純情戦士ミラキュルン




暗黒参謀ツヴァイヴォルフVS魔法少女まじかるチェリー!



 鋭太、もとい、暗黒参謀ツヴァイヴォルフは、最近読み慣れてきた参考書を膝に広げていた。
 三学期が始まると大学入試試験を終えた三年生だけでなく、進級に必要な単位を取るために二年生も殺気立つ。 ツヴァイヴォルフのように底辺を這いずっている者達なら尚のことで、その時ばかりは素行も目に見えて良くなる。 二年生に進級した時も赤点すれすれだったが、今年はきちんと勉強して点数を取って無事進級しなければ。ちえり の件は差し引いても、勉強する気になったのは良い機会だと自分でも思うし、だからこそ踏ん張らなければ。

「何真面目っちゃってんの、坊っちゃまー?」

 だが、ぬるぬると光沢を持つ触角状の目で視界を遮られ、ツヴァイヴォルフの集中力は削がれた。

「邪魔すんじゃねーし! てか、そっちは決闘に集中しろっての!」

 参考書が濡れたら事だとツヴァイヴォルフは身を引くが、ナメクジ怪人ナクトシュネッケは近寄ってきた。

「べーつにいいじゃないっすかー、相手は魔法少女なんすよね? 俺のキモさの敵じゃないっすよ、マジで」

「そりゃミラキュルンはああかもしれねーけど、まじかるチェリーは別かもしれねーじゃん」

「俺のキモさを舐めちゃ困るんすけどー」

「いや、頼まれたって舐めねーし」

 ツヴァイヴォルフは参考書の無事を確かめて、再び膝の上で広げた。ナクトシュネッケは、へらへら笑っている。 戦う相手が女の子だからというだけで無条件に喜んでいるらしく、強酸性の胃液混じりの体液を口から零していた。 その度にナクトシュネッケの足元からじゅうじゅうと奇妙な煙が立ち上り、生臭く苦酸っぱい異臭が鼻を突いてくる。 嗅覚が鋭いツヴァイヴォルフにはたまったものではないが、注意しようにも不用意に触れたら皮膚が焼ける。ナクト シュネッケはジャールでは希な元人間の怪人だが、ある意味では一番言動が怪人らしいかもしれない。
 今、二人がいるのは街外れの寂れた駐車場だった。地主は大神家なので、使用するのはこれといって問題ない。 ここのところ、悪の秘密結社ジャールに届いた挑戦状を捌くため、ほとんどの怪人達が決闘に駆り出されていた。 中堅どころの超迅戦士イダテンダー、甲虫拳士インセクター、豪海神リガンリューは、四天王の総力戦で打倒した。 一人倒すだけでも四天王はかなり消耗したが、名護、もとい、暗黒騎士ベーゼリッターの助力で乗り切った。そんな 状態だったので、最も恐ろしい大ベテランのヒーロー、鳳凰仮面と地獄武者との戦いは正に死闘だった。鳳凰仮面 はミラキュルンとマッハマンが間に入ったのでまだ穏便に終わったが、地獄武者の戦いが凄まじかった。最後には ヴェアヴォルフとミラキュルンの合体技で辛うじて倒したが、決闘後、地獄武者は徒歩で帰宅した。流星騎士スター ナイト、未来警察ミラクルポリス、灼熱闘士ゴーカイン、流麗剣士カレイド、剛力変身ストロングの新人ヒーロー五人 は、決闘が始まる前に常識を重んじるマッハマンからこっぴどく叱られて追い返された。頼まれてもいないのに登場 するヒーローは怪人と同じだ、などときつく言われたおかげで彼らは頭が冷えたようだった。おかげで無駄な戦いを 避けることが出来たが、御当地ヒーロー達が示し合わせたように全員上京してきた。なので、普段は前線に出ない ナイトメアや先代ヴェアヴォルフも参戦し、大乱戦の末にジャールが勝利を収めた。そして、最後に残ったのは魔法 少女まじかるチェリーただ一人であり、無傷なのもこの二人だけになってしまった。ツヴァイヴォルフは休業中なので 当然だが、ナクトシュネッケはインフルエンザで寝込み、一昨日まで休んでいた。ただそれだけの理由で、戦闘能力 ゼロの暗黒参謀と梅雨時の風呂場の悪魔はコンビを組まされ、差し向けられていたのである。

「まだかなー、まだかなー、チェリーちゃん」

 ぐねぐねと骨のない体を曲げるナクトシュネッケに、ツヴァイヴォルフは毒突いた。

「てか、マジウゼェ」

「年上にその口の利き方はないっしょー、坊っちゃま」

 アスファルトを分泌液で溶かしながらナクトシュネッケが近寄ってきたので、ツヴァイヴォルフは身を引いた。

「てか、俺が上司だし。幹部怪人だし」

「年功序列って知ってるぅ?」

「うちの会社に限って、それはマジ通じないんじゃね? 歳だったらレピデュルスがぶっち切りだし」

「上下関係はきっちりしとかないと、社会に出た時に苦労するには自分じゃねーの?」

「それはあんたのことじゃね?」

「口答えすんじゃねーよ、坊っちゃまのくせしてさ」

「ツヴァイパイツェーッ!」

 癪に障ったツヴァイヴォルフがベルトから軍鞭を抜くと、ナクトシュネッケは後退った。

「ちょ、ちょっとそれやめてよリアルに痛いんだし、てかさっきの冗談じゃん、通じねーのなー」

「兄貴じゃなくてマジ良かったなぁ! あっちはリアルに銃刀法違反だし!」

 参考書を懐に突っ込んだツヴァイヴォルフがナクトシュネッケににじり寄ると、ナクトシュネッケは逃げ出した。

「坊っちゃま、それアレっすよ、パワハラパワハラー!」

「悪の組織なんてパワハラしてナンボじゃねぇーかぁー!」

 決闘に考慮して車が一台もない駐車場を駆け回ったツヴァイヴォルフは、すぐにナクトシュネッケを追い詰めた。 ナメクジなので足の遅いナクトシュネッケと、運動神経だけは中の上レベルのツヴァイヴォルフでは当然だ。肌色と 薄茶色の中間のような色の体を金網に押し付けながら、ナクトシュネッケは言い訳がましい言葉を吐いた。

「あ、あの坊っちゃま、総統にはチクんないでくれないっすか? それに、俺にだけ非があるわけじゃ……」

「しょーもねーこと言うんじゃねーし。それでも怪人かっつの」

「俺は元々人間っすけど」

「今は怪人じゃねーかぁあああっ!」

 と、ツヴァイヴォルフが高々と軍鞭を振り上げると、ナクトシュネッケはぶるぶると柔らかな体を震わせて怯えた。 が、軍鞭でナクトシュネッケの粘液まみれの体表面を叩く寸前、ツヴァイヴォルフは異音を捉えて両耳を立てた。

「ナクトシュネッケ、戦闘態勢! 右斜め上空、二時の方向!」

「ええ、ああ、ああはいっす!」

 体表面に金網の跡を残しながら身を離したナクトシュネッケは、体内から込み上げた体液を発射した。

「アシッドストーム!」

 強酸性の雨に似た必殺技が上空に放たれたが、着弾せず、それを弾いた物体が大量に降り注いできた。

「まじかるチェリーブロッサム!」

 それは、無数の桜の花びらだった。強酸性の雨を一粒残らず受け止めた花びらは渦を巻き、盾と化した。ピンク の渦の中心に花の付いた魔法のステッキを携えた少女が浮かび、桜をモチーフにした衣装を着ていた。真冬では かなり寒そうなチューブトップ型レオタードに、花びらを模ったパニエを付けて、ピンヒールを履いている。二の腕の 中程まであるグローブにも花びらが多くあしらわれていて、サイドテールの髪飾りはサクランボだ。彼女の面差しを 見た途端にツヴァイヴォルフはなぜか桜木ちえりを思い出したが、人違いだと気を取り直して軍鞭を構えた。大体、 顔付きも体格も違いすぎる。ちえりは果てしなく地味な少女だが、この魔法少女は果てしなく派手な少女だ。目元に はアイラインとアイシャドウとマスカラが濃く付き、チークも厚塗りで、口紅もホステスのようなショッキングピンクだ。 チューブトップを膨らませる胸はやたらと大きかったが、下から見上げると乳房とは違う形の異物が入っている。

「あ、あれってまさか」

 ナクトシュネッケも気付いたらしく、触角に似た片目を上げた。

「うん、やっぱりそうだよな。すっげぇ量のパッド入れてね?」

 ツヴァイヴォルフが半笑いになると、魔法少女は駐車場に降りてきてチューブトップを引き上げた。

「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ怪人風情が! あたしの乳は本物だっての! そりゃブラのラインだ!」

 二人に詰め寄ってきた魔法少女は、ちっと舌打ちしてから、桜モチーフのステッキを構えてポーズを付けた。

「夢見る力が奇跡を起こすの!」

 先程とは百八十度違うアニメ声を出した魔法少女は、目を輝かせながらくるくる回り、片足立ちになった。

「春に目覚めたほのかな気持ち! 魔法少女まじかるチェリー、夢見る花を咲かせに参上!」

 最後に二人に向けてウィンクしたが、二人が無反応だったので、まじかるチェリーは途端にキレた。

「ノーリアクションかよつっまんねぇな、普通突っ込むとか褒めるとかあるだろ! ねーのかよ不感症共が!」

「不感症って、おい……」

 ツヴァイヴォルフがますます反応に困ると、まじかるチェリーはひゅんひゅんとステッキを振り回した。

「ちったぁ楽しませろっての、リアルチェリー共。どうせ使い物にならねぇんだ、あたしが引っこ抜いちまうぞ」

「坊っちゃまはともかく、俺はチェリーじゃないっすよチェリーさん! 今までに五人は付き合ってるっす!」

 ナクトシュネッケがツヴァイヴォルフの陰に隠れたので、ツヴァイヴォルフはナクトシュネッケを蹴り飛ばした。

「それ全部、合コンで食い逃げしてきただけだろ! てかお前マジ最低だし!」

「だ、だって、女っていざ付き合い出すと超面倒でさぁ。金も手間も掛かるしぃ……」

 砂利にまみれながら転がったナクトシュネッケを、まじかるチェリーがピンヒールで踏み付けた。

「なんでこんな雑魚しかいねーんだよ、あぁ? どうせなら幹部呼んでこいよ、幹部! すっげぇのをさ!」

「俺、幹部だけど」

 ツヴァイヴォルフが躊躇いがちに挙手するが、まじかるチェリーは無視した。

「てめぇらの組織にいるだろうが、歯応えのある怪人がよ!」

「確かに歯応えはありそうっすねー、甲殻類とか戦車とかクモ女とか猛禽類っすから」

「てめぇにゃ聞いてねぇんだよ汚物!」

 まじかるチェリーがぐいっとヒールをナクトシュネッケにねじ込ませると、ナクトシュネッケは身震いした。

「ふぐぅっ」

「まじかるSM劇場……」

 ツヴァイヴォルフがふと思い付いた言葉を呟くと、まじかるチェリーがステッキを投げてきた。

「うっせぇ駄犬が!」

「おうっ!?」

 思い掛けない衝撃を受けたツヴァイヴォルフは仰け反ったが、彼女の興味はナクトシュネッケにだけ向いていた。 まじかるリボン、とまじかるチェリーは叫んで新体操のリボンに似たアイテムを生み出し、ナクトシュネッケを叩いた。 鞭のようにしなるリボンに叩かれるたび、ナクトシュネッケは身悶えた。案外、その手の性癖があるのかもしれない。 しかも、まじかるチェリーの仕草が堂に入っている。バタフライマスクとボンテージではないことが不思議なくらいだ。 幹部怪人の立場としてはナクトシュネッケを助けるべきかもしれないが、先程の言動が引っ掛かっている。なので、 ツヴァイヴォルフはまじかるチェリーがサディスティックな性癖を満たすまで、傍観していることに決めた。

「まじかる亀甲縛りぃー!」

 まじかるチェリーの掛け声の後、まじかるリボンが独りでに動いてナクトシュネッケを見事に縛り上げた。

「男としての尊厳が失われまくりぃっ、ああでもそれがなんかこうっ、来ちゃうかもしんねぇ!」

 亀甲縛りにされた巨大ナメクジはびたんびたんと跳ね回るが、完璧に縛られたリボンは少しも解けなかった。

「続いて、まじかるギャグボールぅー!」

 まじかるチェリーが手を振ると、ナクトシュネッケの縦長の口にぴったり入る穴の空いたボールが填った。

「ふがごごごごぅっ」

「てか、何これ」

 魔法少女に責められる怪人という奇天烈な光景に、ツヴァイヴォルフはリアクション出来なかった。

「うご、ふごぉおおおお」

 ナクトシュネッケはギャグボールの穴から涎を垂らしながら何かを言ったが、まるで聞き取れなかった。

「さあて、次はてめぇだ駄犬ー!」

 二本目のまじかるリボンを出したまじかるチェリーに指され、ツヴァイヴォルフは後退った。

「え、やっぱり!? てか、そういうエロ展開とかマジ勘弁だし! 超誰得ってやつだし!」

「安心しな、超あたし得だ。それに、結構需要あるし」

 ヒールを鳴らしながらにじり寄ってくるまじかるチェリーに、ツヴァイヴォルフは軍鞭を突き出した。

「寄るなドS女、俺にMっ気はねーし! 魔法少女なのに少女してねーし! ストレスでも溜まってんのかぁー!」

「そうだよ、ストレス溜まりまくりなんだよ! 受験生だからな!」

 まじかるチェリーはまじかるリボンをびぃんと張り詰めさせてから、特盛りメイクの顔を引きつらせた。

「何が東大だ、何が進学校だ、何が外交官だ! そんなもんになる子供はな、そもそも年収四百万のサラリーマンの 家庭になんか生まれてこねぇっつうの! この御時世だ、せいぜい公務員になれりゃ御の字じゃねぇか! それ を寄って集って煽りやがって、将来のための投資だとか言って進学塾になんか通わせるなってんだよ! そんな塾 はモロ進学コースの私立中学の連中ばっかりなんだから、あたしの頭で追いつけるわけねぇだろうが!」

 巨大ナメクジを叩いたまじかるチェリーは、まじかる貞操帯、と妙な器具を出してナクトシュネッケに装着させた。

「パパもパパだけど、ママもママなんだよ! そりゃあたしは小学校の頃は出来が良かったかもしれないけど、周りに 比べてちょっとだけ集中力が高かったからなんだよ! だから、中学校に上がった途端に成績なんてだだ下がりで、 今じゃ平均ラインに掠ってりゃ良い方だ! それなのに変な勘違いしやがって、あたしが優秀だとか秀才だとか 持ち上げまくって、挙げ句の果てにカルト宗教みたいな進学塾に通わせやがって! そのせいで毎年毎年正月は 勉強合宿で、ここ何年もおせちなんか喰ってねぇんだよ!」

 まじかるキャンドル、とまじかるチェリーは赤いロウソクを出して火を付け、ナクトシュネッケの頭部にねじ込んだ。

「ただでさえ学校でボッチだってのに、そんな塾に通わされちゃ数少ない友達もいなくなっちまったじゃねぇかぁっ!  帰りが遅いからって夕飯も準備してくれなくなるし、毎日毎日ハードな部活だってしてんのに無茶振りもいいとこだ!  そのくせパパもママも好き勝手に遊びやがって、稼ぎが少ない少ないって言うくせして、あたしを置いて温泉旅行に 行くんじゃねぇえええええっ! しかもそのお土産が干物! 中三女子のお土産にホッケのみりん干しとサケとば!  馬鹿にしてんのかぁあああああっ! 一応喰ったけど!」

「そりゃ切れるわ」

 さすがにツヴァイヴォルフが同情すると、まじかるチェリーはぺっと唾を吐き捨てた。

「だから、やってらんねーんだよ魔法少女なんて。この格好だってママの趣味だし、あたしはライダーが好きなのに」

「じゃ、ヒーローをやればいいじゃん」

「出来ねぇよ。あたしのヒーロー体質はマジ半端だし、スーツにはならねぇし」

「ミラキュルンに鍛えてもらったら? あいつも最初は変だったっつってたし、訓練次第でどうにかなるんじゃね」

 呼び出そうか、とツヴァイヴォルフが携帯電話を出そうとすると、まじかるチェリーは青ざめて動揺した。

「それやめて! それだけは嫌!」

「なんでだよ」

「今のあたしのこと、あの人にだけは知られたくない。凄くいい人だったから、困らせたくない」

 まじかるチェリーは声を詰まらせて目元に涙を溜めたので、ツヴァイヴォルフは携帯電話をポケットに戻した。

「んじゃ、ミラキュルンには連絡しねーよ」

「それに、この状況はあたしが望んだのとは違うし。あたし、いい加減に魔法少女なんて辞めたくて、だからセイントセイバーを 倒したって言うジャールに挑戦状を送ってみたんだけど、これじゃ普通に勝っちゃいそうだし」

「てか、どう見たってお前の勝ちだし。んじゃ、兄貴に言って都合付けてもらうわ。それならいいだろ?」

「うん。ごめんね、手間掛けさせちゃって」

「いいよ。魔法少女が相手でも、俺達にとっちゃ勝ちは勝ちだし。また噂がひどくなりそうだけどな」

 ツヴァイヴォルフは軍鞭をベルトに戻してから、まじかるチェリーと向き直り、ステッキを渡した。

「さっき言っていたこと、俺達じゃなくて親御さんに言えよ。素顔じゃ無理だったら、変身して言えばいいんじゃね? 俺達に 愚痴ったってどうしようもねーし、本当に嫌なら自分でなんとかするっきゃねーだろ」

「……うん」

 まじかるチェリーは先程の言動とは打って変わってしおらしく頷くと、ステッキを受け取った。

「ごめんね。ひどいこと言ったり、痛いことをしちゃって」

「別に。それが怪人の仕事だし」

 ツヴァイヴォルフは軍帽を被り直してから、名刺を取り出してまじかるチェリーに渡した。

「んじゃ、それが本社の連絡先だから」

「ありがとう。それじゃ、さようなら」

 まじかるチェリーは恥じらいと申し訳なさを混ぜた顔で名刺を受け取ると、ふわりと浮かび上がった。

「おう、またな」

 ツヴァイヴォルフが手を振ると、まじかるチェリーは飛行モードに変形させたステッキに乗って飛び去った。

「ふぐぐぅ、ほっはむぁー」

 完全なM男と化したナクトシュネッケが腹這いで近付いてきたので、ツヴァイヴォルフは口角を吊り上げた。

「俺の力じゃまじかるリボンは切れねーから、そのまま本社に連れてってやろうじゃねーか」

「ほへははひひゃへてー!」

「てか、ハサミもねーし。嘘なんか吐いてねーし」

 ほれ行くぞ、とツヴァイヴォルフはイヌの散歩よろしくまじかるリボンのスティック部分を掴み、引っ張っていった。 ふごごごごっ、とナクトシュネッケは必死に抗議をしてくるが、意味が解らないので聞かなかったことにした。それに、 あんなに喜んでいたではないか。公衆の面前で引きずり回してやった方が、もっと悦ぶに違いなかろう。久し振りに 芽生えた怪人らしい悪意を向けるには相応しい相手ではないが、存分にナクトシュネッケに報いられる。
 あれだけ馬鹿にされて怒らないのは、余程の馬鹿だ。




 それから、一ヶ月後。
 大神鋭太は毛並みに隠れている頬の腫れを気にしながら、すっかり常連になった図書館で参考書を選んでいた。 分厚い体毛があるので見た目は普通だが、その下では腫れぼったい痣が出来ていて少しばかり熱を持っていた。 怪人だから一日もすれば治るし、勉強に集中すれば気も逸れる。鋭太は目を付けた本を引き抜き、両手に抱えた。 途端に、痛みが走って危うく声が出かけたが意地で飲み込み、四人掛けの勉強机に座ると、参考書と勉強道具を 広げた。鋭太は深呼吸してからシャープペンシルを取ったが、拳を振るった名残で指が開きづらかった。
 昨日の土曜日、鋭太、もとい、暗黒参謀ツヴァイヴォルフは魔法少女まじかるチェリーとの決闘に駆り出された。 だが、ツヴァイヴォルフの希望で怪人は使わずに、ツヴァイヴォルフ本人とまじかるチェリーが肉弾戦をしたのだ。 決闘に立ち会った暗黒総統ヴェアヴォルフと純情戦士ミラキュルンはいい顔をしなかったが、押し切った。まじかる チェリーは躊躇っていたが、ツヴァイヴォルフが殴りかかると、まじかるチェリーはSっ気に火が付いた。そして二人 は駅前広場で全力で殴り合ったが、体力と腕力の差で当然のことながらツヴァイヴォルフが勝利した。髪も化粧も 衣装もボロボロになったまじかるチェリーは半泣きだったが、清々しげに、ありがとう、と言ってくれた。その理由を 知っているのはツヴァイヴォルフだけだったので、兄とその恋人からは訝られたが適当にあしらっておいた。

「あ、大神さん」

 声を掛けられて振り返ると、桜木ちえりが立っていた。

「こんにちは。隣、いいですか?」

 人違いが切っ掛けの出会いの後、鋭太は図書館を訪れていたが、ちえりと再会したのは今日が初めてだ。 それが意外でもあったが、ちえりにもちえりの事情があったのだろう、と思っていたので変には思わなかった。

「おう」

 鋭太が頷くと、ちえりは隣の席に座って勉強道具を広げたが、その丸っこい頬にはガーゼが貼られていた。 唇の端も切れているし、よく見ると指には絆創膏がいくつも巻かれている。鋭太は心配になって、尋ねてみた。

「何、ケガしたん?」

「はい。でも、すぐに治りますから。そういう体質なので」

 ちえりは頬のガーゼに触れてから、声を落として鋭太にだけ聞こえるように話し始めた。

「えっと、実は、あたし、魔法少女だったんです」

「……あ?」

 鋭太がきょとんとすると、ちえりは自分のノートで顔を隠した。

「で、でも、辞めたんです。うちの両親にも辞めたいって言ったんですけど、やれやれって言われて、でも凄く嫌で、 おまけに塾もレベルが高すぎて嫌だから辞めさせてくれって言ったら凄く怒られて……。だから、私の力じゃ絶対に 勝てないレベルの高い相手に挑戦してボロ負けすればいいんじゃないかって思ったので、悪の秘密結社ジャールに 戦いを挑んだんですけど、なんか、勝っちゃって……」

 どこかで聞いたような話に鋭太が言葉に詰まっていると、ちえりは小声で続けた。 

「だから、昨日、もう一回挑戦したんです。そしたら、今度はボッコボコにやられて、その格好で家に帰ったら両親も 辞めることに納得してくれたんです。ついでに塾も変えさせてもらったし、志望校も県下一の進学校じゃなくて普通の レベルの高校にしてもらったんです。だから、私と戦ってくれた怪人さんには感謝してもしきれません」

「あー、そう……。そりゃ良かったな」

 それは俺だ、とも言えず、鋭太は曖昧に返事をした。

「んで、新しい志望校ってのはどこ?」

「あ、はい、市立高校ですけど」

「んじゃ、俺の後輩になるわけだ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。制服じゃねーから解らなかっただけだし」

 ほれ学生証、と鋭太が手帳から取り出して開いてみせると、ちえりは鋭太の学生証を凝視してからまた俯いた。

「じゃ、じゃあ、余計に頑張らなきゃ」

「俺の頭でも受かるレベルだけど、まあ頑張れよ。でねーと受かるものも受からねーし」

「はいっ」

 ちえりはノートが歪むほど握り締めてから、そろりと顔を出した。

「あの、それじゃ、勉強は」

「あー、うん。アレはさ、俺のつまんねー見栄っつーか意地っつーかだから。忘れて。マジ悪ぃ」

「いえ、あれはあたしも悪かったんです。いきなりあんなこと頼んじゃって、ごめんなさい」

「いいんだよ。じゃ、あの約束は無効な」

「……はい」

「教えるのは出来ねーけど、勉強には付き合ってやるよ。俺、誰かいねーと張り合い出ねぇタチだから」

「あ、は、はい」

「俺もだけど、身の丈に合った人生送ろうぜ」

 鋭太は何の気なしに、ちえりの頭をぽんと叩いた。すると、ちえりは一気に赤面して俯き、机にヘッドバッドをした。 ごっとん、という重たい音が辺りに響いて注目が集まり、鋭太は周囲に平謝りしたがちえりは顔を上げなかった。 というより、恥ずかしすぎて起き上がるに起き上がれないようだ。鋭太はちえりを横目に見、笑ってしまった。その姿 が間抜けだということもあったが、微笑ましかった。ファルコの言うように、やはり女の趣味は変わらない。
 魔法少女まじかるチェリーの正体が桜木ちえりだと知っても、ちえりに対する印象や好感は変わらなかった。それ どころか、ちえりが大分無理をして魔法少女をしていたと解っているので、むしろ同情せざるを得なかった。SMの 女王様のような立ち振る舞いで怪人達を虐げていたのは、ストレスで爆発寸前の心を守るためだったのだ。だが、 これからはちえりはちえりとしてだけ生きられるのだ。その心の平穏を願いつつ、鋭太は参考書を広げた。
 自分自身の未来のために。







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