豪烈甲者カンタロス




第十話 狂った均衡



 それから、一時間後。三人の女王と三匹の戦士は、中層階の会議室に呼び出された。
 だだっ広い部屋の中心には角の丸い長方形のテーブルが設置され、その周りには立派な椅子が並んでいた。
壁には大きなスクリーンが張られ、プロジェクターも備え付けられ、テレビドラマによく出てくる会議室に似ていた。
繭とねねはスクリーンに近い席に座らされて、カンタロス、セールヴォラン、ベスパは会議室の中程に座っていた。
だが、三匹とも体が大きいので人間の椅子に座れるわけもなく、テーブルの上に無遠慮に腰掛けて前を見ていた。
 スクリーンの前には、黒田が立っていた。やたらと格好を付けたポーズで立ち、上両足をがっちりと組んでいる。
茶褐色の体には一際目立つ赤いマフラーが、空調でかすかに揺れていた。何度見ても、それらしすぎる立ち姿だ。

「あの、黒田さん。一体何を」

 繭が挙手すると、黒田は胸を張った。

「ブラックシャインと呼びたまえ、兜森君」

「でも、それはコードネームみたいなものですから、そっちで呼ぶのは…」

「俺は正義のために己を捨てた男、ブラックシャインだ! 二度は言わん!」

「あ、はあ…」

 黒田の勢いに負け、繭は引き下がった。これ以上は、ただの水掛け論になりそうだったからだ。

「さて、諸君!」

 黒田、もとい、ブラックシャインはリモコンで会議室の明かりを落とし、プロジェクターのスイッチを入れた。

「これから、我らが行うべき正義、女王掃討作戦について説明しよう!」

 プロジェクターのレンズから放たれた光がスクリーンに映ると、東京都全域の地図が現れた。

「現在、我らが交戦している人型昆虫は、その全てが女王から生まれた量産体だ」

 ブラックシャインは映像を切り替え、東京都の地図の上に別の図を重ね、無数の点を映し出した。

「これが、今まで人型昆虫が出現した地点だ。何か気付くことがあると思うがな」

 暗がりの中、繭はねねとセールヴォランを窺うが、どちらも答える様子がなかったので仕方なく地図を眺めた。
都内のほとんどの地域で人型昆虫は出現しているのだが、その点が最も多く密集しているのが六本木だった。

「えっと、六本木、ですか?」

 繭が小さく言うと、ブラックシャインは満足げに頷いた。

「その通り! 人型昆虫の出現回数が最も多いのが港区、更には六本木だ!」

「だから何なの?」

 この場にいることすら嫌なのか、不愉快極まりない顔のねねは組んだ足をぶらぶらと振っていた。

「つまり、六本木界隈に真の女王の巣があるって言いたいんでしょ。結論から先に言いなさい、回りくどいわ」

 ネイルをいじるような仕草で爪先を擦り合わせていたセールヴォランが呟くと、ブラックシャインは肩を落とした。

「俺の立場を奪うどころか、話の腰を粉々に砕かないでくれ」

「でも、なんで六本木なんだ?」

 カンタロスが繭の方を向いて首を捻ると、ブラックシャインは途端に復活した。

「よくぞ聞いてくれた、カンタロス!」

「いや、別にお前には聞いてねぇし」

 ブラックシャインのテンションの高さにカンタロスがげんなりと触角を下げるが、彼はそれを無視して話を進めた。

「それを説明するためには、まず時代を遡らなければならないっ!」

 ブラックシャインは更に映像を切り替え、スクリーンに戦後の東京と思しき焼け爛れた街の写真を映した。

「あ、社会の教科書に載ってるやつだ。ってことは」

 なんとなく続きを察した繭が言おうとすると、ブラックシャインは声を張り上げて遮った。

「遡ること六十四年前! 太平洋戦争に突入した日本はアメリカと激戦を繰り広げた末、アメリカは日本に致命的な打撃を与えるために核兵器を投下した! 最初に広島、次に長崎、そしてこの東京だ! そして、戦後復興の象徴として、爆心地の上に建設されたのが東京タワーなのだ!」

「ああ、その話なら知っているわ」

 爪を研ぐことを中断し、セールヴォランは複眼にスクリーンの映像を映し込んだ。

「原子爆弾の爆心地なのに、あれほどの大きさの構造物を建造しても地盤に変化が起きなかったのよ。建てた後も同じで、何十年経とうとも地盤に全く変化が起きなかったから、超音波測定器で調べてみたら、東京タワーの真下に土とも岩盤とも違う材質のものが埋まっていたのよね。けれど、場所が場所だから、さすがに政府も表立った調査は出来なくて、今の今まで放置されていたというわけよ」

「…だから、俺の言うべき言葉を全て奪わないでくれ」

 ぎちぎちと悔しげに顎を軋ませたブラックシャインに、セールヴォランはしれっと返した。

「あなたの言い方って、大袈裟すぎて鼻に突くのよ。この場で首を刎ねられないだけ、幸運だと思いなさい」

「んで、そのカクヘーキって何?」

 話に付いていく気は全くないが知らない単語が気になったらしく、ねねは繭に尋ねてきた。

「え? 知らないの? 授業で習わなかった?」

 繭がきょとんとすると、ねねは笑い出した。

「あたし、学校なんてマジ行ってねーし。行っても授業なんてサボってたし、てか勉強マジ嫌いだし」

「ああ、そう、だろうね」

 繭は曖昧な笑みを浮かべてから、説明した。

「核兵器っていうのは、ウランとかプルトニウムとかを使って作った爆弾で、核反応を利用して物凄い威力の爆発を起こす大量破壊兵器なの。それだけでも充分凄いんだけど、問題なのは爆発する時に出る放射線で…」

「んで?」

「で、って、何が?」

 繭が聞き返すと、ねねはタバコを銜え、火を付けた。

「で、それが今の話と何の関係があんの? つか、いきなりそんな古い話出されてもマジ意味不明だし」

「ここまで話せば大体予想が付くと思うんだけどなぁ…。特撮とかSFじゃよくある話だし。ゴジラって知らない?」

「何それ?」

「ああ、もう…」

 繭はねねの開き直りすぎた態度に軽く頭痛を感じそうになったが、気を取り直した。

「放射線っていうのは、細かく言えば中性子線なんだけど、それはDNAを破壊してしまう力を持っていて、あ、DNAっていうのはアミノ酸で出来た生き物の設計図なんだけど、強力な放射線を浴びるとDNAが壊れちゃうの。DNAが壊れちゃうと、新陳代謝を行うための細胞が作られなくなっちゃうから、皮膚も剥がれて内臓もドロドロになったりして、かなりひどい死に方をするの。それで、話はちょっと戻るんだけど、DNAを壊されると生き物の設計図が書き換えられちゃうんだけど、その書き換えられた状態で生まれる生き物がいたりするの。それが、突然変異体っていうの。大抵は、頭が二つあったり足が変なところから生えていたり鼻が三つだったり目が一つだったり、っていう奇形なんだけど、たまに割とまともな体で生まれるのがいるの。これは私の想像なんだけど、カンタロス達人型昆虫は、核兵器が投下されたことで突然変異した普通の昆虫が世代を重ねて進化して、環境に適応した姿だと思うんだ」

「ふーん」

「解った、かな?」

「全然」

 ねねは素っ気なく返し、タバコを灰皿で押し潰した。繭は今までの説明が無駄だったと悟り、俯いた。

「ううぅ…」

「つまり、そういうことでしょ?」

 セールヴォランがブラックシャインに向くと、ブラックシャインは諦めたように上両肩を竦めた。

「まあ、大まかに説明すればそういうことだな。最後の仮説も、人型昆虫対策班の研究部が導き出した仮説と概要はそれほど変わらないから、兜森君の解釈で受け取ってもらって構わない。むしろ、その方が解りやすいかもな」

「はあ…」

 多少は役に立ったと知り、繭は安堵した。ブラックシャインは、またも映像を切り替えて東京タワーを映した。

「では、早々に本題に入ろう。でないと、また鍬形君に話の腰を粉々に砕かれてしまう。我ら人型昆虫対策班は女王や人型昆虫と交戦しながら調査を重ねた末、人型昆虫の多くは東京タワーを中心にして発生していると断定した。女王が出現する地点はまちまちだったのだが、いずれも中心点は東京タワーで、一定の距離を保っていた。だが、肝心の東京タワーには女王はおろか人型昆虫は出現しなかった。それに対して、我らは新たな仮説を立てた。女王を生み出す真の女王がいるのではないのか、とな」

 ブラックシャインは上両足を組み、スクリーンの脇に背を預けた。

「これまでに出現した女王は、多少の個体差と卵に受精した精子に違いはあるものの基本的には変わらなかった。全長十メートルから十五メートル、総重量は五トンから十トン。腹部に宿している女王の卵は一つ、人型昆虫の卵の数は三百から五百。地下深くで孵化し、羽化し、成虫に成長した彼女達は、強い雄を求めて地上に出現する習性がある。基本的には一ヶ月周期だが、場合によっては月に数回出現することもある。だが、いくら倒しても女王の絶対数は変わらず、人型昆虫も次から次へと生まれてくる。発生源である女王を倒しても、また別の女王が現れる。これでは埒が開かない、と、我らは女王と人型昆虫の研究を重ね、出現地点の共通点に気付き、東京タワーの地下に隠された異物に気付いた。だが、まだ、そこに真の女王がいるという確証は得ていない」

「なんだよそれ。マジダサいし」

 ねねが嘲笑すると、ブラックシャインは言い返した。

「仕方ないだろう。政府直属の研究機関とはいえ、何事にも限界がある。それなりに手応えは感じるが、相手も一筋縄では行かないんでな。真の女王を見つけ出したとしても、そう簡単に倒せるとは思えない。そこで、だ」

「私達戦術外骨格と、それを操る女王を引き入れたというわけですか」

 事を静観していたベスパは、きち、と顎をかすかに鳴らした。

「確かに、私達ならばこの上なく有効な戦力になるでしょう。人間の兵隊に比べれば遙かに強く、黒田二佐の配下の人型ゴキブリに比べれば訓練が行き届いていて、尚かつ、私達を操って戦闘を行うのは年端も行かない麗しく愛らしく美しく儚く繊細な少女達です。政府の汚れ仕事を押し付けられたあなた達にとっては、人生経験の浅いクイーン達を言いくるめるのは簡単なことだと踏んだのでしょうね。実際、私達はあなた達に逆らえませんでしたしね」

「桐子を利用するな。桐子は僕だけのものだ、僕は桐子だけのものだ」

 意識が桐子からセールヴォランに切り替わったのか、セールヴォランの声は平坦になった。

「虫酸が走るぜ。女王はともかく、この俺を何だと思ってやがる」

 カンタロスが不愉快げにがちがちと顎を鳴らすと、ブラックシャインは上両足を大きく広げた。

「無論、見返りは与える。真の女王と人型昆虫の掃討が完了したら、君達には恒久的な安息を約束しよう」

「それ、本当ですか?」

 繭が訝ると、ブラックシャインは大きく頷いた。

「正義の味方は嘘を吐かない!」

「アンソクって何?」

 ねねに問われ、ベスパが丁寧に答えた。

「安息とは、安らかに休むということです。つまり、黒田二佐が言いたいのは、やることをやり終えたら、政府や軍はクイーンや私達に過干渉しないと言うことでしょう。まあ、悪い話ではありませんね。額面通りであれば」

「そっか」

「理解して頂けたようで何よりです」

「全然」

 ねねは二本目のタバコに火を付け、退屈そうに吸った。

「ちったぁ理解する努力をしろよ、人間なんだから。お前の馬鹿さ加減は虫以下だぞ」

 カンタロスでさえもねねの頭の悪さに呆れると、ねねはタバコとライターをポケットに押し込んで立ち上がった。

「てか、これで終わりなら、あたし帰るし。つか、また腹減ってきたし」

「あ、待て、蜂須賀君! 会議の本題はこれからだぞ! 東京を守る正義の昆虫戦隊に相応しい、名乗りのセリフとポーズとコードネームと必殺技とその他諸々を議論し、決めなければ!」

 ブラックシャインが制止するが、ねねはそれを無視して会議室を出て行った。ベスパはすかさず彼女を追う。

「お待ち下さい、クイーン! 私もお供します、地獄の果てでも!」

「桐子は疲れている。僕も疲れている。喰ったら寝る。桐子のために」

 セールヴォランもテーブルの上から立ち上がり、開けっ放しになっている会議室のドアを抜けた。

「どいつもこいつも付き合い悪いなぁ。戦隊物の良さが解らないとは」

 ブラックシャインは落胆したが、複眼が繭とカンタロスに向けると、途端に触角をぴょんと跳ねさせた。

「兜森君、カンタロス! さあ、会議の本題に入ろう!」

「いえ、あの、その、えっと…」

 逃げるに逃げられなくなった繭が及び腰になると、カンタロスが繭を持ち上げた。

「俺がお前らに付いたのは、この女を真の女王にするためだけだ。下らねぇ遊びに付き合ってられるか」

 カンタロスの上右肩の上に担がれた繭は、ブラックシャインの心底残念そうな声を聞きながら会議室を脱した。
あまりにも残念そうなので、ちょっと可哀想だったかな、と思いながらも、逃げなきゃならなかったんだ、と思った。
あのまま付き合わされていたら、どうなっていたか解らない。カンタロスも、そう思ったから繭を助けたのだろう。
 広い廊下を過ぎて階段を昇ったカンタロスは、踊り場で繭を下ろした。繭が礼を言おうとすると、爪が伸びてきた。
頬と顎を押さえられて顔を寄せられ、開いた顎の隙間から出てきた黄色く細長い舌が唇を割って滑り込んできた。
抵抗する間もなく、カンタロスは繭の唾液を絡め取っていく。繭は息苦しさとは別のもので胸が詰まり、くらくらした。

「カンタロスぅ…」

 舌が抜かれると、繭は壁に寄り掛かって体を支えた。そうでもしないと、膝が折れてしまいそうだった。

「口直しだ」

 カンタロスは繭の唾液が滴るほど付いた舌を引き戻し、顎を閉じた。

「ここの連中が寄越した食い物は、お前のハンバーグほど旨くなかったしな。それに、気分が悪いんだよ」

「ああ、うん…」

 繭は頬が火照るのを感じ、ずるりとへたり込んだ。

「どうした」

 カンタロスが訝ると、繭は俯いた。

「あ、あのさ」

「だから、どうしたってんだよ」

「私の体液で、その、気分悪いのって、ちょっとは、治る?」

 途切れ途切れに言った繭に、カンタロスは返した。

「ああ、まあな」

「それじゃあ、さ」

 繭はスカートの裾をぎゅっと握ったが、口籠もってしまった。言おうと思った途端に、恥ずかしくて言えなくなった。
というか、なぜそんなことを考えたのか、自分で自分が理解出来なかった。飛躍しすぎている。極端だ。破廉恥だ。
カンタロスはいつまでたっても続きを言わない繭が面倒になったのか、先に階段を上り、上層階へと戻っていった。
その硬く重たい足音が遠ざかるのを感じながら、繭は冷たい壁に火照った頬を押し当て、暴れる心臓を押さえた。

「どうして、こうなるんだろう…」

 ついこの前までは、何も感じなかったはずなのに。ようやく慣れてきたと思ったら、今度は急に意識してしまった。
彼のことを好きになろうとは思っていたし、好きになってきた。けれど、それはあくまでも唯一の友人として、である。
 先に至ることなど、考えていなかった。考えられなかったし、桐子とセールヴォランの関係は異様だと思っていた。
それなのに、どうして。繭は唇に残るカンタロスの体液を舐め取り、いつになく味わってから、こくんと飲み下した。
 目眩に似た感覚は、一際強くなった。





 


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