翌、土曜日。 七瀬は朝早くから美花を駅前に呼び出すと、ファーストフード店の奥まったテーブルで向かい合って座っていた。 美花はいつものお喋りに興じられると思っているらしく、のんびりとアップルパイを頬張りながら紅茶を飲んでいた。 七瀬は吸い込みづらいストロベリーシェイクを啜りながら、これから美花に話すべき内容を頭の中でまとめていた。 単刀直入に攻めた方が良いだろう。これ以上手間取るのはごめんだ、と、七瀬は美花へと片方の触角を向けた。 「美花」 「うん?」 口の周りに付いた甘いシロップを舐め取り、美花は七瀬に向いた。 「必殺技、作ろうじゃないの」 「え?」 美花は面食らったが、七瀬は畳み掛けた。 「ていうか、ヒーローなんだから必殺技の一つや二つないとおかしいでしょうが」 「え、あ、う、なんでそんな急に」 食べかけのアップルパイを握って美花が戸惑うと、七瀬は美花に顔を寄せた。 「必殺技を習得してヒーローらしくなれば、もうちょっとは自信が付くでしょうが!」 「え、で、でも、そんな……」 美花が口籠もると、七瀬は爪先で美花を指した。 「この間のことだって、美花がはっきりしてりゃ事態は解決してたはずなんだし」 「う……」 美花は身を縮め、俯いた。それは正論だ。あの時、美花がきちんと鋭太が彼氏ではないと説明するべきだった。 だが、それが出来なかったばかりに鋭太は美花との関係を曖昧にし、大神は鋭太が彼氏だと勘違いしてしまった。 このままではまずい、と美花も思ってはいるのだが大神や鋭太と交換するメールは当たり障りのないものばかりだ。 放置しておけば、事態は悪化するだろう。けれど、打開策が見出せないのだと自分に言い訳して何もせずにいる。 「だから、私は美花に自信を付けてやることにした」 胸を張った七瀬に、美花は尋ねた。 「で、でも、それと必殺技とはどんな関係があるの?」 「怪人を一発KO出来れば、いくら美花でもちったぁ自信が付くと思って」 「それはもう出来てるよ」 「え?」 「あ、うん、ごめん」 美花はアップルパイの残り半分を囓ってから、続けた。 「私の力って意外に強いから、軽く殴っただけでも怪人さんは吹っ飛んじゃうんだ。この前だって、ジャールの 本社のドアをダメにしちゃったし。だから、決闘って言っても、私が一発引っぱたいて終わり、みたいな感じで」 「ちなみに、本気で殴るとどれくらいなわけ?」 「えー、と……」 美花はアップルパイをもぐもぐと噛み締めていたが、嚥下した。 「戦車が吹っ飛ぶ」 「戦車って、どんな戦車? つか、本物じゃないよね? だったらマジヤバすぎだし」 「……本物」 美花は出来る限り小声で呟き、空になったアップルパイの包みをトレーに置いた。 「中二の夏休みに、家族で海外旅行をしたの。あ、でも、行き先は観光地とかじゃなくてね、ええと、なんていうか、 荒野。だだっ広くて何もなくて、昼は溶けそうなぐらいに熱くて夜は凍えるほど寒い、とにかく何もない場所だったの。 その頃は今よりも変身能力も安定していなくて、変身後の姿もまちまちで、能力も一定じゃなかったの。だから、なんでも いいから私に場数を踏ませてヒーローとしての経験値を持たせよう、ってことで、お父さんとお母さんは私をそこに連れて 行ったわけ。で、変身させられて、廃棄された戦車とか戦闘機とかを壊せって言われて」 「壊したんだ」 「うん。壊したの。自分でも力加減がよく解らなかったから、壊して壊して壊したら」 美花は紅茶を一口飲み、苦笑した。 「全部粉微塵になってた」 「……そりゃ一発KO出来るわ」 七瀬が身を引いて座り直すと、美花はやりづらそうに目を伏せた。 「えっと、でも、変身しない限りは大丈夫だから」 「解ってる解ってる、普段の美花はポテチの袋を開けるのにも苦労するぐらいだしね」 半笑いになった七瀬は、ぎちぎちと顎を軋ませた。気まずげに俯いた美花と、話の内容が一致しなかった。 七瀬は美花のヒーロー体質を知った上で仲良くしているが、どれほどの力があるかまでは把握していなかった。 変身すれば空を飛べて怪力が発揮出来て打たれ強くなるとは知っていたが、どれほどのものかまでは知らない。 だから、美花の小さな拳が戦車を打ち砕く姿が想像出来ない。この分では、実兄の速人はもっと凄まじいだろう。 「あ、でもね」 美花は紅茶のカップを下ろしてから、説明した。 「お兄ちゃんはスピード系だから、私に比べればパワーは弱いの。だから、持久戦に持ち込んだ肉弾戦なら、 私の方が勝ち目があると思うんだ。したことはないけど。けどね、お兄ちゃんは加速を利用してソニックブームを出せるから、 広範囲の破壊力はお兄ちゃんの方が上だよ」 「ソニブー?」 「うん。ソニックブーム。ほら、戦闘機が音速を突破した瞬間に出るアレだよ、アレ」 どーんっ、と美花は稚拙な効果音を交えて手真似をしたが、七瀬には今一つピンと来なかった。 「まあ……とにかく、野々宮兄妹のスペックが中二病ってことは解った」 「うん、なんか、自分でもそう思う……」 やりづらそうに身を縮めてまた俯いた美花に、七瀬は混迷に陥った。これでは自信を付ける以前の問題だ。 元々美花には凄まじいパワーがあるが、敵対しているのは地元の零細企業なので本気を出す必要はない。 だから、必殺技など必要ない。むしろ、そんなものを身に付けられたら、悪の秘密結社ジャールが倒産してしまう。 しかし、美花がはっきりしなければ、微笑ましい恋愛劇が泥沼の愛憎劇に変わりかねないこともまた事実だった。 七瀬はきょとんとした顔の美花をしばらく眺めていたが、決断した。悪の秘密結社よりも友人の恋の方が大事だ。 「んじゃ、それ飲み終わったら行くよ」 「どこへ?」 美花に問われ、七瀬は顎を爪先で擦った。 「そうだなぁ……。定番は採石場だろうけど、近場にそんな都合の良いところもないし、せいぜい河川敷かな」 「だから、なんで?」 「マジ鈍いし。必殺技の特訓に決まってんでしょうが」 「本当にやるの?」 「やるったらやる。これも世界平和のためだからね」 「う、うん」 強引に押し切られてしまい、美花は承諾した。七瀬は、溶けたストロベリーシェイクを啜りながら考えた。 必殺技と言えば、まず大事なのがネーミングだ。インパクトがあり、それでいて中身が解りやすいネーミングだ。 ヒーロー本人の名前を交えたものでも良いだろう。ミラキュルンを上手い具合に捩ろう、と七瀬は頭を悩ませた。 当の美花はといえば、必殺技を放つのが恥ずかしいらしく特訓をする前から気恥ずかしげに眉根を顰めていた。 必殺技の技名は美花本人が考えるのが筋だろうが、そんなことをしていてはまどろっこしすぎて埒が開かない。 だから私がやるしかないんだ、と筋違いの使命感に駆られた七瀬は、ストロベリーシェイクを一気に啜り上げた。 どうせなら、とんでもなく恥ずかしい名前にしてやる。 土曜日だけあって、河川敷には人の姿が多かった。 舗装された土手の上ではジョギングをする人々がおり、河川敷のグラウンドでは少年野球の練習をしている。 整えられた芝生が生えた広場では何組もの親子が思い思いの休日を楽しんでいて、時折歓声が聞こえてくる。 彼らに迷惑を掛けてはいけないので、美花を伴った七瀬は土手を歩いて人影の少ない場所を目指して歩いた。 車通りの激しい橋の下に差し掛かると、今度は段ボールとブルーシートで作られた居住スペースが現れ始めた。 こちらにも迷惑を掛けるべきではない、と七瀬は更に歩いて、格段に人気がない雑草まみれの広場で止まった。 美花も立ち止まり、辺りを見回した。公園として整地されていた場所とは違って、平たく均されているだけだった。 芝生も植えられておらず、ネットもなく、アスファルトもなく、剥き出しの砂が日差しを浴びて白っぽく光っていた。 「ここならいいね」 七瀬は美花に向き、促した。 「ほれ、さっさと変身しろ。でないと、特訓も何も出来ないだろうが」 「え、ええ……」 美花は辺りを見回していたが、顔を伏せた。 「ここ、外だし、誰かに見られたら恥ずかしい……」 「大丈夫だって、誰も見てやしないよそんなもん。魔法少女みたいに素っ裸になるんだったらともかく、 美花の場合は服の上からバトルスーツが装着されるんでしょ? 問題ないじゃん」 「う、うん」 美花は何度も周囲を見回してから、左手首にハートのブレスレットを着け、小声で呟いた。 「変身」 ブレスレットから溢れた光が美花を包み、弾けると、ハート型のゴーグルを付けたピンクのヒーローが出来た。 「純情戦士ミラキュルン、恥ずかしいから以下略!」 美花、もとい、ミラキュルンはポーズを付けたが、一秒と立たずに解除してうずくまってしまった。 「ああ、やっぱりダメぇ、恥ずかしいー!」 「つか、いっそのこと、その羞恥心をエネルギーに変換したらどうなの?」 七瀬が冷淡に言い放つと、ミラキュルンは恐る恐る顔を上げた。 「そんなにひどい?」 「ひどい。だから、私が色々と助言してやってるんでしょうが」 「うん。ごめん」 ミラキュルンは立ち上がると、七瀬に向き直った。 「それで、必殺技だけど、どんなのがいいかな。必殺技って言っても、色んなのがあるから」 「名前はもう考えてある」 「え、どんなの?」 「初恋乙女の胸キュンエナジー、浄めのラブシャワー、ミラキュアライズ!」 「え、それ、全部が名前?」 「初恋乙女の胸キュンエナジーが枕詞で、浄めのラブシャワーが二つ名で、ミラキュアライズが技名」 「長いね……」 「嫌なん?」 七瀬が凄むと、ミラキュルンは後退った。 「う、ううん全然! ありがとう、七瀬! 羞恥心で巨大化出来そうなぐらい恥ずかしい名前だけど!」 「そこから先は自分で考えなよ、ミラキュルン。ヒーローなんだから」 「うん……」 ミラキュルンは七瀬の考えた名前に沿った必殺技を考えたが、そう簡単に思い付くものではなかった。 まず最初に、初恋乙女の胸キュンエナジーとは一体何なのだ。差し当たって、具体的なイメージが思い付かない。 次に、浄めのラブシャワーの意味が解らない。初恋乙女の胸キュンエナジーは、何の浄化作用を持っているのだ。 初恋乙女の胸キュンエナジーはそれほど万能だとは思えないし、ミラキュルンもそこまでの能力は持っていない。 そして最後に、ミラキュアライズとは何なのだ。ミラキュルン自体はミラクルの捩りだが、ライズの意味が不明だ。 ライズ、つまりは物体が出ることを意味する英単語だが、だとしたらミラキュルンはどこから何を出すのだろうか。 七瀬のいい加減なネーミングを本気で考え込んでしまったミラキュルンは、マスクを抱えて悶々とした。 散々思い悩んだ果てに、要するにハートが関わるものであればなんでもいいのでは、と妥協案を見つけ出した。 ミラキュルンはハートモチーフのヒーローなのだから、ハート型のビームでも発射すればいいのではないだろうか。 だが、今までビームなど撃ったことがない。撃てるとは聞いたことがあるが、実際に撃っているヒーローは少ない。 燃費が悪いし、飛び道具は周囲への影響が大きい。だから、結局のところヒーローは肉弾戦になってしまうのだ。 しかし、何も出さないままでは収まりが付かない。ミラキュルンはぎこちなく手でハートを作ると、前に突き出した。 「みっ、ミラキュアライズ!」 ビームが出る、とイメージしたミラキュルンが叫ぶと、手の形に合わせてハート型のピンクの閃光が発射された。 やや下向きに飛んだ閃光は河川敷を優に超えて川面に着弾し、盛大なハート型の水柱を吹き上げた。水柱の高さは 五メートル以上あり、突然の轟音に驚いた人々がそれぞれの手を止めて川面に釘付けになった。 「あ、ああ……」 思いがけない威力にミラキュルンが身動ぐと、七瀬は触角を上げた。 「うわすげー。これならナパームいらねー」 「ど、ど、どうしよう七瀬ぇっ! なんか出た、出ちゃった、出ちゃったよぉ!」 ミラキュルンが慌てながら七瀬に迫ってきたので、七瀬は一歩身を引いた。 「あんたが出そうと思ったから出たんだろうが。つか、普通はもうちょっと苦労するもんじゃね?」 「私もそう思ってた。ビームなんて出したことないし、まさか出せるなんて……」 「でも、あのままの威力で撃ったら、怪人どころか街も破壊しちゃうんじゃね?」 「じゃあ、ビームの威力を下げる特訓をしなきゃ、だね」 「だね。じゃないと、ジャールの怪人がマジ死んじゃうし」 「うん、うん、それだけはダメだよね」 ミラキュルンは何度も頷くと、七瀬の爪を取った。 「お願い、七瀬も付き合って」 「言われなくても付き合うつもりだよ。つか、それでなくてもミラキュルンは危なっかしいんだから、誰かが 見ていないと、うっかり地球をぶっ飛ばしかねないビームを撃つかもしれないしね」 「私なんかじゃ、そこまでのパワーは出せないよ」 苦笑いを零したミラキュルンに、七瀬はその腕を引っ張って河川敷に向かった。 「んじゃ、とっとと特訓しようか。決闘に間に合うようにさ」 及び腰になっているミラキュルンを引き摺るように、七瀬は吹き上がった水滴が散った砂地に降りていった。 マスクに覆われた顔の表情は解らなくても、感情は手に取るように解った。不安で不安でたまらないのだろう。 七瀬の爪に掴まれている右手は弱々しく握られていて、気合いを入れようにも入れられない心境が伝わった。 ビームまで撃ったのだから腹を括ってくれ、と思ったが、逆に考えればあれほどのパワーは彼女自身にも脅威だ。 自信を持ちすぎて過剰な力を振り回すのも厄介だが、だからといって卑屈になりすぎるのも困り者だ。双方の 丁度良い間を取れるようになれば、美花もミラキュルンも人並みに強くなれるはずなのに。 こんなことでは、悪の秘密結社ジャールが本当に世界征服してしまいそうだ。 09 7/24 |