酸の雨は星の落涙



第二話 不実なる事実は



 寝室の扉を閉めたゲオルグは、全身の強張りが抜けた。
 ようやく、アリスが昼寝をしてくれた。長々と散歩をしたので疲れてくれたかと思いきや、ゲオルグと共に城に帰っても まだ元気で、昼寝をするためのネグリジェを選んだり、ゲオルグに読ませる本を選んだり、一眠りする時に振りまく香水を選んだりと 細々と忙しく、ゲオルグはその全てに付き合わされた。おかげで、普段はそれほど感じない精神的な疲労がどっと押し寄せた。 ゲオルグは寝室の前の廊下を抜けて階段に差し掛かると、エーディが待っていた。

「よう、色男」

「なんだ」

 ゲオルグが疲労を隠しながら返すと、エーディは尻尾をぱたぱたと振った。

「なんだって、お前、あんなことしたんだ。ていうか、出来るのか?」

「可能だから実行したまでだ」

「だからって、お前なぁ…。言動がアレだから解りづらいが、お前ってまさか幼女趣味があったりするのか?」

「意味が解らない」

「解らなきゃそれでいい、解られちゃ困るしな」

 エーディは苦々しげに口元を歪めていたが、翼の生えた背を向けて階段を下り始めた。

「付いて来いよ」

「どこへだ」

「なんだよ、もう忘れたのか?」

 エーディは階段を下り掛けた態勢で首を捻り、ゲオルグを見上げた。

「いいものを見せてやるって言ったじゃねぇか。お姫様が昼寝している間は、意識レベルが低下している影響なんだろうが、 支配力も落ちるんだよ。その間に、お前に教えるべきことを教えておこうと思ってな」

「情報か」

「そうだ、情報だよ。俺もだが、お前にはもっと情報が必要だろうからな」

 エーディは階段を下りる途中で羽ばたいて浮かび上がり、下る速度を速めた。ゲオルグは彼の尻尾を追い、 階段を下りた。最上階から一階まで下りると、エーディは大広間とは逆方向の回廊に入り、無数に並んでいる重厚な扉の 前を通り過ぎていった。回廊の行き止まりでもある扉に辿り着くと、肉球の付いた前足で鍵を差し込んで錠前を外した。 愛玩動物という立場を表すために付けられている首輪の下に鍵を隠し、エーディは扉を示した。

「ようこそ、俺の城へ」

 ゲオルグがノブを引いて扉を開くと、薄暗い空間が現れた。その中には古めかしいモニターがいくつも置かれていて、 床には無数のケーブルが這っている。エーディは隙間からするりと部屋に入ると、扉を閉めるように顎で示してきたので、 ゲオルグは扉を閉めてから室内を見回した。壁という壁がコンピューターに埋め尽くされていて、ゲオルグには用途不明な 計器が繋がっている。壁と扉は内側から金属のフィルムが貼られ、その下にも何かあるらしく、全体的に厚みが付いていた。

「壁と扉には、ありったけの鉛を仕込んだ上にアルミフィルムを貼って外部からの電波を遮断してあるんだ。だから、こっちからも 無線通信は出来ないが特に問題はない。救難信号を発信しても、受信してくれる相手がいないんじゃ何の意味もないからな」

 どっこいせ、とエーディは作動中のコンピューターの前に降り、コンソールを叩き始めた。

「ここにある機械は、全部、あの都市から運んできたものだ。使用されている言語は全てお姫様の母星語で、プログラミング言語も 同じだったが、使っていくうちに解ってきた。それに、俺とお前が最初から会話が成立していたようにあっちの言語も読めるように されていたようで、二三の言語を新たに習得する手間が省けたぜ」

「お前が自力で運び込んだのか」

「まさか。ヒルダに手を貸してもらったに決まってんだろ。俺の力じゃ、こんなものは持ち上げられやしねぇ」

「だが、ヒルダはただの機械だ。俺とお前よりも、アリスに逆らいがたい存在だ」

「そうでもねぇのさ。ヒルダにも色々あってなぁ」

 それはまた追々話すが、と言いつつ、エーディは計算を終えたデータを保存してから振り返った。

「で、ゲオルグはまず何から知りたいんだ?」

「アリスだ。異常事態の根源についての情報が不足している」

「んじゃ、教えてやろう。俺達のお姫様の正体をな」

 エーディはモニターの前に座り、ゲオルグを見上げてきた。

「俺達のお姫様でありこの星の支配者である個体、識別名称・アリスだが、あれはこの宇宙のものじゃない。この星系からも、 俺の星系からも、お前の星系からも、ヒルダの星系からも、何千万光年と離れた宇宙の向こう側からやってきた余所者の異星人だ。 その異星人共はこの星を自分達の生態に適合した環境に整えようと、勝手に住み着いた挙げ句に固有の環境に手を加え、名前まで 付けやがった。その名も惑星ヴァルハラ。意味が解らない上に趣味が悪い。この星、便宜上惑星ヴァルハラと呼称するが、 土壌も水質も強アルカリ性で、生き物らしい生き物は進化出来ない環境だったが、学術的な研究要素は豊富だった。だが、アリスの種族、 地球人類ってのらしいんだが、その地球人類は惑星ヴァルハラに酸性物質や酸性雨を撒き散らして、何千、何万年も掛けて中和しようと したらしいが、その途中で頓挫して逃げ出した。が、その時、何かの理由で取り残されたのが、俺達のお姫様ってわけだ」

「そのような個体が、なぜ、あのような状況を作り出す要因となったのだ」

「それが解れば、とっくに俺は故郷に帰って、素晴らしくぶっ飛んだレポートと論文を学会にぶちまけてるところさ」

「ならば、お前はどこでその情報を手に入れた」

「だから、これだよ、これ。一つ二つのコンピューターからは情報を絞り出せなかったが、掻き集めてみるとなんとかなるもんでな。 演算能力もそうだ。さすがに宇宙船を飛ばせるほどの代物にはならないが、ないよりはマシだ」

 エーディは前足でモニターを叩き、片耳を曲げた。

「他に聞きたいことは?」

「アイデクセ帝国と惑星クーの星間戦争の情報を要求する」

「んじゃ、心して聞けよ、帝国軍人どの」

 エーディはモニターを載せた机の端に座り、短い後ろ足を組んだ。

「アイデクセ帝国と惑星クーの戦争は、それはそれはド派手で有名だった。だから、俺の星にまでその話が届いているわけだ。 帝国軍は三十年以上に渡って惑星クーに対して戦いをふっかけ、外から内から壊そうと戦いまくった。だが、ローテクに見えて ハイテクすぎる惑星クーは何度となく帝国の上手を行き、ワープドライブを利用した主砲の撃ち合いだって僅差で惑星クーが勝ち、 おかげで帝国軍の主力艦隊は一撃で全滅した。主力艦隊を全滅させられたことで、やっと敵との実力差を知った帝国軍だったが、 今までが今までだったから、ここぞとばかりに反撃を喰らいまくった。中には惑星クー以外の星系から派遣された軍隊もあり、 アイデクセ帝国が惑星全土を国土にしたせいで宇宙に追いやられたレギア人の反乱軍もいたりで、混迷に混迷を重ねた戦いが 何十年と続いたのさ。そして、帝歴三一○○年、帝国軍の総統でもある皇帝陛下は今更ながら惑星クーに敗北宣言を送り、やっとの ことで泥沼の戦争は終結し、故郷と帝国を見限ったレギア人は宇宙の各地に散っていった。だから、今となっちゃ、お前の母星は ガタガタのガラガラで、しがみついているのは懐古主義の老人か時代遅れの軍人ぐらいなものさ」

「それは事実なのか」

「事実じゃなきゃ、話すわけがねぇだろ。なんなら、画像を出そうか」

「あるのか」

「それがあるんだよ。俺は昔から他星系の歴史を調べるのが好きでさ、激動真っ直中の帝国なんか面白くってたまんなかった。 あ、悪ぃ。気にしたか?」

「いや」

「ああ、ならいいんだ。んじゃ、出すぞ」

 ほれ、とエーディが指した先のモニターを見やったゲオルグの主眼に、生身の脳と機械の脳の両方に刻み込まれている 故郷の光景が映った。だが、原形を止めているのは地形だけで、出撃前に見下ろしていた街並みは瓦礫の山と化し、赤茶けた地表が 露出し、泡立った酸の海には墜落した機体の破片が散らばっていた。

「それは他星籍連合軍による侵攻作戦直後の画像だな。確か、報道写真だ」

 エーディは手元で操作し、画像を切り替えた。次のものは、衛星軌道上から地表を映したものだったが、主要都市は跡形もなく 消えていて、衛星軌道上で周回していた宇宙戦艦用の発着ゲートも破壊され、無数のスペースデブリに変わっていた。画像の隅には 軍用セラミックアーマーを着た首のない死体があり、凍えた宇宙を漂っていた。

「これも報道写真だ」

 エーディはまた次の画像に切り替えようとしたが、躊躇った。

「どうする? この続き、見るか?」

「構わない」

「嫌なら嫌って言えよ。俺なら、少なくとも一ヶ月は引き摺るね」

 エーディは画像のファイルを閉じ、ゲオルグに向き直った。

「んで、他には?」

「ヒルダについての情報を取得していない」

「あれは浅く付き合う分には平気だが、深入りするのはお勧めしないぜ」

「なぜだ」

「明日になれば解る。ていうか、放っておいても解る」

「具体性に欠ける」

「だから、その通りなんだっつってんだろ。明日になれば、ヒルダが無指令状態で稼働して一週間が経過したことになるんだから。 その時にお前の目で何が起きたのかを見れば、俺が説明するまでもない。事例はあるだろ?」

「確認済みだ」

「てぇことは、やっぱりお前もアリスを殺そうとしたのか?」

「狙撃したが、失敗した。俺は死んだ。だが、なぜか生存活動を継続している」

「そういうものだからだよ」

「理論として成立していない」

「だから、俺は理論を立証しようとしてんじゃねぇか。でないと、俺達は何百年も何千年も何万年もお姫様のおもちゃになっちまう。 そんなのはごめんだ。俺は故郷に帰って、研究の続きをして、がっつり引き籠もって暮らすんだ」

「なぜだ」

「そりゃ、他人と付き合うのが面倒だからに決まってんだろ」

「なぜだ」

「お前には説明しなくても解りそうなもんだが、俺という個人を理解してもらうために言っておこう」

 エーディはしなやかに身を伏せると、揃えた前足の上に小さな顎を載せた。

「俺はな、自分の考えに浸っている時が最高に幸せなんだ。誰かのためだとか、世間のためだとか、そういうことに頭を使うのは ごめんだが、自分が楽しむためには労は惜しまねぇんだ。だから、この状況は面倒で面倒でどうしようもねぇが、ちったぁ楽しいと思っても いるんだ。なぜなら、下手なことをしない限りは考えに没頭していられるからだ。ある意味じゃ、世界を支配しちまったお姫様の気持ちも 理解出来なくはないが、お姫様のことを好きになったり同情したりなんてことは絶対にない。なぜなら、俺が好きなのは俺だからだ」

「ならば、なぜ俺に情報を与える」

「決まってんだろ。俺はお前を利用したいんだよ、ゲオルグ」

 エーディは尻尾の先でぱたぱたとコンソールを叩き、操作してから、ゲオルグを見やった。

「理解したんなら、とっとと出ていってくれ。利用はするが、馴れ合うつもりは毛頭ない」

「理解している」

 ゲオルグはエーディに背を向け、彼の世界から出た。鉛とアルミフィルムを貼り付けられた重たい扉を閉じ、長い回廊を 歩き出した。見るからに強かな男だとは判断していたが、こうもあからさまだとやりやすい。ゲオルグとしても、エーディを 利用するつもりでいたからだ。ゲオルグは整備兵時代の知識と経験があるおかげで、戦闘機の修理や操縦は可能だが、 あそこまで破損した戦闘機を修理するために不可欠な資材を入手する方法や、宇宙に脱するために必要なエネルギーがどこに あるかまでは把握していない。そして、アリスの意のままにされている状況を打開する術も見つけ出せていない。だから、 利害が一致している以上、このまま互いに利用する関係を保っていくのが最適だろう。そう判断したゲオルグは、最上階を目指した。
 まだ、アリスが目覚めていなければいいのだが。




 寝室に戻ったはいいが、やることはなかった。
 掛布にくるまったアリスは熟睡していて、穏やかな寝息を繰り返している。ゲオルグは無感情にその寝顔を 眺めていたが、ベッドの端に腰を下ろした。ゲオルグの体重を受けたスプリングが重たく軋み、真っ白なシーツが歪んだ。 いつのまにか恒星は傾いていて、レースカーテンを透かして差し込んでくる日差しは赤らんでいた。母星に注いでいた日差しを 思い起こさせるが、その母星は今や破壊し尽くされている。郷愁や哀切は感じなかったが、ほんの少しだけ空虚さに似たものが 生身の脳を掠めたような気がした。母星が戦火に焼かれ、祖国が崩壊してしまった後では、ゲオルグは何のために戦えば良いのか。 今まで自分の中心に据えられていたものが引き抜かれたような感覚に陥るが、かといってそこに新しく据えるべきものを見定める ことは出来なかった。エーディが見せてきた画像は、エーディが捏造した画像である可能性も高いからだ。事態を完全に把握 するためには、やはり自分自身の主眼と副眼で確認しなければならない。それまでは、何一つ信じないことが最良だ。

「んぁ…」

 寝返りを打ったアリスは、ゲオルグの気配に気付いて目を開けた。

「ゲオルグ…」

「なんだ」

 ゲオルグが振り向かずに返すと、アリスは身を起こし、ゲオルグのベルトに指を掛けて引っ張った。

「こっちに来て」

「なぜだ」

「だって、一人では嫌だから」

「なぜだ」

「あなたこそ、なぜ、そんなに私に問い掛けるの?」

「質問に質問で返すのは不毛だ」

「もう…」

 アリスは不満げに息を漏らし、ゲオルグのベルトを離してまたベッドに横たわった。

「だったらゲオルグは、一人でいることが寂しいとか、嫌だと思ったことはないの?」

「その要求には応えられない」

「それは、なぜ?」

 天蓋を見上げたアリスが呟くと、ゲオルグは平坦に返した。

「俺は事故で前後の目と頭蓋骨と脳と左腕を失った際、同時に感情と呼称される情緒的な感覚の一切を喪失した。よって、 君が要求する答えを返すことは不可能だ」

「そう…」

 アリスは落胆を示したが、それ以上の行動は起こさずに瞼を閉ざした。程なくして寝付いたらしく、また寝息を立て始めた。 ゲオルグは副眼でアリスを捉えて呼吸の速度で深く寝入ったことを確認してから、ベッドから腰を上げかけたが、また下ろした。 次に起きる時には、覚醒するだろう。その時にゲオルグがいなければ、今度こそアリスが拗ねてしまう。そして、またゲオルグの 肉体の自由が失われる。そうなれば、脱出を図るために必要な行動が起こせなくなる。ゲオルグはそう判断し、心身を休めるために 主眼と副眼の採光を下げてから意識を落とし、浅く眠った。
 夢は一切見なかった。





 


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