純情戦士ミラキュルン




第一話 純情戦士ミラキュルン、誕生!




 神奈川県川崎市在住のアレなヒーローと、不屈の悪の組織に捧ぐ。




 いつも通りの平和な朝だった。
 通勤通学の乗客が詰まった電車を降りて改札を抜け、二三分歩いた先にあるコンビニの前で足を止める。 高層マンションの一階が店舗になった全国チェーン店で、新商品の煽り文句が書かれたのぼりが立っていた。ガラス製の ドアから店内を覗くと、頻繁に見かけるサラリーマンやOLが思い思いに朝食や雑誌などを調達していた。二つの レジへと目を向けると、これもまたいつも通りに一際目立つ姿の店員が客を捌いていた。
 野々宮美花は深呼吸してからドアに手を掛けようとしたが、背後から現れた青年が素早く取っ手を掴んだ。 入り口に突っ立っていた美花を邪魔だと言わんばかりに一瞥してから、大学生らしい青年は店内に入っていった。 実際、邪魔には違いない。美花は少々の居心地の悪さと緊張を感じながら、ドアを押し開けてコンビニに入った。
 二人体制で客を捌いているレジから、マニュアル通りの挨拶を掛けられた。早く事を済ませるのは惜しいが ぼやぼやしていると遅刻してしまうので、美花は足早にドリンクの棚へと向かった。穏やかな冷気が流れてくる棚に 詰め込まれた紙パックのドリンクの中から、毎日飲んでいるパックを引き抜いた。それを片手に他の棚も見るが、 今日は特に必要な物はなく、お弁当もきちんと通学カバンの中に入っている。レジに近付くと、並んでいる客の数が 減ってきていた。美花は再度深呼吸してから、彼のレジに並んだ。もう一つのレジが空いてしまうと、そちらから 呼ばれてしまうことがあるが、今日はそちらのレジが込んでいる。これなら、彼と言葉を交わせるだろう。美花は 唇を引き締めて高ぶる鼓動と戦い、必死に緩みそうになる頬を強張らせた。
 新聞とタバコと缶コーヒーを買った客が去ると、美花の順番がやってきたので、美花は一歩前に進んだ。 レジ台に500ミリリットルのピーチティーを置くと、彼は美花をちらりと見てからバーコードを読み取らせた。

「百五円になります」

 彼はレジの脇からストローを取り出してから、美花に再度声を掛けた。

「袋はご利用になりますか?」

「いりません!」

 言い切ってから、力みすぎたと後悔したが遅かった。美花は気恥ずかしくなって、小銭を取り出した。

「こちら、レシートになります」

 彼は小銭を受け取った後にレシートを取り、美花に渡した。

「毎度ありがとうございました」

 美花は急いでレジから離れると、通学カバンにピーチティーとストローを押し込んで、コンビニを出ていった。 足早に歩きながら、少し火照った頬を押さえてしまった。毎朝のことなのに、いつまでたっても慣れなかった。 彼と言葉を交わすために毎朝のようにピーチティーを買っているのに、進展するどころか膠着したままだった。
 無理もない話だ。相手は高校生など相手にしてくれないだろうし、こちらは客の一人に過ぎない。 何も起きていないのに意識される方がおかしいし、それ以前に自分のような子供など興味を持たないだろう。 言葉を交わしていると言っても、それはあくまでも客と店員のものでしかなく、個人と個人の会話ではないのだ。
 美花はそっとため息を零し、歩調を早めた。ピーチティーは、いつものようにお弁当を食べながら飲もう。 きっと、ずっとこのままだ。彼に声を掛けたいと思うが、声を掛けるための勇気がどうしても湧いてこなかった。 だから、見ているだけで充分だ、と思おうとしても店員としての顔ではない普段の彼も知りたいと思ってしまう。 無性に名残惜しくなり、一度コンビニに振り返ってから、美花は切なく胸が疼いた。
 ほんの少しでも、勇気を出せればいいのに。




 午前九時を過ぎると、客足が落ち着いた。
 大神剣司はレジから離れてバックヤードに入り、品出しをするべく倉庫に入ると同僚が作業をしていた。 同じくアルバイトの中村了介は大神に気付くと、いきなりにやけてきた。大神はむっとしたが、表情には出さなかった。 配送されてきた食品の入った箱を整理していると、中村は大神に近付き、尖った耳の生えた頭を押さえてきた。

「大神。あの子、今日も来たな」

「通学路だからだろ」

 大神がやる気なく返すも、中村は絡んできた。

「つか、一度話し掛けてみろって。あの子、マジお前に気があるって」

「勝手にそんなことを決め付けるなよ、あの子に失礼じゃないか」

 大神は眉を吊り上げる代わりに尖った耳を曲げて口元を歪めると、ずらりと生え揃った太い牙が露わになった。 長く突き出したマズル、茶褐色の毛に覆われた頭部、ぎょろりとした双眸、屈強な顎、そして獣の証である尻尾。
 見ての通り、大神剣司はオオカミ怪人だ。対する中村は至って普通の人間だが、恐れるどころか馴れ馴れしい。 理由は至って簡単で、獣人はそれほど珍しくないからである。街を歩けば、十人に五人は何かしらの人外だ。 大神のような獣を始め、昆虫、鳥類、魚介類、無脊椎動物、珪素生物と多種多様な人種が入り乱れている。 けれど、誰もそれについて疑問を持っていない。誰も彼も、人間だけで成り立っている社会を知らないからだ。 気付いた頃にはそうだったので、人間しかいない世界など誰も想像出来ないので疑問を感じる理由すらない。 人ならざる者達は、外見も能力もそれぞれの個性として受け入れられているので現代社会に馴染んでいた。

「何、お前、女子高生じゃダメなわけ? 大神ってば年上趣味なん?」

 中村が肩に腕を回してきたので、大神は顔をしかめた。

「そういうことじゃないけどさ」

「だったらなんだよ、カノジョとかいるん?」

「そういうことでもないんだが」

「んじゃなんだよ」

 中村にのし掛かられたので、大神はぐいっと中村を押しやった。

「家業を継いだんだよ、俺」

「あー、そんなこと言ってたっけ。てか、お前んち何やってんの? 店?」

「店というか、人材派遣会社みたいなもんかな」

「何、親父さんがトシなわけ?」

「親父はまだまだ現役なんだけど、大学を卒業したら継ぐ約束になっててさ」

「んじゃ、なんでバイトなんかしてんの?」

「社会勉強だよ、社会勉強」

 中村を引き剥がした大神は、ペットボトルの詰まった箱を三つ重ねて持ち上げた。

「大学に行っただけじゃ、世間のことがそんなに解らないだろ。俺自身が働かなきゃ、誰かを働かせるなんて 無理に決まっているじゃないか」

「真面目だなー、お前」

「まぁなー。本音を言えば跡継ぎなんて嫌なんだけど、俺以外に誰も継ぎそうにないんだよ。姉さんはとっとと 結婚しちゃうし、弟は高二だし、だからって二代続いた家業を辞めるのは悪い気がするし。社員にも生活があるしな」

「それ、同族経営っつーやつ?」

「そうだよ。だから、幹部社員なんかは俺の親父ぐらいの歳で、若い社員も俺より年上なんだよ。部下が先輩、 ってのが一番やりづらいんだよなぁ」

 大神が頭を振ると、中村は苦笑した。

「それ解るわ。同じ大学に浪人した先輩とか入ってくるとマジ面倒だよな」

「だろ?」

 大神は箱を抱えたまま、ペットボトルを入れる冷蔵棚の裏側に回った。

「でも、だからって彼女作んねーのはマジヤバくね?」

 弁当の入った箱を抱えた中村は、けたけたと笑いながら倉庫を後にした。

「だから……」

 大神が言い返そうとした時には中村は店内に入っていたので、大神は声を低めて二の句を継いだ。

「俺は彼女なんか作れないんだよ」

 というより、作ってはいけないのだ。中学高校大学と気になる女の子はいたが、結局踏み出せず終いだった。 それというのも、家業が悪の秘密結社だからだ。祖父の代から世界征服を企み続けているが、未だに達成していない。 主たる原因は、敵対するヒーローの強さよりも資金不足だったり人材不足だったりといった現実的な問題だった。 父の代になっても世界征服は進展せず、ヒーローを倒すどころか返り討ちされ、倒産寸前にまで追い込まれた。 副業である人材派遣業でなんとか盛り返して倒産は回避したものの、肝心の世界征服はかなり滞ってしまった。
 だから、親子二代の夢である世界征服は三代目の大神に一任されている。というより、丸投げされている。 大学在学中に父親と祖父から徹底的に悪の総統としてのイロハを叩き込まれ、必殺技も使えるようになった。 悪の総統に相応しいコスチュームも業者に発注されてしまい、赤い軍服とマントが出来上がってしまっている。 だから、今更後戻りは出来ない。けれど、一般市民として生きてきた大神には、誰かと戦うのは抵抗があった。
 相手は正義の名の下に暴力を振り翳すヒーローとはいえ、変身を解いてしまえばどこにでもいる一般市民だ。 怪人に相応しい戦闘能力を持ち合わせていながら、一度もまともな戦闘をしたことがないので、尚更そう思えてしまう。 けれど、悪の秘密結社が本来の業務を行うためにはヒーローは邪魔な存在なので排除しなければならず、自分は悪で 相手は正義なのだから、割り切るしかない。大神は冷蔵棚の裏にペットボトルを並べながら、独り言を呟いた。

「あの子、なんて名前なんだろうな」

 中村にはああ言ったが、あの女子高生は以前から気になっていた。髪も染めず、巻くこともなく、化粧もせず、 制服もきちんと着ている、見るからに大人しげなロングヘアの女の子。身長は高くもないが低くもなく、発育も悪くなく、 チェック柄のスカートから伸びる健康的な太股は魅力的だった。時折、学校帰りに友人達とコンビニに寄ることはあるが、 友人の輪の中でも控えめな立場にいる。だが、声を転がして笑うとその中の誰よりも可愛らしかった。その笑顔を思い出し、 大神はにやけてしまった。

「メルアド、聞きたいなぁ……」

 家業が悪の秘密結社でなかったら、すぐに声を掛けていただろうに。大神は悶々としながら作業を続けた。 女っ気がなくても、異性が苦手というわけではない。むしろ、ろくに触れてこなかったからこそ興味がありすぎる。 異性とどうやって付き合うのか、それ以前にどうやって接点を持つのか、一度考え出すと次から次へと溢れかえった。 勢い余って下世話な妄想までしてしまい、慌てて仕事中だと言うことを思い出し、大神は品出しの作業に戻った。
 その日一日、大神の思考は名前も知らない女子高生に支配された。




 ピーチティーは甘ったるい。
 和食のお弁当には合わないし、通学カバンに入れっぱなしだったので常温だが、飲まなければ勿体ない。 ストローから啜り上げた甘ったるい液体でご飯の粘り気を流してから、美花は残り半分のご飯を食べ始めた。 本音を言えば、ピーチティーよりもレモンティーが好きなのだが、こっちの方が可愛く見えるのではと考えすぎた。 そして、同じ商品を続けて買えば印象付けられるかも知れないと思ったのが運の尽きで、買い続けてしまった。 桃のフレーバーが鼻に突く味には慣れてきたが、やはり好きになれない。美花の机に自分の机をくっつけて 購買のパンを食べている天童七瀬は、パンを飲み下してから美花を覗き込んだ。

「今日もダメだったん?」

「……まだ何も言ってないよ?」

 美花がやや身を引くと、七瀬はにたにたした。

「あんたの顔見りゃ解るっての、それぐらい。んで、今日もまたピーチティー買っただけで終了か」

「う、うん」

 美花は肩を縮め、俯いた。

「それに、朝は忙しいから、話し掛けるのも悪いし……」

「出待ちすればいいじゃん。シフト終わる時間、解ってんでしょ?」

「求人の張り紙の通りなら、午後三時か四時には上がる、とは思うんだけど」

 美花は箸で冷めた白飯をつっつき、ますます俯いた。

「でも、そういうことするのは、ストーカーみたいで嫌かも」

「そりゃそうかもしんないけど、自然消滅させるよりはいいと思うんだけどなぁ」

 七瀬は黒い外骨格が組み合わさった顎を開き、コロッケパンの三分の一を押し込み、咀嚼した。

「何せ、美花の初恋なんだし」

 明るく笑う七瀬は、頭部から伸びる触角を振っていた。赤い外骨格に黒い斑点を持つ、人型テントウムシだ。 他の生徒と同じように制服を着ているが、彼女のものは腹部の両脇からも足が出せるように袖が日本多い。スカートから 伸びている細長い足は漆黒の外骨格で出来ている。黒い複眼は艶やかで頭部はヘルメットのように丸く、飛行能力も 持っているが、その用途はもっぱら遅刻回避専用である。

「好きなんでしょ、そのオオガミって人が」

 七瀬はぎちぎちと顎を軋ませながら、身を乗り出してきた。

「う……うん……」

 美花は箸を握り締め、肩を縮めた。

「あ、でも、付き合いたいとかそういうんじゃないから。とっ、友達になれたらいいな、ってぐらいで」

「また随分と控えめな。そんなんじゃダメだってば」

 七瀬は俯いている美花の顔の下に複眼を入れ、赤面している美花を映し込んだ。

「今日、ヒーローデビューするんだろ? だったら尚更じゃんか」

「あれは、仕方ないからやるだけだよ」

 美花は七瀬の視線から逃れるために椅子を引くと、食べかけの弁当を口に押し込んだ。

「美花の才能を生かせる仕事なんだから頑張りなよ。応援してるからさ」

 七瀬は顎を開き、笑みを見せた。

「でも……名前が恥ずかしすぎる……」

 冷めた白飯の固まりを飲み込んだ美花が語気を弱めると、七瀬は触角を下げた。

「ていうか、ああいうヒーローの名前って誰が決めてるの? 自分で考えたんじゃないでしょ?」

「自分で決める人もいるけど、私のはお母さんが決めてくれたから……」

 だから断り切れなかった、と美花が眉を下げると、七瀬は触角を片方だけ立てた。

「オカンセンスか。そりゃ難儀だ」

「うん。でも、頑張らなきゃ」

 美花はぎこちなく頬を上げたが、笑みにはならなかった。七瀬は美花の両肩をぽんぽんと叩き、励ましてくれた。
 美花はヒーローになりたいわけではない。生まれ付きそういう体質だから、ヒーローにならざるを得ないだけだ。 様々な人外が闊歩しているこの世界では超能力も個性の一つとして認められ、ヒーロー体質もその一つだった。 野々宮家は美花だけでなく両親や兄も変身能力を持ち合わせているので、言ってしまえばヒーロー一家だ。
 美花としては変身能力などいらない。出来ることなら、もう少し意志が強くなりたい、と日々願って生きている。 望んだ通りの姿に変身することが出来ても、並外れた腕力を得ても、物凄い武器を作れても、心が弱ければ無意味だ。 けれど、音速戦士マッハマンに変身する兄、速人は早々に引退し、両親は何年も前から世界的に戦い続けている。 だから、今年は美花がヒーローとして町内を守る他はなく、兄から徹底的にヒーロー訓練を叩き込まれてしまった。 おかげでまともに変身出来るようにはなったが、怪人と真っ向から戦えるような自信は欠片もない。
 こんなことで悪の秘密結社ジャールと戦えるのだろうか。決闘場所は駅前広場だが、行く前から心が挫けそうだ。 対決するための場所と日時は町内の掲示板に張り出されていたので、近隣住民も正義と悪の戦いの日程を知っている。 興味本位の子供や暇潰しの主婦や仕事帰りのサラリーマンに見られるかと思うと、それだけで恥ずかしい。

「あ、そうだ」

 美花は空になった弁当箱を重ね、顔を上げた。

「知らない人の前で変身する、って思うから恥ずかしいんだ。先に変身してから行けば大丈夫かも」

「なるほどねぇ、正体不明の美少女戦士って路線か」

「違うよ、変身するのに失敗したら恥ずかしいからだよ」

 美花は弁当箱を巾着袋に入れてから、通学カバンに入れた。

「あれって結構難しいんだよ。頭で考えるのは簡単だけど、それを形にさせるのが大変なんだから」

「正義の味方も楽じゃないわな」

 七瀬は不安げな美花を見やり、きちきちと顎を軽く鳴らした。美花は頷き、残ったピーチティーを啜った。 そもそも、この町内にはヒーローなど不要なのだ。悪の秘密結社ジャールは小規模で、まともな悪事は行わない。 全国規模、引いては地球規模で展開している悪の組織ならいざ知らず、悪の秘密結社ジャールは怪人の数も タカが知れているし、資金力もなく、せいぜいこの近所で世界征服活動を繰り広げるのが限界だ。悪の組織の中でも 活動内容は穏やかで、倒さなくても毒にも薬にもならないので放っておいても特に害はない。
 けれど、町内の掲示板に決闘の日時の連絡通知を張り出されては放っておくわけにはいかなくなった。 怪人から宣戦布告されたのに無反応では、兄の速人からどれほどなじられてしまうことか。その話を知られたら、 両親からも呆れられてしまうだろう。兄の嫌みだったらまだ我慢出来るが、両親は落胆させたくない。
 小心者にも、一握りのプライドはある。







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