純情戦士ミラキュルン




第十三話 人類滅亡!? 地球最後の日!



 世界が終わった。
 正しく表現すれば、新しく出来上がろうとしていた世界が崩れ去った。せっかく、自分に都合良く行きかけたのに。 だが、現実が虚構に勝るのは世の常だ。そう思おうとしても、理不尽な仕打ちにあったかのような気分だった。 本を正せば鋭太に非があるのだが、本当のことを言った美花や、その真偽を正しに来た兄の剣司が疎ましくなる。 どうせなら、あのまま嘘を貫き通したかった。そして、流れで付き合ってしまえば美花も鋭太に傾いたかもしれない。 けれど、兄の剣司から美花と付き合っていないことを正されたら、鋭太は嘘を貫くことが出来ずに事実を認めてしまった。 詰まるところ、鋭太も引け目を感じていたのだろう。意地汚くなれば良かった、と後悔したが手遅れだ。
 美花自身から振られたわけでもないのに、振られたような気分だ。鋭太は虚ろな眼差しで、テレビを眺めていた。 大神邸のだだっ広い居間に見合う大きさのハイビジョンテレビには、衛星軌道上の中継映像が映っていた。 アナウンサーは淡々と事実だけを伝え、興奮どころか事態に慌てている素振りも見せない。慣れているせいだ。

「超巨大隕石なぁ……」

 鋭太は超空間を通じて地球の衛星軌道上に引きずり出されようとしている異物を見、片耳を曲げた。

「てか、これ何度目だよ」

 パターンはその時々で異なるが、地球規模の異変が訪れるのは初めてではなく、年に一度は起きていることだ。 この世界には星の数ほど悪の組織があり、それに等しい数のヒーローがおり、年がら年中戦いを繰り広げている。
 そして、今日もまた地球は危機に陥っていた。どこぞで繰り広げられた正義と悪の戦いが、佳境に入ったからだ。 そんなことは、年に何度もある。特に多いのが三月下旬と九月下旬で、今日のような八月中の決着は少し珍しい。 だが、世界の危機自体が珍しいわけではない。去年の年度末にも、地球はマントルコアを破壊されそうになった。 もちろん、今日という日があって鋭太を始めとした全ての生物が生き残っているので、マントルコアは健在である。
 こういう時、鋭太は宇宙を感じる。といっても、宇宙から迫り来る悪意に満ちた侵略者達に怯えるわけではない。 広大な宇宙をひっくり返しても、こうも頻繁に狙われているのになんだかんだで生き残るのは地球ぐらいだろう、と。 ジャールにも異星の怪人が所属しているので少し話を聞いたことがあるのだが、地球は狙われすぎているそうだ。 一万年に一度ならまだしも、一年間に何度も滅亡の危機に瀕しているのは、頻繁を通り越して異常なのだそうだ。 言ってしまえば、一般市民が街を一歩でも歩くと強盗に遭うが助けられるようなものだ、ともその怪人は説明した。 そして、地球が狙われることが日常と化していることも充分異常だが、慣れてしまったことはもっと異常だ、とも。

「あー……」

 本当に世界が滅びるのなら、美花に付き合ってくれと言えるだろうに。

「どうせ助かっちまうんだよなー、これ」

 鋭太は携帯電話をいじりながら、横目にテレビを窺った。今はヒーローの姿はないが、これから登場するだろう。 たとえ、地球に巨大隕石を落とそうとしている悪の組織の本命のヒーローが現れなくても、適当に誰かしらが戦う。 そして、地球はなんとなく救われて、明日からもまた同じ日常が始まる。最早、童話の狼少年のような状況である。 だから、もう誰も地球が滅びそうになっても誰も本気にしておらず、心底怯えるのは子供か宗教者ぐらいなものだ。

「あ、鋭ちゃん、ここにいたんだ」

 居間の分厚いドアが開き、姉の弓子が顔を出した。

「何?」

 鋭太はソファーに寝そべったまま答えると、弓子は居間を見渡した。

「刀一郎さん、知らない?」

「知らねー。つか、どうかしたん?」

「刀一郎さんがお休みだから、一緒にお出かけしようと思ってたのに、その刀一郎さんがいないのよ」

「で、どこに行く気だったん?」

「遊園地!」

「は? つか、また?」

「だって、楽しいじゃない!」

 幼女のように満面の笑みを見せる姉に、鋭太は辟易した。

「つか、姉貴、いい歳してんだから他の場所で遊べよ。ヒルズとかミッドタウンとかあるっしょ?」

「ああいう場所って、お洒落なお店しかなくて面白くないんだもん」

「普通はそれがマジ楽しいんだっての」

「鋭ちゃんのくせにお姉ちゃんに指図しないでよ」

「つか、常識を説いただけだし」

 鋭太は携帯電話に視線を戻し、爪先でボタンを操作した。

「てか、最初に刀一郎さんの携帯鳴らさね? それこそマジ常識じゃん」

「してみたんだけど、圏外だって言われて……」

「んじゃ、仕事なんじゃね?」

「御仕事なら御仕事だって言ってくれるよ。本当にどこ行っちゃったのかなぁ、刀一郎さん」

 じゃあまたね、と弓子は居間のドアを閉めた。その足音が遠ざかると、今度は芽依子を呼ぶ声が聞こえた。 だが、弓子が知らなければ芽依子も知らないだろう。義兄の名護刀一郎は、妻の弓子を溺愛しているのだから。 外見通りに正直で礼儀正しい性格の名護は、愛する妻に隠し事など出来るわけがなく、するはずもないからだ。 端から見ていても恥ずかしくなるほどのラブラブ具合で、家族であるからこそ、それが鬱陶しくなることも多かった。 けれど、名護は気安い態度を取れる相手ではないので、それに対しては文句を言うどころか飲み込んでしまう。 これで実兄の剣司ならずけずけと言えるのだろうが、名護は弓子と結婚した今となっても他人の感覚が抜けない。
 その名護が弓子に何も言わずに外出するのは、地球が滅びかけるよりも珍しい。きっと急な仕事なのだろう。 弓子がばたばたしている間に何食わぬ顔で帰ってくるのだろう、と思いながら、鋭太はテレビに目を戻した。

「お?」

 地球に落とされんとする巨大隕石に立ち向かうべく地球の衛星軌道上に登場したのは、初見のヒーローだった。 薄く青味を帯びた銀色のマントを翻す背には、その身長を凌ぐほど巨大な鞘を担ぎ、両手には大剣を握っている。

『この美しき星と、掛け替えのない命を滅ぼさせるわけにはいかない!』

 中世の騎士を思わせるデザインのバトルマスクとアーマーを身に付けたヒーローは、剣を振り上げた。

『聖なる剣は正義の力! 我が名は神聖騎士セイントセイバー、悪を斬り、善を守る、清き心の聖戦士!』

 宇宙空間で普通に喋ったように見えるが、バトルマスクを介して人工衛星の通信電波に介入しているのである。 ヒーローなら誰でも出来る芸当で、更には戦闘時に発生する衝撃音や爆発音までもを実況中継してしまうのだ。 おかげで、本来なら音など聞こえるはずもない宇宙空間での戦闘も、映画さながらの臨場感を伴って中継出来る。
 神聖騎士セイントセイバーなるヒーローは隕石を押し返そうとしたが、どこからか現れた宇宙生物に襲撃された。 次にお約束の戦闘が始まったが、差し当たって目を引く部分もなかったので鋭太は携帯電話に視線を戻した。 美花にメールを打とうとしたが、メール作成画面を閉じた。メールにしてしまうと、また言い訳に走ってしまいそうだ。

「会った方が良いよな、うん」

 鋭太はアドレス帳を開いて美花の電話番号を出し、通話ボタンを押した。数回のコール音の後、応答があった。

『はい、もしもし』

「野々宮?」

『珍しいね、鋭太君が電話してくるなんて』

「あのさ、野々宮」

『うん』

「今日ってさ、暇?」

『午前中は用事があるけど、午後なら平気だよ』

「んじゃさ、後で会わねぇ?」

『遊びに行くの? だったら、七瀬も一緒に』

「あー違う違う、そういうんじゃねーし。なんつーか、その、話があんの」

『電話じゃ話しづらいこと?』

「まーな」

『それじゃ、どこで待ち合わせする? 用事があるのは、鋭太君ちに近い駅の方なんだけど』

「だったら、西口の改札前でどうだ。一時半」

『うん、解った。西口の改札前だね。それじゃ、また午後にね』

「おー」

 鋭太が返すと、美花が通話を切った。鋭太は耳から携帯電話を外し、ソファーの肘掛けからずり落ちた。 まだ本題に入ったわけでもないのに、気疲れした。だが、中途半端な状態のまま放っておくのは良くないと思った。 鋭太は美花が彼女にするには丁度良い相手だと思っただけであり、本当に美花が好きだったわけではないのだ。 そんな気持ちで付き合ったとしても、長続きしない。それに、美花は鋭太を好きにならないだろう、と思っていた。
 美花が見ているのは兄の剣司だけだ。鋭太が美花と七瀬に連れられて遊びに行った時から、解っていた。 美花が挙動不審になるのは兄の前だけで、鋭太からちょっかいを出さなければ口籠もることも慌てることもない。 だから、美花は鋭太とは付き合うわけがない。押して押して押し切ったとしても、美花も鋭太も楽しくはないだろう。 最初からただのクラスメイトでしかなかったのだから、こんがらがってしまった関係をリセットして元に戻すだけだ。
 それなのに、なぜ気が滅入ってくるのだろう。




 携帯電話を閉じると、ため息が零れた。
 鋭太から何を言われるのかは、大体想像が付いた。付き合っていることにされていたのが迷惑だった、と。 美花のような気弱で根性なしを彼女にするような物好きはいない。遊んでも面白くないし、話してもつまらない。 自分でもそう思うのだから、鋭太のように遊び慣れた男子では尚更だ。友達でいることすら迷惑かもしれない。 いつか訪れることだったんだ、と思い直したが、仲良くなり始めていた鋭太と決別するのは寂しくなってしまった。
 携帯電話をトートバッグに入れてから、改札を通って駅構内から出た美花は、雑居ビルの多い通りに向かった。 その途中で物陰に入った美花は、辺りを見回して誰の目もないことを確かめ、左手首のブレスレットを押さえた。

「変身!」

 ブレスレットから溢れた白い光に包まれ、弾けると、ピンク色のヒーローが完成した。

「純情戦士ミラキュルン、以下略!」

 美花、もとい、ミラキュルンはポーズを付けようとしたが中断した。トートバッグの中身が崩れてしまったら事だ。 ビルの隙間から出たミラキュルンは、真っ直ぐに悪の秘密結社ジャールの本社が入った雑居ビルに向かった。 すると、同じ歩道の反対側から見覚えのある怪人がやってきた。戦車怪人、突撃のパンツァーに違いなかった。

「あ、パンツァーさん」

 ミラキュルンが駆け寄ると、パンツァーは立ち止まった。

「お?」

「こんにちは」

 ミラキュルンが挨拶すると、パンツァーは一礼した。

「おう、今日も暑ぃなぁ。だが、今日は決闘の日じゃねぇはずだぜ?」

「ジャールの皆さんにはいつも御世話になっているので、差し入れでもと思いまして」

「そいつぁありがてぇな! んじゃ、先に連絡しとかねぇと、若旦那に心構えが出来ねぇからな」

 パンツァーは分厚い鉄製の手に似合わぬ小さな携帯電話を取り出し、操作した。

「おう、アラーニャ、俺だ。外回りから戻ってきたんだが、丁度ミラキュルンに会ってな。おう、おう、解った」

 パンツァーは何度か頷いてから、通話を切った。

「五分ちょい待ってくれとよ。あっちにも準備があらぁな」

「そうですか」

「んで、差し入れってぇのは何だ?」

 パンツァーが単眼の目を瞬かせると、ミラキュルンはトートバッグの中を指した。

「杏仁豆腐です。私が作ったものなので、皆さんのお口に合うかどうかは解りませんけど」

「そんなん、喰えるに決まってらぁな。だが、杏仁豆腐ってなぁ何なんだ? 俺ぁ喰ったことがねぇんだが」

「ちょっと風味の違う牛乳プリンです。さっぱりしてておいしいんですよ」

「そいつぁ楽しみだな。そういやぁ、中華料理を喰った後にアラーニャが頼んでた気がするぜ」

「アラーニャさん、杏仁豆腐がお好きなんですか?」

「つうか、甘い物なら全部好きだな。クモのくせして、虫よりも菓子が好きたぁなぁ」

「私も甘い物は好きですよ。買うのもいいですけど、自分で作るのも楽しいですね」

「だが、なんでもいいっつうわけでもねぇんだろ?」

「そうですね。個人の好みもありますし」

「だぁなぁ……」

 パンツァーは角張った指で箱のような顎を擦っていたが、ミラキュルンに向いた。

「五分過ぎたし、そろそろ行こうや」

「はい」

 ミラキュルンは頷くと、パンツァーの機関銃が装備されている背中を追いかけて雑居ビルの三階に到着した。 以前ミラキュルンが裏拳で吹っ飛ばしてしまったスチールドアは当然修理済みで、新しいものに交換されていた。 パンツァーがドアをノックしてから入ると、茶碗を盆に載せたアラーニャが出迎えてくれ、応接セットに案内された。 レピデュルスは外出先からまだ戻っていないらしく、彼の定位置のスチール机にはレイピアが横たえられていた。 書類仕事をこなしているファルコからも挨拶され、一番奥の席に座っているヴェアヴォルフは軍帽を直していた。 トートバッグを置いてからミラキュルンが挨拶すると、ヴェアヴォルフは軍服の襟を整えてから挨拶を返してきた。
 保冷剤を入れた袋の中に入っている杏仁豆腐のタッパーを渡すと、アラーニャは喜びながら冷蔵庫に入れた。 杏仁豆腐だってんなら昼は中華にでもしましょうや、とファルコが提案すると、真っ先にヴェアヴォルフが同意した。 それじゃあ出前しないとねぇ、と言ったアラーニャは、給湯室から近所の飲食店のメニュー表の束を持ってきた。 ミラキュルンはジャールから帰るべきか否か迷っていると、アラーニャからどうせなら一緒に食べようと誘われた。 鋭太との約束までは時間があるので、ミラキュルンはせっかくだからと中華料理店のメニューを受け取り、広げた。 ヴェアヴォルフはミラキュルンと一緒に昼食を摂ることに少し躊躇いを見せたが、まあいいか、とあっさり妥協した。 アラーニャは全員にメニュー表を回して注文を取ると、商店街の中華料理店、王虎飯店に電話を掛けることにした。 電話番号を掛け終える前に丁度レピデュルスが帰ってきたので、アラーニャが事の次第を説明して注文を取った。
 付けっぱなしのテレビからは、神聖騎士セイントセイバーの苦闘がなんとなく流れていた。





 


09 8/11