純情戦士ミラキュルン




パワー・オブ・ジャスティス! 熱血豪快・パワーイーグル!



 数ヶ月振りのロサンゼルスは、夜を迎えていた。
 だが、街並みに光はなかった。無数のビルも数多の民家も全て光を失い、都会の喧噪までもが消え失せていた。 月明かりだけが眩しく、太平洋の潮騒が耳障りだ。吹き付ける風もいやに生温く、まるで人間の吐息のようだった。 シーズン中であるにも関わらずドジャースタジアムも静まり返って、メインストリートには車一台通っていない。それは フリーウェイも同じことであり、乗用車はおろか長距離トラックの影すらなく物音も聞こえない。人々に夢を与える場所 であるディズニーランドもまたイルミネーションは全て消えていて、分厚い暗闇に塗り潰されていた。
 パワーイーグルは空中に止まり、都市を見下ろした。その傍には、鳩子、もとい、ピジョンレディも浮かんでいた。 最大速度で飛行して帰還したが、一目見ただけで異常事態だと解る。停電の類なら、パトカーがやかましいだろう。 人間どころか人外の姿もなく、野良イヌも吠えていない。まるで、万物の命が吸い取られたかのようだ。

「ヘルズゲートの本拠地は、地底基地だと言ったな」

 パワーイーグルは翼に似せたマントを広げながら、ピジョンレディに尋ねた。

「ピジョンレディ、君はどこから入ったのだ?」

「出入り口を探そうと思ったんですけど、見つからなかったので下水道からです。……匂いましたか?」

 ピジョンレディが純白のハトを模したバトルマスクを伏せると、パワーイーグルは笑った。

「いや、全く! 君の芳しき香りしかしなかったぞ!」

「そう言われる方がもっと恥ずかしいかも……」

 ピジョンレディはパワーイーグルを正視出来ずに顔を逸らしたので、パワーイーグルはその肩を抱いた。

「俺が来たからにはもう安心だ! 地下だろうが地底だろうが、俺の拳で切り開けぬものはない!」

「はっ、はい!」

 肩に触れるパワーイーグルの手を意識しながらも、ピジョンレディは頷いた。

「さあっ、行くぞピジョンレディッ! この俺と君が手を組んだからには、倒せぬ悪など存在しない!」

 パワーイーグルが太い指で上空を指し示した瞬間、一筋の光が街から溢れ、夜空を目指すように伸びていった。 二人はすぐにそれに気付くと、身構えた。一点だけだった光は二つに増え、その倍に増え、更に倍数に増殖した。 整った街並みに走る道路を伝い、ビルを貫き、民家の密集地帯から現れ、点と点が繋がって線と化した。十数秒で 無数の光は形を成し、街を下地にして、ほとんど円形に見える七十二角形を完成させた。七十二角形の内側には 六芒星が生み出されたが、その線はいずれも細かなルーン文字が連なったものだった。宗教的な知識がなくとも、 魔術の類だと解る。そして、吹き付ける風の匂いが一変し、生臭い死臭になっていた。錆びた金属を擦り合わせる ような、乾いた砂を混ぜ合わせるような、粘液を泡立てるような声が聞こえた。地の底から響いてくる禍々しい声と 臭気に気圧されたピジョンレディが身動ぐと、パワーイーグルは肩を支えた。

「不安を抱くな。それは、君の正義を惑わせる」

「……はい!」

 ピジョンレディは強く頷いてから、パワーイーグルの手に自分の手を重ねて握り締めた。

「来るぞ!」

 光の束が収束し、夜空を焦がさんばかりに膨張した。そして、光の洪水が爆ぜ、夜が凝結した異形が出現した。 山を包めるほど広く、海を掬えるほど巨大な四枚の翼を背負い、獣じみた毛が生えた頭部には一対のツノがある。 美しさすら感じるほど完成された肉体には隙間なく筋肉が付いていて、竜のそれに似た尻尾がビーチを両断した。 片手を地に着けばドジャースタジアムが押し潰されて瓦礫と化して、一歩踏み出せば高層ビル街が廃墟と化した。 血よりも濃い深紅の瞳の下には巨木のような太い牙が生え揃い、呼気を零すたびに死臭が増大した。
 理屈など必要なかった。この異形が魔王であることを認識するためには、一目見るだけで充分すぎるほどだった。 魔王の爪や指が触れている地上では、ヘルズゲートの手で悪魔じみた怪人に改造された人々が倒れていた。冥府 と現世を繋ぐ門から魔王の体が引き摺り出されるたびに、魔法陣の一角を成していた人々の姿が薄くなる。命のみ ならず、肉体までもを吸収されたからだ。召還を行ったであろう幹部怪人達もまた、中心部分で倒れていた。だが、 彼らの影は最早視認出来るほどではなく、儀式のために纏っていた黒いローブだけが道路に落ちていた。命を吸う たびに、魔王は影を濃くした。木々に触れれば枯れ葉が落ち、川に触れれば腐った汚水となった。魔王はまだ半身 を出しただけだが、それでもこの威力では、全身が出てしまったらアメリカだけでなく世界の全てが。

「待てぇいぃいいいいいっ!」

 パワーイーグルは迷わず魔王の目前に飛び出し、魔王を指して叫んだ。

「命を奪うばかりか世界を汚す悪の中の悪めがっ! このパワーイーグルの拳で成敗してくれるっ!」

「愚かしき人間か」

 地鳴りのように重たいが、高潔なほど穏やかな声色で、魔王は言葉を発した。

「我は呼び出された。故に現れた。ただ、それだけに過ぎぬ」

「だとしてもだっ! 貴様が現れたことで人々が死んでいくっ! 俺はそれを見過ごせないのだっ!」

「我は神の敵対者にして地獄の支配者。神が成す逆を成す、それが道理というものだ」

 パワーイーグルの身の丈の数倍はある魔王の眼球が見開かれると、パワーイーグルに衝撃波が襲い掛かった。 だが、それはただの衝撃波ではなかった。エネルギーを帯びた暴風が触れた部分から、力が奪い取られていった。 防御姿勢を取っても、防御のために出した腕の力が奪われ、パワーイーグルは煽られるがままに吹き飛んだ。

「おおおおおおっ!」

 一瞬で数百メートルも後退したが、パワーイーグルは姿勢を制御して再び魔王と対峙した。

「パワーイーグルさんっ!」

 ピジョンレディはパワーイーグルの元に近付こうとするが、パワーイーグルは彼女を制した。

「無闇に近付くなっ! それだけで敵に隙を与えるっ!」

「ごめんなさい、でも、随分と消耗したはずだから……」

 ピジョンレディはパワーイーグルに手を伸ばそうとしたが、引っ込めた。

「この程度のダメージッ、喰って寝ればすぐに治るっ! だがっ、ここで戦わなければ間違いなく世界は滅ぶっ!」

 パワーイーグルは拳を固め、魔王に宣言した。

「勝負だっ! 魔王よっ!」

「我に敵う者はあらず。それが、神であろうとも」

 魔王はゆらりと腕を上げると、パワーイーグルに向けた。ただ、それだけの動作で、死臭の暴風が巻き起こった。 ピジョンレディが煽られないようにと自らの肉体を盾にして暴風を阻み、パワーイーグルはマントを広げて滑空した。 バトルマスクに内蔵されているセンサーで感知したところ、魔王の腕の長さだけでも三百メートル以上もある。単純 計算でも、全長は六百メートルはある。近付くだけでも一苦労だが、懐に入らなければ戦いにならない。急降下して 光源が一切ない街中に飛び込んだパワーイーグルは、ダウンタウンの隙間を縫うように飛び回った。魔王の足元は 見えず、腰から下は没している。それに近付こうとすれば、魔王の拳と竜に似た尻尾が振ってきた。たとえ、魔王を 転ばせることが出来なくても、ウィークポイントを作りさえすれば。そのためには、まずは魔法陣を。

「パゥワァアアアアアアアアアアッ!」

 両足をアスファルトに擦り付けながら着地したパワーイーグルは、溜めに溜めたパワーを拳に込めた。

「ナッコォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 全体重を載せた拳がメインストリートに埋没した次の瞬間、地割れが一直線に路面を駆け抜けていった。パワー イーグルを中心にして直径十メートルものアスファルトが抉られると、爆撃に匹敵する暴風が吹き荒れた。水道管、 マンホール、下水管、電線、などといったライフラインが地表に露出した途端、衝撃波を浴びて断絶した。

「続いてぇえええええええええっ!」

 拳を引き抜いたパワーイーグルは、地割れに両手を突っ込み、そのまま押し広げた。

「パゥワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ、デストラクショオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 道路が、街が、地面が、大地が引き裂かれた。人智どころか物理的常識をも超越した、正義の破壊行為だった。 パワーイーグルが作り出した全長二千メートル以上の断裂は、魔王の腰を支えている魔法陣の角を崩壊させた。 全七十二角のうち、半数以上が崩れた。二千メートル以上の断裂から派生した断裂が、街並みを一変させた。魔王 が接近しても辛うじて無事だったビルは倒壊し、断裂の真上にあった民家が崩れ落ち、消火栓が破裂した。

「ぬ……」

 魔法陣が崩されたことで姿を保ちきれなくなった魔王は、闇を凝らせたような体が透き通り始めた。

「貴様、それでも人間か」

 有り得ない腕力を見せつけたパワーイーグルに、魔王ですらも少し呆気に取られたようだった。

「ふはははははははははははははぁっ、俺は人でありながら人を越えた存在っ、スーパーヒーローなのだっ!」

 アスファルトの破片が付いた指を引き抜いて立ち上がったパワーイーグルは、胸を張った。

「当たったらごめんなさい、パワーイーグルさん!」

 魔王がパワーイーグルに視線を向けている隙を見計らい、ピジョンレディは無数の白い羽根を出現させた。

「フェザァアアアアアアアアアアア!」

 夜空の星々のように淡い光を放ちながら、ピジョンレディを取り巻いている羽根の数が声と共に増殖する。

「インフィニティブレッドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッ!」

 死の闇に支配されたロサンゼルスに、流星雨が降り注いだ。増殖に次ぐ増殖の末、羽根の弾丸は夜空を覆った。 その様は、現世に現れることが出来ない天使に成り代わって、ピジョンレディが天使と化したかのようだった。だが、 その純白の羽根は無慈悲な破壊力を持っていた。主の意志に従って舞った羽根が、道路も街も打ち砕く。倒壊した ビルは蜂の巣になり、引き裂かれた道路は粉微塵になり、原形を止めていた民家も破壊された。無差別で無遠慮な 爆撃は一分や二分では終わらず、ピジョンレディが力強く咆哮を放つ限り、続いていた。

「はあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 白き平和の使者を模したヒーローが放つ攻撃が、魔王に掠るようになると、没し、炸裂し、影が白に制される。

「馬鹿なっ……」

 動揺を見せた魔王はピジョンレディを叩き落とすべく、腕を上げるが、すかさずパワーイーグルが飛んだ。

「パゥワァアアアアアアアアアアアッブレェエエエエエエエイクゥウウウウウウウウッ!」

 パワーナックルよりも若干力を押さえているが故に速く繰り出せる必殺技を放ち、魔王の右腕を貫いた。

「なんだと……! 実体化もしておらぬ我に触れたばかりか、破壊するとは……」

 パワーイーグルが貫通した部分から影が崩れ、ぼろりと骨も筋も綻んで落下し、魔王は唖然とした。

「はーっはははははははっ! この俺の正義の前ではいかなる物理法則も無力っ、無力っ、無力ぅうううううっ!」

 パワーイーグルは魔王の体に触れたためにまとわりついた黒い霧を払い、哄笑した。

「今だぁっ、ピジョンレディイイイイイイイイッ!」

「解りましたぁっ! ピィイイイイイイイイイイイイッス!」

 ピジョンレディは無数の羽根を纏ったまま、次なる必殺技を放つ態勢に入った。

「ピュアリフィケイショオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 羽根の範囲が拡大し、拡大し、拡大し、ロサンゼルスだけでなくその周囲の街も海も山すらも覆い尽くした。真夜中 に現れた新たな夜明けのようだった。その中心では、ピジョンレディが両腕とマントを最大限に広げていた。バトル マスクの下でぐるりと視線が動かされ、翼を広げるように両腕が振り上げられると、羽根は巨翼と化した。

「羽ばたけぇええええええええっ、愛の翼ぁあああああああああああっ!」

 ピジョンレディが命じると、魔王すらも遙かに超越した大きさの神を思わせる巨翼が羽ばたいて影を包んだ。白い 光と温かな熱の洪水の中、パワーイーグルは駆け出した。魔王は、今、ピジョンレディが拘束してくれている。一回り も年下の彼女が、これほど広範囲の攻撃を行えるとは思っていなかったが、長く持つ技でもないだろう。先程行った 絨毯爆撃で、心身を消耗しているはずだ。パワーイーグルは断裂に添って走りながら、異変の原因を探した。至る 所で割れている上水道と下水道から噴き出した水を浴びながら、僅かな異変も見逃さないように凝視する。魔法陣 を壊しても魔王が消えないと言うことは、地底基地そのものを破壊しなければ今回の危機は去らないということだ。 蓋の飛んだマンホール、千切れた電線、乗客のいない地下鉄、トンネル、などを駆け抜けながら識別する。
 そして、見つけた。今は使われていない古い下水道の側面に、魔法陣が刻まれた鉄製の扉が填められていた。 パワーイーグルは引き裂いたアスファルトの内部から飛び出したケーブルと配管を蹴散らし、身を投じた。拳一発で 鉄製の扉を叩き割ると、古い下水道を改造して作られた広い空間が現れ、そこかしこから浸水して床が水浸しに なっていた。何人か幹部怪人がいたので拳を振るって呆気なく倒した後、召喚術の術者を探した。

「貴っ様かぁあああああああっ! 魔王を召喚したのはぁああああああああああっ!」

 崩れかけた下水道全体が震えるほど声を張り上げたパワーイーグルに、首領と思しき男が逃げ出した。

「逃ぃがぁすかぁあああああああああっ!」

 一瞬で間を詰めたパワーイーグルが捕らえたのは、怪人ではなく、中世の魔術師のような格好の男だった。

「おい、そこの貴様あああああっ!」

 命乞いをしながら逃げ出そうとする男を押さえ付けたまま、パワーイーグルは手近な怪人を呼び止めた。

「はいっ!」

 圧倒的な恐怖のせいでやけに良い返事をしたヤギのような怪人を睨み付け、パワーイーグルは男を揺さぶった。

「何をどうすれば魔王は消えるのだっ、さあ教えろっ、教えなければ貴様らの明日はないと思えっ!」

「そ、そこにある祭壇を破壊してしまえば、恐らく……」

 がくがくと震えながらヤギのような怪人が部屋の奥を指すと、生き血の滴る供物が捧げられた祭壇があった。

「いよぉおおおおっしぃっ!」

 パワーイーグルは大きく振りかぶって男を祭壇に投げ付け、両者を一撃で倒してしまうと、怪人達を見回した。

「さあ、次は誰だっ! 俺と戦いたい奴がいればっ、とっとと名乗り出ろぉおおおおおっ!」

 悪魔の姿を模した怪人達は顔を見合わせたが、誰も前に出てこなかった。それどころか、逃げ出す姿勢だった。 パワーイーグルはそれが不満だったが、余計な手間を喰いたくなかったので、彼らには手を出さずに外に戻った。 大災害の直後か空襲後かと見紛うほどの惨状になったロサンゼルスを駆け抜けてから、浮上し、魔王と対峙した。 祭壇を破壊し、術者を倒したからか、魔王の影は薄らぎつつあった。腕どころか、肩も翼も崩壊していく。

「貴様、名は」

 魔王が鈍い声で尋ねると、パワーイーグルは思い切りポーズを付けた。

「熱き正義の漲る猛鳥、パゥワァアアアアアイィーグルゥウウウウウウウウウウッ!」

「その名、胸に刻んだ。決して、地獄には招かぬ。そこの女もだ」

 冥府へと通じているのか、地面の断裂にずぶずぶと埋まりながら、魔王は口元を歪めた。

「貴様らなどを地獄に導いてみよ、我らと神が保ち続けた秩序が失われてしまうからな」

 影が、夜が、闇が、魔王と共に沈んでいく。

「さらば、現世の愚者達よ。我らが安息の世界に来たることなかれ」

 ロサンゼルス全体を埋め尽くしていた影が地面の断裂に吸い込まれ、消えると、計ったように東側の空が光った。 朝日が昇ってきたのだ。パワーイーグルはピジョンレディの傍に浮かび、朝日が都市を染めていく様を見下ろした。 達成感も感じていたが、やりすぎた、とも思った。全長二千メートル以上の断裂による被害は、甚大すぎたからだ。 どうにかして修復しなければ取り返しの付かないことになるが、パワーイーグルの能力では修復は不可能だ。

「私達、地獄の王様に嫌われたみたいですね」

 ピースピュアリフィケイションを解除して無数の羽根も消したピジョンレディは、いくらか呼吸を荒げていた。

「そのようだな。つまり、当分は死ぬことはないと言うことだな?」

 パワーイーグルが肩を揺すって笑うと、ピジョンレディはパワーイーグルの屈強な腕に触れた。

「そういうことになるんでしょうか。でも、だからって、無茶しないで下さいね?」

「世界を守るためならば、俺の一人や二人など!」

 パワーイーグルが意味もなく胸を張ると、ピジョンレディはバトルマスクの下で苦笑した。

「言った傍から、もう……」

「君の力を貸してくれ、ピジョンレディ! 俺のパワーと君の能力で、街を元に戻すのだ!」

 パワーイーグルが分厚く骨張った手でピジョンレディの手を取ると、ピジョンレディは頷いた。

「はい!」

 二人は繋ぎ合わせた手を高々と掲げ、互いの内なる力を解放した。

「パゥワァアアアアアアアアアアアアアアアアッ、ピュアリフィケイショオオオオオオオオオオオオンッ!」

 羽根の弾丸よりも柔らかく、純白の翼よりも眩しい光の雨が、激戦で傷付いた街や道路や建物へと降り注いだ。 光の粒が触れた箇所から、建物や道路が元に戻っていき、破裂した水道管も生き物のように伸びて繋がり合った。 魔王を呼び出すための生け贄にされた改造人間達は、光の粒が触れると本来あるべき姿を取り戻した。きつく握り 合わせた手は痛いほど力が籠もっていて、グローブ越しであっても触れ合った肌から伝わるものがあった。ピジョン レディの手は震えていて、指先は冷え切っていた。パワーイーグルが死なないか、余程不安だったのだろう。それを 感じたパワーイーグルはピジョンレディを抱き寄せ、そのバトルマスクにマスクを寄せた。

「俺は死なん」

 過剰な腕力で華奢な体を壊してしまわないように気を遣いながら、パワーイーグルは彼女を抱き締めた。

「もう一度言おう。俺は君が好きだ、鳩子」

「私も、鷹男さんが好きです」

 ピジョンレディはパワーイーグルの胸元にバトルマスクを当て、恥じらうように肩を縮めた。

「好きじゃなかったら、追い掛けたりしません。それに、私も、皆も、街も、魔王のことも助けてくれたから」

「当たり前だ。それが、ヒーローってものだからな」

 パワーイーグルはバトルマスクの下で目を細め、彼女の背を撫でた。ピジョンレディは、むず痒そうに身を捩った。 あれほどの力を持っているピジョンレディがヘルズゲート程度に勝てないはずがない。きっと、手加減したのだ。誰も 傷付けまいとして、戦う時に戦えなくなった挙げ句、敵は世界征服作戦の最終段階に至ってしまったのだろう。その 気持ちは崇高だが、時として枷にもなる。だが、パワーイーグルなら壊せると踏んで助けを求めたのだろう。実際、 パワーイーグルは破壊した。敵も、街も、何もかもを破壊し、ピジョンレディの躊躇いも破壊出来たようだ。
 ピジョンレディは顔を上げてマスクだけを解除したので、パワーイーグルもマスクを解除して口元を曝した。ピジョン レディは乾いた唇を舐めて潤してから身を乗り出してきたので、パワーイーグルは首を下げて近寄せた。
 唇を重ねると、正義をも超えた最強の力、愛情が溢れてきた。




 随分、懐かしい記憶だった。
 薄暗い天井、酒臭い空気、温かな感触。鷹男は動作の鈍い頭を働かせて、状況を確認しようと上体を起こした。 テーブルには鳩子の壮絶な手料理が残され、ワイン、ウィスキー、ビール、焼酎などの数多の空瓶が散乱している。 フローリングには自分の衣服が脱ぎ散らかされているが、酒を飲んで暑くなったので脱ぎ捨てたのだろう。若い頃は 浴びるように飲んでいた酒も近頃は大分控えていたが、久々だったので飲み過ぎてしまったようだ。鷹男の傍らでは その鳩子が熟睡していて、ダイニングに面したキッチンではファルコが死んだように潰れていた。まさか、と鷹男は 慌てて起き上がるが、一応下半身に服が残っていた。といっても、下着一枚だけではあったが。鳩子はといえば、 こちらも服を着ている。白と赤のパーティドレスで、胸元が開いたドレスだが裾は乱れていない。空気はひたすらに 酒臭いだけで、事に及んだ名残はなかった。鷹男は、命を落とす危機を脱した時よりも安堵した。

「邪魔するぜ」

 前触れもなくリビングのドアが開いたので、鷹男はぎょっとした。

「ティーゲル!?」

 リビングに入ってきた戦車怪人の本名を呼ぶと、おう、とパンツァーは弱く答えた。

「しっかし、なんだよこの酒臭さは。いくらクリスマスっつったって、お前さん方、どれだけやらかしちまったんだ」

「覚えているようで覚えていないな」

 鷹男が頭を振ると、パンツァーはファルコを担ぎ上げた。

「やらかしすぎたせいで、お前さんの子供らは帰るに帰れなかったんだ。だから、坊ちゃんは御屋敷で、お嬢ちゃんは 若旦那の部屋に泊まったんだとよ。お前さん方が悪いんだから、後でぐだぐだ言うんじゃねぇぞ」

 おい生きてるか、とパンツァーは白目を剥いたファルコを小突いてから、砲塔の上に背負った。

「ついでに、服を着たらどうなんだよ。いくらスーパーヒーローつっても、そんなんじゃあ風邪引くぜ?」

「うむ、それはそうだな」

 鷹男は素直に忠告を受け入れて服を拾おうとしたが、鳩子ががっちりとしがみついているせいで動けなかった。

「俺は助けねぇからな。アラーニャ以外の女になんざ、金を寄越されたって触れたくもねぇ」

 パンツァーはファルコを引き摺りながらリビングを出たが、一度振り返った。

「そうだ、鍵、返しとくぜ。坊ちゃんが貸してくれたんだよ、ファルコを助けてやってくれってな」

 パンツァーに投げ渡された鍵を受け取り、鷹男は自嘲した。

「度々すまんな。速人にも謝っておかねばならんな」

「全くだよ。あばよ、スーパーヒーロー。次に酒を飲む時は、俺も誘ってくれよな」

 パンツァーはリビングのドアを閉めると、まだ目を覚まさないファルコに言葉を掛けながら、玄関から出ていった。 彼の重厚な足音が遠ざかってから、鷹男はもう一度立ち上がろうとしてみたが、鳩子は鷹男の腕を放さなかった。 寝言にも至らない吐息を漏らした鳩子の首筋にはルビーのネックレスが、赤らんだ耳朶にはピアスが輝いていた。 それを見て、鷹男はにやけてしまった。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかったが、プレゼントした甲斐はあった。 巻き添えを食ってしまったファルコには、さすがに悪いことをしたが。
 鳩子の手料理は、鷹男であっても恐ろしいと思う代物だ。なんとか食べられるのは、鳩子への愛情があるからだ。 だが、ファルコは違う。彼も鳩子が好きだが、子供の頃の友情の延長なので、鷹男のようには突き抜けていない。 後でファルコにも謝ろう、と珍しく反省しながら、鷹男は鳩子を寝室に連れていくために抱き上げた。
 
「鳩子。俺は君を守れているか?」

 鷹男が優しく声を掛けると、鳩子は悩ましく呻いた。だが、目を開くことはなく、鷹男の胸元に額を擦り寄せてきた。 出会った頃より手足も背丈も伸びて美しさを増したが、寝顔は変わらずに幼く、あの頃の気持ちが呼び起こされる。 鷹男は鳩子の乱れた髪を撫で付けてやってから、笑った。どこもかしこも酒臭かったが、愛おしい彼女の匂いだ。
 ありとあらゆる悪を倒し、ありとあらゆる敵を滅ぼし、ありとあらゆる平和を作ったからこそ今日という平和がある。 鳩子は子供達と暮らすことを何よりも望んでいたが、そう思った傍から新たな敵が現れ、戦いが始まってしまった。 子供達が幼い頃など、鳩子は頻繁に泣いていた。速人が、美花が、と子供達の名を呼んで鷹男に縋って泣いた。 電話を掛けて声を聞けば切なくなるから、手紙を書けば返事が欲しくなるからと鳩子は会いたい気持ちを堪えた。 鷹男も子供達に会いたかった。普通の家庭を作りたかった。だが、戦いを止めれば世界は呆気なく滅んでしまう。 世界が滅べば、子供達と住むことも出来なくなってしまう。だから、鷹男は鳩子と力を合わせて戦い抜いた。そして、 やっと平和を手に入れることが出来た。新たな巨悪が現れるまでの僅かな猶与かもしれないが、幸せだ。
 他でもない、鳩子が幸せだからだ。







09 12/13