純情戦士ミラキュルン




第一話 純情戦士ミラキュルン、誕生!



 悪の秘密結社ジャールは小規模な会社である。
 本社は駅から徒歩十分の雑居ビルの三階フロアで、正社員は取締役の大神を含めても五名しかいない。 祖父の代から勤務している総務と、父親の代で入社した経理、営業役、人材派遣のマネージャーである。 当然ながら四人全員が大神よりも二三回りは年上で、取締役に就任しても未だに扱いは孫のままだった。 大学も卒業したのだから、そろそろ社会人扱いして欲しいところだが、彼らにとっては実孫も同然なのだろう。 確かに、大神は幼い頃から本社に入り浸っていて、それぞれの仕事に忙しい両親に変わって怪人達に 育てられたようなものだ。取締役に就任した後から呼び方を変えてきたので、彼らなりに線引きをしようと してくれているのは解っているが、未だに扱いは孫の剣司坊ちゃんのままだ。入社二年目の取締役では、 それらしく扱えという方が無理からぬことではあるが。
 コンビニのアルバイトを終えた大神は、自転車で雑居ビルに到着すると、手狭で薄暗い階段を上っていった。 三階に到着すると磨りガラスの填ったスチールドアが待ち構え、悪の秘密結社ジャール、と文字が並んでいた。 大神はそのドアを開けて中に入ると籠もった空気が流れ、オフィスには怪人達が狭苦しく押し込められていた。 カーテンが全て閉められて明かりも消されているため、薄暗くなっていて、それらしい雰囲気を醸し出していた。
 彼らの目が一斉に大神に向いて大神はちょっと臆したが、総統としての立場を保つために姿勢を保った。 今日の夕方に新登場する地元のヒーローと決闘する怪人を選抜するために、昨日、招集を掛けたのだ。

「お帰りなさいませ、総統!」

 真っ先に大神を出迎えたのは、カブトエビ怪人、レピデュルスだった。総務担当である。

「お帰りなさいませ、総統!」

 他の社員達も声を揃えて挨拶してきたので、大神はバイト帰りの格好のまま、総統らしく答えた。

「よくぞ集まってくれた、気高き悪の精鋭達よ!」

 仰々しく言い終えた大神は、レピデュルスに断ってから足早に怪人達の後ろを擦り抜けて更衣室に飛び込んだ。 やはり古めかしいスチールドアを閉めてショルダーバッグを下ろし、自分のロッカーを開けて衣装を出した。

「せめて俺が着替えてから始めてくれよ……」

 シャツとジーンズを脱ぎ、乱雑にロッカーに押し込んでから、大神は暗黒総統に相応しい衣装を着込んでいった。 父親も祖父も軍服に似た衣装を好んだので大神もそうせざるを得なくなったが、コスプレの域を出ていない。 社章でもあるオオカミの紋章が付いた軍帽、引き摺りそうなほど長い赤のマント、暗赤の軍服に黒の軍靴。 最後に染み一つない真っ白な手袋を填め、ロッカーの鏡で襟や軍帽が曲がっていないか何度も確かめた。 更衣室を出てオフィスに戻り、マントを翻しながら怪人達の間を抜けた大神は取締役の定位置へ向かった。 書類などで埋め尽くされているスチール机が壁際に追いやられ、大神のデスクの位置には台が置かれていた。 それは、これから大神が暗黒総統ヴェアヴォルフとして怪人達に演説するためのステージに他ならなかった。

「若旦那ぁん」

 台の左脇に控えていた女性のクモ怪人、アラーニャは大神に耳打ちしてきた。経理担当である。

「お耳が片方隠れてるわよぉん」

「あ、ああっ!」

 慌てて大神は軍帽を上げ、中に入ってしまった耳を出してから、台の上に立った。

「これより、偉大なる暗黒総統ヴェアヴォルフ様より訓辞を頂く! 心して聞け、同胞よ!」

 台の右脇に控えていた戦車怪人、パンツァーが声を張った。営業担当である。

「え、っと」

 昨日の夜、散々頭に叩き込んだはずなのに。大神は一瞬言葉に詰まったが、拳を握った。

「この世界は混沌に満ちている! 故に、世界には平等がもたらされなければならない!」

 正面から注がれる怪人達の視線が痛く、大神、もとい、ヴェアヴォルフは少々声が上擦った。

「世界を征服し、真の平等をもたらし、恒久的な平和を成し、悪の楽園を造り上げるのだ!」

 呼吸と同時に引きつりそうな喉に唾を飲み下してから、ヴェアヴォルフは半ば自棄になって叫んだ。

「しかし、人を越え、人外をも越えた存在である我ら怪人の繁栄を阻むものがある!」

 拳を突き上げ、ヴェアヴォルフは猛った。 

「それは、ヒーローだ!」

 拳を下ろし、一呼吸置いてから、ヴェアヴォルフは昨夜読んだ新しいヒーローの資料を思い起こした。

「その名は純情戦士ミラキュルン! それこそが、悪の秘密結社ジャールを阻む唯一にして最大の障害だ!」

 ミラキュルン、と聞いた途端、怪人達がざわめいた。理由は至って簡単で、名前が馬鹿馬鹿しすぎるからだ。 ヴェアヴォルフもその名前は馬鹿馬鹿しいと思ったし、最初に資料を見た時には目を疑って何度も読み返してしまった。 けれど、本当にそのミラキュルンが敵なのだから仕方ない。敵対するのであれば、戦うしかないではないか。

「静粛に! 総統の訓辞は終わってはおらん!」

 入り口の前に控えているレピデュルスが一喝すると、怪人達は水を打ったように静まった。

「だ、だが、ミラキュルンはヒーローとしての力に目覚めたばかりだ!」

 ヴェアヴォルフは恥ずかしい名を言う気恥ずかしさを堪えながら、言葉を続けた。

「その力が育たぬうちに叩き潰し、抹殺するのだ!」

 抹殺、との悪らしい言葉にようやく怪人達は盛り上がった。

「まずはお前だ、狂える猛牛、ブルドーズよ!」

 ヴェアヴォルフが指名すると、座っていた怪人達の中から筋肉の塊のような怪人が立ち上がった。

「ありがたき幸せに存じます、総統」

 太いツノを生やしたウシ怪人、ブルドーズはうやうやしく頭を下げた。

「今宵は我らの初陣だ! ブルドーズの活躍を心して見るが良い!」

 ヴェアヴォルフは両腕を広げてマントを舞い上げようとしたが、上手くいかずに肩からずり落ちた。

「以上、訓辞、終わり! 解散!」

 ヴェアヴォルフが締めの言葉を叫び、両腕を下ろすと、怪人達はざわめきながら立ち上がった。

「それではぁん、決闘の時間までは各自自由と言うことでぇ。駅前広場に午後五時半集合でお願いしまぁす」

 アラーニャは怪人達を見渡してから、書類の束を取り出して配り始めた。

「決闘の後はぁ、この用紙にレポートを書いて提出して下さいねぇん。締め切りは来週の金曜日ですのでぇ」

「あの、総統」

 怪人達を掻き分けたブルドーズは、ヴェアヴォルフに歩み寄った。

「その、みらくるん、でしたっけ? それって、もしかして女の子じゃないっすか?」

「ああ、十七歳の女の子だよ」

 ヴェアヴォルフは資料を思い出しながら、ずり落ちてきた軍帽を爪で押し上げた。

「正式にヒーローになったのは一ヶ月前で、それまでは一般人として生きてきたんだそうだ。だから、正直 やりづらいとは思うけど、舐められたら困るんで手加減はするなよ」

「女の子……ですか……」

 ブルドーズは草食動物に相応しい広さの眉間を顰め、鼻を鳴らした。

「殴っても、後で訴えられませんよね?」

「ヒーローと怪人だから、たぶん大丈夫だとは思うけど」

「顔はマスクがあるからいいとして、問題は胸とか腹ですよね」

「でも、下手に手加減するとやられるぞ」

「ですよねぇ……」

 ブルドーズは両耳を下げて不安と懸念を混ぜた顔をしたが、ヴェアヴォルフに一礼した。

「では、俺は体を温めてきますんで、五時半に駅前広場でお会いしましょう」

「よろしくお願いします」

 ヴェアヴォルフも一礼し、怪人達と共にフロアから出ていくブルドーズを見送った。

「ブルちゃんでなくてもぉ、気が重いわよねぇ。解るわぁん」

 アラーニャは八つの目が並ぶ顔をヴェアヴォルフに寄せ、毒液が分泌される牙を上げて笑むように顎を広げた。

「何せぇ、相手がお年頃の女の子なんですものねぇ」

「クジ運が悪いですなぁ、若旦那」

 パンツァーはカーテンを開けて閉め切っていた窓を開きながら、苦笑いを零した。

「相手が女の子であろうと、真っ当に戦ってこそ悪の秘密結社なのでございます」

 蛍光灯のスイッチを入れ終えたレピデュルスが、外骨格に包まれた胸を張った。

「解っちゃいるけどさぁ」

 ヴェアヴォルフは頭部の体毛を乱していたが、マントを翻してドアに向かった。

「俺も外に出るよ。決闘する前に、駅前広場の人払いとかもしなきゃならないからな」

「私達も五時前には駅前広場に向かうからぁ、それまで頑張ってねぇ、若旦那ぁん」

 アラーニャは細長い足をゆらゆらと振ってきたので、ヴェアヴォルフは手を振り返してから本社を後にした。 狭い階段を下りて外に出ると、雑居ビルの前にたむろしていた怪人達と出くわし、彼らはヴェアヴォルフに一礼した。 ヴェアヴォルフは年上の部下達に挨拶してから、邪魔っ気なマントを翻しながら駅前広場に向かった。
 午後四時半を過ぎていたので、街を行き交う人々の顔触れは変化し、下校途中の学生の数が目に付いた。 彼らはヴェアヴォルフの格好に目を留めるが、笑うこともなければ驚くこともなく、擦れ違っていくだけだった。 一般市民から気にされすぎても困るが、気にされすぎないのも、悪の秘密結社としては良くないのではと思った。 だが、それはまだ決闘を果たしていないからだ。もちろん勝ちたいが、きっと勝てないだろう、と既に諦観していた。
 悪の秘密結社ジャールは、弱いわけではないが強くもない。中堅と言えば聞こえは良いが要は中途半端だ。 組織力もなく、資金もなく、士気もそれほど高くなく、同業者の中でも差し当たって突出した部分がないのである。 だから、他の悪の組織であれば勝てそうな戦いも勝てず終いで、悪の組織としての業績は業界の平均値より低い。 出来ればなんとかしたいが、そうも上手く行かないだろう。今のところはレピデュルスを始めとした正社員四天王の おかげで戦力レベルは保たれているが、彼らに頼り切るわけにはいかない。
 考え込みすぎて、駅前広場を通り過ぎそうになってしまった。




 決闘の時間は、刻一刻と迫りつつあった。
 秒針が時間を刻む音が部屋全体に広がり、自分の心臓の音がうるさく、手足が緊張で強張ってしまった。 美花は自室のベッドに座り込み、変身補助のために母親からプレゼントされたブレスレットを握り締めていた。 握り締めすぎて手のひらに食い込んでいたが、緊張しすぎて頭痛を感じていたのでそれどころではなかった。 深呼吸して気分を落ち着けてから、手を開いた。ピンクのハートが付いたブレスレットは、手汗で濡れていた。

「う……」

 美花は逃げ出したい衝動に駆られたが、ブレスレットを握り直した。

「よっし!」

「もう五時過ぎだぞ、いい加減に出たらどうなんだよ」

 いきなり自室のドアが開けられ、兄の速人が顔を出した。

「どうせ外に出るんだから、帰りに醤油買ってきてくれよ。俺としたことが買い忘れちまって」

「へ、変身したままで?」

 美花がぎこちなく振り向くと、速人は肩を震わせた。

「それも面白いかもしれねぇな、俺は絶対やらねぇけど」

「でも、家に帰るまでがヒーロー活動だし、それに、変身を解除するところを誰かに見られるのは……」

「誰もそこまで気にしないさ。名のあるヒーローならともかく、デビュー前のお前を追っかけて正体突き止めようと する奴なんているわけないだろ。被害妄想も甚だしいな」

「それは、そうかもしれないけど……」

「とりあえず、さっさと行って一発ぶちかまして帰ってこい。醤油が足りないと夕飯が作れない」

「お兄ちゃん、今日の晩ご飯、何?」

「サンマの煮付けと菜の花のお浸しだ」

「うん、解った。お醤油だね」

「敵前逃亡したら、夕飯喰わせてやらないからな。ついでに明日の弁当も作らないからな」

「えっ、あっ、そんなのずるい!」

「お前がしっかりヒーローしてくりゃいいだけの話だろうが。さっさと変身して片付けてこい」

 速人がぞんざいに手を振ったので、美花は腰を上げた。

「うん……」

 美花はブレスレットに付いた汗を拭ってから、ハートに手を添え、上擦り気味に叫んで力を解放した。

「へ、変身!」

 出来る限り意識を集中させて変身後の姿を思い浮かべながら、美花は全身が熱に包まれていくのを感じた。 左手首のブレスレットを中心にして溢れ出したピンク色の光は、手足を包み、ピンクの全身スーツに変わった。 背中には純白のマントが広がり、頭部はハート型のゴーグルが付いたフルフェイスのマスクに覆い隠され、 両手にはグローブが填り、両足にはヒールの付いたブーツが備わり、長い黒髪はマスクに全て収納された。 変身が終わったことを確認してから、美花は変身後のお約束として教え込まれたポーズを付けて名乗った。

「じゅ、純情戦士、ミラキュルン、真心届けにただいま参上!」

「だーから、変な照れをなくせって言っただろうが。それじゃ学芸会以下だ」

 速人から早々にダメ出しされ、美花、もとい、ミラキュルンは肩を縮めた。

「この名前を名乗るのって、凄く恥ずかしいんだもん…」

「現場でもそんな調子だったら、マジであいつらに世界征服されちまうかもしれねぇな」

「それは、物凄く困る」

「だったら、とっとと行くことだ」

「じゃあ、行ってきます。買ってくるのはお醤油だけでいいんだね」

 ミラキュルンが玄関に向かおうとしたので、速人は妹を押し返した。

「ヒーローだったらヒーローらしく空を飛べ、そして窓から出ていけ」

「えぇー……。私はお兄ちゃんと違ってそんなに早く飛べないし、それに飛ぶのは疲れちゃうし……」

「実戦が一番の訓練だ」

「解ったよ」

 ミラキュルンは渋々窓を開けると、ベランダに足を掛け、空中に踏み出した。

「う、わわっ!」

 途端にバランスを崩して落下しかけたが、なんとか姿勢を整えて自室のベランダから飛び出した。 ミラキュルンはマントに力を注ぎ、浮力を安定させて速度を上げつつマンションに振り返った。速人は妹の後ろ姿を 見送っていたが、窓を閉めて部屋の中へと戻ってしまい、カーテンも閉められてしまった。
 野々宮兄妹の自宅は、街全体を見下ろせる超高層マンションの三十階に位置する南側の4LDKだ。 同じくヒーローである父親が、飛行能力に長けていたため、高いところから飛び出していくのが大好きだった。 だから、いつでも空に飛び出せるように、との上層階の部屋を選び、実際暇さえあれば空を飛び回っていた。 けれど、美花はそれほど空が好きではない。空を飛ぶのが得意ではないし、何より高いところが好きではない。 だから、今も下を見るのが怖くてたまらなかったが、進行方向を確かめるために恐る恐る視線を下げていた。
 方向は間違っていないことを確認したミラキュルンは、早く到着するために速度を上げて駅前に向かった。 駅前広場、午後五時半、相手は悪の秘密結社ジャール。どんな怪人が現れるかは解らないが、戦うしかない。
 逃げ出したら、夕飯を抜かれてしまうのだから。





 


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