純情戦士ミラキュルン




第二十二話 外道に堕ちた男! 猛襲のファルコ!



 火曜日。
 運転免許証の更新を終えたファルコは久々に電車に乗り、羽鳥隼之介、と本名が書かれた免許証を見つめた。 普段は交通費が勿体ないので自前の翼で移動しているのだが、今日はなんとなく空を飛ぶ気分ではなかった。 昼過ぎと時間が中途半端だからか乗客はまばらで、小刻みに揺れる車体と窓越しの日差しが眠気を誘ってくる。 車窓から見える街並みはいつも通りで特に変化はなく、春先には建築中だったマンションが伸びている程度だ。
 事務的に撮られた顔写真は、猛禽類そのものなので他人には表情が解りづらいが自分の目には変だった。 どんな写真も、表情がぎこちない。写真写りの悪さを自嘲してから、ファルコは免許証をセカンドバッグに入れた。 悪の秘密結社ジャールに入社してからは少しはまともになってきたかと思ったが、まだまだ引き摺っているらしい。 電車が本社の最寄り駅に着いたので改札に向かうと、自動改札の一つが人間に塞がれていた。ラッシュ時では ないにせよ、乗客には迷惑だ。程なくして駅員が来て、女性に自動改札の使い方を教えてくれた。駅員に礼を言いつつ ようやく自動改札を抜けた女性の顔を見た途端、ファルコは硬直した。そして、彼女もファルコを見た。

「ジュンちゃん?」

 ファルコをそう呼ぶのは、この世界でただ一人だ。

「やっぱりジュンちゃんね!」

 と、彼女は今し方出たばかりの自動改札を戻ろうとして、盛大なアラームと同時にガードに阻まれた。

「あらやだ、またやっちゃったわ」

「ちょいとお待ちを、俺が出まさぁ」

 ファルコは彼女を制し、切符を入れて自動改札を抜け、彼女を連れて往来の邪魔にならない場所まで移動した。 改めて見直しても、やはり彼女だった。子供の頃とは大分印象が違っているが、顔立ち自体は変わっていない。 幼馴染みの樋口鳩子だ。ファルコは戸惑いもしたが、それに勝る喜びに煽られて鳩子に話し掛けた。

「なんでこの街に来たんですかい、鳩ちゃん」

「いやぁね、元々住んでいたのよ! でも、嬉しいわ、まさかこんなところで隼ちゃんと会えるなんて!」

「ああ、俺もでさぁ」

「変わらないわね、あなたは」

 鳩子は柔らかく目を細め、口紅を載せた唇を上向けた。

「私は、色々と変わっちゃったけど」

 鳩子はハンドバッグを探り、携帯電話を取り出した。

「そうだ、隼ちゃんの連絡先を教えて。これだけで終わっちゃうのはなんだか勿体ないわ、ね、いいでしょ?」

「ああ、そりゃあまぁ」

 ファルコはセカンドバッグから私用の携帯電話を取り出し、鳩子とアドレスを交換すると、もう一つが鳴った。 派遣社員のマネージャーで移動が多いファルコに支給された仕事用の携帯電話で、社内連絡用に使っているものだ。

「すまねぇ鳩ちゃん」

 ファルコは鳩子に断ってから電話を受けると、凄まじい音量のパンツァーの音声が襲い掛かってきた。

『どこほっつき歩いてやがった、この鳥頭が!』

「んなっ、なんですかいパンツァーの旦那! 俺は用事があるっちゅうことをホワイトボードにちゃんと……」

『んなこたぁどうでもいい! とにかく早く本社に来い、若旦那が斬られた!』

「へっ?」

『だぁから帰ってこいっつってんだろうが! たまには四天王らしいことをしねぇか!』

「わ、解りやした、全速力で飛ばしまさぁ!」

 いいか早くしろよ遅れたらゼロ距離でぶっ飛ばすからな鳥野郎、と言葉汚く罵られた後、一方的に切られた。

「悪ぃ、鳩ちゃん。話し込みてぇのは山々だが、ちょいと急用が出来ちまったもんでさぁ」

 ファルコが謝ると、鳩子は手を横に振った。

「いいのよいいのよ、用事なら仕方ないわ。また今度会いましょう、隼ちゃん」

「また、近ぇうちに」

 ファルコは名残惜しかったが、鳩子に翼を振ってから駅構内を出てからすぐに羽ばたいて、本社を目指した。 変わってしまったのは自分の方だ。鳩子は何も変わっていない。そう言いたかったが、どうしても言えなかった。 言ってしまえば、どう変わったのか話さざるを得なくなる。そして、それを知ってしまえば鳩子はファルコを嫌う。
 幼少時代は、ファルコの人生の中で最も平穏で美しい時代だ。樋口鳩子は、その中でも特に際立った存在だ。
記憶だけでなく、彼女自身もそうだ。だから、ファルコの泥臭い経歴を鳩子にだけは知られてしまいたくなかった。 埃混じりの空気を切り裂いて飛行しながら、ファルコは大神の身を案じていたが鳩子に尾羽を引かれていた。 だが、今考えるべきは大神の安否だ。しっかりしろ、四天王だろうが、と自責しながら一直線に本社を目指した。
 本社のある雑居ビルに到着したファルコは、玄関前に着地すると、階段を駆け上がって本社のドアを開け放った。 羽根を膨らませながら呼吸を整えるファルコに、三人の視線が集まったが、椅子に座り込んでいる彼に向いた。 社員のものに比べればほんの少し立派な取締役の椅子に身を沈めているヴェアヴォルフは、項垂れていた。 いつもの軍服姿ではあったがワイシャツは着ておらず、包帯をきつく巻き付けた上半身に軍服を羽織っていた。 厚く柔らかな焦げ茶の体毛が鮮やかすぎる白に締め上げられ、両腕は大きく開いた足の間にだらりと垂れていた。

「……若旦那」

 ファルコが社内に入ると、ヴェアヴォルフは掠れた声で言った。

「すまない、驚かせたみたいで。だが、大した傷じゃないから」

「何を仰いますか、若旦那!」

 珍しく声を荒げたレピデュルスは、ヴェアヴォルフに迫った。

「誰がどう見ても深傷にございます! 本来であれば病院か御実家で安静にしておられなければならないというのに、 ろくに手当もせずに帰宅したばかりか出勤などと!」

「そう怒るな。俺は怪人だぞ、そう簡単に死ぬもんか」

 困ったように耳を曲げたヴェアヴォルフに、レピデュルスはヒゲに似た外骨格を広げながら叫んだ。

「そういう問題ではございません! そのような状態で何者かに襲われたら、今度は傷だけでは済みませぬ!」

「気持ちは解るが、ちったぁ落ち着け。お前が若旦那を殺しちまいそうだぜ」

 パンツァーがレピデュルスの肩を掴んで引き離すと、レピデュルスはパンツァーの手を振り払った。

「しかしだな!」

「とりあえず、何があったのか説明する。そのために全員呼んだんだからな」

 ヴェアヴォルフは四人をそれぞれの席に座るように促してから、身を起こそうとしたが痛みに顔をしかめた。

「簡潔に言う、俺はセイントセイバーと戦ったんだ」

「でしたら、なぜ私達を呼び出さなかったのでございますか!」

 レピデュルスがいきり立ったので、アラーニャは糸を吹き付けてその体を手近な椅子に固定した。

「ちょっとは大人しくしてねぇん、レピさぁん。じゃないとぉ、若旦那のお話も聞けないわぁ」

「すまん」

 ヴェアヴォルフはアラーニャに感謝し、話を続けた。無論、パワーイーグルとミラキュルンのくだりを省いて。

「昨日の夜、俺は会社帰りに都心まで出たんだ。刀一郎さんが姉さんをほったらかしにしている理由を知りたかったからだ。 どんなことであれ、知れば納得出来ると思ったんだ。でも、刀一郎さんの会社に行って聞いてみたら、定時で帰ったって言うんだ。 もしかしたら、近くで飲んでいるのかもしれないと思って、ビルの上を跳び回って刀一郎さんを捜したんだ。でも、刀一郎さんを 見つける前にセイントセイバーと会ったんだ」

 首筋に刃を据えられたことを思い出し、ヴェアヴォルフは首を押さえて口元を歪めた。

「戦いにすらならなかった。俺も一応鍛えているし、それなりに力があると思っていたんだが、やっぱりヒーローには敵わなかった。 ユナイタスや他の怪人達の仇を取れれば、と思ったんだが、思い上がりだった」

「その心意気だけで充分でさぁ、若旦那」

 ファルコが頷くと、パンツァーは単眼を瞬かせた。

「しかし、若旦那にまで手を出したとなると、これ以上セイントセイバーを放っておくわけにはいかねぇな」

「そうよねぇん。ユナちゃんだけでも大変だったのにぃ、他の社員に手を出されたら会社の存続に関わるわぁ」

 足先で口元を押さえたアラーニャは、八つの目を伏せた。

「そうですとも! そうと決まれば綿密な作戦を立て、セイントセイバーを追い詰め、我らの手で抹殺を!」

 体が固定された椅子ごと立ち上がったレピデュルスが叫ぶと、ヴェアヴォルフは震える顎を噛み締めた。

「……手を出すな」

 ヴェアヴォルフは拳を固め、四人を見据えた。

「奴に会ったら、何もせずに逃げろ。それが最善だ」

「しかし、それでは!」

 レピデュルスがキャスターを転がして詰め寄り掛けたので、ヴェアヴォルフは上擦った声を荒げた。

「俺だって悔しいさ、やりたい放題やられちまって! だけど、他に何かいい方法があるかよ!?」

 ヴェアヴォルフは片手で顔を覆い、尻尾をだらりと下げた。

「そんなもんが思い付いていたら、とっくにやってるさ! だが、何をどうすりゃいいのか解らないんだよ! このままじゃ、 ジャールも必ずあいつに潰される! だけど、俺達は怪人であいつはヒーローだ、俺達は最初から負けることが決まっているんだ!  どうしろってんだよ!」

「若旦那ぁ」

 アラーニャは立ち上がり、ヴェアヴォルフの前に跪いて細い足先で肩を支えた。

「落ち着きましょう、ねぇん? 悔しいのも辛いのもとおっても解るわぁ、私だって怪人だものぉ。でもぉ、今はゆっくりお休みに なってぇ。まずは体を治さないことには、始まるものも始まらないわぁ」

「度々すまん」

 深く息を吐いて肩を落としたヴェアヴォルフは、目元を押さえた。

「総統のくせに、気弱なことを言っちまったな。さっきのは忘れてくれ」

「兎にも角にも、今は体を治すことだけに集中なさって下さい。策は我らで練りましょう」

 ごろごろと椅子を転がして近付いてきたレピデュルスに、ヴェアヴォルフはその格好の可笑しさで少し笑った。

「そうだな。取り乱して悪かったよ。だが、セイントセイバーのことは鋭太と姉さんには話さないでくれ。俺の傷のこともだ。 何事もなかったことにして、今まで通りに営業を続けてくれ。二人だけは巻き込みたくない」

「野々宮さんも、ですかい?」

 ファルコが茶化すと、ヴェアヴォルフは両耳をぴんと立てて腰を浮かせた。

「ちょっ、おまっ!」

 だが、急に動いたせいで背中の傷が激しく痛み、ヴェアヴォルフは呻きを殺して腰を落とした。

「御安心なさっておくんなまし、若旦那。堅気のお嬢ちゃん方は、会社にも近付けねぇようにしますぜ」

 ファルコが若き上司を制すると、ヴェアヴォルフは痛みを飲み込んでから答えた。

「……ああ、よろしく頼む」

「とりあえず、今の仕事は若旦那を病院にお連れすることだ。俺が行こう」

 パンツァーが名乗りを上げると、アラーニャはしなやかに身をくねらせた。

「それじゃあん、私は他の社員達に連絡しておくわぁん」

「んじゃあ、俺は」

「ファルコはいつもと変わらぬ仕事をしておけ。私もそうしよう」

 ふんっ、と両腕を突っ張ってアラーニャの糸を千切ったレピデュルスは、立ち上がって糸を払った。

「非常事態とはいえ、今日は平日だ。営業していることにはなんら変わりはないのだからな」

「それもそうでやんすねぇ」

 少し残念がりつつも、ファルコは自分の机からマネージメント用の資料を取り出し、カバンに入れた。

「だが、俺がこんなんじゃ、今週の決闘は無理だな……」

 鋭太には任せられないし、とヴェアヴォルフは呟いてから、ファルコに命じた。

「ファルコ。すまないが、高校が終わった頃を見計らって野々宮さんに連絡してくれないか。俺達はミラキュルンとの戦いに 耐えうる状況ではないことを、ミラキュルンに伝えるように頼んでほしいんだ。直接言えればいいんだが、ミラキュルンの連絡先を 聞きそびれたままだからな」

「ですが、俺らが弱っちまっていることを教えたら、ミラキュルンに会社ごと殲滅されるんじゃないですかい?」

「あのミラキュルンだぞ。そんなことがあるもんか」

 半笑いになったヴェアヴォルフに、ファルコはからからと笑った。

「そいつぁ違いありやせんなぁ」

 支度を終えたパンツァーは上手く身動きの取れないヴェアヴォルフを抱えると、軽く挨拶してから出ていった。 それを見送ってから、アラーニャはパソコンで怪人達のアドレス帳を開き、携帯電話のメールアドレスを出した。 レピデュルスはヴェアヴォルフがいない穴を埋めるなのか、いつもよりは多い書類を自分の机に並べていった。 ファルコも怪人達の派遣先を回るために必要な書類や荷物を揃えると、二人によろしく言ってから会社を出た。 両翼で力強く羽ばたき、上昇気流を掴むために高度を上げながら、ファルコは眼下の街並みを見回してしまった。 いつもなら、見慣れすぎていて気にも留めない光景なのに、今日は無数の民家の屋根を一つ一つ見てしまった。
 そんなことをしても、鳩子は見つからない。それに、鳩子の姿を見つけたところで、何をしようというのだろうか。 駅の改札口で会った鳩子の左手の薬指には、結婚指輪が光っていた。年齢からして、きっと子供もいるだろう。 幼い頃だけ交わっていたファルコとの接点が切れ、別れ別れになった後も、鳩子の人生は続いていたのだから。 今更会いに行ったところで、夫や子供が困るだけだ。まかり間違って妙な気が起きたら、鳩子を苦しめてしまう。 なのに、アドレスを聞いてしまった。そう思っているのだから、電話を掛けることもメールを打つこともないだろうに。
 未練がましい自分が嫌になり、ファルコは急降下の姿勢を取った。頭を下にして翼を狭め、空気抵抗を減らす。 そして、重力に身を任せた。猛烈な風に包まれて街を目指して落下しながら、ファルコは身勝手なことを考えた。
 鳩子と結ばれていたら、世界征服など企んでいなかっただろう。





 


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