それから、二人は一緒に暮らし始めた。 愛はかなり嫌がったが、彼女の実家に連絡を取って諸々の許可をもらい、愛の住民票をアパートに移した。ナイト ドレイン、もとい、ドミニクは愛を住まわせるスペースを作るために部屋を片付け、新しく布団を一組買った。コウモリ 怪人であるドミニクは、天井からぶら下がっても充分眠れるが仕事で疲れて帰った時は横になりたい。愛は一緒でも 構わないと言ったが、恋人同士でもないのに同じ布団で寝るわけにはいかない、とドミニクは押し切った。雑誌や レコードが積み重なっていた部屋の隅から物を取り払って衣装ケースを置き、愛の私物の姿見も置いた。怪人故に 服が少ないドミニクとは違い、ダンサー志望である愛はお洒落で実家から持ち出してきた服も多かった。おかげで、 ドミニクの生活スペースはすっかり愛に浸食され、カセットテープもダンスミュージックばかりになった。 空腹を紛らわすため、リンゴを囓りながらドミニクは歩いて帰路を辿っていた。疲れた時に飛ぶのは辛いからだ。 仕事先の作業着を入れたナップザックを右肩に引っ掛け、首周りに生えた襟巻きのような金色の体毛を掻き毟る。 この体毛は冬場にはありがたいが、暖かい季節には鬱陶しい。だが、これがなければ、外見が貧相になる。 ドミニクはコウモリ怪人故に、上半身は空を飛ぶための筋肉が付いているが、下半身は骨格が細く華奢である。 逆三角体形、とでも言えば少しは聞こえが良いが、要するに上半身と下半身のバランスが全く取れていないのだ。 肩胛骨と骨盤から発達した骨によって成された翼も皮が薄く、鳥類の怪人のように逞しく風を切り裂く翼ではない。 夜目は利くが強い光には滅法弱く、直射日光を見ると目が痛くなる。聴覚もまた、やたらと良すぎるせいで雑音まで 拾ってしまう。影に異空間を作る能力の他に超音波も発せられるが、音感が今一つなので音波操作は下手だ。 次々に思い付いた自分の弱点に心底情けなくなりつつ、ドミニクはアパートの階段を上って自室のドアを開けた。 部屋の空気はコンロの熱で暖まり、ラジカセからはダンスミュージックが流れ、台所では愛が料理をしていた。 「あ、お帰りー」 湯気の上る鍋に蓋をした愛は、ドミニクを出迎えた。オレンジのTシャツにホットパンツ姿で、素足が眩しかった。 脂肪と筋肉がバランス良く付いた太股と引き締まった脹ら脛はほんのりと日焼けして、健康的な色気を作っていた。 Tシャツの胸元を形良く押し上げている乳房もたっぷりと重たいが、腰は細く、そのアンバランスさが悩ましい。 「うん、ただいま」 ドミニクはなんだかくすぐったい気分になりながら、足の裏と足の爪を拭いてから部屋に上がった。 「あんた、本当に果物が好きなんだね。コウモリなのにさ」 愛がドミニクが手にしているリンゴの芯を指すと、ドミニクはその芯を囓って飲み下した。 「俺、フルーツコウモリなんだよ」 「コウモリって、血を吸うんじゃないの?」 「あんまり知られてないけど、コウモリにも色々と種類があるんだよ。俺はその中のフルーツコウモリなんだよ」 「でも、吸血鬼ってコウモリに変身するじゃん」 「それはイメージが近いから同一視されてるだけだろう?」 「そうなの?」 「そうだよ。それで、今日の晩ご飯、何?」 ドミニクが愛の頭越しに台所を覗き込むと、愛はにんまりした。 「すぐに解るって。これから出すんだし」 座って待ってて、と言われ、ドミニクは素直に頷いた。背筋がざわめくような感覚が這い上がり、少し身震いした。 どんな顔をしていいのか解らず、牙がはみ出した口元をひん曲げた。これではまるで、同棲した恋人同士である。 確かに愛は好ましい女性だが、出会った経緯が経緯なので下心を抱いてはいけないような気がした。愛と出会った 夜、そうした目的のために愛を攫ったわけではないと明言したため、今更逆のことは言えない。だが、愛に対しては 明確な好意を抱いているわけではない。馴れ馴れしい女友達、程度の認識でしかなかった。 食卓に着いたドミニクの前に出されたのは、山盛りのロールキャベツとキャベツしか入っていない味噌汁だった。 まさかそれだけではあるまい、と愛を窺うも、愛は少し照れ臭そうに笑っているだけで他のものは出してこなかった。 ドミニクは来日してからすっかり使い慣れた箸を取り、頂きますと挨拶し、ロールキャベツと味噌汁に手を付けた。 「普通に旨い」 ドミニクは愛の作ったロールキャベツを咀嚼し、味わった。キャベツは柔らかく煮えていて、コンソメの味も良く染み 込んでいる。中に巻かれている俵型の挽肉は微塵切りのタマネギが甘く、スパイスと肉汁の味が丁度良い。 「だったらもっと褒めてくれてもいいんだよ?」 愛は上機嫌に笑い、若干柔らかすぎる白飯を食べた。 「ていうか、あたしが得意なのはこれだけなんだけどね」 「どうして?」 「家庭科の調理実習で作ることになって、お母さんに習って練習したんだ。だから、これだけは得意」 ダシ入れ忘れた、と愛は味噌汁を飲んで顔をしかめたが、コンソメの味が染みたロールキャベツを頬張った。 「お父さんもお姉ちゃんもおいしいって褒めてくれたから、その後も調子に乗って何度も作ったら、今度は作り過ぎ だって怒られちゃった」 「良い御家族じゃないか」 「うん」 愛は小さく頷き、感慨に耽った。 「うちの家族、昔から仲が良くて、お父さんとお母さんがケンカしているところなんて一度も見たことない。姉ちゃんと あたしだって、たまにはケンカするけど友達みたいに仲良しなんだ。一緒に遊びに行くし、家族旅行だって年に何度も 行っているし、子供の頃から大事にされてるって思うし、あたしも大事にしたいなって思うんだ」 「なのに、家出したの?」 ロールキャベツを結んでいたカンピョウを噛み千切ってから、ドミニクが呟くと、愛は俯いた。 「うん。無理だ無理だって言われたから、なんか、意地になっちゃったのかな」 「寂しくない?」 「そりゃ、寂しいけど」 愛は箸を握り直し、白飯を掻き込んだ。 「でも、あたしは夢を叶えるって決めたんだ! だから、何が何でも帰らない!」 「そっか」 ご飯のお代わりしてくるね、と食卓を立った愛を見送ってから、ドミニクはロールキャベツを取ってかぶりついた。 近頃の好景気で仕事が忙しいため、ドミニクはほとんど自炊をしていなかったので、誰かの手料理を食べるのは 久々だった。しかも、若い女の子の料理とは。嬉しさを噛み締めながら、ドミニクは山盛りの白飯を頬張った。 「お代わりだよ!」 と、明るい声が掛かったのでドミニクが顔を上げると、愛が大量のロールキャベツを盛った皿を抱えてきた。 「……え」 おいしいけど、その量は。ドミニクは口を半開きにすると、愛はその皿をテーブルに置いた。 「何か文句でもある?」 「えーと、それだけ?」 ドミニクが爪の長い指でロールキャベツを指すと、愛はむくれた。 「悪いか。これしか出来ないって言ったじゃん」 「ちょっ、と、待って」 ドミニクは愛を制してから腰を上げ、冷蔵庫から祖国から送られてきたサルサソースの瓶を取り出した。 「おいしいのは確かだけど、味を変えなきゃ」 「そんなもん掛けるなよ! ちょっと舐めてみたけど、それ、変な味じゃん! 酸っぱいのにすっごく辛いし!」 愛はロールキャベツを死守するように皿に覆い被さるが、ドミニクも言い返した。祖国の味を否定されたくはない。 「それを言うなら、俺は君の味覚の方が理解出来ない。なんでバニラアイスをせんべいで食べるんだよ」 「甘じょっぱくておいしいんだもん」 「だったら、これも充分有りだ」 ドミニクは愛の頭上に手を翳して影を作り、愛が庇っているロールキャベツの皿を自分の影へと引き摺り込んだ。 「シャドウアブゾーブ!」 「えっ、あれ?」 ロールキャベツの皿が消えたことに愛が驚くと、ドミニクは足元の影に手を差し込んで、その皿を取り出した。 「旨いか不味いかなんて、食べてみなきゃ解らない」 そして、サルサソースをロールキャベツにたっぷりと掛けると、ドミニクは皿を食卓に戻した。 「今の、あんたの技ってやつ?」 サルサソースが満遍なく掛かったロールキャベツよりもドミニクが気になるのか、愛はドミニクを見上げた。 「そうだよ。俺は影の中に異空間を作れるんだ。そこに物を取り込んで、好きなところから出せるんだ」 ドミニクは食卓に戻り、サルサソース味が付いたロールキャベツを囓った。 「うん、旨い」 「今度買い物付き合ってよ!」 唐突に愛に迫られ、ドミニクは目を丸めた。 「……なんで?」 「だって、それがあればいくらでも買い物出来るじゃん! 服もバッグも靴も買い放題じゃんか! そんな便利な力が あること、なんで今まで教えてくれなかったの!」 「ロールキャベツは?」 「そんなんどうでもいい! だからさ、買い物行こうよ! オーディションで着る服だって選びたいしさぁ!」 現金すぎる愛に、ドミニクは辟易しながらロールキャベツの続きを噛み砕いた。 「そんなこと言われても、影の中に作れる異空間には限界があるんだよ。そりゃ、子供の頃に比べれば容量は拡大 したけど、それでもまだ狭いんだよ。今は、そうだな、このアパートの浴槽一杯分ぐらいしか入らないかな」 「何それ、ショボい」 途端に落胆した愛は座り直し、サルサソースの掛かったロールキャベツを一口食べ、旨いじゃん、と感心した。 「そんな力だけで、世界征服なんて出来るの?」 「出来るとも」 と言ってみたものの、自信はなかった。だが、そんなことでは世界征服など果たせない、とドミニクは思い直した。 誰かに強要されて抱いた野心ではない。物心付いた頃から思っていたことで、成長と共に燻りは高まった。日本に 帰化したのも、経済状態の良い国に足場を作って活動するためだ。だが、その割には行動に出ていなかった。愛を 攫ったのはいいが、愛を助けに来るヒーローもおらず、ドミニクも率先して愛を攫ったことを触れ回っていない。この 状態が終わるのが惜しいのも本心だったが、ヒーローと戦ったところで勝ち目がないことも停滞の一因だった。 意気地がないどころの話ではない。ヒーローと戦って、強くなり、世界征服するために来日して帰化したのだ。それ なのに、何もしないどころか、二の足を踏んでばかりだ。ロールキャベツを黙々と食べながら、ドミニクは決意した。 今度こそ、ヒーローと戦おう。 所要時間、一分にも満たない戦闘だった。 ナイトドレイン、もとい、ドミニクは仰向けに横たわって夕暮れの空を見上げながら、鈍痛の残る腹部を押さえた。 仕事帰りにヒーローを見つけたので戦いを挑んだが、強引に路地裏に連れ込まれ、パンチ一発で終了した。頭部への 打撃はなく、あくまでもボディーブロー一発だ。それなのに、痛みのあまりに気を失ってしまったらしい。自分の影 に痛みを受け流せば良かったのだ、と思ったが既に遅く、件のヒーローはとっくに立ち去った後だった。 「あー……」 痛すぎて、上手く声が出ない。ドミニクは牙を折られなかったことを安堵しつつ、体を起こした。 「おげえっ」 だが、それだけでも痛みが響いた。ヒーローを一人でも倒して自信を付けるはずが、ますます自信が失われた。 痛みと情けなさで少し涙が滲み出し、灰色の体毛に吸い取られた。目は元々赤いので腫れても目立たないだろうが、 このままアパートに帰るのは情けないを通り越してやるせなかったので、ドミニクはその場に座っていた。 路地裏から見える商店街には人々が行き交って、笑い声を上げている。それがいやに遠く感じて、切なくなった。 一歩踏み出せば、ドミニクはあの世界に戻れる。アパートに帰れば、先に帰宅した愛が夕食を作って待っている。 今朝早くからダンスのオーディションを受けるために出掛けていったが、終了時刻はドミニクの退勤時間より早い。 今日もまたロールキャベツか、いや他の料理かも、と考えると、腹部の痛みが紛れるような気がした。アーケードや 雑居ビルを通り抜けて降り注いできた西日を浴びて体が温まると、早く帰りたいと思うようになった。 「帰ろう」 アパートに帰れば、また何事もない明日が始まるのだから。 「愛が待ってる」 オーディションの結果も気になるが、愛ならばきっと大丈夫だろう。ドミニクから見ても、愛のダンスは上手かった。 ドミニクには音感もなければダンスのセンスもないが、それぐらいは解る。愛の動きには鋭いキレがあり、ステップも 軽やかで、ポーズも綺麗に決め、自信を持っているだけのことはあるダンスだった。だから、きっと愛は受かったに 違いない。祝ってあげよう、とドミニクは商店街の洋菓子屋でケーキを買い、作業着の入ったナップザックを掛けた 肩とは反対の手でケーキ箱を提げ、ドミニクはアパートへの帰路を辿った。 アパートに帰ると、部屋には灯りが付いてなかった。まだ帰っていないのかな、と思い、ドアに手を掛けた。すると、 鍵は既に開いていて愛のスニーカーも転がっている。ドミニクは訝りながら、足を拭いて自室に上がった。蛍光灯を 付けると、和室に人影が見えた。ケーキを冷蔵庫に入れてからドミニクが近付くが、愛は動かなかった。愛は部屋 の隅にうずくまり、声を殺して背中を震わせている。ドミニクは一瞬躊躇ったが、愛の背後に歩み寄った。 「どうしたの?」 ドミニクが穏やかに声を掛けるが、愛は答えなかった。 「オーディション、どうだった?」 すると、愛は泣き声を引きつらせて頭を抱えた。 「そっか」 その反応だけで充分だった。ドミニクは愛の傍に座り、彼女の弱々しく震える背を守るように翼を広げた。 「俺もね、今、負けてきた」 まだ痛みの残る腹をさすり、ドミニクは自嘲した。 「ヒーローだけど、そんなに強そうには見えなかったから、俺でも勝てるんじゃないかって思って戦いを挑んだんだ。 でも、一撃で負けた。怪人なのにさ」 「そうなの……?」 涙でべとべとに汚れて赤らんだ顔を上げ、愛はドミニクを見やった。 「うん。だから、まだ腹が凄く痛い」 ドミニクが苦笑すると、愛は袖で顔を拭った。 「でも、諦めないの?」 「そりゃ、諦めないよ。世界征服は」 ドミニクが答えると、愛は鼻を啜った。 「どうして?」 「怪人だから」 「そんなの、理由でもなんでもないじゃん」 「そうだよ。でも、怪人だから」 それ以外の理由など、あるものか。ドミニクは手を伸ばすか否かを迷ったが、愛の肩に手を置いた。 「悔しいなら、また次も頑張ればいいよ。俺も頑張るから」 「……うん」 愛は肩に置かれたドミニクの手に気付き、やや身を引いた。 「あ、ごめん」 ドミニクが手を外すと、愛は顔を背けた。 「別に、嫌じゃないけどさ」 「そう? なら、いいんだけど」 ドミニクは愛の気分を害さなかったことを素直に喜び、腰を上げた。 「夕飯、俺が適当に見繕ってくるよ。そんな気分じゃ、料理なんて出来ないだろうから」 「うん」 愛は小声で答えてから、頬を濡らす涙を拭った。 「それと、ケーキ買ってきたから。夕飯の後に、一緒に食べよう」 「うん」 和室を出ていくドミニクを見送り、愛は頷いた。 「じゃ、ちょっと出てくるから。すぐに戻るよ」 ドミニクはナップザックから財布を出して玄関に向かうと、和室から出てきた愛が近付いてきた。 「ん、何?」 ドミニクが振り向くと、愛は泣き腫らした顔で精一杯の笑顔を作った。 「ありがと、ドミニク」 「……うん」 急に気恥ずかしくなったドミニクはろくに言葉も返さずに部屋を後にし、今し方通ってきた商店街に向かった。一刻 も早くアパートから遠ざかりたくなってしまって飛び立ったが、愛が気掛かりで一度振り返った。ドアも閉めてカーテン も全部閉めているが、部屋の灯りを点けたらしく、カーテンの隙間から蛍光灯の光が零れた。空の暗さを写し取った 窓に細く伸びる一筋の光に、ドミニクはこの上なく安堵してから、夕食の買い出しに行った。 愛が部屋にいる。それだけで、敗北の苦みも和らいだ。 09 11/25 |