アステロイド家族




救護戦艦リリアンヌ



 丸裸にされる気分は、いいものではない。
 外装という外装を全て外されたイグニスは、両手両足を固定された状態で巨大な診察台に寝かされていた。
見えるものと言えば、様々な検査機器と手術用器具がぶら下がっている天井と煌々と輝く無数のライトぐらいだ。
目線を動かすと、高い壁の一部が四角く途切れているのが目に入った。管制室にも似た、診察室の本部である。
 長方形の大きな窓の向こうには、白衣を着た医師が立ち、外装を全て剥がされたイグニスをじっと観察していた。
医師はまだ若い女で、豊かな長い金髪を後頭部で一括りにして結んでおり、側頭部からは獣の耳が生えていた。
地球で言うところのネコの耳によく似ている三角形の耳で、白衣の後ろからはにゅるりと細長い尾も生えていた。
アーモンド型の吊り上がった目は大きく、瞳は青い。その瞳を忙しなく動かしていたが、彼女はにいっと笑った。

『いつもながら思うけど、イギーってばボロボロよねぇ』

 機械生命体専門の医師、フローラ・フェルムの言葉がスピーカー越しに聞こえた。イグニスは、彼女に返す。

「そう言うなよ。いつもと同じく、一年分の疲れが出てちまってるだけだ」

『外装を塗り直して傷を誤魔化すのはいいけど、塗り直しすぎると金属細胞が傷んで活性が下がっちゃうわよ。それと、背面のメインシャフトの亀裂が再発しているわね。関節も摩耗が激しいし、交換出来る部品は全部交換しなきゃダメね。外した部品は、また再生促進カプセルにでも入れておくから、来年の検診で交換用に使うわね。それでいいかしら、イギー?』

「どうとでもやってくれ。とにかく治りゃいいんだよ」

『それじゃ、いつも通りにやらせてもらうわよ。念のために聞くけど、痛覚回路はオフにしてあるわね?』

「ああ、とっくにな。それで、どの回路だけ生かしておけばいい?」

『今回は結構面倒な手術になりそうだから、全部の回路を最低レベルに下げてもらうわ。意識があると、まかり間違ってショック死しちゃうかもしれないしね』

「馬鹿なことを言うなよ。俺はそんなに柔じゃねぇよ」

 少し笑ったイグニスに、窓の向こうのフローラは渋い顔をした。

『そう言って、我慢しすぎてリミッターを焼け焦がしちゃうんだから。いくつ交換したと思っているのよ?』

「さあな。覚えちゃいねぇ」

『最前線でぶっ飛ばすのはいいけど、ムラタ中佐を庇いすぎて傷だらけになっちゃ治療した意味ないんだからね』

 手厳しいフローラに、イグニスは肩を竦めようとしたが腕と肩が固定されているので首を動かしただけだった。
彼女が相手では、どんな傷も見つけられてしまう。マサヨシやサチコが相手なら、いくらでも誤魔化せるのだが。
フローラの言う通り、イグニスは満身創痍である。地球圏には、機械生命体相手の医療機関がないからでもある。
時折、機動歩兵の修理を請け負うメカニックにいじってもらうが、機動歩兵と機械生命体では構造が違いすぎる。
だから、目先の傷は治されても深い傷までは治せなかった。自己修復機能も、消耗していると作動しなくなる。
それらの傷を隠すために、イグニスは外装を頻繁に塗り直しているが、隠したところで傷が治るわけではない。
マサヨシもそれには薄々気付いているのだろうが、何も言わなかった。イグニスの気持ちを汲んでいるのだろう。

『でも、あたしはイギーのそういうところ、嫌いじゃないわ』

 視界の隅で、フローラが笑むのが見えた。イグニスも一笑する。

「ああ、俺もだ」

『これでイギーが患者じゃなかったらアタックしちゃうんだけど、患者と医師の恋愛は原則禁止だからねー』

 医師同士はOKなのになぁ、と不満げに零すフローラに、イグニスは可笑しくなった。

「俺がお前を引っ掛けるとでも思ってんのかよ? 大体、お前には旦那がいるだろうが」

『あいつはあいつ、あんたはあんたよ。じゃ、これから、いつものように手術室でデートと行きましょうか。一年間会えなかった分、たあっぷり可愛がってあげるんだから』

 フローラはインカムを被って尖った耳の中に填めると、ホログラフィーゴーグルを付け、立派な胸を張った。

「せいぜい楽しみにしておくとするさ」

 イグニスはフローラの得意げな表情を見ながら、徐々に意識を薄らがせた。彼女との付き合いも十年になる。
マサヨシのことを中佐と呼ぶのは、初診の時はマサヨシは宇宙空挺団のエースパイロットをしていたからである。
 イグニスは、フローラには心底感謝している。歳若く、言動は少々幼いが、機械生命体に対する理解は深い。
機械生命体の技術者にも引けを取らない知識と技術を持ち合わせており、スペアの部品も大量に確保している。
元々はサイボーグの医師だったそうだが、それだけでは情熱と知識欲が収まらず、機械生命体を研究している。
定期的に検診を受けるが、そのたびに満身創痍のイグニスは、フローラにとっては格好の研究材料なのである。
破損していれば部品を取り外せるし、ある程度なら解体も可能だからだ。だから、フローラに執心されている。
それ自体は悪いことではないのだが、いつか徹底的にばらされてしまうのではないのか、と思わないこともない。

『おやすみ、イギー。いい夢を』

 フローラの優しくも甘い声が、知覚に直接響いた。イグニスはその声に誘われる形で、緩やかな眠りに落ちた。
完全なる眠りを味わうのは、久し振りだ。ガレージで眠る時は機能を全て落としていないので、浅い眠りなのだ。
戦場で休む時と同じく武器を腕に抱き、決して横たわらない。気を抜いたら、すぐに殺されてしまいそうだからだ。
マサヨシやサチコがいるから平気だ、とも思う。だが、それでも長年染み付いた習慣は、体から抜けそうにない。
イグニスは分厚く重たい眠りに意識を埋めながら、怯えた。しかし間もなく、その怯えも眠りの奥底に沈められた。
 その先に待っているのは、無秩序な記憶の氾濫、夢だった。




 輸液ポンプから伸びるチューブが、顎の下に差し込まれていた。
 そこから流し込まれる新しい人工体液が全身に広がるのを感じながら、ヤブキは大きなベッドに横たわっていた。
首の後ろにも様々なケーブルが差し込まれ、ベッドの両脇には測定器が並べられ、忙しなくデータを採取していた。
両腕は外され、両足も同様だった。胴体と首だけという状態になったヤブキは、暇潰しに目線だけを動かしていた。
 一応、ベッドの正面には脳波で操作出来るホロビジョンモニターが設置されているが、面白い番組はなかった。
一通りチャンネルを回してみたのだが、ヤブキが興味を引かれるような番組はなかったのですぐに消してしまった。
いつもの検診は、ここまで入念な検査はしない。訓練生時代は軍の病院で受けていたので、もっと事務的だった。
だが、訓練飛行艇で小惑星に墜落したのだから当然と言えば当然だ。というより、放置していた自分が悪いのだ。
行く当てのなくなったヤブキを居候させてくれるマサヨシに負担を掛けたくなくて、言うに言えなかったのである。
いくらヤブキでも、気を遣うところは遣う。訓練生時代はあった保険も利かなくなっているので、医療費も増えた。
ヤブキも成人である。そこまで甘えるつもりはないし、検診が終わったら自分の貯金を切り崩して払うつもりだ。
そんなことをぼんやりと考え込んでいると、メンテナンスルームのドアが開き、白衣を着込んだ医師が入ってきた。

「輸液の交換は順調のようですね」

 サイボーグ科の医師、ダグラス・フォードだった。大柄な黒人で、名前と外見からして地球人なのだろう。

「今のところ、問題はないっす。オイラの手足はどうだったっすか?」

 ヤブキが首を上げると、ダグラスは情報端末を操作してカルテのホログラフィーを表示させた。

「一言で言えば、武装過剰です。両腕に六門のビームガン、合計十二門のビームガンに、両足のイオンスラスター、左上腕のシールドジェネレーターに右上腕の電磁ワイヤー、と、素人目に見ても多すぎます。一つ二つならまだ許容範囲ですが、これは無駄です。おかげで関節の摩耗がひどくなっていますし、各武装の機能維持を行っているためにエネルギーの消耗速度が激しいので消化器官が傷んでいたので、腹部の生体ユニットもこれから交換します」

「入院するんすか、入院」

「いえ、そこまではしません。同型の生体ユニットの在庫がありましたので、拒絶反応を検査してから交換します」

「そうっすか、ありがとうございます」

「受診履歴を拝見しましたが、あなたは戦傷兵ではなさそうですね」

「いや、オイラはそういうんじゃないっす。なんせ劣等も劣等の落第生っすから」

「では、なぜこのような過剰な武装を?」

「やだなぁ、ただの趣味っすよ、趣味」

 ヤブキがへらへらと笑うと、ダグラスは眉根をひそめた。

「でしたら、各武装の配線を切っておくことをお勧めしますよ。武装の暴発で、いつ、誰を傷付けるか解りません」

「でも、オイラは大丈夫っすよ。付けたっきりで動かしたことのない武装だってあるぐらいなんすから」

「では、早々に外すことをお勧めします。体だけでなく、脳にも負担を掛けるんですから」

「それ、命令っすか?」

「いえ、忠告です」

「だったら守らなくてもいいっすね」

 ヤブキは枕に後頭部を沈め、天井を仰ぎ見た。

「オイラにはオイラの人生があるんすから」

「そうですか」

 ダグラスはかすかに表情を歪めたが、ヤブキのカルテのホログラフィーを消した。

「私も、一つ、武器を持っていましてね。若い頃はそれを使って下らないことをしていましたが、現在は能力を抑える施術をしたので十分の一も発揮出来ませんよ。ですが、それだけで充分なんです。過ぎた力は誰も彼もを傷付け、最後には自分自身を苦しめますからね」

「エスパーだったんすか?」

「今も、ですがね」

 ダグラスは情報端末を軽く浮かび上がらせたが、すぐに落として手の中に戻した。

「この力で守れたものもありますが、失ったものも大きい。あなたはまだ若い、だからこそ自分を見直すべきでは」

「耳が痛いっすねぇー、さっきから」

 ヤブキは苦笑いしていたが、不意に口調を強張らせた。

「見直そうにも見直せないこともあるんす。だから、あんまりごちゃごちゃ言わないでほしいっす」

「失礼」

 ダグラスは軽く頭を下げてから、メンテナンスルームを後にした。

「では、また後ほど」

「ああ、ダメだなぁ、オイラってば…」

 ダグラスが病室を出た後、ヤブキは頭を横にした。窓の外には、暗黒の宇宙がどこまでも広がっていた。

「ほんっとに…」

 即物的な強さを求めたところで、本当に強くなれるわけではない。そんなことぐらい、とっくの昔に解っている。
だが、強さを求めずにはいられない。しかし、戦う才はない。だから、幼い頃のように土を耕すようになったのだ。
結局、ヤブキが行き着く先はそこなのだ。それが無性に情けなくて、悔しかったが、どうにもならないことだった。

「ダイアナ。そっちにいるんすか?」

 ヤブキは底のない無限の闇に、問い掛けた。

「オイラ、まだまだダメっすよ。笑うなら笑うっす、ダイアナ」

 きっと、妹は笑うだろう。強さを求めるあまりに空回りし、上手く生きられないヤブキを見て、笑ってくれるだろう。
ダイアナはそんな妹だ。兄であるジョニー・ヤブキよりも頭が良く、要領も良かったが、同じように土を愛していた。
ハルの姿を見ていると、時折ダイアナを思い出すことがある。同じくらいの年頃で死んだ、最愛の妹と重なるのだ。
 生身の頃のヤブキと同じく、黒髪に茶色い瞳、黄色い肌を持つ少女で、五歳も年下だったが大人ぶっていた。
時には本当にヤブキよりも大人に見える瞬間があって、それが嬉しいやら悔しいやらで、兄としては複雑だった。
植物学の研究者であった両親は幼いヤブキとダイアナを残し、遠い星を開拓するために出掛け、帰ってこない。
それは今も同じだ。ダイアナが死に、ヤブキがサイボーグ化したという連絡は届いているはずだが、戻ってこない。
だが、もう両親に対しての思いはない。だから、ヤブキにとっての家族はダイアナだけで、ダイアナが全てだった。
だから、ダイアナが死んで、同時に肉体も失って、ヤブキは全てを失った。空虚な心身を埋めるものが欲しかった。
故に、体に武器を詰め込んだ。人よりも劣ると知っていながらも高みを求めて志願し、一人前の兵士を目指した。
 けれど、それももう終わってしまった。訓練学校に再入学することは年齢的に不可能だから、兵士にはなれない。
ヤブキが知る具体的に強いものとは、兵士であり軍隊だった。だから目指したが、身の丈に合っていなかった。
そして、この様だ。十五歳から二十歳までの五年間を無駄にして得たものと言えば、明るく振る舞う術だけだった。
この顔では素顔が見えないが、声に感情は出る。時折沸き上がる陰鬱な感情を潰すためには、空元気が一番だ。
何も気にしていないかのように明るく振る舞っていれば、いつかそれが真実となって、心が傷付くことはなくなる。
だが、それはまだ完璧ではない。一人にされて弱い部分を責められると、途端にメッキが剥がれ落ちそうになる。

「ダイアナ…」

 ヤブキは声を僅かに震わせながら、俯いた。

「オイラは、どうしたらいいっすかね? どうすれば、もっと強くなれるっすかね?」

 弾力の強い枕をマスクフェイスで抉り、呟いた。

「兄ちゃんは強くなりたいよ、ダイアナ」

 だが、どれだけ願っても、求めても、届かないものもある。マサヨシとイグニスを見ていると、そう思ってしまう。
欲しいと思っているからと言って、与えられるわけではない。求めているからと言って、手に入るわけでもない。
それは、ダイアナも同じだ。一度死んだ者は蘇らない。たとえヤブキが強くなったとしても、決して帰ってこない。
それでも、ダイアナのことは忘れられない。廃棄コロニーでの新たな日々の最中でも、ダイアナのことは思い出す。
他人は忘れてはいけないが引きずるなと言うが、手が届かなかったばかりに死んだ妹を振り払えるわけがない。
 妹を愛しているのだから。





 


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