豪烈甲者カンタロス




第三話 歪んだ戦士



 大丈夫。落ち着けば出来る。
 カンタロスと一体化した繭は、何度となく自分に言い聞かせていた。複眼にはまだ慣れないが頑張るしかない。
ぐぢゅ、との違和感に下右足を上げると、同級生の死体を踏んでいた。名前は忘れたが、顔だけは知っている。
また吐き気が込み上がりそうになったが、胃に押し込まれている彼の神経糸が押さえているおかげで出なかった。
目の前に立つ人型クワガタムシ、セールヴォランはキリコと呼んでいた少女を胸部に収めると、外骨格を閉じた。
そして、僅かな間の後、顔を上げた。こちらと同じように制御がキリコに変わったらしく、立ち方が変わっていた。

「私は鍬形桐子。そして、彼はセールヴォラン」

 セールヴォランはしなやかに爪先を挙げ、自分を示してから、カンタロスに向けてきた。

「あなた方は?」

「私は兜森繭、彼はカンタロス」

 カンタロスが控えめに名乗ると、セールヴォランはほくそ笑んだ。

「そう、カブトモリさん。お似合いね」

 その言葉を言い切るよりも早く、セールヴォランは床を砕きながら踏み出し、滑るように間合いに飛び込んだ。
カンタロスが身を引く前に上左足に胸を突かれ、よろけたところで顎を下から突かれ、ツノをあぎとに挟まれた。
上下が反転し、床に思い切り叩き付けられる。震動と衝撃でカンタロスが呻くと、セールヴォランは高笑いした。

「やっぱりね。あなた方が、私達に勝てるわけがないのよ!」

 背中から倒れたカンタロスが起き上がろうとすると、ツノが踏み躙られた。先程と同じように、抉るように深く。

「こんなに弱いと知っていたら、私が中に入る必要なんてなかったかもしれないわね」

 カンタロスは反らしていた顎を引き、力を溜めた。踏み付けられた時の力と重みで、敵の体重は解っている。
持ち上げることに関しては、カブトムシに敵うわけがない。爪を立てて踏ん張ってから、首を曲げて押し上げた。
呆気ないほどセールヴォランの足は掬い上げられ、姿勢を崩したところで跳ね起き、そのままツノで薙ぎ払った。
散乱している机を破壊しながら黒板に衝突し、セールヴォランは沈んだ。カンタロスは姿勢を直し、顎を鳴らす。

「…やった」

「調子に乗らないでくれる?」

 砕けた教卓を払ってから立ち上がったセールヴォランは、がちがちとあぎとを開閉させた。

「あなた、生意気だわ。気に入らない!」

 黒板を蹴って、セールヴォランが飛び出した。カンタロスに直進した漆黒の巨体は、ツノを掴んで押し倒した。
仰向けに転倒したカンタロスの上に跨ったセールヴォランは、生身の脳と機械の脳が入っている頭部を殴った。

「ほら、ほうら、さっさと死になさい!」
 
「ぐぇあおっ!」

 繭自身の脳にも直接フィードバックされる衝撃と痛みに耐えかね、カンタロスは声を上げた。

「私はね、ずうっとずうっと彼と一緒に戦ってきたのよ? あなた達なんかに負けるわけないじゃない!」

 拳を荒々しく叩き付けながら、セールヴォランは余裕を滲ませる。カンタロスは上両足で遮るが、防ぎきれない。
防御しても、その隙間に拳を滑り込ませてくる。その拳が複眼と触角に及ばないようにするだけで精一杯だった。
外骨格に感じる痛みは鈍いが、衝撃は重く、凄まじい。視界がぶれ、もう一つの脳は甲高くエラーを叫んでいる。
視界の隅にも赤い文字が浮かび、点滅している。セールヴォランの拳の嵐が止んでも、ショックは抜けなかった。

「どう? 素敵でしょ、セールヴォランは?」

 セールヴォランはツノを掴んでカンタロスを持ち上げ、あぎとを全開にした。

「だから、その魅力をもっと教えてあげるわ!」

 頭を下げたセールヴォランは、カンタロスの胴体を易々とあぎとに飲み込んで、内側の棘を食い込ませた。

「あぎ、あぐあああっ!」

 外骨格の隙間にめり込む棘の激痛と、胴体を切断しかねない強さの圧迫に、カンタロスは頭を振って呻く。

「そうよ、もっともっと苦しみなさい! 女王は私一人で良いんだから!」

 カンタロスを挟んだあぎとを絞りながら、セールヴォランは空いている上右足で、カンタロスの中右足を捻った。
みぢみぢと関節が軋み、右中足が歪んでいく。本来、体にないものが破壊されていく痛みにカンタロスは吼える。

「いだい、いだいいいいいっ!」

 痛い。痛い。痛い。痛い。戦術外骨格であるカンタロスの受ける痛みを全て引き受けながら、繭は痙攣していた。
両手足がカンタロスの神経糸に固定されているので、ぼろぼろと垂れ流される涙を拭うことも出来ずに苦しんだ。
胴体を圧迫し、中右足を今にも折ってしまいそうなセールヴォランに抗えず、激しい痛みの奔流に流されていた。
やはり、戦うのは無理だったのだ。カンタロスのために生きると決めたのに、誰かの役に立てると思っていたのに。
それなのに、もう死んでしまうのか。それだけは嫌だ、とカンタロスは痛みに震える上両足であぎとを握り締めた。

「そんなの、いやあっ!」

 渾身の咆哮と共に最大限の腕力が発揮され、胴体を締め付けていたあぎとが本人の意志に背いて開いた。

「嫌、嫌、嫌あああああああ!」

 ぎぢぎぢぎぢぃっ、とあぎとが鈍い悲鳴を発する。

「やめてぇえっ!」

 セールヴォランがあぎとを開きかけたが、遅かった。カンタロスの怪力を注がれたあぎとが、捻られ、折れた。
木材をへし折った時に似た破損音が響き、体液と神経の切れ端を散らしながら、右側のあぎとが床に落ちた。
セールヴォランの戒めから脱したカンタロスは腹部を押さえ、頭を抱えて座り込んだセールヴォランに近付いた。

「…カンタロスは、強いんだから」

 カンタロスは折れたあぎとの根本を押さえて震えているセールヴォランの首を掴み、軽々と持ち上げた。

「あなたの方こそ、調子に乗らないで」

「嫌、やめて、お願いぃ! 彼を傷付けないでぇえっ!」

 片方のあぎとを失ったセールヴォランは抵抗するが、カンタロスはセールヴォランの首を握る爪の力を強めた。

「同じ目に遭わせてあげる」

 カンタロスはセールヴォランの中左足を上左足で握ると、わざと時間を掛けながら捻っていった。

「あ、ああ、ぐぁ、あぅああおっ!」

 頭を振り回し、顎を開閉させて唾液を撒き散らしながら、セールヴォランは悶絶した。

「どうしたの、強いんじゃなかったの? すぐに勝てるんじゃなかったの?」

 発声装置が音割れするほどの悲鳴を上げながらセールヴォランは暴れるが、カンタロスの爪は緩まなかった。
本来曲がらない方向に中左足の関節を曲げていくと、関節同士を繋げている膜が伸びて、裂け、体液が零れた。
みちみちみちみち、と握り締められた外骨格が潰れて割れた瞬間、カンタロスは神経ごと中左足を引き抜いた。

「ごぁあああああああっ!」

 それを引き抜いた瞬間、セールヴォランは雷鳴のような咆哮を放ち、全ての足を突っ張らせた。

「あ、気絶しちゃった」

 びくんびくんと不自然な動きをするセールヴォランを床に投げ、カンタロスは体液に汚れた爪を払った。

「これで、良いんだよね?」

 繭がもう一つの意識、カンタロス本人に問い掛けると、脳の中に直接答えが返ってきた。

『及第点だな。止めを刺せ』

「え、でも」

『なんだよ。俺の命令が聞けないってのか?』

「なんか、音が聞こえない?」

 カンタロスは血の海に倒れ込んだセールヴォランから視線を外し、カンタロスが破壊した窓から外を見上げた。
触角を揺らし、聴覚に意識を向ける。街の雑踏に入り混じり、全く別の音域の音、人型昆虫の羽音が聞こえた。
その数は一つや二つではなく、次第に数も増してくる。種族は解らないが、血肉の匂いを嗅ぎつけたに違いない。

「どうする、カンタロス?」

『仕方ねぇな、今はあいつらを倒す方が先だ。これをぶっ殺したいのは山々だが、余計な体力を使いたくねぇ』

 セールヴォランを一瞥した後に返ってきたカンタロスの答えに、繭は少し躊躇ったが了承した。

「うん。そうだね」

 曲がった窓枠と砕けたコンクリートを踏み切り、カンタロスは空中に巨体を踊り出すと、琥珀色の羽を広げた。
二百キロを超える人型カブトムシの体重に加え、繭の四十五キロ弱の体重も加わっているので、初速は鈍い。
琥珀色の二枚の羽を力強く羽ばたかせて巨体を支え、姿勢を安定させてから、カンタロスは音源に向き直った。
目を凝らして住宅地から市街地まで一望すると、風に乗って流れてきた人型昆虫のフェロモンで位置を特定した。
教室に散乱している人間の死体を見逃すのは惜しかったが、今は人型昆虫の群れを迎え撃つ方が重要だった。
 晴れ渡った空に、漆黒の巨体が飛び立った。




 戦闘に次ぐ戦闘は、二人の体力を大いに削いだ。
 セールヴォランとの戦闘の後、敵の気配を感じたカンタロスは、市街地で人型カミキリムシの群れを蹴散らした。
カンタロスにも等しい怪力と的確なテクニックを持っていたセールヴォランとの戦いで、予想以上に消耗していた。
繭は脳に流れ込んでくる大量の痛みと情報の奔流に負け、意識が飛びそうになったがカンタロスに呼び戻された。
粗暴な言葉で怒鳴り付けるばかりか、繭の脳だけでなく体にも直接痛みを回して、無理矢理繭を覚醒させていた。
そのせいで、一般市民を多数巻き込んだ戦闘が終わった頃には、繭はカンタロスを操る余力は残っていなかった。
戦闘のダメージも大きかったが、それ以上にカンタロスから受けた加虐のダメージが大きく、喋る気力もなかった。
 それでも、繭は最後の意地で帰宅した。意外なことに家は無傷で、リビングの掃き出し窓が全開になっていた。
カンタロスが高校に現れた際、どうやって家を出てきたのだろうか、と思ったが普通に窓を開けて外出したらしい。
思い出してみれば、窓の鍵を閉めるのを忘れた。そして、以前合体して外出した際は掃き出し窓から出入りした。
どうやら、彼はそれを覚えていてくれたようだった。カンタロスは土足でリビングに入ると、後ろ手に窓を閉めた。
がばん、と胸部の外骨格が解放されると、青い体液と神経糸にまみれた繭はフローリングの上に転がり落ちた。

「おい」

 カンタロスにぞんざいに声を掛けられ、繭は虚ろな目を上げた。

「な、に?」

「これからお前は何を喰うつもりだ」

「何って、そりゃ、ご飯…」

 繭が途切れ途切れに答えると、カンタロスは傷が再生しつつあるツノを下げ、繭を見下ろした。

「そんなものしか喰わないから体力が切れるんだ。もう少しまともなものを喰え」

「え…」

 体液を吸い込んで重たくなった制服を脱ぎながら繭が呟くと、カンタロスは窓の外を見やった。

「今夜は他の虫共は来ないはずだ。不本意極まりないが、はらわたでも脳でも寄越してやるから喰え」

「え、え?」

「どうした」

 カンタロスは訝しげに触角を振り、目を丸めた繭を見下ろした。

「それって、やっぱり人間のこと、だよね?」

「それ以外の何がある」

「それだけは食べられないよ、カンタロス。気持ちは嬉しいんだけど、気持ちだけで充分だから」

「女王のくせに選り好みするんじゃねぇよ」

「食べられるわけないよ!」

 繭は必死に言い返してから、テーブルに手を付いて立ち上がった。

「とりあえず、お風呂入って、ご飯作らなきゃ。あんなに食べたのに、凄くお腹が空いた…」

「作るよりも狩る方が楽だ」

「だから、私は人間は食べられないし、それだけは食べたくないの! カンタロスとは違うの!」

「訳が解らねぇ」

 気持ちは嬉しいんだけど、と呟きつつ、制服を抱えた繭はナメクジが這ったような足跡を残して浴室に向かった。
カンタロスは所在なく突っ立っていたが、フローリングに座り込んだ。繭に拒絶される意味がさっぱり解らなかった。
カンタロスとしては、栄養のある血肉を与えて痛みにも弱ければ体力のない繭を強くさせ、より力を得たいだけだ。
繭と合体して戦うことは単独の時に比べて不便な部分も多いが、腕力が飛躍的に向上し、反射速度も高まるのだ。
これもまた、人間の作った仕掛けだ。戦術外骨格の神経糸は普段は繋がっておらず、体内で遊んでいる状態だ。
本来は繋がっている神経を切断し、体内に収める少女と物理的にも接続するための特殊な処理が施されている。
少女の肉体を介さなければ、全ての神経が繋がっていることにはならないため、単独では全力が発揮出来ない。
 繭を殺さずに捕らえたのは、部品として使う意味もあったからだ。だが、当然ながら少女に掛かる負担は大きい。
自分の肉体以外の情報が神経を駆け巡るのだから、下手をすれば脳に負担が掛かりすぎ、発狂することもある。
合体の制限時間は、両者の体調にもよるがせいぜい一時間。だが、カンタロスは繭と三時間以上合体していた。
繭が死ななかったのは、女王の卵がカンタロスの強引な意志に反発して情報を押し戻し、負担を軽減したからだ。
それがなければ、今頃繭は脳出血で死んでいただろう。対人型昆虫用戦術外骨格は強力だが、弊害も大きい。
 入念なシャワーの後、繭は綺麗になって戻ってきた。顔色も元に戻り、上気した体からは薄く湯気が昇っている。
繭は冷蔵庫からオレンジジュースを出し、コップに注いで喉を鳴らして飲むと、気を緩めるように深く息を吐いた。

「何を作ろうかなぁ」

 繭は冷凍室を開け、冷蔵室を開け、野菜室を開け、首を捻っていたが、ぱんと手を叩いた。

「そうだ、ハンバーグがいい。それなら、きっとカンタロスも食べられるよね」

「ハンバーグ?」

 カンタロスが聞き返すと、繭は頷いた。

「うん。野菜を抜いて、スパイスも抜いて、ソースも掛けなきゃ食べられると思うんだ。ハンバーグ」

「なんだそりゃ」

「挽肉を丸めて焼いたもののこと」

「肉か」

 カンタロスはしばし間を置いてから、了承した。

「肉だったら喰ってやる。但し、不味かったらその場でお前の腕を折るぞ」

「じゃ、頑張らないとね」

 繭は少し笑み、冷蔵庫を閉じた。浴室からバケツをタオルを持ってくると、床に散らばる自分の足跡を拭いた。
掃除を終えると、繭はチョコレートやクッキーなどで空腹を誤魔化してから、早速ハンバーグ作りに取り掛かった。
朝と同じく、手際良く食材を調理した。自分の分は味を付け、カンタロスの分は味を付けず、フライパンも別にした。
付け合わせやスープも作り終えた繭は、テーブルに料理の皿を並べると、カンタロスの前にハンバーグを置いた。
繭の言葉通り、味も何も付けられていない、ただの焼けた肉の固まりだった。熱い湯気も落ち着き、冷めている。

「はい、どうぞ」

 エプロン姿の繭に勧められ、カンタロスは渋々皿を取り、顎を開けて口中に肉の固まりを落とし、噛み砕いた。
顎に力を入れて間もなく砕け、血液とは違った味の汁が溢れた。今までに食べたことのない、不思議な味だった。
焼いてあるものは苦いのかと思ったが、そうではなかった。生の肉にはない甘みがあり、悪いものではなかった。

「喰えないもんじゃねぇな」

 カンタロスが皿を繭に返すと、繭は頬を緩めた。

「良かった、喜んでもらえて」

 お腹空いた、と独り言を漏らしながら、繭はテーブルに向かい、朝と同じように山のような食事を摂取し始めた。
だが、朝とは違い、繭は機械的に詰め込んでいるわけではなかった。時折カンタロスを見ては照れ臭そうに笑う。
その意味が解らず、カンタロスはぎちりと顎を軋ませた。あの肉の固まりは旨かったが、別に喜んだわけではない。
だから、そこまで浮かれられる必要はない。それ以前に、なぜ、カンタロスにいちいち物を喰わせようとするのか。
とてつもなく鬱陶しいが、今は堪えるしかない。女王の卵に受精させ、子孫が孵化したら繭を喰ってしまえばいい。
カンタロスは山盛りのサラダを黙々と食べている繭を複眼の隅で窺いながら、胃に落ちたハンバーグを消化した。
 ハンバーグには、繭の体温に似た熱が残っていた。





 


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