豪烈甲者カンタロス




第十話 狂った均衡



 テレビに映る自分を見るのは、奇妙な気分だった。
 繭はアイスココアをストローで啜りながら、三人の少女達が犯した殺人事件を報道するワイドショーを見ていた。
繭が腰掛ける一人掛けのソファーは自宅のものより格段に柔らかく、座り心地も良ければカバーの肌触りも良い。
テレビ正面の三人掛けのソファーはねねが独り占めし、食べ散らかしたスナック菓子の空き袋を散らかしている。
繭の向かい側であり、テレビから見て左側のソファーに優雅に座っているのは桐子の人格のセールヴォランだ。
 つい十数時間前まで敵対していた三人の間には、共通の話題が皆無なので、会話はほとんどしていなかった。
だから、テレビを見ているしかないのだが、番組の内容は自分達のことばかりなので戸惑うよりも先に照れ臭い。
繭はシンプルな水色のワンピースを着ていたが、ねねは派手なプリントのTシャツとデニムのスカートを着ている。
どちらも人型昆虫対策班から支給されたものだが、二人とも下着も服もサイズが丁度良かったのが薄ら寒かった。

「さっきからずっと同じ内容ね」

 退屈そうに顎を鳴らしたセールヴォランは、頬杖を付いた。

「VTRも、有識者とやらのコメントも、履歴書みたいなフリップの内容も、どの局も番組も同じだわ」

「政府が報道機関に公開した情報が同じなんだから、同じことしか出てこないに決まってるよ、桐子さん」

 リビングテーブルを埋め尽くしている食料品の山からシュークリームを取った繭は、かぶりついた。

「あ、おいしい。ちゃんとしたお店のだね」

「つか、あんたは何か喰わねーの?」

 ねねは新しいスナック菓子の袋を開けて無造作に食べながら、セールヴォランに向いた。

「私は食べたいと思うけど、彼の体にいいとは思えないのよ、そういうの。だから、食べるに食べられないの」

 少し不満げなセールヴォランに、ねねはけたけたと笑った。

「うっわマジ残念ー。てか、そういうのってマジダセー」

「確かにそれは残念だけど、でも、仕方ないことだしね」

 繭はシュークリームを食べ終えると、フルーツタルトを取り、囓った。

「あー、これもおいしい。カスタードクリームには白ワインが使ってあるし、タルト生地だってバターの良い香りがするし、フルーツも良く熟してる。一つ五百円はするんじゃないかな、これ」

「あたし、そういうの嫌い。ギトギトしてんだよなー」

 ねねがスナック菓子を貪りながら言うと、繭は苦笑した。

「ねねちゃんが食べているお菓子も、結構脂っこいと思うけど」

「いいわねぇ、あなた達。思い切り食べられて」

 セールヴォランは悩ましげにため息を零してから、呟いた。

「でも、おかしなことになったわね。つい十数時間前まで殺し合っていた私達が、同じ部屋に入れられて、同じテレビを見て、和やかに話さなきゃいけないのかしらねぇ。すぐにでもあなた達を殺したいのに、状況が生温すぎるせいかしら、かったるくてどうしようもないのよ」

「まあ、変って言えば変だけど、別にいいんじゃないのかなぁ。こういうのも」

 繭はフルーツタルトを食べ終え、アイスココアの続きを飲んだ。テレビでは、派手な効果音のVTRが流れている。
同級生を誘拐し殺害した繭についての映像が流れ、どこかから集められた繭の小中学生時代の写真が写った。
どちらも表情がなく、暗い顔だった。次に、中学時代の繭のクラスメイトだと名乗った人物のインタビューも流れた。
誰も彼もが繭のことを印象の薄い子だったと言い、そんなことをするようには見えなかった、と口を揃えて語った。
続いて桐子についてのインタビューが流れたが、彼女は学校に通っていないと言っていたので、明らかな捏造だ。
最後にねねについてのインタビューが流れたが、こちらも評判は芳しくなく、素行の悪さばかりが取り上げられた。
東海道新幹線の爆弾テロ事件の報道もされたが、本当はセールヴォランの仕業なのだと桐子は自慢げに語った。
 渋谷での壮絶な戦闘を終えた後、三人と三匹はブラックシャインこと黒田輝之に脅される形で政府側に付いた。
人型ゴキブリの改造人間の黒田は、国立生物研究所とは異なる役割の機関、人型昆虫対策班に所属していた。
黒田の言った通り、三人は国立生物研究所が解体されると同時に解任され、対策班の実働部隊に配属された。
桐子とねねの地位はそのままで、繭も一尉という地位を与えられ、黒田率いる小隊の一兵士という扱いになった。
三匹の戦術外骨格も所属を移されて三人の専用兵器となり、三人と三匹は人型昆虫対策班分室に移送された。
 分室と言っても、事実上の秘密基地である。建てられたはいいが使われなかった、議員宿舎を改造したものだ。
外見は立派なマンションなのだが、下層階には研究所に劣らぬ設備の人型昆虫の研究施設が設置されている。
中層階は黒田の体を癒すための医療施設で、繭とねねも検査と治療を受けさせられたが、桐子だけは別だった。
生首と卵を収めた箱だけの桐子は、検査しようにも検査出来ず、彼女を体内に収めるセールヴォランも抵抗した。
だから、桐子は手付かずのまま、上層階にある寄宿舎を兼ねた待機室で三人揃って無期限待機させられていた。
女王の卵による空腹を紛らわすための大量の食糧も準備されていて、年頃の少女が好む菓子類も豊富だった。
カンタロスとベスパは研究施設に移送され、一通り検査と補給を受けているが、二匹が大人しいのが意外だった。
ベスパはともかく、カンタロスは横暴だ。一応、大人しくしろとは言い聞かせたが、それを聞き分けたとは思えない。
 待機室のチャイムが鳴り、ドアが開いた。三人が振り向くと、研究員に先導されてやってきた二匹が立っていた。
カンタロスもベスパも異様に大人しく、触角も下がっている。女性研究員は三人に一礼すると、待機室を後にした。

「お帰り、カンタロス。どうだった?」

 繭が近付くと、カンタロスは力なく項垂れた。

「気持ち悪ぃ…」

「何、変な薬でも打たれちゃったの?」

 繭が心配すると、ベスパが触角を下げた。

「たかが草なんですけど、されど草なんです…。気持ち悪すぎて、もう、情けないやら悔しいやら…」

「何それ、マジウケるんだけど」

 ねねが馬鹿馬鹿しげに笑うが、ベスパはぐんにゃりと崩れ落ちた。

「ああ…こうも毒草の匂いが触角にまとわりついては、クイーンの甘く愛おしい匂いが感じられません…」

「んー…」

 不思議に思った繭は二匹を眺め回していたが、鼻を掠める匂いに気付いた。

「あ、なんか良い匂いがする。ラベンダーとミント、かな?」

「そんなんする? あたしは全然解んねーけど」

 そう言いながらねねはタバコを銜えて火を付けたので、繭は曖昧な顔をした。

「ああ、うん、そうだろうね…」

「そういえば、匂いの強いハーブには防虫効果があるらしいわね」

 セールヴォランは触角を揺らしてリビングを見回し、部屋に隅に置かれたアロマウォーマーを見つけた。

「私と彼のやる気が出ないのも、きっとそのせいね。小賢しいわね、人間のくせに」

「気持ち悪いもんだから、連中に好き放題やられちまってよぉ…。暴れてぇけど力が入らねぇ…」

 うあああ、と情けない声を漏らしながら項垂れたカンタロスに、繭はにんまりした。

「昨日あれだけ暴れたんだから、もうしばらく大人しくしてなさい。中左足の傷だって、まだ塞がってないんだし。たまにはゆっくり休まないと、カンタロスだって体が持たないよ?」

「つってもよ…」

 カンタロスは言い返そうとしたが、ぐえ、と喉の奥で妙な音を出し、顎を固く閉ざした。

「ああ、なんという失態…なんという醜態…クイーンの御前だというのに…」

 這い蹲ったベスパは六本足を動かして移動し、ねねの足元に辿り着いたが、即座に踏まれた。

「つか、これはこれで楽かもしんねー。マジうるさくねーし」

 ねねはベスパの頭部をぐりぐりとかかとで抉りながら、楽しげに笑った。

「ああああ…気分が悪いと快感も半減します…。ああ、でも、やっぱり良いものは良いです…」

 ねねに虐げられたベスパは、憔悴しながらも歓喜していた。

「対策班の思い通りになるのは気に食わないけど、大人しくしていた方が良いのは確かね。その方が、事の流れを見誤らずに済むわ」

 セールヴォランは疲れ切った人型昆虫二匹と反対に元気な少女二人を眺めてから、窓の外に目線を投げた。
待機室のある部屋は周辺の建物を楽に見下ろせる高さに位置しているので、爆撃を受けた渋谷も見下ろせた。
爆撃を終えても尚煙は昇り続け、鎮火を待ってから、消毒剤と殺虫剤を混合した薬剤を空中から散布するそうだ。
 これほど大きな出来事はさすがに政府の情報操作でも隠せないだろうと思ったが、政府はハッタリを貫き通した。
渋谷駅周辺の戦闘は自衛軍と密入国したテロリストとの攻防だとし、その際細菌兵器を用いられたとも発表した。
薬剤を散布するのはそのためだ、と言ったのだ。いい加減に開き直ればいいのに、と当事者達は思ってしまった。
だが、東京都内で突然変異体が異常繁殖し、人類を脅かしている事実を他国に知られたら大事になるのだろう。
下手をすれば、近隣諸国との戦争が起きかねないから隠蔽するのだと黒田は説明したが、納得は出来なかった。
自衛軍が役立たずだと言うことを国民に知られたくないのだろう、と桐子は思い、二人と二匹の会話を聞き流した。
 異常極まりない状況だが、それほど悪いものではなかった。




 戦闘とは違った意味で辛い、もう一つの戦いが終わった。
 黒田は手術台から数時間ぶりに起き上がり、麻酔が切れたことを確かめるために、上両足の爪を握り締めた。
淀みなく力が伝わり、外骨格が外骨格に擦れる。複眼に映る手術室の光景も、色は鈍いが変わっていなかった。
どうやら、今日もまた凌ぎ切れたらしい。黒田は安堵と同時に落胆も感じながら手術台を降り、上右肩を回した。
黒田の肉体改造と治療という名の延命措置を行っている医師に礼を言ってから、黒田は手術室から出ていった。

「お疲れ様です、黒田二佐」

 すると、すぐさま声が掛けられた。黒田が振り向くと、女性研究員、小蝶紫織が立っていた。

「ずっとそこにいたのか?」

 黒田が言うと、紫織は笑った。

「まさか。カンタロスとベスパを女王様方のお部屋に送り届けてきたので、ついでに来てみただけですよ」

 紫織の身長はかなり低く、黒田の胸までしかない。繭やねねと並んだら、同年代と言っても遜色がないだろう。
顔立ちも丸く、優しげな童顔だ。体型もそれほど減り張りが付いているわけではないので、ますます子供っぽい。
白衣を脱がしてしまえば、とてもじゃないが人型昆虫対策班の研究部で日々研究に勤しむ研究員には見えない。

「あいつらはどうだった? その様子だと、なんとかなったみたいだな」

 黒田は紫織の白衣を見、血痕がないことを確かめた。紫織は、少し得意げに頷く。

「はい。いつもの数倍の濃度に設定したラベンダーとミントのスチームを、空調に混ぜて建物全体に回してありますからね。おかげで、二匹とも凄く大人しくて、検査も調査も思う存分出来ました。万が一暴れ出したとしても、こちらには黒田二佐がいますから安心ですし」

「おいおい、俺はたった今手術台から生還したばかりだぞ。無茶を言わないでくれ」

 黒田が触角を下げると、紫織は黒田を覗き込んできた。

「その様子ですと、戦闘高揚剤は抜けたんですね?」

「ああ。だから、今は我に返っている」

 黒田は手術室前のベンチに置かれていた洗濯済みの赤いマフラーを取ると、首に巻き付けた。

「ブラックシャインの時の俺は、俺であって俺じゃないからな」

「今回も素晴らしい活躍でしたよ、黒田二佐」

「どこがだ」

 黒田は窓に映る人型ゴキブリを睨み、吐き捨てた。

「ヘラクレスの脳に俺の命令を与えたゴキブリを仕込んで暴走させ、事態を混乱させて三人の女王を引き入れたはいいが、被害が大きすぎた。研究所の連中も、殺さずに捕らえるべきだった。どこが正義の味方だ」

「ですが、黒田二佐のおかげで、被害は最小限に食い止められましたし」

「余計なお世辞は止せ。俺の醜悪さは、俺が一番良く解っている」

 黒田はベンチに座り込み、頭を押さえた。ぎちりっ、と茶褐色の外骨格に茶褐色の爪が擦れる。

「黒田二佐は立派です。誰にも出来ないことをしています。私は、誰かがしたくても出来ないことをするのが、正義の味方だと思うんです。だから、黒田二佐はやっぱり正義の味方なんです、ヒーローなんです!」

 紫織は黒田の隣に腰を下ろし、語気を強めた。

「そうだといいんだがな」

 黒田は複眼の側面で、紫織の強張った表情を捉えた。だが、それは畏怖によるものではなく、緊張からだった。
いつになく真剣な面差しの紫織は、黒田を生体改造実験の成功例としてではなく、異性として見る目で見ていた。
それがありがたくもあり、困ったことでもある。黒田は紫織の表情から視点を外し、滑らかな床に視点を落とした。
 黒田が改造を受けたのは、復讐のために他ならない。だが、その復讐を果たした後も黒田の戦いは続いている。
人型昆虫対策班の実働部隊の主戦力である黒田の身には、政府から直々に、女王討伐の任務が下されている。
だが、黒田一人でやり抜けるわけがない。それでなくとも、黒田の体には改造した当初から負担が掛かっている。
 人間と人型昆虫は別の生き物だ。黒田は戦闘で失った四肢と内臓の大半を、人型昆虫のそれに置き換えた。
もちろん、馴染むわけがなかった。比較的拒絶反応の少なかった人型ゴキブリを使用したが、それでも辛かった。
黒田自身も、改造を終える前に死ぬと思っていた。だが、黒田はしぶとく生き延び、ブラックシャインとして蘇った。
だが、この変身は一生解除することが出来ない。ヒーローというよりも、怪人ゴキブリ男と名乗った方が相応しい。
行動理念もまた、ゴキブリ男に相応しく生臭い。本当の意味で正義のために戦ったことなど、一度もないからだ。

「黒田二佐がそう思わなくても、私にとっては黒田二佐はヒーローなんです!」

 紫織は頬を僅かに上気させていて、声も少し上擦り気味だった。

「だから、薬なしでも自信を持って下さい! ブラックシャインにならなくたって、黒田二佐は強いんですから!」

「言い過ぎだ」

「私はそうは思いません!」

 紫織が身を乗り出してきたので、黒田は上右足で彼女を制した。

「俺は強くないから、薬に頼るんだ。虫になっちまったんだ。君もあまり俺に入れ込むな、戻ってこられなくなる」

「それでも、構いません」

 紫織は黒田の上右足の爪を、柔らかな手付きで握り締めた。

「すまん」

 黒田は紫織の手の中から爪を抜き、立ち上がると、マフラーと細長い触角を靡かせて紫織の前を通り過ぎた。

「俺のロッカーに戦闘高揚剤と鎮痛剤を補充しておいてくれ。在庫が尽きるほど、ありったけな」

「…はい」

 紫織の落胆した声を背に受けて、黒田は歩を進めた。振り返ってしまったら、紫織に情が湧いてしまうだろう。
櫻子のことは、今でも愛している。生まれて初めて愛した女性だから、六年程度の時間ではまず忘れられない。
だが、だからこそ、櫻子の裏切りは許せなかった。しかし、それもまた黒田への愛だと思うと、憎み切れなかった。
もちろんそれは、櫻子を愛しているからだ。だから、安易に紫織に情を寄せてしまうと、櫻子を憎んでしまうだろう。
未来の妻として、彼女を愛しているから憎めない。だが、その対象が紫織に変わると、櫻子は薫子と同等になる。
そうならないと信じたいが、そうなってしまいかねないから紫織の感情を受け入れない。だが、振り切れなかった。
 黒田は弱い。弱さ故に力を求め、恋人と妹の復讐に走り、そのくせ新たに現れた女性には曖昧な態度を取る。
恋人を裏切ろうとする自分が疎ましくて腹立たしかったが、他人の温もりを求めてしまう自分を否定出来なかった。
だが、それはただの逃げ道だ。紫織に甘えてしまえれば楽になるのは間違いないが、戦う意味を見失ってしまう。
だから、紫織の思いを受けるわけにはいかない。心にも痛みを与え続けなければ、黒田は戦いを捨てるだろう。
 麻酔が切れたことで、自分自身の肉体が痛みを放ち始めた。黒田は呻き声を噛み締めて殺し、歩調を早めた。
一刻も早く、自室に戻って薬を打たなければ。肺に空気を入れるだけで痛み、全身の筋肉が軋み、悲鳴を上げる。
強引に繋ぎ合わせた人型昆虫の体は、黒田を受け入れない。そして、黒田の体も人型昆虫の体を受け入れない。
彼らの戦いは、黒田が死なない限り終わらず、敗北と勝利が同等の戦いだ。早く、戦闘高揚剤を投与しなければ。
 そして、ブラックシャインに変身しなければ。





 


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