アステロイド家族




救護戦艦リリアンヌ



 全員の治療と検査が終わったのは、太陽系標準時刻で午後七時を過ぎた頃だった。
 イグニスは両腕と両足の動きを入念に確かめながら、ロビーまでやってくると、既に他の三人が待っていた。
ロビーの窓際にある休憩スペースに、揃って座っていた。そちらに近付いていくと、ヤブキとミイムは振り向いた。
すると、二人は揃ってもう一つの椅子に座っている少女を指した。待ちくたびれたのか、ハルは眠り込んでいた。
ヤブキの上着を被せられているハルは、子供の体には大きい椅子の上で体を丸め、小さな寝息を立てていた。
イグニスは床を震動させないように気を遣いながら近付くと、三人の座っているテーブルの傍で胡座を掻いた。

「マサヨシはどうした」

「小児科の先生とお話ししてるっす」

 ヤブキは、ロビーに併設している談話室を指した。イグニスは背を丸め、頬杖を付く。

「ああ、そういうことか」

「イギーさんは、お体の調子はどうでしたか?」

 ミイムに尋ねられ、イグニスは笑った。

「上等だ。どこも悪いところなんてありゃしねぇよ」

「オイラもそんなところっすね。オイラ、結構丈夫なんで」

「あんたには聞いていないですぅ」

 ミイムに睨まれ、ヤブキは身を引いた。

「なんでそこで怒るんすかぁ」

「早く家に帰りたいぜ。電卓女がちゃんと留守番出来てるのかも心配だしな」

 イグニスが言うと、ミイムは笑んだ。

「みぃ。皆さん、お疲れでしょうから、今日の夕ご飯は消化にいいお料理がいいですぅ」

「オイラは何でも」

「喰わせねぇですぅ」

「だからなんでっすか!」

 ヤブキはテーブルに手を付き、ミイムに身を乗り出した。ミイムは、しおらしげな声を作る。

「ボクのお料理が気に入らないんだったら、食べなくたっていいんですよぉ?」

「気に食わないんじゃなくって、オイラは白いご飯の方が好きなだけなんすよ! 喰えりゃなんでも喰うっすよ!」

「地球人のヤブキには、異星人のボクのお料理なんて口に合わないんですぅ。無理をされても辛いですぅ」

 頬を押さえて身を捩り、ミイムは長い睫毛を揺らすように瞬きした。その様に、ヤブキは身震いする。

「あー…やっぱりダメっすー…。すんません、心底キモいっす」

「じゃあ喰うなですぅ」

 ミイムは、忌々しげにヤブキを睨み付けた。二人のやり取りを見ていたイグニスは、俺らもこうなのか、と思った。
サチコとのケンカも、傍目から見ればこのように醜悪で幼稚に違いない。そう思うと、途端に情けなくなってきた。
考えてみれば、サチコはイグニスからすれば数万分の一の年齢しか重ねていないので、幼児以下の存在なのだ。
そんな相手にいちいちムキになって喚き散らしているかと思うと、情けないを通り越してなんだか悲しくなってきた。
だが、サチコと言い合わないようにしよう、と思っても、サチコの物言いがいちいち癪に触るので結局言い返す。
そしてまたケンカになり、ハルに叱られ、マサヨシに諭される。どちらかが欠けない限り、連鎖は断ち切れない。
しかし、サチコが欠けてしまえば傭兵の仕事はままならない。そうなれば生活が成り立たず、ハルを養えなくなる。
ならば、欠けるべきはイグニスだろう。元々この銀河とは全く別の銀河からやってきたのだから、それが道理だ。
 いずれ、この関係は崩れる。イグニスは、言い合いを続けているサイボーグの青年と異星人の少年を見つめた。
二人のケンカは自然なようでいて、よく見るとぎこちない。お互いの真意までは探らず、表面的な事柄を言い合う。
それだけ、相手を信用していない証拠だ。二人ともマサヨシとハルに心を開いているが、他者には閉ざしている。
ミイムは未だ素性がはっきりしていないし、込み入ったことを聞こうとしても家事やハルの世話ではぐらかされる。
ヤブキもヤブキで、へらへらと笑ってハイテンションで皆を振り回しているが、反面、本心は全く見せようとしない。
イグニスも伊達に長く戦っているわけではない。しばらく観察していれば、おのずとそれぞれの本心が見えてくる。
 戦いに置いて、仲間を信用することは大事だが、信用に至るまでは相手を眺め、本心を見定める必要がある。
それはまた相手も同じだ。お互いに腹を探り合い、それぞれの実力を見極めてこそ、死線を乗り越えられるのだ。
ミイムもヤブキもそんな状態なのだろう。助けてくれたマサヨシには感謝しているが他の連中は信用出来ない、と。
しかし、マサヨシのことも全面的に信用しているわけでもないだろう。それは、イグニスについても同じことだろう。
 所詮、最初はそんなもんだよな。イグニスはそう思いながら、涎を一筋垂らしているハルの寝顔を眺めていた。
イグニスも、マサヨシと組んだばかりの頃は彼を信用しきれなかった。人間なんかと組むなんて、とも思っていた。
機械生命体にとっては人間は原始的な有機生命体に過ぎず、そもそも交流を持つべき存在ではないとも思った。
母星では、そういった考え方だった。機械生命体こそが進化の頂点であり、宇宙を制する至高の生命体なのだと。
戦う相手も同族ばかりで、多種族との戦争は起こしたことはなかったと言えば聞こえはいいが要は閉鎖的だった。
故に、多種族と出会っても滅ぼすか追い返されるかのどちらかでしかなかったので、交流をしたことなどなかった。
イグニスは機械生命体の中ではフランクな性格だと思っているし、ここ十年で大分角も取れてきたと自覚している。
だからこそ、生活が成り立っているが、長きに渡る戦争で狂気に歪んだ機械生命体であったら、どうなっていたか。
間違いなく、皆を殺しただろう。それどころか太陽系の文明を破壊し、人を殺し、狂気の海へ溺れたことだろう。
 同族が生き延びている可能性は低いが、この広大な宇宙はその大きさに見合った可能性も孕んでいるのだ。
イグニス自身が母星から遠く離れた太陽系で長らえているように、同族も宇宙のどこかで生きているかもしれない。
それを素直に喜べないのが、悲しいところだ。機械生命体は戦うために生まれ、戦うためだけに生きる種族だ。
 出会ったら最後、殺し合うのが運命だ。




 ホログラフィーの中に浮かび上がっているのは、少女の骨格だった。
 小さめの頭蓋骨から頸椎が伸び、狭い肩からは細い腕の骨が繋がっており、脊椎の先には小さな骨盤がある。
内臓を守る肋骨もまた細く、頼りない。骨盤に繋がっている大腿骨も折れそうなほどで、足もまだ全体的に短い。
小さな両手と小さな手足は、骨格だけでも愛らしい。だが、その骨のどれもが不自然なほど白く映し出されていた。
ホログラフィーの端に表示されている解析結果も、カルシウムで出来た骨ではなく、金属製の骨だと示していた。
 マサヨシはハルの骨格を立体化させたのホログラフィーを見つめながら、自分の表情が険しくなるのを感じた。
これを見るのは二度目だが、やはり気分は良くない。向かい側に座る小児科医、カイル・ストレイフは無表情だ。
暖色の内装が施されている談話室には柔らかく優しげな音楽が流れているが、二人の耳には届いていなかった。

「身長は一年前と全く変わりませんでした。体重もほぼ同じですね」

 カイルは手元のホログラフィーのキーボードを叩き、骨格に幼い筋肉を纏わせた。

「骨が成長しない限り、身長は全く伸びませんからね。身長が伸びないということは体重も増えないわけで、筋力もやはり成長していません。それは臓器も同じです。ハルちゃんを成長させるためは、去年も言いましたけど、骨格を丸ごと造り替える必要がありますね。それこそ、全く新しく人間を一人造るほど手間と時間が掛かりますけど。ハルちゃんの体細胞を使えばカルシウムの骨格を持つクローン体を作れますので、そのクローン体にハルちゃんの脳を移植するという方法もあります。ですが、そのためにはクローン体の脳を公的機関に委託して処理してもらう必要がありますが、僕は個人的には好きではない方法ですね」

「正直言って、それは俺も嫌ですよ。ハルも嫌でしょうしね」

「ええ、僕もですよ。クローン体とはいえ、子供は子供なんですから」

「それで、ハルに投薬はしないんですよね?」

「カルシウムの骨がない以上、ホルモン剤や成長促進剤を使っても無駄ですからね。筋肉も僕の見た限りでは通常の筋肉組織とは違う感じがしますし、去年の検診から今年に掛けて大病らしい大病もせず、発熱もしなかったところを見ると、免疫系も臓器も丈夫なようですから、下手に薬を使うべきではないですね。生体改造体は僕の分野ではないので、あまり手出ししたくないのが本音ですけどね。もちろん、僕も医者ですから、ある程度のことは知っていますけど、ここまで完全な改造を施された生体改造体は滅多にいませんから、専門的な知識がなければ治療も出来ませんね。リリアンヌ号に乗船している医師の中には生体改造体に長けた方もいらっしゃいますので、僕からお話ししておきますよ。もちろん、ハルちゃんには内緒ですけど」

「政府の情報機関や研究機関には」

「マサヨシさんのご注文通り、僕達の出来る範囲で探ってみましたが、それらしい情報は何一つ出てきませんでしたよ。だから、ハルちゃんは政府関連の施設で作られた生体改造体ではなく、犯罪組織や大企業が極秘に研究開発した生体改造体ではないでしょうか。むしろ、その可能性の方が大きいのでは」

「かもしれませんね」

 マサヨシはハルのホログラフィーを見つめ、重たく呟いた。カイルは、ハルの映像越しにマサヨシを見やる。

「ですが、子供は子供です。たっぷり愛情を注いで育てれば、どんな子も良い子に育ちます」

「ハルは俺達には勿体ないくらいの子供ですよ。心も体も成長してくれないのは寂しいですがね」

「そんなことはありませんよ、心の方はちゃんと成長しています。それは僕が保証します」

「そうですか?」

 マサヨシはハルの言動を思い出し、笑った。表情はかなり増えたが、心が成長しているとはとても思えなかった。
マサヨシが強く言い聞かせているので食事はきちんと摂るが、部屋の片付けもまだ下手で、歯磨きもよく忘れる。
自分では髪を上手く乾かせないばかりか結べないし、邪魔だから切ろうかと言うと、泣いて喚いて断固拒否する。
そのくせ、寝起きでも櫛を入れない。長い髪が大事なのか、大事ではないのか、マサヨシには未だに解らない。
近頃ではミイムが手入れをしてくれているのでまともになり、結ぶようにもなったが、それまではまるでダメだった。
 苦い野菜やクセのある料理はダメだし、水のようにジュースは飲むし、寝て起きた後に傍にいないとすぐに泣く。
食べこぼしが付いた服やスカートを着替えもせずに遊び回るし、涎まみれのぬいぐるみを洗おうとすると怒る。
夜中に一人でトイレには行けないし、サチコからちょっとでも怖い話を読み聞かされるとマサヨシにまとわりつく。
それがまた微笑ましいのだが、時折鬱陶しくなる。何せ、出会った当初から、ハルはずっとそんな調子だからだ。

「診察の後に、お絵描きをしてもらったんですよ」

 カイルが取り出したのは、ぐちゃぐちゃな文字が書かれた画用紙だった。

「去年に比べると、大分字が上達していますよ。少なくとも、読めるようにはなっています」

 ハルの文字に、マサヨシは思わず頬を緩めた。ハルはホログラフィーの扱いがまだ下手なので、紙に書くのだ。
文字としての形を辛うじて取っているが、止めるべきところで飛び出し、曲げるべきところで真っ直ぐに書いている。
だが、確かに読めないこともない。ハルは真っ白い画用紙一杯に、皆の名前をイメージで色分けして書いていた。
 マサヨシの名は黒で、サチコの名は水色で、イグニスの名は赤で、ミイムの名はピンクで、ヤブキの名は緑だ。
そして最後に、自分の名を黄色のペンで大きく書いていた。画用紙は一枚だけでなく、下にもう一枚重なっていた。
もう一枚の画用紙には、似顔絵が描かれていた。これもまた全員分が描かれていたが、身長はでたらめだった。
ぱぱ、おじちゃん、おねえちゃん、まま、おにいちゃん。そして、はる。一際大きな文字で、タイトルも書かれていた。
 わたしのかぞく。




 検診の翌日。マサヨシは、ヤブキの荷物と格闘していた。
 ヤブキがマイクロコンテナをひっくり返して撒き散らし、行方不明になったデータディスクを探し出すためだった。
だが、肝心のヤブキは手伝わなかった。造成した畑を拡幅する、と言って、朝から鍬を担いで出掛けてしまった。
ミイムも昨日出来なかった家事をこなすのに忙しく、イグニスも体を慣らすのだと言って宇宙に出て訓練している。
ハルは、リビングで絵を描いている。昨日の帰路、ハルの描いた家族の絵を褒めたため、調子に乗っているのだ。
唯一手伝いらしい手伝いとしてサチコがいるが、いつものスパイマシンなので、荷物運びを手伝えるわけがない。
なので、サチコはマサヨシが肉体労働する様を傍観していた。その間、目を凝らしてデータディスクを探している。
 そのおかげで、データディスク自体は見つかった。タンスの裏に滑り込んでいたので、出すだけで一苦労だった。
だが、それを見つけたのは全ての家具と荷物を動かした後だったので、今度はそれを元に戻さなければならない。

「…まだ終わりそうにないな」

 マサヨシは額と首筋にべっとりと滲んだ汗を拭いながら、部屋の端まで動かしたベッドを見下ろした。

〈ほらほら頑張って、マサヨシ!〉

 景気付けたいのか、サチコは明るい声で励ます。マサヨシは大きく息を吐いてから、ベッドに手を掛けた。

「ヤブキめ、帰ってきたらただじゃおかないからな!」

 腰に力を入れて踏ん張り、マサヨシがベッドを持ち上げようとした瞬間、廊下をハルが駆けてきた。

「ねえねえパパ!」

「なんだ、ハル」

 マサヨシは持ち上がりかけたベッドを下ろし、ハルと向き直った。ハルはペンを持った手を振り回す。

「パパは知っているんだよね、赤ちゃんがどこから来るのかってこと!」

「ああ、まぁ、一応はな」

「パパ、教えて!」

「俺の口からではなんとも…」

 マサヨシがはぐらかそうとすると、ハルは青い瞳でじっと見上げてくる。

「昨日、リリアンヌ先生に聞いたんだけどパパに聞いてって言われたの。でも、パパは忙しそうだったからお兄ちゃんに聞いたらね、オイラはジッセンケイケンがないからママに聞いてほしいっすー、って言われたの。ママに聞いたら、ボクはちょっと忙しいのでイギーさんにお聞きするですぅ、って言われたの。おじちゃんに聞いたら、そういうことはドウゾク同士じゃねぇとダメだからパパに聞けって言われたの。だから、パパに聞くことにしたの!」

「道理で誰も家にいないわけか」

 マサヨシは納得すると同時に、脱力した。皆が皆、いい歳をしているくせにそんな理由で逃げ出してしまうとは。
だが、その気持ちはマサヨシにも解らないでもない。ハルは好奇心を漲らせた顔で、マサヨシに詰め寄ってくる。

「ねえ教えて!」

 サチコ、とマサヨシはサチコに丸投げしそうになったが、飲み込んだ。ここで自分まで逃げるわけにはいかない。
父親なのだから、ここは娘の疑問に真っ向から答えてやらなければ。それに、サチコに任せすぎてはいけない。

「とにかくそこに座れ、ハル」

 マサヨシは手の汗を拭ってから、フローリングに腰を下ろした。ハルも、マサヨシの前にちょこんと座る。

「はーい」

〈コウノトリはなしだからね、マサヨシ〉

 すると、サチコが先手を打ってきた。マサヨシはその手で行こうと思っていたので、出端を大いに挫かれた。

「お前なぁ…」

〈だからって、キャベツ畑も、桃も、神様とか天使もなしよ。曖昧な表現ではぐらかすのは一番良くないんだから〉

「かといって、ストレートな表現をするのもどうかと思うが」

〈だったら、いい言い回しがあるか考えてみたら?〉

「それを考えるのもお前の仕事じゃないのか?」

〈でも、ハルちゃんはマサヨシに尋ねてきたわ。だから、マサヨシが答えてあげるのが道理なんじゃないかしら〉

 そう言われてしまうと、マサヨシも言い返せなくなる。マサヨシは、わくわくしながら待っている娘に向き直った。

「えーと、だな。まず、植物には雄しべと雌しべがあって」

 だが、その時点でハルには解らないらしく、首を傾げている。どうやら、もっと噛み砕いた説明が必要らしい。
マサヨシは何度も言葉に詰まりながら、必死に説明を続けたが、ハルはきょとんと目を丸くしているだけだった。
これは、ヤブキのデータディスクを探し出すよりも骨が折れそうだ。マサヨシは腹を決め、必死に語彙を探した。
 マサヨシの見ている世界とハルの見ている世界は、似ているようで別物だ。大人と子供では、視点からして違う。
だから、ハルの視点まで下がった言葉で伝えないと伝わらないのだが、つい自分の視点の言葉で喋ってしまう。
マサヨシは肉体の疲労以上に精神の疲労を感じていたが、ハルが納得してくれるまで、丹念に説明を繰り返した。
元々他人の家族が解り合うためには、苦労する。だが、その苦労を惜しんではいつまでたっても他人のままだ。
ハルの描いた家族の絵の中では、皆は同じ背丈で並んでいた。その距離を変えないためにも、努力をしなくては。
 結局、ハルは納得はしたが理解はしなかった。男と女の違いというものが、そもそも解っていないようだった。
母親役のミイムですらも男という男所帯のコロニーなので、成人女性に触れた経験が少ないのも原因なのだが。
考えることに疲れて眠り込んでしまったハルをベッドに寝かせたマサヨシは、娘の隣に腰掛け、小さく嘆息した。
 これでは、部屋の片付けは捗りそうにない。







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