豪烈甲者カンタロス




第六話 放たれた衝動



 自宅に向かう車内は、静かだった。
 ねねは後部座席の右側に座り、窓を叩く雨を見つめながら、小さな手に余るサバイバルナイフを弄んでいた。
拳銃も与えられたが、使い方が良く解らないので放り出した。撃たない方が無難だ、と城岡からも言われている。
 窓の向こうで流れる街並みは、雨に柔らかく包まれている。左に座る城岡は、慣れた手付きで弾を込めている。
ねねには構造すら解らないフルオートの拳銃にマガジンを差し、ロードし、スーツの下のホルスターに収めている。
ねねの視線に気付き、城岡はねねに顔を向けた。だが、ねねはすぐに城岡から目を逸らし、窓の外を見やった。

「あんた、なんでそれ使えんの?」

「研究所に配属される際に、一通り実習を受けましたので」

「んでさ」

「なんでしょうか」

「あのキチガイ女、桐子ってのはどうなったの? この前、クワガタ使って研究所ぶっ壊して出てったけど」

「鍬形一尉は死亡しました」

 城岡は全く口調を変えずに答え、ダークグレーのスーツの下の防弾装備を確認した。

「鍬形一尉はセールヴォランと共に逃亡した翌日の深夜に、六本木でカンタロスと交戦しました。野生の人型昆虫との戦闘を終えたカンタロスを襲撃したようなのですが、鍬形一尉とセールヴォランは敗北し、鍬形一尉はカンタロスによって首を切断され、死亡しました。その後、セールヴォランは鎮圧のために投入された戦闘部隊を全滅させて逃亡し、未だに行方不明です」

「あっそ」

 ねねはサバイバルナイフを置き、通り掛かったファーストフード店で買ったハンバーガーの入った袋を開けた。
あれから桐子がどうなったかについては、およそ想像通りだった。薫子から、二人は負けたのだと聞いている。
セールヴォランは右あぎとと中右足を折られ、桐子も心身にダメージを追い、まともに戦える状態ではなかった。
追い詰められたから逃げる、という気持ちは解らないでもないが、一度負けた相手に戦いを挑むのは不可解だ。
ねねだったら、戦わない。逃げて逃げて逃げ切って、全て投げ出す。手に負えないのだから、そうするしかない。
 三個目のハンバーガーを囓りながら、ねねは城岡を眺めてみた。これといって特徴のない、平凡な男だった。
顔立ちも目立つ部分はなく、少々目付きは鋭いが特徴らしいものがない。体格は良いのだが、印象が薄かった。
対するねねは、派手な化粧と脱色した髪とだらしない服装さえなんとかなれば、可愛いと呼ばれる部類の少女だ。
一際目を惹く睫毛の長い大きな目、小振りな鼻と唇、まだ子供っぽい丸い輪郭、成長途中の細く頼りない骨格。
女らしさを作り出す脂肪は付き始めたばかりなので、乳房はまだ硬く尖っていて、太股と尻も柔らかさは足りない。
それでも、そこが良いのだと言ってねねを買う男達は後を絶たなかった。世の中、どうかしていると思ってしまう。
ねねでさえそう思うのだから、余程のことだ。だが、これから行うことは、世の中のせいでもなんでもないことだ。
 家族を殺したいから、殺すのだ。




 自宅は、ねねが姿を消した時と何も変わっていなかった。
 築十五年の一戸建ては雨に濡れ、リビングからは明かりが零れており、ガレージには父親の愛車があった。
車を降りたねねは城岡と共に門の前に立ったが、呼び鈴は押さずに門を開けて玄関に入って合い鍵を出した。
それを差し込んだが、回らなかった。ねねはキーホルダーの付いた鍵を抜き取ると、城岡に向けて放り投げた。
鍵を受け取った城岡は、無言で鍵穴に差し込み、回したが、やはり結果は同じで鍵は回るどころか噛まなかった。
城岡の手から鍵を取り戻すこともなく、ねねはドアを見つめた。恐らく、ねねが失踪した後に鍵を変えたのだろう。

「…良い度胸じゃん」

 ねねは一歩身を引き、顎でドアを示した。

「鍵、撃ち抜いて」

「了解しました」

 城岡はホルスターから拳銃を抜き、鍵穴に向けた。腹に響く発砲音の後、硝煙の煙が流れ、鍵穴が抉られた。
城岡はドアが開いたことを確かめ、ねねに中に入るように促した。ねねは靴を脱ぐこともせず、土足で上がった。
ダイニングと繋がるリビングに入ると、先程の銃声に驚いた顔の家族が、リビングに入ってきたねねを見やった。

「ただいま」

 ねねが素っ気なく言うが、両親も兄も呆気に取られているだけだった。

「鍵、開かなかったんだけど」

 ねねが玄関を示すと、ようやく母親が口を開いた。

「…新しくしたからよ」

「なんで?」

「なぜって、そりゃあ」

 兄は食卓から立ち上がることもせず、半笑いだった。ねねはその軽薄な表情から目を外し、テーブルを見た。
案の定、ねねの分は並んでいない。食器も伏せられていなければ箸もなく、料理が取り分けられた様子もない。
父親はねねよりもその背後に立つ拳銃を持った城岡が気になるらしく、顔を強張らせながらこちらを窺っている。
それがまた、ねねの神経を逆撫でした。二週間ぶりに帰ってきた娘を怒ることもなければ、出迎えることもない。
誰一人、心配していない。悲しいと思うより先に空しくなって、ねねは通学カバンからサバイバルナイフを出した。

「あいつら、先に撃って」

 ねねがサバイバルナイフの滑らかな切っ先で両親を示すと、城岡は銃口を上げて両親に据え、的確に撃った。
城岡の放った弾丸に頭部を貫かれた両親は、揃って床に崩れ落ちた。即死したわけではないらしく、呻いている。
だが、止めを刺す気はなかったので、ねねは真っ青になって震えている兄に近付き、ナイフをひらひらと振った。

「これであんたを助けてくれる奴はいなくなったし。マジヤバくね?」

「お前…一体どうしちまったんだよ!」

 がくがくと膝を笑わせながら兄は後退るが、ねねは兄との距離を詰めていく。

「どうもしてないっつの。どうかしてんのはあんただろうが、馬鹿兄貴」

「あ、あの男はなんなんだよ! いきなり父さんと母さんを殺すなんて、どうかしてる!」

「だぁから、どうかしてんのはお前の方だろうが。バッカじゃね?」

 ねねは壁際まで兄を追い詰めると、サバイバルナイフの切っ先を兄の股間に向けた。

「ねえ兄貴。無理矢理ぶっ刺される感覚、教えてやろうか。つか、マジ教えてやりてぇよ」

「なに、言ってんだ?」

 兄は脂汗の滲んだ頬を歪ませ、狂人を見る目で妹を見下ろした。

「あんたがあたしの処女膜ブチ抜いた感覚、今でも忘れらんない。腹が裂けるんじゃないかって思うくらい痛いからぎゃんぎゃん泣いたのにさぁ、あんたはあたしの口ん中にきったない靴下押し込んで、両手はベルトで縛り付けて、あたしのこと散々殴りながらこう言ったよね?」

 ねねは喉の奥から笑みを零しながら、唇を歪めた。

「お前は俺の奴隷なんだから逆らうな、ってさぁ!」

 振り下ろされた刃は容易くジーンズ生地を破り、肉に埋まった。同時に骨盤も割ったらしく、硬い手応えがある。
ねねがサバイバルナイフを捻ると、布地が千切れる音と共に、ぶちん、と肉の固まりを断ち切った感触があった。
頭上で吐き出されていた兄の絶叫が、一際強くなった。股間から出血しながら倒れた兄に、ねねは唾を吐いた。

「そこでしばらく苦しんでな。すぐには死なせてやんないからね」

 ねねはナイフを抜こうと汗ばんだ手を伸ばしてきた兄の手を踏み、ぐりっと泥の付いた靴底で抉った。

「ね、ナイフ、もう一本ある?」

 ねねが手を差し出すと、城岡はジャケットの下から小振りなナイフを抜いて、ねねの手に載せた。

「マジ準備良すぎなんだけど」

 ねねは兄の肩を蹴って仰向けにさせると、荒い息をする兄の上に跨り、ぼろぼろと涙を落とす顔の上に向けた。
ねねはにたにたと笑いながら、大きく振りかぶった。体重を乗せた刃は兄の顔に埋まり、眉間の頭蓋骨を砕いた。
じゅぶっ、と粘ついた水音を立てながら抜けた刃を再度下ろし、めくれた瞼の下から転げ出た眼球を叩き割った。
続いて、鼻と上顎を貫く。破れた唇の隙間から零れた歯の破片を切っ先で払ってから、今度は舌と下顎を壊した。
手に伝わる骨の硬さが次第に細かくなって、脳に到達したらしく、刃に付着する肉片の色や匂いが変わってきた。
ひとしきり、ねねは兄の顔を破壊し続けた。この顔を見るたびに感じた嫌悪感や恐怖感を、払拭するためだった。
 兄は、ねねを見るたびに好色な目を向けてきた。二次性徴が始まったばかりの妹に向ける目とは思えなかった。
それが、たまらなく嫌だった。兄の部屋に呼ばれるたびに組み伏せられ、犯され、奉仕させられたことすらあった。
歯を立てて抵抗して、声を上げて暴れ回って、物を投げて泣き喚いても、兄はねねを性欲処理の道具に使った。
両親に話しても、ねねの妄言だと兄が言えばその通りになってしまい、言い付けた罰だと言われてまた犯された。
それが、どのくらい続いただろう。中学に上がる前、それよりももっと前から、ねねの人としての尊厳は奪われた。
だから、これぐらいのことをしてもいいはずだ。肉体を破壊されて蹂躙されるなど、ねねに比べれば軽いことだ。
 気が付くと、兄は死んでいた。ねねは肩で激しく息をしながら、顔面を失って絶命している兄の上から離れた。
ナイフを床に捨てて、座り込んだ。鼻を突く血の匂いと生臭い体液の匂いが吐き気を催させたが、戻さなかった。
それどころか、嬉しくて嬉しくてはしゃぎだしたいほどだった。ねねは顔に付いた兄の血を拭うと、立ち上がった。

「自分の服とか取ってくる。てか、着替えたいし」

 ねねは城岡に言ってから、階段を昇っていった。二階には、血臭に潰されていない夕食の匂いが残っていた。
食卓に並ぶ料理をよく見ていなかったから解らなかったが、今夜はハヤシライスだったらしいが、ねねは嫌いだ。
だが、兄の好物だ。それがまた苛立ちを呼んだが、その兄が死んでいることを思い出して、ねねは笑い出した。
死んだ人間のことで何を苛立っているのだろう、とねねは肩を震わせ、二週間ぶりに戻った自室のドアを開けた。
 照明を付けると、埃っぽい部屋が見通せた。乱雑さは相変わらずで、母親が掃除に入ってきた様子もなかった。
ねねは血に汚れた制服を脱ぎ捨てると、ベッドの上に散らばっている私服を掻き集めて着てから、私物を集めた。
だが、持っていきたいと思う物は少なかった。来るまでは色々と考えていたが、いざ帰ってくると不要だと思った。
携帯電話の充電器もそうだ。携帯電話を充電したところで、メモリーは全て削除されてしまったのだから無駄だ。
それ以前に、電話したいと思う相手もいない。街中で連んでいた少年少女達とは、上辺だけの付き合いだった。
電話やメールをしたところで、何を話せと言うのだ。本当に仲が良いと思える相手は、ねねには存在していない。
プリクラで一杯の手帳や住所やメールアドレスが詰まったサイン帳も、現実を目の当たりにすると触れたくもない。
上辺だけの付き合いで交換しただけだから、メールアドレスはともかく、住所がデタラメであると解り切っていた。

「バッカじゃね」

 ねねはシールやラインストーンでデコレーションされた手帳とサイン帳を、窓から投げ捨てた。

「ま、でも、全部いらないってわけでもねーし」

 ねねはタンスの引き出しを開けると、手近なバッグに下着を無造作に詰め込み、その上から服を押し込んだ。
化粧品は不要かと思ったが、退屈凌ぎにはなるだろうと考え直し、プラスチックケースを傾けて服の上に落とした。
現金もポケットに入れるだけ入れてから、両親と兄の部屋も探って、全員の財布から有り金を全部奪い取った。
ぐちゃぐちゃのバッグを強引に締めてから、ねねは一階に下りた。城岡は、先程と変わらぬ場所で待機していた。
携帯電話で通話していたが、ねねが戻ると通話を切った。ねねはずしりと重たいバッグを担ぎ、玄関に向かった。

「もういいや。気が済んだし」

「では、引き上げますか」

 城岡は携帯電話をジャケットの内ポケットに戻すと、ねねの背に声を掛けた。

「お持ちしましょうか」

「いいよ、別に。てか、そこまでされるとマジキモいし」

 ねねは鍵の壊れたドアを開け、外に出た。雨はまだ降り続いていて、家から流れ出る血生臭さを和らげていた。
パーカーのポケットに手を突っ込み、闇を吸った雨が滴る空を仰いだ。これでもう、本当に後戻り出来なくなった。
だが、後悔はしていない。全て自分で望んだことだ。だが、意志とは無関係に唇が震え、喉の奥に何かが詰まる。

「…うぇ」

 ねねは俯き、足元に涙を落とした。

「なんで、あたし、泣いてんだよぉ」

 望んだ通りに家族を殺して壊したはずなのに、無性に切なくなり、寂しくなってしまった。

「蜂須賀二尉」

 城岡が近付いてきたが、ねねは早足で歩き出した。

「うっせぇ構うな死ね!」

 城岡を振り払って玄関前で待っていた車に戻ったねねは、バッグを足元に放り投げて、涙を止めようと拭った。
だが、止まるどころか増えてくる。ねねが肩を震わせながら泣いていると、城岡も車に戻り、隣の座席に座った。
運転手に命じて発車させてから、城岡はねねを窺ってきた。ねねは顔を背けたが、段々堪えきれなくなってきた。

「大丈夫ですか」

 城岡の声色は柔らかかったが、押し付けがましい優しさはなかった。

「大丈夫な、もんかぁ」

 ねねはしゃくり上げながら、両手で頭を抱えて突っ伏した。

「つか、なんでだよぉ! なんでこうなるんだよぉ、マジ訳解んねーし!」

「研究所に戻るまでは時間があります。その間、俺は二尉に構いませんので」

「…バッカじゃねぇの」

 ねねは涙に濡れた顔を上げ、城岡を睨んだ。寂しくて、辛くて、胸が痛かった。

「ちったぁ構えよ。それぐらい空気読め」

「ですが、先程は」

「あれは今と違うし。てか、解れよ」

「申し訳ありません。では、俺は何をしたら良いのですか」

「何もすんじゃねぇよ、馬鹿」

 ねねは、城岡の腕を乱暴に掴んだ。久々に感じる他人の体温に寂しさが極まってしまい、涙腺も緩んでいった。
両親も兄も大嫌いだったのに、本当に殺すほど嫌いだったのに、少しだけ未練がある自分が心底疎ましかった。
だが、それも本当のことなのだ。この世で自分は一人ぼっちなのだと思うと、頭がおかしくなりそうなほど寂しい。
けれど、それもまた自分で選んだことだ。後悔しても遅いと解っているのに、後悔してしまうから寂しくなるのだ。
だから、今、泣くだけ泣いてしまおう。人間の手で造られた女王に相応しい、愚かで滑稽な人間になるためにも。
 研究所に着くまでの数十分間、ねねは泣き続けた。最終的には城岡の胸を借りて、幼子のように泣き喚いた。
小さな体の中で破裂しそうなほど膨れ上がった不安や感情を吐き出す手段は、それ以外に知らなかったからだ。
研究所に到着するとねねは我に返って泣き止み、今し方まで甘えていた城岡を突き飛ばして自室に駆け戻った。
これからは、この世界が現実だ。だから、ねねは桐子に代わる新たな女王として、戦士として振る舞うしかない。
 それ以外に、生き抜く術はない。





 


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