純情戦士ミラキュルン




第十話 謎多き怪人! 暗躍のナイトメア!



 仕事を終えてコンビニを出ると、芽依子が待っていた。
 予想していない事態に大神は戸惑ったが、芽依子自身は相変わらずの無表情で大神をじっと見つめていた。 朝と同じくメイド服姿だったが、黒い布地の裾が埃で白っぽくなっていて、白いエプロンにも汚れが飛んでいた。 大神の鋭敏な嗅覚にも、汚れた部屋の埃の匂いが感じられ、芽依子は大神の頼みを忠実に守ったようだった。 芽依子は膝を曲げて一礼してから、黒く濡れた瞳で大神を真っ直ぐに見据え、化粧気のない薄い唇を動かした。

「若旦那様。御夕食はいかがいたしましょうか」

「別にそこまでしてくれなくてもいいんだが」

 大神が歩き出すと、芽依子も続いた。

「私めがお暇を頂いた理由は、若旦那様の御世話をすることにございます。ですので、果たさねばなりません」

「夕飯ぐらい、自分でなんとか出来る」

「御仕事でお疲れなのですから、若旦那様はごゆっくりお休み下さい」

「芽依子さんこそ、俺の部屋の掃除で疲れたんじゃないのか? ひどかっただろう?」

「予想の範疇にございます」

「強がらなくてもいい。俺の部屋が汚いのは、俺が世界一理解している」

 大神は形の上であっても芽依子を従えるのは良くないと思ったので、歩調を緩めて芽依子と並ぶことにした。 すると、芽依子は大神の後ろに下がろうとしたので、大神もまた歩調を緩めて芽依子と並んで歩くことに努めた。 それが何度か続くと芽依子もさすがに諦め、大神の意図に倣って大神と隣り合わせで歩いていくようになった。 幸か不幸か、今日に限って悪の秘密結社ジャールの仕事は休みだ。だから、芽依子と真っ直ぐ帰るしかない。 書類仕事でもあれば、それを口実に芽依子と別れられたのだろうが、肝心の仕事がなければそうもいかない。 芽依子もそれを解った上で大神の元に来たのだろう。芽依子が計算高いのか、大神が付け込まれやすいのか。

「御夕食の用意をしたいと思っておりますが、そのためには材料が必要でございます」

 芽依子に進言され、大神は答えた。

「俺も買いたい物があるから、買い物には付き合うよ」

「ありがとうございます」

「ああ……」

 芽依子の言葉に力なく返し、大神は足を進めた。芽依子の横顔を窺うが、相変わらずその表情は読めない。 契約社員の一人で、世界征服を企む悪の秘密結社の構成員で、実家の使用人だが、解らないことも多かった。
 内藤芽依子は三年半前に祖父が実家に連れてきて、その翌日にはジャールの契約社員となっていた。 その時は公立高校の制服を着ているごく普通の人間の女の子に見えたので、皆、戸惑ったのを覚えている。 初代暗黒総統ヴェアヴォルフであり大神の祖父であるヴォルフガングは、芽依子は半分は怪人だと説明した。 芽依子は皆の戸惑いを察し、その場で人間体から怪人体に変身してみせたので家人や怪人達の戸惑いは失せた。 しかし、納得行かないことも多かった。これまでにも、祖父は怪人をどこからともなく連れてきて入社させていた。 四天王もレピデュルス以外はそういった経緯で入社した者達だったが、芽依子はどの怪人よりも若く幼すぎた。 だから、家族の誰もが芽依子は大神家の養女になるのではと思ったが、予想に反して芽依子は使用人となった。 どんな経緯で芽依子が大神家に至ることになったのかを祖父に聞くつもりだったが、その前に亡くなってしまった。
 大神が知る芽依子は、青ざめた月明かりの下、無表情ながら心許なげな面差しで立ち尽している姿だけだ。 それ以前の芽依子を知る者は、どこにもいない。怪人達は、皆が皆、それなりの事情を抱えながら戦っている。 芽依子もその一人だと解っているし、みだりに過去を暴くべきではないと解っているが、無性に気になる時もある。 当の芽依子と隣り合って歩いているのに会話が弾まないせいだろう、と思った大神は無遠慮な好奇心を払拭した。

「若旦那様」

 芽依子に声を掛けられ、大神は意識を戻した。

「ん、ああ」

「御夕食の献立ですが、いかがいたしましょうか」

「簡単なのでいいよ。そんなに手の込んだ料理を食べたい気分でもないし」

「では、カレーでよろしいですか」

「簡単だからな」

「簡単でございます」

 芽依子は大神の言葉を繰り返してから、大神の住む社宅のアパートから程近いスーパーマーケットに向かった。 通り道にあるので、大神も仕事帰りに頻繁に利用している。時折、同じく社宅住まいの怪人達の姿も見かける。 自動ドアをくぐると、夏場と言うこともあり、寒気がするほど冷え切った空気が汗ばんだ体に触れて体温を奪った。 夕方なので、買い物客は多かった。大神がカゴを取るよりも先に芽依子が先に取り、一足先に売り場に向かった。 大神はその後に続きながら、周囲を見渡した。自分と似たような構図になっている男女も、ちらほらと目に付いた。 初々しい笑顔を交わす年若い男女や、人目を憚らずにいちゃついている男女、要するに新婚さんやカップルだ。 それに気付いた途端、大神はやけに気恥ずかしくなって芽依子から距離を置こうとしたが、芽依子は振り返った。

「どこに行かれるのですか、若旦那様」

「あ、いや、タバコでも」

 大神がレジの後ろにある自動販売機を指すと、芽依子は僅かに眉根を曲げた。

「それでしたら、会計の際にレジで買えばよろしゅうございます」

「買い物だったら芽依子さんの方が得意だろうし、俺がいたら邪魔だろう?」

「御夕食は若旦那様のために作るのでございます」

「でも、なんか、こう……」

 大神が居たたまれなくなると、芽依子はうっすらと唇を広げて牙を垣間見せた。

「いずれ、このような光景が日常となるのです。慣れておかれた方がよろしゅうございます」

 芽依子の眼差しに射竦められ、大神は言葉に詰まったが返した。

「それはそうかもしれないが、それは仮定の話だろう?」

「では、若旦那様は私ではない誰かと御結婚するおつもりなのでございますか?」

「うぇ?」

 即座に美花のことが思い浮かんだが、話せるわけがない。大神が耳を伏せると、芽依子は一歩詰めてきた。

「心に決めた方がおられるのでしたら、なぜ私めをはねつけないのでございますか?」

「いや……その、俺は、そういうわけじゃ」

 美花のことを言いたい。だが、言ったら皆に知られる。大神は後退ったが、野菜の陳列棚に阻まれた。

「でしたら、なんなりと私めを愛玩して下さいませ。私めには、いつでも準備が出来ております故」

 芽依子は牙の間から舌先を出し、唇を舐めた。怪人の妖しさが人間の美しさに混じった、異様な表情だった。

「やっぱり、俺、タバコ買ってくる!」

 大神は芽依子から逃げ出すために、足早に野菜売り場から去った。美花のことを言えたらどんなに楽か。 しかし、美花の存在を怪人達に知られてしまえば、ただでさえ軟弱な暗黒総統としての立場が揺らいでしまう。 受け入れられるかもしれないが、尊敬はされないだろう。少数精鋭の組織だが、だからこそ規律は大事なのだ。
 陳列棚の間を通り抜けてレジの脇を過ぎた大神は、タバコの自動販売機に至るとカードを当てて小銭を入れて いつも吸っている銘柄のタバコのボタンを押し、取り出し口に落ちてきた小さな箱をポケットにねじ込んだ。 どうせならこのままタバコを吸って気を紛らわしたいところだが、あまり長引くと芽依子に怪しまれてしまうだろう。 大神は気を取り直すために深呼吸してから、芽依子がいる野菜売り場に戻り、先程と同じように芽依子に沿った。
 芽依子の手元のカゴには、数点の野菜が入っていた。大神は好き嫌いが少ないので苦労しないようだった。 芽依子は大神が戻ってきたことに気付くと軽く頭を下げてから、野菜売り場を過ぎて次の魚売り場に向かった。

「カレーですが、どのようなものにいたしましょうか」

「芽依子さんが作りやすいやつでいいよ。作ってくれるんだったら、なんでもいい」

「そういった抽象的なお答えでは、部下は判断に困るのでございます」

「じゃあ、芽依子さんはどんなのが作りたいんだ?」

「若旦那様の好みを聞いた上で判断するつもりでございます」

「だから、俺はなんでもいいんだよ。肉だって、どの肉でも構わないし」

「ですから、そういったお答えでは判断が付けかねるのでございます」

 芽依子は若干苛立ったのか、大神をきつく見据えた。

「そのような曖昧な態度をお取りになるのは、管理職としていかがなものかと思われますが」

「そりゃそうだが……」

 カレーと企業経営は違うのでは、と大神は言い返しそうになったが飲み込んだ。これ以上は水掛け論になる。 不毛なやり取りを続けていては、見た目は新婚のようだが親密とは言い難い空気が険悪になってしまうだろう。 解決するには、大神がカレーの内容を決めれば良いのだ。大神は売り場を見渡してから、芽依子を見下ろした。

「シーフードカレーとか?」

「語尾が曖昧にございます」

「魚介類にしよう」

「言葉の括りが大雑把すぎるのでございます」

「じゃあ、どう言えと」

 大神が若干苛立つと、芽依子は瞬きした。

「ですから、シーフードカレーが食べたいと断定して下さればよろしいのでございます」

「だったら、最初からそう言ってくれ」

「そう仰らなかったのは若旦那様にございます」

「芽依子さんの言うことは尤もだけど、もう少し、さあ……」

 大神が苦々しげに口元を歪めると、芽依子は大神を見上げた。

「実直に仰って下さいませ」

「じゃあ言おう。いちいち神経質すぎないか」

「私めの進言など、神経質の範疇に入るものではございません」

「ああ、そう」

 なんだか急に面倒になった大神は、芽依子の前を歩き出した。

「どこに行かれるのでございますか、若旦那様」

「どこへも行きやしない。買い物は芽依子さんに全部任せるよ」

「ですが、それでは」

「だから、全部任せる。命令だ」

 普段は決して使わない言葉を使った大神は、振り返ることもなく買い物客が行き交う店内を歩いた。 煩わしい、と思ったわけではないが、芽依子の細々とした物言いにちょっと付き合っただけで気疲れした。 そのおかげで、大神は改めて芽依子に対して恋愛めいた感情を抱けないことを悟り、脱力するほど安堵した。
 内藤芽依子は、ある日突然祖父が連れてきた謎の少女であり、妹も同然であり、そして部下の一人なのだ。 好きだとは思っても、身も心も焦がすほどの思いには駆られない。美花と芽依子の決定的な違いはそこにある。 芽依子とも親密にはなりたいが、それはあくまでも家族としての感情であり一人の女性に対する感情ではない。 そのくせ、妙なモーションを掛けられると心中が揺さぶられてしまうのは、血の気が余っているからに違いない。
 我ながら、若さが疎ましくなる。




 買い物を終えた後、大神は芽依子を伴って社宅に帰宅した。
 フォートレス大神。風雨に曝されて風化しつつある木造の壁には、絶対に合わない名の看板が付いていた。 築三十五年の木造二階建てで風呂トイレ共同のアパートの、どの辺りが要塞なのかきっちり説明してほしい。 アパートの地下から秘密基地が迫り上がるとか、実は巨大合体ロボだった、という話なら少しは理由が解る。 しかし、このアパートにはそういった大袈裟な仕掛けは施されておらず、本社の雑居ビルも似たようなものだ。 大神家所有の土地に建てられたアパートの中でも、最も名前と実態が不釣り合いなのは社宅だと信じている。
 祖父は何を思ってこんな名前にしたのだろう、と決して晴れない疑問を抱きつつ大神は古い引き戸を開けた。 がたがたとガラスが揺れる木枠の引き戸を開けて玄関に入ると、怪人達の靴が乱雑に詰まった棚が現れた。 大神がスニーカーを脱いで自分の場所に押し込むと、芽依子も革靴を脱いで大神のスニーカーの隣に入れた。 廊下を歩き出した大神は、違和感を感じて立ち止まった。普段なら、足の裏に砂と土の感触が伝わるはずだ。 だが、それがないどころか、青白い蛍光灯に照らされている板張りの廊下が艶を帯びたように薄く輝いている。

「うおおっ!?」

 唐突に廊下に轟いた絶叫に大神がぎょっとすると、トイレのドアが乱暴に開き、ムカデッドが現れた。

「すげぇええええ、便所が綺麗だぁああああっ!」

 変なことを喚きながら飛び出してきたムカデッドは、大神に気付くと立ち止まった。

「あ、お帰りなさいっす、総統! なんか凄ぇっすよ、どこもかしこも光り輝いてるっすよ!」

「……だろうな」

 大神が背後の芽依子を見やると、ムカデッドは芽依子に顔を寄せた。

「おお、久し振りじゃん芽依子ちゃーん! 元気してた?」

「健在であるからこそ、労働に従事したのでございます」

 ムカデッドに切り返した芽依子は、右手を掲げて大神を示した。

「ですが、それもこれも全ては若旦那様のためにございます」

「なぁーんでぇー、俺らじゃねぇのかよ。芽依子ちゃんってば、相変わらず本家贔屓してんなぁー」

「私めの契約内容は、御屋敷と大神家の皆様方の御世話にございます。社宅にまで構う余裕などございません」

「ね、ね、総統、なんとかなりません? 総統も住んでるんすから」

 ムカデッドに擦り寄られ、大神は若干身を引いた。

「うちの実家だけでも大変なのに、社宅まで任せたら芽依子さんが倒れるだろうが」

「でも、芽依子ちゃんも怪人っすよ?」

「怪人でも、だ。他の社員だって、滅多なことがない限り現場の掛け持ちなんてしないだろう」

「あー、そうっすねぇ」

 なら仕方ねぇや、とムカデッドが引き下がると、芽依子は語気にかすかな威圧感を込めた。

「私めの本領は暗躍にございます。私めは大神家とジャールには忠誠を誓っておりますが、怪人の皆様に対しては 同僚に対する感情しか抱いておりません。安易に部屋に踏み込ませたが最後、あなた方の人生を狂わせるほどの秘密を 暴いてしまうやもしれません。そのことをお忘れなきよう」

「んじゃ、例えばどんなこと?」

「本日、若旦那様のために社宅を御掃除している際に見つけ出したのですが、どなたかが天井裏に隠された」

「解った解った、続きは言うな! 社宅の誰かのプライバシーを守るために!」

 大神が慌てて芽依子を遮ると、ムカデッドは腰を引いた。

「うおえぇっ!?」

 すんません失礼しまっす、と言い残し、ムカデッドは手狭な階段を大股に歩いて昇ろうとして踏み外した。 勢い余って数段滑り落ちたが、ムカデッドは怯まずに階段を昇って自室目掛けて走る足音が頭上に落ちてきた。 きっと、その天井裏の何かはムカデッドの私物なのだろう。一体何なのかは気になるが、聞かないでおくべきだ。 大神は芽依子に秘密の何かを見られたムカデッドに同情したが、大神は芽依子に部屋の掃除を頼んでしまった。 大神も若さを持て余している男なので、自室には見られたくないものがいくつかある。

「あ、あのさ、芽依子さん」

 それを見られていないだろうか、と大神が怖々と芽依子に向くと、芽依子は平坦に述べた。

「御安心なさいませ、若旦那様。押し入れの下段と本棚の一番下の段に押し込まれていた怪しげな段ボール箱は、 掃除のために手は触れましたが開けてはおりません」

「う、うん、だったらいいけど」

 ドンピシャだったので大神は答えようがなかった。芽依子が察した通り、どちらの箱にも妙なものが入っている。 年頃の男なら一つは持つであろう雑誌だったり、映像記録媒体だったり、若気の至りの名残であったりと様々だ。 やはり、自分が片付ける前に芽依子を部屋に上げるべきではなかった。大神は、今更ながら後悔してしまったが、 夕食の材料は二人分買い揃えてあるし、芽依子の作るシーフードカレーを食べずに帰らせるのは惜しい。
 事を起こすのは、夕食を食べた後にしよう。





 


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