純情戦士ミラキュルン




第二十一話 機械と野生の融合パワー! 獣装ウルファイター!



 速人が食事当番の日は、野々宮家の食卓は平穏だ。
 四人掛けのテーブルには季節の食材を生かした料理が並び、野菜をたっぷり使った料理がいくつもあった。 それもこれも、母親の鳩子が作る料理は肉の塊ばかりだからだ。だから、速人が食事のバランスを取っている。 スーパーヒーロー故に大味かつ大量な食事を好む両親には物足りないようだが、慣れてもらうしかない。
 こんがりと焼けたサンマの塩焼きを箸で開いて、骨を外しながら、美花は向かい側に座る両親に目を向けた。 すると、案の定鷹男は丸ごと食べていた。骨が気にならないのだろう、ごきごきと音を立てて噛み砕いている。 だが、鳩子はさすがに気になるらしく、眉間を寄せながらサンマの身に隠れている小骨を一本一本外していた。 塩気の効いたサンマの身でふっくらと炊き上がった白飯を食べながら、美花は隣の椅子に座る速人を見ると、 食事時のマナーに人一倍うるさい速人にしては珍しいことに、ジーンズのポケットには携帯電話が刺さっている。 電話を待っているのか、時折箸を止めて携帯電話を見下ろしては落ち着きなく壁掛け時計に視線を送っていた。

「お兄ちゃん、それ」

 美花が兄の携帯電話を指すと、速人はぞんざいに返した。

「なんだよ。なんでもないよ」

「芽依子さんは御夕飯の片付けとかで忙しいと思うから、まだ電話は掛かってこないんじゃない?」

「馬鹿、何言ってんだよ、なんで内藤なんだよ!」

「言ってみただけー」

「つまんねぇこと言うなよ」

 速人は不機嫌そうに味噌汁を啜ったが、明らかに照れ隠しだ。その様がなんだか可笑しく、美花は笑った。 誰の目から見ても、速人と芽依子には何かがあった。だが、あまり突っ込むと悪いので聞かないことにしている。 このままお兄ちゃんと芽依子さんが仲良くなってくれればいいな、と思いながら、美花はナスの煮浸しを食べた。

「おお、そうだそうだっ!」

 いきなり鷹男が声を上げたので、鳩子以外は驚いた。

「夕方だったか、どこぞの若者に正義の力を与えてやったんだぞっ!」

「……あ?」

 速人が変な顔をすると、美花は顔をしかめた。

「えぇ、またぁ?」

「そうよ、そうなのよ! ねぇあなた!」

 サンマを征服することを諦めた鳩子は、鷹男に寄り掛かった。

「お父さんの力で作ったパワーブレスを手に入れた彼は、きっと素晴らしい活躍をしてくれるに違いないわ!」

「はははははははは、何せ俺の高純度のジャスティスパワーだ、正義に目覚めない方がどうかしているっ!」

 椅子の背もたれを折らんばかりに上体を反らす鷹男に、きゃあ素敵よぉ、と鳩子がまとわりついていた。

「どれだけ人に迷惑掛けりゃ気が済むんだ、この正義中毒は」

 速人はカボチャの煮付けを噛み砕き、毒突いた。

「うん……」

 美花は父親に辟易し、もそもそと白飯を頬張った。鷹男が他人に変身能力を与えるのは初めてではない。 アメリカに行く以前から、ヒーローの力を持て余していた鷹男は一般市民を捕まえては変身能力を与えていた。 その人が愛用する物をアイテムに変化させたり、肉体に力を与えたり、条件付きで解放される力であったり、と。 鷹男の持論は、世界のヒーロー人口が増えれば世界平和に繋がるだろう、という単純で乱暴極まりないものだ。 だが、鷹男が思うように、誰も彼もが正義の力を欲しているわけではない。中にはその力で犯罪に走る者もいた。 それどころか、何の力も持たない人間にとっては強すぎるヒーローの力に負け、暴走してしまった場合もあった。 それなのに、鷹男は反省するどころか正義の布教活動を止めようとしない。ここまで来ると、単なる暴力である。 鳩子は夫の暴走を止めるどころか煽る一方なので、世界平和を妨げているのはこの迷惑夫婦ではないだろうか。

「仕方ない、後始末に行くか」

 速人が気重に呟くと、美花は首を傾げた。

「でも、お兄ちゃんは芽依子さんからの電話があるんでしょ?」

「だから……ああ、もういいや。電話が来る前に片付けりゃいいだけだ。俺は音速戦士だからな」

「だけど、お父さんにヒーローにされちゃった人を元に戻している最中に掛かってくるかもしれないよ」

 美花は首を元に戻し、高笑いを続ける父親を見やった。

「私が行くよ」

「けどな」

 速人が渋ると、美花は小さく拳を固めた。

「この辺りの平和を守っているのは私なんだから、たまにはヒーローらしいことをしないと」

「そうだな。頼む」

「うん。だから、デザートのアップルパイはちゃんと取っておいてね」

「解った。お前の分だけは後で温め直してやるよ。アイスクリームも付けてやる」

「わーい」

 美花は素直に喜び、サンマの身をほぐして食べた。速人は、何事もなかったような顔をして続きを食べた。 両親はというと、暑苦しく夫婦愛を交わしていた。子供の目など気にならないらしく、べたべたにいちゃついている。 仲が良いのはいいことだが、良すぎると鬱陶しい。食べ終えて早々に自分の食器を片付けた美花は、宿題が 残っていたから、と言い残してから二階に昇って自室に入った。家族に嘘を吐くなんてなんだか普通のヒーローみたいだ、 と少しどきどきしながら、美花はブレスレットを掲げた。

「変身!」

 白い光が溢れ、弾けると、ピンクでハートのヒーローが完成した。

「純情戦士ミラキュ」

「美花ぁー、お風呂の時間までには帰ってくるのよぉー。仮免ヒーローの子がうっかり暴走しちゃってたら、 秒殺してきなさいねぇーん」

 と、ポーズを付けかけたところで一階から鳩子に声を掛けられ、ミラキュルンは変な格好で答えた。

「はぁーい……」

 どうやら、先程の嘘は無駄だったらしい。ミラキュルンは無意味に終わったどきどきの余韻に、切なくなった。 窓を開けて外に飛び出すと、外から窓を閉めてから、ミラキュルンは夕食時の住宅街の上を緩やかに飛行した。 ハート型のゴーグルの脇を押して、使う機会がないが装備されているレーダーを起動させて街の景色と重ねた。 このレーダーは生体反応を捉えるもので、人命救助や入り組んだ地形での戦闘で大いに役立つ装備なのである。 しかし、悪の秘密結社ジャールと敵対しているとそこまでの窮地には陥らないので、使うに使えなかった機能だ。
 緑の光の罫線でマス目に区切られた視界を左目に、普通の夜景を右目に映しながらぐるりと辺りを見渡す。 望まない変身能力を与えられた哀れな被害者は、強引に体力を引き出されて変身させられているに違いない。 変身能力に耐性がない常人では数分間変身していただけで疲労困憊してしまうので、早く見つけなければ事だ。 ミラキュルンは初めて味わったまともな緊張感に、なんとなく拳を固めて気合いを入れながら、レーダーを睨んだ。
 そして、一際大きな生体反応を見つけ出した。




 死ぬかと思った。
 空を飛べる奴は凄い。そして、このバトルスーツの耐久性も凄すぎる。夜空を仰ぎ見、大神は息を荒げた。 どこをどうやって飛んだのか解らないが、酸欠で薄らいだ記憶の中では、大気圏を突破しかけたような気がする。 挙げ句に流星の如く落下してしまい、進行方向なんて定められないので地面に激突し、その衝撃で身動き出来なくなった。 空気との摩擦熱でバトルスーツは全体が熱しているが、中身には傷一つないのはパワーブレスの強靱さだろう。 即席とはいえ、能力は紛れもなく本物のヒーローのそれだ。改めて、パワーイーグルの凄まじさを思い知った。 円形に区切られた夜空の周囲には、火花が散ったせいで、ぱちぱちと燃える雑草が朱色の灯火を揺らしていた。 早く消さなければ、とは思うが、体が思うように動かない。時速数百キロで地面に突っ込んだのだから当然だが。

「う……」

 今、何時だろう。大神は痛む体を起こし、腕時計を見ようとしたが、右手首には憎きパワーブレスしかなかった。

「明日も仕事があるんだぞ、早く帰らなきゃならないんだから」

 大神は右手首を手近な岩に打ち付けたが、砕けたのはパワーブレスではなく岩の方だった。

「なんだって、俺がこんな目に……」

 あ、何かヒーローものっぽい、と自分のセリフにときめきながら、大神は立ち上がった。

「こんなことをしている場合じゃない、俺にはやるべきことが残されているんだ」

 夕食、風呂、そして明日の準備。更には美花へのメールだ。

「だから俺は、こんなところで終わるわけにはいかない!」

 少し楽しくなってきた大神が拳を握り締めると、ぱらりとクレーターの端が崩れ、見慣れた顔が覗いた。

「あ、あのー……」

 純情戦士ミラキュルンだった。大神が慌てると、ミラキュルンは気まずげに目を逸らした。

「お、御邪魔でしたか?」

「え、あ、いや、うん……」

 急に恥ずかしくなった大神が口籠もると、ミラキュルンは立ち上がった。

「い、今、そっちに行きますぅあきゃあっ!?」

 立ち上がった拍子に踏み外してしまったミラキュルンは、ごろごろと転げながらクレーターの底に落ちてきた。 汚れ一つなかったピンクのバトルスーツは全身泥まみれになり、純白のマントも汚れ、バトルマスクも同様だった。 俯せに倒れたまま動かないミラキュルンに少し心配になった大神が近付こうとすると、ミラキュルンは頭を抱えた。

「もおいやぁああっ!」

 体を丸めたミラキュルンは羞恥で震え、今にも泣きだしてしまいそうだった。

「なんでいっつもこうなのー、せっかくまともにヒーロー出来そうだったのにぃ! あーもう、自分が嫌ぁっ!」

「……見なかったことにするから」

 大神が居たたまれなくなって顔を背けると、ミラキュルンは半泣きで喚いた。

「その言葉、信じますからね! ていうか、信じなきゃやってられませんからね!」

「俺だって、この状態を他人に知られたら生きていけない」

 怪人的な意味で。大神がぼやくと、ミラキュルンは立ち上がり、土を払った。

「それじゃ、この穴から出ましょうか。外に出ないと、何も始まりませんから」

「ああ、そうだな。だが、俺はもう飛びたくない。二度と飛びたくない。トラウマだ」

 大神が項垂れると、ミラキュルンは右手を差し伸べてきた。

「それじゃ、私がお連れしますね」

「すまん」

 大神はミラキュルンの右手を取ると、ミラキュルンはその手を握り返し、足元を蹴り付けて柔らかく浮遊した。 疲弊した大神に気遣ってか、そよ風のような速度でクレーターの外まで上昇した後、ミラキュルンは右手を離した。 無事着地した大神は顔を上げて見渡すと、既視感のある夜景が広がっていた。それもそのはず、いつもの街だ。 飛び方がでたらめだったために方向感覚を失ったせいだろう、同じ場所をぐるぐると飛び回っていただけらしい。 背後にそびえる鉄塔と視点の高さから察するに、ここは先日ナイトメアらがハイキングした市内の山のようだった。

「初恋乙女の癒しのエナジー、ミラキュリペア!」

 ミラキュルンは胸の前で手をハート型にして頭上に突き出すと、ピンク色の光の粒がハート型に発射された。 それが粉雪のように降り注いでくると、大神が作ってしまったクレーターが埋まり、焼け焦げた雑草も元に戻った。 ついでにミラキュルンの全身に付着してしまった泥や土も光の粒になって蒸発し、バトルスーツは綺麗になった。

「そんな能力、あったのか?」

 大神が驚いていると、ミラキュルンは光の粒を払ってから答えた。

「ええと、これは、能力と言うよりもヒーロー体質の一部である自己再生能力の応用ですね。自分に適応されている 自己再生能力を開放して、外部の物体に作用させただけですから、必殺技ではないです」

「つくづく何でも出来るなぁ」

 これではますます勝てる気がしない。大神は耳を伏せようとしたが、バトルマスクのせいで動かせなかった。

「い、いえ、そんなことないですよ! えと、それよりも、早く変身を解除しないと!」

 ミラキュルンは褒められたと思ったらしく、照れながら大神に近付いてきた。

「いや、いいよ、自分でなんとかするから! 方法だけを教えてくれればそれでいい!」

 大神が後退ると、ミラキュルンは意地になったのか詰め寄ってきた。

「そういうわけにはいきません! だって、私はヒーローですから!」

「だから、俺にも色々と事情があってだな!」

「どんな事情なんですか!」

 ミラキュルンが顔を近寄せてきたので、大神は疲労による苛立ちと彼女に対する恐怖に駆られて叫んだ。

「俺は怪人なんだ!」

「え、あ、うぇええっ!?」

 ミラキュルンが仰け反ったので、大神は急いで距離を取った。

「だから、俺は貴様の前で素顔を晒すことは出来ないんだ!」

「え、でも、怪人さんってことは……」

 だけど、でもなぁ、とミラキュルンは呟きながら大神の耳と尻尾をちらちらと見やったので、大神は言い切った。

「我が名は暗黒総統ヴェアヴォルフ! 怪人による怪人のための怪人の世界を作るため、正義を排除せんがために この世に生まれ出でた悪の権化!」

「あ、あーあーあーあー!」

 ミラキュルンは納得したらしく、手を叩き合わせて何度も頷いた。が、すぐに戸惑った。

「で、でも、だとしたら色々とまずいんじゃないですか? だって、ヴェアヴォルフさんは……」

「世界征服を企む暗黒総統だ!」

 悪役モードに切り替えたために開き直った大神、もとい、ヴェアヴォルフは腕を組んで胸を張った。

「だ、だとしたら、ちょっとまずいかな……?」

 ミラキュルンはヴェアヴォルフに近付き、右手首のパワーブレスを上げさせて文字盤を操作した。

「んーと、お父さんの作ったやつだから、設定はこのコマンドだよね」

 ミラキュルンが文字盤中央のボタンを押すと、ヴェアヴォルフのパワーブレスからホログラフィーが現れた。 平たいホログラフィーに表示されているのは日本語だったが、ヴェアヴォルフから見ると逆文字なので読みづらい。 ミラキュルンは慣れた手付きでホログラフィーを操作し、設定画面を出すと、その項目をじっくり眺めてから閉じた。 ホログラフィーをパワーブレスに収納させてから、ミラキュルンはヴェアヴォルフと向き直って両の拳を握り締めた。

「一緒に頑張りましょう!」

「何を?」

「ヒーロー活動です!」

 ミラキュルンはヴェアヴォルフの手を取り、ハートのゴーグルを近寄せてきた。

「お父さんの設定に寄れば、このバトルスーツはヒーロー活動をしなければ解除されないそうです! ですから、 私と一緒に怪人さんを倒して世界を守りましょう!」

「出来るかぁっ!」

 ヴェアヴォルフは全力でミラキュルンの手を振り払い、尻尾を膨らませた。

「俺の部下は怪人なんだぞ、でもって俺は世界征服を企んでいるんだぞ! 仲間を裏切らせる気か!」

「い、いえ、そうではなくて」

 ヴェアヴォルフの怒気に気圧されたミラキュルンは、後退りかけたが踏み止まった。

「えっと、それじゃ、こういうのはどうでしょうか? 怪人さんとは戦わずに、世界平和に繋がるようないいことを するんです。お父さんの決めた設定の当たり判定に引っ掛かるようなことを」

「当たり判定って……」 

 格闘ゲームか。ヴェアヴォルフはやる気など毛頭なかったが、大事な部下を殴り倒すよりは気が楽だ。

「よし、解った。それで、具体的に何をすれば世界平和活動になるんだ?」

「ん、んーと……」

 ミラキュルンはしばし考え込んでから、提案した。

「困っている人を助けることですね」

「なんだ、その次元の低さは。犯罪者の撲滅とか大量破壊兵器の排除とかじゃないのか?」

「仕方ないじゃないですか、ヒーローが活動する動機は基本的にそれなんですから。世界平和だって、世界中の 人が幸せに暮らしてこそ出来上がるものなんです。まあ、誰もが一切の不満を持たずに生きるのは不可能ですけど、 身近なところから始めていけば巡り巡って、っていうことで」

「つくづく綺麗事だな」

「だって、それがヒーローですから」

 ミラキュルンはマントを翻し、見慣れた街の夜景を見下ろした。

「私にも、他の人から見れば小さいかもしれないけど、守りたいものがあるんです。だから、ジャールの怪人さん達と 一生懸命戦おうって決めたんです」

 冷ややかな夜気を含んだ風を孕み、白いマントが彼女の小さな背を覆い隠し、ヴェアヴォルフの視界を染めた。 可愛らしさだけを追求したようなピンクでハートのバトルマスクが、ほんの一瞬だったが凛々しく見えた気がした。 ミラキュルンはれっきとしたヒーローではあるが、彼女のことをヒーローとして見ていなかったことに気付かされた。 ヴェアヴォルフから見れば、ミラキュルンは過剰な力に振り回される少女であり、正義の心は窺い知れなかった。 戦う動機も夏祭りのステージ中に思い付いたものでしかなく、正義の味方に相応しい芯がどこにも見えなかった。 だが、彼女はやはりヒーローなのだ。ヴェアヴォルフはミラキュルンの背を見つめて、マスクの下で口元を歪めた。
 そうでなければ、倒し甲斐がない。





 


09 9/18