純情戦士ミラキュルン




第二十四話 破壊と殺戮の狂戦士! 突撃のパンツァー!



 木曜日。
 携帯電話を閉じる手が、かすかに震えてしまった。芽依子は気持ちを落ち着けるために、緩やかに息を吐いた。 けれど、動揺は収まらない。抱えていたモップを握ろうとするが力が入らず、頭ばかり熱が回って目眩がしそうだ。 芽依子は携帯電話を入れたエプロンのポケットを押さえて、俯いた。速人から届いたメールが、嬉しすぎるからだ。
 明日は休講だから、内藤さえ良ければ一緒に出掛けよう。たったそれだけの文章なのに呼吸が出来なくなる。 それはつまり、デートということだ。どんな服を着よう、どこへ行こう、と少し考えただけで、余計に動揺してしまう。 大神家の両親に休みたいと申し出れば休めるし、ジャールから与えられている有給休暇もたっぷりと余っている。 だから、休むことには支障はない。速人が一緒なら、たとえ近所のショッピングセンターであろうとも楽しいはずだ。 芽依子は火照る頬を押さえたが、首筋から垂れ下がった銀の細いチェーンに気付き、慌てて襟元に入れ直した。

「ですけど……」

 カメリーから連絡が来れば、デートの最中であろうとも戦わなければならない。だが、この戦いを始めたのは。

「もう少しで終わるのだから」

 芽依子は自戒して表情を収め、襟元を整えた。

「ただいま、芽依子さん」

 いきなり声を掛けられて芽依子がはっとして振り返ると、玄関からグレーのスーツ姿の名護刀一郎が入ってきた。 顔は疲れているが髪や服装には乱れはなく、ワイシャツも新しいものに着替えたのか首周りは綺麗だった。

「お帰りなさいませ、刀一郎様」

 モップを持ったまま芽依子が一礼すると、名護はネクタイを緩めた。

「あれ? 弓ちゃんはいないのか?」

「弓子御嬢様でしたら、ジャールに御出社なされました」

「僕に断りもなしに、なんでそんな勝手なことを」

「刀一郎様がおられない間、弓子御嬢様は大変寂しがっておいででした。ですので、弟君である若旦那様や四天王の 皆様がお勤めになっているジャールに赴くのは、ごく自然なことかと存じ上げます」

「どうして止めなかったんだ」

「私めは使用人にございます故、家人に御意見を申し立てられる立場にはございません」

「鋭太君にはきついことを言っているじゃないか。それは意見じゃないのか?」

「鋭太坊っちゃまは未成年にございますので、旦那様と奥様からは目に余ることがあれば遠慮なく注意してくれとの 許可を頂いております」

「そりゃそうかもしれないが、弓ちゃんは危なっかしいじゃないか。ジャールなんかに行かせたら」

「御安心なさいませ。ジャールにおられる皆様方は、私めも含めまして、大神家に対しては鋼の忠誠心を抱いております。 ヒーローと交戦することがあれば、非戦闘員である弓子御嬢様を死力を尽くしてお守りいたしますでしょう」

「それでも、怪人は怪人だろう?」

「弓子御嬢様も怪人にございます」

「だが、弓ちゃんは君達とは違って普通の子だ。一緒にしないでくれよ」

 名護はジャケットを脱いで脇に抱えると、擦れ違いざまに芽依子を一瞥した。

「特に、君みたいな人間の出来損ないとはね」

 ぶつぶつと文句を漏らしながら階段を上る名護は足取りが苛立っていて、芽依子は思わず顔を背けた。 名護が好いているのは、弓子だけだ。大神家の面々に対してはそれなりに愛想は良いが、芽依子らには辛辣だ。 それとなく諌めたこともあったが、聞かなかった。名護は自身の実家と自分は違うと言うが、同類にしか思えない。
 名護の両親や兄弟は、怪人である弓子を疎んで結婚式にすら出席せずに、今も尚弓子との接触を拒んでいる。 名護は実家と弓子の間に入り、妻を守っているつもりでいるが、事態が進展することも展開することもなかった。 弓子を本当に守りたいのなら、実家との接触を断ち切るだろう。本当に仲良くしてほしいのなら、間を取り持つだろう。 だが、名護はそのどちらもしない。仕事が忙しいことを言い訳にして、実家と弓子に向き合うことから逃げている。 そのくせ、弓子に対する束縛は強い。以前、弓子が芽依子を連れ出して日中に買い物に出掛けたら怒ってきた。 名護の許可を得るようなことではないとは思うが、弓子が名護の知らない服を買ったのが気に食わないらしい。 弓子の扱いも妻と言うよりも妹のように甘ったるく、弓子が働きに出ようとすると文句を付けて家に閉じ込めた。 それでも、弓子は名護を愛している。刀一郎さんは優しい、素敵だ、と名護をべた褒めして、いちゃついている。 芽依子には名護の良さは解らない。会社では仕事の出来る男かもしれないが、差別意識の固まりではないか。 怪人一家と解った上で弓子と結婚して、大神邸に住んでいるのに、芽依子や怪人達を息をするように非難する。

「出来損ない……」

 人間の出来損ない。怪人の出来損ない。芽依子は呼吸を速め、二の腕に爪を立てた。

「嫌だ、ダメだ、ああ」

 出来損ない。半端怪人。人間もどき。裏切り者。

「や……」

 意志に反して次々に蘇る記憶に、芽依子は頭を抱えてうずくまった。忘れたいことほど頭に焼き付いている。 小学生の頃、芽依子は怪人として通学していた。そして、両親の命令に疑問を持ちながらもクラスメイトを襲った。 相手は仲良しの人間の少女と怪人の少年で、怪人の少年に応戦され、少女の泣き声に重なった罵倒を浴びた。 それ以降、芽依子は人間体で通学するようになったが人間のクラスメイトからも距離は置かれて陰口を叩かれた。 そして、怪人のクラスメイトからは様々な必殺技を受けた。怪人と人間の間にある、暗黙の了解を破ったからだ。
 怪人はヒーローと戦うが、人間を襲うことはない。余程の理由がある時か変身前のヒーローであれば別だが、 芽依子が襲った人間の少女は何の能力も持っていなかった。人外の血すらも一滴も混じっていなかった。 芽依子自身も、自分が間違ったことをしたと知っていた。だから、抵抗も出来ずにいじめられるままいじめられた。 けれど、二度と人間のクラスメイトとは遊べなかった。それは中学生になっても変わらず、芽依子は浮いていた。 今度こそまともに、と思って高校に進学したが、実家と家業が潰されたせいで半年しか通うことが出来なかった。 速人と再会出来た上に恋人にまでなれたのは、最高の幸運だ。だから、その幸せを保つためにも戦わなければ。

「芽依子?」

 再び声を掛けられ、芽依子が顔を上げると、着崩した制服姿の鋭太が立っていた。

「お帰りなさいませ。随分とお早いお帰りで」

 芽依子は取り繕いながら立ち上がると、鋭太は芽依子を覗き込んできた。

「中間だっつったろ。芽依子、なんか、顔色悪くね? ここんとこぼんやりしてるし、具合でも悪ぃの?」

「御心配なさらずに。私めは健康体にございます」

「姉貴もそうだけどさ、無理すんじゃねーぞ。てか、芽依子が倒れたら、誰がうちん中綺麗にするんだよ」

 鋭太は通学カバンをぶら下げて芽依子の傍を過ぎようとしたが、振り返った。 

「そういえば、ジャールでも馬鹿兄貴のツラを見てねーんだけど、芽依子はなんか知らねぇ? 野々宮がさ、 メールも返ってこねぇし電話も繋がらない、つって半泣きでマジウゼェからさ」

「いえ、何も」

「一昨日からファルコもいねぇし、帰りがけに寄ってみたらアラーニャもいねぇし。なんかマジ変なんだけど」

「四天王の皆様は、鋭太坊っちゃまと違ってお忙しい身の上にございます」

「俺も今からマジ忙しいし。いい加減に成績なんとかしねーとだし」

 邪魔すんなよ、と鋭太は気恥ずかしさを紛らわすために強く言ってから、階段を駆け上がるように昇っていった。 他人に優しくするのが照れくさいのだ、と芽依子は頬が緩みかけたが、使用人の体面を保つために表情を保った。 名護の言葉の冷たさとは対照的に鋭太の言葉が温かく、芽依子は胸中から込み上がるものがあり、唇を噛んだ。 けれど、怪人を倒すのがヒーローなのだ。エプロンの上から、変身アイテムであるセイントロザリオを握り締めた。
 ポケットから着信音が響いた。カメリーからのメールだ。芽依子は携帯電話を取り出し、メールを開いた。 内容を確認した芽依子は携帯電話を閉じ、モップを掃除用具の詰まった納戸に入れると、大神邸から飛び出した。
 今日の敵は、パンツァーだ。




 ただ、空しいだけだった。
 中身が完全に蒸発したウィスキーの瓶を傾け、日差しに翳した。古ぼけた名札を掴むが、握り潰せなかった。 こんなものを取っておいて、何になるだろう。ほんの少しだけ幸せだった過去の残滓が見苦しく残留するだけだ。 残しておけば、縋るものが出来てしまって精神的にも肉体的にも脆くなるだけだ。だから、潔く捨てるべきなのだ。 それなのに、いつまでもこうしている。パンツァーはため息に似せた排気を零してから、空の酒瓶を足下に置いた。
 何十枚ものシーツがはためく病院の屋上の景色は、どこの国でも大して変わらず、居心地の悪さも変わらない。 病室にいても何にもならないし、かといってロビーにいても邪魔なだけなので、彷徨った末に屋上に出てしまった。 出来ることなら、アラーニャの傍にいてやりたい。だが、パンツァーが出来ることは、大規模な破壊活動しかない。 傍にいても、彼女の痛みを和らげるどころか千切れた足を繋げることすら出来ず、己の無能さに腹が立ってくる。 だから、彼女の病室から離れたが、離れた途端に顔を見たくなって、甘ったるく作った声を聞きたくなってしまう。

「アラーニャ……」

 パンツァーは頭を抱え、砲塔の付いた背を丸めた。

「なんで俺なんだよ、他にもいくらでもいるじゃねぇかよ」

 彼女の店に通っていた頃から、心の隅で気になっていた。物腰は柔らかいが、言葉尻が寂しげだった。 常連客の男と暮らしていたことを知っていたので、好意を抱いていることを伝えることは憚られて飲み込んでいた。 だが、アラーニャは外骨格こそ変わらなかったが日に日に憔悴して、挙げ句の果てに男に金を持ち逃げされた。 その上、借金まで押し付けられていた。支えになりたいとは思ったが、どうやれば支えられるのか解らなかった。 それまで、パンツァーは女性に好意を抱いたこともなく、好かれたこともなかったので、持て余してしまっていた。 アラーニャが経理係としてジャールに就職した時は嬉しかったが、客だった頃と似たような態度を取ってしまった。 好かれているのだ、とは薄々感付いてはいたが、先に踏み込むのが恐くて同僚以上の関係にはなれなかった。

「昼酒とは、随分と景気が良いなっ!」

 太陽が陰り、病院には不似合いな声量の声が降ってきた。

「なんだ、あんたか」

 ベンチに座ったパンツァーは赤い単眼を上げると、避雷針の上に立つパワーイーグルを見上げた。

「とおっ!」

 やけに威勢良く跳躍したパワーイーグルは、パンツァーの目の前に着地した。

「生きていたのか、ティーゲルっ!」

「一応な。何度かぶっ壊れはしたが、部品を掻き集めてあるからな、しぶとく生き延びちまってる」

 まあ座れや、とパンツァーはパワーイーグルを促すと、パワーイーグルは隣に腰を下ろした。

「んで、一体何の用だ。生憎、俺はあんたと戦う余裕もねぇし、飲みに出る気力もねぇんだが」

「俺もそのつもりだとも。ヒーローたるもの、昼間から酒を引っ掛けるような趣味はない」

 パワーイーグルは口調を改め、腕を組んだ。パンツァーはタバコを銜え、着火装置で点火した。

「セイントセイバーのことを聞きてぇんなら、お門違いだ。俺はあいつのことは何一つ解らねぇんだ」

「セイントセイバーに関しては、俺は手を出すつもりはない。今、この街を守っているのは俺の娘だからな。そして、 この街を支配しようとしているのは悪の秘密結社ジャールだ。両者の戦いに割って入ることなど、ヒーローにあるまじき 蛮行だからな。正義と悪の戦いとは、信念と信念の激突であり、魂と魂の衝突なのだ」

「相変わらずの正義野郎だなぁ、パワーイーグル」

「それが俺だ。助けを求めるならば、迷わず俺の名を呼べ。人間だろうが怪人だろうが、全力で助けてやる」

「安心しろ、俺はそこまで弱くねぇからよ」

 パンツァーは肩を揺すり、笑った。スーパーヒーロー、パワーイーグルと出会ったのは、二十五年前のことだ。 その頃は、パンツァーは己の本分を見極めていなかった。そして、パワーイーグルも正義の在り方に迷っていた。 パンツァーは人型戦車として扱われ、紛争に明け暮れるテロ組織に命じられるがままに、破壊活動を行っていた。 二十五歳のパワーイーグルは己の力の大きさと強さに負け、守っていた街を放り出して紛争地帯に飛び込んだ。 パンツァーは異教徒や多国籍軍を攻撃し、パワーイーグルは絶えず降り注ぐ弾丸や砲弾の盾となり人を守った。 不毛で、狂信的で、愚直な世界でひたすら戦い続けた二人は、市街戦で敵同士として出会って拳をぶつけ合った。
 どちらも生き方を迷い、己を見失っていた。正義が何なのか、悪が何なのか、本当に得るべきものは何か。 戦って戦って戦い抜いて、それでも二人は答えを見つけ出せずに、最後には互いに意地だけで拳を交え合った。 結局、戦いの決着は付かず、紛争も止められなかった。だが、最後の最後で答えのようなものは見つけられた。

「守ることと救うことは違うんだ」

 パワーイーグルは広い背を丸め、大きな拳をマスクに当てて頬杖を付いた。

「守るなんてことは、割と簡単だ。だが、救うってのはそう楽じゃない。根本から解決することが必要なんだ」

「お前さんは誰かを救えたのか?」

「ああ、少なくとも女房だけは救えたよ。子供の頃、怪人の友達を守ろうとしたら攻撃されちまって、そのことで 随分悩んでいたんだが、俺と一緒に戦いまくっていたら吹っ切れたらしい。おかげで滅茶苦茶強くなっちまったんだが、 可愛かったところも吹っ飛んじまったのは勿体なかった」

「だが、それはお前さんがそう思ってるだけなんじゃないのか?」

「そうだな。俺は女房を救ったつもりでいるが、俺と同じ修羅の道に引っ張り込んじまっただけかもしれない。でもな、 ティーゲル、俺は思うんだ。何もしないでいるよりは、余程マシだってな」

 拳を固めたパワーイーグルは、己の力を見つめるように拳を見つめた。

「例外なく、ヒーローってのは孤独なもんだよ。女房がいても、家族がいても、そう感じる瞬間が必ずある。守るべきものが 間違っていないと信じていなきゃ、とてもじゃないが耐えきれない。だが、それはお前達怪人も同じだ」

「そればっかりは、世界がひっくり返ろうが宇宙が崩壊しようが次元が交わろうが変わらねぇ事実よ」

 パンツァーはベンチの背もたれに寄り掛かり、冴え渡った秋空を仰ぎ見た。

「だから、俺はあいつが好きなのかもしれねぇな」

「だったら、その女を全力で守ってやれ。俺に出来て、ティーゲルに出来ないわけがない」

「気安く言ってくれるぜ」

 パンツァーはタバコを一本抜いてパワーイーグルに勧めてから、自分も二本目を銜え、火を灯して蒸かした。 二十五年前にパワーイーグルと同等に渡り合えたのは、パワーイーグルのパワーが最高ではなかったからだ。 気の迷いと連日の戦闘による疲労があったため、兵器の寄せ集めに過ぎなかったパンツァーでも戦い合えた。 それがなければ、最初に拳を交えた時点でパンツァーは粉砕され、ただの鉄屑の山に姿を変えていたはずだ。 だが、スーパーヒーローと対等に話せる気分は悪くないし、友人扱いされているのは単純に嬉しいと思っていた。
 これまで、パンツァーは守りたいと思ったものはなかった。アラーニャが初めてであり、きっと最後だろう。 だから、死力を尽くして彼女を守りたい。好きだと言える時が来るまで、盾となり、矛となり、最大の武器となる。 骨の随まで兵器だから、愛情の示し方など解らない。人間の真似事が出来るようになっても、所詮は真似事だ。 冷ややかだが確かな体温を抱き、青い体液を満ちた体を持ち、他人との触れ合いに飢えた、哀れな美しき異形。 金属の固まりでしかなく、偽物の命と模倣の感情しか持たない男でも、愛おしい女を救ってやれるのだとしたら。
 この身など、壊れても構わない。





 


09 10/2