を伸ばして頭蓋に触れると、手のひらに温度が染み入った。
その温度は、ひどく懐かしい温度だった。マサヨシが頭蓋の表面に緩く手を滑らせると、ホログラフィーが現れた。
 ウェールのコールドスリープ・ポッドのコンピューターに入っていた文字と全く同じ文字が、マサヨシの前に並ぶ。
理解出来ないと思っていたはずの文字が、息を吸うように読めた。マサヨシは驚愕に目を見開き、文字を追った。
見覚えがないはずの文字なのに、既視感があった。この文字は、マサヨシが死んだ世界の第四次元の文字だ。
今は、第四次元の記憶が残留しているから読めるのだ。この次元から出てしまったら、また読めなくなるだろう。

〈マサヨシなのね?〉

「ああ、俺だ。やっと、君を見つけることが出来た」

〈いつ、解ったの?〉

「成長したウェールの顔を見た時だ。ヒエムスがウェールの妹だと知っていたら、もっと早かったんだろうがな。アエスタスは若い頃の俺に良く似ているし、アウトゥムヌスの目元は君にそっくりだ。気付かないわけがないじゃないか」

〈あなたには、私のことを忘れてほしかったのに。だから、私の情報を削除していったのに〉

「馬鹿なことを言うな。どれだけ情報が消えても、どんなに時間が過ぎても、俺は君を忘れたりしない。約束したじゃないか、どこにいたって見つけてやるって」

 マサヨシは笑み、妻の名を呼んだ。

「なあ、サチコ」

〈本当に、私を見つけてくれるのね〉

 マサヨシの手の上で、彼女の瞳と同じ色の文字が整然と並んでいく。

〈私が最初に目覚めた時、出会ったのはあなただったわ。ただの疑似人格プログラムに過ぎなかったけど、あなたは私に思いを注いでくれた。私もそれに必死に答えようとして、頑張りすぎて、プログラムを消滅させてしまった〉

「サチコ、それは」

 マサヨシは息を呑み、彼女が並べる文字を凝視した。

〈けれど、私の精神体は、アウルム・マーテルの力の影響を受けたおかげで残留していたの。分子と化して崩壊したケイオスと共に、私の精神体もワープし、どこともつかない宇宙へと旅立ったのよ。ケイオスの分子はエネルギーに戻ることすら出来ずに宇宙に溶けたけど、私の精神体は溶けなかったのよ。あなたにもう一度出会いたいって願いながら、無数の次元の歪みを超えて、時間の歪みすらも超えたのよ。そして、私は太陽系で新人類の肉体を得て、またあなたに会うことが出来たの。サチコ・パーカーとして〉

「そうか、そうだったんだな…」

 マサヨシは頭蓋に額を押し当て、愛妻の体温を味わった。

〈人間になった私は、あなたに関する記憶の一切を失っていたわ。けれど、私はまたあなたに恋をした。あなたも私に恋をしてくれた。本当に幸せだったわ。でも、私はまたあなたを残して死んでしまった。今度は、あなたの血を継ぐ子も一緒に死なせてしまったの〉

 サチコの文字が、悲しげに震えた。

〈そして、私はまた次元と時間の狭間を移ろい、アニムスと出会ったの。彼女は全く別の次元からの漂流者で、私の精神体が彼女に接触した時には既に精神体を失っていたのよ。彼女は生体コンピューターだから、精神体が、心がなければ活動することが出来ないの。彼女の残留思念は私のことを受け入れてくれたから、私は彼女の中に宿り、アニムスとなったのよ。そして、生まれなかった娘の生体情報を使って、あの子達を生み出したの。彼女が漂流してきた次元で発生した悲劇を回避し、新たな次元を構成するために〉

「それが、俺達の宇宙なんだな?」

〈ええ。でも、それは異分子の介入で失敗してしまった。これまでにも、何度も失敗したわ。だから、今度も…〉

「何が失敗だ。全部が全部、成功しているじゃないか」

 マサヨシは愛おしい妻の意識が宿る脳に、身を寄せた。

「イグニスとトニルトスは、機械生命体の本能に打ち勝った。レギーナは、皇太子としての地位を捨てて皇帝となる道から外れた。ヤブキは、誰も傷付けずに生きていける居場所を見つけた。そして、俺は本物の娘と暮らすことが出来て、また君に出会えた。何一つ、失敗なんてしていない。少し、トラブルが起きただけだ」

〈ありがとう、マサヨシ。あなたと出会えて、本当に良かった〉

 サチコの声が、聞こえた。電子合成音声でもなければ、肉声とも違う、心の中に直接流れ込んできた声だった。
だが、紛れもなく彼女の声だった。マサヨシは声と共に送り込まれた彼女の感情を感じて、目の奥が熱くなった。
どこまでも深いマサヨシへの愛情と、どこまでも大きい子供達への愛情と、どこまでも広い家族への愛情だった。

「君は、俺達の世界へは帰ってこられないのか?」

 マサヨシは流れ出した涙を拭うことすらせずに、愛する妻に語り掛けた。

〈ええ。私の精神体は、アニムスに固定されて癒着してしまったから、この次元から動かすことすら出来ないの〉

「だが、あの子達は俺達の元に帰してくれるんだな」

〈もちろんよ。ウェールも、アエスタスも、アウトゥムヌスも、ヒエムスも、皆、あなたと私の娘なんだから〉

「君の分まで、大事にするさ」

〈愛しているわ。今までも、これからも〉

 サチコの声が消えていくと、光が溢れ出した。コールドスリープ・ポッドが破損した時と、全く同じ光が広がった。
それは、アニムスの浮かぶ空間を満たし、家族の姿も包み込み、両断された銀河系の姿をも掻き消してしまった。
 暖かい光の奔流の中、マサヨシは確かに見た。思い出のウェディングドレスを身に纏った、最愛の妻の姿を。
サチコがマサヨシに抱き付いた重みも、体温も、匂いも、鼓動も、何もかもが本物だった。求め続けたものだった。
マサヨシはサチコと唇を重ね、彼女の存在が遠のくまで味わった。十年分の思いと、これから先の思いを込めた。
宇宙の片隅で生まれた愛が、終わることはない。サチコの姿が変わり、マサヨシの生きる次元が異なっていても。
 二人の心が、離れることはない。





 


08 11/12