あれから、何度メールを交わしただろう。 携帯電話を開くのが楽しみでたまらず、着信メロディーが鳴らなくてもつい開いてメールを確認してしまう。 メールを交わす回数も格段に増え、内容こそどうでもいいものばかりだが、メールを開く瞬間が心底嬉しかった。 今もまた、美花は携帯電話を開いていた。大神からのメールは届いていなかったが、読み返すだけでも幸せだ。 授業の合間の休み時間に入った教室では、皆が思い思いに集まってざわめいているが美花の耳には届かない。 美花が頬の緩みを押さえられずにいると、背後から覗き込んできた七瀬が美花の右肩に上右足を掛けてきた。 「おお、順調そうじゃん」 「あ、うん」 美花は七瀬を見上げ、はにかんだ。 「メールが来なかった時はどうしようって思ったけど、ちゃんと送ってくれるようになったんだ、大神君」 「君?」 あの人って年上でしょ、と七瀬が首を捻ると、美花は苦笑した。 「手紙を渡した時、うっかりそう呼んじゃったの。でも、それでもいいって言ってくれたから、そのまま」 「まあ、そんなに変じゃないわな。礼儀に欠けるけど」 「う」 美花が眉を下げると、七瀬は笑った。 「でも、あっちが気にしてないならいいじゃん。馴れ馴れしくて」 「どっちなの?」 美花は苦笑するが、七瀬は笑うだけだった。彼女なりに、美花の進展を喜んでくれているとは思うのだが。 美花は喜びを噛み締めながら、携帯電話を閉じた。大神からのメールが来るようになったのは先週の決闘後だ。 大神からメールが来なくてやきもきしていた美花は、やきもきしすぎて苛立ち、怪人に八つ当たりしてしまった。 そして、訳の解らない相談を持ち掛けてきたヴェアヴォルフにもきつい態度を取ったが、その後は深く反省した。 いくら相手が怪人とはいえ、あれはないだろう。次の決闘の時にはきちんと謝って、それからまた戦いを再開しよう。 「んじゃ、今度、大神君と遊びに行くか」 七瀬の言葉に、美花はきょとんとした。 「え?」 「そりゃだって、仲良くなりたいんでしょ? メル友止まりじゃなくてさ」 「ええ、ああ、うん」 「だったら、遊ぶのが一番手っ取り早いじゃん。ゲーセンでもカラオケでも何でもさ」 「だけど、私、男の子と遊んだことない……」 「今週はどうせ暇だし、私も付き合うよ。それに、まかり間違って子ウサギがオオカミに喰われたら困るし?」 「え」 それはどういう意味だ。美花が固まると、七瀬はその肩を掴んで揺さぶった。 「冗談に決まってるし、何考えてんだよ!」 「ん、でも、七瀬が一緒になると男女比が」 それじゃ大神君が気まずいかも、と美花が呟くと、七瀬は黒い外骨格で成された顎を開いた。 「んじゃ、こっちの大神も誘うか」 「え?」 美花が目を丸めると、七瀬は上右足を振り上げて教室内に呼び掛けた。 「大神ー、ちょっといいー?」 「なんだよ天童、うるせぇな」 教室の一角で固まっていた男子の集団から、オオカミ獣人の男子生徒が顔を上げ、尖った耳を立てた。 「いいからいいから、悪い話じゃないって」 七瀬は美花の机から離れると、男子生徒の袖を躊躇いもなく掴んで引っ張ってきた。 「あのさ大神、週末に私らと一緒に遊ばね?」 「なんで俺なんだよ、つかお前らとなんてマジ最悪なんだけど」 彼は心底鬱陶しげに七瀬の爪を振り払い、美花を見下ろした。その眼差しを浴び、美花は肩を縮めた。 「ごっ、ごめんなさい」 七瀬と言い合う男子を、美花は恐る恐る見上げた。大神鋭太は、同じクラスにいる男子生徒の一人である。 大神剣司と同じくオオカミ獣人なのだが、大神よりは体格は一回りほど小さく、高校生らしく骨格も成長途中だ。 ブレザーの裾から伸びた尻尾は不機嫌そうに揺れていて、茶色い体毛に囲まれる目元も不愉快げだった。 だらしなく広げられた襟元からは締め方が甘いネクタイが垂れていて、美花が苦手なタイプの男子生徒だった。 だが、七瀬はそんな鋭太に臆することなく絡んでいて、話を端から聞いていると割と話題も合っている気がする。 考えてみれば、七瀬は女子より男子と絡んでいることが多く、同性の友達の数だったら美花の方が多いだろう。 「なんだよ、それじゃ俺は数合わせってことかよ」 七瀬から理由を教えられると、鋭太は乱暴に美花の机に腰を下ろした。 「んで、野々宮、お前のオトコってどんなん?」 「ち、違う、違う、まだそんなんじゃないって! 友達、友達だから!」 いきなり目の前に迫った鋭太の背に戸惑いながら、美花は弁解した。 「お前もそいつもマジダセェのなー」 鋭太は軽薄な笑みを浮かべ、美花を見下ろした。 「そこまで言うなら行ってやってもいいけど、お前らの奢りな」 「何それ、女にたかる気?」 七瀬が半笑いで言い返すと、鋭太はかかとを潰した内履きを引っかけたつま先を振った。 「俺と遊ぼうってんだから、それぐらいしてもらわねーとなぁ?」 「何言ってんだか」 七瀬は肩を揺すり、きちきちと顎を慣らした。鋭太は荒っぽい言葉遣いで、七瀬の軽口に言い返している。 頭上で二人が交わす会話を聞いていたが、割り込むことすら出来そうにないので、美花は携帯電話を開いた。 大神に送るためのメールを打ち始めたが、程なくして予鈴が鳴ったので生徒達はそれぞれの机に戻っていった。 七瀬と鋭太も美花の机から離れたので、美花は次の授業で使うノートや教科書を取り出して机に並べていった。 大神にメールを送るのは次の休み時間にしよう、と美花はメールの文面を保存してから通学カバンに押し込んだ。 週末が来るのが待ち遠しかった。 天国から地獄とは、正にこのことだ。 大神は獣人系怪人故に顔の表情が解りづらいことをこの上なく感謝しながら、目の前の少年を見下ろした。 派手なプリントが付いただぼっとしたTシャツに腰の下で引っ掛けたジーンズ、じゃらじゃらと垂れ下がったチェーン、 目一杯敵意を込めた目でこちらを見上げてくる瞳には、身内に対する敬意どころか欠片も情が籠もっていない。 その隣では、外見に見合った可愛らしい服装の野々宮美花が身を縮め、その友人の天童七瀬がにやけていた。 顎を広げて触角を揺らしている七瀬は、他愛もない悪戯が成功した子供のように胸郭から笑みを零していた。 きっと、これは七瀬の差し金だろう。根拠もなくそう確信した大神は、数週間振りに再会した弟から目線を外した。 「どうも、野々宮さん、天童さん」 大神はまず二人の女子高生に挨拶してから、実弟、鋭太を見下ろした。 「鋭太、なんでお前がいるんだ?」 「つか、俺の方が聞きたいんだけど」 ジーンズのポケットに両手を突っ込んだ鋭太は、大神を睨んできた。 「女子高生相手に何してんだよ、馬鹿兄貴」 「何って、そりゃ、野々宮さんから誘われたから来たまでだ。ねえ野々宮さん」 大神は少しむっとしながらも、美花に話を振った。 「あ、はい、そうです! 私が大神君を誘いました!」 二人の間に流れる険悪な空気に気圧されながら、美花は頷いた。 「……大神君?」 鋭太は眉間にシワを刻み、兄に毒突いた。 「つか、こんなことしてる暇ねーんじゃねーの? 仕事しろよ、仕事」 「どっちも休みなんだよ。だから来たんだ」 その態度に苛ついた大神が言い返すが、鋭太はけらけらと笑った。 「だからって、なんで野々宮なんかに誘われんだよ。マジヤバくね?」 「野々宮さんは悪くない。ついでに言えば俺も悪くない。いちいち突っかかるお前が一番悪い」 大神は鋭太の耳を潰す勢いで頭を押さえると、鋭太はすぐさまその手から逃れた。 「触んじゃねぇや馬鹿兄貴!」 「ちょっと見ない間にまた一段とチャラくなったが、ちゃんと勉強してるのか?」 「つまんねーこと言うんじゃねーよ、マジウゼェし!」 「それと、毎度毎度思うんだが、ベルトはちゃんと腰で締めてくれ。見ている方が情けなくなる」 「んじゃ見なきゃいいじゃん」 「そういうわけにはいかないだろう。目の前に立っているんだから」 大神は反抗期丸出しの弟に辟易していたが、居心地が悪そうにしている美花に気付いた。 「あ、ああ、すみません、野々宮さん。こいつ、俺の弟なんです」 「……え?」 美花は大神と鋭太を見比べてから、七瀬に向いた。 「七瀬、知ってたの?」 「てか、ぱっと見で解らね? どっちもオオカミだし、名字も同じだし。私は最初から解ってたけど」 「だから、七瀬は大神君を誘ったの?」 「そう。なんか面白そうじゃん?」 「面白いっていうか、なんか……」 困る、と呟いた美花は、今にも兄を蹴るか殴るかしてしまいそうな弟に視線に向けた。大神はその場を 取り繕おうとしているようだったが、鋭太は兄がいることが煩わしいらしく、目も合わせない。兄がいる美花には 鋭太のやりづらい気持ちは解らないでもないが、それにしても態度が悪すぎないだろうか。 「とりあえず、行きましょうか」 大神は場の空気を変えようとするが、鋭太は大神に背を向けた。 「兄貴がいるんなら、俺は行かねぇよ。つか、こんなの、いたって面白くもなんともねぇし」 それはそうかもしれないが。大神が言葉に詰まっていると、美花が小声で呟いた。 「い、いえ、きっとそんなことはたぶんないんじゃないかなぁ……」 言い終えた途端に美花は七瀬の背に隠れようとしたが、七瀬はくるりと反転して美花を二人の前に出した。 「言いたいことがあるなら、もっとまともな文法で言いな。国語の成績はマシなんだから」 「え、で、でも」 美花はまた七瀬の背に隠れようとしたが、引き剥がされて大神兄弟の前に押しやられた。 「あ、うぅ」 二人の視線を注がれ、美花は逃げ出してしまいたい衝動に駆られたが、七瀬に促されて二人に向き直った。 「あ、あのぉ」 「んだよ」 大神が答えるより先に鋭太に答えられ、美花は後退りそうになったが、七瀬に背を押された。 「あの、あの、わっ私は、大神君と仲良くなりたいので、おぉっ大神君も一緒の方が良いと思います!」 「俺も大神なんだけど」 不愉快げに鋭太に言い返され、美花は口籠もった。 「だから、その、大神君……の、お兄さん」 羞恥に駆られたせいか、俯いた美花の頬は徐々に赤味が差した。大神は状況も忘れ、美花に見入った。 挙動不審には違いないのだが、変に可愛い。そこまでして俺と一緒にいたいのだろうか、とまで考えてしまった。 そうであったら、どれほど嬉しいか。だが、そこまで考えてしまうのは時期尚早だ。いくらなんでも短絡的すぎる。 鋭太を見やると、顔は嫌そうではあったが尻尾がゆらゆらと揺れていたので、了承したと判断して良いだろう。 「じゃ、行こうか」 七瀬が歩き出すと美花は慌ててその背を追い、鋭太は足を引き摺るような歩き方で女子達に続いた。 一番最後に歩き出した大神は、保護者みたいだな、と思いつつ、七瀬にしきりに話し掛ける美花を眺めた。 赤面が収まっていないのか、耳元と首筋も赤らんでいる。初々しすぎて、一昔どころか二三昔の女性のようだ。 恐ろしく気が弱いせいで些細なことですぐに照れてしまうのだろうが、どこを切り取っても可愛いと思ってしまう。 そんな美花と一日を過ごせると思ったから、メールをもらった日から楽しみにしていたのに、弟が登場するとは。 実弟なので嫌いではないし、彼が反抗期を迎えるまでは仲も良く、大神が実家を出るまでは頻繁に遊んでいたが、 大学入学を機に実家を出て独り暮らしを始めたこともあり、大神は鋭太と遊ぶ機会がなくなった。大学二年生の時は 姉の弓子が結婚して実家で義兄と同居を始めたこともあり、邪魔をしてはならないと顔を出す回数も減らしていた。けれど、 後から考えてみればそれが悪かったのだろう。大神は後悔の念に駆られ、弟の背を見下ろした。 いつのまにか、随分と身長が伸びていた。 09 7/2 |