純情戦士ミラキュルン




第十七話 戦慄の週末! 死を呼ぶハイキング!



 土曜日、駅前広場。
 いつものように決闘に赴き、いつものようにパンチ一発で怪人を昏倒させ、ミラキュルンは安堵した。 前回、巨大化出来る怪人に対抗するべく巨大化しすぎた失敗を教訓にしてパワーを押さえることに徹底した。 最大全長一万五千メートルの超々々々巨大ロボミラキュイーンと化してしまい、強くなることが尚更怖くなった。 だから、今後は凄まじいエネルギーとなる初恋乙女の胸キュンエナジーを使用せず、腕力だけで戦うことにした。 そのおかげで、目の前で倒れ伏しているイソギンチャク怪人のテンタクラーは最小限の負傷だけで済んでいた。

「ふう」

 ミラキュルンはグローブに付いたテンタクラーの粘液を払ってから、ヴェアヴォルフらに向き直った。

「そうですよね、これでいいんですよね!」

 両手を組み、ミラキュルンは頷いた。

「下手なパワーアップなんて考えなくたって、今の力だけで充分戦えますもんね! 初心は大事ですよね!」

 ミラキュルンの足元では、テンタクラーが使うことのなかった無数の触手をだらりと垂らして痙攣していた。 いつもと同じ一撃KOで終わった戦いから目を外し、ヴェアヴォルフは傍らの暗黒参謀ツヴァイヴォルフに向いた。 ヴェアヴォルフと同型だが青い軍服を着たツヴァイヴォルフは、心底不愉快げに両耳を伏せて尾を揺らしていた。

「つか、触手使えねー」

「本人を目の前にしてそんなことは言ってやるな。テンタクラーだって必死に戦ったんだ」

 ヴェアヴォルフはテンタクラーの触手を掴んで持ち上げようとしたが、粘液で滑ってずり落ちてしまった。

「うげっ」

 柔らかな頭部を強かにアスファルトにぶつけ、テンタクラーは鈍く呻いた。

「あ、ああすまん」

 ヴェアヴォルフはマントを外すと、テンタクラーの柔らかな体を包んで抱え直した。

「これなら落ちないだろう。本社まで無事に運ばなきゃならん、テンタクラーには明日も仕事があるからな」

 ほれお前も手伝え、とヴェアヴォルフに急かされ、ツヴァイヴォルフは仕方なくテンタクラーの下半身を抱えた。

「あ、そうだ。つか忘れてた」

 ツヴァイヴォルフは今し方持ち上げたばかりのテンタクラーの下半身を下ろし、ポケットを探った。

「これ、果たし状な」

「あ、はぁ」

 ミラキュルンはツヴァイヴォルフに押し付けられた茶封筒を受け取り、曖昧に返事をした。

「なんだそれは。俺は聞いていないぞ!?」

 テンタクラーの上半身を抱えたままヴェアヴォルフがツヴァイヴォルフに迫ると、ツヴァイヴォルフは言い返した。

「てか俺も中身知らねーし! め……ナイトメアがミラキュルンに渡せっつって寄越したモンだし!」

「ナイトメアが? ますます意味が解らん」

 ヴェアヴォルフは首を捻りつつ、ミラキュルンに向いた。

「すまんが、この場で開けてみてくれないか。上司として、部下の行動を把握しておきたいんだ」

「あ、はい、解りました」

 ミラキュルンは頷き、純情戦士ミラキュルン様、とボールペンで宛名が書かれた茶封筒を開き、便箋を広げた。

「じゃ、読みますね。拝啓、純情戦士ミラキュルン様。いつも御世話になっております。えー、と、挨拶が丁寧ですが 物凄く長いので中略しますね。この度、私、暗躍のナイトメアは、ミラキュルンの御兄様であるマッハマンとの戦いを所望し、 果たし合いを申し込んだ次第でございます。つきましては、期日に指定の場所までお出で下さい……」

 ミラキュルンは二枚目の便箋を広げ、一通り読んだ。

「あ、来週の土曜日ですね。持ち物とか地図とか注意事項とか、凄く丁寧に書いてありますけど」

「見せてみろ」

 ヴェアヴォルフはテンタクラーの上半身を地面に横たえてから、ミラキュルンの手元の便箋を覗き込んだ。

「ええと、朝八時半に駅前西口で待ち合わせて市営バスに乗り、山の麓のバス停で降り、登山道を歩く。所要時間は およそ二時間半。途中、十分間の小休止を挟む。山頂に到着後、昼食後に決闘。その後、自由時間。下山開始は午後二時、 解散は午後五時を予定」

 そこまで読み上げてから、ヴェアヴォルフは目を丸めた。

「清く正しい遠足じゃないか。これのどこが果たし合いなんだ?」

「参加者は私と、お兄ちゃんと、ナイトメアさんと、ヴェアヴォルフさんになっていますけど」

「だが、俺は来週の土曜日は出張があるんだ。ツヴァイヴォルフ、お前が代わりに行け」

 ヴェアヴォルフに命じられ、ツヴァイヴォルフは不愉快げに耳を曲げた。

「えぇー!? つか、その山ってのはアレだろ、小学生ん時に登った山じゃん。マジつまんねーんだけど」

「ですけど、楽しいと思いますよ。でも、人数が少ないし、市内の山ですから、遠足というよりもハイキングですね」

 ちょっと楽しみかも、とマスクの下で微笑むミラキュルンに、ヴェアヴォルフは同調した。

「そうだなぁ。山登りなんて、そうそう滅多に出来ることじゃないもんな。標高五百メートル程度の山とはいえ、登ってみれば 結構きついし、達成感もある。出張さえなかったら、俺も行きたかったな」

「俺は行かねー。つか、ヒーローと怪人が揃って山登りなんてマジ異常だし」

 ツヴァイヴォルフは顔を背けるが、ヴェアヴォルフは苦笑した。

「俺も正直そう思うが、そんなにぼやくな。それに、うちの社規では、ヒーローと怪人の決闘は幹部の立ち会いの下で 行わなければならないんだ。だから、誰かが一緒に行ってくれなきゃ決闘として成立しないんだよ」

「四天王がいるじゃん」

「間の悪いことに、来週の土曜日は四人とも忙しいんだよ。レピデュルスは俺と一緒に出張だし、パンツァーは傭兵時代の 仲間と十年振りに会うし、アラーニャは溜まりに溜まった有給休暇を消化して旅行に行くし、ファルコは他の組織に最近動向の 激しい神聖騎士セイントセイバーに関する情報を聞きに行くし、まあ、とにかく忙しいんだ」

「つか、俺に面倒押し付けたいだけじゃね?」

「そうじゃない。詳しい話は社に戻ってからだ、テンタクラーを手当しなきゃな」

 それじゃまたな、とヴェアヴォルフがテンタクラーを担いで歩き出すと、不愉快げなツヴァイヴォルフも続いた。 余程面白くないのか、ツヴァイヴォルフは兄の背中に向かってぐちぐちと文句をぶつけているのが聞こえてきた。 雑踏の中に消えていく二人を見送ってから、ミラキュルンは足元を蹴り、マントを翻しながら夜空へ飛び出した。 マスク越しに夜風を切って高度を上げると、街中で一番目立つ超高層マンションの姿が視界に飛び込んできた。 無数の窓から明かりが零れ、住人達の息吹が感じられた。ミラキュルンは高度を下げ、最上階の自宅に入った。 ベランダに着地し、変身を解除してから掃き出し窓を開けてリビングに入ると、部屋の明かりが既に付いていた。
 リビングでは、大学から帰宅した兄の速人が寛いでいた。美花は兄に挨拶してから、まずは洗面所に向かった。 入念に手洗いとうがいをしてからリビングに戻った美花は、ダイニングキッチンに入り、冷蔵庫から麦茶を出した。

「お兄ちゃーん」

「なんだよ」

 文庫本から顔を上げた速人は、やや鬱陶しげに振り向いた。

「来週の土曜日って、予定空いてる?」

 麦茶をコップに注ぎながら美花が問うと、速人はカレンダーを見やった。

「まぁな。久々に遊びに出るつもりだったから、バイトも入れてない。だが、決闘には絶対出ないからな。お前の都合が 悪かろうが何だろうが、ジャールとの戦いはお前の戦いなんだからな」

「あー、うん、決闘……じゃない、かな」

 美花は冷たい麦茶で喉を潤してから、スカートのポケットから茶封筒を取り出した。

「ハイキングのお誘いが来たの」

「誰から」

「ジャールの怪人のナイトメアさん」

「……はあ?」

 その正体は内藤芽依子だ。速人が面食らうと、美花は茶封筒の中身を出して広げた。

「もちろん私も誘われたんだけど、お兄ちゃんも来て欲しいって。決闘するために」

「はあ!?」

 速人は声を裏返し、身を乗り出した。

「俺は引退したんだぞ! 今更正義の味方面して戦えるかよ! しかもあんな奴と!」

「え、う?」

 兄の剣幕に驚いた美花は、目を瞬かせた。

「お兄ちゃん、ナイトメアさんのことを知っているの? 私、まだ戦ったことがないんだけど」

「知るも何も」

 後輩であり以前の敵であり、そして現在の悩みの種だ。速人はソファーに座り直し、顔を歪めた。

「なんだって、あんな奴と一緒にハイキングなんだよ。意味解んねぇよ」

「でも、来て欲しいって指定されてるし、行かなきゃ失礼じゃないかな」

「怪人相手に礼儀を弁えてどうすんだよ。俺は行かないからな。行くならお前だけで行け、ハイキングに!」

 速人は読みかけの文庫本を広げたが、麦茶の入ったグラスと茶封筒を持った美花が隣に座ってきた。

「で、でも、一緒に行った方が楽しいんじゃないかな」

「行かないっつってんだろうが」

 速人は美花から逃れるように背を向けたが、美花は食い下がってきた。

「で、でも、お兄ちゃんと一緒に出掛けることなんて、最近滅多になかったし、だから……」

 美花は兄の背に手を伸ばしかけたが、触れる前に下げた。速人は文庫本に集中しようとしたが、出来なかった。 背中越しに感じる美花の気配がいやに寂しげで、近頃は表面に出さずに済んでいた妹への庇護欲が燻ってきた。 美花が高校に進学した頃から二人で出掛ける機会が少なくなったのは、過保護になることを避けるためだ。 言動がいちいち危なっかしく弱々しい頼りないが、美花はれっきとした十七歳であり、高校二年生にもなっている。 そんな歳になっても兄がべったりしていては、その時は良いかも知れないが、美花の成長の妨げになってしまう。 だから、美花が高校に進学してからは出掛けようと誘われても頑なに断り、一人きりか友人と共に行かせていた。 けれど、これは事態が違うのではないか。だが、ジャールとの戦いは美花の戦いなのだ。しかし、指名されては。

「ハイキング、なぁ……」

 速人はしばし思い悩んだが、結局折れて文庫本を閉じた。

「仕方ねぇな。但し、今回だけだ」

「ありがとう、お兄ちゃん! じゃ、お弁当の中身とか考えないとね!」

 美花は途端ににやけ、子供のような表情になった。速人はその幼さに苦笑したが、内心では嬉しかった。 いつまでも甘えてほしい、と思う反面、甘えを許していては自立心を削いでしまう、とも常日頃から思っていた。 両親が家庭を放り出してヒーロー活動に没頭している間、速人は両親以上に親らしく振る舞わざるを得なかった。 二人が海外活動を始めたばかりの頃、美花は寂しいと言っては泣き出し、速人の寝床に潜り込むこともあった。 最初のうちは速人も美花の甘えを許していたものの、鬱陶しくなった、と美花を自室で寝るようにと追い返した。 鬱陶しくなったというのも嘘ではないが、べたべたに甘えられ続けては美花が傍にいることに慣れてしまうからだ。 外見では平静を保っていたが、内心では速人も寂しさを感じており、そんな時に甘えられては甘え返してしまう。 それを続けていては共依存に陥ってどちらもヒーローに相応しい人間になれない、と速人は美花を突き放した。 だが、完全に突き放せたわけではない。だから、なんだかんだ言って速人は美花からの誘いを受けてしまった。

「……おい」

 美花が寄り掛かってきたので、速人は身を引きかけた。

「だって、嬉しいんだもん」

 美花は速人の左腕にしがみつくと、だらしなく頬を緩めた。

「お兄ちゃんと一緒に出掛けることもそうだけど、家族でハイキングなんて行ったことがないから」

「うちの家族旅行って言ったら、大抵は自力で空飛んでヒーロー訓練だったもんなぁ」

「土日も、連休も、夏休みも、冬休みも、春休みも、ぜーんぶそうだったよね。だから、休み明けにクラスの皆がどこに 旅行した、遊びに行った、とか楽しそうに話してても混ざれなかったなぁ。お父さんとお母さんが忙しいからどこにも 行けなかった、って言うしかなくて、友達にお土産も渡したいって思っても、まともにお土産が買えるような場所には 行かないしで。本当に、皆が羨ましかった」

 美花は速人の左肩に顔を埋め、速人のシャツを軽く握った。

「だから、近くの山でも凄く嬉しい。一緒にお弁当作ろうね」

「馬鹿。お前なんかに手伝われたら、俺の料理の味が落ちちまうだろうが」

 速人は右手で美花の頭を軽く叩いたが、込み上がってくる笑みが押さえきれず、声色も緩んでしまっていた。 美花とのハイキングに誘ってくれたナイトメアに感謝したくなってきたが、それでもやはり許せない部分はあった。 速人、そして音速戦士マッハマンは戦いを捨てた身だ。己の正義を見失い、道に迷ったからこその判断だった。 それなのに、ナイトメアはそのマッハマンとの戦いを要求し、卑劣なことに断り切れない状況に持ち込んできた。

「おのれ、ナイトメアめ!」

 仔ネコのように甘えてくる美花を引き剥がせずにいる速人は、顔の緩みを誤魔化すために拳を固めた。

「ハイキングが無事終わってから、その勝負、受けて立ってやる!」

 それもこれも、美花と家族らしい休日を楽しむためだ。手段のためには目的を選ぶ余地はなかった。 美花にはまだ言っていないが、来月にはアメリカや宇宙などで激戦を終えた野々宮夫妻が五年ぶりに帰宅する。 今日、その旨を伝えるエアメールが届いていた。二人が帰宅すれば、また日常はヒーロー一色になってしまう。 戦いばかりの毎日は、傍目に見る分には派手で楽しそうに見えるかもしれないが、当事者は疲れ果ててしまう。 ヒーローを引退して以来、速人は平和そのものだ。しかし、それを破壊するのは他でもないヒーローの両親だ。 だが、両親に自覚はなく、言い聞かせても無駄なので、甘んじて受け入れるしかないのが子供の辛いところだ。 しかし、破壊される前に思い出を作ることは出来る。弁当の中身を真剣に考えながら、速人はにやけを押さえた。
 世界一楽しいハイキングにしてやる。





 


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