アステロイド家族




救護戦艦リリアンヌ



 検査結果は、至って普通だった。
 身体機能のどこにも問題はなく、病巣もなければ疾患もなく、精神状態もきちんと安定しているということだった。
それを聞きながらも、ミイムはぼんやりしていた。検査結果を伝える医師の声が、耳の上を上滑りしていくのだ。
一通り話を聞き終わったミイムは着替え終え、医師と看護師に丁寧に頭を下げてから、診察室から通路に出た。
先日サチコから渡された情報端末を開けてみるも、誰からも連絡が入っておらず、しばらくは一人になるようだ。
ミイムはどこへ行こうかと考えながら、通路を歩いていた。トラムに乗るのは、迷子になりそうだからやめておいた。
当てもなく歩いていると、診察室のブロックから出て次のブロックへと繋がるドアを抜けた。瞬間、空気が変わった。
 天井まで届くほど背の高い木や柔らかな芝生、香しい花々が色鮮やかに咲き乱れている、温室が広がっていた。
恐らく、患者達の心身を癒すための場所なのだろう。ミイムは少し頬を緩めながら、温室の中をゆっくりと歩いた。
息を吸い込むと、青臭い匂いと酸素が肺を満たした。故郷の空気にどこか似ていて、懐かしくもあり切なくもなる。
温室の壁や天井は、とても遠く、広かった。出口にしても、遊歩道を辿った遥か先にぽつんと小さく見えている。
無理もない。リリアンヌ号の全長は一万五千メートルもある宇宙船なのだ、ブロック自体も大きくて当たり前だ。

「やあ、ここにいたんだね」

 唐突に声を掛けられて、ミイムは反射的に振り返って身構えた。すると、その相手も驚き、固まっていた。

「そんなに驚かなくても…」

「みゅ、ごめんなさいですぅ」

 ミイムは笑みを浮かべ、取り繕った。背後に立っていたのは、先程の青年医師、ケーシーだった。

「回診は終わったんですかぁ、ケーシー先生?」

「うん、まあね。僕が任されている患者の数は、他の先生ほど多くないから」

 ケーシーはちょっと肩を竦めた。ミイムは、頭一つ半ほど背の高いケーシーを見上げる。

「ケーシー先生はぁ、新人さんなんですかぁ?」

「うん、まだ二年目。姉さんのツテで入れたようなもんだけどね」

 ケーシーは、気恥ずかしげに頬を掻いた。ミイムは、ケーシーと並んで遊歩道を歩き出す。

「お姉さんとは仲が良いんですかぁ? リリアンヌ先生はちょっと怖い方に見えましたけどぉ」

「そりゃ、僕だって怖いよ。姉さんは誰に対しても厳しいし、言うことは正論だけど刺々しいし、態度もあんなんだし。でも、大好きなんだ。本当は優しいしね。僕の自慢の姉さんだよ」

「みぃ、それは素敵ですぅ」

「君にも兄弟はいるんだろう? クニクルス族は多産の種族だから」

「うみゅう」

 ミイムが頷くと、ケーシーは口元を広げた。薄い唇の下から、鋭利な牙が現れる。

「いいよね、兄弟がいるって。比較されるのはちょっと辛いけどね」

「そうですね、みぃ」

「そうそう、それで、僕が君を捜していたのは用事があったからなんだ」

「みゅ?」

 不思議そうに首をかしげたミイムに、ケーシーは向き直った。

「これに覚えはないかい、ミイム?」

 ケーシーが白衣のポケットから出して差し出したのは、淡いピンクの宝石のペンダントだった。

「これ…どうしたんですか?」

 ミイムがケーシーを凝視すると、ケーシーはミイムを見下ろした。

「僕には守秘義務があるから込み入ったことまでは言えないけど、ある患者さんからだよ。君がリリアンヌ号に来たら渡してくれって言われていたんだ。言われたのは大分前のことだから、僕も少し忘れかけていたけど、君の名前と出身を見ていたら思い出したんだ。その患者さんから教えられた生体情報と、君の生体情報も一致するしね。僕には何かは解らないけど、きっと大事なものなんだろう?」

「もちろんです!」

 ミイムは芝生の上に両膝を付くと、ケーシーの手から垂れ下がっている宝石を両手で受け止めた。

「今まで、これをお守り頂いたことに感謝します、ケーシー先生!」

「じゃあ、渡すよ」

 ケーシーはミイムの両手の中に、ペンダントを入れた。ミイムはそれをしっかり握り締め、頭を下げた。

「みゅう…」

 ミイムは緊張で震える手でペンダントを握り締めながら、ケーシーを見上げた。

「それで、その方は」

「僕はその患者さんの担当じゃないから病状はよく知らないんだけど、面会謝絶なんだ」

「え…」

 ミイムが目を見開くと、ケーシーは膝を付いてミイムと目線を合わせた。

「でも、大丈夫。この船と僕達を信じて。必ず元気にしてみせるから」

「お願いします、先生」

 ミイムは唇を結び、深く頭を下げた。ケーシーはミイムの肩を叩き、腕を引いて立ち上がらせた。

「芝生の上は冷たいだろうから、休憩所まで行こう。他の皆が診察を終えたら、ロビーまで案内してあげるよ」

「…みぃ」

 ミイムは頷くと、目元を拭った。どくどくと高鳴った心臓が痛く、喉は乾き切ってしまって声が上手く出なかった。
まだ希望はある。まだ、大丈夫だ。ミイムはケーシーと連れ添って歩きながら、緊張を胸の奥に押さえ込んだ。
この分だと、皆と合流するまでには元に戻れそうだ。大丈夫。大丈夫。そう言い聞かせながら、ミイムは笑った。
希望は潰えたのだと思っていた。だが、その希望が手の中に戻ってきたのなら、生き抜かなければならない。
 そして、戦わなければならない。




 点滴は、まだ終わりそうにない。
 マサヨシは左腕から伸びる細いチューブに繋がっている輸液パックを見、少しばかり陰鬱な気持ちになった。
薬で体を満たされるのは、気持ちいいものではない。何度となく経験しているが、それでもやはり好きになれない。
だが、我慢出来ないことでもなかった。しばらくすれば終わるのだから、と注射針の刺さっている左腕を見やった。
自由の利く右手で情報端末を開くも、誰からも連絡はない。一番時間が掛かるのは、いつも通りイグニスだろう。
そして、フルサイボーグのヤブキも手間が掛かるはずだ。この分だと、例年よりも帰りが遅くなってしまうだろう。
 マサヨシの体は完全ではない。生み出される際に生体改造を施されたので、神経伝達速度が向上している。
それ故、宇宙空間での戦闘では機械生命体にも引けを取らない戦いが出来るが、弊害で神経組織が脆いのだ。
 この時代の人間は、全て造られた人間だ。旧人類を淘汰した新人類が宇宙で繁栄するため、改造を繰り返した。
遺伝子に何度も手を入れたので、人の姿を保ってはいるが中身は最早別物であり、旧人類とは掛け離れている。
よって、新人類がまともに生きていくためには定期的な投薬が欠かせない。それは軍人も一般人も同じだった。
遺伝子操作を繰り返したことで、生体機能の向上や様々な能力を手に入れたが、弊害で免疫系に異常が生じた。
旧人類にとってはなんでもない雑菌でも新人類にとっては脅威で、単なる風邪ですらも重篤な病になってしまう。
 それらを防ぐために免疫を強化する薬物を投与し、命を長らえている。上手く行けば二百年は生きられるだろう。
だが、マサヨシはそこまで長く生きたいとは思わない。それ以前に、新人類そのものが不自然で好きではない。
同種族の人間ではなく機械生命体のイグニスと組んで傭兵として戦っているのも、そういった背景があるからだ。
だが、人間嫌い、ともまた違う。義理の娘のハルのことは愛しているし、ミイムにもヤブキにも好意を抱いている。
ただ、新人類の不自然さが気に食わないのだ。己を生み出した旧人類を蹂躙し、淘汰し、我が物顔で栄えている。
敬うべき相手を蔑ろにし、踏みにじった挙げ句に滅亡に追い込んでしまったのだから、好意的には捉えられない。
旧人類崇拝というわけではないが、新人類差別でもない。ただ、生理的に合わない。それだけのことに過ぎない。

「…ん」

 ふと気付くと、手が勝手に情報端末を操作していた。暇を持て余しすぎて、無意識に指が動いていたらしい。
アドレスを開いて、いつのまにかサチコを呼び出していた。別に用事はないが、無理矢理切ると心配される。
仕方ない、とマサヨシは内心で苦笑しながらホログラフィーを展開すると、サチコとの通話ヴィジョンを開いた。

〈なあに、どうしたの?〉

 ホログラフィーの中に浮かぶ球体のスパイマシンは、マサヨシをじっと覗き込んできた。

「いや、特に用事があるわけじゃないんだが」

〈あら、そうなの〉

「邪魔をしたか?」

〈いいえ、別に。スペースファイターのメインコンピューターにデバッグを掛けていたぐらいよ〉

「他の連中のカルテは届いたか?」

〈ええ。ハルちゃんとミイムちゃんのものは届いたわ。届いていないのは、ヤブキ君とイグニスね〉

「俺達はともかくとして、他の二人は時間が掛かるからな」

〈帰ってくるのは夕方か、それとも夜かしら?〉

「遅くなるのは確かだな。一人にさせてすまないな、サチコ」

〈気を遣われなくても結構よ。私はコンピューターなんだもの、寂しいなんて思わないんだから〉

 スパイマシンは、くるりと一回転した。マサヨシは右手を伸ばし、ホログラフィーの彼女に触れた。

「本当にそうか?」

 冗談めかして、笑い混じりに言った。だから、サチコも笑うとばかり思っていたが、答えは返ってこなかった。
機械仕掛けの眼球は、強化パネル製のレンズの填った瞳を主に向けて、ほんの数秒間であったが沈黙した。
たった数秒間でしかなかったが、ホログラフィー越しであったが、マサヨシはサチコと見つめ合う形になっていた。

〈どう答えたらいいかしらね〉

「お前の思うままでいい」

 マサヨシの言葉に、サチコは数秒間黙した。軽い緊張感を伴うディレイの後、静かに述べた。

〈切ないわ。あなたが傍にいないだけで、こんなにも世界は空虚になってしまうもの〉

「小説か何かの引用か?」

 サチコらしからぬ語彙にマサヨシが茶化すと、サチコはやや下を向く。

〈かも、しれないわね〉

「サチコ?」

〈ああ、気にしないで、マサヨシ。ゆっくり体を休めてきてね。その代わり、また明日からは働いてもらうんだから〉

 取り繕うように、サチコの声色は弾んだ。マサヨシはそれに同調し、笑顔を見せた。

「ああ。じゃ、またな」

〈またね、マサヨシ〉

 サチコの返事の後、マサヨシはホログラフィーを切って通信も切った。情報端末をベッドに投げ、寝転がった。
思いがけないサチコの言葉に、動揺してしまいそうになった。相手はただのナビゲートコンピューターだというのに。
スペースファイターを買い付けた際に搭載したもので、ソフトのインストールも各種設定も人格設定も自分でした。
片言しか喋れなかった彼女を成長させるために何度も話し掛けて、様々な情報を与えてやったのもマサヨシだ。
だから、サチコはマサヨシの仲間であると同時に娘だが、ハルとは違ってデータとプログラムの固まりに過ぎない。
そんな相手に、何を戸惑う。薬が回ったせいで頭がどうかしたのか、と自嘲しながら、マサヨシは宇宙を見やった。
 我が家のあるアステロイドベルトは、目視出来なかった。





 


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