純情戦士ミラキュルン




第二十二話 外道に堕ちた男! 猛襲のファルコ!



 四十二年前。ファルコは、羽鳥隼之介として生まれた。
 物心付いた頃から、他の家庭との差を知っていた。住んでいる家は古く、雨が降れば必ず雨漏りがした。 風が吹けば女の泣き声のような音がそこかしこから聞こえ、両親は口癖のように金がないとばかり言っていた。 それなのに兄弟だけはやたらと数が多く、隼之介は二人の姉と一人の兄の下に生まれ、その下にも三人もいた。 学校に行けるようになると、嫌でも家の貧しさを痛感した。他の子供の持ち物は新品なのに隼之介はお古だった。 兄弟からのお下がりならまだ良いが、顔も見たことのない近所の住人のもので、知らない名前が書いてあった。 その名前を塗り潰せるようなペンもなかったらしく、見知らぬ人間の名が付いたランドセルを六年間背負っていた。 食べる物にも困るくせに父親の酒は途切れず、たまに切れると無意味に隼之介や兄弟達は怒鳴られて殴られた。
 そんな家庭の生まれだから、物心付いた頃から隼之介には友達と呼べるような相手は誰一人としていなかった。 事情を知らない子供が遊んでくれることもあったが、母親が迎えに来るとすぐさま引き離されてその子が怒られた。 公園には遊んでみたい遊具があったが、混ざろうとすれば文句を言われたり石を投げられるので行けなかった。
 だから、隼之介はいつも町外れの廃工場で遊んだ。危ない場所だが、だからこそスリリングで楽しかった。 立ち入り禁止のロープが貼られていたが、空を飛べる隼之介には無意味なので、上空から敷地内に入っていた。 一人遊びには丁度良い古い機材や用途が解らない資材で工作をしたり、コンクリートの壁に落書きをしたりした。
 その日も、いつものように遊びに来ると先客がいたが、不良の中高生やしけ込もうとするカップルではなかった。 珍しいことに、小学校の同じクラスの女子だった。隼之介とは違って、ぴかぴかの赤いランドセルを背負っている。 彼女は黄色い帽子を被った頭を左右に振り、誰もいないことを確かめると、ランドセルを下ろして資材に腰掛けた。 壊れたトタン屋根に留まった隼之介が中の様子を見守っていると、彼女はランドセルから本を出した。 それは学級文庫で一番人気の本で、隼之介も読みたかったので内容を知ろうと身を乗り出すと、姿勢が崩れた。 途端に、隼之介は前のめりに落下し、錆びて穴の空いたトタン屋根を擦り抜けて彼女の座る資材まで落下した。 雷が鳴ったような凄まじい騒音が起き、痛みと衝撃と驚きで隼之介が目を丸めていると彼女も目を丸くしていた。

「……だ、だいじょうぶ?」

 砂埃が収まってから、彼女は心配げに声を掛けてきた。

「うん……」

 恥ずかしさと情けなさで隼之介が小さく返すと、彼女は隼之介をまじまじと眺めてきた。

「あなた、同じクラスの子だよね?」

「うん」

 隼之介は話しかけられたのを意外に思いながら、頷いた。彼女は、クラスでも飛び抜けて優秀な子供だった。 黄色い帽子の鍔には母親と思しき字でひぐちはとこと書き記され、ランドセルに掛かった名札は樋口鳩子とある。 人目を引く整った顔立ちに鳶色の澄んだ瞳、人懐っこい言動と優しくも真面目な性格で、教師にも好かれていた。 クラスではいつも女子の一団に取り囲まれ、男子からも親しくされている、良い目立ち方をしている少女だった。 身なりも良いので、家も裕福らしい。隼之介とは何もかもが正反対で、話したいと思っても声も掛けられなかった。 その鳩子が、なぜ廃工場になどいるのだろう。隼之介は戸惑っていたが、それ以上に緊張しながら声を掛けた。

「樋口さん。なんで、こんなところにいるの?」

「ちょっとね」

 はにかみ混じりに笑みを浮かべた鳩子は、どきりとするほど可愛らしかった。 

「羽鳥君、だったよね? 君こそ、なんでこんなところにいるの?」

「遊び場だから。変な物が一杯あるし、どこに落書きしても怒られないし、誰も邪魔しないから」

「いいなぁー……」

 鳩子は羨ましげに隼之介を見つめてきたので、隼之介はちょっと困った。

「そんなでもないと思うけど」

「それじゃ、今度から私もここに来てもいい?」

「いいよ。別に俺だけの場所じゃないし」

「やったぁ。公園には行くなって言われちゃったから、どこで遊ぼうか迷ってたんだ」

「なんで?」 

 隼之介が疑問に思うと、鳩子は口籠もった。

「うんと、変な人に攫われたら困るから、かな。あ、そうだ、この本一緒に読まない?」

「え? いいの?」

「いいっていいって。一人で読んでもつまんないし」

「ん、じゃあ……」

 隼之介は正直言って恥ずかしかったが、鳩子の隣に腰掛けた。

「んと、それとね」

 鳩子は恥じらっていたが、隼之介に顔を向けた。

「隼ちゃんって呼んでもいい? 名字で呼ぶのって余所余所しいし」

「うん……」

 そんなふうに呼ばれるのは初めてだったので、隼之介は大いに困ったが頷いた。

「じゃ、私のこともそんな感じでいいよ」

「え?」

 隼之介はきょとんとしたが、羽毛に隠れた顔を赤面させながら呼び返した。

「じゃ……じゃあ、鳩ちゃん」

 遠目から見ても充分解るほどの可愛らしさだが、至近距離まで近付くと肌の白さと髪の艶が一層感じられた。 睫毛も長く、小さな唇も桜色で、子供ながらに色気がある。隼之介は距離を測りながら、徐々に鳩子に近付いた。 鳩子はスカートを履いた膝の上で低学年向けの絵本を広げると、辿々しい読み方ではあったが、音読を始めた。 隼之介は絵本の内容を見ようとするが、間近から聞こえる鳩子の声が気になってしまい、ちっとも解らなかった。 あれほど読みたかったのに、これでは何の意味もない。だが、悪い気はしなかったので、鳩子が読むに任せた。
 それから、鳩子と隼之介は何度となく廃工場で会った。学年が上がっても関係は変わらず、親友になった。 だが、鳩子の秘密は解らず終いだった。聞き出そうとすると悲しげな顔をするので、隼之介はいつも謝っていた。 そのうちに、鳩子の秘密などどうでもよくなった。クラスのアイドルと一緒にいられれば、それだけで幸せだった。 隼之介が成長するに連れて家族はどんどん崩壊して、父親は女と姿を消し、母親も男を連れ込むようになった。 上の兄弟達は荒れ、下の兄弟達は母親が勝手に親戚に押し付けて、狭い家を通り抜ける隙間風は強くなった。 それでも、隼之介だけは最後までまともでいようと踏ん張った。明るく可愛らしい鳩子の傍にいたかったからだ。
 小学校時代の六年間が、隼之介の人生の絶頂だった。


 中学校に進学すると、隼之介も徐々に自分を誤魔化せなくなった。
 貧しさや家庭の乱れようを教師に馬鹿にされ、同級生に蔑まれ、成績の悪さを毎日のように嘲笑われた。 今にして思えば、それは隼之介が怪人だったからだろう。クラスには人外もいたが、怪人は隼之介だけだった。 だから、皆、心の奥で隼之介を恐れていたのだ。けれど、幼かったために言葉をそのまま受け取って苦悩した。 鳩子は中学受験をして私立中学に進学したので廃工場でも会えなくなり、気持ちのはけ口がなくなってしまった。 それでも、隼之介は我慢に我慢を重ねた。鳩子に会えばなんとかなる、鳩子に会えば、と、自分を慰め続けた。 授業が終われば逃げるように廃工場に飛び込み、毎日のように鳩子を待つが、鳩子が来る気配すらなかった。 そのうちに、寂しさが疎ましさに、疎ましさが憎らしさに変わり、会いに来ない鳩子に対して怒りを抱くようになった。
 そんなある日、隼之介は街で鳩子に会った。塾に向かうためにバス停で待っているところに、偶然通り掛かった。 鳩子は驚いたが、以前と変わらぬ笑顔を向けてくれた。隼之介も笑おうとしたが、笑い方など当に忘れてしまった。 明日は行くね、隼ちゃん、と鳩子は言い残してバスに乗った。隼之介はその一言だけで憎らしさや疎ましさは一気に 吹っ飛び、浮かれすぎた挙げ句にアクロバット飛行したほどだった。
 その翌日。隼之介はいつもより早めに廃工場に来たが、薄暗くなっても鳩子の姿はなく、気配すらなかった。 帰ろうか、でも来ると言ったのだし、と隼之介が迷っていると、西日に染まった空から突然何かが落下してきた。

「いやああああっ!?」

 甲高い悲鳴を上げながら屋根を破ったそれは、分厚いコンクリートの床を砕いた。

「う……くぅ……」

 灰色の粉塵に包まれながら身を起こしたのは、最近巷で活躍している女性ヒーロー、ピジョンレディだった。

「ここから早く逃げて、さあ!」

「でも、俺は」

 鳩ちゃんを、と隼之介が言いかけると、ピジョンレディを狙って鉄塊が投下され、不気味な風切り音を放った。 それは、どこからどう見てもミサイルだった。隼之介は日常を逸脱した物体に怯えてしまい、逃げられなかった。

「フェザーブレッド!」

 ピジョンレディは右手を掲げて羽根の弾丸を無数に生み出すと、落下するミサイルに当て、誘爆させた。

「平和の使者が聞いて呆れる! 恒久的かつ効率的な平和を求める我らに牙を剥くとは!」

 爆煙が晴れると、重爆撃機を人型に作り替えたような怪人が現れ、円筒の腕でピジョンレディを指した。

「正義と悪の戦いに関係ない人を巻き込むなんて! ウンリュウ、あなただけは絶対に許さない!」

 ピジョンレディはルビーに似た色合いの透き通った剣を出し、構えた。

「美しき心の結晶、ピジョルーレ!」

「人? それが人か? そこの少年は、我らと同じ怪人ではないか!」

 プロペラを回転させながら降下してきた爆撃機怪人ウンリュウは、翼の下にミサイルを四発装填させた。

「立てぃ、少年! 貴様も怪人の端くれならば、そこの小娘を攻撃しろ! 目下の障害であるピジョンレディを排除し、 我ら超世界帝国軍の世界征服活動に貢献するのだ!」

 怪人。呼ばれ慣れない名だが、違和感は感じなかった。それどころか、そう呼ばれると体の内側が高ぶってくる。 鳩子への様々な思いや、久々の再会を滅茶苦茶にしたピジョンレディとウンリュウに対する怒りが形を成していく。 隼之介は立ち上がると、ダメ、それだけは止めて、と必死に首を横に振るピジョンレディを見据えて両翼を広げた。

「ウィングッ!」

 ぶわりと大きく広げた翼に衝撃波を纏わせた隼之介は、躊躇いもなくピジョンレディに振り下ろした。

「ブレイクッ!」

「じゅ……」

 防御姿勢も取らずに、ピジョンレディは攻撃を受けた。何かを言いかけたようだが、隼之介には届かなかった。 初めて放った攻撃による興奮と、今まで使ったことのなかった能力の発現に激しく高揚し、笑っていたからだった。

「ふはははははは、それでこそ怪人だ! 貴様は我が超世界帝国軍の兵士に相応しい!」

 満足げに高笑いするウンリュウに、隼之介は両翼を狭めて重ね、衝撃波を発射した。

「ファルコンブラスト!」

 ろくに制御されていない衝撃波を伴った圧縮空気弾がウンリュウの胸部に命中し、硬い外装を容易く抉った。 両肩のプロペラが破損して宙を舞い、ばらばらと細かな部品が飛び散り、左翼が折れて内蔵する弾丸が零れた。 思いがけない反撃に驚いたウンリュウは後退り、意味の解らない捨てゼリフを残して飛び去ろうとしたが墜落した。 ウンリュウは自分の部品やプロペラを必死に掻き集め、捨てゼリフを再度言いながら廃工場から走って逃げた。

「痛ぁ……」

 衝撃波による斬撃を浴びた胸を押さえながら、ピジョンレディは起き上がり、隼之介を見上げた。

「どうして、あいつまで攻撃したの?」

「気に食わなかったからだ」

 隼之介は風を纏った翼を上げ、ピジョンレディに向けた。

「それはお前も同じだ! せっかく鳩ちゃんに会えると思ったのに、邪魔しやがって! 殺してやる!」

 ピジョンレディはびくっと肩を震わせたが、顔を上げた。

「ごめんなさい……。でも、わ、彼女は……」

「お前に俺の何が解る! 俺には鳩ちゃんしかいないんだ、それなのに!」

「だ、だったら少し待っていて。すぐに彼女を」

「もういい」

「……え?」

「もう、いい。俺は鳩ちゃんと友達じゃなかったんだ。俺は怪人だからだ。鳩ちゃんは俺が嫌いになったんだ」

「違う、そんなことはないのよ、だからもう少しだけ」

「黙れ!」

 隼之介は翼を振り、羽根を膨らませて激昂した。

「ヒーローだか何だか知らないが、横から突っ込んできて知ったふうな口を聞くな! 本気で殺すぞこの野郎!」

「……ごめんなさい」

 ピジョンレディは隼之介に背を向けると、緩やかに浮かび上がった。

「樋口鳩子は、もうすぐこの街から出ていくわ。だから、出来ればもう一度だけ彼女に会ってちょうだい」

「会えるもんか。俺は怪人なんだぞ」

「……そう」

 ピジョンレディは寂しげに呟くと、一際大きな穴の空いた屋根を仰ぎ見た。

「なら、仕方ないわね」

 柔らかく舞い上がったピジョンレディは、隼之介には振り向かずに藍色に染まりつつある空に飛び去った。 高揚と怒りで気の立った隼之介はピジョンレディの言葉を信じるはずもなく、体の火照りを持て余しながら帰った。 だが、それはすぐに真実だと解った。翌日に中学校に行くと、鳩子と同じ塾に通う女子生徒が声高に話していた。 鳩子を好き好かれていた生徒達はその女子生徒の周囲に集まり、鳩子のお別れパーティーについて話し始めた。 当然ながら隼之介はその輪に混じれず、遠巻きに眺めながら、鳩子に対する思いを自分なりに整理しようとした。 けれど、思い出されるのは素晴らしくも暖かな記憶ばかりで、やはり鳩子が好きなのだと再確認しただけだった。 今度こそ会えるのでは、とぐちゃぐちゃに破壊された廃工場に行ってみるが、鳩子が来ることは二度となかった。 ピジョンレディの言葉を信じれば良かった、と思ったが最早どうすることも出来ず、隼之介は孤独を噛み締めた。
 初めての恋は、自覚する前に終わった。


 高校に進学したが、二年の一学期に傷害事件を起こして退学した。
 唯一にして最大の心の支えだった鳩子との接点を失ってからというもの、隼之介は雪崩落ちるように荒れた。 それまでは阻んでいた素行の悪い連中からの誘いを受けて、授業を受けずに街に出てはケンカに明け暮れた。 高校生の頭で考えつくような悪いことはほとんどやり尽くし、誰も彼も傷付けることで自分を守ろうと必死だった。 だが、それは長く持たなかった。怪人であることを忘れて本気で人間を殴ってしまい、重傷を負わせて捕まった。 大人になってから考えてみれば、隼之介に歩みようとした大人もいてくれたが、その頃は鬱陶しがってしまった。
 隼之介も、一度は立ち直ろうとした。懲役を終えて社会復帰し、まともに働こうとしたが、半年も持たなかった。 ちゃんと生きてみせると心に決めていたはずなのに、またもや悪い連中に引っ掛かってヤクザへと引き込まれた。 だが、幹部クラスの力を持つ怪人だったせいでここでも持て余され、役割は専ら同業者の襲撃を阻むことだった。 毎日毎日自分の生き方に疑問を感じていたが、行動することも出来ず、ヤクザの用心棒としてひたすら戦った。
 三十歳を過ぎてしばらくした頃、隼之介が所属していたヤクザが警察に摘発される寸前に隼之介は逃げ出した。 捕まるのが恐かったのもあるが、意志の弱い自分から逃げてしまいたかった。だが、逃げられるはずもなかった。 力の限り飛び回って疲れ果てた隼之介は、どこともつかない河川敷に腰掛け、夕日を眺めてぼんやりしていた。

「見慣れぬ顔だな」

 かつ、と硬い音が背後で止まり、隼之介は恐怖に駆られて振り向いた。

「そう怯えずとも良い。私は君を取って喰いはせぬ」

 銀の杖を携えて軍服に身を包んだ老紳士が、隼之介を見下ろしていた。だが、その中身はオオカミ怪人だった。 色艶の抜けた毛並みの尻尾が垂れて、軍帽の下から出ている耳も弱っていたが、眼光は野獣の如く鋭利だった。 その背後にはカブトエビを人型にしたような怪人が控えていて、両手を後ろ手に組んで老紳士の背を守っていた。

「その様子からして、余程のことがあったのだろう」

 老紳士は隼之介の傍らに身を屈め、濡れた鼻を向けてきた。

「どうだね。私らと一緒に、世界征服してみないかい?」

「……世界征服?」

 途方もない言葉に隼之介が呆気に取られると、老紳士は白髪交じりの体毛に覆われた口元を緩めた。

「といっても、今は私ではなく息子が指揮を執っているがね。悪の秘密結社ジャールというのだ」

「御紹介いたしましょう。こちらは大神家前当主であり、史上最強の人狼族であったヴォルフガング家の末裔にして 元ドイツ軍将校、そして先代の暗黒総統であらせられるヴォルフガング・ヴォルケンシュタイン様にございます」

 カブトエビ怪人が懇切丁寧に説明したので、ヴォルフガングという名の老紳士は苦笑した。

「何も全部言うことはなかろう、レピデュルス。毎度ながらくどいぞ」

「いいえ。こういったことは最初にきちんと示しておきませんと、後々面倒でございましょう」

「今の私は楽隠居なんだがなぁ」

「いえいえいえ。大旦那様がいかなることを申されようと、大旦那様が偉大であることに変わりはございません」

「少し黙らぬか。彼と話が出来ぬ」

「申し訳ございません」

 レピデュルスという名のカブトエビ怪人は、仕方なさそうに褒め言葉を中断した。

「返事は今でなくても良い。もし、我らと同じ野望を抱くなら、本社に連絡してくれたまえ」

 ヴォルフガングは懐から名刺を出すと、隼之介に手渡した。

「だが、君の名を知らねば、アラーニャが取り次ぎに困るだろう。君の名を教えてくれたまえ」

「羽鳥隼之介です」

 名刺を受け取った隼之介が答えると、ヴォルフガングはヒゲのように伸びた顎の下の体毛をしごいた。

「ふむ、ならば怪人名はファルコだな。というか、それ以外には思い付かぬ」

「大旦那様。あまり長居をなさるとお体に触ります、早う御屋敷へお戻り下さい」

「そう急かすな。久々に起き上がれたのだから、もうしばらくゆるりと歩かせてくれぬか」

「なりません」

 レピデュルスに言い切られ、ヴォルフガングは渋々了承した。

「仕方ないな。それではまた会おう、ファルコ。良い返事を期待しているぞ」

 ヴォルフガングは杖を振ってから歩き出すと、レピデュルスが続いたが、二人は口々に何かを言い合った。 どうやらヴォルフガングは病身らしく、レピデュルスはその身を案じているのだが、当の本人が取り合おうとしない。 なので、側近のレピデュルスは苛立っているらしい。だが、その間に険悪な空気はなく、親友同士のようだった。
 ヴォルフガングから受け取った名刺を持ったまま、隼之介は考え込んだ。世界征服など、考えたこともなかった。 ピジョンレディと戦っていた怪人が騒ぎ立てていた言葉だが印象には残らず、今し方まで思い出しもしなかった。 だが、世界征服出来れば今まで出来なかったことが出来るだろう。何せ、世界の支配者の一員になるのだから。 そうなれば、きっと鳩子にも会える。一方的に嫌ってしまったことを謝ることが出来る。そして、思いを遂げられる。 行方も知らないのに何を勝手な、と隼之介は自戒して思い直した。鳩子を軸にして考えるから、おかしくなるのだ。 鳩子のことは忘れて、怪人として生きよう。体に有り余る能力を使いこなしながら、自分を見定めて歩んでいこう。
 そして、自分を収められる世界を見つけよう。





 


09 9/23