純情戦士ミラキュルン




第二十七話 宿命の対決! ミラキュルンVSヴェアヴォルフ!



 真正面から向き合った彼女は、思いの外凛々しかった。
 ハート型の赤いゴーグル。ピンクのバトルマスク。同じくハートをモチーフにしたピンクと白のバトルスーツ。 白いマントは雨を吸って重たく垂れ下がり、右手に携えられたミラキュルーレにも幾筋もの雨水が垂れていた。 普段は正義と悪の戦いになど目もくれない人々も、今日は異変を感じたのか、二人の周囲で立ち止まっていた。 ヒールの高いブーツで浅い水溜まりを踏んだミラキュルンは、力を込めすぎているのか剣先が震えていた。

「……大神君が、死んだ?」

 怒りと悲しみを必死に堪えながら、ミラキュルンはミラキュルーレの切っ先を上げた。

「そんな言葉、信じない! だって、大神君は獣人だけど普通の人で、ヴェアヴォルフさんも普通の人を戦いに 巻き込むような人じゃない!」

「甘ったれたことを!」

 祖父の形見である軍用サーベルを見よう見まねで構え、ヴェアヴォルフはミラキュルンを睨んだ。

「それは今までのこと! だが、これからは違う! 俺は貴様を本気で倒す!」

 ミラキュルンは躊躇いを振り払うため、ミラキュルーレを握り締めた。

「だったら、私も本気で戦います! 大神君のためにも、そして、ヴェアヴォルフさんのためにも!」

「ほざけ小娘!」

 駆け出したのは、ヴェアヴォルフが先だった。人垣にざわめきが上がり、連なった傘が波打って人々の目が覗く。 皆、好奇心に駆られていた。興味本位で近付いてほしくはなかったが、戦いの場を変えるほどの余裕はなかった。
 ヴェアヴォルフのサーベルがミラキュルンのミラキュルーレに噛み、街中に不似合いな甲高い金属音が上がる。 使い手のように華奢で頼りないフルーレなのに、ヴェアヴォルフのサーベルを押し返すほど強い力が籠もっていた。 軍靴で水溜まりを擦りながら後退したヴェアヴォルフは、邪魔なマントを脱ぎ捨てて、ミラキュルンに飛び掛かった。 サーベルを使っては周囲の人間に被害が及ぶかもしれない、と思い、サーベルでミラキュルーレを叩き落とした。 手首を折りかねない力で叩かれてミラキュルーレを落としたミラキュルンに、ヴェアヴォルフは渾身の拳を放った。

「ぐあっ!」

 胸を殴られたミラキュルンの体は呆気なく吹き飛び、人垣を越えて舗装に転がった。

「舐めてくれるなよ、ひよっこヒーロー!」

 サーベルを鞘に戻してから、手袋を填めた拳を手のひらに叩き付け、ヴェアヴォルフは口元を吊り上げた。

「そんなつもりは、ありません」

 泥混じりの雨水にまみれたミラキュルンは、胸を押さえて起き上がった。

「でも、これで解りました。ヴェアヴォルフさんのパワーが、どれくらいのものかってことが」

「解ったところでどうなると言うんだ」

 ヴェアヴォルフが歩み寄ると、ミラキュルンは泥水に汚れたマスクを手の甲で拭った。

「私も力加減が解りますから」

「つくづく腹が立つよ、貴様のような女は!」

 腰を落としたヴェアヴォルフに、ミラキュルンはしなやかに転身して足を振った。

「ふっ!」

 一瞬の間もなく、ヴェアヴォルフの首にヒールの付いたブーツが食い込む。息が詰まり、固めた拳が緩みかける。 後退りかけたヴェアヴォルフに、ミラキュルンは軽いステップで間合いを詰めて拳を振り上げ、顎にめり込ませた。 小柄な体のどこから出るのか解らないパワーに押されたヴェアヴォルフは上体を反らし、軍帽がずれかけた。 軍帽を押さえながら背中から倒れたヴェアヴォルフは、ミラキュルンが近付いてきた時に力一杯足払いを掛けた。 ただでさえ滑りやすい足下を掬われたミラキュルンも転び、その間にヴェアヴォルフは立ち上がって姿勢を整えた。 が、反撃の隙は訪れなかった。ミラキュルンは転倒したまま下半身を上げ、重力に逆らうドロップキックを放った。

「うっ!?」

 直撃を受けたヴェアヴォルフが転げると、ミラキュルンは膝を擦りながら着地した。

「そうは見えないかもしれませんけど、私はパワーファイターなんです。油断してほしくありません」

「そんなことは知っている。今更説明されるまでもない」

 今までの戦いで、散々思い知ってきた。起き上がったヴェアヴォルフは呼吸を詰め、再度腰を落とした。

「だが、貴様は俺のことを何も知らない!」

「あっ!?」

 いきなりヴェアヴォルフに腰を掴まれたミラキュルンは、そのまま引き倒され、バトルマスクを鷲掴みにされた。

「俺は今まで貴様と戦わずにいた、それは俺が総統だからだ! だが、もう一つ意味がある!」

 バトルマスクを掴むヴェアヴォルフの手を外そうとするミラキュルンを押さえ、ヴェアヴォルフは猛った。

「俺はジャールの総統にして最終兵器、故に手の内を知られては困るからだ! しかし、今、ジャールを守れるのは 俺しかいない! だから、最早力を封じる意味などないっ!」

 彼女のバトルマスクを握り潰さんばかりの力で掴んだヴェアヴォルフは、その頭部を舗装に叩き付けた。

「迸れ、悪の業火! ベーゼフォイアァアアアアッ!」

 ヴェアヴォルフの掛け声に従って黒と紫の炎が右手から溢れ出し、瞬く間にミラキュルンを包んだ。 ヴォルフガングから教えられた、暗黒総統の技だ。邪悪そのものの、禍々しき光を放つ魔性の炎。

「我らの苦しみ、我らの誇り、我らのプライドを思い知れ!」

 ヴェアヴォルフはミラキュルンの胸を潰すように膝で押さえ、バトルマスクを本気で砕くつもりで握った。

「ぐぅ、あっ……」

 ミラキュルンはベーゼフォイアの熱とヴェアヴォルフの重みに呻きながら、両手を離し、ハート型を作った。

「ミラキュアライズ!」

「くそっ!」

 ヴェアヴォルフはミラキュルンの上から素早く離れると、鼻先の数ミリ手前をピンクでハートのビームが抜けた。

「うぁ、あ、はぁっ……」

 ミラキュルンは黒と紫の炎を払いながら身を起こし、傷付いたバトルマスクを手で覆った。

「あなたの苦しみ? あなたの誇り? あなたのプライド?」

 雨に打たれて炎が消えると、ミラキュルンは激昂した。

「じゃあ、あなたに殺された大神君の苦しみや誇りやプライドはどうなるの!?」

「そんなもの、俺の知ったことか!」

 ヴェアヴォルフは胸が詰まりかけたが、振り払うために叫び返した。

「大神君大神君と、大神剣司は貴様の何なのだ! 大神剣司は、貴様のようなヒーローなど知らんというのに!」

「かもしれない、だけど大神君は」

「ふははははははは、滑稽だなミラキュルン! 貴様は存在を知りもされない大神剣司のために戦い、宿敵であるジャールを 守ろうとしている! その正義が守れるものは、一瞬の安らぎと瞬きのような幻想だけだ! それがいかに無駄か、なぜ解ろうとしない!」

 ミラキュルンの言葉を断ち切って猛ったヴェアヴォルフに、ミラキュルンは少々上擦った叫びを上げた。

「それが私の正義なの! 一瞬だって幻想だって構わない、私が大事だと思った人達を守りたい!」

「我らジャールの世界は、守ったところで決して明日を迎えられない世界だ! 愚かすぎて笑えてくるぞ!」

「ヴェアヴォルフさんだって、その世界を守ろうとしているじゃない! だったら、無駄なんて言わないで!」

「同じものを守ろうとも、俺と貴様では意味が違うんだぁあああっ!」

 だから、彼女にだけは守られたくない。ヴェアヴォルフは強まった雨脚で煙る視界を破り、大柄な体を躍らせた。 一瞬反応が遅れたミラキュルンはヴェアヴォルフのショルダーアタックを受けて倒され、泥水の飛沫を上げた。 ミラキュルンが起き上がる前にその腹部を軍靴で踏み付け、雨水が滴った目元の体毛を拭い、視界を晴らした。

「諦めろ、貴様如きに守られる俺ではない。そして、俺が貴様の手を借りることは、裏切りにも値する蛮行だ」

「いやぁ……」

 ミラキュルンはヴェアヴォルフの足を掴み、持ち上げようとするが、逆に体重を掛けられて踏み躙られた。

「ふぐぁあっ!」

「貴様を倒す前に、一つ言っておこう」

 もう二度と、大神剣司に戻ることはないから。ヴェアヴォルフはミラキュルンを見つめ、僅かに目元を緩めた。

「大神剣司は、野々宮美花が好きだった」

「え……」

 途端に、ミラキュルンがヴェアヴォルフの足を掴んでいた手を緩め、ずるりと落とした。

「だが、貴様がそれを野々宮さんに伝えることはない!」

 ミラキュルンの異変の理由は解らないが、この隙は逃せない。ヴェアヴォルフは、大きく振りかぶった。

「カタストローフェシュラーァアアアアアアック!」

 あらん限りの体重と腕力と、血に滾る魔性の力。全てを込めた拳が、ミラキュルンのバトルマスクに埋まった。 ミラキュルンの頭部を中心にべきりと舗装が円形に抉れ、破片が吹き飛んでヴェアヴォルフの体毛を切り裂いた。 ヴェアヴォルフの拳が生み出した凄まじい衝撃波が絶え間なく降る雨を途切れさせ、数秒の後に再び降り始めた。 拳の下ではハートのゴーグルとバトルマスクが破損して、衝撃で気を失ったのか、両手足が力なく投げ出された。
 勝った。ヒーローに勝ったのだ。ヴェアヴォルフは込み上がってくる笑いを押さえられず、肩を揺すって哄笑した。 ミラキュルンといえど、ヒーローはヒーローだ。これなら、セイントセイバーにも勝てる。ジャールの皆を守り抜ける。 ヴェアヴォルフはミラキュルンの素顔を確かめようと彼女の襟首を掴んで持ち上げたが、凍り付いた。

「え……」

 バトルマスクの割れ目から覗く目元には、見覚えがあった。

「まさか、そんな」

 ひどく動揺しながら、ヴェアヴォルフはミラキュルンの肩を支えると、ミラキュルンのバトルスーツがダメージ過多で 解除された。光の粒子が煌めき、消えると、ヒーローに変身していた者の姿が露わになった。野々宮美花だった。 精一杯着飾ってきたのだろう、長い黒髪は緩くウェーブが付いていて、大人びたネックレスが襟元に光っている。 ピンクのシフォンのワンピースは雨水を吸い込み、額に先程の必殺技による傷が付いて一筋の血が流れていた。

「おおがみくん……」

 うわごとを漏らした美花は、かくんと頭を落とした。

「野々宮さん!」

 ヴェアヴォルフは美花を揺さぶるが、彼女は起きなかった。よく見ると、両手の指の付け根には内出血があった。 力に任せて、ヴェアヴォルフを殴っていたからだろう。余裕を見せてはいたが、本当は一杯一杯だったのだ。思い出して みれば、ミラキュルンは防御しようとしなかった。あれは打たれ強いからではなく、単に余裕がなかっただけだ。 それもこれも、大神が死んだと言ったからだろう。作戦勝ちになるが、嬉しいとは欠片も思えなかった。
 ざわめきが高まり、ヴェアヴォルフに対する非難が相次いだがそれ以上にミラキュルンへの批判も多かった。 ヒーローが負けることなど、普通は有り得ないからだ。素顔を晒した美花に対する侮蔑もあり、汚い言葉ばかりだ。 あんな子供に守られてもねぇ、まともに戦えるわけがないよな、ふざけた名前だしね、やだもうこんな弱いの、など。

「世界と戦いもしない者に、戦士を侮蔑する権利はない!」

 美花を抱えて立ち上がったヴェアヴォルフは、通行人に踏まれて汚れたマントを拾い、声を張った。

「守られていることが必然だと驕り高ぶるな! 生かされている意味を知れ! 正義の尊さを認めろ!」

 汚れたマントで美花を覆ってから、ヴェアヴォルフは歩き出した。

「貴様らが認めなくとも、俺は彼女の正義を認めている」

 美花は、ミラキュルンは、大神を守ろうとしていた。そのためだけに、彼女はヴェアヴォルフと真っ向から戦った。 考えてみれば、辻褄が合う。もっと早く気付けていた事実だろうが、気付こうとしていなかったから気付かなかった。 いや、気付きたくなかったのだ。敵対している相手が恋に落ちた相手だと知ってしまったら、戦意など失ってしまう。
 腕の中の美花は想像よりも軽かった。こんなウェイトで、あれほどに重たい打撃を打てるとは信じがたい。 筋肉も薄っぺらく、骨格も貧弱な体で、ヴェアヴォルフも、大神も、ジャールの皆も守り、背負うつもりでいたのか。 君に守れるわけがないだろう、とヴェアヴォルフは口元を歪めかけたが、それを笑みに変えて美花を抱え直した。 美花の自宅に連れて行こう、と思ったが、考えてみればヴェアヴォルフは美花の引っ越した先の住所を知らない。 かといって、芽依子が帰っていないのに大神邸に連れて帰るのは良くない。体調の悪い姉に負担を掛けたくない。 だが、本社はセイントセイバーに壊された。ヴェアヴォルフはしばらく迷っていたが、社宅のアパートに足を向けた。
 安普請でも、雨は凌げるだろう。




 空は重苦しいが、気分は爽快だ。
 この日を迎えられたのは、全て芽依子のおかげだ。だが、その芽依子は戦い続けて擦り切れたので切り捨てた。 四天王との戦いで心身共に追い詰められた芽依子は、殺す寸前まで怪人を痛め付けたが、殺すのは良くない。 いくらヒーローであろうとも、むやみやたらに怪人を殺しては罪に問われる。そして、巡り巡って自分に罪が及ぶ。 それに、芽依子がいなくなれば誰が自分や弓子の世話をするのだ。出来損ないだが、芽依子は使い勝手が良い。

「そうだよ。弓ちゃんは、何もしなくていいんだ」

 名護は愛する妻を思い起こし、弛緩した笑顔を零した。

「何だよ、こんな時に」

 携帯電話から響いた着信音に軽く苛立ちながら、フリップを開いて電話を受けた。

「何か用か、カメリー。僕はまだ仕事があるんだ」

『もちろん承知してますってぇ。でもね、ちょっとまずいことになってきちゃったの』

「具体的には」

『いや、それがねぇ、若旦那が病院抜け出したのよ。んでね、ミラキュルンと戦って勝っちゃったのね』

「ヴェアヴォルフが?」

『そうなのそうなの。一度倒したからって油断しない方がいいんじゃない?』

「だったら、また倒すまでだ。僕に敵うわけがない」

『んじゃ、日程は?』

「明日の朝、採石場でだ。連中に上手く情報を流しておけよ、カメリー」

『了解しましたん。そんじゃ、お代の方をお忘れなく』

 カメリーが通話を切ると、名護も通話を切った。待ち受け画面では、弓子が明るい笑顔を浮かべていた。 その笑顔に笑みを返してから名護は携帯電話を閉じてスーツの内ポケットに入れると、指に触れたものを出した。 芽依子のものよりも一回り大きい銀のロザリオ、セイントロザリオだった。芽依子のものは劣化コピーに過ぎないが、 この本物のセイントロザリオは違う。変身後のパワーも聖剣カルドボルグとの相性も、桁違いに優れている。 ヴェアヴォルフ、もとい、義弟の剣司がミラキュルンを倒せたとしても本物のセイントセイバーには勝てまい。 勝利の確信と悦に浸りながら、名護は雨が吹き込む非常階段から空調の効いた社内に戻った。
 明日は忙しくなりそうだ。





 


09 10/16