純情戦士ミラキュルン




第十九話 世界最強! パワーイーグル&ピジョンレディ!



 芽依子の言葉通り、家中が磨き上げられていた。
 フローリング張りの床、階段、キッチン、バスルーム、トイレ、ガラスに至るまでが寸分も隙もなく光り輝いていた。 いかに掃除に慣れた人間であり、人が住んでいない新築であろうと、ここまで綺麗にするのは骨が折れる。 両親が芽依子の元に新居の鍵を送り届けたのは一昨日の夜だそうなので、本来の仕事の合間にしてくれたようだ。 速人は根っからの綺麗好きなので、前のマンションも休みの日にはマンション全体の部屋を綺麗に仕上げていた。 だから、その苦労がよく解る。キッチンのシンクのステンレスなど鏡のようで、ガラスは角までもが透き通っている。 改めて芽依子に感心しつつ、速人は自分の本が詰まった段ボール箱を抱えて二階に繋がる階段を上っていった。
 一階には、広めの玄関、洋間のリビング、隣接した対面式キッチン、和間、バスルーム、トイレ、そして狭い庭。 二階には、両親の寝室、速人の部屋、美花の部屋、納戸、トイレ、ベランダを拡大させた物干し場があった。 オートロック付きの超高層マンションの最上階に比べれば内装も地味で部屋も狭いが、広すぎなくて丁度良い。 速人は自分の部屋に荷物を運び込むと、既に運び入れられていた本棚に大学で使う専門書や参考書を並べた。 隣は妹の部屋なのだが、芽依子が手伝いに行っているらしく、女の子同士の弾んだ声色の会話が聞こえてきた。 共通点の少ない二人は話が合うのかどうかは解らなかったが、単調な作業を紛らわすには丁度良さそうだ。

「先輩」

 唐突に呼ばれ、速人は心底驚いて辞書を足元に転げ落とした。

「うわっ!?」

「美花さんの御部屋が一段落付きましたので、御手伝いにまいりました」

 開け放したドアの先で、芽依子は膝を折って礼をした。

「メイドなんだから、せめてノックしろよ。というか、足音を立てろ」

 速人が辞書を拾いながら毒突くと、芽依子は平謝りした。

「申し訳ございません」

 と、言いながら芽依子はドアを閉めたので、速人はすぐさま駆け出してドアを開けた。

「閉めるなよ。まだ運ぶものがあるんだから」

「密室である方が先輩もよろしいかと存じまして」

「何もよろしくねぇよ。むしろまずい」

「具体的に申し上げて下さい」

「言えるかこんな真っ昼間に!」

 速人は強く言い返してから、芽依子を睨もうとしたが、先程のことが過ぎって目を逸らしてしまった。

「俺のところはいいから、他を手伝えよ。俺の荷物なんだから、自分一人で片付けられる」

「そうでございますか」

 見るからに残念そうな芽依子は、失礼いたします、と身を反転させたがやはり部屋から出ることを躊躇った。 以前に深夜の鉄塔で出会った時にも似たようなことになったが、あの時とは違い、少々心苦しくなってしまった。 速人は逸らした視線を芽依子に戻すと、芽依子は物寂しげに眉尻を下げていて、それがまた胸を刺してきた。

「……解ったよ。ドアを閉めろ」

「私めは既に覚悟を決めております」

「俺は覚悟どころか期待もしちゃいない。ちょっと聞きたいことがあるんだよ」

 芽依子の期待と不安を宿した言葉を切り捨て、ドアを閉めさせてから、速人は少々声を落とした。

「内藤。お前の親、片方が怪人なんだろ? なんで怪人がヒーローに鞍替えしてんだよ」

「良くある話にございます」

「そりゃあ、ないわけじゃないが、そう頻繁に聞く話でもない。というか、怪人がヒーローになれるのか?」

「世間一般におけるヒーローの条件は、極めて単純にございます。怪人を倒し、正義を謳えばヒーローなのです」

「まあ、間違いじゃないが。だが、怪人が怪人を倒すってことは」

「許し難い裏切りにございます」

「だよな。言っちゃ悪いが、お前の親は本当にタチが悪いな。詰まるところ、昔の仲間や怪人同士の知り合いを 倒すことで名を挙げてヒーローになったわけだし」

「そうなのでございます。私めを切り捨てたくせに、世界的なスーパーヒーローであるパワーイーグルとピジョンレディに 媚を売るために引っ越しの手伝いとして差し向ける辺り、性格の悪さは極まっているのでございます」

「苦労してるよなぁ、内藤は」

「先輩に理解して頂けて、私めは嬉しゅうございます」

 エプロンの前で重ねていた手を握り締め、芽依子は赤面しながら少し俯いた。

「芽依子さぁん、ちょっと来てくれなーい! テレビの配線、解らないのよぉー!」

「ただいま参ります、奥様」

 階下から聞こえた鳩子の声に答えてから、芽依子は速人を見やり、名残惜しげに微笑んだ。

「では、行ってまいります」

「手が足りなかったら呼んでくれよ、俺も手伝う」

 速人は芽依子を見送ると、嘆息した。芽依子と同じ空間にいるだけで、空気が粘り気を持って重たくなってしまう。 吸い込んだはずの酸素が肺に届かずに、心臓で痛みに変わる。近付けば緊張するだけなのに、近付きたくなる。
 これは本物だ。速人はいい加減な位置に据えられたベッドに腰を落とし、血の巡りが鈍ったような頭を押さえた。 他のことを考えるべきなのに、芽依子のことしか浮かばない。ついさっきまで、思いもしなかったことばかりだった。 腕を引いた時も、芽依子と再会した時も、深夜の鉄塔の時も、ハイキングの時も全くそんなつもりはなかったのに。 記憶の底に封じ込めていたはずのバトルスーツ越しに抱き締めた素肌の芽依子の感触が蘇り、速人は悶絶した。

「だから、何を思い出してんだよ俺は……」

「お兄ちゃん?」

 すると、今度は美花が現れ、速人は慌てて立ち上がった。

「な、なんだ?」

「私の荷物の中に、お兄ちゃんのが混じってたから」

「解った。取りに行く」

 速人が部屋から出ると、美花は気恥ずかしげに口籠もった。

「さっき芽依子さんと色々と話してたんだけどね、芽依子さんって、その、たぶん、お兄ちゃんのこと」

「知ってる」

 速人は美花の部屋に入ると、段ボール箱を調べ、自分の服が入った段ボール箱を持ち上げた。

「だからどうってこともない」

「う、でも……」

「さっさと自分の部屋を片付けろよ。でないと、寝る場所が作れないぞ」

 何か言いたげな美花を振り切り、自室に戻った速人は、妹の前では意地を張る自分が嫌になった。 だが、素直になることも出来ない。第一、怪人を好きになれないと言い張ったのは他でもない速人自身だ。 今更撤回したところで、白々しいだけだ。再びベッドに座った速人は、スプリングが軋むマットレスに倒れ込んだ。 こうなってしまうと、最早両親の鬱陶しさなどどうでもいい。芽依子のことが気になって気になって気になりすぎる。 本気で殴るとマットレスが壊れるので、力加減を緩めてマットレスを殴り付けながら、速人は懸命に深呼吸した。
 だが、息苦しさは治らなかった。




 久々の母親の料理は、最悪だった。
 引っ越し後、初めての夕食は速人ではなく鳩子が作ると言い張り、押し切られた挙げ句のことだった。 鳩子は致命的に家事が出来ない。だが、ほとんど家事をしない本人には自覚は薄く、ちょっと苦手程度の認識だ。 速人が料理に執心したのは、料理をしない鳩子が毎日のように買ってくる出来合いの総菜にうんざりしたからだ。
 今夜の夕食は、表面が炭化しているが中身が生焼けの巨大なステーキと山盛りのフライドポテトに2リットル ペットボトルのコーラが添えられた、凄まじいカロリーの固まりの夕食だった。新品のダイニングテーブルに並ぶ 凶悪な軍勢を見た途端、美花は声を潰したが笑顔を作り、テーブルに付いた。普段、速人が作る料理は和食の 頻度が高く、塩気は薄めだがダシの効いた素材の味を生かしたものが多かった。美花の作る料理は味が少し濃く、 いい加減なところもあるが、乱暴な鳩子の料理に比べれば食べられるものだ。両親はステーキもフライドポテトもコーラも完食し、 デザートのやはり2リットルのアイスクリームまでも食べていた。だが、速人も美花もそこまで付き合えるわけが ないので、適当な理由を付けて二階に上がると揃って苦しんだ。

「おにいちゃあん……くるしいよぉ……。入ることには入ったけど、動いたら出る、出ちゃうぅ、上から下からぁ……」

 自室に入れず廊下で突っ伏した美花に、やはり自室の前で座り込んだ速人は提案した。

「とにかく、変身しよう。そしたら、ちょっとは消化不良がマシになるはずだ」

「う、うぅ……」

 返事とも唸り声とも付かない声を漏らした美花は、ごとん、とブレスレットを巻いた左手首を壁に打ち付けた。

「へんしん……」

「変身」

 速人も小声で変身し、マッハマンに変身したが、すぐに胃の重苦しさが消えるというわけではなかった。

「ううぅ、うぁ……」

 廊下に俯せに倒れたミラキュルンは、助けを求めるように右手を伸ばした。

「アメリカ人ってすげー……。あんなもん年中喰ってるなんて、マジ有り得ねー……」

 どうでもいいことに感心したマッハマンは、ミラキュルンを引き摺り、壁に寄り掛からせた。

「ほら、起き上がっておけ。横になったままだと重力に従って逆流しそうだからな」

「うん、ありがとう……」

 ミラキュルンは細く呟き、容量の限界を超えてしまいそうな腹をさすった。動けば消化は早まるが、動けない。 燃費が悪い必殺技を撃てば、とも思ったが、家の中なので必殺技を撃ってしまってはせっかくの新居が壊れる。 階下からは両親の会話が聞こえ、テレビの音声も流れるが、それで気が休まるどころか恐ろしくて仕方なかった。 変身したことを両親に知られてしまっては、間違いなく特訓させられる。夜であろうとなんであろうと関係なしだ。 だから、マッハマンもミラキュルンもバトルマスクの下で出来る限り息を潜め、会話もせずに胃袋の重みと戦った。 じっとして押し黙っているうちに、引っ越しの疲れとはしゃぎ疲れのせいか、ミラキュルンは眠り込んだようだった。 バトルマスクの下から寝息が漏れ、寄り掛かっていた壁からずり落ちたので、マッハマンは膝に妹の頭を乗せた。 マッハマンも胃が落ち着いてきたので、ミラキュルンを部屋に運ぼうとすると、階段を上る足音が近付いてきた。 ミラキュルンを抱えて立ち上がった時には手遅れで、階段を上ってきた鷹男とマッハマンが鉢合わせてしまった。

「お……」

 マッハマンが硬直すると、鷹男は変身した兄妹を見、笑った。

「なんだどうした、俺と戦うつもりかっ!」

「そんなわけないだろ」

 マッハマンは鷹男を振り切って妹の自室に入り、寝かせてから、父親の相手をするために廊下に戻った。

「で、何? 風呂なら後で入るから先に入っていいけど」

「速人、お前はヒーローを辞めたんだってなぁっ!」

 鷹男の言葉に、マッハマンはなんでもないことのように返した。

「そうだよ。そんなの、俺の自由だろ?」

「お前には見込みがあったんだがなぁっ! 鍛え方次第じゃ、俺よりも強くなれるかもしれんぞっ!」

「俺は父さんとは違うよ。俺と美花が変身したのは、母さんの料理がアメリカンすぎて胃もたれしたからだよ」

「ヒーローになるならないはお前の自由だが、辞めるのが早すぎやしないかっ! 音速すぎやしないかっ!?」

「なんだよそれ。俺の人生なんだから、俺が決めるのは当たり前じゃないか」

 気分の悪さも相まって次第に苛立ちが募ったマッハマンは、妹を守るように妹の部屋の前で仁王立ちした。

「大体なんだよ、俺と美花に相談もなしに引っ越しなんか決めて。せめて住む家ぐらいは一緒に選ばせろよ。 こっちに住むのは俺達なんだから、俺達が決めるのが道理ってものじゃないか」

 両親がこの家を去る前に言えるだけ言ってしまいたかった。変身していれば、少しは強く出られる。鷹男はすぐに 自分達の言い分を言い返すかと思いきや、言葉を探るかのように黙ったのでマッハマンは拍子抜けした。去年までの 父親なら、マッハマンが何か言うとすぐさま言い返し、徹底的に自分の意見を貫き通していたからだ。 夕食のメニューにせよ、ヒーローの特訓にせよ、家族で出掛ける先にせよ、鷹男の意見が最優先されていたのだ。 それはひとえに鷹男にベタ惚れしている鳩子のせいでもあるのだが、速人も美花も父親には絶対逆らえなかった。 何事も力任せに押し切って人の意見を聞かず、自分が満足するまで暴れ回るのが鷹男でありパワーイーグルだ。 それなのに、これは父親らしくないどころの話ではない。やはりあの夕食がもたれたのだろうか、と思ってしまった。

「喜んでくれると思ったんだがな」

 落胆した鷹男は、巨躯を縮めるように背を曲げた。その語気からは、スーパーヒーローの威厳は抜けていた。

「……はぁ?」

 いきなり引っ越しを強行されて誰が喜ぶものか。速人が更に苛立つと、鷹男は娘の部屋を見やった。

「ほら、言ってたじゃないか。マンションなんかよりも普通の家がいい、ってさ」

「それ、何年前の話だよ。俺、覚えてないし」

「そうか、忘れちまってたか」

 鷹男は苦笑し、骨張った指で短く刈り込んだ硬い髪を乱した。

「俺はよく覚えてるんだがなぁ。ほら、皆で北の方に行ったことがあっただろう」

「北海道のことか?」

「そう、北海道だな。ロシアじゃなかったな。その時はまだ上手く飛べなかった美花を背中に乗せて飛んでいる時に、 美花が言ったんだ。速人、お前もその方がいいって言ったじゃないか」

「えー、あー……?」

 全く記憶にないので、マッハマンは考え込んだ。両親に北海道に連れて行かれたのは、かなり前の出来事だ。 よくよく思い出してみると、それはマッハマンが小学六年生でミラキュルンが小学二年生の頃の家族旅行だった。 その時もまた交通機関を使わずに自力で空を飛び、北海道まで向かう飛行中、妹が何か言ったような気がする。 低気圧のせいで天気が悪く風音が激しかったので上手く聞こえなかったので、適当な相槌を打ったかもしれない。 きっと、鷹男はそのことを言っているのだろうが、そんなことはきっとミラキュルン本人も覚えていないことだろう。

「そうか、嬉しくないのか」

 鷹男は苦笑を保っていたが、語尾の弱さも相まって寂しげだった。

「じゃあ、早く寝ろよ。明日も大学があるんだろう」

「あ、うん」

 階段を下りていく父親の背を見送っていたが、マッハマンは父親の考えが解せないながらも感じ取れた。 鷹男の中ではマッハマンとミラキュルンは子供のままなのだ。だから、子供の頃の他愛もない願いを覚えていた。 かなり今更ながらではあるが、親として子供を喜ばせたかったのだろうが、大いに失敗したどころか間違っている。 美花は本心でも少しは喜んだかもしれないが、わざとらしく笑い、はしゃぎ、下手くそながらも懸命に演技していた。 そんなことにも気付かず、鷹男は子供が喜んでくれたと思っていたのだろうか。それは、家庭を知らないせいだ。 子供の気持ちを考えずに思い付きで行動するな、と言いたくなったが、ここで追い打ちを掛けるのは気が引けた。 ぎしぎしと階段を軋ませながら一階に下りた父親の後ろ姿は、世界最強ヒーローのそれには到底見えなかった。

「父さん」

 マッハマンは階段を一段下り、父親を呼び止めた。

「少し、やろう」

 マッハマンが銀色のグローブに包まれた拳を掲げると、鷹男は振り向き、頷いてからリビングに戻った。 リビングで寛いでいた鳩子にマッハマンと訓練してくることを伝えたらしく、鳩子の歓声のような声が聞こえてきた。 マッハマンは胸部装甲と一体のジェットブースターに火を入れ、暖機しながら、やっと軽くなった胃をさすった。 ヒーローを辞めてもヒーローを捨てられないマッハマンは、どう転んでも普通の親子らしいことは出来ないらしい。 だから、マッハマンも鷹男のことを非難出来ない。両親のことを解ろうとしなかったのは、マッハマンも同じだ。 しかし、言葉を掛け合うのはどちらも不慣れで、照れが邪魔して本音とは逆のことを言ってしまいかねない。
 だから、拳を通じて解り合うしかない。





 


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