純情戦士ミラキュルン




その姿、変幻自在! 隠匿のカメリー!



 巻尾竜吉はカメレオン怪人カメリーである。
 だが、今は怪人名でしか生きていない。本名を使う機会があるのは、公共料金を支払う時ぐらい程度だ。だから、 そうした時にしか自分の本名を思い出さない。怪人としての仮面を被っていた方が生きやすいからだ。本名にしても 何にしても、カメリーは執着が薄い。金に関してもそうで、稼いだだけの金をギャンブルで散財したことも少なくない。 というより、執着することを嫌っていると言った方が正しい。何者にも擬態出来る自分を固定するのが嫌だった。
 意志に従い、ぐにゃぐにゃと歪む骨。周囲の色に従い、無限の色彩に変わる皮膚。芯を持たない心中。何らかを 据えてしまいたいと思う時があっても、特定の企業に就職したり、特定の女と添いたいとは思えなかった。焦燥感の ような不安に煽られても、一度でも自分を型に填めてしまうとそのまま固まってしまいそうで怖かった。だから、何に 対しても本気にはなれなかったが、その一方で不安定なまま生きていくことが不安だと思いもした。そんなカメリーが 悪の秘密結社ジャールに就職したのは七瀬のためだったが、不安を紛らわすためでもあった。
 その日も、カメリーは悪の秘密結社ジャールに向かう道を辿ってサラリーマンらに混じって出勤していた。爬虫類 型怪人なので冬場は体温維持の必要があるので、分厚いコートを羽織り、丸い背を更に丸めて歩いていた。足元も さすがにサンダル履きとはいかないので、保温機能の高い靴を履いているが相変わらず姿勢は悪い。というより、 本来の骨格がそうなのだ。コートの裾からはみ出した尻尾のように、背中が弓形に曲がっている。尻尾を掠めた風 の冷たさにぶるりと身震いしてから歩調を速め、本社の入ったビルへ足早に向かった。
 人気のないホールに入ると、エレベーターに乗って悪の秘密結社ジャールのオフィスのある階数ボタンを押した。 エレベーターの中に籠もっていた乾いた暖気を吸い込んで空咳をしつつ、カメリーはエレベーターの到着を待った。 数十秒後にエレベーターが到着し、カメリーはエレベーターホールの真正面にあるジャールのオフィスに入った。

「あら?」

 独特の苦みのある匂いが鼻腔を通り、カメリーは互い違いに目を動かして社内を窺った。

「あんららら……」

 カメリーはひょいひょいと歩いてデスクの脇を通って応接セットを覗くと、アラーニャがカメリーを見上げてきた。

「お静かにねぇん」

 アラーニャの向かいのソファーには、制服姿の天童七瀬が六本足を丸めて寝入っていて、腹部が上下していた。 カメリーの嗅ぎ取ったのは、人型テントウムシである七瀬が関節から僅かに滲んでいるアルカロイドの匂いだった。 教科書やノートが詰まった通学カバンは枕元に置かれているが、女子高生必須の携帯電話は見当たらなかった。 少しだけファスナーが開いている通学カバンからストラップがはみ出しているが、使っていた様子はない。となると、 家出か。だが、なぜ悪の秘密結社ジャールに来るのだろう。家出なら、友人の家に行くのが筋なのでは。

「何よ、どしたの?」

 怪訝に思いながらカメリーがアラーニャに近付くと、アラーニャは声を抑えて笑った。

「七ちゃんね、時期外れだけどぉ、アレなのよぉ。だからぁ、自分の家にいるにいられなくなっちゃったのよぉ」

「だからって、なんでジャールなのよ? 俺んちでも姐さんちでもなくって?」

 カメリーが両目を動かして七瀬に向けると、アラーニャはしなやかに足先を振った。

「私の部屋にはぁ、ほらぁ、パンさんが出入りするじゃなあい? それにぃ、あなたの部屋じゃもっと拙いわぁ」

「取って喰いやしないのねぇん」

「それはどうかしらぁ」

 二人の声と気配で目を覚ましたのか、七瀬は触角を揺らしてから身を起こした。

「あらぁん、起こしちゃったかしらぁ?」

 アラーニャが七瀬に顔を寄せると、カメリーはひらひらと手を振った。

「おはよん」

「んー……」

 七瀬は覚醒しきっていない意識を引き上げながら、触角を忙しなく動かしていたが、カメリーに向けた。

「やっと来やがった」

 身を乗り出した七瀬は、上右足でカメリーのコートの裾を引っ張った。

「ん、お、何するのよ?」

 カメリーがコートを引っ張り返すと、七瀬はそれ以上の力で引っ張り続けた。

「脱げ」

「何でなのよ。体温が下がると冬眠しちゃうのは、俺も七瀬も同じでしょうに」

「脱げっつってんだろうがこの野郎、私の命令が聞けないってのかぁあああんっ!?」

 突然声を張り上げた七瀬はカメリーのコートを強引に脱がせ、床に叩き付けるように投げ捨てた。

「七ちゃあん、ここじゃちょっと拙いわよぉ。もうちょっとしたらぁ、若旦那や皆も来ちゃうわぁ」

 アラーニャがしなやかな足で七瀬を柔らかく取り押さえるが、七瀬は腹部を膨らませて呼吸を荒げていた。

「だ、だけどさぁ、久仁恵叔母さん!」

「だから、何なのよ」

 訳も解らずにカメリーがへたり込むと、アラーニャは四つの目を閉じてウィンクした。

「さっき言ったでしょおん。七ちゃん、発情期なのよぉ」

「だからって、何で今なのよ? 冬よ、冬? 普通さ、虫の繁殖期ってのは春でないの?」

 カメリーがきょとんとして両目を動かすと、アラーニャは七瀬を撫でて宥めてやった。

「だからぁ、最初に言ったじゃなあい。季節外れだってぇ」

「うー、あー、うぅ……」

 七瀬は変に上擦った唸り声を漏らし、アラーニャにしがみ付いた。

「どうしよどうしよ、神経がぞわぞわする、体液が煮えちゃう煮えちゃう煮えちゃう!」

「大丈夫、大丈夫よぉ。誰だってぇ、一度は通る道なんだからぁ」

 アラーニャは三本の足で優しく七瀬を撫でてやりながら、ソファーに座り直させた。

「お医者さんからホルモン安定剤を出してもらえばぁ、すぐに気分が落ち着くわぁ。だからぁ、七ちゃあん、そんなに 怖がることもないのよぉ。それにぃ、繁殖衝動は生き物として当然のことなんだからぁ」

「で、でもさぁ、異常だよこれ。どう考えたって異常だよ。てか、おかしいよ、私の頭も体も全部」

「そんなことはないわよぉ。それを言ったらぁ、私だってぇ、充分おかしいわよぉ」

 アラーニャは艶っぽい笑みを零し、しなやかに身をくねらせた。

「虫でもなければ人間でもないパンさんにぃ、勢い余って襲い掛かっちゃったことがあるんだからぁ」

「ごめんよ姐さん、俺、ちょっと……」

 気まずくなったカメリーが腰を上げると、七瀬がアラーニャを振り切りそうなほどの勢いで身を乗り出した。

「てめぇのオンナ置いてどこ行きやがるこんちくしょおおおおおっ!」

「どこってどこでもないよ、怖いじゃないのよ」

 動くに動けなくなったカメリーが再度腰を下ろすと、アラーニャは七瀬を引き戻した。

「ねぇ、カメちゃあん。七ちゃんのためにもぉ、今日は御仕事を休んで一緒にいてあげてくれないかしらぁ?」

「だけどね、俺も仕事はないわけじゃないし。草稿の清書とか、レイアウトとか、業界誌から頼まれた原稿とか……」

 カメリーが渋ると、七瀬はいきり立った。

「仕事なんざぶん投げちまえばいいじゃねぇかぁ! どうせ世界征服なんか出来っこねぇんだからよぉおおおっ!」

 六本足を動かして暴れた七瀬はとうとうアラーニャの拘束を振り解き、真っ直ぐカメリーに飛び掛かった。カメリー が逃げようと腰を引きかけたが七瀬に抱き付かれてそのまま倒され、強かに後頭部を床に打ち付けた。カメリーの 上に跨った七瀬はぎちぎちと顎を軋ませ、羽も開き、カメリーを取り押さえた爪にも力が籠もっていた。押し倒された 格好ではあるが、色気もクソもない。カメリーは七瀬を押し戻そうとするが、それ以上の力で掴んでくる。そうこうして いるうちにエレベーターが到着し、四天王の残り三人が出勤してきたのでカメリーは年甲斐もなく泣きたくなった。

「朝っぱらから何を盛ってやがる、トカゲ野郎」

 最初に入ってきたパンツァーは、組み敷かれたカメリーとその上に跨る七瀬を見下ろして単眼を瞬かせた。

「いちゃつくんだったら、もうちょい場所を弁えておくんなせぇ。独り者にゃ目に毒ですぜ」

 パンツァーの次に入ってきたファルコは、やれやれと言わんばかりに首を横に振った。

「これはこれは、天童さんではございませんか」

 二人に遅れて出社してきたレピデュルスは、カメリーでも七瀬でもなくアラーニャに事情を尋ねた。

「アラーニャ、何があったというのかね?」

「それがねぇん……」

 アラーニャは足先でレピデュルスを引き寄せ、小声で事の次第を話すと、レピデュルスは納得した。

「それは致し方ないことだな。ホルモンだけは、いかに強靱な精神力でさえも抑え切れぬ」

「レピさん、俺、どうすりゃいいかしら?」

 全力でしがみついてくる七瀬に辟易しながら、カメリーは片目でレピデュルスを見上げた。

「休む他はないな。その状態では、仕事になるわけがなかろう」

 レピデュルスはカメリーに返してから、またアラーニャに尋ねた。

「天童さんの親御さんには連絡しておいたかね?」

「そりゃあもちろんよぉ。心配掛けちゃったら困るしぃ、保険証とか診察券とかも必要だしぃ」

「さすがに行動が素早いな」

「だってぇ、私だって若い頃は何度もこういうことがあったものぉ」

 その度に色々あったわぁ、とアラーニャが含み笑いをすると、レピデュルスは小さく肩を竦めた。

「だが、今はパンツァーだけにしておくれ」

 当たり前よぉん、とアラーニャは身をくねらせると、経理の仕事に取り掛かるために応接セットから離れていった。 レピデュルスもまた仕事を始めるために立ち去ってしまったので、カメリーは不安と同時に羞恥心に襲われた。頭上 の七瀬を見上げると、七瀬は荒っぽく噛み付いてきた。硬いウロコの肌なので傷は付かないが結構痛い。やられて ばかりではいけない、と引き剥がそうとするが、外骨格を傷付けてしまうのが怖くて力を出せなかった。七瀬は人型 昆虫だが、怪人ではなくただの人外だ。回復力も体力も一般的なもので、耐久力も人並みだ。だから、うっかり怪人 の腕力で振り払ってしまっては、外骨格どころか足の筋や触角も傷めてしまうかもしれない。七瀬を離したい、だが 傷付けてしまうかもしれない、とのジレンマに苛まれた末、カメリーは抵抗しないことにした。

「こうなっちゃったものはどうしようもないけどねぇ……」

 カメリーはシャツの上から肩の肉と骨を噛まれながら、必死に喰らい付いてくる七瀬に両目を向けた。

「なんで俺を噛むのよ?」

「てめぇが喰いに来ねぇからだろうが! 肉食昆虫舐めんなこの野郎!」

 カメリーを喰い千切らんばかりに噛みながら七瀬が喚き散らすと、デスクに付いた四天王の視線が吸い付いた。 いずれの目も意外そうで、四天王の中では最も表情が解りやすいファルコは目を剥いていた。驚きすぎだ。俺って そんなにすれっからしに見えちゃうのかしら、とカメリーは自問したが、普段の態度からすればそう見えても無理は ない。だが、元々そんなに手が早い方ではないし、七瀬に至っては好きで好きで仕方ないから手を出せずにいる。 真実を話したい気がしたが、この状態では何を言っても逆効果だと判断し、七瀬のやりたいようにさせた。

「おはようございまーす」

 またエレベーターが到着してドアが開き、始業間もない悪の秘密結社には場違いな少女の声が響いた。

「あ、本当だ。七瀬が盛ってる」

 それは、制服姿の野々宮美花だった。美花はカメリーに覆い被さる七瀬を見たが、反応は淡々としていた。

「おはようございます、我らが愛すべき宿敵よ」

 ドアの一番近くにいたレピデュルスが妙な挨拶をすると、美花も頭を下げ返した。

「朝早くに御邪魔してすみません。七瀬のお母さんから頼まれて、保険証と診察券を持っていってくれって」

「これはこれは御丁寧に。丁重にお預かりいたしましょう」

 レピデュルスは美花から七瀬の保険証と診察券を受け取ると、美花はちょっと背伸びをしてオフィスを見回した。

「若旦那でございましたら、まだいらしておりませんが」

 レピデュルスが誰も座っていない取締役の机を示すと、美花は赤面した。

「ああ、その、そういうんじゃなくって、おっ大神君に会いに来たわけじゃなくて、ただ、ちょっと気になっただけで!」

「照れなさんな照れなさんな、俺らはもう慣れっこなんでやんすから」

 契約先から届いた書類を見ながらファルコが笑うと、パンツァーがぎしぎしと肩を震わせた。

「若旦那が御元気だと、下の連中もやる気が出てくるんだ。見せつけられるぐらいが丁度良いってことよ」

「それはそれとしてぇ、美花ちゃあん、学校の時間は大丈夫なのぉ?」

 パソコンを起動させながら、アラーニャは壁掛け時計を指した。

「ちょっと拙いかもしれません」

 壁掛け時計を見上げた美花は少し迷ったが、左手首を上げてハートのブレスレットを袖口から出した。

「お兄ちゃんには内緒にしておいて下さいね? 後でうるさいんで」

「承知いたしました」

 レピデュルスは一礼してから、道路に面している窓を開けた。

「変身! 遅刻するから以下略!」

 瞬時に変身した美花、もとい、ミラキュルンは、通学カバンを肩に掛け直してから浮かび上がった。

「それじゃ、失礼しましたー! 七瀬も暴走しすぎないでねー!」

 ミラキュルンは白いマントを翻しながら窓から飛び出し、すぐに見えなくなったので、レピデュルスは窓を閉めた。 鍵も掛けてから、ミラキュルンが起こした風で少し乱れた書類を直し、棚から必要なファイルを取り出した。

「どうぞ、これを」

 カメリーの頭上に歩み寄ったレピデュルスは、七瀬の保険証と診察券を差し出した。

「ああ、どうもね。んーと、人外外来の受付時間はーっと」

 カメリーは受け取った診察券を裏返し、診察時間を確かめた。

「今日って何曜日だっけ、レピさん」

「木曜日だが」

「午前休診じゃないのよ」

 では、それまでこの状態が続くのか。カメリーが脱力して手足を投げ出すと、ファルコが翼で仮眠室を指した。

「だったら、診察が始まるまでは仮眠室で大人しくしてりゃええですぜ。ですが、ここが会社だってことを忘れねぇように 頼みやすぜ」

「忘れるわけないでしょうに」

 カメリーは七瀬を抱えると、どっこいせ、と起き上がった。それでも尚、七瀬はカメリーにしがみついてきた。人型 昆虫である彼女は体重が軽いので持ち運ぶのは容易いが、こうも長く抱き合っていると変な気分になる。それまで はろくに触らせてくれなかったのに、今はどうだ。カメリーが離れようとすると、引き留めて襲い掛かってくる。嬉しい と言えば嬉しいが、それは単純に本能なのだと思うと空しくなる。その空しさが、カメリーを抑制していた。
 オフィスにいるよりはまだ気が楽だ、とカメリーが仮眠室に七瀬と共に入ろうとすると、運悪く大神が出勤してきた。 大神はカメリーとその腕の中の七瀬を認め、しばらく硬直した後、カメリーを追い出すために必殺技を放とうとした。 暗黒総統本人に新社屋を破壊されたら元も子もないので、四天王は全力で大神を押さえて事の次第を説明した。 懇切丁寧に説明されて大神が納得すると、今度は名護が出勤してきて、彼もまたあらぬ誤解をしたようで汚物でも 見るような目でカメリーを睨んできた。大神に話したものと全く同じ内容の説明を繰り返す四天王の声を聞きつつ、 カメリーは七瀬と仮眠室に入ったが、普段は渦巻いている尻尾から力を抜いてだらりと垂らした。
 出勤したばかりなのに、もう疲れてしまった。







09 12/1