純情戦士ミラキュルン




第二十三話 絡み合う陰謀と欲望! 蠱惑のアラーニャ!



 酒も飲んでいないのに、饒舌になってしまった。
 アラーニャは話を終え、空のグラスを足先でくるりと回した。埃の付いたカウンターに筋が付き、地の色が覗いた。 飲んでいれば、もっと深いところまで話せたかもしれない。逆に、感極まって話にすらもならなかったかもしれない。 話してしまってから、アラーニャは後悔に襲われた。同じ会社に勤めているのだから、知られない方が楽だったか。 だが、もう取り返しが付かない。グラスを回すことを止めたアラーニャは、ぎしりと背もたれを鳴らして座り直した。

「大して、面白い話じゃなかったでしょお?」

「そうでもねぇよ」

 相槌も打たずに聞き入っていたパンツァーは、俯き加減だった顔を上げた。

「どこの世界でも、俺達みてぇな輩の扱いは変わらねぇんだなぁって思っちまってよ」

「そうよねぇ。それだけは、変わらないのよねぇ」

 アラーニャは中上両足を曲げて前のめりになり、頬杖を付くような格好を取った。

「私のどこが妖怪なのかしらねぇん。そりゃあ、ツチグモのお姉さんは怪人じゃなくて本物の妖怪だったかもしれない けどぉ、私はそうじゃないわぁ。どこにでもいるぅ、要領が悪くて生きるのが下手な女なのよぉ。それを解って下さったのはぁ、 大旦那様が初めてよぉ」

「それで、その、なんだ」

 パンツァーは言いづらそうに言葉を濁したので、アラーニャは察した。

「ああ、借金とかその辺のことぉ?」

「聞いちゃ悪いかと思ったが、気になってな。結局、どうなったんだ?」

「そんなの、もう大丈夫よぉ。大旦那様の知り合いの弁護士さんに頼んでぇ、上手くやってくれたからぁ。借金も払わなくて 済んだしぃ、持ち逃げされたお金は全部戻ってきたわぁん」

「だが、店は開けなかったんだな」

「ええ。ちょっと残念だったけどぉ、それがいいかなぁって思ったのよぉん」

「そいつぁ、またどうしてだ」

 探りを入れるようなパンツァーに、アラーニャは口元を押さえた。

「うふふふふ、知りたいぃ?」

「まさかたぁ思うが、アラーニャ、お前さんは大旦那様か旦那様に囲われたんじゃあねぇだろうな?」

「いやぁねぇ、大旦那様も旦那様も愛妻家よぉん。冗談きついわぁ」

「それもそうだな。外骨格の付いた女は抱き心地が悪ぃからな」

「心外ねぇ。その硬さが好きっていう人もいたのよぉ」

「物好きな野郎もいたもんだなぁ、おい」

「いるところにはいるものよぉん」

 アラーニャはパンツァーから一本タバコをもらうと、火ももらった。吸うのは数年ぶりだが、慣れ親しんだ味だ。 若ければ、彼の気持ちも気にせずに思いの丈を伝えていただろうが、この状況で妙なことを言うべきではない。 不本意な戦いではあるが、ジャールはセイントセイバーと交戦中だ。余計なことに気を割いている余裕などない。 いつの頃からは解らないが、気が付けばパンツァーの背を目で追わない日はなく、思い出さない時もなかった。 恋と呼ぶには激しさはなく、愛と呼ぶには控えめで、アラーニャが自分の内で自己完結出来るようなものだった。

「なあ」

 パンツァーはタバコの吸い殻が増えた灰皿に、短くなったタバコを押し付けて火を消した。

「俺達でセイントセイバーを倒せると思うか?」

「難しいわねぇん」

 アラーニャは先端の灰を落としてから、タバコを口元に挟んだ。

「ファルちゃんを空中で翻弄出来るようなスピードの持ち主なんだからぁ、私の糸で絡め取るのは無理ねぇん。 毒を注ぐのだってぇ、捕まえているのが前提だしぃ」

「俺が援護をするにしても、主砲の装填は遅いからな。廃熱にも手間取るから追撃を喰らっちまう」

「ファルちゃんが倒されちゃったのは痛いわよねぇん、私達ってファルちゃんほど素早くないからぁ」

「かといって、レピデュルスは当てにしたくねぇしな。レピデュルスは万能だが、若旦那が入院なさってる今、あいつが いなきゃ会社が回せねぇんだよな」

「そうよねぇん。私は経理だけどぉ、それ以外の仕事はよく知らないからぁ」

「それを言ったら、俺の方が知らねぇよ。年がら年中外回りだからな」

「御嬢様に負担を掛けるのも良くないしぃ、坊っちゃまは頼りたくても頼れるような御方じゃないしぃ……」

「問題山積だな」

 パンツァーはため息を零すように排気を漏らしてから、立ち上がった。

「とりあえず、続きは会社に帰って話そうじゃねぇか。ここでうだうだやってても埒が明かねぇ」

「それもそうねぇん」

 アラーニャはカウンターから出ようとしたが、一旦戻って彼の名札が掛かったボトルを取ってきた。

「はい、これぇ。せっかくだから持って帰ってぇ」

「今更そんなもんいらねぇよ、ゴミになるだけだぞ」

 口では文句を言いつつも空の酒瓶を受け取ったパンツァーは、書類が詰まったカバンの隙間に入れた。 パンツァーと連れ立って店を出たアラーニャは、敢えて鍵を閉めずにドアだけを閉め、空っぽの雑居ビルを出た。 途中まで一緒に本社に戻る道を辿ったが、アラーニャはお茶の葉が切れていたから買ってくると言い、彼の元を離れた。 パンツァーは傍を離れるなと言ってくれたが、すぐに済むと押し切ってアラーニャは跳躍し、ビルの上へ着地した。 わざと大きく高度を取りながらビルの屋上を伝って跳ね、八つの目を全て使って上空の景色を捉えながら跳んだ。 真っ直ぐに跳べば一分もしないで店の雑居ビルに戻れるところを遠回りしていると、銀色の影が視界を掠めた。
 来た。アラーニャは八本足で柔らかく雑居ビルの屋上に着地すると、するりと壁を這い降りて外から窓を開けて 店内に戻った。先程、パンツァーと話している間に雨戸を開けたのだ。二人分の紫煙が残る店内に入って数秒後、 窓が外から破られた。

「づぇあっ!」

 気迫の込められた掛け声と共に窓枠ごと切断され、荒く割れたガラス片がバーの狭い室内に降り注いだ。 カウンター裏に隠れていたアラーニャは上半身を出し、窓から入ってきた銀色の騎士を客と同じように出迎えた。

「あらぁん、いらっしゃあい」

「我が名は神聖騎士セイントセイバー! 穢らわしき怪人め、その醜さを償うならば我が剣で滅びるがいい!」

 セイントセイバーは聖剣を振り翳し、コンクリートの破片を踏みながら歩み寄ってきた。

「嫌な人ねぇん、御世辞でも美人だって言ってくれないかしらぁ」

 アラーニャは天井に貼り付くと上下逆さまにぶら下がり、糸を吐き付けた。

「アラクネット!」

「子供騙しの技など、私には通用しない!」

 頭上から降ってきた糸をセイントセイバーは払ったが、その僅かな間にアラーニャは二発目の糸を吐き出した。 その勢いと重量で聖剣は床に転げ、接着された。聖剣に注意を逸らしたセイントセイバーに三発目の糸を吐くと、 ヘルムに似た形状の頭部は粘着性の高い糸に包まれ、完全に視界を失ったセイントセイバーは後退ろうとした。

「今夜は帰してあげないんだからぁ」

 アラーニャはセイントセイバーの足を固定して壁に貼り付けてから、騎士の体の上に大きなクモの巣を作った。

「うふふふふふ、覚悟なさぁい。ファルちゃんと若旦那の仇ぃ、取ってあげちゃうんだからぁ」

「貴様、これで私に勝ったつもりか!」

 頭部を壁に固定されたセイントセイバーがもがいたので、アラーニャはその上にしなやかに覆い被さった。

「あなたこそぉ、この状態で勝てるつもりでいるのぉ?」

「私に触るな、穢れた怪人め!」

「その怪人の血でぇ、散々手を汚してきたくせにぃ、今更綺麗事をほざくんじゃないわよぉ」

 足先でセイントセイバーの首を逸らさせたアラーニャは、大きく口を開き、牙を剥き出しにした。

「お休みなさぁい、正義の味方さぁん」

 滴った毒液が銀色の外装に落ちてじゅわりと泡立って溶解すると、バトルスーツに出来た穴から素肌が覗いた。 バトルスーツを纏っているために汗の玉が浮いていて、毒液の一滴が穴から滑り落ちて首筋を伝い、流れた。 アラーニャはその穴を通じて中身に牙を突き立てるべく、首を下げると、セイントセイバーが勇ましく聖剣を呼んだ。

「目覚めよ、カラドボルグ!」

「きゃあっ!?」

 埃っぽい空気が弾け、青白い閃光が激しく瞬いた。アラーニャが振り返るよりも早く、鋭い電撃が背中を貫いた。 背中どころか全身に痺れが広がり、姿勢を保てなくなったアラーニャが滑り落ちると、床で聖剣が熱を発していた。 蛋白質製の糸は焼き切れて嫌な匂いの煙が立ち上っており、聖剣は先程の閃光と同じ青白い電撃を纏っていた。

「来い、カラドボルグ!」

 セイントセイバーが命じると、聖剣は独りでに浮かんで舞い踊り、セイントセイバーを戒める糸を断ち切った。

「ふんっ!」

 細切れになった糸を振り払ったセイントセイバーは、痺れて倒れ伏したアラーニャの前に立ちはだかった。

「小賢しい真似を。だが、所詮は怪人の浅知恵、私の正義の前には通用せん!」

「……くぅっ!」

 アラーニャは感覚の失せた八本足を突っ張って身を起こすが、セイントセイバーに蹴り飛ばされて壁に激突した。 背中に引っ掛かったテーブルや椅子が散乱し、壁が抉れ、大量の砂埃が巻き上げられて薄暗い視界を濁らせた。 その砂埃を掻き分けて歩み寄ってきたセイントセイバーは、アラーニャの首を掴むと壁に埋めるように押し付けた。

「神は寛大だ。穢らわしき命であろうと、天上では全て浄められる」

「穢れ、穢れって、うるさいのよぉ……」

 息も絶え絶えにアラーニャが言い返すと、セイントセイバーの膝がアラーニャの胴を蹴り上げた。

「黙れ!」

 砲撃のように重たい衝撃を浴びたアラーニャは、壁に埋まった背中が折れ曲がり、八本足がだらりと垂れた。

「怪人如きが口答えするな! 世界とは美しきもの、故に穢れた物体は早々に排除するべきなのだ!」

 セイントセイバーはアラーニャを引き摺り出し、床に叩き付けた。

「そうね、そうかもしれないわぁ、けどねぇっ……」

 衝撃と打撃による痛みでふらつく足に力を注ぎ、アラーニャは立ち上がった。

「怪人だってぇ、恋をするのよぉ……?」

「恋? 恋だと!? 人にもなれず、獣にもなれぬ、醜い怪人が人の真似事をするなど笑止千万!」

 平坦な声色を引きつらせながら、セイントセイバーは聖剣をアラーニャの首に据えた。

「召されよ!」

 と、セイントセイバーは聖剣を引き下ろそうとしたが、ずるりと聖剣の柄が外れて足元に転げ落ちた。

「な、んだ、これは……?」

 痺れて感覚が弱っていく右手を左手で押さえ、膝を折ったセイントセイバーに、アラーニャはうっすらと笑った。

「私の毒ってねぇ、よぉく効くのよぉ……。肌に触れただけでぇ、すっごく痺れちゃうんだからぁ……」

「この私を穢したな、この私を、神に選ばれし騎士をぉおおっ!」

 震える右手を左手で拳に固めたセイントセイバーは激昂し、倒れ込むようにアラーニャに殴りかかった。 痛みに次ぐ痛みで避けられなかったアラーニャは無防備に殴られ、転げると、セイントセイバーが馬乗りになった。

「死ね、怪人めぇっ!」

 毒による痺れで冷静さを欠いたセイントセイバーは、アラーニャの右側の足を一本毟った。

「ぎぇああっ!」

 青い体液が飛び散って足が引き千切られ、捨てられた。アラーニャは身を丸めるが、もう一本掴まれた。

「神が貴様を赦そうとも、私は貴様を赦しはしない!」

 ぶちぶちぶちと関節を繋げる膜が、筋が、破れていく。その傷口から新たに青い体液が流れ出し、床に広がった。 激痛と恐怖で胸郭の限界を超えた絶叫を上げるアラーニャに構わず、セイントセイバーは足を引き抜こうとした。

「パンツァーカノーネッ!」

 爆撃にも勝る轟音が響き渡った瞬間、雑居ビル全体が揺さぶられてセイントセイバーは手を止めた。

「今度はなんだ?」

 ごぎごぎごぎごぎ、と壁が軋みを立てたかと思うと、セイントセイバーが破壊した窓から巨体が飛び込んできた。

「アラーニャああああああっ!」

 パンツァーだった。重量に任せた体当たりでセイントセイバーを吹き飛ばした彼は、アラーニャを背後に隠した。

「空を飛べぬ貴様が、なぜ」

 カウンターに半身を埋めたセイントセイバーが呟くと、パンツァーはぎゅるっと腕のキャタピラを回転させた。

「俺の手足は無限軌道だ、壁さえありゃ這い上がれちまうもんさ」

「くそ……毒が抜けない……」

 カウンターと酒瓶の破片の下から這い出したセイントセイバーは聖剣を拾い、ふらつきながら空へ逃げた。 その気配が遠ざかったのを自前のレーダーで確認してから、パンツァーは外装を開いて蒸気を噴出した。久々に主砲を 発射したため、熱で体が重い。背部の排気筒とラジエーターがうるさく、ぢりぢりと埃が焼け焦げた。

「アラーニャ……」

 パンツァーは外装の隙間から蒸気を上げる手をアラーニャに伸ばそうとしたが、躊躇って下げた。

「なんで一人で戦おうとしやがったんだ。俺はそんなに頼りにならねぇか、見ての通りの戦車なんだぞ!?」

「だってぇ……」

 アラーニャは左側の足を上げ、パンツァーのマスクフェイスをついっと撫でた。

「私だって戦える力があるんだからぁ、使わなきゃ勿体ないでしょお?」

「戦いは男の仕事だ、お前は女じゃねぇか!」

「うふふ、ひどい言葉ねぇ……」

 アラーニャは意識が薄らいできたが、パンツァーから感じる熱で保っていた。

「ああ、あったかい……。心も体もとろけちゃいそう……」

「馬鹿、何言ってんだ、俺なんかに!」

「あなただから、言うんじゃないのぉ。鈍い人ねぇ」

 アラーニャはパンツァーの首に足先を回したが、がくんと首が仰け反って自身の体液の海に滑り落ちた。 そのまま、八つの目は閉じた。パンツァーに揺り動かされるが、アラーニャの意識が戻ることはなかった。 だが、まだ死んでいない。パンツァーはアラーニャを抱えて千切られた足を持つと、窓の穴から外へ飛び降りた。

「メタモルフォーゼ!」

 着地する瞬間に戦車形態に可変したが、上半身は人型のままにしたパンツァーはアラーニャを抱えて走行した。 本当なら、変形などしたくなかった。兵器にはなれない自分が疎ましいから、長らく封じ込めていた能力だ。 だが、人型で走っていては間に合わない。ただでさえ体温の低いアラーニャの体温が、どんどん下がっていく。 パンツァーの発する機械熱が籠もらないようにしてやりたいが、傷口から手を離せば体液がどんどん出てしまう。 市街地に似合わない走行音を撒き散らして、実車よりも大分小さいが性能は劣らぬタイガー戦車が駆け抜けた。
 民家の塀の影から二人を見送ったカメリーは、パンツァーの残した濃い排気を吸ってむせ、足元を見下ろした。 塀に寄り掛かることすら出来ずに座り込んだ芽依子は顔色が青白く、首筋は毒液が落ちた箇所が変色していた。

「行っちまったよ」

「……左様でございますか」

 芽依子は顔を歪めて脂汗を流しながら呟いたが、それきり黙り込んだ。

「このまま放っておくのは俺でも気分悪いからね、クモ姉ちゃんの毒の成分が抜けるまでは付き合っちゃうよ」

 どっこいせ、と芽依子の隣に座ったカメリーは、吐き気を堪える芽依子の背をさすった。

「正義の味方ってぇのも楽じゃないよねぇ、ホント」

 牙が突き立てられていないから、芽依子はまだ生きていられる。毒針の先端でも肌に刺さっていたら、 本当に死んでいた。アラーニャの毒は強烈だ。芽依子も怪人故に怪人の能力に耐性があるが、充分に効果がある。 せめてもの気休めに、とカメリーは自前のハンカチで芽依子の首筋を拭いてやってから、彼女の細い体を支えた。 だが、芽依子の辛く厳しい戦いはまだ終わらないのだ。カメリーは久々に他人に同情したくなったが、自制した。 下手に情を寄せれば、仕事がやりづらくなる。芽依子とは、セイントセイバーが戦いを終えるまでの付き合いだ。 けれど、ここで芽依子を放っておけば次の仕事に支障が出てしまうし、万が一倒されては金が支払われなくなる。
 利益がなければ、手助けなどしない。





 


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