純情戦士ミラキュルン




第十二話 禁断の誘惑! ヴェアヴォルフの魔力!



 食後、大神は美花の部屋に通された。
 想像通り、いや、それ以上だった。壁紙は淡いピンクで、ベッドの壁際にはぬいぐるみがずらりと並んでいる。 ベッドカバーは白いレースで、カーテンも揃いのデザインで、フローリングに敷かれているラグはハート型だった。 ここまで徹底されると、ある意味凄い。背景といい、服装といい、美花は少女漫画からそっくり抜き出したかのようだ。 大神は自分の服装と外見が状況に不釣り合いであることを認識していたが、今更引き返すことは出来なかった。

「凄いですよね、この部屋」

 ラグの上に置かれたガラステーブルに二人分のティーカップを並べながら、美花は苦笑した。

「これ、お母さんがやっちゃったんです」

「はぁ……」

 大神が美花に促されてテーブルの前に座ると、美花も盆を置いて正座した。

「可愛い方がいいでしょ、って言って、インテリアを勝手に全部変えちゃったんです。学校から帰ってくると 部屋がこうなってて、その時は驚きました。お母さんがいじっちゃう前は、もうちょっとシンプルだったんですけど」

「なんでまた、そんなことに」

「お母さんなりに、私に気を遣ったんだと思います。その後、すぐにお父さんと一緒に海外に行ってしまったから」

「仕事で?」

「あ、はい、そうです」

 まさか、ヒーロー活動とは言えまい。美花はティーカップを取り、紅茶を傾けた。

「中学校に上がる前に海外に行っちゃって、それからずっとお兄ちゃんと二人暮らしなんです。あ、ですけど、 寂しくはないですよ。二人とも、暇があればちゃんと帰ってきてくれますし、その時はべったべたに可愛がられます」

「お兄さんも?」

「はい。お兄ちゃんはさすがに嫌がってますけどね」

 美花は紅茶に角砂糖を入れ、スプーンを回していたが手を止めた。

「あ」

「何?」

 紅茶を飲みつつ大神が聞き返すと、美花は照れ笑いした。

「今、気付いたんですけど、私、大神君とまともに喋れてます」

「そういえば、そうだ」

 自然すぎたので、大神も気付かなかった。美花は白磁のティーカップを置き、うっすらと頬を染めた。

「どうして、こんなに簡単なことが出来なかったのかなぁ……」

「慣れてなかったからじゃないのか? 俺自身に」

「かもしれませんね」

「だったら、いいことじゃないか。これで、俺と野々宮さんはちゃんとした友達になれたってことだ」

「ですね」

 美花はその言葉に嬉しさを感じたが、切なくもなった。大神と友達になれたが、それ以上にはなれない。 大神もまた美花と同じ心境だったが、友達でも充分すぎるぐらいじゃないか、と自分に言い聞かせて納得した。 そして、しばらくの間、二人は取り留めのない会話をした。美花の日常や、大神の日常が主たる話題になった。 その流れで大神の通っていた高校を知ることになったが、それは美花の通う市立高校とは全く別の高校だった。 学区外にある商業高校で、大神はそこで商業についての基本を学んだ上で、経済学部のある大学に進学した。 企業経営を行うために必要な資格も一通り揃えた、とのことで、祖父の代からの家業を継いだからと説明された。 どういった業種の会社かまでは説明されなかったが、大神に見合う堅実な経営の企業だろう、と美花は思った。

「それで、その……」

 紅茶を飲み終えた美花は、先程以上に頬を赤らめた。

「あ、ああ……」

 大神も空になったティーカップを下ろし、意味もなく目線を彷徨わせた。だが、どうやって話を切り出すべきか。 尻尾を触られるだけなのだから、と大神は強く思ったが、意志に反して勝手に鼓動が暴れ出して脈が速まった。 あれほど意識しないと誓ったはずなのに、気が逸れない。これから行われることが、楽しみすぎて恐ろしかった。

「えっと、それでは」

 美花は大神の隣に近寄ると、ぎこちなく礼をした。

「よ、よろしくお願いします!」

「こちらこそ!」

 大神も釣られて改まってしまい、礼を返した。まるでお見合いのようだが、内容は尻尾を触るだけなのだ。 大神は美花に背を向け、緊張に任せて背筋を伸ばした。尻尾からなるべく力を抜き、意識を向けないようにした。 美花は膝の上で固めていた拳を緩め、茶色い毛に覆われた尻尾にそっと触れた。

「ふぁあ……」

 美花は頬を緩め、感嘆した。遠目から見ただけでも柔らかそうだったが、間近で見ると毛並みの深さが解った。 野々宮家の住むマンションはペット可だが、どうせ世話出来ないだろうとのことで動物を飼うのは許されなかった。 だから、子供の頃から愛玩動物に憧れていて、クラスメイトの飼っているイヌやネコをよく撫でさせてもらった。 しかし、それも近頃はヒーロー活動のせいで出来ず終いなので、柔らかな毛並みを触りたい衝動に駆られていた。 そこで見てしまったのが、暗黒総統ヴェアヴォルフの尻尾だ。大神のように体毛が分厚いので尻尾も太かったが、 ヒーローである以上、敵の総大将に甘えてしまうのはさすがにどうかと思ったので言い出せなかったのだ。

「さっ、触りますね!」

 美花は緊張と歓喜が入り交じったために声を上擦らせながら、大神の尻尾を握った。

「うあー、うわぁー、うはぁーん!」

 突然背後から上がった歓声に大神が驚き、振り返ると、美花は目を輝かせて尻尾を撫でていた。

「もっふもふー、もっふもふー!」

 そこまで喜ばなくても、と大神は思ったが、美花が本当に嬉しそうなので言えなかった。

「あの、大神君!」

「はい!」

 満面の笑みの美花に詰め寄られた大神が目を剥くと、美花は尻尾を両手で握り締めた。

「尻尾、動かしてみて下さい!」

「あ……はぁ」

 大神が言われた通りに尻尾を揺らすと、美花の放つ歓声は1オクターブ上がり、笑顔は弛緩する一方だった。 何がそんなに良いのだろうか。姉の弓子も頻繁に大神や鋭太の毛並みに埋もれていたが、意味が解らない。 全身を体毛に覆われている本人としては、煩わしくて仕方ない。特に真夏など体毛に熱気が籠もるので地獄だ。 冬場は体毛のおかげで体温維持が楽なので便利だが、真夏の暑苦しさはそれを差し引いても余りあるほどだ。 すると、不意に妙な感覚が背筋を走った。尻尾を愛玩する美花の手が、大神の尻尾の根本にまで至っていた。

「ああ、いいなぁ、尻尾……」

 美花はとろりと目を細め、尻尾の体毛を指で剥いた。すると、また強い刺激が大神の背筋を駆け抜けた。 大神は懸命に意識を逸らそうとしたが一度でもそちらに気が向くともうダメで、尻尾から伝わる感覚に責められた。 他のことを考えよう、そうだ戦いだ、と大神は先日の決闘を思い出したが、蘇るのはミラキュルンの水着姿だった。 そのまま芋づる式にミラキュルンの首から上を美花の顔にすげ替えた想像までも蘇り、大神は内心で悶絶した。

「うぐっ」

「あ、ごめんなさい。痛かったですか?」

 異変に気付いた美花が手を離したので、大神は誤魔化した。

「い、いや、なんでもない! 気にしないで、野々宮さん!」

 気にされてしまうと、尚更そちらに気が向いてしまう。自分の馬鹿げた想像も振り払わなければならないのだ。 第一、美花は大神の尻尾を触っているだけなのであり、大神が妙な感覚に襲われる意味も理由も全くないはずだ。 それに、美花は鋭太と付き合っているのだから、大神が美花の水着姿を考えること自体が下世話で無遠慮だ。
 そして、大神は美花が満足するまで、尻尾から出来る限り意識を逸らして壁紙を凝視して数十分間を過ごした。 尻尾の根本から背筋や下半身に広がる微妙な刺激に身震いしたのは一度や二度ではなかったが、踏ん張った。 美花は鋭太の彼女なのだから、とその度に思い起こして理性を行使して、拷問にも等しい時間をやり過ごした。 背後から聞こえる美花の声も甘ったるく、時折悩ましげだったが、全ては尻尾が原因なのだと幾度も強く思った。 それに、こんなことにも耐えられないようでは世界征服など絶対出来ない、と大神は自分自身に言い聞かせた。
 そして、大神は辛くも勝利を収めた。




 それから約一時間後、大神は野々宮家を後にした。
 超高層マンションを三段階に貫くエレベーターを乗り継いでロビーに向かいながら、いくらかほっとしていた。 あれから、紅茶を淹れ直して菓子を持ってきた美花と他愛もない雑談に興じたおかげで、大神は平常時に戻った。 また妙な思いに駆られそうになると、鋭太の彼女なのだから、と呪文のように思い直して友達らしい態度を取れた。 美花は大神の葛藤に気付いていないだけでなく、尻尾をいじり倒せて満足したらしく、終始晴れやかな笑顔だった。 それだけは良いことだ、と大神は嬉しくなりながら、一階に到着したエレベーターから降りて広いロビーに出た。

「あの」

 美花は玄関に向かいながら、両手を体の前で組んだ。

「駅まで、一緒に行ってもいいですか?」

「送ってくれるのか?」

「あ、はい。そうなりますね」

「野々宮さんが忙しくないのなら」

「ぜっ、全然ですよ! 忙しいわけないじゃないですか!」

 美花は首を横に振り、大神の後に続いた。

「お、大神君こそ、いいんですか? その、えっと、予定、とか」

「そんなの、最初からないよ」

 今日は、最初から最後まで美花のための一日だ。大神が笑いかけると、美花は赤面した。

「あ、はぁ……」

 大神も釣られて照れそうになったが、足早に玄関に向かった。だが、暗証番号を知らないので立ち止まった。 それに気付いた美花は、自動ドアの脇のオートロックを操作して開くと、大神と並んでマンションから外へ出た。 日は陰っていたが、吹き付けてきた風は分厚い暑さが籠もっていた。今し方までの涼しさが、一息で吹き飛んだ。 マンションのロビーもエレベーターも野々宮家も空調が快適だったので、午前中よりも外の暑さが厳しく感じた。 美花も一瞬顔をしかめたが歩き出し、大神は美花の隣を歩き、日中の高温を吸ったアスファルトを踏み締めた。
 駅までの道程は、それほど長くない。超高層マンションの立地条件は良く、駅からは徒歩五分も掛からない。 暑すぎるからか、道中では人間を見かける頻度は低かった。大神は、美花の部屋の中と同じように会話した。

「凄いマンションもあったもんだ。あれじゃ、俺のアパートなんて世界遺産並みだな」

「あ、でも、大神君の御実家も立派じゃないですか」

「俺の実家は、ただ古いだけだよ。価値も大したことはない」

「だけど、私は素敵だなぁって思います」

 陰り始めたために赤みを帯びた日差しに頬を照らされた美花は、はにかんでいたが表情が柔らかかった。 以前のようにガチガチに緊張していないからだろう、言葉の端々も自然で、大神に気を許しているのだと解る。 それだけでも嬉しくて、胸の奥が絞られる。手を伸ばせば触れられる距離にいることもまた、幸せなことだった。 だが、この手を伸ばすわけにはいかない。大神は美花の横顔を見つめながら、尻尾をゆらゆらと低く揺らした。
 駅に近付くに連れて人影が増えていき、いつも通りの雑踏が現れた。美花は名残惜しげに眉を下げ、 立ち止まった。大神もそんな心境だったが、普段の顔を作ってショルダーバッグを掛け直した。

「それじゃ、野々宮さん」

「あ、あの」

 美花は改札に向かいかけた大神を呼び止め、深呼吸した。

「何か?」

 大神は期待と不安を入り混ぜながら振り返ると、美花は怯えたように細かく震えていた。

「あ、あの、その、この前から、えっと、夏休みに入る前から、ずっと、言おう言おうって思っていたんですけど、 えと、うんと、色々あって、部活もないからコンビニにも行けないから、大神君に会う機会がなくて、で、でも、そんなことの ために呼び出すのは悪いと思って、だけど、ああ、その、どうしても我慢出来なくて、だから……」

 美花はシフォンのスカートが歪むほど握り締め、滲んだ汗を顎に伝わせた。

「だっ、だけど、それだけじゃないんです! 大神君の尻尾が触りたかったっていうのも本当だけど、それだけじゃ ないんです! 言いたいことがあったんです! で、でも、大神君の尻尾がモフモフでフサフサでフワフワで可愛すぎた から、つい忘れちゃったんです!」

「そんなに?」

 大神が自分の尻尾を持ち上げると、美花は首が折れそうなほど力を込めて頷いた。

「そんなにです!」

 美花は肩を上下させて再度深呼吸し、唾を飲み下してから、裏返り気味の声で言い切った。

「わっ、わたし、鋭太君とはなんでもないんです! クラスメイトなだけです! だから、その、彼女とかそういうんじゃなくて、 本当にただの友達なんです!」

「……あ?」

 大神が面食らうと、美花はくるりと背を向けて駆け出した。

「さようならぁあああっ!」

 そこで逃げなくても。大神は美花を追い縋ろうと手を伸ばしたが、なんだか可哀想なので追わないことにした。 たったそれだけのことを言うためだけに、あれほど苦労するのか。同情すると同時に、微笑ましすぎて顔が緩む。 だが、公衆の面前なので、意地で表情筋を強張らせた。美花の言葉が事実なら、今までの葛藤は何だったのだ。 美花と鋭太が付き合っていると思ったからこそ、大神は美花の徹底的な尻尾責めに耐えて耐えて耐え抜いた。 しかし、そうだと知っていたのなら。大神は馬鹿げたことを考えそうになったが、足早に歩いて券売機に向かった。
 だから何だというんだ。大神がどれほど美花を好いていようとも、大神は世界征服に着手した暗黒総統だ。 もしも美花が大神を好いてくれていたとしても、付き合えない。気が逸れてしまって世界征服どころではなくなる。
 券売機から吐き出された小銭と切符を持って改札を抜け、アパートの最寄り駅に向かう各駅停車に乗車した。 ドア付近に立った大神は、天井から吹き付ける冷房の乾いた風を浴びて頭を冷やす傍ら、何の気なしに数えた。 今日は、九回も野々宮さんと呼んだ。美花からは、それ以上の回数で大神君と呼ばれた。何度も何度も何度も。 たったそれだけのことで、恋を押し殺すための言い訳が掻き消されてしまいかねないほどの幸福感に襲われた。
 世界征服と恋の両立は難しい。





 


09 8/8