アステロイド家族




トラブル・ショッピング



 たかが薄布、されど薄布。


 それは、由々しき問題だった。
 キッチンで立ち仕事をしているミイムは、白い毛に覆われた尻尾をゆらゆらと揺らしながら、鼻歌を零している。
ミイムと共にコンテナに詰められていた趣味の悪いドレスを解いて作った、派手なピンクのスカートを履いている。
それは、やたらと短かった。膝上は二十センチはあろうかという短さで、生地も薄っぺらく、アンダーも着ていない。
その上、下着を履いていない。ミイムが動くたびにちらちらと垣間見える素肌の太股と尻が、目に付いて仕方ない。
 マサヨシはリビングでコーヒーを啜りながら、ホログラフィー・ニュースペーパーの内容に必死に気を向けていた。
ミイムが淹れたコーヒーは、今までの自分が淹れたものに比べれば天と地ほどの差があり、非常に美味しい。
どこぞのコロニーの植物プラントで栽培されたコーヒー豆は同じはずなのに、香りも違えば味も大分違っていた。
だが、その味が今一つ感じられなかった。世間の情勢や統一政府の動向を知らせる文章も、頭に入ってこない。
 それもこれも、ミイムのせいである。彼女、もとい、彼がこのコロニーにもたらしてくれたものはとても大きい。
母親のいないハルの寂しさを埋め、マサヨシのいい加減な日常生活を正し、サチコとイグニスとも良い友人だ。
見た目はどう見ても美少女だが実は男だという事実はかなり衝撃的だったが、今はそれに慣れるしかなかった。
 しかし、問題はそこではない。ミイムが男であると解った以上、下着を履かずに暮らすのは許し難いことだった。
女であったとしても充分問題だが、男ならまた別の意味で問題だ。何より、ハルの教育に絶対良くないだろう。
それに、マサヨシの精神衛生上にもよろしくなかった。男だと解っても、美しいものは美しく、また可愛らしいのだ。
それがまた、嫌だった。男だと解った途端に色々と興ざめしたのだが、そのおかげで余計な劣情は剥がれ落ちた。
しかし、それでも初見の際に感じた感動に似た思いは未だに冷めておらず、ミイムの言動の端々が気に掛かる。
これで女だったら、と思うことは少なくない。同性愛者ではないと言い切ったのに、このままでは揺らぎそうだった。
 それもこれも、ミイムが何も履かないのが悪い。マサヨシは精力が強い方ではないが、それでも男は男である。
イグニスと組み、ハルと共にこの廃棄コロニーで暮らすようになってからは、今まで以上に女っ気がなくなった。
しかし、何かしらの感情は溜まる。だが、ここ最近はめっきり落ち着いていたので、枯れたとばかり思っていた。
枯れたはずの感情を呼び起こして掻き乱してしまうほどのミイムの美しさと愛らしさは、最早暴力にも等しかった。

「みゅ?」

 マサヨシの視線に気付いたのか、シンクで昼食の食器を洗っていたミイムは振り返った。

「なんですか、パパさん?」

「頼むから履いてくれ」

 マサヨシは生温くなったコーヒーを、テーブルに置いた。

「ふみゅー…」

 ミイムは泡だらけのスポンジを握り締め、悲しげに眉を下げた。その仕草だけでも充分愛らしいが、男だ。

「ボクの種族はぁ、あんなモノを身に付ける習慣はないんですぅ。それに、アレを履くとボクの尻尾がぁ…」

「じゃあ、穴でも開ければいいだろう」

「そういう問題じゃないんですよぅ」

 色白な頬を膨らませたミイムは、むっとして唇を尖らせる。

「お尻が気持ち悪いじゃないですかぁ! それに、がさがさするから嫌なんですぅ!」

「お前のアレが見えたらどうするんだ」

「だからそれはぁ、この間のピクニックの後に説明したじゃないですかぁ」

 ミイムはスポンジを置いて手を洗ってから、スカートを持ち上げた。だが、都合良くカウンターで隠れている。

「ボクのはちゃんと体の中に隠れるようになっていてぇ、使わない時は外へは出てこないんですぅ」

「だが、お前も排泄はするだろう。そういう時は外に出さなきゃならないだろうが」

「そりゃ、子供の時は外へ出さなきゃ出来ませんでしたけどぉ、ボクは大人になりましたからぁ、いちいち外に出さなくても排泄は出来ますぅ。それに、ボクのが外に出るのは発情期の間くらいなもんですからぁ」

 いつも出ているパパさんとは違いますぅ、とミイムは視線を下げた。マサヨシは、なんとなく目を逸らす。

「それは、そうなんだが」

「だからですね、ボクは下着なんて着なくても平気なんですぅ。ぶらぶらしませんからぁ」

「その顔でその表現をするな」

「パパさん、ボクのがそんなに気になるんですかぁ?」

 いやんえっちですぅ、と身を捩るミイムに、マサヨシはすぐさま反論した。

「違うったら違う!」

「じゃあ、どうしてそんなにボクに下着を履かせたいんですかぁ?」

「ハルのためにも良くないだろう、色々と」

「みぃ、そうですかぁ?」

 ミイムは長い睫毛を瞬かせ、首を傾げた。

「サチコじゃないが、良くないと断言出来る。君の種族はどうかは知らないが、人間の女は年頃に成長すると、生殖機能が発達して子供を作れるようになるんだが、受精しないと胎盤やら卵子が排泄される仕組みになっているんだ。それが、約一ヶ月周期でやってくる。ハルも時間が経てば大人の体に成長するし、女の子だから初潮が来るのが当たり前だ。だから、それに対処するためにも下着を付ける習慣がないとだな」

「垂れ流しってことですかぁ、みぃ」

「みなまで言わないでくれ」

 マサヨシはミイムの語彙の汚さに、少々呆れた。育ちが良いとばかり思っていたが、案外そうでもないらしい。

「ボクの種族の女性はそんなことはないんですけどねぇ、ふみゅうん」

 面倒な仕組みですぅ、とミイムは不思議がっている。これ以上続けると、ますます下世話な話題になりそうだ。
そう思い、マサヨシは敢えて言葉を切った。ミイムに対して言いたいことが出てきたが、今のところは飲み下した。
今、話題にしたいのはミイムとその同族の生殖機能と繁殖についてではなく、ミイム自身の下半身のことなのだ。

「とにかく、そういうわけだからパンツを履いてくれ。ハルに悪影響が出ないとも限らない」

 マサヨシが語気を強めるも、ミイムは引き下がらない。

「うみぃ、嫌ですぅ! ハルちゃんにその時が来たらぁ、ちゃんと教えてあげればいいだけじゃないですかぁ!」

「いや、だから、そうなる前にだな」

「なんだったら、それはサチコさんにお任せしてもいいじゃないですかぁ」

「サチコじゃよく解らないだろう。サチコは有能だが、生身の感覚まではさすがに理解出来ないからな」

「みゅうー…」

 機嫌を損ねてしまったのか、ミイムは拗ねた。

「確かにボクはハルちゃんのママになるって言いましたしぃ、ママのお仕事はとっても楽しいですしぃ、ハルちゃんは可愛いし元気だから大好きですぅ。でも、だからといって、ボクにパンツを強要しないでほしいですぅ」

「母親に限らず、親ってのは子供の手本になるのが基本じゃないか」

「そんなに言うんだったら、パパさんが履けばいいじゃないですかぁ」

「俺は既に履いている」

「みゅうーん…」

 ますます機嫌を損ね、ミイムは頬を膨らませて長い耳を下げた。すると、リビングの外からイグニスが言った。

「全く面倒だなぁ、炭素生物ってのはよ」

「ああ。ミイムが履いてさえくれたら、事はすんなり収まるんだが」

 マサヨシが首を横に振ると、ミイムは意地になってそっぽを向いた。

「ボクはパンツなんて絶対に履きませんからね!」

 外で胡座を掻いているイグニスは、肩を竦めた。

「パンツってのはあれだろ、洗濯物の中に混じってる、あのちっせぇ布きれのことだろ? あんなの大した重量でもねぇんだから、いっそ履いちまったらどうだ。慣れたらいいもんかもしれねぇぜ?」

「イギーさんまでそんなことを言うんですかぁ!」

「それに、まかり間違ってマサヨシに襲われたらどうするんだよ。それこそ大事だぜ、ミイム」

 イグニスの軽口に、マサヨシは頬を引きつらせた。

「お前はまだ俺をホモだと思っているのか、イグニス」

「だって、なぁ」

 にやにやしているイグニスに、マサヨシは少し苛立ちながらも言い返す。

「案ずるな、男を襲うほど飢えてもいなければ堕ちてもいない」

〈ハルちゃん、いい子にお昼寝したわよ〉

 換気のために開け放していたリビングの扉を抜け、サチコの操る球体状のスパイマシンが室内に入ってきた。
サチコはにやけた笑いを零すイグニスと渋い顔をしているマサヨシと拗ねているミイムを、じっくり見比べた。

〈…何なのよ、この訳の解らない空気は〉

「聞いて下さいよサチコさぁん、パパさんってばひどいんですぅ! ボクにパンツを履けって言うんですぅ!」

 ミイムはすかさずサチコに泣きついたが、サチコは冷淡だった。

〈マサヨシは一般常識を説いているだけよ、ミイムちゃん。だから私は、マサヨシの意見に全面的に賛成だわ〉

「みゅう、サチコさんってばパパさんの味方なんだからぁ!」

 不愉快そうなミイムに、イグニスは素っ気なく言った。

「それは今に始まったことじゃねぇだろ」

〈でも、ミイムちゃんの意見も尊重するべきじゃないかしら〉

 サチコの言葉に、ミイムは途端に機嫌を戻した。

「うみゅ、そうですよねぇ、ボクだって皆さんのお友達で家族なんですからぁ!」

「おい、サチコ」

 やっとこの話題が収束すると思っていたのに。マサヨシは僅かに苛立ちながらサチコに向くと、サチコは言った。

〈ここは一つ、ミイムちゃんの気に入るパンツを探すというのはどうかしら〉

「なんでそうなるんだよ、電卓女」

 今回は完璧に他人事だからか、イグニスは面白がっている。サチコはイグニスを無視し、マサヨシに向いた。

〈きっと、ミイムちゃんはマサヨシの手持ちのパンツが気に入らないのよ〉

「そりゃ、そうだろうな」

〈だから、宇宙ステーションのショッピングモールにでも行ってミイムちゃんの気に入るパンツを探すべきだと思うわ。それと、ミイムちゃんの服も買うべきね。マサヨシのお下がりとコンテナにあったドレスを改造した服だけじゃ、ミイムちゃんの生活に支障を来してしまうもの。それに、ハルちゃんの服も何枚か増やすべきだし、生活用品も大分消耗したし、食料品だって心許なくなってきたわ。ミイムちゃんが加わって人数が増えた分、消耗する速度も早まったのよ。このままだと、持って一週間ぐらいかしら〉

「つまり、ミイムの服を探すついでに買い出しにも行けってことか」

〈さすがはマサヨシ、ご明察ね〉

 サチコは滑らかな動きでマサヨシの前にやってくると、平面のホログラフィーを投影して文字を並べた。

〈これが生活用品と食料品を並べたリストと予算よ。もちろん、マサヨシの所持金に収まるように計算してあるわ〉

「だが、ミイムの服の代金はどうやって捻出するつもりだ? この予算表には含まれていないようだが」

〈それについても考えがあるわ〉

 サチコはくるりと回転し、窓の外で座っているイグニスに向いた。

〈イグニスのクレジットカードから捻出しましょう〉

「おい、電卓女! それは理不尽を通り越して非常識だぞ、非常識! 解ってんのか!」

 イグニスは身を屈めて窓に詰め寄り、声を荒げた。サチコは、悠長にくるくると回転している。

〈先月末に、浪費しすぎて困窮していたあなたのエネルギー代を立て替えてあげたのはどこの誰だったかしらね? すぐに返すって言っていたわりに二十日が過ぎても0.1クレジットも返さないのは、どこの誰かしら? その三ヶ月前にもマサヨシに六万五千二百クレジットも借りたくせに〉

「解った解った、わーかったあ!」

 イグニスは大声を上げてサチコの言葉を遮り、渋々承諾した。

「払えばいいんだろ、払えば。だが、期待するんじゃねぇぞ」

 イグニスは、サチコのスパイマシンに自分のクレジットカードのシリアルナンバーとパスワードを送信した。

〈あら、なんて寂しいのかしら。月初めなのに、たったこれだけしかないなんて。計画性がないって嫌ね〉

 イグニスの口座の残高を確認したサチコが嫌みったらしく笑うと、今度はイグニスが拗ねる番だった。

「次の仕事で金が入ったら、すぐに返せよな。相棒にたかるなんざ、相棒甲斐のない野郎だぜ」

「その言葉、そっくりお前に返してやるよ」

 マサヨシの皮肉に、イグニスは顔を逸らした。

「…ああ、どうせ俺はろくでなしだよ。どうとでも言いやがれ、この野郎」

 自虐的にぼやいたイグニスは、リビングに背を向けてしまった。だが、ミイムはそれとは逆に機嫌を直していた。
理由はどうあれ、新しい服を買ってもらえることが嬉しいようだった。そうしてはしゃぐ姿は、どう見ても女だった。
けれど、男だ。男同士で買い物に、それも下着を選ばなければならない、というのはある意味拷問にも近しかった。
だが、これはハルのためなのだ。そしてマサヨシ自身のためだ。これ以上、男の尻や太股に戸惑いたくなかった。
万が一間違いを起こしたら、本当に取り返しが付かない。それこそ、マサヨシの父親としての沽券に関わってくる。
 この買い物は、ある意味では戦いだ。







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